第144話 躊躇することなく
バルバトスの背に揺られながら進む旅路は順調そのもの。心配していた魔獣や追い剥ぎに出くわすこともなく、早くも一日が経過していた。
前回カラカルへ向かった時と同じく、朝になったところで平原に繋げたダンジョンから旅を再開する。
バルバトスも慣れたもので、ごく当たり前のように入口から顔を覗かせ周囲の様子を窺っていた。
(おはようバルバトス、ゆっくり休めたか?)
(オウヨ。シカシ、テメエハ大丈夫カ? 夜通シ走ッテタンダロ?)
怪訝な顔を俺に向けるバルバトス。
いや、ニワトリだから表情はよく分からんな。首を傾げての言葉だからそう感じただけだ。
それはともかく、バルバトスの言う『夜通し走っていた』……今回の旅では俺ならではの無茶をしてみた。
俺は疲労を感じない。
疲労が皆無か? となると肯定し難いところがある。限界まで無茶すると、意識が吹っ飛ぶこともあったしな。条件はその都度違うけど、たまに眠気も感じるし、全く無いとは言い切れんのだ。
そんな俺は日没時にバルバトスをダンジョンに戻した後、一人で旅路を続けることにした。
辺りが暗くなっても『夜目』がある。疲労も感じない。何より急ぎの旅だ、夜間も行程を進めることに躊躇など無い。強行軍を敢行する。
心配なのはリンクスへの道程。『方向感覚』があるとはいえ、行ったことのない場所へ向かうということに不安が無いわけではない。
ただまあ、街道もあるのだ。道を外れなければそこまであらぬ方向に進むことはないだろうと、俺は闇に包まれた平原を走っていた。
……走っていた? うーむ、ちょっと違うか。滑走の方がしっくりくる。
別の物で例えるならホバークラフトのように、だな。
方法は割と簡単、『噴射』と『滑走』を組み合わせるだけだ。
緊急回避として重宝した『噴射』を少し浮くぐらいに調整する。こっちは足の裏だけで実行だ。
推進力は掌で行う。真後ろに向ければ直進できるし、角度を変えれば方向転換もできる。
『滑走』は補助といったところかな。
この『滑走』、名前どおり体を滑らすことができるが、体に受ける力を流すこともできるらしい。
俺は敢えて足で『滑走』せずに姿勢制御……正面から受ける風を流すようにして使うことにした。
何故、ホバーなんかして直に『滑走』しないかというと、俺は以前森で盛大にコケた。……『滑走』で。
平坦で滑らかな地面なら良い。アイスリンクみたいに障害物も無く、足を引っ掛ける心配が無ければ何も考えずに『滑走』を堪能しながら道を進むのもアリだ。
だが、平原の道は舗装されているといってもアスファルトのような道路ではない。砂地が剥き出しになっているだけの原始的な道なのだ。
森のように木の根っこが飛び出しているわけではないが、多少大きめの石や木の枝なんかもある。避けられるなら避けるべきだろう。
それに、夜間は必ずしも街道を通れるとは限らなかった。
道すがら進むと見える火の明かり。
遠目で見る限り五、六人の人影と一体のグレートファウル、それに荷車。推測するに商人一行といったところだろう。街道のすぐ脇で、野営の最中らしい。
普通の旅人はそうだよな。夜間は大人しく動かずに朝を待つ。
俺みたいなダンジョンなんて無いし、不寝番がいる。休むにしても交代でないといけないのだ。
そこに俺みたいな一人で動いている奴が来たらどうなる?
流石に人前で『滑走』なんてことをしたりはしない。
夜間にちょっと浮いて進む人影、しかもそれなりの速度で。怪奇現象でしかないだろう。
確実に警戒されるし、変な噂にならないとも言い切れない。
歩いて側を過ぎるにしても何かしらの反応は予想される。下手をしたら尋問だ。
別に接触する必要も無いし、野営をしている一団を見つけたら俺の方から道を外せば良い。
となると、必然的に舗装されていない平原を行くわけだが……やはり凹凸が多い。『滑走』だけなら間違い無くクラッシュだ。顔面から地面に突っ込むこと請け合いだな。
ともあれ、ホバリングでの移動は安全対策を踏まえてだが、その成果はなかなかのもの。
これといった時間のロスも無かったおかげで、夜通しの移動はかなりの時間短縮に繋がっているらしい。
(コノ調子ナラ明日ニハ着キソウダ。昼間ハオレニ任セテ、テメエハ背中デユックリシテナ)
三日を二日に短縮。
聞くところによると、通常の移動なら一週間以上は掛かるらしい。それを鑑みると上出来だろう。
出発前にペンダントの反応を確認してみたが、試しに作動させた時と同じ反応。光の大きさに変化は無く、アルカナのいる方向とやらも分からない。
取りあえず、無事ということが分かれば一安心だ。俺とバルバトスはリンクスへの旅を再開することにした。
(ところでバルバトス、この辺りって村みたいなものは無いのか?)
バルバトスが走り出して早々、俺は質問してみた。
俺の想像でしかないが、街と街を繋ぐ道沿いに宿場町ってないものかな? もしくは村とか。
商人や旅人がいるなら、何かあってもおかしくないと思うんだけど……。
(アルゼ)
(何だ、やっぱりあるのか)
(ダガ、カラカルトリンクスノ間ニハネエナ。ヤパンヘ行ク道中ダケダ)
うん、何となく察しは付いていたけどな。
俺も全部ではないとはいえ、ドゥマン平原の地図は見ている。
カラカルとヤパンの間には小さい集落みたいなものはあった記憶があるのだ。
だけど、残念ながら詳細は覚えてないんだよな……。
それっぽい名前があっただけで、俺の注意は一にヤパン、次にカラカル、最後にリンクスだ。
冒険者ギルドで見た地図では規模の大きい街しか目に入っていない。他にもあったみたいだけど、ガンザンの話で切られたのでまじまじと地図を見ることができなかったのだ。
今さらだけど記憶に焼き付けとけば良かった。まあ、覚えてたところで特に状況は――
(――バルバトス、ちょっと止まってくれ!)
(オオ!?)
俺の思念に慌てたように飛び跳ねるバルバトス。
驚かせて申し訳ないが、どうやらアクシデントのようだ。
(ドウシタ?)
(昨日言っていた追い剥ぎ……かもしれん。争う声が聞こえる。正面じゃなくて、ええっと……南か? あっちの方)
俺は声の聞こえた方向を手で示す。
そこに道は無い。草が生い茂る地平線の向こうから聞こえたのだ。
一応警戒して『聴覚強化』を発動させていたが、まさか他人に起きた騒動を感知するとは思わなかった。見えてはいないが、複数人同士が言い争う怒号と金属がぶつかる音が聞こえる。……苦しむ呻き声も。
俺が何を頼みたいのか、バルバトスは気付いているのだろう。俺の示す方向に顔を向けたまま、思念を返してきた。
(行クノカ? 関係無インダロ?)
(すまん、聞こえた以上は無関係じゃない。突っ切ってくれるか?)
無視できるものなら無視したい。でも、できないのだ。
今まさに誰かが窮地に立たされている、その事実が俺を縛り付けてしまっていた。
なら、どうするか? ……四の五の言わずに飛び込む方が楽ってもんだ。
(テメエ、見タ目ト違ッテオモシレエナ)
(何? それってどういう――)
(走ルゼ!)
うおおっ! バルバトスめ、急に速度を上げやがった。
ビックリして落ちそうになったが、そんなことはお構いなしにバルバトスは疾走している。
その甲斐あってか、瞬く間に騒動の様子を視界に捉えることができた……が、道を外れた平原の一画で繰り広げられていたそれは、俺の予想していた旅人対追い剥ぎの構図とは違う激しいもの。
数十人の賊が数人の旅人に襲い掛かっている現場だった。