第122話 立ち塞がる関門 死を象徴する者
俺は『身体狂化』によって理性を失ったキバと対峙している。
警鐘を鳴らす『危険察知』……それはキバが俺にとって脅威となったことを表していた。
何がキバをそうさせたのかは分からない。
しかし、キバは自分で『身体狂化』に身を委ねた。それは事実だった。
とにもかくにも、今はキバをどうにかしないと……!
「支援者、『身体狂化』で何か知ってることは無いのか!? 制限時間でも何でも良い、あるなら教えてくれ!」
〈『身体強化』であれば自らの意思で解除することは可能です。しかし『身体狂化』は自我を失う以上、一度発動すると目の前の敵を滅するまで戦いを止めることはありません。強制的に解除するのであれば『身体狂化』を維持できなくなるまで弱らせることでも可能と推測します〉
何だよ、それ……バーサーカーってやつか!
目の前の敵って言われても、ここには俺しかいない。つまり、キバは俺を殺すまで『身体狂化』を解くことはないということになる。
「グゥゥ……ガルァア!」
「――ちぃっ!」
まさに目の前の敵を排除しようとキバが動く。
予備動作無しでの挙動、しかし俺はとっくに警戒していた。
『高速思考』全開だ。キバの動きがスローに見える……が、それでも速い!
「だらぁ!」
――バチチチィ!
「ゴアァ!」
俺は回避しつつ電撃を放った。
出力はさっきと同等かそれ以上、申し訳無いと思う余裕すらない状態で放った一撃だ。これで行動不能になってくれれば……。
「グゥゥ……」
キバは低い唸り声を上げながらたじろいでいる。だが、それだけだ。
生命力の低下はほとんど無い、それどころか――
「ガアアアアア!!」
怒らせてしまったらしい。
涎を撒き散らしながら上げた咆哮には、凄まじい怒気が込められていた。
〈キバは電撃への耐性を身に付けつつあります。『発電』は効果が薄いでしょう〉
おいおい……そんな簡単に耐性って付くものか!?
キバが無事なのは良いが、このままでは俺が無事で済みそうもない。次は今みたいな時間稼ぎすらできないだろう。電撃を放っても、そのまま突っ込んでくるイメージが湧いて出てくるのだ。
こうなってきたら四の五の言っていられん。
「支援者、これは訓練でもなんでもない。俺は持てる全部でキバを止める」
〈了解。マスターが敗れた場合でもキバの『身体狂化』は解除されることを進言しておきます〉
俺が敗れたら……って、俺は化身だから死んでも大丈夫なんだっけ。
確かにそっちの方が楽かもしれない。しかし、それはできんな。
〈恐怖ですか?〉
「それもある……けど、ここで俺がキバにやられたら、キバは俺に一生負い目を感じることになるかもしれん。そっちの方が怖いんだよ!」
俺は支援者に答えながら行動に移る。
キバに先手を取られてしまえば今度こそ終わりだ。三度目は無い。
行動と言っても回避を優先、キバとの距離を開けることに全力を注ぐ。
俺には回避しながらも攻撃する手段は残されているからな!
「ストーンバレット! アクアバレット!」
『噴射』を使用した後方移動しながら放つ魔術。属性を変えたのはキバの反応を見るために。
少しでも情報が欲しい。その一心での足掻きなのだ。
「ガルルアッ!」
当たらない! それは分かっていたが、キバの動きがさっきまでとまるで違う!
今のキバはまっすぐ突っ込んでくるようなことはしないらしく、部屋に散在する巨木を盾に、ジグザクと変則的な動きを絡めている。少しでも気を抜くと、視界から外れて気配が追えなくなりそうだ。
〈キバの纏う光は魔力です。障壁同様、魔術は効果がありません〉
「いつも後から教えてくれるよな!」
とは言いはしたが、正直なところ魔術にダメージは期待していなかった。
俺の狙いは別にある……がそれも期待薄だな。
俺の目論見に反してキバはピンピンしている。その速度に陰りはない。
俺が狙っていたのは状態異常。毒やら麻痺やらだ。
『噴射』に紛れて『毒液』と『麻痺液』をぶち撒けてみたものの、キバは平気な顔して散布した場所を駆け抜けている。こっちも全く効果が無いのだろう。
「ガウッ! ガアッ!」
キバは変則的な動きを絡めながらも、俺との距離を着実に詰めていた。
『危険察知』と『直感』が警鐘を最大限に鳴らしている。次の巨木を抜けたらキバは来る!
と覚悟していたが……消えた!?
――違う、上か!!
「ガルルアァ!!」
巨木を足場にして天高く飛び上がったキバが俺目掛けて落ちてくる。
回避は間に合わない。逃げる方向も定まらない。『高速思考』が無ければ、俺は何をされたか分からないうちにやられていただろう。しかし、俺にはまだできることがある。
「だおらあああ!!」
突然発生した岩の壁がキバを阻んだ。勿論、俺が故意に発生させた岩だ。
キバの重量も十分支えることができる分厚い岩の防壁を『生成』した。
俺が持てる全て、それはダンジョンの機能も含めている。『生成』も俺の能力、加減が効かな過ぎて攻撃するには躊躇していたが防御なら問題無い。誤ってキバを殺してしまうこともないだろうからな。
ともあれ、この岩の壁には流石のキバであっても――
「――嘘だろ!?」
岩の防壁を通り抜ける数本の紅い筋。
キバの爪が岩に切り裂いていた。いとも容易く、材質など無関係のように。
防壁がもう少し小さければ、俺ごと切り刻まれていただろう。岩を切り裂いた際に、キバの爪が俺の鼻先を掠めていたようだ。熱い液体が鼻から口へと伝っていく。
傷は思ったよりも深いのか、掠めただけなのに出血が夥しい。
しかし、傷など気にしていられない。
音を立てて崩れる防壁の隙間から、キバの姿が露わになる。
いつか見た、巨大化した真紅の牙と一本一本が鎌のように鋭く尖った爪。纏う青い光と紅い眼光が相まって、狼でありながらも死神のような様相を醸し出していた。
そんなキバの顔は、さっきまでの狂気じみた表情とは違って穏やかなものだ。
獲物を食い殺すのではなく命を刈り取る存在。そう印象付けられた。
そこには神秘性すらも感じさせられる。
そのせいなのか分からないが、キバの姿を見た瞬間、俺の頭の中に映像が流れてきた。
多分、これが走馬灯ってやつなんだろう。化身でありながらも死を予感させるとは、今のキバはどれだけ恐ろしい存在なのか計り知れない。
〈警告! キバを処分してください。このままではマスター以外にも害を為す可能性が極めて高いと判断します〉
支援者……お前正気か!?
いや、正気なんだろう。支援者はいつも冷静だ。
支援者がそう判断するということは、本当にそうなるのだろう。
まあ、どちらにせよ答えは――
「ノーだ!」
俺が眷属を手にかける? するか!
キバも俺の家族だ、死んでもどうにかしてやる! 簡単には死なないけどな!
〈現在のキバを相手に手加減することは、マスターの手に余ります。マスターが決断できないのであれば、私が代わりに〉
手加減どころか、本気で挑んだって勝てるわけがない。こいつは合体したノアよりもやばい。エレクトロードパイソンを見た時よりも生き残れる自信が無いのだ。
それでも俺は諦めん。皮肉にも走馬灯を見たせいで思い付いた策がある。それを試すには――
〈――了解。マスターの意図は理解しました。実行に移します〉
支援者の言葉で、俺の体ががくりと動く。
俺の意思とは無関係に動き出す化身。今、俺の化身の操作は支援者へと移った。
思い付いた策を実行に移すためには、支援者の協力が必要不可欠なのだ。
やったことは無い、ぶっつけ本番だけど。
「マスターが望めば全て可能です」
大きく出たな! でも、その言葉が何よりも励みになる。
俺を信じてくれるなら、俺もお前も信じよう!
(そっちは任せたぞ! 相棒!)
「了解、我が主よ!」