第95話 与えられた仕事
ガラーン……ガラーン……。
カラカルの街に朝を報せる鐘が響く。
この街では一日に二回、朝と夕に鐘が鳴る。始業と終業の時間を報せる鐘の音だ。
それを合図に、俺は冒険者ギルドの扉に手を掛けた。
冒険者になった時に、日を改めてギルドに赴くように指示されていたのだ。
とはいえ、正確な時間など指定されていない。
始業の鐘が鳴れば、冒険者ギルドも業務を始めると踏んで訪れたのだが……。
「誰もいない?」
ギルドに入ってみたものの、人の姿は見られない。
冒険者どころか、受付すらいないのだ。
無人のギルド……いくらなんでも不用心じゃないのか?
入口で突っ立ってても仕方が無いので、中を見学してみることにした。
昨日は気付かなかったが、カウンターの側の壁には大きな掲示板がある。
その掲示板に掛けられた数枚の木札。なるほど……これは冒険者への仕事の依頼か。
全然数は少ないし、内容もお使いみたいなものばかりだけど、自分でやるには面倒なものばかりだな。
魔石の納品や害虫駆除。害虫と言っても、この世界の害虫だと魔虫が多いだろうし、危険が無いかと言われればそうでも無さそうだ。
木札の端に目を向けると、それぞれの依頼ごとにランクが振り分けられている。魔石の納品はE、害虫駆除はDといったように。
「おうマスター、早いな。もう来やがったか」
「あっ、おはようございます」
ギルドマスターのガンザンが現れた。昨日と同じタンクトップ姿での登場だ。
「依頼に興味あるのか? そこにあるのは常設依頼だな。駆除はDなんて書いてるが、そんなもん目安だ。できるなら受けても構わんぞ。怪我しても知らんがな」
「そうなんですか。仮に受けたとして、達成の証明はどうするんですか?」
「その魔獣の体の一部分でも持ってくりゃあ、受付で判定してやる。別に依頼を受けた後じゃなくても構わんぞ? 見かけたから駆除しておいたってのでも大丈夫だ。ちゃんと報告できりゃあな」
ほうほう、面白いな。
報酬金額は魔石は鑑定額、駆除は一匹単位で書いてある。
物価が分からない以上は高いのか安いのか判断できないけど……魔獣一匹で一円、安いイメージしか湧かないな。
「そう言えば、ギルドマスターは俺が依頼達成できて当たり前みたいに言いますね」
「ああ? できるだろお前。だからアルカナは……」
アルカナは……何?
ガンザンは口が滑ったみたいな顔してるけど、確かに聞こえたぞ。
「ゥオッホン! 何でもない、できそうだからやれって話だ」
気になるけど、問い詰めたところで教えてくれそうもないな。
俺も大人だ。聞かなかったことにしておこう。心には刻んでおくけど。
「そういや、昨日はどうだ? よく寝れたか?」
「はい、おかげさまで! 昨日は助かりました!」
昨日の夕食後、探しはしたものの、泊まれる場所が見つからなかった。
コテツが心当たりにしていた宿は生憎と満室、他の宿も全て不発という結果であった。
いい加減、ダンジョンに帰ろうかと考えていたところに、偶然にもガンザンが通りがかった。
流石はギルドマスターだ。冒険者用の宿を紹介してくれた上に、宿代まで出してくれるとは……。
これには俺もコテツも御満悦だ。
ガンザンに対する評価はうなぎのぼり、昨日の傍若無人の所業は記憶から抹消されていた。
「コテツなんか、まだ寝てますよ」
「ガハハ……疲れてんだろ、寝かしとけ。あいつが森に出入りしてるのは、商人じゃなくても知ってらぁ。森で気を張った生活してたんだ。落ち付いて寝られるうちに寝かせといてやれ」
あいつ、森では煙草吸って飯食うだけの生活してたんだけどな。
「さてと、お前にしてもらいたいことは別にある。ついて来い」
「? 分かりました」
ここでは話せない内容なのだろうか?
俺はガンザンの後について、奥の部屋へ入っていった。
ロビーは無人のままで……。
……
どうやら、ロビーの隣の部屋はギルドマスターの執務室らしい。
部屋の奥には木製の立派な机が陣取り、壁いっぱいに本棚が並べられている。
本来なら地位を表わす豪奢な調度品なのかもしれないが、ガンザンの性格によるものだろう。机の上には書類が雑多に散りばめられ、本棚は本が適当に突っ込まれている。整理する意思は微塵も感じられない。
「まあ、座れ」
「は、はぁ……」
座れというのは、このソファのことだよな。
部屋の中央にテーブルを挟んでソファが二つ、テーブルの上にも書類が置かれ、その書類の一部はソファにまでなだれ込んでいる。
座るスペースは無いこともないけど、ちょっと整理しないと尻で書類を下敷きにしてしまいそうだ。
「気を遣わんで良いぞ。こんな紙切れ、大したもんじゃねえからな」
ギルドの会計報告とか書いてたけど、こんな扱いして大丈夫か?
一応、ソファの隅に寄せて……はー、どっこいしょ。このソファ、硬いな。
「よし、じゃあこれを見ろ」
そう言って、ガンザンはテーブルの上の書類を全て床に払い落とした。
ここまで来ると、いっそ清々しく感じるな。
書類が吹き飛ばされたテーブルに残っていたのは……地図?
テーブルに地図を広げたまま、書類を置いていたのか。
「これは地図って言ってな。土地を把握するためのもんだ。森で育ったお前は知らんかもしれんが、かなり重要なものなんだぜ?」
知ってる。ん? 知らない振りした方が良いのか? どっちだ?
ええい、面倒だ。知ってる体でいこう。いや、体じゃないか。
「ギルドマスターは、この地図を俺に見せて何をさせようとしているんですか?」
「ああ、この地図な。こっち側は全然書かれてないだろ?」
ガンザンが指差す部分は、ヘルブストの森に当たる部分だ。
レーベンの壁に囲まれた部分が全て空白のままになっている。
「お前に依頼するのは、この部分を完成させることだ。他の仕事は自由にしろ。期限も定めん。命を掛ける必要も無い」
んん? 俺にしかできない仕事って、森の地図を作ること?
「何だ、不服か? 完成って言っても、全部じゃなくて構わんぞ。できる範囲で十分だ」
「不服って言うよりも、ちょっと理解できません。何で俺なんですか?」
森の地図が欲しいなら、他の誰かでも良さそうなものだ。
わざわざ、森から来たコボルトを冒険者に勧誘してまで……って、そういうことか。
「俺が森から来たから……ですか?」
「ああ、まずはそこだな」
まずは、か。なら他にも理由がありそうだ。
「お前はあのコテツと森から来た。あいつの仕事を手伝うために森から来たことは俺も聞いてる。コテツが身元保証人になったこともな。冒険者になったからって、あいつの手伝いを止めるつもりは無い……だろ?」
「はい、そのとおりです」
「じゃあ、そのうち森に戻る日も来るわけだ。その時にで構わん。森の地形なりを把握できるような資料を作ってもらいたい。繰り返してりゃ、そのうち地図らしくもなるだろ。そして、ここからは頼みにもなるんだが……」
「頼み、と言いますと?」
ガンザンは眉間にしわを寄せながら頭を掻いている。
言葉を選んでいるようにも見えるが……。
「コテツ……」
「コテツ?」
コテツがどうかしたのか?
「いや……順番に説明した方が話しやすいか」
「お願いします」
腹を括った様子で話し始めるガンザン、今までになく真剣な面持ちだ。
余程に重要な話なのだろうことは理解できる。
「まず初めに、森のコボルトがカラカルを訪れたことが珍しいということは分かっているか?」
「はい、検問でも言われました。多分、初めてのことだろうと」
「そうだ、初めて森から来たコボルト……そのうち、ヤパン本国にも伝わるだろうな。そうなったらお前は一躍有名人だ。お前が有名になれば、コテツのやつにも人の目は行く。あいつを取り巻く流れが変わるかもしれん」
「どういうことですか?」
俺の身元引受人になったことで、コテツに迷惑が掛かることは分かっている。
俺が有名になるだけで、コテツにも影響があるものなのか?
「元々、コテツの行動は一部の連中から注目されてたんだ。森のコボルトと交流持ってるやつなんて、ここ最近までいなかったからな。それをマジでやりやがった。ヤパンの歴史で初めてなんだぜ? そこに次はお前の登場だ」
「……」
「前例ができたんだよ。こうなったら、森に干渉するやつが出てくるのも時間の問題だ。コテツは信頼を持ってコボルトに受け入れてもらったかもしれないが、利益重視の連中はどんな手を使うか分からん」
「力づくってことですか?」
「どうだろうな……。利益がはっきりせんうちに、わざわざ森に武力干渉するやつなんているとは思えん。それよりもコテツを懐柔するやつが出るかもな。それはお前にも言えることだ。ただ、コテツと違ってお前は冒険者だ。商人連中が言い寄ってきた場合は冒険者ギルドを出せ。依頼だなんだと屁理屈捏ねてりゃ、連中も簡単には近寄れんはずだ。お前次第だがな」
「……何で、冒険者ギルドが?」
新しい公益ルートができれば人も増える。商人が寄ってくるのも頷ける話だ。
ガンザンの言うとおり、正攻法以外の介入も仕掛けてくるかもしれないというのも分かる。
しかし、冒険者ギルドが俺を保護するかのように申し出てくる意味が分からない。
「あー面倒くせぇ、詳しいことは話せないんだよ。とにかく、お前とコテツを商人ギルドや他の連中の好きにさせるわけにはいかねえんだ。お前への頼みはコテツ以外の商人に気を許すなってことと、コテツから離れるなってことだ。できればコテツへの干渉もお前が何とかしろ。できればじゃねえ、絶対にだ」
全然意味が分からん……。
冒険者ギルドが商人の利益を疎ましく感じてるのか? だったらコテツから俺を引き離せば済む話な気もするが、保護対象がコテツも含まれてる以上、俺が思ってるより複雑な事情があるのかもしれない。
「俺を冒険者にしたのも、それに関係あるんですか?」
「それも言えん。納得できんかもしれんが納得しろ。それと、このことは公言するな。コテツにもだ。返事は?」
「……分かりました」
本当は全然分かっていない。しかし、ここは頷くしかなさそうだ。
腑に落ちないところは多いが、忠告と捉えれば納得できないこともない。
冒険者ギルドを信用して良いのか分からないが、このおっさん……人を騙すのは下手そうだしな。
「やれやれ、コテツになんて言えば良いんだろ? 俺も人のこと言えないぐらい嘘が下手だからな……」
ギルドを後にした俺は、ついつい独りごちてしまった。
色々と面倒臭いことになりそうだよ、全く……。