第97話 始業の鐘が鳴る前に
「おはようございます!」
「ああ、おはよう! ちゃんと来てくれたんだね!」
俺とコテツが訪れたのは商人ギルド。二日前に依頼された領主への届け物のために訪れた。
ギルドには俺達の他に訪れている人物はいないようだ。職員も受付にいるネルさんだけ。
それもそのはず、街の朝を告げる始業の鐘はまだ鳴っていない。
日の出ともに商人ギルドを訪れるように、時間の指定を受けていたのだ。
「これが領主様への届け物さ。大事な荷物だ。丁重に扱いなよ」
ネルさんが指し示すのは、カウンターに置かれた金属製の箱だ。
肝心の荷物は箱の中にあるらしく、よほど大事な荷物なのか、装飾よりも耐久性を重視すつような無骨な箱に収められていた。
こっそり『鑑定』したら魔鋼製ということだが、そこに意味はあるのかね?
コテツはどうやら俺と違うところに引っかかっているらしく、目立たないように貼られた紙切れに注視していた。
「送り主は……リンクス公爵!? 気軽に引き受けるんじゃなかったニャ……」
「今更キャンセルはできないよ。なぁに、領主様に届けるだけさね。すぐ済むさ」
ネルさんは笑っているが、コテツは苦悶の表情を浮かべながら頭を掻きむしっている。
そんなにヤバイ人物なのか? そのリンクス公爵って。
「リンクス公爵はリンクスっていう街の領主様なんだけど、ヤパンでもトップに入る権力者ニャ。会ったことないけど、気難しい性格って評判の領主様なんだニャ。この荷物に何かあったら、どんな目に遭うか分からないニャ」
「コテツ、そこまでにしときな。マスターに余計な不安を与えるんじゃないよ。指定された時間は始業の鐘がなるまでなんだから、さっさと行きな!」
「わ、分かったニャ……マスター、これ頼むニャ」
「えっ、俺?」
荷車に乗せて運ぶとかじゃなくて?
別に構わないけど、手で運ぶ方が危なくないか?
まあ、箱は抱えて持てる程度の大きさだし、荷車みたいなものに乗せるのも仰々しいかもな。
ともかく、俺はカウンターに置かれた箱を持ってみる。
「結構、重いな……おっ?」
「何ニャ? 本当に頼むニャ。落としたりしないでくれニャ……」
「うるさいねぇ! 心配なら自分で持ちな!」
「うニャ……」
この人、やっぱりベルさんに似てるんだよな。
まあ、どこにでもいるタイプなんだろう。あんまり出くわしたくないけど。
それよりも、この箱の中身が気になってきた。何となくだけど、動いた気がするし。
「中身は魔導具らしいね。最新式だとか何とか聞いてるけど、あんたは気にする必要は無いよ!」
魔導具か。ちょっとした衝撃に反応する物かもしれない。魔鋼製の箱なのも、それが理由かな?
「それじゃあ、頼んだよ!」
「任せるニャ!」
「行ってきます!」
さあ、出発だ!
とは言っても、領主の屋敷は目と鼻の先。大通りを真っ直ぐ進み、噴水広場を越えた先にある。
カラカルに入る前から見えていた、石壁から突き出た塔が領主の屋敷の目印らしい。
話によるとあれは鐘楼。時間を報せる鐘は、あの塔で鳴らされているとのことだ。
早朝を指定したのは、運送のことを考えてかもしれない。
まだ人の往来が少ないおかげで、何のトラブルも無く屋敷の門まで辿り着くことができた。
コテツの心配は杞憂だったな。
いや、油断は禁物だ。小石に躓くだけでも大事に成りかねないからな。
「おはようございます、本日はカラカル辺境伯にお届け物に参りました……ニャ」
門の前に来たコテツは守衛の男に話し掛けた。
一応、本人も『ニャ』を我慢しようしたとみたいだけど、何とも締まらん。
「コテツか、久し振りだな。領主様も心配しておられたぞ」
「ご無沙汰してますニャ」
コテツは守衛と知り合いなのか?
領主と話をしたいとも言っていたな。コテツとここの領主、意外と仲が良かったりして。
なんて考えてるうちに、守衛は俺の方に歩み寄って来た。
……荷物の確認か。
とは言っても、開けたりはしないようだ。
金属探知機のようなものなんてあるわけないし、外観を目視で点検してるだけの簡単なもの。
守衛の男は『危険察知』のスキルを持っているようで、危険かどうかの判断をしているってところだろう。
「こっちのコボルトは?」
「オイ……んんっ、私の部下です……ニャ」
紹介されても念のためにか、ボディーチェックを受けさせられた。
あっ、それは……。
「警護を兼ねているかもしれないが、ここでは剣は不要だ。預かっておく」
腰に差していた剣を没収されてしまった。
使うこともほとんど無いし、後で返してくれるなら構わないけど、何か心許ない気がする。
「よし、通って良いぞ。騒ぎだけは起こしてくれるなよ」
「勿論ですともニャ」
ともあれ、これで入門の許可はもらえたようだ。
やはり領主の屋敷だけあって、敷地はかなり広い。
門から屋敷まで続く道は長く、道の両脇には手入れの行き届いた観賞用の木々が立ち並んでいる。
さらに奥には、見事に手入れされた庭園が広がっていた。
領主の趣味だろうか、庭園には色とりどりの花が植えられて、実に鮮やかなものだ。
所々には意匠の凝らされた石像が並び立っており、庭園そのものが芸術品とも感じられる。
「お待ちしておりました。リンクス公爵様からのお荷物の件ですね?」
正面玄関の前では、メイド服に見を包んだ女性が出迎えてくれた。
前世でもお目にかかることがなかったメイドさん、しかも貴族に仕える本場のメイドだ。
メガネにシニョン、キリッとした顔に出来る女性オーラが迸っている。
「パメラさん、わざわざ出迎えに来てくれて感謝しますニャ」
「ふふ……主もコテツ様の来訪を心待ちにしておりました。それでは応接室までご案内致します」
コテツはメイドさんとも親しい仲なのか、和やかな挨拶を交わしている。
しかし、このパメラさん。メイクのせいか派手さこそ無いが、端正な顔立ちで目を引くものがあるな。
人間離れしているとでも言おうか……。
「マスター、そんな顔してないで付いてくるニャ」
いかんいかん……メイドさんに見惚れてる場合じゃなかった。
俺は遅れないようにコテツの後に付いて歩く。
「お荷物の方は私がお預かりしますね」
「えっ?」
応接室まで案内してくれたパメラは、部屋を出る前に俺に声を掛けてきた。
重いですよと言う間もなく、パメラはひょいと箱を持ち上げる。
女性が簡単に持てるような重さじゃないと思ってたけど……メイドさん、すげえ……!
「どうしたニャ?」
「いや、メイドって力持ちなんだなぁって思ってな」
「まあ、力仕事もあるだろうしニャ。それよりもどうニャ? マスターもお茶をいただくニャ」
いつの間にかコテツがソファでお茶を飲んでいる。
まるで元々、この屋敷の住人と言わんばかりの寛ぎっぷりだ。
「コテツ……大丈夫なのか?」
「何がニャ?」
「俺達がこんな部屋に通されるなんて、何かの間違いじゃないのか?」
俺達が通された部屋は、如何にも貴族が使用するような調度品が並べられた豪奢な部屋だ。
壁には立派なクラストエルクの角が飾られているし、どう考えても俺達は場違いだろう。
それにも関わらず、コテツは悠長に用意されたお茶に口を付けているのだ。
「大丈夫ニャ。いつも大体こんな感じニャ。ほら、飲んで飲んでニャ」
「むう……分かったよ」
ああ、美味いな。高級感溢れるお茶を高級感溢れるカップで飲む。美味くて堪らんよ。
俺はノアのお茶の方が好きだけどな!
「そう言えば、アレはどうするんだ? ほら、直接持っていくって言ってた荷物、あっただろ?」
「それはこれから渡すニャ。だから今、オイラ達はここで待ってるんだニャ」
待ってるって、そういうことか!
コテツがここの領主と話に来たのは冗談でもなく、マジな話のようだ。
それって俺が同席しても良いのか? 今の俺は、ただのコボルトなんだけど……。
そんな悶々とした気持ちを抑えるようにお茶を啜っていると――
ガラーン……ガラーン……
始業の鐘だ。
届けるのは始業の鐘が鳴るまでに、だったな。
ギルドからの依頼は既に達成しているので、何気なく鐘の音色に耳を傾けていた。
――!?
〈マスター!〉
(分かってる!)
支援者も気付いたようだ。
このざわついた感覚、忘れるはずがない……魔窟だ!