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SS24 「朝靄の向こう」

 秋というには中途半端な季節ですが、秋の話です。

 朝の通勤途中に考えました。

 早朝、妻と二人で散歩に出ることが日課になっている。

 家に閉じこもっていると気分が暗くなるからね、と妻は私が乗った車椅子を押しながら語りかける。近所の農道は高低差があり、坂を上るときは彼女の手助けが必要だ。毎日、彼女と二人で坂を登り、その後は山道を一周して戻ってくる。


 ――秋だ。


 広がる田圃の稲穂が金色の海となり、その上に白い靄がたなびく。

 その中を続く農道。

 元気だった頃なら税金の無駄遣いだと怒っていただろうが、毎日利用している現在はむしろ自分達のために作られた道路ではないかと思うほど気に入っている。

 知り合いの奥さんだわ、と妻は朝靄の向こうを指差した。その先は舗装されていない畦道だったので、妻がその農家の奥さんに会いに行く間、私は残ることにした。

 どうせ車などほとんど通らない道だ。

 一人でも大丈夫だよ、と妻に伝える。


 妻の姿が小さくなり、私は少し昔のことを思い返した。

 誰のことも顧みずにただひたすら前に進み続けた日々を。

 あの頃の私はまるで火のついた車輪のようなものだった。車輪が磨り減っていく場合、どの段階までを車輪と呼んでよいのだろう。少なくとも私の場合、気が付けば自分と呼べるものは全てなくなっていた。

 あったのはポッカリと開いた黒い穴だけ。


 どこまでも澄んだ秋の空が頭上に広がる。秋風が頬をかすめ、稲穂を波打たせる。

 妻が振り返り、手を振るのが見えた。手を振り返さねば、と思う。

 彼女に一人でも大丈夫なところを見えねば、と思う。

 だが、背後で闇が動く。嘗ての私自身の残骸が今の私を飲み込もうとする。

 私は車椅子の手すりを握り締めた。

 どうやら今日は薬の効き目が弱いようだ。治療を始めた頃は薬に頼ることに抵抗があった。実際、私が激しく怒ることがなくなった…いや、できなくなったのは服用している薬の作用だ。だが、そんな事実をやっと受け入れられるようになった。

 妻を傷つけ続けたあの頃に戻るよりは今のほうがいい。

 心の底からそう思えるようになった。


 朝靄の向こう、妻の姿が揺らめく。

 彼女は傍らにいる女性と話していたが、こちらに再び手を振った。

 朝靄の向こう、彼女の姿はかすんで見える。

 手を振り返さねば、と思う。


 だが、そうすれば彼女の姿がかき消えてしまいそうで怖かった。


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