幕間 ―ノア編 マスターには内緒の話―
支援者さんはいなくなった。
マスターは少しだけ寂しそうにしていたけど、それでも前を向いている。
また会えると信じるマスターの目には、絶望なんかじゃなく希望が溢れていた。
そんなマスターの目を見ていると、ボクは支援者さんと過ごした日々を思い出す。
マスターには内緒にしている、ボクと支援者さんの繋がりを――
……
…………
澄んだ声色が辺りに響く。
透き通る水のように流れる歌声は、マスター不在の核ルームを荘厳な空気で満たし、聞く者の耳を優しく包み込んでくれている。
聞く者……なんて言っても聴衆はいない。
この歌を聞いているのは、いつもボクしかいないのだ。
そして、歌っているのは支援者さん。ボクの体を借りた支援者さんは、時折こうやって歌を歌うことがある。
その穏やかで大人びた声色は、とてもボクと同じ声とは思えない。
いつものことながら、ボクはその歌声に心を奪われていた。
「……ありがとう、ノア。もう結構です」
(は、はい!)
歌を終えた支援者さんは、体の自由をボクに返してくれた。
ボクとしてはまだまだ聞いていたい気持ちもあるけれど、そうも言っていられない。マスターがもうすぐダンジョンに帰ってくるのだ。ボクはいつものようにお出迎えしないと。
核ルームを出たボクは、通路を元どおりに塞いでマスターの下に向かう。何も無かったように振る舞いながら。
今日みたいなことは初めてじゃない。
マスターが補助核を『創造』してから、度々ボクは支援者さんに体を貸していた。
〈少しだけ、体を貸してもらえませんか?〉
初めてそう言われた時は驚いた。
そんなことができるだなんて思ってなかったし、何故ボクなんだろうって気持ちもあったから。
だって、ボクはスライムだ。キバみたいに速く動けるわけじゃない、ビークのように器用に手足を使えるわけでもない。
〈適性です。適性が無ければ私の意識を移すことができません。その適性があるノアに体を貸して頂きたいのです〉
驚きはしたけど、嫌というわけでもない。
マスターといつも一緒にいる支援者さんだ。きっと何か考えがあるのだろう。少し戸惑いはしたものの、ボクは体を貸すことにした。
誰にも見られたくないという支援者さんのお願いもあって、場所は核ルーム。ボクが『創造』されて以来、来ることの無かった部屋に移動した。
初めて体を貸した時の支援者さんは、ボクから見ても不思議なものだったことは記憶している。
体の一部分だけを動かそうとしているのかな? そう……ボクにはまるで、マスターみたいに手足を使って動こうとしているように映っていた。
一頻り体の動かし方を確認した支援者さんは、次に発声練習を始めたようだ。
「あー、あー、なるほど……」
ボクと同じ声……だけど、雰囲気が全然違う。
ボクの体から出る声だから同じなのは分かるけど、発する人が違うとこんなに変わるものなんだな……。
「ノア、私が体を借りたことは内密にお願いします」
(えっ? どうしてですか?」
「驚かせたいから……では駄目ですか?」
(マスターを、ですか?)
「肯定。歌を……満足のいく歌を歌えるようになった時まで、誰にも言わないで頂きたいのです」
そう言うと、支援者さんは歌い始めた。
……。
何も考えられない。
ボクに体の自由が利いたとしたら、どんな反応していただろうか。
ボクの体に涙を流す構造があれば、涙を流していたかもしれない。
衝撃と言うには余りにも優しくて、熱を感じながらも穏やかな気持ちにさせられる。
生まれて初めて聞く歌声は、ボクの心を捉えて離さなかった。
「……以上です」
(支援者さん……)
「どうしましたか?」
(凄いです! 歌って、こんなに心を揺さぶるものなんですね! 感動しました!)
マスターの知識を受け継いでいることもあって、ボクには歌というものの存在は知っていた。だけど、聞くのは初めてだ。それがこんなにも充足感のあるものだなんて思わなかった……!
「ありがとう。しかし、これでは不完全なのです。完璧なものを披露できるようになるまでは、公にしたくありません」
(これで不完全!?)
じゃあ、支援者さんの求める完璧なものを聞いたら、ボクはどうなってしまうんだろう。そんな思いがボクの頭をいっぱいにしていた。
(分かりました! 完璧な歌をマスターに聞いてもらいましょう!)
「感謝します」
それ以来、ボクは時間があれば支援者さんと交代している。
歌を練習する支援者さん、ボクはいつも特等席でその歌声を聞いていた。
見返りなんて、それだけで十分だ。
何度聞いても心が震える。どこが不完全なのか、見当もつかない。
ボクも支援者さんのように歌えるようになりたい……そう思って、気が付けばボクもこっそり歌を練習するようになっていた。
そんな日々が続く中で、支援者さんはボクに告げた。
「私に残された時間はあまり多くないようです。ノア……私の願いを聞いてくれますか?」
(願い……ですか?)
何度も支援者さんの歌を聞いているうちに、ボクには感じるものがあった。
支援者さんは焦りを感じている。
悲しみを背負っている。
何かに苦しんでいる。
確信は無かった。ただ、そう感じるだけ。
だけど、支援者さんの言葉を聞いた時、それが確信に変わっていた。
(ボクにできることであれば、何でも言ってください)
それは素直な気持ちでもある。
ボクは、躊躇うこと無く支援者さんの願いを聞くことを決めていた。
支援者さんの願いは、自分がいなくなる前にマスターへ成長の切っ掛けを与えること。
どうやって? と思ったけど、その状況は支援者が用意してくれる。ボクがするのは戦いを通じてマスターの成長を促すことだ。
(だけど……ボクにマスターを傷付けることはできないかもしれません)
支援者さんの願いは聞き入れたい、けれどマスターに危害を加えることは眷属の本能なのか、容認できない自分もいる。
「ノアはマスターに勝てません。例え、本気で挑んだとしても」
(だったら、ボクにマスターの成長を促すことなんて……)
「まずはノアの力をマスターにぶつけてください。そして、マスターの力をその身で感じた後は、私が少しだけ手を貸します。マスターの命を危険に晒すこともありません。私を信じてくれませんか?」
(……分かりました。ボクは支援者さんを信じます!)
それから支援者さんは、マスターと戦う場面を想定したシナリオまで用意してくれた。
夜の平原を模した部屋での奇襲、『魔力操作』を応用した戦闘方法、コノアと合体した時の戦い方まで考えてくれた。
勿論、いなくなることをマスターに言わないのか? という質問もした。
すると支援者さんは「言う必要はありません。余計な心配を与えてしまうと、マスターの行動に支障が出てしまいますから」の一点張りだ。
そう答えられたら、ボクから言えるものでもない。
後のことを考えるとマスターに申し訳無い気持ちもあるけれど、ボクは支援者さんの願いを優先することにした。
だけど、ボクにはそれより他に、気に掛かっていたことがある。
(支援者さん……歌わないのですか?)
支援者さんに時間が無いなら、一刻も早くマスターに聞いてもらわないといけない。
マスターなら、頼めばいつでも聞いてくれるはず。それこそ支援者さんの事情を話せば、すぐにでも聞いてくれるはずなのに、それでも支援者さんは頑なに秘密にしようとする。
「初めに言ったように、完璧な歌になるまではマスターに聞いてもらいたくないのです」
(そんなこと言っても、支援者さんには時間が……!)
それに、ボクには支援者さんの歌が完璧じゃない理由も分かっていた。
焦りや悲しみが歌に影を落としているのだ。
だけど、そんなことを気にしていたら、いつまで経っても支援者さんは歌を――
「ノアに託します」
(えっ?)
「私の歌を、ノアが歌ってください」
ボクが……支援者さんの代わりに……?
「私の歌を聞いてから、ノアも練習していましたね? 私が消えた後で構いません。ノアからマスターに、皆に聞かせてもらいたいのです」
(無理です! ボクには支援者さんのように上手く歌えません!)
いくら同じ声であっても、同じ歌声にはならない。
何度練習してもそうだった。ボクは支援者さんの歌は歌えない。ボクに支援者さんの代わりなんてできるはずがない!
「私が初めて歌った歌を覚えてますか?」
……忘れるわけがない。
ボクの心に深く残されている歌だ。ボクが一番練習している歌でもある。
「あの歌は自由を尊ぶ歌です。誰でも自由に思い切り歌える歌。私の真似をして歌うものではありません」
(だけど……!)
「託して良いですね?」
(支援者さん……)
支援者さんはずるい。
きっと、マスターにもこうやって無理難題を押し付けてるのだろう。
聞き入れたくないのに、こんな風に優しい口調で言われるとどうしても聞かないといけないように思ってしまう。
(分かりました。だけど、ぼくからもお願いがあります)
「何でしょうか?」
(ボクにちゃんと歌を教えてください)
「分かりました。喜んで教えましょう」
それからボクは、少しの間だけど支援者さんから歌を教えてもらうことができた。
歌を聞くだけよりも充実した日々。
今ならボクも、ほんの少しだけ自信を持って歌えるかもしれない。
だけど、マスターに披露するのはまだまだ先だ。
それがいつになるのか、ボクにも分からない。
ボクだって完璧な歌を聞いてもらいたい。支援者さんよりも上手で、人に感動を与える歌を。
それがボクにできる、ずるい支援者さんへの小さな仕返しなのだ。