第10話 明け方の騒動
「マスター!」
何かに気付いたのだろうか、ノアがこんな風に俺を呼ぶのは珍しい。
(どうした? 何かあったか?)
「はい、どうやら外で何者かが争っている……いえ、襲われているようです。」
(獣じゃないのか?)
「分かりません……。ただ、今まで出会った気配とは違う気がします。」
ノアは『気配察知』を持っている。俺に分からない何かを感じたのだろう。
取りあえず、入口から外の様子を窺ってみようか。
間もなく夜明けだ、空は白み始めている。
平原はまだ薄暗いものの、暁光により全貌を見渡すことができた。
平原に点在する木々のうちの一本の周辺で動く影がある。
どうやら、影は木を取り囲むように位置しているようだ。影の数は五つ。
距離はそう遠くないので、獣だとすぐに分かった。
――狼だ。
種族:魔獣・魔狼、ブラッドウルフ
生命力:64 筋力:54 体力:59 魔力:37 知性:43 敏捷:82 器用:27
スキル:直感、咬合力強化、生者判別
取りあえず、一番近い奴を『鑑定』してみたが……強いな。
五体とも同じ強さとは限らないが、近いものだろう。
そんな狼に追い詰められているのは……。
……人か?
木の上にいるせいで、よく見えない。
葉っぱが邪魔だ。
見えている足は人間のそれっぽいけど、足だけじゃ『鑑定』もできないみたいだ。
耳を澄ますと、何か喚いているな。
「――いけ! 来るな!」
言葉だ。どうやら、人間らしいな。
狼から逃げて木に登ったのか。
色々聞きたいし、助けてやりたいけど……。
(ちょっとマズイな……。助けようにも、こっちが危ない。可哀想だけど見捨てるしかないか……)
数では勝っている。
ただ、個々の能力では向こうのほうが上だ。
今日のノアは『分裂』していない。コノアが十体に増えたのを機に『分裂』させなかったのだが、タイミングが良かったようだ。
完全なノアなら一対一では勝てるかもしれない。しかし、相手は狼だ。一騎打ちなどしないだろう。
それに他の四体の相手は、俺とコノア達では荷が重い。
俺は化身だから死んでも大丈夫らしいけど、コノアは死んだら終わりだ。勿論ノアも。
家族を危険に晒すぐらいなら、見ず知らずの者に犠牲になってもらうしかない。
俺が割り切って赤の他人を見捨てようと考えていると――
「マスター、気付かれました。」
うわー、マジか……。
腹を括らないといけないか。
(くそっ! ダンジョンで迎え撃つしかない。お前ら入口から離れろ)
ダンジョンに入ってきたところで、俺のストーンバレットをお見舞いしてやる。
効くとは思えんが落とし穴もある。新しく眷属を『創造』してもいい。
最悪、俺が突撃してゾンビアタックを敢行してやる!
俺が、あれやこれやと思案していると――
「マスター! ここは、ボクとコノアにお任せください! ボク達が外で迎え撃ちます!」
(何、言ってんだ! 相手を甘く見るな! 俺の盾になるとか、させんぞ!)
「マスターは前に『こんなこともあろうかと』と言ってました! ボク達にも切り札があります! それをマスターに見てもらいたいんです!」
「デス!」
切り札? いつの間に?
こいつらの自信は、その切り札なのか?
三体の狼がこっちに向かっている……迷っている暇は無さそうだ。
(わかった……任せる。ただし、俺も出る。お前らの自信を信じたいけど、無理だと俺が思ったら引いてもらうからな)
「はい! マスター!」
「ター!」
敵がこっちに向かって来ている以上はやるしかない。
迎え撃つにしても中の方が対処しやすいとは思ったが、ノア達は自信満々で出ていった。
俺は遅れて外に出ると――
三体の狼はすぐ側まで来ている。
正面から見るとやはりでかい。俺の何倍だ? 体高だけでも、二倍を越えている。
ブラッドウルフの特徴だろうか、瞳は血のように紅い。
体毛の一部にも紅が混じっている。個体差だろう、メッシュになっている個体や首周りが鬣のように紅い個体もいる。
よく見ると爪も紅い。元々なのか、獲物の血が染み付いてるのか……どちらにせよ、その鋭さは獲物の命を容易く刈り取るだろう。
三体のブラッドウルフは距離を開け、こちらを値踏みするように眺めている。
どう考えても狙いは俺だろう。
スライムと犬、食べるならどっち? ……犬だな。
ノアは、ブラッドウルフの視線を遮るように前に出た。
そんなノアを守るようにコノア達が取り囲んでいる。
何をする気だ――
俺が思うよりも早く、ノア達が動き出した。
ノアを核とするかのようにコノア達がノアを包み込む。
ノアを完全に包み込んだコノアは既に境目など無く、一つの塊になっている。
コノアの形が整った瞬間――
一瞬の強い光が収まると、コノアだった塊に変化が起きていた。
――ノアだ。巨大化したノアが、そこにいた。
名称:ノア
種族:不定形・粘性、スライム
称号:特殊個体、名付き、集合体、ダンジョンの眷属
生命力:453 筋力:371 体力:432 魔力:471 知性:231 敏捷:196 器用:209
スキル:収納、擬態、物理耐性、痛覚無効、高速再生、分裂、意志統一、危険察知、火事場、気配察知、麻痺液
ユニークスキル:変形
は? 合体? え?
目の前で起きたことに、理解が追いついていない俺に支援者が告げる。
〈ノアは『コノア』の『意志統一』を利用し、融合しました。意志の同調率は98%、融合解除まで282秒〉
(え? 『意志統一』? こんなことできんの?)
〈『意志統一』の本来の効果ではありません。コノアがノアの分裂体であること、マスターを通じて魂の繋がりが強化されたこと、ノアの意志がコノアの望みを受諾することで可能となりました。〉
これがノアの切り札か! そりゃ、こんな切り札があれば自信も持つわ。
今のノアは2メートル近くまで巨大化している。単純に合体したよりも体積が増しているようだ。
スキルも『高速再生』に変化し、新たに『変形』を獲得している。
単純な合体とは違うということだろう。
何よりも、能力値がとんでもない。コノア十体分が足されたような変動ぶりだ。
ノアの変化にブラッドウルフも驚愕しているようだ。口を空けたまま、動きが無い。
そんな隙をノアは見逃さない。
一瞬力を溜めた後、弾むように飛び跳ねたノアは、一匹のブラッドウルフ目がけて落下する。
狙われたのは、三体のうち中央に位置している個体だ。
反応することもなく、ノアの巨体に押し潰された。
以前のグラススネークの時の比ではない。
辺りに響いた轟音と、足に伝わる衝撃がその威力の凄まじさを物語っている。
餌食になったブラッドウルフは消滅している。
驚いたことに、ノアはブラッドウルフを仕留めると同時に『収納』していた。
攻撃を免れた二体のブラッドウルフは、ようやく状況を把握したのだろう。
ノアを脅威と判断し、距離を取るために後ろに跳んだ――
つもりだったのだろうが、ノアは既に捕らえていた。
ノアから伸びた二本の触手が、二体の体に巻き付いていた。
触手は『変形』の効果なのだろう、ノアと同じ淡く青白い光を纏っていた。
どうやら『麻痺液』も同時に使用しているらしく、捕らえられたブラッドウルフは痙攣している。
二体はそのままノアの体内に引き込まれ、程なくして『収納』されていった。
(ノア? お前はノアでいいんだよな?)
俺はノアに包まれたブラッドウルフが消えるのを待って尋ねた。
「はい! マスター! ボクはノアです!」
良かった。いつものノアだ。
(コノアはどうなった? まさか、消滅したのか?)
「大丈夫です! 今はボクが意志を統一していますが、ちゃんとコノアはいます!」
万々歳だ。俺達が無事でコノアが……なんてことになるのは御免だ。
「マスター、今のボクにはあまり時間が残されていません。次の命令をお願いします。」
時間? そういえば、支援者もそんなことを言ってたな。
次の命令って――
俺は残った二体のブラッドウルフに目をやると、こちらの様子を遠目に窺っていた。
当然だ。ノアが派手に同胞を始末したのだ。あれで、こちらを警戒しないわけがない。
(残り時間は?)
〈137秒です〉
支援者が答えた。
残り二分か、迷ってる暇は無い。
(ノア、残り時間であいつらを始末できるか?)
「はい! できます!」
(じゃあ、やってくれ!)
命令を受けたノアは、転がりながら標的に向かう。
その速度はいつもの比ではなく、瞬く間に距離を詰めていく。
ノアが通った跡は幅1メートル以上の轍ができている。途轍もない威力なのだろう。
ノアが動き出したことに気付いたブラッドウルフだったが、遅すぎた。
逃げる姿勢をとった頃には、既にノアが目前まで迫っていたのだ。
為す術無く、ブラッドウルフの片割れが轢き殺された。
その隙に最後の一体が走り出したが、勢いを殺さずに迫るノアに、後ろから押し潰された。
ノアの合体から五分も経たずに事態は収束していた。
一仕事を終えたノアは俺の下へ戻ってきた。
「マスター! 終わりました!」
(ああ、お疲れさん)
俺に報告するとノアは時間がきたのか、自らの意志なのか、合体が解けていく。
その巨体からコノアが剥がれるように離れていき、体の中心から元のノアが現れた。
「マスター、申し訳ありません。コノアには負担が大きかったみたいです。」
見ると、コノア達は体の形を維持することができず、半分溶けたような形状になっていた。
(大丈夫か?)
「時間が経てば回復します。ダンジョンに戻って休ませてもいいですか?」
(そうか。いいよ、戻って休んでくれ)
かなり疲れているのか、コノア達は返事をすること無くダンジョンに入っていく。
俺はその姿を見届けた後、ノアと共に先程までブラッドウルフが屯していた場所に向かった。
(おーい、大丈夫か?)
木の上で息を潜めている人物に思念を送る。
「えっ? 何?」
おっと、普通は思念波で話しかけられたら驚くよな。
(えーっと……俺は喋れないから、頭に直接言葉を送ってるんだ。驚かしてすまない。もう安全だから、降りてきたらどうだ?)
「……さっきの、でっかいのは?」
でっかいの? ノアのことか。
(もういない、何処かへ行った。安心して良いぞ)
「……」
少し躊躇していたようだが、信じてくれたのか、ゆっくりと降りてくる。
声からすると女性のようだ。
地面に近付くにつれて、その姿が現れるのだが……。
(犬!?)
「犬!?」
俺の思考と、降りてきた人物の声がハモった。