幕間 ―パメラ編 頂いた命―
パタン……。
質素な部屋の中に、手記を閉じた音だけが響く。
誰も読むことが無い、日に当たることも無い私の人生を綴っただけの手記。
人造人間である私が、『人生』だなどと語るのは烏滸がましいことなのかもしれない。
それでも私は生きたのだ。
しかし、そんな思いも誰にも届くことはないだろう。
次の朝を迎えたら、全てを飲み込む終焉が訪れる。
せめて、それまでは私の人生に浸っていよう。
私は瞼を閉じた。叶うならば、永遠に朝が訪れないことを祈りながら……。
……
私がカラカル領主の屋敷に送られたのは十五年前。
創造主によって生み出されたばかりの私は、十歳の少女としての肉体を与えられ、命ぜられるまま使用人として潜り込んでいた。
私に与えられた命令は、『その時』が来るまで、人に紛れて生活すること。
当時の私にとって、創造主の意図するところは理解していなかった。
理解する必要は無い。人造人間は創造主の操り人形、自ら考えることも自分の感情で動くことも求められていないのだから。
それはもう一人の人造人間、ラシードも同じ。
「パメラ、これからお前は俺とともにカラカルで生活する。カラカル伯爵の屋敷に使える使用人としてな。その間、俺とお前は父娘の間柄となる。よろしく頼むぞ」
ラシードは私よりも先に、屋敷の料理人として潜入した人造人間。
創造主の力を以てすれば、生み出した命にスキルを与えることなど造作もないこと。ラシードは賜った能力を用いて、瞬く間に領主に取り入ることができたと聞いている。
博識で人柄も良く、料理の腕も申し分無い。
領主だけでなく、使用人からの信頼も勝ち得ていたラシードが、私を娘として紹介してくれた時も誰一人として私達が間者であると疑う者はいなかった。
当時の領主はオリバー伯爵。穏やかな人柄で領民からも慕われる、賢人とも呼ばれるほどの人物だ。
そして、オリバー伯爵には当時四歳となったばかりの一人娘がいた。
「ぱめら! あそぼ!」
後に女伯爵としてカラカルを治めることとなる、アーシャお嬢様だ。
いつも元気に駆け回る非常にお転婆なお方。そんなお嬢様の侍女に、使用人となったばかりの私が選ばれた。
見た目は少女とはいえ、私は成人を上回る知識と身体能力を与えられている。
四歳児の相手をすることは、何も問題無いと思っていたが……。
「お嬢様、塀の上に登ってはいけません!」
「やだー! たかいのすき!」
私の予想に反して、幼いお嬢様に振り回される日々を送っていた。
それもそのはず、アーシャお嬢様は猫の獣人であるケットシーだ。
種族として非常に身軽であるのに加え、お嬢様に至っては少し目を離すとすぐに高いところに登りたがる困った癖の持ち主だった。
何度、木に登って降りられなくなったお嬢様を助けたのか、数え上げれば切りがない。
降りられないのであれば、登らなければ良いのに……。
お嬢様を助ける度に、呆れ返る自分がいる。
次は助けずに痛い目に遭ってもらったほうが良いのでは? と、仕える者にあるまじき思考も過ってしまうほどに。
しかし、泣いて私を呼ぶ声を聞くと、何を置いてでも助けに行こうとしてしまう自分がいることも事実だった。
「ぱめら! ありがとニャ!」
「お嬢様、危ないことはしないでください。あと『ニャ』が出てますよ」
「あっ……!」
お嬢様はしまったという顔で口を押さえているけども、それには理由がある。
領民への示しのために言葉遣いを正す。
名家の生まれであるお嬢様は、幼くして『ニャ』という癖を正すように矯正されていた。
私と出会った頃には既にその癖は無くなっているように見えたのだが、今のように感情が昂ぶった場合に限り、思わず『ニャ』が出てしまうことがあるようだ。
ご両親の前でも見せない。私だけが知っているお嬢様。
お嬢様はご両親の期待に応えようと、幼いながらに努力なさっている。
それでも、お嬢様はまだ四歳なのだ。
私が言うことではないのだろうけど、幼いお嬢様に課せられた責任は非常に重いものだ。
お嬢様の小さな肩にのしかかる重責を少しでも軽くして差し上げること。いつしかそれが私の役目となっていた。
「パメラ、お前が何を望んでも、お前の望むようにはならないぞ」
ある日、ラシードの放った一言が私の胸に突き刺さる。
頭では理解している。
私の命は創造主のものであって、アーシャお嬢様に仕えるためのものではない。
『その時』が来たら、恐らく私はカラカルを、お嬢様を手に掛けなければならないのだろう。
そんな日は永久に訪れないのでは……などと夢想してしまうこともある。
お嬢様の侍従として生活する中で、私は人造人間として持ってはならない感情を抱いていた。
せめて、お嬢様だけでもお助けできないものか……。
「余計なことは考えるな。俺もお前と同じで……いや、とにかく希望だけは持とうとするな。俺達は魂が縛られている。創造主に対する叛意は抱くことも許されない。ただ人形としての生を与えられただけなんだからな」
まるでラシードは、自分に言い聞かせるように話している。
ラシードも私と同じく、使用人としての生活の中で何かが芽生えているのかもしれない。
それこそ私よりも長くいたラシードの方が、私よりも希望を持つことが絶望へと変わる恐怖を理解しているのだろう。
魂の呪縛……抗えない呪い。
創造主の不利益になることを、思うことも言葉にすることもできない呪い。
そして、自分の命を支配していることも本能で感じ取ってしまっている。
私にできることは、『その時』が来ないことを祈り続けることだけだった……。
……
そして事件は起きた。
私がお嬢様に仕えてから十年が経った頃、アーシャお嬢様のご両親が不慮の事故で亡くなられたのだ。
表では不慮の事故となっているが、実際はそうではない。
出掛けの旅のさなかに、オリバー伯爵が夫人とともに急死されたのだ。
死因は不明。毒のようなものも見つからず、目立った外傷も無く眠るように息を引き取っていたという。
その旅に同行していた者には、同じ症状で倒れた者はいない。
しかし、ラシードならば……時間を置いて、事故に見せかけて殺害することもできる。
それを可能とするスキルを与えられているのだから。
しかし、私は誰が犯人なのかなどはどうでも良かった。
そんなことよりも、突然ご両親を亡くされたお嬢様を想うと胸が張り裂けそうになる。
領主の娘として、次期当主として気丈に振る舞うお嬢様は、領民からすれば立派に映るかもしれない。
ご両親の葬儀も自ら執り行い、貴族としての役割を全うする姿は、常に側で見守っていた私にとっても誇らしいと言えるものだった。
だけど……側にいたからこそ分かることがある。
事態が落ち着きを見せた頃、私は執務室にいたお嬢様に声を掛けた。
「お嬢様、どうかご無理はなさらないでください」
「パメラ、私は女伯爵となったのだ。もう子供じゃない。お嬢様と呼ぶのは止してくれ」
どこまでも気丈に振る舞おうとするお嬢様が痛々しくて……私は思わず、お嬢様を抱きしめていた。
「お嬢様、私はずっと側におりますので、ご安心してください」
「パ、パメラ……? でも、でも私は領主で……」
私がお嬢様を抱きしめる腕に力が入る。
お嬢様もいつしか、私を抱き返してくれていた。
そのまま、堰を切るようにお嬢様は泣き出した。
「うわぁぁ……!」
「お嬢様……」
お嬢様は確かに立派になられた。
それでも私にとっては、高いところから降りられなくて泣いていたお嬢様に変わりはない。
腕の中で泣きじゃくるお嬢様を見て私は確信した。
私はアーシャお嬢様のために生きていると。
創造主の与えられた命と、主に頂いた命。
抗えない運命なのは分かっている。それでも私は、お嬢様のために生きていたい。
『その時』が来るまでは、何があっても私がお嬢様の側にいる。
少しでも長く、少しでも安心してもらえるように私がお嬢様を守るのだ。
……
窓から射す薄い光によって、朝の訪れを感じる。
何度も祈った願いは、遂に叶えられることは無かった。
それにも関わらず、不思議と気持ちは落ち着いていた。
カラカルには明日を迎えることがないはずなのに、まるで明日も変わらない朝を迎えるような気がして……。
そこには私もいるのだろうか?
……止そう。妄想にしても、それは虫が良過ぎる話なのだ。
せめて最後に、私は祈ることにした。
お嬢様が明日も変わらず、ご無事に朝を迎えられるように……。
次回の幕間は、明日0800時を予定しております。