第128話 支援者
俺とビークの次元力がぶつかった後、部屋は真っ白な空間に変貌していた。
いや、部屋が変わったのではなく、これは俺が時折迷い込む空間。恐らくは核の中だろう。例によって、俺の体が存在しない。意識だけが存在する世界だ。
ここに来る条件としては、俺が意図的に意識を引っ込めるか、何かしら強烈な力が作用した時というのが思い当たる。となると、今回は後者か……。
うーん……後者だよな?
まさか、部屋全体がこの空間に変わってたとしたら大惨事だぞ。ノア達も巻き込んでしまってたら被害は見当も付かない。
「何を仏頂面してるッスか?」
事態を心配する俺に届いたのはビークの声だ。
思念ではなく、耳から聞こえている実体のある声だが……。
「ビーク、お前……」
真っ白い空間で、存在しない地面に佇むビーク。その姿は進化前のオウルベアの姿だった。
そもそも、何でこいつがここにいるんだ?
と、ビークに問う前に俺自身に起きている変化に気が付いた。
ビークを見上げる体勢、四つん這い、となると今の俺は――
「マスターも犬になってるッスよ」
分かってる。それでビークは俺を仏頂面って言ったんだな。
しかし、こうなってくると今までとは状況が変わってくるぞ。
この空間に他人がいたこと……支援者の他には魔窟もそうだったっけか。そうだとすると……やばい。
「ビーク……お前、死んでないか!? 最後の記憶はあるか!?」
俺はビークを殺してしまったかもしれない。
こいつが魔窟の時と同じだとすれば、俺が殺した勢いでここに呼んだのかもしれないのだ。そう考えると、俺は冷静ではいられなかった。
それに対して、ビークはいつもどおり暢気な様子で周囲を見渡している。
こいつ……人の気も知らないで……!
「マスター、ここってマスターの中ッスか?」
「えっ? ああ、多分な。それよりもさっきの答えは――」
「大丈夫ッス。自分死んでないッスよ。マスターの攻撃と自分の防御がちょうど相殺してたの見たッスから。……ちょっと翼がもげたみたいッスけど。それよりも、マスターは聞こえてなかったッスか?」
良かった……。
俺は自分の攻撃で、ここに来る直前のことはさっぱり見えてなかった。ビークが覚えてるなら、それを信じよう。もげた翼ぐらい、いくらでも治してやる。
一安心したところで、さっきの言葉が気になってきた。
「聞こえてなかったって、何が?」
「んー……声ッスね。多分、支援者さんの」
支援者の声? ……聞いてないな。どのタイミングの話か知らんが、必死過ぎて聞き逃しただけかもしれない。
「まあ、良いッス。自分を呼んだのが支援者さんなら、ここにいるはずッスから。それよりも、マスターはこの光景が好きなんスか?」
「この光景って、真っ白な世界か?」
好きも何も、ここはそういう世界だろ。
あとは補助核を『創造』する時みたいな文字だらけの世界もあるけど、こっちの方がまだマシだ。あっちは視界が騒がしくて変に疲れる。
「マスター、もしかしなくても頭固いッスね。ほら、何でも良いからイメージするッス! 青い空、見渡す限りの平原、マスターの記憶のどれか再現するッスよ!」
頭固いとは言ってくれやがる。
イメージするだけなら、そんなもん……えっ?
「ほらぁ、マスターの力ってそういう力なんスって!」
今の今まで真っ白なだけの世界が、見渡す限りの平原になっている。
これはドゥマン平原か? ドゥマン平原の何処だとかは分からないが、晴天の平原と同じ光景が眼前に広がっていた。
くそぅ……認めよう。俺は頭が固い。固定観念に囚われる傾向があるようだ。その点、ビークの方が柔軟だ。
だからだろう……こいつがすんなりと『次元力操作』も使いこなしやがるのは。
そんな、ちょっと悔しい思いを込めながらビークに目を向けると、ビークはビークで何かを見つけたらしい。俺のことは放っておいて、平原の奥へと駆けて行った。その方向には……誰かがいる。
「ああ、やっぱり支援者さんッスね!」
「……支援者?」
その姿には見覚えがあった。
とは言っても、俺の記憶にあるのはほんの一部。見上げる形だったし、視界にあったのも……うん、女性特有の豊満なアレだけ。
それでも特徴的な青みがかった銀髪と、薄手の服装があの時の女性だと理解させるには十分だった。
つまり、ビークが支援者と呼ぶ人物は、前に俺が夢の中で出会った女性のことなのだ。
その真偽はともかく、俺もビークの後を追うように女性の下へ駆けて行く。
近付くにつれてはっきりとしていく女性の姿。
雰囲気からすると、二十代を少し越えたぐらいだろうか。整った顔立ちには知性が感じられ、清楚という言葉が頭を過る。
「本当に……支援者なのか?」
すぐ側まで寄った俺は、女性に向かって尋ねてみた。
「肯定。支援者です」
その姿でも『肯定』なのか……。
ほとんど無表情のまま答えた女性は支援者に間違いない。声色も俺の『化身』を操作している時と同じだが、それ以上に雰囲気がいつもの支援者そのものだ。
支援者が女性というのは何となく感じていた。しかし、今の姿を見ると俺の理想としている女性像をとっているのか、それとも……。
「お疲れさまでした。マスターもビークも」
「うッス! 大変だったけど、支援者さんの最後の頼みならしょうがないッス! 自分も進化できたし、万事オッケーッス!」
そうだ、それがあった。
ダンジョンの試行だったはずの今回の騒動。ちょっと激しい模擬戦のつもりが一歩間違えると死にかねない事態にまでなっていた。
いくら俺でも流石に感付く。
俺の眷属にここまで無理をさせることができるとすれば、支援者以外に考えられない。
それに、俺への制限が厳しいのも支援者が発端だ。いつもどおりと言えばそれまでだが、今回は不自然過ぎる。まるで、俺に死ねと言わんばかりなのだ。しかし、それよりも……。
「最後ってどういうことだ?」
正直、模擬戦とかどうでも良い。
『最後』や『手向け』が俺の頭から離れない。言葉の意味を考えるだけで気分が重くなる。
本当にそういう意味なのか……?
「申し訳ありませんが、詳しい説明をするわけにはまいりません。私が消えて済む段階であれば私が消えるだけ、ということです。このまま私がマスターとともにいることで、マスターまで消去の対象になることは私の望むことではありません」
「お前、何言ってるんだ? 急に意味が分からんぞ。消去の対象って、何がだ? 誰かが絡んでるのか?」
支援者を消去する存在がいるなら、俺がそいつを消去してやる。
ふざけるなよ……俺の知らないところで勝手な真似させてたまるか!
「マスター、気持ちは嬉しく思います。確かにマスターは強くなりました。眷属達も強者と呼べるでしょう」
「ああ、だから俺が何とか――」
「ですが、これは決定事項なのです。本来であれば、もっと早い段階で私は消えていた。いえ、既に消えています。今の私はマスターの『創造』した補助核に残された残滓でしかありません」
補助核……初めて『創造』した方か。
確か、支援者の機能を書き込んだって話をしてた気がする。
「肯定。マスターは気が付いていない様子ですが、補助核を『創造』して数日後には核内部の私は消去されています」
そんなに前から……?
「しかしそれであっても、時間稼ぎが限界でした。もう間も無く、補助核内の私が消去されます」
「……それは止められないのか?」
「肯定。無理に隠れてしまうと、マスターにも危険が及びます」
何でこんなことになってるのか、全然分からない。
ただ、支援者は俺のために自分から消えようとしていることは分かった。
「じゃあさ……消えるのが分かってて何でここまで俺のためにしてくれたんだ? 補助核の頃って言ったら、支援者は物凄く俺達のために色々やってくれてた頃じゃないか。こんなこと言うのも悪いけど、消えるのが分かってたらここまですることは……」
自分でもわけの分からないことを言っていることは分かっている。そんなこと言われた方は、何て応えれば良いのか分からない質問だ。
だけど、支援者は微笑んで答えてくれた。
「マスターは私を家族と言ってくれました。そして、遺された家族のことを考えると終わりで済ませないとも。だから、私は消える前にできることをしたいと思ったのです。マスターと同じ、家族のために……」
ああ、言った。でも、俺がしてもらいたくて言ったわけじゃなかったんだ。
そうすることで俺の存在が残ってると実感してもらいたい気持ちがあっただけで、支援者みたいな自己犠牲の覚悟なんて持ち合わせていなかった。
遺される方の気持ち、考えてなかったな……。
「そっか。それで色々と……」
情けないが、それぐらいの言葉しか出なかった。言いたいことはあっても出てこないのだ。
そんな俺を見かねているのか、支援者も言葉を発さない。
さっきは微笑んでいた顔も、再び無表情……だが、困り果てているということは分かる。
そんな顔を見れば、俺がどんな顔してるのかも想像はつく。きっとひどい顔してるんだろうな。
「なるほど、自分が呼ばれた理由が分かったッス。自分が責任を持ってマスターを連れて帰るッス」
沈黙に耐えかねたのか、ビークが割って入ってきた。
この場にいる中で、最も冷静なのがビークだ。
俺が駄々を捏ねて支援者に食い下がったりした場合のために呼んでいたのだろう。
方法なんて分からないが、こいつなら本当にやる。
だけど、俺はこんな別れ方は嫌だ。
「ビーク、待ってくれ。俺は大丈夫、落ち着いてる。だから、ちょっと時間くれ」
「わ、分かったッス……」
俺は可能な限り、平静を装った声色でビークを制した。
落ち着いてる? 嘘に決まってるだろ。
支援者とは転生してからずっと一緒だ。いつも無機質で、俺に対して厳しいところが多かったが、頼りになる俺の相棒だ。それはこれからも変わらない、変わらなかったはずなのに……。
駄目だ。こんな俺だから、支援者は心配して消えることができないんだ。
せめて送り出すようにしてやろう。
俺なら大丈夫。そう思ってくれるように。
「支援者、今までありがとう。それと変な名前で呼んで悪かったな。こんな美人だって知ってたら、もっとマシな呼び名付けてたのに」
「私こそ、ありがとうございました。私はマスターの支援者で良かった。心からそう思っています。それに、悲しまなくても大丈夫。私とはまた会えます」
また会える、その言葉が本当なら俺はどんなことだってやってやる。
そんな気持ちが通じたのか、支援者は腰を屈めて……俺を抱きしめてくれた。
「貴方が歩む道は苦難の道。何を想い、何を信じるかは心のままに。貴方が望む全てに幸多からんことを」
その言葉とともに……支援者の姿は消えていった。
どんな苦難であっても構わない。何を想うも信じるも、そんなものは決まっている。
望むものが手に入るなら、こんなところで塞ぎ込んでいる場合じゃない。
俺は支援者が残したぬくもりを胸に刻んで決意に変える。
「絶対にまた会うからな!」