第十九章:始まりは唐突
第十九章:始まりは唐突
*
洋上。
午後の五時半を過ぎ、夏を迎える陽が傾き始めている。
機体の発艦を終え、帰還のため撤収作業を開始する空母。その艦橋から、侍女服を着た少女は西の空を見詰めている。
櫛真だ。
視線の先には、すでに粒のような陰となった機体が見える。彼女の瞳はどこか寂しげで、覇気の薄いものだった。
……私めでは、その大役は果たせません。何やら込み入った事情が生まれていると察しましたが、それでも龍也様が命ぜられ、そして彼が行おうとするのならば、私めに否定する感情は湧きません。
しかし、と彼女は心の中で呟いてから、細く長い吐息をした。
「……私めは、本当に必要なのでしょうか?」
あのお方のお役に立てている気がしない。
彼は、いつも優しく自分を包み込んでくれるだけだ。仕事以外、それ以上の事を求めてきてはくれない。もっと頼って欲しいというのに。
……月追う狼として、私めはあのお方を追い続けていたい。ですがそれ以上に、役に立ちたいです。
はあ、寂しい。
月が空から消えるのは月に一度きり。稀に雲に隠れ続ける日々ほど、恋しく寂しいものは無い。たった数日とて、一日千秋の想いだ。
無言で西の赤みを帯び始めた空を見詰める。
遠野の乗った〝乱神〟はもうすでに見えない。
軌跡、魔力、熱源レーダーや電波にすら引っ掛からない彼の機体は、おそらく現代最強の戦闘兵器だろう。視認しない限り、どこにいるかさえ分からない兵器。
「遠野僚長、貴君が乗るだけで、張りぼての機体はあれほど変わるものなのですね……」
ここ数日時間を共にしてよく理解できた。
彼は凄い。凄まじい。あれほど文武の練度を極めながら、知識と技術の吸収力、そして伸びしろが計り知れないのだ。
とにかく理解の速度が速い。もしかすれば、あのお方が今の彼と競い合えば、敗けてしまうかも知れない。勝てると断言する事ができない。
「二か月前、私めは彼にあのお方を止めて下さるよう願いました。ですが、そこに確信は殆どなく、ただの無理な要求だと判断していました。今ならば、龍也様が遠野僚長を選んだ理由がもっとよく分かる気が致します」
やはり、あのお方に必要なのは従順な僕よりも強い部下なのだろうか。
一息の後、櫛真は艦内に出雲へ帰投する旨を通達した。
「私めの役割は、ここまでです」
あとは主君と部下たちが凱旋するのを待つのみだ。
*
*
インドはムンバイ。
神話体系局の客人用の接待フロア。宿泊区画で、神州外交団は打ち合わせた訳でもなく、波坂に供された客室に集まっていた。
いないのは、医務室にいるカイセとエリスだけで、彼らとも念話で繋がっていた。
遠野の件での蒼衣と波坂の対立はすでに決着している。和解、もとい相互理解を示しているといった具合だ。
立場上進行役を買った波坂は、先程来たというインド側の通知を、
「では宿禰・真人。インドから渡された戦争の詳細なルール、読んで下さいな」
と彼を促した。何故彼がそれを持っているかは、おそらく席の位置の問題だったのだろう。
……早めに戻る決意ができて良かったですわ。話し合いに参加できますもの。
時間がなかったので濡れた髪や服は発熱系の魔術で無理やり乾かした。あとで空と一緒に風呂に入らなければ。
頭の中でインドとの戦争までの予定を汲みつつ、波坂は宿禰の言葉を聞いた。宿禰は数枚の用紙に記入された文字列を少し棒読みながらも読み始める。
「ええ、と、――インド神話体系局と神州神話機構の広域多段階式模擬戦闘。その目的と戦闘区域と諸規則、開始時刻及び集結地の報せ。一、目的。双方の主張を効率的に処理するため、この模擬戦の結果によって交渉の優位権を明け渡す。又、その主張と勝利した際の要求は集合場所にて確認する」
次いで、
「二、集合場所。インド神話体系局の二階、大フロア。三、開始時刻、本日午後四時より。第一戦はその五分後を予定、以後の四戦は全て散発的に開始される。四、戦闘区域、下記の地図に書かれている結界内での戦闘を望む。五、戦闘に係る諸規定―――」
少し面倒になってきたのか、宿禰の口調がやや雑になった。
「一つ、戦闘の参加権はどっちかの所属である事。二つ、勝利判定は相手の気絶か降参、死亡した場合に限り、死亡した時の責任は両陣営が負う。三つ、どっちも敗戦判定された場合は引き分けとして、場合によっては第六戦以降を設ける。四つ、原則として連戦は駄目、でも第六戦以降は可能。五つ、不測の事態には戦闘中断もある。でも、共同戦線や同じ戦闘区域での交錯はそれに値しない。六つ、使用するのは武器や能力、もしくは本人の所有物に限る。以上」
疲れたー、と宿禰は脱力して椅子にどっかり腰を落とした。
その横に座る朝臣は、率直な感想として、
「まあ、普通ね」
「ですわね。当然と言えば当然ですけど、少し拍子抜けな感も否めませんわ」
「油断はならぬ。当然という事は、それだけ解釈の仕方を考えられる時間があるという事だ。言葉の裏を突いて奇策を講じてくる可能性は十二分にあり得る」
蒼衣の諌めに、波坂は、
「商人の裏を掻く力は底が知れませんものね。――分かりましたわ。それならば第一戦はワタクシが出張らせて頂きますの。よろしくて?」
問いかけに、蒼衣は無言を返した。
「決まりですわね。第二戦はどうしますの? 確実に勝ちに行くのなら、会長が出るべきかと存じますけど」
「断る。今回の戦闘、オレは基本的に出る気はない。二戦目はそこの桃が出るがいい」
「あ、あたしですか!? どういう事、私全然戦闘系の貯蓄ないんだけれど。そこのスライムの方がよっぽど使えるわよ?」
動揺のあまり屹立した朝臣だが、蒼衣は自分の意見を押し通した。
「構わぬ。おそらく向こうの二戦目は大した者が出てこない。勝ちに行くのは上策だが、そこで不要に駒を費やす必要もない。元よりそのような姿勢では今後の計画に支障をきたすわ」
不服そうな表情を浮かべながらも朝臣は了承の意を示した。
「次は三戦目ですわね。それなりに戦闘能力の高い者が出て来そうですけど誰が行きますの?」
「わ、わたし、行く」
波坂の横、空が自信なさげに手を挙げていた。波坂は軽く微笑して、
「分かりましたわ。貴女になら任せられますわね」
「(じゃあ四と五はエリスとカイセが貰うね)」
不意にエリスが念話で会話に介入してきた。波坂は、
「確かにお二人に任せるのは安心ですけど、五戦目に無名の者を出すのは―――」
「構わん。各襲名組織の重役は旧代より魔術師だった者が多数いる筈だ。その者どもに伝われば十分な効力を発揮する」
「知らない臣民には叩かれますわよ?」
彼女の指摘に、しかし蒼衣は喉を鳴らして笑った。
「ハハ、――戦争などという選択を取った時点で批判は必然。一つや二つ原因が増えたところで何かが変わる訳でもあるまい。ここは、最低限の誇りで勝ちに行くだけでよい」
「よおく分かりましたわ」
波坂はさも呆れたように言葉を返した。そして、
「戦争開始まであと二時間近く、各人最終調整を進めて下さいな。宿禰・真人は戦闘記録、田中・ジョニーは会長の護衛役としてそれぞれ準備を。蒼衣・空はここに残って下さいな」
解散を告げると、皆三々五々、自分の客室へ帰っていった。が、
「会計よ」
最後、残った空と蒼衣。蒼衣の方がこう告げてきた。
「――一つ良い事を教えてやろう。和時は、何もしなければ独り塞ぎ込むだろう。しかし、押してやれば勝手に答えを出す」
そう言い残して、竜王は去った。
全く、と波坂は思った。そんな事、見ていればすぐ分かりますわよ、と。
彼女は空を連れて、バスルームに入った。
*
*
雲の中を行く高速の物体。
全長約十五メートル。金属で形作られた鳥は、西を目指して一直線に天を飛んでいる。
雲の隙間から覗くのは大地。
旧中国と旧モンゴルが統合された中華道州の境域だ。航路の半分は中華亜大陸を進む必要がある。インド経協圏へはミャンマーの北部辺りから侵入する事になるだろう。
『エエ現在本機体ハ印度ヘ向ケテ航行中。現在地ハ中国ノ武漢辺リカナー』
操縦桿を握る遠野は、静かな瞳で前を見据えている。
この機体を隠す異能は常に張り続けている。が、ふとケータイは呆れたように、
『遠野家ノ人間ハ馬鹿バッカダナ。何故ソンナニ頑張ル』
「知らん!」
ケータイは嘆息したような吐息をして見せた。数拍の後、
『――十七回ダ、オ前ノ父親ガ母親ノタメニ死ノウトシタ回数ハ』
そして、
『海瀬ハオ前ノ母親ヲ殺シタト思ッテルンダロ、多分』
遠野は息を止めた。
だが返事はせず、ケータイの紡ぐ音を耳で聴きとる。
『アイツト出会ッタノハ二十年前、十七ノ時ダ。寿命ハ残リ四十年クライノ時ダロ。ソン時デモウアイツハ一回ユイノタメニ死ノウトシテイル。――アッタバカリノ女ノタメニ死ノウトシテイルンダゾ、馬鹿ダト思ワナイカ?』
そして、
『ソノ二週間後クライニハモウ一回死ノウトシテイル。ソリャア、ユイガ海瀬ヲ死ナセタクナイッテ思ウノモ無理ハナイヨナ?』
「何が言いたい」
『馬鹿ダト思ッタダケダヨ。戦ワナケレバ済ム話ヲ、ワザワザ苦シム道ヲ選ンデ、今モ苦シミ続ケテイル筈サ海瀬ハ。ソシテソレヲ見続ケナキャナラナイエリスモ大変ダロウヨ』
ケータイは嫌々と言いたげに言葉を繋げる。
『人間ハ何デソンナニ馬鹿バカリヲスルノカ分カラナイ。マァ、一番分カラナイノハ、ユイノ事ダガナ』
「どういう事だ?」
『〝紅焔〟カラ〝太陽〟トマデ呼バレルニ至ッタ女ガ、最後ニハ素人ノ男ノタメニ全テヲ明ケ渡シタンダゾ? ――ソコニアル〝火君〟、ユイガ本気デ戦イ続ケテイレバ、ソレハモウナイ筈ダ。
マ、ソウダッタラ海瀬ガイナクナルガナ』
「どっちにしろ、どっちかはいなかったんだろ」
『ヤッパ死ンデルダナ、ユイ』
「知らなかったのか?」
カマカケテミタダケダ、とケータイは答えた。
『ケータイサンハ十年モ人と会ワズ、海瀬タチトハ十八年モ会ッテナイ。ユイハスグ駄目二ナルト分カッテタガ、イツカハ知ラナカッタ。話ヲ聞キタイト言ワレテ、マアソウナンダロウナトハ思ッタ。――最高ニ、見テテ面白イ奴ダッタゼ』
ケータイには、ヘルメットを被った遠野の表情は窺えない。が、その声はどこか寂しげだった。子が親を探すような寂しさに満ちた、
「……どんな人だったんだ?」
その問いかけに、ケータイは即答した。
『言エバ分カルダロ。――アノ海瀬トエリスガ、愛シタ人間ダ」
そう。
――世界を壊せるあの二人を唯一止められる、不器用な人間だった。
*
*
インド神話体系局。
時刻は午後三時五十五分。二階、大フロアには、二つの陣営が向かい合っていた。
一方は赤と白のブレザーを着た集団と他二名。
もう一方は、白の布を羽織った老女を先頭に、多種多様な面子が揃っている。
前者は神州、後者はインドだ。
神州勢の先頭。漆黒の髪に漆黒の瞳を持つ少年が、余裕に満ちた笑みを口元に張り付けて、言葉を作った。
「書面に書いてあった通り、まずは互いの主張、そして敵方に勝利した際の報償を決めるとしよう。老いた女よ、貴様らは何を望む」
問いかけの先、アウヴィダは微笑みを返してから答えを出した。
「――世界の安定のために、私どもは全ての者に貿易支援をする構えを取ります。それによって全ての無法地帯が安定に至る事を望んでおります。そして、この争いに勝った場合、宣言は全文同じく再度世界に申しあげ、神州には今後独断で私共のこの行為に抗議を行う事、他国との貿易交渉への介入を拒否させて頂きます。神州との交渉は別、ですが……」
「舐められたものだな。貿易関係を断ち切ってやった方が潔いというものを」
「神州との貿易は良い利益になりますゆえ。――さあ、神州もどうぞ」
老女の促しに、蒼衣は軽く息を吐いてから、
「貴様らの宣言の一部撤回だ。無法地帯侵略推進論を破棄し、より平和的な方法で行う事を確約。そして貿易に関しては、今後何か行動する際は神州を第一の交渉相手としろ」
「ほほほ、世界を出し抜く気ですか」
「お互い様とやらだ」
確認もそこそこに、双方はようやく戦争へと舵を切った。
「不意に思ったんですけど、ムンバイに住まわれている方々はどうしますの? 結界内にでも逃げますの。それでも全く被害がない訳ではありませんし」
第一戦の戦場へ移動しようとした波坂が、ふと思い出したように疑問した。
「大丈夫ですよ。住民の皆様には事前に話を着けて場所を変えて貰っていますし、建物に関しましても私たちの方が補償しますので。新築大バーゲンだと皆様喜んでいました」
「分かりましたわ。では、ワタクシたちは遠慮無しでよろしいですのね?」
はい、と目的地を同じくするアナーヒアは頷いた。
第一戦は、神州所属大佐相当官である波坂。と、インド所属ヴァス神群団長及び保安班長アナーヒア。戦闘地は体系局の前方、インド門前の広場だ。
時刻は午後の四時零分。戦闘開始まで、残り五分。
*
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第一戦に限り、中継班が有線で二階フロアに映像を送っていた。
水色のポニテと黄色のセミロングを、カメラは食い入るように追っている。
そして、プロジェクタでスクリーンに映し出される映像を、神州やインド勢もまた、やや緊張した面持ちで見据えていた。
二人が外に出た。午前から降っていた雨は止んでおり、地面は濡れているが戦闘に差支えがあるほどでもなかった。足場が濡れているのは向こうも同じだ。波坂は相手の素性を頭の中で反芻させた。
……対戦相手、アナーヒア・バン・ハンサー。亜人種に相当する魚人族で、神役継承者。襲名神は河川や芸能を収める女神サラスバティ―でしたわね。
サラスバティーの名は最高の女神を意味し、世界創造神であるブラフマ―の正妻であるとされる女神だ。ヒトが欲するモノ、富や名声、食料、幸福や子孫など様々な事柄を司るとされ、変革以前から信仰の厚かった女神の一柱だ。
……それにこの美人で性格も品行方正、スタイルも申し分ありませんし、支持者は多そうですわね。
自分ももう少し性格を直せばこのようになれるのだろうか。いや、無理な気がする。
……そこはともかくとして、この方、あまり戦闘向きな人物には見えませんわね。
動きに無駄はないが、足捌きが戦士ではない。これは、
……女性としての歩き方が見事ですわ。これだけの事を平然としているのですから、やはり油断は禁物ですわね。
人気の消えた道路を越え、インド門の前の広い土地に出る。
一歩一歩進みながら、波坂は自分の準備の最終確認をした。治療用の符や仕込みの武器、そして自分の魔力の調子を、だ。
「――ええ、全て大丈夫そうですわね」
どれも万全だ。昼過ぎに雨に濡れた制服はまた湿っぽいが気にするほどでもない。
今は、前を行くこの魚人の乙女に勝つ事だけを考えなければ。
……魚人との戦闘経験は皆無ですわ。生憎、海が近くにありますし、海中戦闘は避けたいところですけど。
しかし、先程から頭に引っ掛かっている事が一つあった。
周りから感じる、殺気、だ。
体系局を含めた全ての建物から感じる、見詰められるような有象無象の殺気。
何千人という人間に睨まれているような感覚が、外に出た瞬間から波坂を襲っていたのだ。
「――?」
おそらく結界内に退避した住民たちなのだろうが、何故か様子がおかしい気がする。
正確な事は分からない。これからインドと争うのだから少し殺気だってしまったとも考えられる。が、やはり腹に据えかねる違和感が彼女にはあった。
……考えていても仕方がありませんわ。何か気が付いたら会長にご報告すればいいだけの話ですし、今は負けない事だけを考えませんと。
広場の中央、二人は十メートルの間を空けて対峙した。
「さあ、愉しい愉しい戦争のお時間ですわよ」
口元を歪めて、波坂は腰を落として身構えた。
視線の先にいるアナーヒアは足の間隔を少し広げて、にっこり微笑んだ。
二人は笑っている。
*
*
何の契機もなく、戦いは始まった。
初撃を最初に取ったのは波坂だった。
指先一つに魔力を圧縮し、魔弾を一発放つ。
砂粒のような魔弾は、しかし高速で飛び、アナーヒア目掛けて一直線に奔る。それをアナーヒアは、左肩を引いて半身になる事だけで回避した。
先程まで彼女の左腹部があった場所を魔弾が突き抜ける。
「あれをよけますの……!?」
「避けるだけなら何とでもなります」
腰をやや屈めて、アナーヒアは前に出た。
速い。
濡れた地面。足元は長いスカートにサンダルという出で立ちでありながら、彼女は一瞬で波坂に接近した。右手を引き、そこから突き上げるような掌底を放つ。が、
「っ――」
咄嗟に首を逸らして掠る程度に収めた。
アナーヒアの攻めは終わらない。一発外したら、次は二、三度重ねて拳を繰り出してきた。どれも急所狙いの掌底で、素早い身体の捌きには一瞬の間も与えてくれない。波坂は回避するだけで精一杯だった。
……和時さんから幾度か体術の手解きを受けておいて正解でしたわ。
彼の動き、そして洗練さに比べれば、まだ目で追える速度だ。
だが、彼ほどでないにしろ、それに近い練度にいる事は確かだ。この、アナーヒアという女性は。全く、笑顔の柔らかな巨乳淑女かと思えば、一端の戦士だった。
そうだとしても、このまま押される訳にはいかない。
波坂は連撃の間隔を見切り、彼女の手首を掴んでそれを止めた。が、しかし、
「――!?」
波坂の動きを待っていたかのように、アナーヒアは掴まれた腕を逆に掴み返した。膝と腰、脇を素早く崩して、一瞬の後に波坂を背負い投げた。
数メートル飛ばされて、彼女は地面を転がった。
転がりながらも波坂はすぐさま腕の筋力で上体を起こし、足先で滑るように制動を掛ける。顔を上げ、敵の姿を直視して、そこでようやく身体が止まった。
「近距離はマズそうですわね。やはり中長距離の魔弾を軸にしませんと」
こちらの流れに持ち込めない。
ならば、と波坂は両腕を前に振り切った。五指を広げ、魔力を指の先に集中させる。
一発一発撃っていては弾幕など張れない。ここは手数が勝負だ。
十本全ての指先にビー玉ほどの魔弾が形成された。直後、彼女は躊躇う事なくそれらを連射していった。
片腕の五発を親指から小指まで段階的に連射し、もう片方の腕の五発を段階的に撃つ。その間に撃ち終わった腕で新たに魔弾を形成する。その連続だ。
いくら身のこなしがよくても、こう遮蔽物のない広場で魔弾を避け続けるのは無理だ。
十発を越え、二十発目に入った時点でアナーヒアの回避行動は遅れを見せ始めていた。
……いけますわ!
このまま押し切る。
できれば異能も神力も使わず、魔弾だけで終わらせたい。争いの可能性はここだけではないのだ。今後、またどこかの組織と敵対する事もあり得る。手の内を初めから見せてしまうのは正直言って避けたい。故に、
「潰れなさいな!!」
連射のペースを一気に上げる。
対処に遅れるアナーヒアに魔弾が掠り始める。が、よくも濡れた地面の上、サンダルでここまで避けられる。魚人ゆえに水場には慣れているのだろうが圧巻の回避技術だ。
一気に勝負を着けたい欲求に駆られる。早く彼女に勝って、
……早く空さんのあのふにふにの柔肌に接吻したいですわ!
細腕に薄く小さい肢体、抱き心地の良さ。柔らかい髪とあの何とも言えない良い香り、常に不安げにこちらを上目遣いで見詰めてくる小動物さ。天使をも超えて女神と呼ぶに相応しい。
……まあ神ですから、愛でて差し上げませんと!
戦闘中はどうもテンションが極まってしまって仕方がない。
波坂の顔が欲望に満ちた笑みを浮かべる。
*
*
雨のような魔弾の散弾をアナーヒアは回避し続ける。
避ける隙間もないような攻撃を、しかし彼女は一発一発見極め、確かに回避している。
……中々大変な作業です。
戦闘はあまり得意ではない。元々インド神話体系局に入ったのも、仕事がなく体系局の事務関係の募集を見掛けたのがきっかけだった。局は樹立直後で職員が極貧状態、大した経歴もなかったが吸い込まれるように採用された。
しばらく事務処理の仕事をしていると、局員全員に強制される護身術の講義があり、筋が良かったのか悪かったのか補修を悉くさせられた。すると、
……何故が神群の部隊長に任命されてしまいました。
インド経済協力圏の所有軍〝ガナデヴァダ〟を構成する四つの神群。アーディティア、マルト、サーディア、ヴァス。そのうち防衛を専門とする後方支援団、ヴァス神群の団長として何故か自分が選ばれた。
自分には戦闘能力と呼べるものは何一つない。攻撃に使えるのは、護身術から考え出した敵の無力化だ。それ以外に出来る事はない。
……避けて逃げて、時々撃つ。これしかできません。
正直言って、自分がここにいていい人物なのか分からない。
目の前の女性、それは神州における地母神の名を被る人物だ。その勢い、その自信、その余裕に満ちた笑みは上に立つ者の風格を匂わせる。平凡な人物にはないものだ。羨ましいとは思わない。だが、欲しいものではあった。
自分が何をすればいいのか分からない。ドルガーやアウヴィダは目指すものがある。他の皆もそれぞれ考えるところがあるように思える。何もないのは、自分だけだ。
……私には一体何があるのでしょうか……?
魔弾の雨の中で、アナーヒアは疑問する。
この身体も、この神役も、この神名も、この種族である事も、何もかもが分からない。一体自分は何をすればいいのだ。
前を見る。彼女がいる。水色の髪を一房に結った少女が。
勇ましいと感じる。勝つという心意気に満ちた面貌が、アナーヒアの心を揺らす。
勝つ。勝って、仲間に次を託す。
ああ。
もしかすれば、と彼女は思った。
……本当はもっと、簡単に考えてよろしいんでしょうか―――。
勝つ。ただそれだけを、今は考えればいいのかも知れない。
「アウヴィダ様は、私に頑張って下さいと言われた―――」
ならば、
「――頑張って、私の道を勝ち取りに行きます!!」
アナーヒアは腰を落として、右腕を前に振った。
*
*
敵の動きが変わったのを、波坂はしかと見た。
アナーヒアの動きに合わせて、魔弾が弾かれていく。
否、もっと正確に言えば、
……軌道を変えられてますの!?
右腕の先、手刀の拳を突き出して、彼女は魔弾の軌道を手で直接逸らせていたのだ。
散弾のように襲い掛かる魔弾を彼女はぎりぎりで、自分に当たるモノだけを正確に弾き出していっている。恐ろしい。常人のなさせるものではない。
……芸達者どころではありませんわよ!!
波坂の魔弾は、一秒間に約二、三発のペースで放たれている。そして、それは手首の動きだけで全身へ狙いを着けているため、アナーヒアがそれを弾くというのなら、彼女は手首数センチの移動を腕の振りで追いついていく必要があるのだ。――一体、
……どんな修練を積めばこんな事ができますの!?
無能時とはいえあの遠野でさえ、逃げの一手を取る手数の多さだ。しかもあの時遠野は森林という区域にいた。こんなだだっ広い場とは違う。
……い、いえ、神力を発動させた彼ならこの程度!
できるだろう。が、今の彼女はほぼ生身だ。
どちらが人間の技巧として練度が高いかは、自分に判断できる範囲ではない。が、
「やはり、彼と戦っている意気で臨む必要がありますわね……」
波坂も心の中のスイッチを切り替えた。
小魔弾の雨に新たなパターンを加える。速度でも調子でもなく、押し切り、だ。
「食らいなさいな……!」
波坂は、片手五指に造り出した五発を一斉射撃した。
アナーヒアの肢体が縦にそれぞれ穿たれる。上半身の二発は手刀で防いだが、右の腰と太腿に一発、足下の地面に跳弾で左の脛に一発ずつ命中した。
「――っ」
アナーヒアの膝が折れる。
今ですわ! と波坂が前に出た。地面を蹴って走る。右手を引いて手中に力を込めると、魔弾が生じた。属性は火に偏りを持たせる。距離五メートル。
アナーヒアが頭を上げた。こちらを見、対処しようと身体を傾けるが、下半身の痛みに顔を歪めて動きを一瞬躊躇した。
肉薄。
ぎりぎりまで堪えて、波坂は中段から掌底を繰り出すように魔弾を押し込んだ。が、
「きゃ……」
しまった、と彼女は心で自分をなじった。
避けられたのだ。身体を横に振る動きで、突き出した腕が彼女の横を過ぎ去る。驚きで手中の魔弾すら崩れた。そしてそこから、アナーヒアは上半身だけで動いた。伸びた波坂の腕を背負い、無事な足を軸に無理くり投げたのだ。
投げられてからの失速は早く、波坂はアナーヒアの傍、その地面に叩き付けられた。
激突の衝撃、そして投げられる瞬間に食らった鳩尾の一発で、彼女の意識は一瞬遠のいた。
「――っ!」
動けない。完全にしくじった。
実戦不足が絶対的に祟ったミスだ。足を負傷した兵が、動けないのなら次に何をするか考えて備えておくべきだった。勝てると油断し、思考を停止させていた。
自分の愚かさもそうだが、しかしアナーヒアの胆力にも驚いた。まさか穏やかな彼女が、ここまでする者とは正直思わなかった。流石はヴァス神群の団長、サラスバティーを襲名し、
……アナーヒターの名を持つお方ですわ。
アナーヒター。かの拝火教における女神の名だ。古代に栄華を極めたペルシアの国教である拝火教で、狂的な支持を得たアナーヒター。彼女は中級神でありながら主神に比類する人気を持ち、財産や生命、生活に係る絶大な神徳を保持する。
その美しい乙女の身体は黄金で飾り立てられ、常に〝清浄〟をもたらすとされる。そして、その狂的心神は、やがて娼婦神イシュタル、女神アフロディーテ、月の戦乙女アルテミス、大地母神キュベレーすら飲み込み、一時期は女神の頂点に君臨したとすらいわれる。
その人気は今も健在で、拝火教を襲名し、アラブ石油の利権の大半を持つイラン・ゾロアスター連合。インドは彼女の存在で、その交渉特権を得ているにも等しい。
……アナーヒア・バン・ハンサー。確かにヴァスの長としての戦い、そして貴女の存在がインドにとっても有益であり、周り回って世界に対しても、素晴らしい恵みを落としているといえますわ。
ですが、と波坂は全身に力を入れた。
「神州を生んだ地母神の名を持つワタクシとて、国を守る義務がありますの……!」
二か月前とは違います。足手まといはもうゴメンですわ!
奥歯を食い縛って体を起こす。彼女はアナーヒアが追撃を掛ける前に飛び退いて体勢を立て直した。動く度に内臓の激痛が身体を内側から蝕む。波坂は気力のみで耐えていた。
勝負は、まだまだこれからだ。
……まだ、奥の手を残していますの。
*
*
戦闘をライブ中継するフロアでは間々歓声が起こった。
波坂とアナーヒアの一進一退の攻防による歓声だ。
が、それを発するのはインドの代表でも、神州の代表でもなく、インド神話体系局の局員たちだった。代表たちは静かに、事の推移を見届けている。
蒼衣の横、傍に寄った空が小声で言葉を投げかけた。
「伊沙紀ちゃん大丈夫かな?」
「案ずる必要はない。会計は負けはせん」
「でも痛そうだし……」
「痛みはその者の存在価値だ。身体の痛み、心の痛み、志の痛み、全ての痛みを感ずる事でその者はヒトとなれる。どれが欠けても無意味だ。そして今、アヤツらは痛みを感じている」
つまり、
「――闘いとは互いの存在価値を示すもの。傷まなければそれは無意味なものよ」
納得できたのか、しかし不服そうに空は口を噤んだ。
蒼衣は吐息する。
「空よ。――アヤツは負けぬ。オレが保証してやろう」
「ほんと?」
ああ、と彼は頷いて、
「アヤツは卑しい女だ。何があろうと、地獄に堕ちようとも大神で在り続ける」
彼は笑みを濃くした。
*
*
攻防が交錯する。
波坂が攻め、アナーヒアがいなす。その連続だ。
「――く!」
歯を食い縛って、水色が直蹴りを放つ。
足を引きずりながら緑色は半身になり、その蹴りをすれすれでかわした。
息を継ぐ間もなく、二人は動く。
波坂が放ち、アナーヒアが避ける。
これは決して逆にはならない。
アナーヒアは片足の負傷で返し技を決め切れず、機会を待って防戦を選んでいた。
波坂は腹部の痛みで力に脆さはあるものの四肢は動く。相手に繋げさせまいと身を振り回していた。
両者が戦法を違える事はない。だが、
「――お!」
「……ん!!」
その速度は常に増していく。
まるで時を速めているように速度だけが上がり、しかし彼女らの動きは複雑怪奇にその選択を極めるだけだ。
波坂の手に魔弾が生ずる。アナーヒアの技巧が数を増す。
互いに互いを睨み付けるように凝視し、ただただ拳を交わしている。
しかしその交錯の中で、不意の出来事が起こった。
波坂の視界から、アナーヒアが突然遠のいたのだ。距離が開く。それは眼下へと落ちるもので、
「……しまっ」
アナーヒアはこれを待っていたのだ。
追い詰められ追い詰められた末に、海の際に辿り着く事を。
彼女は落ちていく。もはや引き留める事など叶わない。アナーヒアの顔はどこか笑みに見える。当然だ。波坂は唯一の勝機を逃してしまったのだから。
……まだですわ!!
追う。
追い縋る。たとえ死地と知っていようとも、ここで退く事は自分の負けを認めるという事なのだ。故に、彼女は全力でアナーヒアをその眼球に収めた。
引き留められぬのなら、そのまま突き落としてしまえばいい。
「――!?」
波坂の眼光が黄金色に輝いた瞬間、アナーヒアの表情が硬直した。
驚愕、動揺、恐怖の色が一瞬でその顔に灯る。
二人は海に落ちた。
*
*
魚人が海中で窒息するとは滑稽な話だ。
だが、実際に呼吸できないのだから仕方がない。
……身体が―――。
動きません、とアナーヒアは思った。
海に落ちる直前、波坂の眼球が金色に輝いたかと思えばいきなり身体が金縛りにあった。身体はそのまま海に飛び込み、海中に沈んでいく。幸い、硬直は表面だけで体内の生命活動は健在なので、呼吸を止めて動かず沈んでいるだけだと思えばいい。
……何の解決にもなってませんでした!
とにかくこの金縛りの理由は敵によるものだ。ならば、異能か魔術か神力か、どれかという事になる。 この際種類などどうでもいい。ようは、
……魔力を媒介としたものである事が分かればいいです。
また行使された時にはある程度対策ができる。が、
『やっぱり何の解決にもなってません!』
って、あれ?
いつの間にか金縛りが解けていた。
動ける。
四肢の動きも五指も動く、海中からの酸素吸入もできている。これなら、
『転身〝人魚〟! ――神力〝英霊礼讃〟!!』
彼女の魔力が海中に流れ出し、大量の水泡と化す。
数秒後、泡の中から現れたのは下半身を魚の尾と変えたアナーヒアだった。
腰の辺りから伸びる鱗の胴と尾。丁度膝のあった辺りには魔力で編まれた仮想のヒレが二枚海中に浮いていた。
そして、彼女の顔に戦闘による疲労の陰りや痛みの表情は消えていた。神力の能力だ。自然活性の神役による〝英霊礼讃〟は、周囲全てに身体の活性を与える。それはつまり、
『貴女様もこれで元気になってしまいましたね、波坂様』
アナーヒアの視線の先、口元に手を当てて海中に留まっている波坂の姿があった。
「(全く、嫌になりますわ。トドメを刺し切れずに戦局を変えられ、あまつさえ相手に治癒を施されるなんて。まだまだ未熟ですの)」
台詞とは裏腹に、彼女の声に隙はない。逆に敵意剥き出しだ。
どうやら逃げる気は毛頭無いようだ。絶対的不利な状況をよく選べるものだと感心する。
否、彼女にはまだ奥の手がある。
……先程の金縛り。あれがもう一度私に掛かれば、この方も勝機はあります。
先程は彼女の瞳が黄金色に見えたが、今は元の碧眼に戻っている。おそらくあれが発動のサインだろう。
あちらはどうやってこちらに術を嵌めるか。こちらはどうやって術を逃れ、あちらを無力化するか。どちらが相手より一手先を読み、隙を突くか。それに尽きる。
元よりこちらに攻撃する手段などないのだ。故にこちらは逃げて逃げて、消耗させるしかない。精神力の勝負、持久戦だ。
だから行った。
アナーヒアは膝の辺り、仮想ヒレを尾の周りで周回させ始める。ヒレはスクリューとなって推力を生み、尾はパドルとして人魚は発進した。貫くように海中を自由自在に回遊する。
それは高速で、アナーヒアは波坂の周囲を駆け回った。
海中で自在に動けない波坂はその動きに着いていけず、首を右往左往とさせて必死に人魚の後を目で追っている。
……軍港とはいえ狭いですね。もう少し沖に行きましょうか。
アナーヒアは海を踊る中で、手中に魔力を集め、海水を掴んだ。彼女はまるでベールを勢いよく剥ぐように海の膜を背負い投げ、一つの海流を生み出した。
「――!!?」
二人は元の広場から百メートル先の海中に流された。
*
*
『おおっと波坂選手とアナーヒア選手、海に落ちたかと思いきや黒々とした渦が沖の方に走っております! 海じゃ撮れないってあれほど言ったのにアナーヒア選手ぅ!!』
でも素っ敵ー! という局員たちの歓声が挙がっていた。
スクリーン前、神州側。蒼衣兄弟のほど近くで、二年D組の三人が会話していた。
「……伊沙紀は泳げたかしら?」
『我が肉体の知る限り鈍足だったと思うが。代わりに潜水ばかりやっていたな』
「……あぁソレ、大将を水中から見たいがために波さんやってたと思うだけど」
「はぁ、変態のやる事はいつも一緒ね」
朝臣の眇めが宿禰を睨み付ける。
「ばっか、俺はプールに〝本〟落としているだけだって!」
「焼き付けか保存の違いよ。というか、伊沙紀は伍長しか見てないのよ? 貴方は一体何人見てるのよ」
「大丈夫デス! 水部とD組のしか物理的に無理だから!!」
『宿禰殿は写真部長と水泳部、陸上部の兼部だったな』
「どうせビキニとブルマの布教に勤しんでるでしょ」
「残念、俺は競泳水着派デッス!!」
朝臣は宿禰を足蹴の的にした。
それを傍観するジョニーの横で、空は、
「ねえお兄ちゃん、伊沙紀ちゃんって和時君をどうして見てるの?」
「会計に直接聞け」
「ん、分かった」
本人の知らない場所で波坂は追い詰められていた。
*
*
水分解の術式を手中で展開する波坂。
巨大な手に弄ばれるように流される彼女は手を口元から離すまいと身体を丸くして必死に耐えていた。
……潜るのはまだしも、これでは戦闘になりませんわ。
水中戦など想定した記憶もない。ましてや相手は亜人において水中最強の人魚だ。
まず勝てる訳がない。が、
……それでも、ワタクシは神州の代表に名を連ねる者ですわ!
勝機が無ければ、勝機のあるものにしてしまえばいい。
水流が収まった時、自分の脳内が焼き切れるか、相手の対処能力が上回るか。
それだけの話だ。
……空間精査、開始。主成分、水、塩化ナトリウム、他微量―――――。
水分解を止め、波坂は鍛え上げた己の肺活量に賭けた。
*
*
操縦席で語られるケータイの話は、遠野には全く分からなかった。
魔導会の存在価値、行動目的、仲間意識。どれもが遠野に分かるものではなかった。
絶対的な信頼、全てを賭けた闘い、仲間のために生きる。
夢物語のような友情が、そこにはあった。
『中デモ、ユイハ飛ビ抜ケ自分以外ノ仲間ガ傷付クノヲ嫌ッタナ。最後マデソウダッタ。ソレデモ最後ニハ自分ノ欲シイモノヲ得ヨウトシタミタイダガ』
「どういう意味だ」
さっきからこればかり言っているような気がする。
だが、こう言うしかなった。自分には分からないのだから、聞くしかない。
『オ前ダヨ、和時君』
ケータイは語る。
『ユイノ我ガ儘ダロウ。子供ナンテ産メル身体ジャナイ筈だ。ソレヲ無理シテ海瀬トノ繋ガリヲモトウトシタ。――ユイハナ、普通ニ生キタカッタンダ。普通ノ家庭デ育チ、普通ニ学校ヘ行キ、普通ニ人ヲ好キニナッテ、普通ニ家族ヲ持ツ』
だが、彼女は普通の人間ではなかった。
巫女の家系に生まれ、魔術の才を見出され、海外へ渡る。そこで仲間たちと出会い、仲間を蔑ろにされたゆえに武装蜂起し、エリスを救い出して神州に逃げた。逃げたそこで海瀬と出会い、海瀬と仲間たちとで魔法機関を打ち倒した。
だが、そこに彼女が真に求めた日常はない。最高の仲間はいたが、戦いに明け暮れる一生だった。
――夕井・時美。
それが遠野・海瀬が愛したヒトだった。
不器用で、仲間想いで、しかし常に努力を怠らないヒト。
その彼女が最後に望んだ事だから、海瀬はどうしてもそれを叶えてやりたかった。
日常を望んだ彼女が最後に叶えた子宝。その子に、普通の家庭を与えてあげたい、と。
「……はぁ」
馬鹿だ、と遠野は深い吐息を吐いていた。




