第十八章:後悔の朝
第十八章:後悔の朝
*
深夜零時。
一見暗いその空間は、しかし幾つもののディスプレイに照らされていた。
四方十メートル強の空間。幾つもの電子機器が並列するそこは、
「――はい。それでは草薙班は呉海科と共に四国近海を離脱。呉に帰港後は空路で出雲に帰還して下さい」
新東合学園の地下第一階層、その指揮所だった。
言葉を紡いだのは櫛真で、彼女は受話器越しに作戦行動中の草薙たちと連絡を取っていた。
彼らには明日の、遠野の作戦を遂行させるために必要不可欠なものを取りに行かせている。実物は誰も見た事はないが、遠野の両親の話によれば呼べば来るらしい。
……菅原書記の報告も、呼んだらホンマに来たで、などというものでしたから、これはやはり直接見てみない事には判断のしようがありません。
そもそも、この作戦を実行するよう蒼衣から言い渡されたのは今日の未明。
「……遠野僚長の寮室に忍び込めと同じくして言われたものですから、急ピッチの作戦です。幸い手配が必要な物が近くにいたので良かったですが……」
念のためシミュレーションを彼にさせておいたのは正解だった。
今は自宅で休養中だが、早朝には登校して実地で慣れてもらわなければ間に合わなくなる。
慌ただしいと、そう言える。
神州内の人事や整備もまだ完全ではない中でインドの宣告があり、その対処や計算が新たな人事で滞りなく進んでいる事が奇跡のような状態なのだ。学園内だけでの派閥にもそれぞれ対応を迫り、その上で方針を決めていく。
蒼衣の存在で何とか保っているようなものだが、彼があの時いなくなっていれば、
……本当に私めと遠野僚長で運営できたか怪しいものです。そもそもそのような考えをしてしまう事態、気が滅入っているという事なのでしょう。
あの方の役に立ちたい。だが、本当にそれができているのか。邪魔なのではないか。
そのジレンマが、櫛真を一層、陰から追い込んでいた。
細く小さい吐息をする。
やはり、あの人がいないと意欲が湧きにくいようだ。しかし、現場はそうも言っていられない。場を弁え、気持ちに切り替えを作るべきだ。そう決心し、彼女は早速仕事を一つこなす。
遠野への連絡だ。明日の予定を確認しておく。
「(――遠野僚長)」
彼の自宅の方角へ念を送る。しばらくすると、
「(……何だ)」
低い、どんよりとした応答が返ってきた。
「……?」
櫛真は眉をひそめた。
……わずかに、平時の声と差異が見られます。ひどく動揺した、困惑しているような印象といったところでしょうか。
どちらにしろ、あの遠野が心を乱している状態で念を返してきたのは驚きだった。
彼の自己制御はかなりの位置にある。相当の激昂などでない限り、遠野が心を乱してそれを念に出してしまう事などあり得ない。何があったかは知らないが、
……このような状態で作戦を任せてよいのでしょうか。
作戦は重要だ。今後の神州を左右し、世界をも左右しかねにないほどに重要なのだ。
一人のミスが大きな過ちに繋がる可能性とてあり得る。あまり気乗りのする事ではないが、櫛真は割り切ってその事を問うた。
「(明日の予定を確認したくご連絡しました。――しかしその前に、一つよろしいですか?)」
「(ああ、何だ?)」
粗雑な返し方だ。やはりいつもの彼らしくない。
「(少し念に乱れがあります。何か、ありましたか?)」
「(少し、あっただけだ)」
「(作戦に支障をきたすものでしょうか?)」
少しの間が空いた後、答は返ってきた。
「(――さあな)」
重症のようだ。
「(了解しました。何があったかは問いませんが、遠野僚長、貴君には神州の全臣民の未来を左右する立場にある事をお忘れなく。――そして)」
そして、
「(貴君はスサノオの名を持つ者です。たとえどんな障害があろうとも突き進むべきでしょう。立ち止まる事は、貴君を、自ら貶める行為になるとお思いになって下さい)」
「(――――)」
数秒、彼は無言になる。が、
「(分かっている。少し、落ち着けないだけだ。心配感謝する)」
まだ望みはあるだろうと見込んで、櫛真は用件を述べて念話を切った。
「(――それでは、早朝四時までに学園に赴いて下さい。特別棟で待っております)」
面を少し上げて、吐息する。
正面の壁には、大画面で神州を中心としたアジアの電子地図がある。インドはぎりぎり左端に見切れており、そこにいる筈のあの人を想う事ができない。
……どうしても、私めはあの御方を頼ってしまいたいようです。
情けない。自分が何であるかは、自分が一番よく分かっているだろうに。
……私めは災厄を呼ぶ狼。龍也様の膝元で安穏と過ごす訳には、やはりどうしてもいきません。――遠野僚長も、立場を分かっているから悩んでいるのでしょうか?
否、違うだろう。おそらく彼が悩むのは、
「そこに誰かが関わっている時のみです」
答えは出ている。だが、それを他人にまで強制していいのか、そういった葛藤があるのだろう。難しい事だ。ぐずぐずと悩んでいる自分とは雲泥の差である。
「……龍也様が一体どこでそれにお気付きになられたのか、私めには理解すらできませんが、彼を選んだ理由は能力だけではないのですね」
答えを出せる人間だ、彼は。
小さく頷いた櫛真は、視線を落として下にいる数名の士官たちに声を送った。
「私めはこの階層の研究施設で仮眠を取っています。何かあれば通信を寄越して下さい」
「分かりました。ごゆっくり」
会釈を返してから、櫛真は指揮所をあとにした。
*
*
結論はすでに出ている。
だが、どうしても納得できなかった。
いや、おそらく〝したくない〟が正解だ。
「……俺は、怒っているのか?」
暗い自室のベッドの上で彼、遠野は仰向けに倒れていた。
鬼村が去ってから一時間以上が経っている。あのオニが残していった炭刀〝火君〟は、両親の部屋に安置してある。今は、あまり見ていたい気分ではなかった。
騙されていた事に怒っているのではない。騙してまで、両親が何を守ろうとしたかが分かるから怒っているのだ。
……何故、自分が辛い道を自ら選ぶんだ親父は。母さんも、止められたんだろう?
あの二人はきっと、自分の事を想ってくれたのだ。
*
*
海瀬は目を閉じて考えていた。
深夜。誰もいない病室で、彼はベッドに寝ている。
……エリス。
――何、カイセ?
……どうすれば良かったんだろうか。
――知らない。カイセが言ったから、私は納得しただけだから。
同罪だけどね、とエリスの心は微笑む。
「……間違えてばかりだ。最近やっと分かった、ユイの言いたかった事が」
本当に馬鹿だ、と海瀬は静かに言葉を紡ぐ。
「どんなに自分の想いを偽ろうとも、結局は自分の身勝手をしたいだけなんだよ」
『――ブブー。それも間違いだよカイセ。ユイは、カイセの向こう見ずな一途さが好きだけどそれじゃあいつか自滅する。だから駄目って言ってたんだよ?』
それに、
『ユイがいなくなるちょっと前くらいからは逆で、考え過ぎて、ユイは辛かったみたい』
「どうして、言ってくれなかったんだい」
だって、とエリスは心を介して答えた。
――ユイが言うなってふうに睨んでくるんだもん。
……なら、今はいいのかい。
――じこう。
……そうかい。
海瀬は瞳を閉じたまま、脳裡で本当の妻の姿を思い描く。
哀しい。
彼女はあれほど凛々しく、強く、美しかったのに。あれほど誇れる人間はいなかったというのに、それを自分は、
「――一番見せてやりたい子どもに見せられないなんて」
と彼は悲痛な声で悔やんだ。
きっと自分は、堪えられなかったのだろう。聞かれた時を想像すると。
もし、何も知らない子どもが、自分の母が何故いないのかと問うてきた時、自分は無言でいるか、ただ謝る事しかできない。
ユイを殺したのは、ボクだ。すまない、と。
あの時死ぬべきだったのは、他でもない自分だ。それをユイに救われ、惨めにも生き残り、子どもに真実を語れないで黙り続ける。死ぬよりも辛い事だった、それは。
どちらにしろ、自分には堪えられなかっただろう。
……ああ。
なんて、自分は弱いのだろう。
自分の可愛さのあまり、息子を謀るなど、あってはならないというのに。
わざわざエリスを巻き込み、仲間を突き放して、身勝手に動き続けてきた結果がこれだ。あと何年もつかも分からない。息子に真実を語れぬまま、本当の母親を教える事もできずに、
「――死ぬのか」
自分の心を裏切り、妻を裏切り、仲間を裏切り、そして息子さえも裏切った。
一体、自分は何なのだ。
何が、正しかったのだ。
……ああ。
力があれば、こんな事にはならずにすんだのに。
あの時、ユイたちを独りで守り切れるほどの、強さが欲しかった。
「……和時、すまない。遠野は、惨めな一族だ」
瞳の端から、涙が一粒流れた。
*
*
白熱球が一つ灯る空間。
そこは地下で、高炉や鍛冶の道具が所せましと置かれている。
そしてその中央。木箱をテーブル代わりにして、上に置いた紙面を見詰める二人がいた。
アウヴィダとホールだ。
二人は、明日のインドと神州の戦争の手筈を考えていた。
「散発での広域戦闘となると、やはりムンバイ全域を指定した方がよさそうです。局以外の建物には入れないよう封をして、被害軽減のために各所の区域結界も起立させましょう」
「監査員や結界補強役として局員を動員させる必要もありそうです。霊脈を用いた結界でも流石に〝竜撃〟や破壊力のある神力を防ぐ事は無理ですからね。結界内から支えさせましょう。人員は足りそうですか?」
「問題ありません。自分の隊にやらせます。――それで誰を出すおつもりですか?」
牛頭の問いかけに、アウヴィダは答えようと口を開く。が、
「ホールぅ、いるぅ?」
ふと不意に女性の声が部屋に届いた。その声はたどたどしく、呂律もあまり回っていなかった。
その声を聞いた途端、ホールは頭を抱えて嘆息した。アウヴィダは声のした方、通路の方に視線を向ける。すると、ややあってから、
「何よぉ、やっぱりいるんじゃない。返事くらいしなさいよお」
酒瓶を数本携えて、頬を酔いに赤らめるマーリーが現れた。
すでに泥酔しかけている。
彼女は千鳥足なにりながらも二人の傍に寄り、どっかり腰を下ろした。酒瓶と酒杯だけは丁寧に置いて、マーリーは木箱の上に置いてある紙を見付けた。
「何よこれ、じゃまね」
紙を投げ捨てた。
「マーリーさん、貴女というヒトは。毎度毎度、帰ってくる度にヤケ酒を自分の部屋でしないでくれますか!」
ホールは心底呆れた感じだった。
しかし、マーリーは気にせず、空いた木箱のスペースに酒杯と酒瓶を置き直していく。いつも着崩しているせいか余計に服ははだけ、紅潮した白い肌は妙に艶めかしい。
「ほほほ、ホールよ。毎度ですか?」
失笑するアウヴィダはそう尋ねる。牛人は吐息して、
「ええ、まあ。帰還した日の夜は大抵こんなものです……」
「ほら牛ぃ、アンタも飲んで飲んでゲロりなさいよこの変態! ドルガーびいき!!」
「だから自分、お酒は飲めないと何回言えば。それにドルガー様を特別贔屓しているつもりはありませんから」
「ゲロぉゲロォ!」
「おやおや、淑女の言葉とは思えませんね」
「大変失礼しました。この分では明日の算段が―――」
立って頭を下げるホールだが、アウヴィダは、
「いえいえ、ある程度の見立ては立ちましたので。私はこれで失礼しましょう」
「あ! アウヴィダ様もいるじゃない。あんたも飲みなさいよお!」
「ほほほ、本格的に困りましたね」
服の裾を握ってアウヴィダを逃がさまいとするマーリー。
ホールは再度謝ろうとする。が、アウヴィダは服の内側からテキーラボトルを出した。どこに仕舞っていたんだこの方は、と驚愕するホールだが、老婆は、
「仕方ありません。ショットで勝負して、さっさと彼女を落として差し上げましょう」
と、笑顔でとんでもない事を平然と言ってのけた。
「正々堂々とえぐい事しますね、貴女様も……」
「ほほほ、久しぶりに楽しい時間が過ごせそうです」
「ほえ?」
事態を分かっていないマーリーは小首を傾げていた。
*
*
たおやかな海がある。
波は穏やかで潮騒もひとしお。傾き始めた太陽が、鱗のように海を照らしている。
そこは、出雲沿岸にほど近い日本海。
西へ進路を取る艦影があった。
全長三百メートルを超え、艦の甲板上を横に切って取ったような姿には、唯一艦橋だけが端に残されている。
航空母艦と言われる軍艦だった。
所属を示す旗は三種類。旭日旗、神州神話機構のシンボル、そして米軍海兵隊の三つだ。
崩壊した米国に帰る事を放棄し、神州に帰属の意思を示した一部の海兵隊。その成れの果てだった。誇りだけは捨てまいと、今でも海兵隊のシンボルを掲げている。
艦内は慌ただしさに包まれていた。
発艦準備に対して、何故か人員が多過ぎてパニックが起きているのだ。その差、航空機一機に対して、およそ二千人。皆が皆、久方ぶりの仕事を受け持ちたいと躍起になっている。
甲板上に整備、誘導、弾薬など、それぞれの係の全班長が集結して、口論している。
その光景を艦橋から俯瞰するのは、二人の少年少女だった。
片方、少年の方が少女に問いかけた。
「一ついいか、副会長。何故こんなにヒトが大量にいる」
問いの先、侍女服に身を包む櫛真が答えた。
「申し訳ありません。旧米国から帰属した海兵隊よりこの空母を借り受け、今回運用するにあたって色々と手違いが起こりまして。どうやら海兵隊に軍事作戦を任せられたと誤解されてしまったようです」
「インドの宣告もあり、会長たちは戦争をすると言っているからか。無理もないと言えばそれまでだが、全武装運用クラスの動員とはまた派手だ。――全く、とんだ手違いだ。それで、どう収拾を着ける気だ?」
「分かっております」
そう言うと、櫛真は艦橋内、艦長席の傍に取り付けられた艦内回線のマイクを手に取った。
『全乗員に通達。機体の最終調整及び兵装チェック、搭乗者も全て神州側が準備しておりますので、旧海兵隊の皆様は一時居住区画に移動をお願い致します。発艦時には、迷惑にならない程度ならば甲板上に出て結構です』
一息の後、
『――全て滞りなく済ませるよう指示を受けております。龍也様のご予定に狂いが生じた場合の報い、受けて下さいますか?』
冷えた口調で告げると、騒ぎはあっという間に沈静化した。
が、しかし、隅の方では違う喧騒が生まれていた。
「オオー、俺マーナサマにののしられちまったよー!」
「バッカ、ウィーたちだろ!?」
「OH! 踏まれたい! マーナタマに踏まれたい!!」
何なのだろうかこの艦は。
*
*
日本海。
方位二五〇度へ一五ノットで西進する空母。
その飛行甲板の上にあるのは、一機の戦闘機だけだ。
機体を取り囲むように整備員が各装置の最終点検を行っている。そして、
「全く。俺は何をやっているんだろうな」
そのコックピット内で吐息が漏れた。
遠野だ。
彼は制服の上から対G装備を着け、頭にはマスクを被っている。呟きは小さく、操縦席でアナログ式の計器類や操縦桿、操作機器の配置を確認する合間にポツリと出てきた。
それでも感情はなるべく揺らせずに作業を行う。計器類の中央には小型のディスプレイがあり、エンジンを作動させるまでは着かない仕組みにされている。何故始動前に着かないかは知らないが、それよりも、彼には気になって仕方が無い事があった。それは眼下の、
……何故計器類の下に古い携帯が固定されている?
見た目かなり古い機種だ。資料ででしか見た事のないような、四半世紀は前のものではないだろうか。整備班は正気か。いや、正気ではない人間がトップだったか。
「(こちら櫛真です。遠野僚長、最終チェックが完了しました。整備員の一時退避後、エンジンえを稼働させて下さい。その後は無線を使用します)」
念話での指示に従って、遠野はエンジンの点火準備を始めた。そして、
……〝魔力併用理論〟、理屈は知らないが、もしそれが同時使用なら―――。
点火の直前、遠野は神力を発動させ、点火と共にエンジン内部に対して魔力を注ぎ込んだ。
すると、後方のバーナーから推力と共に、星屑のような光が噴き出し始めた。
「――成功だな」
やはりあの理論は、機構に対する魔力添加でブースト効果を行うものだったか。
前方の吸気口から外気魔力が吸われているのを目で見て確かめる遠野。だが、ふと、
『遠野僚長、一体何を。その残滓は―――』
無線機越しに櫛真の声が耳に届いた。
「インドの理論を拝借した。大体の予想は着けていたが成功するとは思っていなかった」
『試験機にそのような事をするとは、本来なら諌める必要がありますが時間もありません。そのまま発艦準備を続けて下さい。計器類が正常に作動しているか確認し、カタパルトへ』
「了解した」
言って、遠野は前のディスプレイを見た。
ドットで描かれたような顔があった。電子音がコックピットに響く。
『ヤッホー、呼バレテ飛ビ出ルケータイサンダヨー!!』
ディスプレイを殴った。
*
*
ディスプレイは大した損傷もなく、ドット顔を表示し続けていた。
『ア、アブネー! 何スンダヨ兄チャン! コッチノ肉体にまだ慣レテナイカラ治スの手間カカルンダッテーノ二!』
電子音に似た声は慣れ慣れしく喋りかけてくる。遠野は無線で、
「副会長、異常事態が発生した。至急この機体を爆破したい」
『爆破!? 修理トカジャナク直接爆破!!?』
画面のドット顔は顎だけが上下に気持ち悪く動いている。見ているだけで腹の底から悪寒が走りそうだ。すると、無線で櫛真が、
『どうかなされましたか?』
「非常事態だ。変質者が機体のコンピュータ内にいる」
到底信じられない証言だが、理解されないのはやはり哀しいものだ。
しかし、櫛真は案外平静に言葉を返してきた。何故ならば、
『――それはおそらくOSをしている〝ケータイ〟と呼ばれる魔術礼装です。貴君の両親が所属していた魔導会の一人が造り出したものだそうです。貴君の両親の証言を元に昨日四国より回収して来ました』
また魔導会か!
一瞬胸の奥が黒く鬱屈した気持ちになるが無理くり抑え込んで、返答を出す。
「この薄気味悪いドットがか?」
『そうです。機体に関わる演算処理を全てこなしています』
彼女は即答した。が、ややあってから、ケータイが、
『ンン? 今親ガ魔導会トカ言ッタカ? ソレニオ前ノ顔、――ドッカデ見タナア』
数秒の後、
『ソウダ! オ前海瀬ノ息子ダナ!? ウヒョオ、始メテ見タゼー。アイツニ似テ根暗ソウダナアー!!』
その台詞を聞いた瞬間、やはり暗い感情が湧いてくる。
心が冷やかになるのを感じた。両親たちを知る者が、ここにいる。子を偽り続けた親の、その若き日を知るモノが、だ。
櫛真へ問題が解決したとだけ告げて、彼は次にケータイに言葉を向けていた。それは、
「ケータイ、とか言ったな」
『アアソウダヨ。ドシタ?』
ケータイに、遠野は静かな口調で問いを投げかけた。
「一つ、尋ねたい事がある」
それは、
「――俺の母さんについて、聞きたい」
*
*
『オ前ノ母ッテート、誰ダロウナァ。エリスハソンナタマジェネエシ。朱里、凛、シャーレ、ディア、麗華ハネエナ。アァ、ユイガイタナ、ナサソウダケド。――デ、ドレダ?』
遠野は操縦席の横に固定しておいた炭刀を指差した。
『オ、ヤッパユイジャネエカ。アレ? デモ何デソレヲオ前ガ持ッテンダ』
「封印していた。これから俺は、インドに行って親父と母さんに会いにいってくる」
『ッケ、アノ二人ガハネムーンカ。似合ワネエノ!』
「それで、教えてくれるのか、母さんの事?」
『ドウセ知ッテルンダロ』
「あまり聞かなかった。今は、誰かから聞いてみたいと思ってる」
そう告げた彼だが、不意に横やりが入ってきた。
『遠野僚長、現在対面する風が微風となっています。すぐカタパルトから射出できるよう移動をお願いします』
「――分かった」
遠野は尾翼とスロットルで推力を調整しつつ、誘導員に従ってカタパルトに到着した。
誘導員たちは手際よくカタパルトに機体を固定し、作業を進めていく。その間も、彼は殆どドット顔から視線を逸らさなかった。すると、
『何ノ事情ガアルカハ知ラネエガ、ソレハ野暮ッテモンジャネエノカ? 言ワヌガ花ッテ事モアルダロウッテ』
「そうも言っていられない。事と次第によって、俺は親父と母さんを―――」
『絞メルノカ?』
「? ……ああ、そうだな」
逡巡するような間が空いた。が、ややあってからケータイは了承した。
『――イイゼ。旅ノ途中ニデモ教エテヤルヨ』
機械の証言。
それならば嘘偽り、偏りのない話が聞ける。そう安堵して、遠野は無意識に口元を緩めた。
『――オ前ノ父親ハ、ツレエナ』
遠野には、ケータイの言う言葉の意味が分からなかった。
数分後、最終チェックを終えた誘導員がこちらにサインを送ってくる。
遠野はそれに従い、エンジン推力、尾翼、各装置の動きを確かめて行く。
出撃準備が完了した。
*
*
時刻は午後の五時二十五分。
日本海を行く空母。その艦橋から、甲板上に一機だけある機体を櫛真は俯瞰していた。
口元に無線機をやり、音を出す。
「遠野僚長、これより出撃シークエンスを開始します」
『こちら遠野。了解した』
「シークエンス続行。カタパルトの気圧調節の間に、任務と内容を再度確認します。これより遠野僚長は、インドが本拠地ムンバイへ急行し、神州外交団の助力を行って下さい。距離は約六千キロ。予想飛行時間は四時間ほど。フライト申請無しなのでレーダーや魔力感知をされなよう気を付けて下さい」
『いいだろう。補給空域はどこだ?』
戦闘機の航続距離は約三千キロがいいところだ。故に補給が必要になる。が、
「ありません。一度の飛行でムンバイへ直行です」
今は遠野が勝手にした〝魔力併用理論〟の再現で燃費が向上しているが、それでも実地の検証もなしに飛ぶなど馬鹿げている。
『ふざけている訳ではないだろうな?』
「当然です。貴君は現在神力と異能を発動しております。その能力で、どうにか批判される事なくインドまで直行して下さい。
この際申し上げますが、その機体は現代用に改良した第六世代想定試験機。魔力妨害を減らすためにエンジンと操縦桿だけにした第二世代のような代物です。そこのケータイも、未開発のOSの代用としたものです」
いわば付け焼き刃の機体、という訳だ。
『誰がそんなものに乗せて行けと命じた』
「全ては龍也様のご意向で御座います」
『――っ、分かってはいるが無理を言う癖を何とかして欲しい。文句は向こうで言ってやる』
数秒後、管制役が声を発した。
「カタパルト蒸気圧正常、推力グリーン、風力・日光良好。機体システムオールアウト。
――発艦可能です」
『おい今アウトって―――』
櫛真は受信器の音量をミュートした。その上で、
「――最終段階です。遠野僚長、推力を全開に。射出します」
*
*
操縦席に舌打ちが漏れる。
遠野だ。
彼は推力のスロットルを上げていく過程で、忌々しく言葉を作った。
「面倒な役割ばかりだな俺は。ケータイ、お前の方は大丈夫なんだな!?」
推力上昇と共にエンジンの騒音が高くなる。
『マア墜落シナイ程度ニハヤッテヤルヨ』
どいつもこいつも俺を過大評価し過ぎだ。そこまで俺は大人じゃないだよ!
心の中で叫んでから、深呼吸一つで心を抑え込む。そして、無線に記録を告げる。
『――神州神話機構、幕僚監部幕僚長、遠野・和時。F/Xα〝乱神〟、――発艦する!!』
数瞬後、カタパルトが解放され、全長十五メートル足らずの彼の乗った機体は甲板を滑るように疾走する。
二百メートルを一気に駆け抜け、洋上に飛び出した。
機体は一瞬高度を落とした後に上昇をしていき、空を瞬く間に翔けた。
その中で、遠野は己の機体に異能の力を三つ施す。一つ目は気流操作によるレーダー波の阻害。二つ目は、魔力干渉域の拡大による魔力放出の調整。三つ目は、氷結系異能で、
「バーナーの熱源をこれで減らす」
機体のやや後方に氷結異能を展開し、熱源の反応量を最小限に抑え込む。
これだけの異能を同時に、高速域の中で行うのは至難の業だが、彼は、
「やらない訳にはいかない。俺に出来る事なら幾らでもやってやる。――ケータイ! 魔力のステルスの裁量はお前に任せるぞ」
『リョーカイ』
夕暮れの始まる頃。
西の端の紅い空へ向かって、機体は大気を割き、神出鬼没の姿となって翔けた。
*
*
時刻は午後二時を過ぎる頃。
インドはスコールに見舞われていた。
曇天の中で大粒の雨が隙間なく地を打ち据えている。が、
「……はぁ」
雨の中に、吐息が生まれた。
インド神話体系局。その玄関の手前で、雨に打たれている少女がいた。
波坂だった。
いつからそこにいるのか。髪は雨の水を吸って重くなり、服からも袖口や裾から水が滴り落ちてきている。彼女は、頭を冷やしていた。
蒼衣と口論になったのだ。理由は、蒼衣の行為が許せなかったから。
蒼衣は海瀬とエリスがいない場で、二人の過去、そのほぼ全てを話した。そう全て、だ。彼の言は最初に予測だと言ったが、その辻褄は完全に合っていると思えた。そして、蒼衣はそれを分かった上で、彼を、ここに呼んでいると言った。
怒りを通り越して憎しみすら抱いた。
……会長、貴方は何を言ってますの。ヒトの過去を、悲哀に満ち、今も苦しみ続けるヒトの傷をなぶるような事を、貴女は何故しますの。愚かにもほどがありますわ!
だが、それを自分が非難できる訳ではない。
かくいう自分もまた、彼ならばと、そう思ってしまったのだから。
「和時さんなら、その壁すらも超えていって下さるような気がします。ええ、気がする、だけですの……」
彼とて、まだ十七かそこいらの少年なのだ。そして、自分たちも。
……甘えですわ。
醜い。全くもって醜い。醜悪過ぎて悪寒すら走る。
ええ、どんなに彼の事を想っていても、
「ワタクシには何も出来ませんわね」
無力ですわ。
外気を肺に吸気する。雨の匂い、土の匂いが鼻孔をくすぐる。が、ややあってから、背後にヒトの気配を感じた。それは、
「――伊沙紀ちゃん」
空だ。
雨の中に出てきて、少女はこちらを呼ぶ。彼女は半身になって、
「どうしましたの? 蒼衣・空」
白々しくもそんな言葉を向けた。すると、
「……ごめんなさい」
「何故貴女が謝りますの」
項垂れて肩を小さくする空。それを波坂は眉尻を下げた笑みで見詰めた。
「だって、お兄ちゃんが」
「貴女は何も悪くありませんわ。確かに善行とは言えませんけど、それでもこれから戦争をするのですから情報を共有しようとした会長の判断を無理に非難する訳にはいきませんわ」
「でも……」
空も、蒼衣の行為に納得していないのだろう。そしてそれを一方的に非難し、逃げたこちらにどう接していいか分からない。
弱い自分を戒めるために波坂はここに来た。だから、少女がこちらを戒める権利は十分にある。
「ええ、だからこうやって雨に打たれて自分を―――」
「わたしなの!」
不意の告白に、波坂は思わず口を噤んだ。
空は俯いたまま、ぽつぽつと言葉を紡いだ。自分の非を認めるように、
「……わたしが、お兄ちゃんにそうしたらいいって、言ったの」
彼女は目を軽く見開けた。
「元からお兄ちゃん、戦いになるって思ってたみたいで麻亜奈さんに和時君がいつでもこっちに来れるよう頼んでたみたいなの。でも、こっちに来てからお兄ちゃん、和時君のお父さんとお母さんが何か隠してるの気付いたみたいで、」
鼻をすすり、言い訳するように必死に空は告げる。
「それでお兄ちゃん、和時君を呼ぶか迷ったみたいで、その時わたしに聞いてきて……」
「蒼衣・空、貴女は何と答えましたの?」
「――何があっても家族は家族だよ、って……」
至極この少女らしい答えだと思った。
「でも、さっき伊沙紀ちゃんが怒って和時君にばっかり可哀想だって。わたしが言ったから、皆に迷惑かけて……」
ワタクシはそこまで言ってませんわよ。
だがこの少女にはそう聞こえたらしい。どこまで素直な子なのだろうか。やはりこの子には敵いませんわ、と波坂は心の中で苦笑した。
ゆっくりと息を吸い込んで、静かに吐息した。
間を空けてから、波坂は肩を震わせる少女に近寄った。膝を折って、視線の高さを合わせる。そして、肩に手をやり、胸で抱くように包み込んでそっと頭を撫でてやる。
「貴女は悪くありませんわ。――ええ、家族は何があっても、家族ですものね」
彼の家に上がった時、彼とその両親が楽しそうに言葉を交わし合うのを、自分はこの目で見ている。彼らは立派な家族だ。
彼らなら、何があってもその関係を崩壊させるような事はあり得ないと断言できる。きっと蒼衣もそう考えたのだろう。やり方は相変わらず気に食わないが、理解はできた。
ならば、
……戻って、ちゃんと言い直しませんと。
抱くのを止めて彼女は立ち上がる。
雨に濡れ出した空にこれ以上雨が当たらないよう自分を上着を掛けてやって、波坂は少女の手を引いた。
「貴女の言葉なら、まだ信じられますわ。帰りましょう」
「――ん」
小さく頷いた空と一緒に、波坂は再び局内に足先を向けた。
……さあ、時間もあまりありませんわ。戦争の話をしなければなりませんの。
彼女の碧色の瞳は、冷たく揺れていた。
*
*
「さて、それではそろそろ神州の方々に詳細な事項をお伝えしましょう。手配は済んでおりますか?」
十名足らずの椅子が用意された小さな部屋に声が生まれる。
声はしわがれたもので、しかし少し高めの音。老女の、アウヴィダの声だった。
それに応じるのは牛頭の男だ。彼は丁寧な口調で、
「それは自分の部下に準備をさせています。集合場所に諸規則と戦闘区域で良かったでしょうか?」
「ええ、よろしいです。誰が出るかはその場で分かるようにしておいて下さい。――それとドルガー、貴方の方の仕事は大丈夫ですか?」
問うた先には浅黒い肌にスーツを着込んだ青年がいる。
「問題ありません。ムンバイ全域、戦闘可能性地域の住居人への事前交渉は完了しています。ホール氏の隊の協力で、結界の展開と局内の防御設備もフル回転状態にあります」
アウヴィダは了解を示す頷きをした。
老女はゆっくりと、室内にいる仲間の顔を見回していく。
そこにいるのは、わずか九名のヒト。
それが世界を維持させる貿易超国のトップ。代表である九名だった。局長であるアウヴィダを始め、副長のドルガー。参謀長アッシュ。開発班長ホール。保安班長アナーヒア。貿易・外交・護衛班長マーリー。医療班長プラ、パティ。地脈監査班長アナンタ。
誰もがこの日を待ちわびたような、そして全てを覚悟したような視線を老女へ返してくる。アウヴィダはそれが嬉しく、そしてどこか哀しくもあった。
勝手な想いに着き合わせている気がしてしまうからだ。
それを裏付けるように、背丈の低い少年のような容貌をしたアナンタが立ち上がった。彼は唯一不服そうな顔で、
「余は茶番にいつまでも手を貸すつもりはない。低俗は低俗で群れあうがよいわ。飽きた」
と言い残して、この場を去った。
皆、動揺こそしないが、どこかで気まずさを出してしまう。
「もっともな意見ですよ、あの御方の言葉は。私どもの行おうとしている事は、ただの茶番。所詮は二番煎じに過ぎません。しかし、だからこそ、――世界が自立の道を模索するのを茶番で後押ししてやるのです。この戦い、敗ける訳にはいきません」
皆は強く頷いた。
「――さあ、他人に頼る時代は終わりを迎えるのです」
全力で、戦争を売って見せましょう。




