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黙示録の顛末 2  作者: 瀬川弘毅
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第二章

 新しい応用コードで無事に三体の怪人を撃破した後も、三人はしばらく装着を解かず辺りを警戒していた。前のように、テリジェシオンが奇襲を仕掛けてくる可能性が否定できなかったからだ。パトロールめいたことを十分ほどしていると、姿を見せた景山が苦笑しながら声を掛けてきた。

「お疲れ様。今日も素晴らしい活躍だったよ…もうそのくらいにしておいたらどうかな。今のところ、監視カメラにその怪人たち以外に怪しい人物は映っていなかったようだし」

 それもそうか、とようやく三人は装着を解いた。ほっとした空気が流れる。景山の連絡を受け、間もなくワールドオーバー社の職員が駆け付け、海人の死体を回収していった。また分析でもするのだろう。もう見慣れた光景だ。

 今日はテリジェシオンが現れなくてよかった、と皆が安堵している中、瀬川は前から気になっていたことを尋ねてみることにした。

「…景山さん、海人を倒したときに必ず破砕音のようなのが聞こえるのが気になるんです。最初はごく小さな音だったから気にも留めなかったけど、今回のは割と大きかったので」

「ああ、そういえばまだ説明していなかったね。先日海人の死体を解剖して分かったらしいんだけど、胸部に金属製の制御チップが埋め込まれていて、それで敵組織の命令通りに行動するようにできているらしい。それが砕けた音だと思うよ」

 淀みのない口調に、普通なら疑念を抱くはずもなかった。だが、瀬川の胸中にはわだかまりが残ったままだった。

「あれは、金属が砕ける音っていうよりは石か何かって感じだったような…」

「…はは、それは考えすぎというものだよ」

 笑いながら軽く肩を叩かれると、そうなのかなあという気になってしまう。

「おーい瀬川!何だよあのザ・オタクみたいな技名は!?」

 少し離れたところからちょっかいをかけてきた今田に、瀬川は聞いてたのかよーと苦笑して歩いていった。景山との会話はそれきりで終わった。

 離れていく瀬川の後ろ姿を、景山はどこかほっとした様子で見つめていた。


「アブノーマルモデルの残り一種は?」

「はっ、完了致しました。ヒトデベースの量産化も進行中です」

「ご苦労だった。この調子ならパワードスーツにも十分対抗できるだろう。アフェクシオンとプログシオンは調整済みか?」

「基本コードは全て読み込ませました。応用コードも、『クイック』及び主力技となるものは読み込み済みです。あとは微調整を残すのみというところです」

「そろそろ頃合いだ…本腰を入れて、回収を進めなくてはな」


「景山さーん、俺もうこの単調な生活に飽きたんですけど」

 一週間後、夕食の席で今田は盛大に不満をぶちまけていた。

「どういうことかな?」

 景山は笑顔で応じているが、若干顔が引きつっているように見えたのは瀬川だけだろうか―今田は皆の反応は意に介さず、訴えを続けた。

「ずっとこんな密室ぽいとこで仕事三昧なんか、俺はごめんですよ。てか、しばらく海人も攻めてこないし、相手がいつも同じだから戦闘演習もマンネリ化してきたし…どっか遠出しようぜ!なあ」

「―あ、それ思った。俺も行きたいな」

 瀬川も思わず、ノータイムで同意した。ちょうど、今田と同じことを考えていたところだったのだ。トレーニングと演習を繰り返すだけの日々では、小説の展開としても面白くあるまい―と、一小説家(自称)は思う。景山は助けを求めるように松浦の方を見る。松浦は少し迷っているようだったが、

「敵に俺たちの拠点がばれている以上、ここにとどまり続ける意味ももうあまりないでしょう。気分転換も兼ねて、どうですか?」

…結局、賛成した。二宮と森下も、きらきらと瞳を輝かせて景山を見つめる。ついに景山は降参のしるしに両手を上げ、力のない笑みを浮かべた。

「分かりました、上に掛け合ってみます。…ただし、期待しすぎないようにして下さいね」

 皆、心の中で一斉にガッツポーズをした。ライバル同士であることを忘れそうになった瞬間だった。


「皆さん」

 翌日の朝食の席で、景山が昨日の結果発表を始めた。皆真剣な顔つきで聞いている。

「―許可が下りました」

「やったああああ!」

 椅子から立ち上がり歓喜に震えたのは、やはり今田だった。

「俺はさ、人工冬眠する前は都会でイケてる大学生活送ってたわけよ。ついに俺の失われた青春がカムバックするぜー!」

「はしゃぎすぎですよう…でも気持ちは分かるなあ、私も人生の夏休みを味わえなかったから。久しぶりに趣味にも浸ってみたいしー」

 あ、やっぱお前らも冬眠経験あるのね…と、瀬川は今更の突っ込みを内心入れながら今田と二宮のやり取りを聞いていた。二宮の趣味が何なのか気になる気もするが、むやみに詮索することでもないのでスルーする。

「あ、すみません、そこまで行き先は都会ではないですが…」

 申し訳なさそうに景山が付け加えたが、もはやそんなことは大した問題ではなかった。皆は―松浦は例外的だが―有頂天となっていた。考えてみれば、遠い未来で人工冬眠から目覚めてからというもの、観光らしい観光をする暇などなく忙殺されてきた。ようやく羽を伸ばす機会が与えられたのだ、喜ばない方がおかしい。

 景山がいそいそとスケジュールを発表するのを、瀬川たちは遠足を前にした小学生のようにわくわくして聞いていた。

「二日後の朝、最寄りの№一五九コロニーまで出かけることになりました。テーマパーク等もあり、そこそこ街であるようですね。そこのホテルに一泊二日します。一日目は自由行動、二日目は皆で名所を見て回りましょう。旅行代は給料から差し引く形になりますね。…それと旅行中は、パワードスーツのバイザーとそのデータの入ったパソコンを、各自肌身離さずに厳重に保管すること。ここに置いて行けば、敵に強奪される可能性がありますからね。何か質問は?」

「…もし、留守の間に敵襲があったらどうするんですか?料理や清掃のスタッフの人たちに、何かあったら困ると思うんですけど」

 瀬川の疑問も至極当然だったが、景山にはその問いは予測済みだったようだ。

「それについては、弊社軍需部門の職員を派遣して付近を警備させます。最新技術を搭載した武装を用意する手はずとなっておりますので、並みの海人なら撃退できるでしょう」

 以前ホームページを見て知ったのだが、ワールドオーバー社は様々な分野をリードする世界的大企業らしい。軍需部門もそのうちの一つということだろう。

(日本は平和主義だとばかり思ってたけど、随分いい加減になっちゃったもんだよな…国内で一般企業が武器を製造してるんだから)

 最後に大きな戦争をしてから千年以上が経過した―第二次世界大戦以後、人類は地球温暖化の深刻化によりコロニー移住を強いられはしたが、戦争をせずにどうにかやってきたのだ―ということもあってか、戦争の記憶など忘れ平和ボケしている印象を受ける。

 などと考えていたが、藤田に肩を軽く叩かれてはっと我に返った。

「よかったね瀬川!外出できることになって!」

「―ああ!」

 見れば、皆ペアと外出許可獲得を喜び合い、予定を練っているところだった。瀬川も思わず、ふっと表情を綻ばせた。

(周りに民間人も大勢いる状態じゃ、「ユーダ・レーボ」も迂闊に手出しできないはずだ。少しの間だけ、俺も羽を伸ばそう…)

 そうして、束の間の休息は与えられた。


「では、行ってくるよ」

 景山がワールドオーバー社軍需部門の職員に声を掛け、最後にバスに乗り込んだ。社の手配したバスが発進する。海人の襲撃でぼろぼろになったドームを出ると、熱帯雨林に両脇を挟まれた狭い道路が姿を見せた。

(思えば一か月前にも、この道を通ってここに来たんだったな)

 窓際の席から外を眺め、瀬川はしみじみと思う。相変わらず、つた植物が木々に絡みあったり、まれにラフレシアのようないかにも熱帯風の植物が顔を見せていたりしている。

 だが、これが現実の日本の、さらに言えば世界の姿なのだ。人々は安全で快適なコロニーの中で前時代以上の生活レベルを維持した生活を送っているが、偽りなのはコロニーの方なのだということを改めて認識させられる。人間たちは、殻に閉じこもり自然から逃げているだけなのだ。

 隣に座っている藤田も、同じことを考えていたらしい。

「…僕らのいた時代とは、かなり変わっちゃったね」

「全くだ。まさか、日本にいながらマラリアの心配をする時代が来るとは…」

 病院でのリハビリ期間中に予防接種を済ませたから心配はないはずなのだが、そんな軽口を叩きあっていた。他のペアもそれぞれ楽しげに談笑している―もっとも、松浦と森下の会話はややぎこちなく見えたが。

 バスは一時間と少しでコロニーに到着した。東の出入り口からコロニー内へ入ると、先ほどまでとは一転して視界が人工物で埋め尽くされた。ビルが立ち並び、電車やバスが秩序正しく運行している光景がそこにあった。久々に目にした街に、皆の期待は高まるばかりだった。

 やがて、バスは目的のホテルの前に停車した。見たところ、普通のビジネスホテルであるようだった。ドーム状のコロニーには自身を支えるための巨大な支柱がいくつかあるのだが、ちょうどその陰になる位置にそのホテルは立地していた。おかげで日当たりは最悪なわけだが、どうせ一泊しかしないのだからさほど問題でもないだろう。それに、都市部へのアクセスはかなりいいようだ。

 景山がロビーでチェックインを済ませている間に、部屋割りを決めることになった。ダブルが三つとシングルが一つ。景山はシングルに泊まるとのことだ。女性陣二人が相部屋なのは確定なのだが、男性陣四人をどう振り分けるかである。

(松浦と相部屋はちょっときつい…ここはやはり相棒の藤田と…)

「瀬川!俺と相部屋でいいよな?いい?よしオッケー!」

 藤田と親交を深めたかった瀬川だったが、同じく松浦との相部屋を回避しようとした今田が先手を打って動いた。馴れ馴れしく肩まで組もうとしてくる。

「いや、俺は…」

「そうか。では、俺は藤田と組もう」

 必死の抵抗も虚しく、瀬川・今田組と松浦・藤田組が決定してしまった。

(―藤田、ごめん!)

 謝罪しつつ恐る恐る藤田の方を見ると、案の定ビビりまくっていた。そのくせ、今田は涼しい顔で口笛なんか吹いている。


 何はともあれ、一日目の自由行動の始まりである。

 二宮・森下組はメイクなどを済ませると、早速コロニー中心部の市街地へ繰り出した。

(やっぱり流行の服とか買わないとね!あとバッグも!この日のために最新のトレンドを調べてきたんだから…あー、三千年代のファッションって想像するだけでわくわくする!)

 うきうきと百貨店のある方面を目指そうとする森下の袖を、二宮がくいくいと引っ張った。森下は振り返り、小首を傾げる。

「え?ショッピングに行くってことじゃなかったの?」

「まず昼食を取ってからにしましょうよー」

 そういう二宮のつぶらな瞳が一瞬怪しく光った―気がした。


「ほわああ…ここの店のパフェは絶品ですぅ…。ネットの評判通り!」

 もぐもぐと幸せそうにパフェを味わっているのは、二宮だった。「そ、そうね…」と若干引き気味に応じているのは森下。二宮が実は甘いものに目がなく、スイーツ店巡りを趣味としていると知ったのはついさっきのことだ。もうこれで四軒目である。

(あんたどんだけ食べる気なのよ…)

…と言いたくなるところなのだが、あまりにもおいしそうに食べるのでついつい許してしまう。森下にしても、微笑ましい光景なのは事実だった。

 ちなみに、この時代でもパフェという食べ物はほとんど様変わりしていない。強いて言うなら、南国系のフルーツが多めに使われるようになったことぐらいだ。

 食事をしながら男たちの噂や愚痴を言い―主に森下が松浦の愛想のなさに不満を漏らしていた―ようやく衣料品を買いに出かけることになった。時刻は既に午後四時を回っているが、多少遅くなってもホテルの夕食にありつければいいだろう。

 試着室に入った森下が「これ似合う?これは?」と次々に行うファッションショーに二宮が付き合わされる形になっているが、二宮はちっとも嫌そうではない。時折、「葉月ちゃんにそれはあんまりかなー」とやや辛辣なコメントをしてもにこにこしているくらいだ。まるでスイーツでエネルギーが充填されたみたい、と森下はどうでもいいことを考えた。

 辺りが暗くなるころには買い物を終え、森下は紙袋に洋服やバッグ、靴をいっぱい入れてホテルまでの道を歩いていた。二宮は数着しか購入していない。スイーツにお金を使い過ぎた結果だ。

「…今日は、ありがとね。すっごく楽しかった」

 森下がぽつりと言った。冬眠から覚めてからというものペアの松浦以外との交流がほとんどなかった森下にとって、同年代の女の子と遊ぶのはとても新鮮な経験だった。

「うん、私もすごく楽しかった!またいつか、こんな風に遊びたいね」

 二宮もにっこりと笑った。何の含みもない、本心からの笑みだった。

「―それと、今日は私のわがままを聞いてくれてありがとう」

 上目遣いに―森下の方が少し身長が高い―言った二宮の言葉は、森下のハートを貫くのに十分すぎるほどだった。

(駄目…この子、いちいち可愛すぎる…)

 いかにも女の子らしい―というか、女の子らしい要素を凝縮したのが二宮千咲だと言っても過言ではない。小柄で愛らしいルックスに加え、甘えるような少し高めの声。毛先がくるんとカールしている(おそらく天パ…だと森下は思っている)のもポイントが高い。男受けよさそう…と勝手な想像をしてしまう。

 あまりの可愛らしさにフリーズしてしまった森下を、二宮がきょとんとして見つめた。

「あ…いや、何でもないわ」

 冷静を繕って、森下はホテルを目指した。夜の涼しい風―と言っても巨大冷房装置により人工的に起こされている風だが―が、瞬間的に熱くなった彼女の頬をゆっくりと冷ましていった。


「これはベストセラーだから買うと…これも有名な人が書いたぽいから購入…」

 熱心に本を買いあさる瀬川と、暇そうにファッション誌を立ち読みしている今田。二人は今、都市部の書店に来ていた。自由行動時間の使い方としては地味に感じる今田だったが、瀬川はそんなことは全く感じていない様子だ。

「お前よくそんなに本買うよな…しかも紙の。高級志向なの?」

「まあ、この方が馴染んでるしな」

 今でこそ紙の本は高級品だが、瀬川のいた時代では紙製の書籍が当たり前だった。電子ペーパーでできた薄い本の並ぶ店内を物色しながら、時代は変わったものだなあと改めて実感する。

 瀬川が十数冊の本を買い―こんなところに来る機会はめったにないのだから、買いだめしようという思惑だった―、今田はというと電子ペーパーをほんの二三冊購入しただけだった。そこまで読書が趣味ではないのだろう。  

「や、待たせて悪かった」

 大量の本の入った紙袋を抱え、会計を済ませた瀬川は今田の方へ向かった。今田は既に清算済みだ。

「別にいいぜ。…まあでも、俺もお前の用事に付き合ったんだ、今度はお前が俺に付き合えよ」

「ああ…いいけど」

 どこへ連れていく気かと瀬川ははらはらしていたが、今田が向かったのはごく普通のゲームセンターだった。書店から歩いてすぐのところにあるその店に入っていくと、今田はまっすぐに奥を目指した。

「ここに話題のゲームが置いてあるってんでさ。…おっ、見っけ!」

 今田が指さす先を見ると、そこにあったのはシューティングゲームの筐体だった。瀬川も冬眠する以前に見たことのあるような、次々に現れるゾンビをひたすら撃ち殺していくゲームだ。

「最新技術搭載のやつらしいぜ。いやーわくわくするな」

 鼻歌を歌いながらゲーム機の前の座席に着き、硬貨を投入する。瀬川もその隣に座った。すると、今田がごつめのサングラスのようなものを差し出して来た。

「…これは?」

「お前の時代でいうとこの、ⅤR技術みたいなもんだ。まあそれよりはずっと進歩してるらしいがなー」

 装着するとなるほど、目の前に瞬時に廃墟を思わせる仮想空間が出現した。説明書きがしばらく表示される。それが終了すると、視界の隅にゾンビの姿がちらちらと見え始めた。筐体に備え付けてある銃型のレバーを握ると、視線の動きを機械が読み取ったのか自動で敵に照準が合わせられた。瀬川が引き金を引くと、一体目が悲鳴を上げて倒れた。だが余裕はない。廃墟のあちこちからゾンビが現れ、こちらに向かってくる。

(五回奴らの攻撃を受けたら死亡、十連射以上すると数秒間の弾切れに陥るから撃ち過ぎには注意…と)

 ルール説明を思い返しながら、瀬川は引き金を引き続けた。近くに来る奴から順に片付けようとするが、爆発的に増える敵になかなかうまく対処できない。接近してきた敵の攻撃がヒットし、あっというまにライフが残り一になってしまった。これなら海人と戦う方がまだ楽だとも思う。

 ついにライフが底をつき、ゲームオーバーの文字が視界中央に現れる。続く指示に従ってごつめのサングラス(?)を外すと、ゲーム機の画面の右側にスコアが表示されていた。ランクはC。つまり下手くその烙印を押されたわけだった。

 画面左側には今田のプレイ画面が映し出されている。二人で遊ぶモードを選択したため、画面の左には今田の、右には瀬川のプレイしている様子が映し出されるようになっている。まだ今田のライフは四つも残っており、無駄のない撃ち方でゾンビを見事に撃退していた。

(やっぱ、実戦で撃ち慣れてるからか…?)

 当然の推測をしつつ、瀬川は今田の腕前に感心しないわけにはいかなかった。敵を倒しながら少しずつステージの奥へと進み、やがてラスボスらしき怪物が姿を現した。他のゾンビよりも一際大きく、体の腐敗も相当進んでおり一層醜悪な外見をしている。フランケンシュタインがゾンビになったら多分こんな感じだろう。

 ものすごいスピードで突進してくるゾンビに対し、今田は冷静に対処した。まず足を狙って撃ち移動速度を鈍らせ、そこで弱点の頭部に弾丸を叩きこむ。だが最終ステージにもなると相手もさるもので、何度やられようとしぶとく立ち上がってくる。なかなかにグロくハードな戦闘が決着すると、今田はライフを一つ残して一人戦場に立っていた。ゲームクリアの金色の文字が流れ、ランクSの表示とファンファーレが今田を祝福する。

「最高!まじで楽しいぞこれ」

 サングラス型の機器を外し、今田が嬉々として言う。どうやらこの店のハイスコアを更新したらしい。

「初見でプレイしてこの結果かよ…すげえな」

「…てか、瀬川が雑魚すぎなんだよ。開始五分で死ぬとか笑うぜ」

 こいつ、俺に腕前自慢したいだけじゃねえの…と思うが、涼しい顔で「ちょっとミスっただけだっての」と返した。瀬川だって槍を扱う格闘ゲームでもあれば勝てそうなものだが、残念ながらこの店には置いていないようだった。

 その後はいくつか音ゲーを楽しんだ後、近くにあったファミレスで軽食を取ってから帰った。相変わらず今田とはどこかノリが合わない感じがするが、根はいい奴なんだろう、多分…。ホテルへ戻りながら、瀬川はそう思った。


「遊園地へ行かないか」

「…いいけど?」

 藤田は、松浦の口から意外な提案が飛び出したことに意表を突かれた。あの堅物そうな男にテーマパークとは、どうも似合わない気がしたのだ。

 とはいえ、藤田に自由行動で特に思いつかないのも事実だった。人工冬眠から覚めてからというもの、趣味らしい趣味を見つけられていない。音楽鑑賞や読書くらいのものだったが、それも無類の本好きの瀬川のようなレベルには達していない。どちらかと言えば暇な時間を作らないようにするためのものに近い。

 ゆえに、松浦の案に驚きはしたものの断る理由はなかった。

「それならよかった。このフューチャーランドというやつがネットで評価が高くてな」

 松浦が携帯端末に表示したウェブサイトを見せてくる。確かに悪くはなさそうに見えた。

「いいんじゃないかな」

「…決まりだな」

 松浦が珍しく柔和な笑みを浮かべた。


「あれだ。見えてきたぞ」

 松浦の道案内―と言っても地図アプリを確認しながらだったが―に従って進むと、近未来的なデザインのテーマパークが見えてきた。入り口で入園料を払うと、松浦はまっすぐにあるアトラクションを目指して歩き始めた。

「…あのー、もしかしてあれに乗る気なの?」

「ああ。『フューチャーダイビング』。この遊園地の目玉アトラクションだ、乗らないのは入園料の無駄遣いというものだろう」

「ぼ、僕絶叫系苦手だから、遠慮しとこうかな…」

 そそくさと列から抜けようとした藤田だったが、松浦に肩を軽く掴まれた。笑顔がなぜか怖い。

「せっかくの機会だ、今日一日くらい付き合えよ」

 藤田に、首肯しないという選択肢はなく、約三十分後に藤田の悲鳴が響くこととなった。


「…つ…疲れた…」

 その日、藤田は部屋に戻るなりベッドに倒れこんだ。後で知ったことだったが、あのジェットコースターが有名な理由は二つあったらしい。一つには落下の高低差が日本一であること。藤田の冬眠する前の時代なら考えられないくらいの高さから、一気に急降下するのだった。そしてもう一つの理由が、カーブがかなり急であること。落下からの連続ターンを体感すると、自分が今どこにいるのか分からなくなるほどだった。

 その後も他の絶叫系やお化け屋敷巡りに付き合わされ―そのうち藤田のテンションが妙に上がってしまい、後半は自分から松浦を誘い始めた―、もう心身共にくたくただった。

(…まあ楽しめたのは確かだし、いいか…)

 そのまま眠りに落ちる寸前、今日一日の思い出が脳内を駆け巡った。

(―あいつも、笑うんだな)

 アトラクションを心から楽しんでいる松浦の姿が一瞬頭の中で映像化され、消えた。

 

「皆さん、昨日は楽しめたでしょうか?」

 チェックアウトの手続きを済ませ、各自荷物を持ってホテルを出た。景山が目的地を目指して歩きながら、後ろを振り返り尋ねる。

「そりゃもちろん。ちょっと前まで海人と戦ってたのが嘘みたいだぜ」

「こういう生活が続けばいいのにねー」

 今田と二宮が元気に答える。他の面々も、それぞれ自分なりに休日を満喫したようだ。それはよかった、と景山がにこりと微笑んだ。

「二日目の本日は、このコロニーの名所を回って行きます。まず向かうのが『一五九タワー』ですね。各コロニーにはそのナンバーを冠した電波塔が一つ建てられており、それがそのコロニーのシンボルにもなっているわけです」

 ガイド顔負けの説明に瀬川は感心するばかりだったが、ふと気になったことがあった。

「そういや、景山さんは昨日は何を?」

「昨日は、仕事上の手続きに追われていましてね」

 景山は苦笑交じりに答えた。仕事、というのは無論パワードスーツ開発のことだろう。「ユーダ・レーボ」による度重なる妨害により、開発は当初のプランのようには進んでいないはずだ。色々と苦労も多いのだろう…と勝手に想像する。

 そうこうしているうちに、高くそびえたつ塔が姿を見せた。コロニーの中心にある巨大な電波塔は、無機質な外観と相まって異様な存在感を放っている。展望台のチケットを景山が人数分購入し、高速エレベータで上を目指す。

 エレベータの中で、景山が思い出したように付け加えた。

「ちなみに、このタワーはワールドオーバー社傘下の企業が設計、建築したものなんですよ」

(まじかよ…ワールドオーバーって一体…)

 どれだけでかい会社なんだ、と瀬川は唖然とした。日本国内に数百個あるコロニーそれぞれのタワーを全て手掛けているとすれば、かなり凄いことなのではないだろうか。瀬川の時代の感覚で言えば、各都道府県の県庁の設計・建築を、全部一人の建築家が成し遂げるようなものだ。

 展望台に到着すると、まず目に入ったのはこの塔を中心として広がる街。周縁部に行くにつれて徐々に町並みはさびれ、そしてコロニーの外には密林が茂っている。自然の猛威から逃れるための、避難所としての街。歪な構図を見せつけられる。だが景色自体はとても綺麗で、二宮なんかは歓声を上げていたくらいだった。写真に撮って残したくなり、瀬川も携帯のカメラで撮影しておいた。

 その後は地上に降り、近辺の和食レストランで昼食を取った。瀬川は天丼セットを頼み、皆も思い思いの品を注文する。一口目を口に運ぶと、冬眠に入る以前に食べたのと同じ味がして少し感動した。

(―変わってしまうこともあるけど、変わらないものだってあるんだよな)

 しみじみとした感慨に浸りながら料理に舌鼓を打ち、店を後にする。次に向かうのは動物園だった。


「飼育つーか…これじゃ保護だろ」

 思わず今田が漏らした。動物たちは野生に近い環境でのんびりと生活しているのだが、ストレスになりかねないからという理由で来園者が姿をじっくり見ることはできなくなっていた。狭い格子の隙間から、なんとか覗けるという感じだ。

「仕方ありませんよ。これらの動物は皆絶滅危惧種。地球のほぼ全域が熱帯化した現在、それまで温帯や寒帯等に生息していた生き物は保護されるか死ぬかしかないんです」

 景山が半ば諦めたように言う。かつての動物園の人気者たちも、今では皆絶滅の危機に瀕しているらしい。ホッキョクグマなど寒冷地の動物に至っては、もう世界に数頭しか残っていないそうだ。

 何はともあれ見覚えのある動物たちを眺めて心和んだ後、締めに割と有名らしい天然温泉へ向かった。当然ながら男湯と女湯に別れ、後で銭湯の前で合流しようということで話がまとまった。


「すげえな…」

 男湯の方では、松浦の鍛え上げられた肉体に瀬川らがビビりまくっていた。瀬川と今田もそれなりにトレーニングを積んでいるはずなのだが、引き締まり方がまるで違った。自分たちも努力しよう…と強く心に誓った。なお、装着者でないため特にトレーニングをしていない藤田は、ついていけないとばかりに肩をすくめた。

「…景山さんも、意外と筋肉あるんですね」

 大浴場の隅で黙々と体を洗っている景山に、近くにいた藤田が声を掛けた。景山は、何でもないさというように顔の前で手を振る。

「いざという時に、少しは戦えないと困りますからね」

 そう言って爽やかな笑みを浮かべた。

「でも基本的に海人の相手は僕らが担当しますし、あまり無茶しないで下さいよ」

 藤田が冗談交じりに言ったが、景山の目は笑っていなかった。

「無茶はしないで下さい、ですか…あんまり舐められるのも心外ですがね」

「…え?」

「いえ、何でもありません。―ほら、早く湯船に浸からないと体が冷えてしまいますよ」

 一瞬の不穏な気配はもう跡形もなかった。藤田は、心に何か引っかかっているのを感じつつも湯船に浸かった。やけに熱い湯だった。


「葉月ちゃん…」

「な、何?千咲ちゃん」

 さっきから二宮からの視線がどうも熱っぽい。何事かと思い、森下は着替えの手を止めて振り向いた。少し寒気がする。

「…何でそんなにスタイルいいの!?」

「あー、まあ、遺伝とか食習慣とか色々な要因が関係してるんじゃないかしら?」

 羨ましい…とこちらを見上げてくる二宮は控えめな体型だが、森下のプロポーションはなかなかのものだった。着痩せするタイプだからか服の上からだと分からないだけに、二宮の受けた衝撃は大きかったようだ。もっとも、森下の方が三歳年上であることを考慮すると、ある意味当然の結果なのだが。

「…ねえ、触ってみてもいい?」

「駄目」

「ちょっとだけでいいから!」

「駄目」

 二宮の要求を頑なに跳ね除け、森下は服を脱ぎ捨てて浴場に入っていった。待ってよー、と後を追うように、二宮の華奢なシルエットがそれに続く。その後、森下が要求に屈服することはなかった。


 さて、楽しかった一泊二日の小旅行もいよいよ終わりである。銭湯から出て合流し、そのままワールドオーバー社が手配していたバスに乗って帰宅する。一日歩き回った疲れのためか、それとも風呂上りの火照りによる眠気のせいか、座席を倒しうとうとし始める者も多い。四十分ほどバスを走らせていた時、事件は起こった。

 突然、運転手が慌てて急ブレーキを掛けた。

「何事だ…?」

と訝しんだ景山が席から腰を浮かせ前方を見やるが、答えはすぐに明らかになった。

 バスの進行方向―約五メートルほど離れた地点に立ち、こちらへとゆっくりと近づいてくる人影があったのだ。

「海人か。なぜ我々の現在地が分かった…!?」

 苛立たし気に言う景山。瀬川らも、様子を見ようとバスの前部へ集まった。

 少し離れた位置からこちらを見ていたのは、全身を黒い鎧のような皮膚に覆われた怪人だった。至るところが鋭い棘で覆われている。

「今度はウニもどきかよ」

 今田がなんてことないという風に言う。

「相手が誰だろうが、倒すだけだ。行くぞ!」

 瀬川も威勢よくバイザーを装着したが、動いたのは相手の方が早かった。何の予備動作もなしに前方に跳躍し、バスのフロントガラスを突き破る。すかさず高速移動し、悲鳴を上げた運転手をバスの外へ蹴り飛ばしたかと思うと近くにいた景山にも殴りかかった。

(―まずい!)

 可能な限りの速さで起動用コード「クレアシオン」を唱えて駆け寄るが、あと一歩で間に合わなかった。景山は頭部を強打され、そのままの勢いで窓を破りバスから転落した。

「てめえ…」

 クレアシオンの緑色のアイマスクの奥で、瀬川の両目は怒りに燃えていた。

「お前たちの目的はバイザーの回収なんだろ…だったら装着者である俺たちだけを狙え!関係ない人たちを巻き込むな!」

 そこに、同じくアンビシオンの装着を終えていた今田が海人にショルダータックルを喰らわせた。厚い皮膚が衝撃の大部分を殺したが、「クイック」を併用した効果か、バスの外へ海人を吹き飛ばした。

「瀬川、はらわたが煮えくり返ってんのは俺も同じだ!絶対に倒すぞ!」

「―ああ!」

 二人の戦士は同時に「サモン」でそれぞれの使用武器を召喚すると、猛然と敵に向かっていった。


一方装着者でない二宮、森下、藤田はバス後方の座席に隠れるようにし、戦いに巻き込まれないようにするしかなかった。おそらく怪我を負っているであろう景山らを助けに行きたい気持ちはあったが、堪えるしかない。そんなことをして戦闘の巻き添えを喰らえば、皆を守るため必死で戦っている装着者たちを悲しませるだけだ―先刻瀬川の言ったことが、まだ記憶に残っていた。


松浦もバスの外へ飛び出すと、左腕にバイザーを装着した。いざコードを唱え加勢しようとした、その時だった。

「―お前の相手は俺だ」

 聞き覚えのある、低く無機質な声。背筋が凍り付くのを感じながら振り向くと、そこに立っていたのは忘れるはずもない、あの紺色の悪魔のようなデザインのパワードスーツ―テリジェシオンだった。

「…フン」

 だが、松浦は一歩も引かない。

「俺は前より強くなった。前のようにやられはしない!」

 早口でコードを唱えエグザシオンの装着を完了、武器の草薙之剣を召喚する。戦いの火蓋が、切って落とされた。


「ちいっ…なかなか耐久力高えな!」

 今田が面倒臭そうに叫ぶ。アンビシャス・ライフルの連射を浴びせても、頑丈な皮膚のせいでほとんどダメージを与えられていないのだ。それどころか、ものともせずに突進してくる。棘だらけの腕から繰り出された強烈な殴打を受け、アンビシオンは後ろに吹き飛ばされた。

「野郎、だったら…『クイック』!」

 瀬川もクイックを発動するが、相手も同等のスピードで高速移動してきたため、状況を打開できずに効果持続時間が終了してしまう。槍の刺突を両腕の棘で受け止められ、一進一退の展開が続いた。

「―『スマッシュ』‼」

 海人の放った回し蹴りを上に跳んで躱すと、カウンターで飛び蹴りを放った。白いオーラを纏った一撃だったが、相手も右拳に淡い光を集め迎え撃ってきた。威力で僅かに劣ったクレアシオンは、攻撃を弾き返され地に倒れた。

「…っ…ならこれならどうだ!」

 すぐに起き上がって十字槍を構え直すと、応用コード「神殺」を唱える。ランス全体を炎のような眩しい赤の輝きが包んだ。その切っ先を敵へと向け、一気に距離を詰め突き出す。

 海人は今度は両の拳に光を集中させて対抗した。

 破壊力は互角。

 ただし、クレアシオンの「神殺」は本質的に、槍先の一点に全攻撃力を集中させるコード。それが勝敗を決した。

 両者は互いの攻撃がぶつかり合った衝撃で後ろに吹き飛んだ―が、海人の手の甲の一点には穴が穿たれていたのだった。爆炎でよく見えないが、怪人が苦痛に叫ぶのが聞こえる。バスの車体に叩きつけられながらも、瀬川は一矢報いたと淡い笑みを浮かべていた。

「―おいおい、さっきはよくもやってくれたな」

 体勢を立て直したアンビシオンが、視界が晴れた隙を狙って「エンドブラスト」を放つ。赤紫色の巨大な破壊光弾が射出され、目標へとまっすぐに到達する。傷を負っており、しかも不意打ちを喰らった海人は今度は迎撃できず、光弾の直撃を胸に喰らった。

 だが相手も相当なもので、傷の再生速度がこれまで戦ったどの敵よりも速かった。よろめきながらもどうにか立ち上がると、体への負荷を無視したかのような強引な高速移動で、クレアシオンらの視界から消え失せた。

「待て!」

「…ちょい、あいつを撃退するのが先決だぜ」

 後を追おうとした瀬川だったが、今田に諭される。後ろを見ると、エグザシオンとテリジェシオンが今まさに交戦しているところだった。松浦は善戦しているが、パワードスーツの能力の相性が悪いせいか、やや苦戦しているように見える。スピードで翻弄し手数で圧倒するテリジェシオンは、エグザシオンにとって戦いにくい相手のはずだ。無論、二人はすぐに松浦に加勢しに行った。

「―おらよ!」

 アンビシオンの繰り出した射撃を、テリジェシオンは自慢の俊敏性をフルに活かして余裕で回避した。クレアシオンのランスの突きも、一方のダガーナイフで払うようにして受け流され、もう一方でカウンターの斬撃を見舞われる。

 痺れを切らし「クイック」を発動したアンビシオンに対しては、自身も「クイック」で対抗した。両者ともスピード重視型だがやはり速さだけならテリジェシオンの方が上で、放たれた光弾を難なく躱し連続で斬りつけて退けた。

「―『サベージアサルト』」

 勝ち誇るように、応用コードと思われる言葉を呟く。瀬川らはどうにか立ち上がり、防御姿勢を取ろうとした。

 しかし、それはほとんど無意味だった。

 二本のダガーナイフに刃が、青紫の不気味な光に包まれる。「クイック」の効果はまだ続いており、地面を勢いよく蹴り飛ばしたテリジェシオンが一瞬で距離を詰める。刃に腐食作用を付加され切断力を倍増させた一閃を、テリジェシオンは三体のパワードスーツに一撃ずつ浴びせていった。

 高速移動の効果が切れるのと同時、瀬川ら三人は大きく吹き飛ばされ、地面を転がった。斬撃を受けたアーマーからは白煙が立ち上り、あと何回か攻撃を受ければ装着解除に追い込まれるのは確実だった。

(何て強さだ…このままじゃ…)

 やられる、と瀬川は確信したのだが、男は何故かそれ以上追撃を加えようとはしなかった。そして「スモーク」と唱えて短剣の先から広範囲に黒煙を放ち、とどめは刺さずその中に紛れるようにして姿を消す。

「お前たちにはまだ利用価値がある…潰すのはそれからでも遅くない」

 謎めいた捨て台詞を残し、テリジェシオンを装着した男はどこかへ消えてしまった。安堵したのも束の間、瀬川は意識が遠のいてゆくのを感じた。


「―瀬川!」

「今田君⁉」

「…松浦君、大丈夫なの?」

 戦闘の音が聞こえなくなり、バスの中に隠れていた藤田、二宮、森下が恐る恐る外へ歩み出ると、三人が倒れているのが目に入った。やや離れたところに、景山と運転手も倒れている。全員外傷はほとんどなく、気を失っているだけだったのは不幸中の幸いだった。急いでバスの中に運び込んで座席に寝かせる。

「運転は私が代わる。急いで私たちの家に戻るわよ」

「ちょ…ちょっと待ってよ森下さん」

 運転席に座りシートベルトを締めようとした森下を、藤田は慌てて制止した。

「ここは一旦さっきのコロニーに戻って、ちゃんとした病院で診てもらうべきだよ!あっちじゃ簡易的な処置しかできないじゃないか」

「あんたの言うことは正論だわ…今が非常時じゃなかったらね。問題は、私たちが襲撃されたってことは、拠点にもユーダ・レーボの魔の手が伸びてるかもしれないってことよ」

 エンジンを掛け、バスを再発進させる。

「そうか、つまりこういうことだね?連中はまず僕たちの住居を攻撃したが収穫はなかった。そこで、警備していた人らに口を割らせて僕らの現在地を突き止めて再度攻撃を仕掛けた…うわっと」

「―そういうこと!」

 あまりのスピードにこけそうになり、藤田はそそくさと近くの席に腰かけた。森下はそれすらも目に入らぬかのように、全速力で住居へと車を走らせた。


 意識を取り戻した瀬川がゆっくりと目を開けると、そこはバスの中だった。先ほどの戦いが夢であったかのように感じたが、残念ながらそうではない。窓ガラスが所々粉々に割られているのが、何よりの証拠だ。

「…あ、瀬川起きた?」

 前方に座っていた藤田がこちらを振り向く。ああ、と答えて周りを見回すと、ちょうど今田と松浦も意識が回復したところのようだった。それぞれのパートナーと言葉を交わしている―森下は運転席にいたため、松浦と会話する機会はなかったが。

 藤田から状況を聞き終わった頃、バスが停止した。バスを降りて見えた光景は、森下の想像以上であったかもしれない。

 特殊ガラスでできた小規模ドームは爆薬か何かで木端微塵に破壊され、地上部の家屋もほぼ全壊している。そして、至る所にワールドオーバー社の職員が倒れていた。呆然とする暇もなく、急いで倒れている人々を助け起こしに向かった。どうやら重傷を負った者はいないようだ。できる範囲で応急処置をし、介抱していく。

地下のフロアへの入り口もついに発見されており、中は滅茶苦茶に荒らされていた。ただし、奴らの目当てであるパワードスーツのバイザーとそのデータの入ったパソコンは瀬川らが旅行に持って行っていたため、無駄足に終わった可能性はかなり高いが。

 その時、瀬川の脳裏をある違和感がよぎった。

(―変だ)

 先刻の、テリジェシオンの男の言葉が蘇る。

『お前たちにはまだ利用価値がある…潰すのはそれからでも遅くない』

(あいつはああ言って俺たちを見逃した…でもこの襲撃の様子を見る限り、ユーダ・レーボの狙いはパワードスーツの強奪にあったとしか思えない。矛盾してないか?…俺たちの利用価値って何なんだ?あの男の目的は一体…)

「おーい若造、ぼーっとしてないでちょっと手を貸してくれや」

 思わずびくっとして振り向くと、足を負傷したらしいワールドオーバーの中年の男が、地面に座り込んでこっちを忌々しげに見上げていた。

「あ…すみません、すぐに」

 小太りの職員を苦労して立たせ、二宮と藤田が応急手当を行っている辺りに連れていく。

(考えるのは後だ、とりあえず目の前のことからこなさなきゃな)

 瀬川は自分に気合を入れ直し、まだ手当を受けていない人々を助け起こしに行った。


 一方、意識を取り戻した景山は上に電話で連絡し、おろおろと状況を説明していた。また、救護部隊の要請や、瀬川らの当面の仮の住居の手配を急いでいるようだった。破壊の程度が大きく、このままここに住むことは不可能だった。第一、今度ここにテリジェシオンが本気で攻めて来たら、撃退できるかかなり怪しいのだ。

 一時間ほどで、ワールドオーバー社の救護部隊―と言っても医薬品部門の職員が臨時的に派遣されただけらしいが―駆けつけ、傷病者に的確な手当てを開始した。怪我人たちが次々と搬送されていく。行き先は社の傘下の病院らしい。ここで起きたことに関しては口外させない方針のようだ。

 その夜は寝室を使える状態でなかったため、やむなくバスで車中泊することとなった。そして翌朝早く、景山が皆を揺すり起こし、知らせを伝えた。景山は昨日一睡もしていないようで、端正な顔に濃い隈ができていた。あれだけのことがあったのだから、一晩中対処に追われたとしても無理はない。

「皆さんの今後の住まいは、№一七二コロニーのアパートに決まりました。四部屋確保できたそうですので、大体二人で一部屋使う感じですね…いやはや、まさかこんな惨事になるとは、本当に申し訳ありません」

「…謝ることないですよ。景山さんは、何も悪くないのに」

 さすがに瀬川がフォローしたが、景山の浮かない表情は変わらなかった。

「そうそう、こんなに早く住居を確保できること自体すごいって」

 今田も励ますと、多少は彼の表情に明るさが戻った。

「いえいえ、大したことではありませんよ。ちょっと上がコネを使った結果です。…さて、今後のことですが、当分の間戦闘演習は中止。まさか、一般人に企業秘密であるパワードスーツを見られるわけにはいきませんし、人目につかない演習場の確保が難航しておりますので。よって、再開するのに適した場所が見つかるまで、各自でトレーニングや開発に励んで下さい」

 これからどうなるのかと皆の顔に不安が見え隠れしたのに気付いたか、景山が安心させるように言った。

「いいニュースもあります。住宅地の中にあるアパートですから、連中も大っぴらに動くことはできないはずです。そのため、皆さんの外出も基本的には自由です」

 皆の表情が少し和らいだ。また新しい日々が始まるのだ。少なくとも、前のように常に敵を警戒する必要はなさそうだった。


「テリジェシオンは取り逃がしたようだな」

「やはり三体一では分が悪いのでは?」

「…しかし、今回は強力なアブノーマルモデルをサポートにつけたはずなのだがな。どうも腑に落ちん」

「では、次は残る二機も投入を?」

「そうだな。今度こそ完璧に叩き潰す」


 数日後、瀬川らの引っ越しは完了した。前のように清掃員や料理を用意するスタッフはいないため家電などを買い揃える必要があり多少手間取ったが、ようやく落ち着いたという感じだ。(従業員を揃えるのはワールドオーバーにとって造作もなさそうなものだが、あれだけのことがあったので希望者がいなかったそうだ。)

 瀬川と藤田、今田と二宮、松浦と森下、という風にパワードスーツ開発のペアで一つの部屋を使うこととなった。それぞれのペアで競わせる方針に貫いた結果だろう。なお、景山はそのアパートの向かいにあるワンルームマンションを借りている。

「それにしても、いくら個室があるとはいえ男女ペアを同じ部屋に住まわせるのはどうかと思うんだけどな…」

 洗濯物を干しながら、藤田が呟いた。

「あいつらに限って、よからぬ行為に及んだりはしないだろ」

 同じく服をハンガーに掛けていきつつ、瀬川が心配なさそうに答える。

(…俺たちにはそもそも縁のない話だけどな…)

 男二人、わびしい共同生活である。藤田は一日中パソコンと格闘してスーツのスペック向上―今までの戦闘データを元にフィードバックしている―に勤しみ、瀬川は家事をしたりトレーニングを兼ねてランニングに行ったりしている。それから、暇を見つけては小説を書き進めている。何ということのない、今までとあまり変わらない新生活だった。


「今田君!今日はパンケーキ食べたい気分だなー」

「おい何でそんなに目を輝かせてんだ…俺、特に料理上手いわけでもねえし。てか、千咲ちゃんの方が断然家事スキル高いって!」

「えーでもー、今田君の手料理も食べてみたいー」

 上目遣いに見つめられると、今田には頷くことしかできなかった。

 そんな感じで、新生活において今田はほぼ家事全般を担当しているのだった。二宮は開発に集中している。今田はぶつぶつ言いながらも家事をこなしており、傍から見ると仲のよい兄妹に見えなくもない。しかし、それ以上の深い関係には発展しそうになかった。


 一方のもう一ペアは。

「いい、私の部屋に入るときは絶対ノックしてからにしてよね」

「…俺がそんな無神経な真似をしそうに見えるか?」

 いまだに松浦への苦手意識が抜けず、ついつんけんとした態度を取りがちな森下と、それに気づいているのかは不明だが冷静に対処する松浦…という構図が出来上がっていた。

 松浦の家事能力が非常に高いのに森下が気づいたのは、ごく最近のことだった。彼いわく「大体の料理は作れる」らしい。

(私…簡単な炒め物とかしかつくったことないのに…)

 もう尊敬のレベルを超えて畏怖とかそのくらいまでいきそう…と森下は思う。実際、松浦は何をやらせても人並み以上に力を発揮できるタイプの人間なのだ。自分などとは別次元の存在に思える。

(…ま、おかげでこっちは開発に没頭できるんだけどさ)

 二人の関係は職場の同僚に似ている。互いに能力を認め合い、仕事上は協力する―だが個人の事情にまで踏み込んだりはしない。そういう関係だ。

(松浦…いつか私がユーダ・レーボからスーツを奪還して、正式に装着者になったら…あんたより強くなって、その鼻明かしてやるんだから!)

 パソコンの画面に向かいつつ、森下は対抗心を燃やしていた。

 

 そのようにして、また数日が過ぎた。瀬川は、いつものように川沿いをランニングしていた。

 このコロニーには比較的自然が多く残っており、景色を眺めながら走るのはいい気分転換にもなる。あえて暑い午後に走り、汗を流すのが瀬川のマイブームである。

 不意に風を切る鋭い音が聞こえた。背筋を冷たい感覚がさっと走る。咄嗟に足を止めて身を屈めると、直後、さっきまで頭のあった位置を、突き刺すような拳の一撃が通過した。太陽に熱されたアスファルトの上を素早く転がり、襲撃者と距離を取る。

「…またお前か」

 攻撃を躱され、意外そうにこちらを見ているのは先日のウニ型の海人だった。

「なぜお前が俺たちの居場所を知っているかは分からないが、こんなに堂々とやって大丈夫なのかよ」

 瀬川は相手が答えることを期待して問うたわけではない。だが、海人は頭部のやや下の方にある、一見しただけではそれと分からないような小さな口を―ゆっくりと開いた。

「…その点は検討済みだ。まともな人間なら、目撃したとしても自分の目を信じないだろうしな」

 海人が、人語を解し、そして喋った。瀬川は驚きを隠せなかった。

「お前、話せたのか…!?生物兵器にしちゃ頭いいんだな」

「…そんなことは今は重要ではない。用があるのは貴様の持っているバイザーだ」

「―これのことか」

 白地のジャージの左腕をたくし上げると、バイザーの黒い表面が露出した。

「肌身離さず持ち歩いているとは感心だ。おとなしく渡せば、悪いようにはしない」

「…渡すわけがねえだろ。お前らみたいな、力を悪のために使うやつらに!―『クレアシオン』!」

 純白のアーマーが全身を覆う。愛用の十字槍を召喚すると、瀬川は漆黒の皮膚に身を包んだ怪人に突撃した。「チェンジ」で槍の長さを自在に操り、連続攻撃を仕掛ける。だが、いくら命中してもあまり効いていない。強固な皮膚と高い再生能力を併せ持つこの海人はエグザシオンをも凌ぐ防御力を持っており、多少ダメージを受けようが動じた様子はない。逆に、カウンターで体重を乗せた重厚な打撃を放ってくる。

 クレアシオンが敵の蹴りを受け後退し、やや不利と見えたその時、瀬川の耳元で声がした。

『瀬川、前回の戦闘でテリジェシオンが使ったコード併用を真似してみて!』

 続いて繰り出されたパンチの軌道を槍を当てて逸らし、瀬川は小声で言う。

「コード併用?…あの、必殺技ぽいのと『クイック』のコンボか」

『そういうこと。前回、「神殺」自体はなかなか効いていたけど決定打にはならなかった。でも連続で繰り出せば、勝機はあるよ!』

「…よし、ここは藤田の策に賭ける!」

 ユーダ・レーボとの戦闘の激化を懸念し新しく導入された、通信システムを介しての会話だった。装着者は、パートナーから必要に応じてアドバイスを受けることができる。パートナーは、パワードスーツのフェイスアーマー上部に埋め込まれた小型カメラで戦闘の様子をモニターでき、装着者をサポートする。また、カメラが戦闘を映像データとしても残してくれるため、開発において重要な戦闘データの解析がやりやすくなるという利点もある。システムの発案者は藤田だが、藤田の好意により他のパワードスーツにも導入されている。万が一今回のように一人でいるところを襲われても、仲間に連絡がつきやすくする、という意味合いもある。

 瀬川は後ろに跳んで敵の回し蹴りをぎりぎりで回避すると、ランスを構え直し再び突進した。

「『クイック』!」

 全身を白のオーラが覆い、五秒間の高速移動が可能となる。感覚が加速されていく中、地面を蹴り飛ばして一気に距離を詰める。海人も一拍遅れて両足に淡い光を集め、高速移動を開始する。しかし、その時瀬川は既に、相手の懐へ潜り込んでいた。

「そして―『神殺』!」

 十字槍が地獄の業火のような赤きオーラに包まれ、先端が一際明るく燃える。高速移動の効果はまだ持続している。

 海人が反撃に出るより前に、燃え盛る十字架の如き、神速の突きがその鎧のような皮膚を何度も何度も貫く。鮮血が噴き出し、海人が痛みに呻く。徐々に加速感覚が薄れていくのを感じながら、瀬川は最後の攻撃を繰り出した。

「これで…終わりだ!」

 狙いを定め渾身の力を込めて放たれた、炎を纏う一撃が海人の胸部を貫いた。制御チップの砕けた音がし、海人は全身を爆炎に包まれて倒れた。もうぴくりとも動かない。

 高速移動の効果持続時間が終了し、瀬川は槍の切っ先を下ろしてふうと息をついた。なんとか撃破に成功したが、藤田の助言がなければ危ういところだった。

 やれやれと装着を解除しようとしたが、背後から迫る複数の足音を耳にし反射的に振り返った。もし一般人であれば、巻き込まないようただちに立ち去らねばならない。

 しかし、そこにいたのは、

「―また会ったな、クレアシオン」

 謎の女を二人連れた、テリジェシオンだった。


 その二人の女は、黒のビジネススーツ上下にサングラスを掛けていた。そしてその左腕には…バイザーが装着されていた。

(女性用のパワードスーツ…テリジェシオンは元々藤田が装着する予定のものだったんだろうが、するとあの二つは、二宮と森下が装着予定だったやつってことか)

 テリジェシオンの男は、地面に倒れ動かない海人の死体を一瞥した。

「あのアブノーマルモデルを一人で攻略するとは大したものだ。ま、そうやってお前を消耗させてから倒す作戦だったのだがな…行くぞ」

「「はい」」

 二人の女性は小さく頷き、

「―『アフェクシオン』」

「―『プログシオン』」

 慈愛、そして進歩を意味する語に由来するのであろうコードを唱えた。左のアフェクシオンの女は黄色の、右のプログシオンの女は紫の光に全身が包まれ、一瞬で装着が完了した。

 アフェクシオンは、水玉模様とマーブリング模様を組み合わせたようなデザインを基本パターンとし、黄、オレンジ、レモンイエローなど黄系統の色の、やや丸みを帯びた形状のアーマーを纏っている。頭部からは、短めのツインテールのような黒い角が二本伸びている。レモン色のアイレンズは楕円形で、睫毛を思わせるパーツも付いている。ショルダーアーマーは丸っこい形だが、端からは三日月型の鋭そうなパーツが取り付けられている。また、半円形の制御チップが随所に配置されている。全体として、小悪魔系の女の子を思わせる外観だ。

 一方のプログシオンは、五角形を基本パターンとした角ばったデザインだ。全身を紫のアーマーで覆っており、金属光沢が眩しい。アイレンズは五角形を逆さにした形で、頭部からは五角形の短い角が二本突き出ている。肩には、雪の結晶を思わせる形状のショルダーアーマーが装着されている。随所にある黒の制御チップも五角形だ。こちらはあまり女性らしさを前面に押し出した外観ではなく、西洋の騎士を思わせる中世的な見た目だ。

 身構える瀬川に対し、アフェクシオンは腰のホルスターから二丁拳銃、ヒーリング・ハンドガンを素早く抜いて構えた。どうやら、「サモン」を必要としないタイプのパワードスーツらしい。アンビシオンの使う拳銃よりは小型で、形もやや丸みがかっている。アーマーと同様にマーブリング模様がある。

 さらに、プログシオンは「サモン」と短く唱え、使用武器であるプルーブ・サーベルを召喚した。エグザシオンの草薙之剣に比べると細身で、その分扱いやすそうに見える。刀身は銀、柄は紫、持ち手は黒だ。日の光を受け、刃が怪しく光った。

「―さあ、せいぜい抵抗してみせろ」

 テリジェシオンの言葉を合図に、三機のパワードスーツは一斉にクレアシオンへの攻撃を開始した。


 テリジェシオンとプログシオンが至近距離から得物で攻撃し、遠距離からアフェクシオンが援護射撃を行う。多勢に無勢な上、息の合った連携攻撃の前に瀬川はたちまち追い詰められてしまった。プログシオンの斬撃をランスで受け止めたところにアフェクシオンの放った光弾の直撃を受けて吹き飛ばされ、アスファルトの上を転がる。抑揚のない、低い声が徐々に近づいてくる。

「…どうした、そんなものか。期待外れだな」

 とどめとばかりにコード名を唱えようとしたテリジェシオンだったが、その背にどこからか飛来した真紅の光弾が命中した。不意打ちを受けてバランスを崩し、よろめいてたたらを踏む。

「ちっ…何者だ」

男が忌々し気に吐き捨て、さっと後ろを振り向いた。その視線の先には―

「見りゃ分かるだろ。…一人で無茶しやがって、さっさと俺らを呼べばいいのによ」

「まあそう言うな。藤田から連絡を受けてな、急いで飛んで来たというわけだ」

 駆け付けたアンビシオン、エグザシオンがそこに立っていた。アンビシャス・ライフルからうっすらと煙が立ち昇っている。先刻の攻撃は今田が行ったのだろう。瀬川はどうにか立ち上がると、二人の元へ駆け寄った。

「行くぞ、皆…反撃開始だ!」

「おう!」

「ああ」 

 三人の戦士は各々の武器を構え、勢いよく敵に向かっていった。

 松浦が刀を構え、アフェクシオンに突進する。女は、無言で二丁拳銃を松浦へ向けた。

(見た目通りならば、相手はアンビシオンと同じく射撃を主力攻撃としているはず。ならば「ガード」で光弾を弾き、その隙に「クイック」で畳みかける…!)

 一瞬のうちにそこまで戦術を練り上げ、予想される銃撃を「ガード」でいつでも防御できるよう、松浦は意識を集中させていた。だが光弾は放たれない。訝しみながらもエグザシオンは距離を詰め、大振りな一閃を浴びせようと刀を振り上げた。

(この距離なら、俺の攻撃の及ばない範囲に離脱はできまい)

 そして、多少の攻撃ならバリアを展開し防ぐことができる。草薙之剣がアフェクシオンのアーマーに触れるか触れないか、という時だった。

「『ワープ』」

 突然、アフェクシオンが視界から消えた。そして次の瞬間、左脇腹に鈍い痛みが走り、エグザシオンは右に吹き飛ばされた。

「何っ…?」

 松浦は、一瞬何が起きたのか分からなかった。不意に、今度は右肩に衝撃が走る。超至近距離からと思われる攻撃を喰らい、松浦は地を転がった。

「…あら、案外大したことないじゃない」

 女は二丁のハンドガンを手の中でくるくると回しながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。足取りが慎重なのは、松浦が反撃に転じるのを警戒しているからだろうか。

「アフェクシオンは装着時既に武器が装備されている分、『サモン』のコードをバイザーに読み込む必要がない。つまり、基本コードのデータ容量に余裕があるのよねー」

「…何が言いたい」

 松浦は体を起こしつつ小声で「バック」を唱え、少し離れた位置に落ちていた剣を手元に引き戻し、問うた。女は高い声でからからと笑った。

「つまり、ちょっと強力な基本コードを読み込むこともできるってことよ。例えばそうねー、さっきの『ワープ』とか」

「瞬間移動とは、なかなか厄介な能力だ」 

 松浦は切っ先をアフェクシオンに向けたまま、じりじりと後退した。女もそれに呼応するように徐々に間隔を縮めてくる。

「別に瞬間移動ってほどでもないわよ?『半径五メートル以内かつ視界内の、任意の座標軸に装着者の体を移動させる』、これが『ワープ』の能力。色々と制約はあるし、決して万能じゃない。…ま、でもほとんどエネルギーを消費しないから連発も可能なのが強みかしらねー」

 女は惜しげもなく手の内を明かしたが、それは勝利の確信の裏返しだった。勝ち誇ったように言う。

「…残念だけど、パワー型のあんたじゃあたしの移動能力にはついてこれない。お生憎様」

 バイザーが認識できるぎりぎりの音量で「ワープ」と唱え、松浦の視界から姿を消す。アフェクシオンは両手に握った拳銃の引き金を、躊躇なく引こうとした。

 しかしそれよりも、女の腹部に強い衝撃が叩き込まれる方が速かった。

「ぐあっ……な、に…!?」

 ふらつき後ずさる女に、松浦が再度斬撃を浴びせた。横に薙ぐような重い一撃が命中し、アフェクシオンのアーマーから多量のスパークが飛ぶ。女は再び「ワープ」を発動するが、それは不意打ちによる攻撃を狙ったものではなく、距離を取るための手段にすぎなかった。

「―お前の移動能力は確かに強いが、使い方に癖がある。…お前が俺の死角から攻撃しようとしてくるならば、俺が振り向きざまに一太刀を浴びせれば済むことだ。そして生憎俺はパワー型だ、スピード重視で防御力の低いお前ならば、数回攻撃を当てさえすれば十分に弱らせられる」

 松浦は淡々と語り、応用コード「神魔威刀」を唱えた。オリーブ色の輝きが刀身を満たしていく。女は舌打ちし、銃の照準をエグザシオンにぴたりと合わせた。

「攻撃パターンを読むとか、白けることしてんじゃないわよ…『バレルシュート』!」

 ヒーリング・ハンドガンが橙色の光に包まれたかと思うと、その銃口から無数の光弾が射出された。おそらくこれが、アフェクシオンの応用コードだろう。

 回避不可能にも思える圧倒的物量の攻撃だったが、松浦に怯む様子はなかった。

「―『クイック』」

 全身をエメラルドグリーンの光が覆い、五秒間の高速移動が可能となる。エグザシオンは光弾の洪水を注意深くかいくぐりアフェクシオンへと接近、そして刀を思い切り振り下ろした。刀身に蓄積されていたエネルギーが真空波の刃へと変換され、一気に撃ち出される。至近距離から強烈な一撃を受け、アフェクシオンは大きく後方へ飛ばされた。衝撃で女の左腕からバイザーが外れ、地面に落下する。装着者が気絶したのを確認すると、松浦はそのバイザーを拾い上げた。やはり、自分たちの使っているものと全く同じ形状をしていた。


 流れるような動作から、次々とナイフの突きが繰り出される。クレアシオンは「チェンジ」で槍を短槍形態へ変化させて応じるが、テリジェシオンのスピードと反応速度の高さは尋常ではなかった。瀬川は手数で圧倒され、苦戦していた。

「…だったらこれだ!」

 ノーモーションで、いきなりクリエイティヴ・ランスを投擲する。さすがに予想外だったらしく、男は飛び退いて紙一重で躱した。すかさず「バック」を唱えてランスを回収、さらに「チェンジ」で再度ランスを長槍に変形させ、体勢の崩れたところに体重を乗せた突きを叩き込んだ。今度は避けきれず、テリジェシオンの紺の装甲から火花が散った。手の中で槍を回転させ、石突の側でさらに打突を加える。テリジェシオンは右手のダガーナイフで受け止めたが、衝撃を殺し切れずに後退した。

 得物のリーチの自在な変換が連続攻撃を可能にし、クレアシオンはさらに猛攻を仕掛けた。テリジェシオンも、隙あらばカウンターを決めようと冷静に防御してくる。戦いは熾烈を極めた。

 不意に、男が左手のダガーナイフを投げつけた。瀬川がそれを槍で払いのけた一瞬に、テリジェシオンが「クイック」を発動して一気に距離を詰める。

「―私の力を、見くびってもらっては困る」

 すぐに瀬川も「クイック」を発動したが、その頃にはテリジェシオンの放った斬撃は目前に迫ってきていた。加速する中で、応用コード「サベージアサルト」も唱えていたらしく、ナイフの刃が青紫の輝きに包まれている。最悪なことに、弾き飛ばしたはずのダガーナイフが男の左手に戻っており、そちらも同様の光を帯びている。「バック」をも発動していたということだろう。

 必殺の二連撃が、クレアシオンの肩から腹までを切り裂いた。


「おいおい、女性と戦うのは趣味じゃないんだよなー」

 今田は「ブレード」を唱え武器を銃剣形態へ変化させながら、相手にぼやいた。プログシオンの女は聞いていなかったのかそれとも無視したのか、何も言わずサーベルで切りかかってきた。その一撃を銃剣で受け止めるが、スピード型のアンビシオンに対しプログシオンはクレアシオンと同じくバランス型だったらしく、僅かに力では相手が勝った。

(…まあ、パワーで勝負する気は最初からないけどな、っと)

 プログシオンが繰り出す攻撃を受け流し、隙を突いてアンビシオンは拳銃から光弾を放った。回避動作を取ったが何発かが命中し、プログシオンが後退する。

「…お嬢ちゃん、射程距離が違いすぎるぜ」

 サーベルを主力武器とするプログシオンなら、クレアシオンのように武器を投擲してくることもないだろう。このまま連射を浴びせ押し切ろうと考えた今田は、迷わずトリガーを引いた。女は横に転がって初撃を躱すと、小さな声で、だがはっきりと唱えた。

「…『サイレント』」

 刹那、女の姿が見えなくなった…と思えばアンビシオンの前方にいきなり現れ、鋭い突きを放ってきた。慌てて上体を逸らし躱すと、続けて回し蹴りを繰り出してくる。今田は後ろにジャンプして避け、再度銃撃を放って牽制した。着地し、冷静に状況を分析する。

(ははあ、多分光学迷彩の類か。効果持続時間はそんなに長くはないようだが、面倒な奴を敵に回しちまったもんだ)

 プログシオンが再び「サイレント」を発動し、姿を不可視のベールで包み込む。対して今田は焦った風でもなく、辺り一帯を掃射した。かすかに、何もないはずの空間からスパークが飛んだのが見える。よく見れば、その付近の雑草が誰かに踏まれたかのようにぺちゃんこになっている。

「―そこか!」

 今田は敵のいるサインを見逃さず、満を持して連射を放った。連続で撃ち出される赤い光弾が、ついに姿を現したプログシオンの紫のアーマーに何発もヒットし、相手を大きく吹き飛ばした。


「…避け切れるなんて思ってねーっての」

 瀬川は痛みに耐えながら、マスクの下でにっと笑った。

 確かにテリジェシオンの必殺の斬撃は命中した。しかし同時にクレアシオンも「神殺」を発動しており、二連斬を受けた次の瞬間、赤い炎のオーラを纏った十字槍がテリジェシオンの胸部アーマーに突き刺されていた。右手に握っていた槍を、下から突き上げるようにして繰り出したのだった。

「小癪な…」

 男はよろよろと後ろに下がった。瀬川は荒い息をつきつつも、倒れることなくまたランスを構え直した。

「お前の高速移動に正面からぶつかっても勝てない。悔しいけどこれは事実だ。…だから、お前が動きを止める一瞬を待つしかなかった―技を放った後、隙のできない奴はいないからな」

「ふ…ははははは」

 勝負を決めようと仕掛け失敗し、痛み分けの結果となったにもかかわらず、男はその無機質な笑い声を響かせた。

「そうだ、それでいい…少しは私を楽しませてくれ。多少は手応えがないと面白くない」

「…なら、お言葉に甘えて…っと!」

 クレアシオンは地面を蹴り飛ばし、相手に接近した。男がナイフを振り上げ切りかかってくるのを、槍で受け止める。

『―瀬川!アーマーの修復にエネルギー使用が割かれている今なら、お互い自由にコードを使うことはできないはず!』

「…ああ藤田、分かってる!」

 そうなれば、後は何の小細工もなしに、力と力がぶつかり合うだけである。

 槍でナイフを払い除け、瀬川が半ば叫ぶようにして放った「フィスト」がテリジェシオンの胴体にヒットし、その体は宙を舞った。


 プログシオン、テリジェシオンは偶然にもほど近い位置に吹き飛ばされていた。

「今田!」

 傍の樹木に体をもたせ掛け、瀬川が叫んだ。

「コードを連続で使ったから、俺はこれ以上追撃するのは無理だ。とどめはお前に譲る!」

「了解!お前ら、こないだの借りは返させてもらうぜ…」

 アンビシャス・ライフルの銃口を、紫と紺の二体のパワードスーツへと向け、

「―『エンドブラスト』!」

 目の覚めるような鮮やかなワインレッドの破壊光弾が勢いよく射出され、二体に命中する。激しい爆発が二人を包んだが、装着解除に追い込むまでには至らない。

「…『クイック』」

 プログシオンの女が呟くように唱える。

「ちょ、まだやる気かよ⁉」

 アンビシオンも高速移動をすべく口を開きかけたが、プログシオンが向かった先は、倒れていたアフェクシオンの女のところだった。バイザーを拾い上げ観察していた松浦がはっと顔を上げて追うが、プログシオンは女を抱えテリジェシオンの元へ戻っていった。女を回収するやいなやテリジェシオンは「スモーク」を発動し、またしても煙に紛れ姿を消してしまった。

「…あーあ、逃げられたか」

「そう気を落とすな。奴らの持っていたバイザーのうち、一つは奪い返すことができた」

 装着を解き残念そうに言う今田だったが、松浦の一言にぱっと振り向いた。

「本当か!?」

「…ああ。景山さんに報告しに行くぞ」

 瀬川も、ややおぼつかない足取りで二人の元へ駆け寄る。

「ちょっと待て、まずはさっきの戦闘が一般人に見られてないか確認してからだな…」

「瀬川、確認しようたってしようがないっしょ。それよりちょっと怪我してるみてーだし、手当優先した方がいいって」

 三人はああだこうだと話し合い、川沿いの道をアパートへと戻って行った。

「皆さんがユーダ・レーボから奪還してくれたパワードスーツ『アフェクシオン』ですが、」

 向かいのアパートの景山の部屋にどうにか全員が入りきると、景山が口を開いた。

「あれは本来、二宮さんが装着者になる予定だったものです。よってこれからは、彼女にもアフェクシオンの装着者として開発に取り組んでもらいます」

 そう言って、景山はにこりと笑った。

「あとは体型に合わせたアーマーのサイズ調整を済ませれば、使用可能ですよ」

「…やったあ!」

 話が終わるが早いか、二宮は両腕を宙に突き上げて歓声を上げた。装着者になって皆とともに戦えるのがよほど嬉しかったのだろう。小柄な彼女がそんなポーズをすると、少し可愛らしく感じられてしまうのは瀬川だけではなかったはずだ。

「…待てよ、てことはこれから俺と千咲ちゃんは開発と鍛錬を両方こなさなくちゃならないってことか」

 今田が苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。確かに、もう二宮がアンビシオンのサポートをする理由はない。むしろ、競い合って開発を進めるという観点から見れば、サポートすることはアンビシオンのデータを盗み見ることと同義になってしまう。お互い、一人でパワードスーツ強化に励むのが自然な流れだ。

「…私も早く戦ってみたいわ」

 ぼやいた森下をちらりと見て、景山は励ますように言った。

「森下さんが装着予定だった『プログシオン』も、アフェクシオンの力が手に入った現状ならばそう遠くないうちに奪い返せると思いますよ。…藤田君が装着者になるはずだった『テリジェシオン』はなかなか手強い敵のようですが、皆さんならきっと倒せるはずです」

 だといいんだけど…と瀬川は心で呟いた。今回と同じ手が、次も通用するわけがない。次に相対した時も勝てる自信は、いまひとつなかった。いや、今回だってどうにか引き分けに近い状態に持ち込んだだけなのだ。今田のフォローがなければ、逆転負けしていた可能性もある。

 バイザーを受け取ってうきうきしている二宮を先頭に、皆は景山の部屋を後にした。

「…そういや、景山さんと直接会って話す機会、最近はなかったな。電話で簡単な状況報告をするくらいか」

 横を歩く藤田に話しかける。彼がテリジェシオンの装着者となる日は来るのだろうか。

「…確かに。きっと仕事で忙しいんだよ。ほら、部屋の様子もあんな感じだったし」

 藤田の言葉に、瀬川は首肯した。プラスチックごみ―現在では生分解性のものが主流らしいが―の入った袋が視界の隅に見えたのだが、食事はコンビニ弁当ばかりのようだった。キッチンにも使われた形跡がほとんどなかった。もしかすると、自炊する暇もないのかもしれない。

「―単に料理が苦手なだけだったりして」

 神妙な顔つきで付け加えた藤田に、瀬川は思わず吹き出してしまった。

 その日は、ユーダ・レーボに一矢報いたということでお祝いムードになった。ただし景山は、「敵にこちらの居場所を突き止められた可能性もあるため、外出時には細心の注意を払い、なるべく二人以上で行動してください」とくぎを刺すのを忘れなかった。


「アフェクシオンが連中の手に渡るとはな…全く、使えない奴らだ」

「それについては、私の部下の失態です。申し訳ありません」

「気にするな。お前を責めているわけじゃない。…さてあの女、どう処分すべきかな。開発中のレアモデルの被検体にでもするか」

「それは良い。組織に貢献できて本望でございましょう」

 男は乾いた笑い声を上げ、言葉を続けた。

「…そうだ、君はプログシオンの記録していた戦闘データをもう見たか?」

「はっ。どうも奇妙な点がございました。アブノーマルモデルを先攻させた結果、クレアシオン程度に倒されております」

「弱らせてから仕留める狙いだったのかもしれんが…あれでは資源と兵力の無駄遣いだ。最初から四人がかりで攻撃すれば勝率は上がったろうに。奇襲用に『ワープ』や『サイレント』を読み込ませたにもかかわらず、奇襲時にそれを使わないで馬鹿正直に正面から仕掛けた点も気になる」

「―仰る通りです」

「単に奴らが無能なだけか?それともわざとやっているのか…だが…そんなことをしても何の得にもならないはずだが…?」

 男は独り言のように呟いた。


「…藤田、クレアシオンを遠距離攻撃ができるようにしてくれないか」

 瀬川は二日後、相棒にこう頼んでいた。

「アンビシオンとアフェクシオンは言わずもがな、エグザシオンも遠距離攻撃のコードを入れてる。俺もそういうの使いたくてさ」

「…ふーん、隣の家の芝生は青いってやつかな?」

 意地の悪いにやにやとした笑みを浮かべる藤田に、瀬川は慌てて付け足した。

「も、もちろんそれだけじゃないぞ。接近戦オンリーで戦うのに限界感じてるってのもある。それに、海人もどんどん強くなってきてるからな」

 これに対し、藤田は穏やかに反発した。

「―テリジェシオンみたいに、武器を投げつけてから『バック』で回収しておけば対応は可能じゃないかな。それに、今『神殺』の強化版を開発中なんだ。現状だと必要なエネルギーの生成に時間がかかり過ぎる欠点はあるけれど、完成すれば強力な武器になる。こちらを優先すべきだよ」

「…ランスの投擲は狙いが定めづらい。主力攻撃としては使えないな。照準補助効果とかがないと難しい。―バイザーの記憶容量にはまだ余裕あるんだろ。だったら、強化版もいいけど別の遠距離技を読み込ませる方が先決だ」

 装着者の視点からの指摘に、藤田は少し考えて了承した。

「そこまで言うならいいよ、やってみる。…その代わりと言ってはなんだけど、昼ご飯買ってきてくれない?」

「お前なあ…まあいいよ、それくらい」

 瀬川は苦笑しつつも了解した。長い付き合いなのだ、藤田がインドア派なのはとっくの昔に知っている。

(…景山さんに単独行動は避けるように言われてるしな…今田あたりを誘ってみるか)


 さっそく、瀬川は今田らの部屋を訪ねた。チャイムを鳴らして名乗ると、二宮がはーいと応じ、ドアを開けてくれた。

「…今田、いるかな?」

「あー、さっきどこかに出かけたみたいです」

 申し訳なさそうに二宮が微笑む。

「そうか…弱ったな」

 事情を察したらしい二宮が、あっと納得したように声を上げた。

「えと、一緒に外出する人を探してる感じですか?」

「あ、ああ。て言っても、昼食を買いに行くだけなんだけどな」

 上目遣いに見つめられ、瀬川は顔が少し熱くなるのを感じた。

「じゃ、私と行きましょうよ!ちょうど、お昼にしようと思ってたんです」

「そうなんだ、助かったよ」

 少し待ってて下さいね、と言って二宮はいそいそと支度を始めた。おしゃれはもちろん、バイザーを隠し持って行くことも忘れない。道中、何が起こるかは誰にも分からないのだ。


「なんか、デートみたいですね」

(……っ⁉)

 瀬川は、隣をてくてくと歩く二宮の不意の爆弾発言に赤面し、同時に吹き出した。二宮が不思議そうに瀬川の方を向く。どうやら相当な天然らしい。後ろで二つに纏めた髪が、風でゆらゆらと揺れている。

「…いや、何でもない。ちょっと思い出し笑いをしてしまってな…」

 適当にその場を繕うので、瀬川には精一杯だった。

「そうですか?…あ、瀬川君、あのお店寄ってもいい?」

 二宮が嬉々として指さす方に視線を向けると、なかなかに洒落た喫茶店風の店があった。

「…え、今?買い物行く途中に?」

「お願い!あのお店、クレープがすっごく美味しいって評判なの」

 きらきらと瞳を輝かせて頼まれれば断るわけにもいかず、二人は店内で一休みすることにした。二宮はクレープとジュースを、瀬川はコーヒーを注文する。おいしそうに食べる二宮を見て、瀬川は微笑ましい気持ちになった。コーヒーも悪くない風味だ。藤田をあまり長く待たせるわけにもいかないので、軽食を終えるとすぐに席を立った。

「…奢るよ」

「え?いいんですか?」

 口調とは裏腹に、表情には申し訳なさが全くと言っていいほどない。むしろ嬉しそうだ。そんな調子の二宮に苦笑し、会計を済ませて店を出ようとした瞬間、不意に肩を叩かれた。それも、やや乱暴な叩き方だった。二宮―ではないだろう。

 不審に思い振り向くと、そこには見覚えのある出で立ちの女が立っていた。黒のスーツにサングラスを掛けている。

「―アフェクシオンの女か。何の用だ」

 ようやく状況を理解したらしい二宮が、不安そうに瀬川とその女を交互に見つめる。女は肩から手を離すと、質問には答えずに小声で言った。

「…無関係の人を巻き込みたくなければ、そこを右に折れた裏路地に来なさい」

 瀬川と二宮は無言で頷き、女の後に続いた。


「―さ、始めようかしら」

 女は細長く伸びた路地に瀬川らと向かい合って立つと、スーツのポケットから瓶を取り出した。何をする気かと瀬川は身構えたが、女のしたことは実に単純だった。瓶から取り出した錠剤を一つ、口に放り込んで嚙み砕く。

 しかし、その行為の結果は複雑怪奇を極めた。

 女の肉体が内部から膨れ上がり、筋肉が大きく隆起する。全身が眩しい光に包まれ、瀬川と二宮は思わず手で顔を覆った。一瞬にして女は人ならざる姿へ変貌を遂げると、サイズの合わなくなった衣服をその辺に放り捨てた。その醜悪な外見のため、服を脱ぎ捨てようが色っぽさも何もあったものではない。体色はこげ茶色で、所々に暗色班がある。腹部は濁った白色だ。以前戦った魚に似た姿の海人よりも鱗が細かく、鋭いかぎ爪も備えている。ナイフのようなヒレの数も増加している。その他の外見は、魚型の海人とほぼ同一だ。

 呆気にとられた二人を前に、変わり果てた女はさっきまでより一オクターブ低い声で言った。

「驚いた?レアモデル、ピラニアベースよ。ノーマルモデルの強化版ってとこ」

「…前に戦ったウニもどきが言葉を話せたからもしやとは思ってたが…海人の正体が人間だったとはな」

 バイザーを左腕に装着し、瀬川が応じた。

「ええそうよ。まあ、最初に襲撃に向かわせたプロトモデルは別だけどね。あれは、動物を使って作った実験体に過ぎないから」

(…ってことは、あのイモリもどき以外の俺たちが倒してきた奴らは…皆、元々は人間だったのか…!)

 込み上げてきた吐き気を懸命にこらえる。今は動揺などしている場合ではない。理屈ではそう分かっていても、心がそれを拒否している。

(俺は…俺は、知らないうちに人を殺めていたのか…!)

「―瀬川君」

 気づくと、二宮が隣に立ち、同様にバイザーを装着していた。

「色々思うところがあるのは分かる。でもまずは、目の前の敵を撃退するのが先決だよ」

 覚悟を決めた二宮を見て、瀬川も再び闘志を取り戻した。そう、後戻りできない道を間違えたのなら、それ以上間違いを重ねないようにするしかないのだ。

「…おとなしくパワードスーツを渡せ」

 ピラニア型の海人は、じりじりと距離を詰めて来た。

「そうはいくかよ…『クレアシオン』!」

「―『アフェクシオン』!」

 白と黄の光のそれぞれ包まれた後、二人はアーマーの装着を完了した。瀬川は「サモン」で十字槍を召喚し、二宮は腰のホルスターから二丁拳銃を抜いて構える。海人が二人に突進し、両勢力が激突した。


「…何をやっている」

「おわっ!?」

 こっそりゲームセンターで遊びほうけていた今田だったが、背後から低い声で呼び止められ反射的にびくっと体が反応してしまった。振り向くと、ジーンズにポロシャツというラフな格好の松浦が後ろにいた。

「景山さんが、言いつけを破って一人で外出したお前を見ていた。それで景山さんが俺に連絡し、お前を追うように頼んだという経緯だ」

(はー…てかよりによって何でお前なんだよ。美人の葉月ちゃんの方がよかった…何なら藤田でもよかった…)

 今田は内心げんなりしながら、松浦の説教を適当に聞き流してゲームを続行した。これが終わったら帰るから、と言うと松浦もしぶしぶ納得したようだった。

 プレイ中だったゲーム―海賊同士が大砲を撃ち合って戦うゲームだった。この時代の有名な漫画のキャラクターが登場するようだが松浦にはさっぱり分からない―に今田がきりをつけたのはそれから十五分後のことだった。

 店を出て、さあこの堅物に連れられて景山さんに叱られに行くのか…としょげていたところ、携帯に着信があった。

「…もしもし?」

『景山です、今田君ですよね?』

「ええ、この度はすいませんでした…」

 平身低頭で謝りつつも、景山の切羽詰まった声の調子から何か起こったのだと察した。

『そのことはもういいです。それより、瀬川君と二宮さんが海人と交戦中なんです!場所を伝えますから、ただちに向かってください』

 大方、通信機能を利用して瀬川が相方の藤田に連絡を入れ、藤田がそれを景山に伝えたのだろう。今田は場所を素早くメモした。

「あの、松浦も一緒にいるんすけど連れてった方がいいっすかね?」

『ああ、そうして欲しい』

 現場はそう遠くないところだ。松浦を先導し急いで向かう最中、突然前方に三体の海人が現れた。三体とも以前撃破したのと同じヒトデ型の怪人だったが、一体はコンバットナイフ、あとの二体はショットガンを携行している。行く手を遮り、威嚇するように武器をこちらに向けている。

「邪魔をするな」

「―それに、そんな付け焼刃じゃ俺たちは倒せないぜ?」

 松浦と今田はバイザーを装着し、

「―『エグザシオン』」

「『アンビシオン』!」

 エメラルドグリーンの装甲の武者と、ワインレッドのアーマーのガンマンが並び立ち、戦闘が開始された。


 ピラニア型の海人―いや、レアモデルピラニアベースの両足が淡く輝き、移動速度が増した。瀬川、二宮も「クイック」を唱えて対抗する。

(―速い!)

 テリジェシオンにはやや劣るものの、かなりのスピードだ。瀬川はぎりぎりのところで回避し、すれ違いざまに槍を素早く横に振って切りつけた。が、さほどのダメージは与えられなかったらしく、すぐに再生してしまう。

「…『ワープ』!」

 二宮がコードを発動し、レアモデルの左斜め後ろに瞬間移動する。気配を感じて女が振り向いたが一足遅く、連続で発動した「フィスト」の一撃をもろに喰らった。さらにアフェクシオンは両手のハンドガンを至近距離から連射する。何発もの光弾を受けてこげ茶色の皮膚から激しくスパークが上がり、レアモデルは呻きながら後退した。

(よし、効いてる…ここで一気に決めてやる!)

 瀬川が女を戦闘不能に追い込むべく、接近し追撃しようとしたときだった。

「……舐めてんじゃないわよ…この程度の攻撃じゃ、あたしを倒すなんて無理」

 レアモデルの体の傷が、うっすらとした光に包まれたかと思うと徐々に再生していく。刹那、再び高速移動能力を発動しアフェクシオンに突進した。

「……っ!」

 二宮は二丁拳銃を駆使して相手を狙い撃とうとするが、敵の回避速度の方が僅かに上だった。弾幕を避けたレアモデルが右腕の鋭いヒレを振り上げ、アフェクシオンの胴体に思い切り斬りつける。

「う、ああ…っ!」

 装甲から大きく火花が散った。二宮はアイレンズの下で痛みに顔を歪め、回避行動を取ろうとするが、相手の間合いに入ってしまった以上逃れるのは困難を極める。続いてもう一撃を加えようとしたレアモデルを止めるべく、クレアシオンが間に入った。

「―『チェンジ』!」

 左腕のヒレによる斬撃を十字槍で受け止め、いなし、手の中で槍を滑らせ回転させる。短槍形態に変化させたクリエイティヴ・ランスを間髪入れずに突き出し、レアモデルの腹部に一撃を加えた。相手が怯んだ隙に再度「チェンジ」で長槍形態へと戻し、応用コードを唱える。

「『神殺』!」

 灼熱の如きオーラを纏った十字槍の先端をレアモデルに向け、クレアシオンは飛びかかった。十字架のように輝く赤きランスが、相手の胸部に狙いを定め勢いよく繰り出される。レアモデルは右腕に生え並んだ幾つもの鋭いヒレに光を纏わせ、その一撃を迎え撃った。

 エネルギーがぶつかり合い相殺され、両者が大きく吹き飛ばされる。瀬川は、ビルの外壁に体を叩きつけられた。衝撃からどうにか立ち直り、状況を把握しようとする。決定打を与えるには至らなかったようだが、少なくとも一定のダメージは負わせられたようだ。女も路地の反対側の建物にもたれかかっており、右手首から出血がみられる。

「―『バレルシュート』!」

 そこで、右前方に立っていたアフェクシオンが機を逃さず応用コードを唱えた。ヒーリング・ハンドガンから放たれた無数のオレンジ色の光弾が、レアモデルを襲う。女は爆発に包まれ、苦痛の叫びを漏らした。

 爆風が晴れ、視界が明瞭になる。瀬川と二宮が身構え相手の様子を窺っていると、足元が多少ふらつきながらも、レアモデルの女はそこに立っていた。

「少しはやるみたいね…今回は痛み分けってことにしときましょう。次は必ず倒す」

 そう言い残すと、女は路上に脱ぎ捨てていた服と錠剤の入った瓶をさっと拾い上げ、大きく跳躍し隣家の屋根の上に降り立った。屋根伝いに高速移動して撤退しようとするレアモデルに、アフェクシオンはさせまいと銃撃を放った。が、掠った程度で、女の足を止めることはできなかった。

「…逃げられたか。なかなかの強敵だったな」

 「バック」を唱えアーマーの装着を解き、瀬川が二宮に声を掛けた。しかし、二宮は装着解除したまま返事をしない。

「……二宮?」

 瀬川は少し顔を近づけ、そしてはっとした。体が小刻みに震えている。両手を胸にあて、顔は俯き気味だ。

「瀬川君…」

 二宮は少し顔を上げ、強張った表情で弱々しく言った。喫茶店で楽しげに笑っていた彼女は、どこへ行ったのだろう。

「私ね、本当は今までよく分かってなかったのかもしれないな…パワードスーツを着て、戦うってことの意味が」

「…二宮…」

「今までは今田君のサポートだけしてればよかったし、どこか他人事みたいに思ってたところがあったのかもしれない。でも、今日初めてスーツを着て戦って分かったの。これは、命の保証なんてない本物の殺し合いなんだって…私、私、なんだか怖くなっちゃって…」

 瀬川は何も言わず、二宮の小柄な肩に手を置いた。

「…怖くて当たり前だ。俺だって怖い。よくこれまで無事にやってこれたなって、時々思うよ。でも、守りたいものがあるから戦える」

「守りたい、もの…?」

 瀬川はふっと微笑んだ。

「この戦いに無関係な人々を巻き込みたいとは思わないし、仕事仲間の皆の、誰も傷ついてほしくない。…皆の笑顔、かな」

「…なんか、かっこいいね。そういう、それっぽいことさらっと言えるの」

 二宮の表情に笑顔が戻った。対して、かっこいいと言われたせいだろうか、瀬川の顔は心なしか赤い。

「…さ、野次馬が集まってくる前に俺たちも行こう。景山さんに報告しなきゃならないことが色々できたからな」

「…うんっ!」

 並んで歩いていく二人は、傍から見れば初々しいカップルのようだった…かもしれない。


 アンビシオンはコンバットナイフを持ったヒトデ型海人一体と、エグザシオンはショットガンを持った残り二体と交戦していた。この海人たちは今田と松浦のパワードスーツのおおよその性能を把握しているらしい。近接型のエグザシオンに対しては距離を取ってからショットガンで攻撃してくるし、遠距離型のアンビシオンには接近してナイフで切りつけてくる。使用している武器も通常のものより強化してあるらしく、パワードスーツ相手にもダメージを負わせられるほどの威力があるようだった。

「悪いが急いでるんだ、ちゃっちゃと倒させてもらうぜ~」

 「ブレード」を発動し、銃剣形態にしたアンビシャス・ライフルで敵の斬撃を受け止め、今田は言い放った。「スマッシュ」と呟き、右足を一歩前に踏み出す。右足で蹴りを繰り出すつもりだと予想した海人は反射的に左へ移動したが、

「…馬鹿、単純なフェイントだっての」

呆れたように言うのと同時、今田は左足で回し蹴りを放った。赤紫の光を帯びたキックを胸部に叩き込まれ、ヒトデ型の怪人は空中に吹き飛ばされた。

「さーてと、そろそろ決めますか」

 銃剣を構え、アンビシオンは銃口を落下途中の海人へ向けた。

「…『エンドブラスト』!」

 いくら高速移動能力があるといっても、落下中に使用し逃走するのは不可能だ。放たれた薔薇色の破壊光弾が怪人を直撃し、再生速度の追い付かないレベルで肉体を破壊する。爆炎に包まれた海人は、路上に落下し破砕音がしたかと思うと動かなくなった。


「『ガード』」

 ショットガンから放たれる弾丸をバリアで防ぎ、エグザシオンは二体の海人との距離を詰めた。二体は高速移動し、また間合いを取ろうとしてくる。

「―『クイック』。『神魔威刀』」

 松浦が二つのコードを併用した。全身が緑のオーラに覆われ高速移動が可能になるのと同時に、刀の刀身を黄緑の光が満たす。

「……はあっ!」

 海人に追いつくやいなや、気合とともに草薙之剣を横一文字に切り払う。刀身から飛ばされた真空波が二体の海人の胴体を横に切断する。地面に倒れてもなおぴくぴくと痙攣しているその上半身を一瞥し、松浦はとどめとばかり胸部を刺し貫いた。完全に活動を停止した二体を見下ろし、松浦が大きく息をつく。そして装着を解き、今田とともに瀬川と二宮のところへ向かおうとしたが、また今田の携帯に着信があった。立ち止まり、通話が終わるのを待つ。

「はい、もしもし…あー、分かりました…はい、失礼しまーす」

「…景山さんからか?」

「おう。海人は瀬川と千咲ちゃんがなんとか追い払ったってさ。君らも早く戻ってこいとのことで」

 松浦は拍子抜けして体から力が抜けそうな思いだったが、決して表には出さなかった。

「そうか、ともかく二人が無事で何よりだ。帰るぞ」

「ああ…それに、なんか大事な話があるっぽかったからなー。俺への説教じゃなくて」


「皆、本当によくやってくれましたね」

 景山は例のごとく全員を自室に集め、満面の笑みで言った。なにしろ、海人を撃退できただけではなく、その正体が人間だったという事実も判明したのだから。敵はどうやら、特殊な錠剤の力によって肉体を変化させているようだ。メカニズムは明らかになっていない。

「皆さんは知らないうちに敵の先兵を殺害していたことにはなりますが…これにつきましては正当防衛が成立するでしょう。気に病む必要はありません。やむを得ないことだったんです」

 少し表情を曇らせて付け加える。瀬川としてはそんな簡単に割り切れる問題ではなかった。それは、今まで一緒に戦ってきた今田と松浦も同じらしい。先刻、足止めしようと立ちふさがった海人三体を倒したという二人は、罪悪感に苛まれているようだった。

「…ともかく、これ以降海人と戦う際は倒すのではなく、できれば生け捕りにしましょう。その上でユーダ・レーボに関する情報を引き出せれば万々歳です」

 景山の決定で多少は罪悪感が薄らぎはしたが、瀬川の心にはまだわだかまりが残っていた。

(…俺は…今まで本当に正しいことをしてきたといえるのか…?)

 ふと肩に優しく手が置かれるのを感じ、振り向くと藤田がにっこりと笑っていた。

「大丈夫。…瀬川は、今まで僕たちを守るために一生懸命戦ってきた。たとえ結果がどうであれ、それはとても立派なことだと思うよ」

 その言葉を聞いて、瀬川は重圧から少しずつ解放されていくのを感じた。

「…いいこと言うじゃん。さすがは俺の相棒だ!」

 二人は顔を見合わせ、笑いあった。これまで共にクレアシオンを創り上げてきたバディの絆が、そこにあった。

「…千咲ちゃんも、なんか一言頂戴?」

「もー、だから皆の前ではその呼び方やめてって…んーとね、今田君さ、戦いを楽しんでた節あるでしょ?功績は否定しないけど、そこは直した方がいいかも」

「…ちょいちょい、ここで説教かよ…ま、気を付けとくぜ」

 藤田の一言で少し場が和んだようだった。それにつられてか、松浦も森下の方をちらっと見た。

「…松浦君もすごく…頑張り過ぎじゃないかってくらい頑張ってたと思うわよ?正直、尊敬してたわ」

「…そうか。ありがとう」

 茶化して褒めてみた森下だったが、案の定の素っ気ない反応にがくっとしてしまう。

(…ったく、尊敬してたのは本当なのに…ちょっとは嬉しそうなとこ見せなさいよっ!)

 森下のそうした葛藤もつゆ知らず、松浦はいつも通り寡黙なスタイルを貫いている。

 そんなこんなで話が終わり、解散となった。瀬川も部屋に戻ったわけだが、

「…あれ?瀬川、僕の昼食はどうなったんだっけ…?」

…大切な用事を忘れていたことに気づいた。帰りにどこかで買ってくることくらい難しくもなかったはずだったが、事態を早く報告せねばと焦るあまり、すっかり忘れていたようだった。藤田に平謝りしていたところ、誰かがチャイムを鳴らした。瀬川が玄関へ向かうと、そこには二宮がはにかんで立っていた。

「あのー、私お昼買うの忘れてて…よかったら、どこかに食べに行きませんか?」

 また同じルートで買い物に行くのは、野次馬が大勢いて面倒だろう。また襲撃を受ける可能性も無きにしも非ずだ。よって、三人で近くのファミレスにいくことで合意が形成された。

「俺はもうご飯済ませてるから、飲み物だけでいいよ」

「瀬川君、せっかくだからこのパフェ食べといた方がいいですよ?今密かに話題なんです」

「…そうか?そんなに美味しい?」

「すっごく美味しいらしいです!…私も今から頼んでみるんですけどね」

 そう言って、二宮はてへっと笑った。ここまで推薦されれば、瀬川としても食べないわけにはいかない。戦闘の後で少し小腹も空いていたし、ちょうどよいだろう。

「…じゃ、俺も頼もうかな」

「…二宮さんはスイーツに詳しいんですね」

「うん!甘いもの好きだから」

 やや遠慮がちな藤田の質問にも、二宮は屈託のない笑顔で答えた。なんだかとてものどかで、微笑ましい光景に思えた。

 戦いの後に食べるスイーツは格別で、瀬川は二宮の助言に従ってよかった、と心から思った。実際、かなりの絶品だった。


「レアモデルピラニアベースの被検体はどうなった?」

「奴らの内、二機と交戦し引き分け、現在は再び潜伏中です」

「役に立たない女だ。アブノーマルモデルヒトデベースは?」

「…倒されました」

「支給した武装は効果はあったか?」

「一定の成果は得られました」

「微妙な言い方だな。まあいい、所詮は量産型、期待しすぎてはいけない。レアモデルの開発を引き続き進めてくれ」 


「…できた!」

 三日後の朝だった。寝る間も惜しんで作業を続けていた藤田が、出し抜けに歓声を上げた。ベッドでまどろんでいた瀬川はびくっとして跳ね起き、辺りを見回した。

「…びっくりさせるなよ。何ができたんだ?」

「―以前君に頼まれたもの…と言ったら分かるかな?」

 作業机の前に座った藤田は、にやりと笑りパソコンを指差した。瀬川は寝起きの頭で知恵を絞り、数秒後には正解に辿り着いた。

「…遠距離攻撃の応用コードか!」

「そう!名付けて…『神殺(ロンギヌス)槍投(ジャベリン)』!」

 瀬川もにっと笑った。

「相棒、いいネーミングセンスしてるじゃん…ておい!?」

 にっこりと笑みを浮かべたまま船を漕いでいる藤田は、ひどく眠そうだった。

「熱中しちゃってちょっと睡眠不足なんだ…少し寝るね」

「おう、分かった。…本当にご苦労様。次あのレアモデルに会ったら、この技で今度こそ戦闘不能にしてやるからな!」

 …と瀬川が言った頃には、藤田は既に深い眠りに落ちていた。瀬川は小さくため息をつき、藤田をベッドまで運んでやった。


 さて、そんなわけでその日の午前中、瀬川は暇になったのだった。二時間ほどして藤田が起きてきたので、軽く朝食を食べてどこかへ行こうという話になった。

(本屋にでも行くかなあ…)

 まだ給料日前なのでそんなに高い買い物はできない。ならばと、比較的近所にある古本屋を選択した。

 店内に足を踏み入れると藤田と一旦別れ、まずは日本文学のコーナーに足を運ぶ。気の向くまま、興味を引かれた作品に手を伸ばし、最初の数ページに目を通す。出だしで大体作品の面白さは決まる、というのが瀬川の持論だ。最初から読みやすかったり、期待させるような展開であれば当たり、文章力の無さが露見しているようなのは外れだ。そうやって作品群をざっと振るいにかけ、面白そうなものを残していく。有名作家の作品らしきものでも、それは同じだ。どんな作家でも、駄作を書くことがないわけではない。

 そうして適当に見繕った数冊を―予算の都合で紙ではなく電子ペーパーの本だったが―を購入し、瀬川は腕時計で時刻を確かめた。まだ午前十一時前だった。帰って昼食の用意をしてもいいが、少し早い。たまには漫画でも読むかと、漫画の並んだコーナーへ足を向けた。

 といっても、瀬川が現代で流行っている漫画に精通しているはずもない。タイトルを見て面白そうだなと思ったのを立ち読みするだけだ。本棚の列を回遊する魚のようにゆっくり移動していると、明らかに見覚えのある人物が視界に入った。後ろ姿なので百パーセントの確信があるわけではなかったが、あのポニーテールの女性はおそらく…

(…森下か?)

 瀬川は無意識的に彼女の方をほんの数秒見ていた。しかし背中に視線を感じたのか、女性は何気なく後ろを振り返り―瀬川と目が合った。間違いなく森下葉月だった。慌てて、瀬川はよっと軽く片手を挙げ挨拶代わりにした。森下はなぜか赤面し、ぎこちなく手を振るのみ。笑顔がどこか硬い。読んでいた本を、裏表紙を上にしてその辺の棚に置いた。

(普通に少女漫画コーナーにいるだけで何をそんなに隠そうと…あっ)

 顔を赤らめたまま、森下は瀬川の方へずんずんと歩いてくる。その時に見えてしまったのだ―「BL」と書かれた小さな札が、さっきまで彼女がいたところにあるのが。

 「ばれたか」と顔に書いてある。一瞬の気まずい沈黙が二人を包んだが、やがて森下は小声で必死に弁明した。

「こ、こういうのに興味あるわけじゃないんだからね!…この時代にもこんなくだらないジャンルあるんだと思ってただけよ!好奇心、そう単なる好奇心から読んでただけなんだから!」

「…おう」

「瀬川今引いた!?別に私、腐女子でもオタクでもないから!特撮の登場人物のカップリングの妄想なんか一切したことないから!」

 例えに妙なリアリティがあるせいで嘘をついてるであろうことがばればれだが、焦りまくっている森下はそんなことに気を配る余裕はなかったらしい。

「…森下、お前ぱっと見真面目そうだけど実はオタ…」

 瀬川は、森下に睨まれたため最後まで言えなかった。森下は羞恥に頬を染め、続けた。

「だったら何よ別にいいじゃない人の趣味なんて…あんただってオタクみたいな一面の一つや二つあるんじゃないの!?」

「そりゃまあ、俺の書いてる小説はオタ臭満載だけどさ…」

 森下は意外そうに、少し目を見開いた。

「瀬川って小説なんか書いてたんだ?知らなかった」

「そういや、言ってなかったな。なんか恥ずかしいだろ、カミングアウトするの」

 実を言うと、完成してから皆には知らせようと思っていたところだった。それまでは伏せておこうと考えていたが、動揺した森下につられたせいか、つい小説のことを口にしてしまった。

「…カ、カミングアウト…まさかここで話をBL路線に戻そうと!?さすがは作家志望、国語力が違うわ…」

「いや、そんな意図ねーけど…それはお前の妄想が逞しいだけでだな。実際、高校時代の俺は別に国語得意だったわけでもなかったし」

「あ、瀬川~!…と、森下さんも?」

 そこに藤田が合流し、ようやく不毛な会話が終息した。


 それぞれが本を買い終えた頃には、正午を回っていた。

「…森下は、今日は一人で外出?」

 ふと気になって瀬川が尋ねた。まさか、と森下は首を振る。

「今田と来てたんだけど、途中でトイレに行ってくるって言ってそれっきりで…先に行って待ってるねって言っておいたんだけど…」

 以前、今田がこっそりゲームセンターに一人で行っていたには周知の事実。今回もまたそんな感じなんじゃないの…とも瀬川は思ったが、真剣に彼のことを案じている様子の森下を見て、余計なことは言うまいと心に決めた。

 結局、その二軒隣にあった定食屋で昼食にしつつ、今田を待とうという方向で話がまとまった。森下は天ぷらそばが運ばれて来るのを待ちながら今田の携帯に電話しているが、今田が電話に出る気配はなかった。

 諦めたように、森下は通話を終了し携帯をバッグにしまった。顔を瀬川の耳元へ近づける。

「…今日のことは他言しないこと」

 極小のボリュームで囁かれたフレーズは、瀬川が今まで聞いた脅し文句の中で随一の迫力があった。状況を呑み込めていない藤田をよそに、瀬川も小声で返した。

「…するわけないだろ」

 じきに料理が運ばれてくると、三人は口数少なに食事を始めた。


「…で?お前は何で俺らのこと尾行してんだ?」

 今田は人気のない裏通りで不意に振り返り、追跡者を見据えた。相手はうろたえた様子をほとんど見せず、それどころかくすっと笑ってみせた。黒のスーツの上下にサングラス。プログシオンの女だった。

「それはもちろん…貴方のパワードスーツを奪うためよ」

 女は足を止めると、左腕にバイザーを装着した。紫の光が全身を覆い、アーマーの装着が完了する。小声で「サモン」を唱え、プルーブ・サーベルを召喚し構える。

 今田も黙って見ていたわけではない。同様にしてアンビシオンを装着し、アンビシャス・ライフルを右手で握る。

「…どうした。早くかかってこいよ」

 数秒が経過しても攻撃の素振りを見せないプログシオンに、今田は多少の苛立ちを見せて言った。そっちが攻撃しないならこっちから行くぞ、というメッセージを言外に滲ませている。

「まあ待ちなさい。下準備ってものがあるのよ」

 そう言うと、女は細身の剣を持っていない左手を高く掲げ、指を鳴らした。

「…来なさい、レアモデルピラニアベース、アブノーマルモデルヒトデベース強化体」

 通りの両側にそびえるビルの上層階に潜んでいたらしい二体が、姿を現し、アスファルトに着地した。一体は、以前瀬川が交戦したという個体で間違いないだろう。聞いていた通りの外見だ。もう一体は何度か戦ったヒトデ型の怪人に似ているが、体色は黒くなっており、全身の突起は鋭い形状へ変化している。

「…ちっ、三人もいるとか聞いてねえぞ!」

 悪態をつき、「ブレード」で拳銃を銃剣形態にするとアンビシオンは三人の敵に躍りかかった。銃撃を放って相手を怯ませると、アブノーマルモデル強化体に斬りかかる。

「まずはお前からだ!」

 以前よりも筋力が強化されたアブノーマルモデルは、ボクシングのような動きで今田にパンチを繰り出してきた。だが、スピードで上回るアンビシオンはそれを難なく躱し、近距離からの射撃を浴びせて追い詰める。援護しようと向かってきたレアモデルには、足首を狙い撃つことでしばらく動きを封じ、対処した。

「強化体って言ってもそんなもんか、大して変わらねえぜ…『エンドカッティング』!」

 今田は、新しく開発した応用コードを唱えた。接近戦にも対応できるよう、先日新たに読み込ませたものだった。銃剣の刃に赤紫のオーラを纏わせると、アンビシオンは地を蹴り、一気にアブノーマルモデルとの距離を詰めた。

「…おらよ!」

 銃剣を振るい三連続で斬撃を浴びせると、怪人の体からは鮮血が溢れ、アブノーマルモデルは声も上げず地面に倒れた。景山に言われた通り生け捕りが望ましいので急所は外したつもりだったが、意識を刈り取ることには成功したようだった。

 直後、背後からプログシオンが斬りかかってきた。ぱっと振り向き銃剣でサーベルを受け止めるが、パワーの差ゆえかアンビシオンがやや押されている。そこに体勢を立て直したレアモデルが加勢し、両手首のヒレを次々に振るって攻撃を仕掛けてきた。今田は巧みに回避しているが、多勢に無勢、反撃の糸口が見いだせないでいた。

「―はあっ!」

 突然、レアモデルの死角にアフェクシオンが出現し、レモンイエローの輝きを纏った回し蹴りを放った。「ワープ」と「スマッシュ」の合わせ技だろう。さすがのレアモデルも反応が遅れ、キックを腹部に受けよろよろと後ずさる。

「今田君、大丈夫⁉他の皆にも連絡しといたから、それまで頑張ろっ!」

 くるりと振り向き、二宮はやや焦ったように言った。それから敵に向き直ると、二丁拳銃をホルスターから抜き光弾を射出した。レアモデルは躱し、高速移動で対抗する。

「ありがとよ千咲ちゃん。仕事が早くて助かるぜ~」

 その背中に声を掛ける。相手が三体だと判明したとき、今田は既に二宮に応援を頼んでいた。二宮がパワードスーツ開発に使用しているパソコンは、パートナーとしてアンビシオンの支援を行っていた時のものと同一。つまり、アンビシオン装着者との通信機能がまだ使える状態だったのだ。「ワープ」により瞬間移動が可能なアフェクシオンだからこそ、早く駆け付けることができたのだろう。

(女の子に助けられるのはちょっと不本意だが…仕切り直しといくか!)

 「クイック」を使いプログシオンから距離を稼ぐと、今田は拳銃を容赦なく連射した。女は避け切れないと判断したか、両手で体を庇うようにして防御する。すると、不意にプログシオンが視界から消えた。今田は撃つのをやめ、辺りを見回した。

(「サイレント」…例の光学迷彩かよ、面倒臭えな)

 だが、効果持続時間はそんなに長くなかったと松浦が話していたのを覚えている。奇襲に警戒し、出てきたところを攻撃すれば…と考えていたが、二宮の悲鳴が今田の思考を遮断した。

「……がっ、あ…」

 スピードでアフェクシオンをやや上回るレアモデルが、銃撃を回避し半ば一方的に攻撃を仕掛けていた。二宮も「ワープ」を使用して迎え撃つが、レアモデルの女は多少光弾を喰らおうとも意に介した様子はない。肉を切らせて骨を断つ、といわんばかりに、左腕のヒレで防御しつつ右腕のヒレで斬りつけてくる。防御力の低く接近戦向きでないアフェクシオンは、攻撃を防ぎ切れていない。

(まずいよ…っ)

 今田の元へ一刻も早く駆け付けようと「ワープ」を連続発動しすぎたため、これ以上コードを使い続ければ、最悪の場合バイザーが作動を停止する可能性もあった。しかし「ワープ」や「クイック」なしでは、相手の動きについていけないのもまた事実。

 その一瞬の迷いが隙を生み、レアモデルの左手首のヒレによる斬撃がアフェクシオンに直撃した。アーマーからスパークが上がり、アフェクシオンは吹き飛ばされビルの外壁に叩きつけられた。

「―千咲ちゃん!」

「…馬鹿め、どこを見ている」

 いつの間にか右斜め後ろに立っていたプログシオンがサーベルで突きを繰り出し、不意打ちを喰らった今田は数歩後退した。装甲から火花が飛ぶ。女は追撃の手を緩めることなく、フェンシングのような動きで次々と攻撃を放ち、アンビシオンも二宮の近くまで吹き飛ばされた。

「終わりだ。―『ワイルドラッシュ』」

「さっさと回収させてもらうわよー」

 プログシオンが応用コードを唱え、プルーブ・サーベルに紫の光を纏わせる。同時に、レアモデルの女も両手首のヒレに淡い光を集め、力をためた。

「…喰らえ!」

 プログシオンは疾駆し今田と二宮に接近すると、サーベルを連続で突き出した。それと同時に、サーベルの刃先から数十センチ先のところに鮮やかな紫の光の刃が生じる。女の動きに合わせて何本もの巨大な光の剣が生成され、まっすぐに突き出される。瞬時に繰り出された連続攻撃の前に、アンビシオン、アフェクシオンはなす術もなかった。 

 その高速の突きでかなりのダメージを与えると、プログシオンは場所を譲るように後ろに下がった。効果持続時間が終了し光の刃が霧散するのと入れ替わりに、レアモデルが二人に飛びかかり、右、左と、光を纏った両腕の刃を大きく振るう。ついにアーマーに亀裂が走り、アンビシオン、アフェクシオンの装着が解除された。

「―諦めてバイザーを渡してくれたら、楽な殺し方に変えてあげるんだけどな…?」

 倒れた二人へと、レアモデルの女がゆっくりと歩み寄った。今田は、冷や汗が流れるのを感じていた。だが、どうすることもできなかった。


「かっこつけるのも大概にしろよ、今田」

 その時、そちらへ駆け寄ってくる足音があった。レアモデルが動きを止め、訝し気に振り返る。

「お前ら…来てくれたのか」

 今田が驚いて見つめる先には、瀬川が左腕にバイザーを装着して立っていた。少し離れた位置から、藤田と森下も見守っている。藤田が手に持っているのは、サポートするためのパソコンだろう。

「たった一人応援に駆け付けたところで、あんたに何ができるって言うのよ」

 嘲笑うように言うレアモデルを、瀬川は怒りを込めて睨みつけた。

「この前の俺とは違う!…『クレアシオン』!」

 白きアーマーを装着し十字槍を構え突進したクレアシオンを、レアモデルは両手首のヒレで迎え撃つ。それを見てプログシオンも戦いに加わった。

 レアモデルとプログシオンが、息の合った連携攻撃で徐々に瀬川を追い詰めていく。瀬川はリーチの長さを主張して戦っているが、手数で劣る分苦しそうだ。

『―瀬川!新規応用コードを!』

「…そうくると思った。やっぱ、切り札は使うべきところで使わないとな!」


 プログシオンのサーベルをランスの柄で受け、瀬川は藤田と短い通信を終えた。そして槍を持つ腕に力を込め、サーベルを払いのけてからそのコードを唱えた。

「―『神殺(ロンギヌス)槍投(ジャベリン)』!」

 クリエイティヴ・ランスが蒼炎を思わせる眩しいオーラに包まれ、クレアシオンは十字槍を右手のみで持ち、投擲モーションに入った。それと同時に瀬川の視界にポインターが表示され、標的の照準が補助される。

それを見て形勢不利と判断したか、プログシオンの女は「サイレント」を唱え姿を消した。残されたレアモデルは自分が見捨てられたことを悟り、慌てて自分も逃走を開始しようとした。

「…嫌だ…私は、ただの実験体として一生を終える気はない!絶対に、生き延びて…っ!」

 レアモデルの両脚が淡く輝き高速移動の能力が発動され、韋駄天のごとく走り出した。

(―ロックオン、完了)

 瀬川は瞬時に照準を合わせると、渾身の力を込めてランスを投擲した。青の炎に包まれた十字架は一瞬のうちに逃走中のレアモデルに到達し、その腹部を槍先が貫きブロック塀に縫い止める。傷口から鮮血が溢れ、女は苦痛に悶えた。

「…『バック』」

 十字槍から蒼炎のオーラが分離、霧散するとともに、それは瀬川の手の中に再び収まった。槍を引き抜かれたことにより、レアモデルの腹部からはさらに血が噴き出す。女は憎々し気に瀬川を見上げた。もう抵抗する力は残っていないようだった。

「なぜ、一思いに殺さなかった…あんたには、それが、で、きた、はずだ…」

 時折口から血の塊を吐き出しながら、女は瀬川に問うた。再生能力により傷が少しずつ癒えてはいるものの、完全に回復するには相当時間がかかるだろう。

「…苦しい思いをさせてすまないと思ってる。でも、ユーダレーボについての情報をあんたから引き出すためにも、生かしたまま捕獲するしかなかった。そうするようにとの指示だったんだ」

 瀬川は槍の先端を女に向けたまま通信機能を使い、ワールドオーバーに連絡するよう藤田に伝えた。もうしばらくもしないうちに、ワールドオーバーの職員がレアモデルの回収にやって来るはずだ。

「…はは、そうかい…は、はは。ははははは」

 だが女は突然けらけらと笑いだすと、両手両足をアスファルトに投げ出して横になった。流れる血が、路面を赤黒く染めてゆく。

「残念だけどそれは無理だよ。なぜなら、あたしが秘密を話すことは絶対にできないからさ」

「…どういうことだ」

 女は瀬川の質問には答えず、ぼんやりと空を見つめた。ガラス越しに見える空は雨模様だった。コロニーの外では、またスコールでも振っているのだろう。

「用済みとみなされたモデルは、上の判断で処分されちまう。さっき逃げたあいつが、今頃あたしのことを報告してるはずよ。上層部はあたしの戦闘データにしか興味ないんだから…っ⁉」

 女は急に胸を押さえ苦しみ始めた。アスファルトの上をごろごろと転げまわる。その表情には、苦痛がありありと滲み出ていた。

「…お、おいしっかりしろ!」

 駆け寄ろうとした瀬川を、女は手で弱々しくもきっぱりと制止した。

「―無駄だよ。あたしはもう死ぬ。あんたには助けられない…」

 やがて女の上げた手がだらりと下に落ち、その呼吸が止まった。瀬川は呆然とし、しばらくその場から動けなかった。


「解剖の結果、あの海人は強い電気ショックを受け殺されたと分かりました」

 翌日、景山は前回と同じように瀬川らを自室に集め、伝達した。

「海人の体内に埋め込まれている制御チップ…あれには、遠隔操作で瞬間的に強い電流を発生させられる機構が組み込まれているようです。上層部の判断で、口封じのために部下を切り捨てられるわけですね」

 そう言って景山はため息をついた。瀬川もそうしたい気分だった。仲間を簡単に切り捨てるなど、とても人間の所業とは思えない。

「…やむを得ません。今後、生きたまま捕獲するのはほとんど不可能と考えていいでしょう。今田君が先に倒していたアブノーマルモデルも、同様に電気ショックを受け死亡したようでしたし」

 暗い雰囲気のまま、ミーティングは終了した。結局、自分たちは生きるために誰かを殺さねばならないのだ。そして、ユーダ・レーボの情報を集める手段もなくなった。


「―今田、」

 各自の部屋へ帰る途中、森下は背中越しに呼び止めた。今田が振り向き、目で先を促す。

「…私に伝えてくれてたら、松浦を応援に呼ぶことだってできたのに」

 むすっとして森下が言うと、今田は困ったような表情になった。

「…や、尾行には気づいてたけどまさか三人もいるとは思わなくてさ。俺一人でも余裕っしょーとか勘違いしてたぜ。…それに、葉月ちゃんを巻き込みたくなかったし」

 頭を掻き、呟くように付け加えた。

(な、何よそれ…最後の方ちらっと見つめてくるのとかもう反則すぎ…あー、所謂胸キュンだわ…これは)

 思わずドキッとしてしまった森下だったが、すぐに我に返って言った。

「…わ、私は、仲間が必死に戦ってることを知らずに自分だけ安全地帯にいたくなんかない。もうこんなことはしないでね。次は、私も一緒に戦う」

「おう、頼もしいなあ葉月ちゃん」

(何なのよ、その馴れ馴れしい呼び方は…あんた、全女性を下の名前で呼ぶの⁉)

 しかし、なぜか嫌な感じはしなかった。それが淡い恋心なのかどうかは、森下自身にも判然としなかった。

 部屋に戻り、作業の最後の仕上げに入る。

「…松浦、新しい応用コードできたわよ」

「…分かった、ありがとう。どういうやつだ?」

 相方に新しいコードの効果や使い方を説明し終えると、森下はまたすぐに自室に引っ込んだ。二人の間には確かに強い信頼関係があったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。


「レアモデルは倒されたか」

「はっ。強化体も及びませんでした」

「プログシオンが奴らの手に渡らなかったのは幸いだったな。今回はあと一歩だっただけに惜しいところだ」

「仰る通りです」

「今回は作戦の性質上テリジェシオンは投入できなかったが、次は奴も使うぞ」

「はっ」

その次の日の朝のことだった。今田と二宮が、瀬川と藤田の部屋を訪ねたのは。

「―まあ、昨日は色々と世話になったじゃん?ほんのお礼だ」

 今田はバッグから男性向けのファッション誌を取り出すと、瀬川に渡した。

「お前ら服のセンス微妙だから、それ読んでセンス磨いとけ」

「ありがたいけど一言多いっての…」

 瀬川はぶつぶつ言いながらページをめくった。今季のトレンドはどうだのと書かれてあるが、正直自分のいた時代の感覚とはどこかずれているように思えた。あまりやってみようという気はしない。だが今田はそうではないらしく、今日も赤系の洒落たコーデをしている。

「…あの、私もおいしいお店また紹介しようかなーと思ってて…」

 二宮が言いかけたとき、またチャイムが鳴った。今度は誰だと瀬川がドアを開けると、やや緊張した様子の森下がいた。

「昨日のことで、その、今田にお礼しなきゃなって思って来たんだけど…こっちに入って行くのが見えたから…」

 今田は最初意表を突かれたようだったが、

「俺は当然のことをしたまでだが、葉月ちゃんの気持ちにも応えないとな。…ちょっと出かけるか?二人で」

「え、でも…」

「いいからいいから。なんか奢るぜ」

―すぐに森下の手を取り、部屋の外へ向かった。不意に手に触れられたためか、森下が「ふえっ⁉」と意味の不明確な小さな叫びを漏らす。

(ちょ、ちょっと待って、これじゃまるでデートじゃない…っ!私、別にそんなつもりじゃなかったのに…)

 頬を赤らめた森下は、今田に連れられて出かけてしまった。「冴えない男どもはオシャレに励んでおくんだな」と憎たらしい捨て台詞を残し、今田は彼女とアパートの階段を下りていく。森下の横顔がちらりと見えたが、多少恥ずかしがりながらも嬉しそうに微笑んでいた。

「あいつ…絶対狙ってるだろ」

「そうだね…」

 瀬川と藤田はぽかんとしたまま二人を見送っていた。嵐が去り、後に残された三人は束の間の沈黙に包まれた。

「えーと、じゃあ私も瀬川君にお礼しようかなー」

 いたずらっぽく笑う二宮に、瀬川は思わずドキッとしてしまった。

「昨日助けてもらったのは事実だし、今度は私が何かおいしいもの奢っちゃおうかなー、なんて」

「…いや、そこは俺が出すよ。藤田も来るか?」

「…今日は遠慮しとくよ」

 何か用事でもあるのか…と聞こうとして思いとどまった。藤田が熱心にファッション誌を読んでいる最中だったからだ。

「ちょっと読んでみたけど、これなかなか面白くてね。もし戦いになったら、サポートは任せて」

「おう。…じゃ、行こうか、二宮」

「―はい!」

(あれ、待てよこれってもしかしてデート…)

 瀬川が状況を再認識しやや赤面したのを、二宮は気づかない様子で先に外へ出た。

「早く行きましょうよー」

 無邪気にぶんぶんと手を振る彼女に、瀬川は笑みを返した。

「…ああ。準備したらすぐ行く!」


 今田と森下は、喫茶店に入り軽食を取っていた。今田はコーヒーとサンドイッチ、森下はコーヒーフロートとホットケーキを注文している。今田は奢ると言ってくれたのだが、やや値段が高めの店であったためさすがに申し訳なく、森下は割り勘にすることで合意を得た。その代わりに今田より高いのを頼んでいる辺り、ちゃっかりしている。

 二人は他愛のない話をしていた。相方との生活のこと。最近はまっていること。森下が愚痴を言ってしまっても、今田は相槌を打ちながら熱心に話を聞いてくれた。もっとも、それは今田に多少の下心があったからかもしれなかったわけだが、恋愛に関しては意外と奥手な森下には、そこまで邪推することはなかった。

 会話は滑らかに続いた。不思議なことに、話のタネが尽きることがなかった。

(―今田と一緒にいると、すごく楽しい…)

 森下はこの時代で目覚め新しい生活を始めてから、初めて素直にそう思った。そんな感情を、長い間抱いてこなかったような気がした。


 同時刻、瀬川と二宮はバスで繁華街へ向かい、街をぶらついていた。

「あ、ここです!評判のお店!」

 二宮の案内で、その筋では有名らしいアイス専門店に入る。メニューを見ると中には見慣れない名前の味もあったが、二宮の助言を参考にして各自ダブルを頼んだ。

「…うん、おいしいなこれ」

「でしょ?もう最高ですよー」

 幸せそうにアイスにかぶりつく二宮を見ているだけで、瀬川は心が癒されるように感じた。

「…でも、本当に奢ってもらっていいの?私が瀬川君にお礼するはずだったのに…」

「いいんだって。男ってこういう時、かっこつけたくなる生き物だからな。俺が好きでやってることだ」

 君といるだけで楽しい、それが充分なお礼になってる―などという甘い台詞がふと浮かんだが、まさか口に出すはずもない。すぐに選択肢から消去した。そういう甘ったるい言葉は、恋愛小説の中にだけ登場させておけばいいのだ―多分。

「…大体の場合、それは女の子にいいように利用されてるだけって見方もあるけどね」

 二宮がふふっと笑って言った。

「…この場合はどうなんだろうな」

「…さあ、どうでしょう?私は性格悪い方じゃないよー、とだけ言っとくね」

 二人はくすくすと笑い合った。

「―さて、食べ終わったけどまだ時間余ってるな。せっかく街に出てきたんだし、映画でも行くか?」

「あ、行きたい!実はちょっと気になってるのがあってね…」

 というような流れで、近辺の映画館へ足を延ばすこととなった。流行りっぽい青春ものの映画を一本見る。内容は、偶然タイムトラベルした主人公が五年後の未来に行くというものだった。そこで主人公は、自分の愛する女性が五年後には何者かに殺害されており、犯人はまだ捕まっていないのだと知る。誰が最愛の人を殺したのかを突き止め未来を変えるため、主人公は現代に戻り運命と戦う―そんな話だった。上映が始まると一気に映画の世界に引き込まれ、最後まで飽きさせなかった。

 帰りのバスの中で、瀬川は二宮と映画の感想を言い合った。平日の朝なので、車内は閑散としている。

「面白かったな。特にクライマックスでの健吾のあの台詞…」

「そうそう、何だっけ、『たとえ片思いでも構わない』?」

「それそれ!最終的に恵理からの愛は得られなくなるとしても、恵理を守りたいって…もう泣きそうだった」

「…私、あそこでは泣いちゃった…あー、思い出したらまた涙が…」

「…ちょ、大丈夫⁉」

 わあわあと話し合っているうちに、アパートに帰り着いた。時刻は昼過ぎ。二宮と別れて部屋に戻る。

「ただいま」

「―お帰り!」

 やけに機嫌がよさそうな藤田の声がしたが、理由はすぐに分かった―ファッション誌の影響で妙にヘアスタイルが決まっているのだ。昼食も作っておいてくれたらしい。瀬川は、イメチェンした藤田をからかいながら食事を取った。思い出すのは、先刻までの楽しい時間だった。


 昼食を食べ終わった頃、瀬川の携帯に着信があった。画面を見ると、景山からだった。メールでなく電話で連絡してきたということは、よほど緊急の事態なのだろう。

「―はい、瀬川です」

『瀬川君、市街地で海人らしき怪人が暴れているとの情報が入りました。松浦君は既に向かっていて、今田君も現場付近におりこれから行くそうです。二宮さんを連れて、すぐに現場に向かってください』

 それから、景山は詳しい場所を伝え、瀬川はそれを素早くメモした。

(ここって…このコロニー内で一番ってくらい商業施設が多いエリアじゃないか。ユーダ・レーボは、活動を表沙汰にしたくないんじゃなかったのか…?)

 今までの敵組織の動向を思い返せば、人気のない場所を選んで作戦を決行しているのは明らかだった。急に方針を変えたというのはやや解せない思いがするが、今はあれこれと推測している場合ではない。

「…分かりました!」

 通話を終了し、藤田に手短に事情を話す。バイザーの入ったバッグを引っ掴み、玄関に向かった。

「サポートは頼んだぞ!」

 続いて二宮の部屋のインターホンを鳴らし、景山の話の要点を伝える。二宮もすぐに用意を整え、ドアを開けた。

「…急ぎましょう!」

「ああ!」

 ちょうど近くを通りかかったタクシーを止め、二人は中に飛び乗った。


「―パワードスーツの装着者はどこだ!」

 レアモデルブラックバスベースは野太い声で叫び、無茶苦茶に両腕を振り回した。両腕の鋭いヒレが触れる物を一瞬で切り裂き、ショッピングモール内は大混乱に陥っていた。

 さらにレアモデルは近くの柱を蹴り飛ばして破壊し、その破片を買い物客の頭上に降り注がせた。中には親子連れもいたが、男に一切の容赦はない。間もなく立て続けに悲鳴が上がった。

「さっさと出てこねえと、一般人にも被害が出ちまうぞ!」

 レアモデルは吠え、目に付いたものを片っ端から破壊していった。ブラックバスベースはピラニアベースと比べ全身の皮膚が黒く、より筋肉が隆起している。スピードではやや劣るが、パワーを強化したモデルだ。その怪力を存分に発揮し、男は与えられた任務を着実に遂行しているところだった。

 その恐怖に支配された空間に、足を踏み入れる者がいた。自動ドアに開く微かな音とともに、一人の男が中に入ってくる。入り口からそう遠くないところ年配の女性が倒れているのに気づくと、急いで助け起こした。

「大丈夫ですか?怪我はしていませんか」

「足を少し痛めてしまって、歩けないの。…でもあなた、私のことはいいから早く逃げなさい。私を連れて逃げたら、あの怪物から逃げ切るのは無理でしょうし」

「…怪物?」

 老婦人は痛みに顔をしかめつつ、小さく頷いた。

「そうよ。私見たの。スキンヘッドの男の人が、上着から何か取り出して口にしたと思ったら怪物に変わってしまったの。私、逃げようとしたけど足に怪我をして、ここまで来るのが精一杯だったわ。もうすぐこっちにも来る、ね、お願いだから早く逃げて…」

 松浦は老婦人の嘆願には答えず、海人が今まさに暴れているであろう、破壊の音が響いてくる方向を険しい表情で見つめた。

「―近くに何件もモールがあったから探すのに少し手間取ったが、やはりここで間違いないようだ」

 呟き、婦人を助け起こし、壁にもたれ掛けさせる。戸惑った様子の婦人に、松浦は微笑みかけた。

「…ここで、待っていて下さい。俺が奴を止めてみせます」

 後方で老婦人が何か言っているのも気にせず、松浦は全力で海人のいる方へ疾駆した。走りながら、左腕にバイザーを押し当てる。固定バンドが伸び、装着が完了するやいなや、松浦は第一の基本コードを唱えた。

「―『エグザシオン』!」

 全身がエメラルドグリーンの光に包まれ、侍の如き姿の戦士が顕現する。「サモン」で草薙之剣を召喚すると、ついに海人を視界に捉えた。

「…そこまでだ。俺が相手になろう」

 レアモデルは、商品陳列棚をおもちゃで遊んでいるかのように軽く薙ぎ倒している最中だったが、破壊の手を止めゆっくりと振り返った。エグザシオンの姿を認めると、にやりと笑う。

「ようやくお出ましか。待ちくたびれたぜ」

 男は首をゴキゴキと鳴らし、両腕を前で隙なく構えた。

「…待ちくたびれただと?俺を誘い出すために、こんな大掛かりなことをしたというのか」

「ああそうさ。上は手っ取り早く戦闘データを収集したいらしいからな、効率よくお前らを呼び出すにはこうするのが一番だ。そうだろう?」

「―貴様…」

 悪びれる素振りもない男に、松浦は今までにない怒りを感じていた。先ほど出会った老婦人の苦しそうな顔が、脳裏に浮かぶ。無意識のうちに、刀を握っていない左手を強く握りしめていた。

「貴様のような卑劣な奴だけは…俺が絶対に許さん!」

「…はっ、こっちは誰に許されるつもりもねえよ!」

 エグザシオンが猛突進し斬撃を放ったのと同時、レアモデルも右手首の大きなヒレで応戦した。


「…どうしたそんなもんか?もっと俺を楽しませてみろ!」

 レアモデルは笑い、左拳を振るった。松浦は咄嗟に「ガード」を唱えバリアを展開した。緑の障壁がパンチを防ぐ。その隙に反撃しようと刀を横薙ぎに切り払おうとした瞬間だった。

「―まだまだ!」

 レアモデルの拳が淡い光を帯び、破壊力が増強される。威力を増幅したアッパーカットがバリアを突き破り、攻撃を予測していなかった松浦を後方へ大きく吹き飛ばした。

「…くっ…」

 松浦は立ち上がり刀を構え直したが、体力の消耗を隠せていない。相手はエグザシオンをやや上回るほどのパワーを誇っており、単純に力をぶつけ合えば不利になるのは自明だった。レアモデルが接近し、蹴りを放ち追撃しようとしたときだった。

「―助太刀するぜ!『アンビシオン』!」

 赤紫のアーマーを装着した今田が現れ、海人の背に光弾を連射した。攻撃の動作が止まりわずかによろめいたレアモデルに、機を逃さず松浦は一太刀を浴びせた。相手の強固な黒い皮膚からスパークが飛び、レアモデルはさらに数歩後退した。

「『ブレード』!」

 拳銃を銃剣形態に変え、アンビシオンは敵に斬りかかっていった。

「そいつに接近戦を挑むのは不利になるだけだ!お前は遠距離から俺を援護しろ!」

 松浦は今田に呼びかけ、自身も攻撃に参加した。

「…しょうがねえ、ここは主役の座を譲るとするか」

 斬りかかるのをやめて銃撃でレアモデルを牽制すると、アンビシオンは後衛の位置へ、エグザシオンは前衛の位置へ移動した。

「…何人で来ようと同じだ。仕切り直しと行くぞ!」

 レアモデルは体勢を立て直し、松浦へ再度攻撃を仕掛けた。


 一方その頃瀬川と二宮は、逃げ惑う人々の流れに逆らって進み、ショッピングモールの入り口に辿り着いたところだった。足早に中に入ろうとするが、警備員らしき男に行く手をやんわりと阻まれた。

「現在、関係者以外立ち入り禁止となっております。ご遠慮下さい」

 瀬川は踵を返し警備のされていない出入り口を探そうとしたが、直後に建物内から轟音と悲鳴が聞こえ、動作を一瞬止めた。

(中で人が海人に襲われているかもしれないってのに…何でこの警備員は助けに行かない?なぜ呑気に入り口を守っている?)

 表情が強張るのが自分でも分かる。何かがおかしい。

「―おや、どうやらばれてしまったようですね。少しは時間稼ぎになると思ったのですが」

 警備員の―いや、その変装をした男は、瀬川の心を読んだかのように不敵に笑った。そして、制服の内ポケットから取り出した錠剤を口に含み、噛み砕く。筋肉が隆起して肉体が膨張し、全身が黒っぽい皮膚に覆われる。瞬時にアブノーマルモデルヒトデベース強化体へと変貌を遂げた男は、瀬川に殴りかかった。

「……っ!」

 バイザーを装着してはいたものの、コードを唱えアーマーを装着するのが間に合わない。上体を逸らして間一髪で回避し、カウンターで蹴りを決めたが、強化体の堅固な皮膚にはまるで効いていない。ヒトデベースは瀬川の首元を両腕で掴むと、ぎりぎりと締め上げた。気管をものすごい力で圧迫してくる。

「ぐ、あ……」

 発声しコードを入力することができなければ、そもそもパワードスーツを纏い戦うことはできない。懸命にもがく瀬川をよそに、海人は今まさにその息の根を止めようとしていた。

「―『アフェクシオン』!」

 その時、黄のアーマーの装着を完了した二宮が「ワープ」で敵の背後に移動し、相手が振り向くよりも早く「スマッシュ」を放った。橙色のオーラを纏った回し蹴りが背中にクリーンヒットし、アブノーマルモデルは呻いて両手を瀬川から離し、後退した。

 瀬川が咳き込みなんとか呼吸を回復しようとしていると、二宮がその前に立って言った。

「…瀬川君、ここは私に任せて先に行って!」

「…分かった。ここは任せる!」

 どうにかダメージから立ち直った瀬川は、多少ふらつきながらも出入り口の自動ドアを通り抜けた。

「―!行かせるわけには…」

 再び行く手を遮ろうとする海人の真横にアフェクシオンは瞬間移動し、ホルスターから抜き放った二丁拳銃で連射を浴びせた。多数の光弾を胸部に喰らい駐車場を転がった海人を見下ろし、二宮は言った。

「あなたの相手は私よ!」

 ヒトデベースは立ち上がると、唸り声を上げ、

「ちっ…邪魔をするな!」

と言うが早いか二宮に猛突進する。

「こっちの台詞です!…『クイック』、『ワープ』!」

 レモンイエローの光に包まれたアフェクシオンの姿が消えたかと思うと、海人の頭上に現れた。そこで両手に持ったハンドガンから光弾を連続射出し、さらに瞬間移動を行う。

 「クイック」の効果持続時間内に、あらゆる角度から可能な限りの瞬間移動と銃撃を行い、二宮は一気に畳み掛けた。回避も反撃もできず再生も間に合わず、海人は一方的に攻撃を受けるのみだった。ついに膝をついた怪人に、「クイック」の効果が切れた二宮が走り寄り、その胸部にヒーリング・ハンドガンの銃口を押し当てた。

「―やあっ!」

 零距離から放たれた二発の光弾が海人の心臓を正確に撃ち抜き、制御チップの砕ける音とともにアブノーマルモデルは崩れ落ちた。


 レアモデルの繰り出した鋭い殴打が、エグザシオンを正確に捉えた。松浦を後方に吹き飛ばしたブラックバスベースは、援護射撃に徹していたアンビシオンにも突進し蹴りを見舞う。男はいつの間にか高速移動能力を発動していたらしく、一瞬で間合いに入った。今田は避け切れず、腕で体を庇い衝撃を軽減するので精一杯だった。それでも、壁に叩きつけられるくらいの破壊力は残っている。

「―待たせたな!」

 そこに瀬川が走り寄り、「クレアシオン」と唱え純白のアーマーを身に纏う。「サモン」でクリエイティヴ・ランスを召喚すると、レアモデルに猛然と向かって行った。勢いよく突き出された槍先が、体を沈ませた相手の肩を掠める。その姿勢からアッパーカットを繰り出そうとしてきた海人の攻撃をきわどいところで躱し、槍を手の中で回転させ石突を叩きつける。だが、ブラックバスベースにあまり怯んだ様子はない。

「…おら、お返しだ!」

 そこで、今田が撃ち出した真紅の光弾が数発、レアモデルの背に命中する。足元が僅かにふらついた海人に、体勢を立て直した松浦も上段から刀を振り下ろし一撃を加えた。胸部の硬い皮膚から火花を散らし後ずさる海人を、アンビシオンが後ろから羽交い締めにする。

「今だ瀬川、とどめを刺せ!」

 力では劣るアンビシオンでは、そう長い時間相手を拘束しておくことはできないだろう。このチャンスを無駄にすることはできない。

「ああ!」

 瀬川が十字槍を構え、応用コード「神殺」をまさに唱えようとした瞬間だった。


「―『デモンズスパーク』」

 どこからか放たれた閃光が、瀬川たちの視界を奪った。あまりの眩しさに、目が眩み正常に機能しないのだ。視力が回復するには、もうしばらく時間がかかりそうだった。

「うえ…何だよこれ、聞いてねえぞ」

 近くで苛立ちを露わにしているこの声は、交戦中のレアモデルのようだった。不幸中の幸いか、先程の攻撃には彼も巻き込まれていたらしい。男は混乱に乗じて無茶苦茶に手足を振り回し、どうにか今田の拘束から逃れた。

 遠くから、カツカツという足音が近づいてくる。先刻、コードを唱えたあの無機質な声の主だろう。そして、その正体の検討が瀬川にはついていた。

「…テリジェシオンか?」

 慎重に口を開く。やや前方で足音が止まった。

「…ご名答。だが、私が誰か分かったところでお前たちに勝機はない。…さっきの目眩ましの効果で、お前たちの視力は少なくとも五分間は回復しないからな。それだけあれば十分だ」

 テリジェシオン第二の応用コード、「デモンズスパーク」。使用武器タクティック・ダガーの先端から閃光を広範囲に放って目を眩ませ、相手の視界を一時的に封じる技だ。

 テリジェシオンはレアモデルを巻き添えにしたことは大して気にしていない様子で、ダガーナイフを両手に構え瀬川らに攻撃を加えようとする。

瀬川は闇雲にランスを振り回したが、目の見えない状態ではやはり当たるはずもない。逆にテリジェシオンが素早く繰り出した斬撃を何度も喰らい、装甲からスパークを上げ建物の床を転がった。

「畜生、せこい技使いやがって!」

 今田は焦ったように拳銃を乱射した。だが銃口を向ける方向がまるででたらめで、テリジェシオンには掠りすらしない。テリジェシオンは嘲笑うような声を発すると、二つの基本コードを同時に発動した。

「『クイック』、『フィスト』」

 テリジェシオンの全身が青紫の光に包まれ、五秒間の高速移動能力が付与される。さらに、さらに両腕の肘から先が青のオーラを纏う。床を力強く蹴り、高速移動して一瞬でアンビシオンとの距離をゼロにすると、テリジェシオンは両の拳を何度も連続で叩き込んだ。

「う…あああああっ!」

 強烈な連打をまともに受け、アンビシオンはコンクリートの壁に叩きつけられた。衝撃に耐え切れずに壁が崩れ、倒れる。ダメージを負った今田の方を見向きをせず、紺のパワードスーツはエグザシオンにもダガーナイフによる連撃を加えた。抵抗できない松浦に防御手段はほとんどなく、間もなくエグザシオンも床に倒れる結果となった。

「…フン、所詮お前たちでは私には勝てない」

 さらにコードを唱えようとしたテリジェシオンを、レアモデルが押し退けてその前に出た。再生能力の高さゆえか、既に視力が元に戻ったらしい。両手首のヒレに光を集め、切断力を最大まで高める。

「邪魔するな、これは俺に与えられた任務だ。上の指示でバックアップに来たのか何だか知らんが、とどめは俺が刺す」

「…私のフォローがなければ今頃君は死んでいたというのに、随分と態度の大きい男だ」

 テリジェシオンの男は、呆れたように肩をすくめた。好きにしろ、という意味らしい。彼の吐いた皮肉を無視し、レアモデルは松浦の方へ向き直った。

「まずは、一番最初に現れて俺の機嫌を損ねた…お前からだ!」

 レアモデルはナイフのような形状の右手首のヒレを振り上げ、エグザシオンの首元へ一気に振り下ろした。


「―『神殺・槍投』!」

 しかし、その刃が松浦へ届くことはなかった。

 その前に、青き炎の如きオーラに包まれたクリエイティヴ・ランスの先端が、レアモデルの腹部に深々と突き刺さっていたからだ。見れば、クレアシオンがランスを投げつけた瞬間の姿勢で立っている。

「何…?」

 信じられない、という表情を浮かべ、ブラックバスベースが膝をつく。傷口からは多量の鮮血が溢れ出ている。テリジェシオンもうろたえた様子だ。

「何故だ…お前の視力は、私が完全に奪ったはず!こんな数十秒間で回復することなどあり得ない!」

「…馬鹿、回復なんてしてねえよ」

 瀬川は、声の聞こえた方向に顔を向けた。投擲姿勢を崩し、右手を下に下ろす。まだ目はろくに見えず、ぼんやりと霞んだ景色が映るのみだった。

「…俺の戦闘をモニターしてる相棒に、大体の敵の位置を聞いたんだ。当たるかは賭けだったが、あとはこの応用コードの照準補助機能がどうにかしてくれた」

 淡々とした口調で種明かしをし、小声で「バック」を唱え十字槍を手元に引き戻す。腹部から槍が引き抜かれた激痛に、レアモデルが呻くのが聞こえる。

「…なるほど、考えたものだな。だが、私の高速攻撃までも相方君に見切れるか…」

 感心した風にテリジェシオンが呟き、すぐまた攻撃姿勢を取ろうとしたその時だった。

「―『神魔威刀』!」

 荒い息をつきながら再び立ち上がったエグザシオンが、刀身にエメラルドグリーンの光を纏わせ、すぐさま草薙之剣を横に切り払った。生成された真空波がレアモデルとテリジェシオンを襲う。予想外の攻撃に二体は対応できず、斬撃を喰らって後方へ飛ばされた。

「…瀬川、礼を言う。お前のアイデアを使わせてもらった」

 松浦は朧げな視界の中瀬川の方を向き、アイマスクの下で笑みを浮かべた。瀬川も同様に笑みを返す。あの時、瀬川は単に種明かしをしただけではなく、同時に仲間に攻略法を伝えてもいたのだった。通信機能で相方と連携し、敵の位置を掴め、と。

「…瀬川君お待たせ!…あ、今田君大丈夫⁉」

 「ワープ」を使いひょっこりと参戦した二宮だったが、足元に伸びていた今田に気づき助け起こした。今田がゆっくりと上体を起こす。

「…千咲ちゃん、俺なら大丈夫だ。さっさとやっちゃってくれ!」

「了解!なら…『バレルシュート』!」

 両手に構えた二丁のハンドガンが橙色の光を帯び、無数の光弾をレアモデルら目がけて発射する。対してテリジェシオンは突然ブラックバスベースの首元をぐいと掴むと、その体を自分の前に無理矢理持ってこさせた。

「……っ、お前…っ!」

 男はアイマスクの奥でにやりと笑い、力を緩めようとしなかった。

「―私に逆らった罰だ。せいぜい役に立ってくれよ」

 抗う暇もなく、レアモデルはテリジェシオンの盾となり何発もの光弾の直撃を受けた。辺りに男の絶叫が響く。たちまち蜂の巣となり、ぐらりと崩れ落ちた海人の胸を、テリジェシオンは容赦なく踏みつけた。制御チップの砕ける音がし、怪人が静かになる。

「な…」

 その光景を、唯一視力が損なわれていないアフェクシオンは驚愕の思いで見つめていた。

「何で…?あなたたち、仲間じゃなかったの…?」

「…仲間だなどと思ったことはない。むしろ、こいつには個人的に腹が立っていた。それに、どうせ放っておいてもお前たちに倒されていただろう。役目も終わっていたしな。だから利用し、殺した。それだけのことだ」

「…ふざけんな!」

 曖昧にしか見えない敵の姿を精一杯睨みつけ、瀬川は怒りのまま吠えた。

「人の命を…お前は何だと思ってるんだ!」

「…お前たちだって、正当防衛とはいえ多くの我々の同士を倒してきたはずだ。私のしたことはそれと大差ない。違うか?」

 テリジェシオンの男は動じた様子もなく言い放った。言葉に詰まった瀬川に反論の隙を与えず、言葉を続ける。

「…さて、四対一ではさすがに分が悪そうだ。ここは引かせてもらおう」

 そして「スモーク」を発動し、黒煙の中に姿を消した。

今回はワールドオーバー社のコネクションをもってしても、海人の存在を世間に隠蔽しきれなかった。目撃者が多すぎたし、被害も甚大だったからだ。やむを得ず、景山が瀬川らに初期にしていたのと同様の説明が行われた―通称、海人という生物兵器が暗躍しており、ワールドオーバー社の特殊部隊が駆逐を行っている、とのことだ。企業秘密であるパワードスーツの存在には言及せず、ぼかした表現をするにとどまった。今後は警察とも情報提供等で連携していくが、海人の死体の解析は引き続きワールドオーバー社が引き受けることとなった。

「…というわけで、今後は我が社のイメージアップのためにも、皆さんには頑張ってもらいたいわけです」

 いつものように狭い自室に一同を集め、景山はにこやかに言った。海人を撃退することができた上、どうにか社の世間体を保つことができてほっとしている様子だった。一時はどうなることかと思われたのだが、社の上層部がマスコミ関係者に手を回し、ワールドオーバーへの好意的な世論を形成させたようだ。

「敵も強くなってきています。今回の相手は三人がかりで追い詰めるのがやっとだったそうですし…スーツの強化を急いで下さいね」

 景山は釘を刺し、何か質問はないかと皆を見回した。松浦がさっと挙手し、発言の許可を求める。景山は小さく頷いた。

「…ユーダ・レーボの目的が、単にパワードスーツの強奪だけだとは俺には思えないんです。交戦したレアモデルの男は、戦闘データの収集が上の意志だ…という風に言っていましたし、何か別の狙いがあるような気がします」

「確かにそうですね…」

 瀬川も手を挙げ、考えを述べた。先日の戦闘の様子が克明に甦る。

「本気で俺たちを潰したいなら、テリジェシオンは最初からあのレアモデルと一緒に攻撃を行っていたんではないでしょうか。劣勢になってから参戦するよりは、その方が合理的だと思います」

「…なるほど」

 景山は二人の意見に耳を傾け、しばし俯いて考えていた。やがておもむろに顔を上げる。

「松浦君の言うことももっともです。…ですが、それについての詳しい情報がない以上、追及するのは難しいでしょう。瀬川君の意見に関しては―テリジェシオンの男は、何らかの理由により到着が遅れたのかもしれませんし―何とも言えませんね。ともかく、敵の狙いは他にあることは確かです」

 他に質問は、と景山が視線を巡らせ、森下も小さく手を挙げた。

「今回…なぜユーダ・レーボはわざわざ人目に付く場所を襲撃したんでしょうか?」

 それについては、瀬川も疑問を感じているところだった。

「…あのレアモデルの男は、俺たちを誘い出すのに手っ取り早いからだとか言っていた。だが、海人の存在を明らかにするほどのメリットが連中にあったのかは分からない」

 松浦も意見する。今までの奴らの襲撃を振り返れば、それらは家から少し離れた辺りで行われることがほとんどだった。ゆえに、敵はこちらの住居を完全には突き止められてはおらず、この辺りだろうと大体の見当をつけて作戦を実行しているものと思われてきた。だが、今回の襲撃はこのパターンから大きく外れている。

「もしかして……」

 藤田が口にした不吉な推測は、誰しもが一度は考えたことのあるものだった。しかし皆、無意識的にその可能性を排除してきたのだ。

「もはや海人の存在を隠す必要がなくなった…とか」


「レアモデル四種全てが完成したようだな」

「はっ。残る二種も投入させます」

「そうしてくれ。レアモデルの戦闘データの収集が終われば、我々の計画は最終段階に入るのだからな」

「はっ。データの解析は順調です」

「…念には念を、だ。連中の『コードY』奪還を絶対に許すな。『ケルビム』の妨害プログラムも強度を上げておけ」

「承知致しました」


「…しっかし、ニュースは海人とワールドオーバー社についてばかりだな」

 夕方、テレビを眺めながら瀬川はぼやいた。隣で藤田も頷く。自分たちからすればワールドオーバー社には色々と胡散臭い点も多いのだが、上層部が上手く情報操作して誤魔化したようだった。だが世間からの注目は半端なく高く、どこのチャンネルに切り替えてもそれについての特集ばかりだ。

『…それにしても、このような怪物が実在しているなんて、にわかには信じがたい話ですね』

『ええ。一刻も早く、ワールドオーバー社と警察が協力し、事態を沈静化させてくれることを祈るのみです』

 二人の女性アナウンサーが話しているのを聞き、藤田は複雑な表情を浮かべた。

「あの人たちは、海人の正体が人間だって知らないからあんなことを言えるんだよ…僕たちだって、倒したくて倒してるわけじゃないのに」

「…まあ、情報がちゃんと伝わってないから仕方ないだろ。仮に伝えたとしてもパニックを引き起こすだけだし。…俺たちを応援してくれる気持ちに嘘はないんだ、前向きに考えよう」

 瀬川が苦笑しつつ言うと、藤田もふっと表情を和らげた。

「それもそうか…。実際僕たち、今ではヒーロー扱いだもんね。『謎の生物兵器を数多く撃破してきた、ワールドオーバー社の特殊部隊』としてさ」

「まあな」

 と、その時瀬川の携帯が振動した。見れば、景山から電話がかかってきていた。

「…はい、瀬川です」

 数秒後、瀬川は顔をしかめていた。


「…移動手段がタクシーって、なんとかならねーのか?もっとこう、かっこいいバイクですいすいっとさあ」

 今田が後部座席の右端で不平を述べた。それを聞き、助手席の二宮が後ろを振り向き、困ったように言う。

「ええー、私二輪の免許持ってないですよう」

「それならあれだ、自動車一台買うくらいの予算を景山さんに頼むとか」

 後部座席の中央に座る瀬川も、口を挟んだ。松浦は後部左端で瞑目し、戦いに備え精神を集中させている。

海人が都市部、それも住居から割と離れた場所に出現するようになったのはごく最近のことだ。予想外の展開であるからか、まだ十分な移動手段の確保ができていない。しかしそれを考慮しても、タクシーで現場に向かう正義の味方など笑いものである。

そうこう言い合っているうちに、目的の遊園地へ到着した。ここで海人の目撃情報が多数あったのだ。松浦が料金を払い―これは経費で落ちるらしい―、皆は急いでタクシーから降りる。だがもちろん、アトラクションを楽しむのが目的ではない。

「…ワールドオーバー社の特殊部隊の者です、通して下さい」

 怯えた様子の係員にそう告げ、入園料を免除された瀬川らは足早に入園ゲートをくぐった。我先にと外へ逃げ出してくる人々の流れに逆行し、奥を目指す。

 全員普段着だったため特殊部隊と名乗って信じてもらえるか怪しかったが、客の誘導に必死の係員はそこまで気が回らなかったらしい。辺りを見回すと、視界の端に、無人となったテーマパークを闊歩する二体の海人が捉えられた。

 うち一体は、頭部に発光器があり、肩からは左右一本ずつ触手が伸びている。体色は黒紫。各部から生えたヒレはあまり長くはないが、全身のところどころに短い棘が生えている。どことなくチョウチンアンコウを思わせる外見だ。

 もう一体は、前回交戦したレアモデルブラックバスベースよりもさらに筋肉質な体つきをしていた。全身をごつごつとした強固な皮膚が覆っている様は、見る者を威圧してくる。両手首のヒレは少し角ばった形状で、やや大きめ。体色は黒に近い茶色だ。おそらくこれも、レアモデルの一種だろうと推測される。

 瀬川らに気づき、二体の海人はこちらへ向き直った。刹那、チョウチンアンコウ型の頭部の発光器が鈍く輝き、そこから淡い黄色の光弾が撃ち出された。そんな能力があるとは知らず完全に不意を突かれたが、横に跳んで躱した。

「おいおい、挨拶もなしに不意打ちかよ」

 興ざめした風に今田が呟き、左腕にバイザーを押し当て装着する。ほぼ同時に、他の面々もバイザーを腕に固定した。

「…あら、では一応名乗っておこうかしら。私はレアモデルチョウチンアンコウベース、こちらの彼はレアモデルシーラカンスベースよ」

 光弾を放ったレアモデルが、ハスキーな声で簡潔に言った。性別は女性のようだ。相方の男も、一歩前に出て言う。

「…それ以上は、お前たちが知る必要はない。おとなしくバイザーを渡せ」

 沈黙が流れた。それは、無言の拒否を意味していた。

 シーラカンスベースの男が雄叫びを上げて突進し、チョウチンアンコウベースもそれに続く。アーマーを装着した四人の戦士が、それを迎え撃った。


 瀬川と二宮はチョウチンアンコウベースと、今田と松浦はシーラカンスベースとそれぞれ交戦していた。

 アフェクシオンがハンドガンから放つ光弾が、レアモデルが発光器から発射する光弾を相殺する。その隙に瀬川が接近戦を仕掛けた。相手が両肩の触手を伸ばし動きを封じようとしてくるのをランスを振るって払いのけ、勢いよく突きを繰り出した。さらに、「チェンジ」でリーチを自在に操りながら連続攻撃を加える。レアモデルは両手首のヒレでその打突を防御しようとするが、防ぎ切れずにじりじりと後退していた。

「…らあっ!」

 突きを繰り出すフェイントを見せてから、瀬川は短槍形態のクリエイティヴ・ランスを手の中で一回転させ、気合とともに石突を叩きつけた。変則的な攻撃に対応できず、レアモデルは呻き、横に跳んで距離を取った。

「…『ワープ』、『パラライズ』!」

 二宮は瞬間移動を可能にする基本コードと、新たに開発した応用コード「パラライズ」を併用した。十五秒間攻撃に麻痺の効果を付与するコードで、命中した相手は電撃によるダメージに加え、数秒間動きを封じられる。

 チョウチンアンコウベースの真上に移動したアフェクシオンが、両手の二丁拳銃を連射した。雷を帯びた光弾を浴び、海人が怯んだ様子を見せる。

「―瀬川君、今です!」

「おう!…『神殺・槍投』!」

 蒼炎の如きオーラを十字槍に纏わせたのと同時に、視界に表示されたポインターが標的への照準を補助する。麻痺効果が残存しているレアモデルは、回避動作を取ることもできない。

「……はあっ!」

 右腕でランスを構え、渾身の力を込めて投擲する。流星のように撃ち出された青き十字架は海人の心臓部に突き刺さり、制御チップの砕けた音が響いた。コードの効果によりランスを手元へ引き戻して間もなく、その亡骸は燃えるように熱いアスファルトに横たわった。


 一方、松浦と今田は相手の圧倒的なパワーに押されていた。今田は「ブレード」を発動して銃剣で、松浦は草薙之剣で斬りかかっていくが、なかなかダメージを与えられない。

「―今田!」

 左手首の鋭いヒレによる大振りな斬撃を刀でかろうじて受け止め、松浦は絞り出すように言った。今田は直前に蹴りを喰らいやや後方に吹き飛ばされていたが、立ち上がりそれに応じる。

「…何だよ?」

「同時攻撃で突破口を開く。俺に続け!…『スマッシュ』!」

 刀を両手で握り攻撃を受け止めた姿勢のまま、松浦は両足のアーマーに緑青の光を纏わせ、右足でニーキックを繰り出した。シーラカンスベースの硬い腹部の皮膚から、スパークが上がる。海人が僅かによろめき後ろに下がった一瞬を逃さず、松浦は以前森下が開発してくれていた第二の応用コードを発動した。

「―『神魔威刀・斬』!」

 草薙之剣の刀身をエメラルドグリーンの光が包み込み、鮮やかな輝きを放つ。さらに、その周囲の空間が真空状態に変化し、刃の周りに突風が吹き荒れる。

「…ったく、俺に指図すんなっての…『エンドカッティング』!」

 今田も、光弾を連射し海人に追撃を加えながら疾駆し距離を詰める。走りながら同様に第二の応用コードを唱え、銃剣の刃が赤紫のオーラを帯びる。

 松浦はアスファルトを蹴り飛ばしてレアモデルに接近すると、左斜め上から右斜め下へと一気に刀を振り下ろした。エネルギーを真空波に変換する手間を省き、より斬撃自体の破壊力を向上させた、近接戦闘用の応用コード。その一撃が、海人の頑丈な皮膚を切り裂く。

 今田も銃剣の刃を横方向に何度も振るった。「エンドカッティング」の特性は効果持続時間がやや長いことであるのだが、それを存分に活かし、連続で紅蓮の斬撃を浴びせる。

 エグザシオンは左側から、アンビシオンは右側から。

 同時に両方向から繰り出された斬撃を受け、レアモデルは苦痛に呻きふらふらと後ずさった。斬りつけられた箇所からはかなりの出血も見られる。もうあと一押しで倒せるだろう、そう二人が確信したときだった。


「―あらあら、思ったより苦戦してるじゃない」

彼方から近づいてくる、二組の足音。

「…手を貸そう、お前は一旦引け」

 プログシオン、それにテリジェシオンが援軍として駆け付けたのだった。レアモデルがよろよろと逃げていくのを確認し、テリジェシオンは改めて瀬川らに向き直った。

「―今日はとっておきの切り札を準備しておいた。心ゆくまで楽しむがいい」

 そう言って、傍らのプログシオンの女に目で―正確にはアイマスクで―合図する。

「…さあ、ワンサイドゲームの始まりよ。『エヴォリュート』」

 プログシオンの全身が銀の光に包まれ、肩に、胸部に、五角形を基本パターンとしたシルバーの強化アーマーが装着される。また、全身の装甲がヴァージョンアップされて耐久度が上昇、色も銀に変化する。頭部の二本の角は、先が二又に分かれた。さらに全身から、同じく五角形の、厚さ五ミリ程度の刃が何本も伸びる。プルーブ・カッターという名称のそれは、近接戦闘において有効な武器となる。まるで、海人の体から生えたヒレのようだった。

「この応用コードは、強化アーマーを装着しパワードスーツの基本能力値を底上げする効果を持つ。お前たちに勝ち目はない」

 テリジェシオンの男はそう言い、「サモン」と短く唱え二本のダガーナイフを召喚した。女も同様にサーベルを呼び出し、構える。武器も強化されているらしく、刃がより長くなっている。

 テリジェシオンは松浦と今田へ、プログシオンは瀬川と二宮へと襲い掛かり、第二ラウンドが始まった。


「―『クイック』」

 テリジェシオンは、得意の高速攻撃でエグザシオン、アンビシオンの二体を翻弄した。放たれた光弾や斬撃を巧みに躱し、タクティック・ダガーで着実にダメージを与えていく。連戦となり疲労が隠せない二人を相手に、男は余裕さえ見せている。

 一方のプログシオンは、性能差による圧倒的なパワーでクレアシオンに優勢に立っていた。サーベルをランスの柄で防ごうとしても、力で押し切られ反撃に転じられない。それでいて、重量のありそうな強化アーマーを装備してもなお女の動作が鈍くなる気配はない。筋力も強化されているため、差し引きゼロということか。

瀬川は十字槍を横に振り払ったがサーベルで弾かれ、返しに上から下へと斬り下ろす一撃を喰らった。

(な、んだこれ……威力が桁違いだ!)

いまだかつて味わったことのない程の衝撃が体を伝わり、斬撃を受けた肩から腰のラインからは激しく火花が散った。衝撃の余波を受け、クレアシオンはアスファルトの上を転がった。斬られた部分が、痛みでじんじんと痺れる。

「―瀬川君!」

 二宮が「ワープ」で敵の背後に回り込んで二丁拳銃を連射する強襲をみせるが、防御力の向上しているプログシオンにはさほどのダメージは与えられていない。女は嘲笑うような声を発すると、

「『クイック』!」

全身を紫の光が覆い、さらに速度を増した高速移動を行った。アフェクシオンに瞬間移動をする暇を与えず、次から次へとサーベルで斬撃を浴びせていく。一太刀ごとにアフェクシオンの装甲から多量のスパークが飛び、二宮が苦しそうに喘ぐ。

「やめろ……」

 クレアシオンより装甲の強度で劣るアフェクシオンがクレアシオンより多くの攻撃を受けたらどうなるか、瀬川には悪い結果しか思い浮かばなかった。ましてや、それが強化されたプログシオンの攻撃であれば、装着者の感じる痛みは並大抵のものではないだろう。

「う、ああ、あ……っ」

 「クイック」の効果持続時間が終了し、プログシオンの動きが減速してやがて止まる。直前に受けたダメージにより、アフェクシオンの胸部装甲から火花が噴き出し、二宮はか細い悲鳴を上げぐらりと横に倒れた。装甲が痛々しいほど損傷し、中の複雑な機構が露出している部位もある。もう、抵抗する力は残されていないようだった。

「…やめろ!」

 全身の力を振り絞って瀬川は立ち上がって駆け出し、二宮を庇うようにその前に立った。ランスを杖のようにして、どうにかその姿勢を保つ。そうでもしなければ立っていられないほど体が痛むのだ。

(これくらい、二宮が今感じてる痛みに比べれば大したことなんか…!)

「せ、がわ、君…」

「……喋るな。休んでろ」

 プログシオンを睨みつけ、瀬川は小さく、だがはっきりと言った。女はくっくっと笑うと、剣の切っ先を瀬川に向けた。

「立ってるのがやっとのくせに、私を攻略できるとでも?さっきの間に、あなたも高速移動を使って逃げることだってできたはずなのに」

「……うるせえよ」

 瀬川は必死で右腕に力を込め、支えとしていた十字槍の石突を地面から離し、震える手でその先端を女に向けた。

「勝ち目がないとか、勝率がゼロに近いとか…そんなのが、戦いから逃げる理由になるわけないだろ!」

「…そう。往生際が悪いわね。二人まとめて倒してあげる」

 プログシオンは言い捨て、サーベルを構え突進しながら応用コードを唱えた。

「―『ワイルドラッシュ』!」

 そしてサーベルを数回前に突き出すと同時に、その刃先から数十センチ離れたところに紫の光の刃が生成される。巨大な光の剣の嵐が二人に襲い掛かった。

「…『神殺』!」

 瀬川もクリエイティヴ・ランスをなんとか構え、紅蓮の炎を思わせるオーラが十字槍を包む。紫の光の剣を砕くべく、迷わずにまっすぐランスを突き出した。

『駄目だ瀬川、威力じゃプログシオンの方が上だ!撤退するのを優先するんだ!』

 藤田からの通信が耳元で聞こえる。切迫したように訴える彼の声は、確かに瀬川に届いていた。だが、瀬川は耳を貸さなかった。

「俺だって理屈じゃ分かってる…だけど…仲間を置いて逃げるなんて俺にはできない!」

 視界の隅では、テリジェシオンが今田と松浦を追い詰めているのが映っている。自分の後ろでは、傷を負いぐったりとした二宮が横になっている。

(俺には…こいつらを裏切るなんて真似はできない!)

 赤く燃えるランスは、しかし、プログシオンの繰り出した紫の光の刃を一つも粉砕することができなかった。「クイック」同様、この応用コードも破壊力が上昇しているらしい。刃の一つが瀬川の手から槍を弾き飛ばし、側のアトラクションの内部へとランスが落下する。「バック」でそれを回収する余裕もない。瀬川は両手を横に精一杯広げ、自分の身を犠牲に二宮を守った。藤田が何か叫んだが、もう耳に入らなかった。


「が……っは」

 純白のアーマーはあちこちが破壊され、内部の無数のケーブルや装置が一部剝き出しになっている。それでも、瀬川はまだ同じ姿勢で立っていた。二宮が受けたダメージの数倍以上のそれを喰らってもなお、彼女を守るという気力のみで立っていた。

「―馬鹿ね。まだやるっていうの?」

 女は呆れたように言うと、サーベルを下ろし空いている左の拳で瀬川を殴りつけた。それだけでは飽き足らず、右足で膝蹴りを、左足で回し蹴りを叩き込む。

「…ぐ…っ、あ…」

地に伏した瀬川の背を足で踏みつけ、女は高らかに言った。

「さ、そこの女の子にもとどめを刺さなくちゃね」

 そしてサーベルを構え、喉元目がけて振り下ろそうとした。

「や、めろ………っ!」

 

「―『サベージアサルト』」

「…な…っ⁉」

 プログシオンの背中に、おそらく「クイック」で移動してきたのであろうテリジェシオンが、青紫の光を帯びたダガーナイフで二連斬を浴びせたのだった。高速移動の効果はまだ続いているようで、さらに何度も何度も斬りつける。完全に不意を突かれた女には、反撃のしようがない。刃に付与された腐食作用により強化アーマーがじわじわと腐敗していき、ついに強化アーマーの装着が解除された。「クイック」の効果が切れ、テリジェシオンが静止する。プログシオンの装甲の各部は傷つき、そこから白煙が立ち昇っていた。

「お…前、どういうつもりだ…!」

 女は荒い息をつきながら言うが、男に答える気配はない。スピーディーに繰り出されたさらなる斬撃の舞がプログシオンを襲う。強化アーマーありならともかく、通常の状態でテリジェシオンのスピードに敵う者はいない。手数で圧倒されふらついた女に、テリジェシオンはダガーナイフを投げつけた。命中しては「バック」で手元に戻し、すぐにまた投げつける。それが数回繰り返され、ついにプログシオンが装着解除した。紫のアーマーが光へ還元され、消える。

 テリジェシオンは呆然としている瀬川らには目もくれず、倒れた女につかつかと歩み寄った。

「…どうせ放っておいても、お前は制御チップの作用で死ぬ。私が楽にしてやろう」

 直後、無造作に投げつけられたダガーナイフが女の心臓を貫き、息の根を止めた。女は悲鳴を上げる間もなかった。男は無慈悲にナイフを引き抜くと、女の腕からバイザーを奪い取り、小さく「スモーク」と唱えた。

「…おい待て!」

 なぜ味方であるはずのプログシオンの女を攻撃したのかはまるで分からないが、敵であるテリジェシオンを逃がすわけにもいかない。アンビシオンが黒煙の中に何発か光弾を撃ち込んだが、男は既に逃走した後だった。悪態をつき、今田が装着を解く。松浦も、瀬川と二宮を助け起こしてからそれに続く。

 瀬川も「ダウン」を唱えアーマーの装着を解除した。弱々しい声でコードを呟き、その数秒後に二宮も同様に武装を解く。そして、傍らの瀬川を見上げて上目遣いに言った。

「瀬川君……守ってくれてありがとう」

「…何言ってんだよ、俺は当たり前のことをしただけだ」

 そう言って笑いかけようとしたが、プログシオンの応用コードのダメージがまだ体に残っており、再び襲って来た痛みに顔をしかめる。

「…とにかく無事で何よりだ。軽傷で済んだようだが、やはり手当をしておかなければな。まずは景山さんに連絡しよう」

 松浦が携帯を取り出し、景山の電話番号にかけた。

 だが奇妙なことに、何度かけ直しても景山は電話に出なかった。

 


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