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第十六章:儚い命

第十六章:儚い命

      *

 インド。

 昼を越え、日が傾き始めた頃。

 ムンバイ周辺は突発的なスコールに見舞われていた。

 膨大な数の貿易船の荷下ろし作業は夜も徹して行われる。が、その警護も、視界不良で航空部隊が一時帰還する破目になり、守りは性能の悪い護衛艦二隻のみになっていた。

 貿易港の傍にあるインド神話体系局内では、インドと神州の交流会が続いていた。

 トランプに飽きた彼らは、簡単な身の上話を繰り広げ、かなりの友好を深めていた。その場にいない蒼衣や海瀬、ドルガーやマーリーの話題もそこそこ出ている。もっぱら、それを喋っているのは、

「それでね、わたしが泣いたらお兄ちゃんお菓子とかご飯とか、一緒に遊んでくれたりしたんだ。今は仕事が忙しくてあんまり遊べないけど、昔から優しいんだ!」

「優しいと言えばウチではドルガー君が意外に優しさを持っていますね。見た目堅物で中身も堅物な方ですけど、よく物をくれたりするんですよ? ええ、結構高い物とかも」

 警戒心ゼロの空とアナーヒアだった。

「あのお二人とも、あまり国の重要ポストにおります方の事を気軽に喋るのはどうかと思いますわよ?」

波坂が忠告してみたはものの、二人は小首を傾げて、

「どうして?」

「悪印象を与えなければよいではありませんか?」

 素で返してくるから面倒だった。それも、

「エリスさんの上司はね、大して面白そうじゃない事もやれって押し付けてくるんだ。それがもうめんどくさくてしょうがなくて、――だから大体遊んでたんだ。報告書どうしよ」

 それは会長の事ですわよね!?

 自由奔放なご婦人が一人加算されてしまうので、波坂以下、その三人以外の約全員が気落ちしていた。知りたくもない要人の情報がどんどん頭の中に入ってくる。

 ……この話題性は壊しづらいですし、どうすればいいですの? こんな時和時さんがいてくれたら舵取りしてくれますのに。ああ、写真だけでは禁断症状っぽいものが出てきそうな気がしますわ!

 予定ではそろそろ交流会が終わる。それまでなるべく爆弾発言は止めて欲しいところだ。

「(イサキ、向こうの連中止める気なさそうよ。また交渉あるんだから弱みになる事はなるべく避けた方がいいんじゃないかしら)」

「(貴女にこれが止められると思うのならワタクシは全力で止めに行きますわ。そもそも素で聞き返されてしまったものを一体どうしろと言いますの?)」

「(生徒会所属で大佐なんでしょ。こっちの面子じゃ今のところ貴女が一番上よ。竜王もいないんだから自分で何とかしなさい。――フォローくらいならしてあげるから)」

 フォローにどこまで期待していいのだろうか。遠野が見ているのなら嬉々として活躍しにいこうとするが、本当にどう止めればいいのか分からないのもまた事実だった。

 しかし、どうするかしばらく迷っていると、突然、

『――!?』

 ムンバイ全域に、再び警報が鳴り響いたのだ。

 そこにいた全員が何事だと身を固める。が、ややあってから、

『――領海付近に侵入者あり。ムンバイ領海付近に侵入者あり! 小型船らしき艦影が十、うち一隻は巡洋艦と思しき。侵入船舶からは多数の航空戦闘士が出ており、現在護衛艦二隻が応戦中である。現在護衛艦が応戦中である!

ムンバイ全域にいる体系局各員に通達。侵入者を排除、もしくは拿捕せよ。繰り返す、侵入者を排除もしくは拿捕せよ! ――すぐさま迎撃可能な戦闘員は、第一陣として出撃を許可する!!』

 一息の後、

『――一歩たりともこの地に上げるな!』

 警報の中、インド神話体系局を中心とした、ムンバイ全域が震動した。

 溢れ返る人々の動きが、まさに震動を起こしていたのだ。その震えに一瞬身を竦ませた波坂だが、すぐさまインドの代表たちに視線を飛ばした。微笑を浮かべて、

「交流会どころではありませんわね。しかし交渉相手を叩かれるのも気に障りませんわ。――こちらも自己防衛として勝手に出ますけど、よろしくて?」

 一瞬表情を険しくするアナーヒアだが、すぐ返事を送った。あくまでとして、

「自己防衛をこちらが止める事はできません。ですが、そのようなお手間を掛ける訳にもいきません。先刻のミサイルの件も御座います。挽回としてインドの力をお見せ致しましょう」

 手伝うのなら拒みはしないと、そう告げていた。

「ありがたく拝見させていただきますわ。しかし、こちらは竜王の無事を確認できていませんので、長を守るためにまずは敵を落とさせて頂きますわよ?」

 返し文句のない言葉にアナーヒアは口を噤んだ。アッシュの方は、

『交渉の件も大事だが今は迎撃だ。急ぎたまえ!』

 と叫んで、カジノから猛スピードで出ていき司令部へと走り去っていった。

「申し訳ありません。それでは、私の方も現地での役目が御座いますから、一時の間失礼させていただきます。できればある程度の連絡手段は講じておいて下さると助かります」

 おっとりしたアナーヒアも小走りで担当場所に走っていった。残った波坂たちは、

「ま、会長がこんな事で倒れるようなタマでは無い事くらい皆さんもご存知ですし、迎撃に向かった方が速そうですわね。取りあえずワタクシと蒼衣・空で出てきますから、朝臣・ヘルネと宿禰・真人は記録係、遠野・和時のお母上は何もしないで待っていて下さいな」

「ええぇ、つまんないなあ。暇だし私カイセのとこ行ってくる」

 言ってもいないのにエリスは人形片手にどこかへ行ってしまった。残った四人は嘆息したい気分を抑えて、互いに役目を確認し合うと、

「では蒼衣・空、乗せて頂きますわよ? お二人ともお気を付けて」

 うん! と元気よく応えた空に続いて、朝臣と宿禰もまた言葉を返した。

「アナタたちも頑張るのね」

「行ってらー」

 空と波坂は、朝臣と宿禰の見送りを受けつつ、カジノの空間から飛び出た。

 廊下を走って、最寄りのテラスに出た。途端、空は土砂降りの中で上着とスカートを脱ぎ始めた。波坂はそれを見て鼻血を出しそうになるが必死に我慢。

 やがて周囲が魔力の濃霧に包まれたのを確認してから、波坂は自分の準備を開始した。異能の邪眼を発動寸前で止めて、軽く神力の発動の具合を確かめてみる。

 神力は新役の保護する地域から離れるほど、魔力の消耗と能力を減衰させる。故に、このインドにいる間は万全ではなくなる。いつものように動いていては命取りだ。

『伊沙紀ちゃん!』

「分かってますわ!」

 テラスにぎりぎり足を掛けて立つ二足の飛竜が濃霧より現るのを彼女は認める。

 体長三十メートルに達する竜に、波坂は巧みな体捌きでそれにひょいと上った。そしてそのまま、背部に膝を着き、鱗を掴んで身体を固定させた。

 見計らったように飛竜は、翼膜内に魔力を圧縮させ始める。加圧に加圧を重ねた末、解放によって生まれた爆風を利用し、飛竜は豪雨の中を高速で飛んだ。

      *

      *

 ……どういう状況下は知りませんけど、あまり長い戦いにはしたくありませんわね。

 魔力だけで編んだ壁を全面に張りつつも、波坂はそう考えていた。

 雲の中を直進する飛竜。その速度は小型のプロペラ機から戦闘機並みにまで届く。今は大気が安定していないゆえ速度をある程度落としている。

 だが、それでも大気にぶつかる衝撃は物凄く、雨粒はまさに銃弾のよう。魔力の壁越しに伝わる衝撃も耐えがたく、波坂は奥歯を噛んだ。

「(――蒼衣・空、制空戦闘の判断は貴女に任せますの。ワタクシは補助に回りますわ)」

『(下のお船は?)』

「(そちらはインドの方々でも十分でしょうし、そもそもワタクシに対軍戦と海上戦は無理ですわ。制空権さえ取れれば交渉材料には十分ですの)」

 分かった、と念越しに返事が返ってきた。

 ……獣化しているのにその愛らしい返事、ああもう堪りませんわ!

 最近邪念が強くなってきた気がするが気にしないでいよう。

 数分後、彼女らは戦闘海域に近付いた。

 大泉マナが戦闘に感化されて活性に傾きつつある。二人は敵味方を間違えないよう注意しつつ、更に速度を上げて戦闘に介入した。

 速い。

 その巨体を持ちながら、飛竜はまさに〝飛ぶ〟という能力に特化している種だ。

 有翼種や飛行可能な種の中でも、飛竜は、秀でた制空戦闘能力を持ち、かつ高い機動力と航続距離を有する飛行特化異属の頂点に立つ種族だ。

 高速飛行の中では翼を固定し魔力解放の制御だけで微調整。反転の際は翼を広げた状態で逆噴射し急停止、更に魔力を爆発させて再度突貫する。

 天空で飛竜だけは異様な軌道を描く事が可能なのだ。それはまるでキャンパスの空にジグザグの雲を描くような軌跡を、飛竜の少女はいとも容易く再現していける。

 常に最高速度にあるか如き速さで突撃を行い、敵は制御も出来ずに次々と海に落下していった。瞬く間に飛竜の戦果は山積みにされていく。が、

 ……全く。無茶な動きをこうも連続でやるとは、ワタクシを振り落す気なのかと問い質したくなりますわ!!

 飛竜の今の機動力は、波坂による補助が大きかった。

 空一人ではこのような動作はできない。翻りの際、波坂が創り出す神力の壁で、飛竜は通常よりも遥かに高い推進力を得ているからこその機動力だったのだ。魔力の爆風を至近距離で受ける壁、急発進を可能とする推進力が、飛竜の機動性を最大限に活かしていた。

 十分と経たない内に制空権はインド側に軍配が上がり、小型船十隻に乗った戦闘士たちもインド護衛艦群と戦闘に入り、大した波乱もなく拿捕された。

『(――あー、楽しかったあ)』

 戦闘海域の上空で旋回を続ける空は、呑気な調子でそう呟いた。

「(油断はなりませんわよ。まだ全員を捕らえた訳ではありませんから、貴女も空域警戒を怠ってはなりませんの)」

『(そんな事言ったって伊沙紀ちゃん、――さっきから下のヒトたち邪眼で止めて捕まえ易くしてるよね。いじわる)』

「――なっ」

 確かに卑怯とは思っていたが、ポイント稼ぎのためだから仕方ないだろう。戦闘でそんな事をあえて言われたくはない。そもそも、

「(貴女だって奇襲みたいに相手落としていきましたわよね!?)」

 飛竜は知らんぷりして、哨戒ついでの旋回を続けた。

 ……全く、貴女ときたら。

 飛龍の背で嘆息を漏らす彼女だが、しかし、と心の中で思った。

 ……テロの理由は何ですの? 経協圏内のいざこざか他連合の指示か、貿易艦隊のいる警戒態勢の中であえてムンバイを狙ったのも少し気になりますわ。

 空の背の上で、波坂は疑問を持った。

      *

      *

 インド神話体系局。

 奇襲を仕掛けて来たテログループの掃討が粗方終わった事が、インド代表たちの許にすぐさま届いた。

 念話でその情報を得たドルガーは、嘆息したい気持ちを抑えて、目の前にいる黒髪の少年に口を開いた。いつも通り、真面目な口調で、

「何度もお騒がせして申し訳ありません。テロリストの掃討は終わった模様です。竜王様の部下であられる二人も帰還中であるそうです」

「随分とあっさりした結末だな。敵の抵抗がよもやこれだけとは思えぬが」

 ええ、とドルガーは頷いた。

「人員の量や計画的奇襲、武装の量から鑑みても、かなり統率の執られた組織ぐるみの犯行と見られます。こちらの宣言に対する何らかの、アクションとも考えられますが」

 そうは言いつつも、ドルガーは蒼衣に対して説明を再開した。

「ともかく、今回のテロは神州のご助力のおかげで比較的簡単に済みました。幾つかの艦はまだ抵抗の意思を示しているようですが直に無力化できるでしょう。――朝のミサイル駆除と言い、今回の助力と言い、神州の方々には大変な恩ができてしまいました」

 これは恩義を持って返さねばなりません、とドルガーは軽く口元を緩めてそう告げた。

「ほお、商売を基本とするインドが恩義を覚えたか。ならば、それを帳消しにするべく何を差し出す」

「外交での恩返しは、古来より譲歩と相場が決まっています」

 クク、と蒼衣は喉を鳴らした。では、と、

「ではこの緊急事態の後でありながらも、神州と交渉、そのための晩餐とす、そして交渉においては相互理解、相互利益を追求し合う、そうといったところか」

「歩み寄る可能性は常にありますので」

 蒼衣の提案に、ドルガーは会釈一つで応じた。

「晩餐会は予定通り挙行致します。――それでは」

 一言告げてから、ドルガーは蒼衣の視界から離れていった。

      *

      *

 雑音の少ないリビング。

 聞こえるのは時計の針の動く音と、

「昨日言った通り、自分たちは魔導会という組織を持っていました」

 重低音な声だった。声の主はオニ属の、鬼村だ。

 目の前のテーブルに置かれた細長い袋に収められた物を見下ろしつつ、鬼は言葉を繋いだ。

「魔導会はすでに解散し、メンバーも散り散りになっていますが、その交友は今でも続いています。――そして、この形見の品を残した魔術師は、その魔導会でリーダー的な存在でした」

 鬼村はある人間に語り掛けていた。

 自分たちが逃げた、顔を背けた過去を、だ。

 誰に?

 それは、 

「その魔術師が、とりあえず親父や母さん、教諭が悩みや考えを持たなければならない原因となった、という認識で構わないのか?」

 遠野の確認に、鬼村は首肯する。

「この魔術礼装は火炎系に属するもので、強化術式と呼ばれる類のものです。発火、引火、助燃、全ての〝燃える〟という概念に対し最大限の補助能力を持っている訳です」

「火炎なら、空の方が適しているんじゃないのか? 波坂も火炎弾は得意だ」

「違います。ただ火を操る事だけが火炎ではありません。彼女たちの戦法や能力も含め、君の適合能力に比べれば天地の開きがあります。――この魔術礼装は……、おそらく使えるのは君だけです」

 詰まった末に出てきた言葉に、遠野は眉をひそめた。

 魔術を使うには、まず魔力を操る能力、魔力を導く能力、魔力を灯す能力が必要とされ、次に精霊や妖精との契約、最後に意思の方向性を固める事が求められる。それらを押さえておけば、どんな種族にも魔術は使用可能となる。が、

 ……使える人間が、俺だけだと? 

 そんな制約がある魔術など聞いた事もない。

 血統として、異能や特定の魔術適応能力が引き継がれ、特定の事象に対して優位性を有する事ならばまだ納得ができた。だが、〝使える〟とは一体どういう事なのだ?

 ……使えるという事は、発動ができるという事だ。つまり、発動できる人間が俺一人。母さんや親父、教諭などといった生粋の魔術師がこの魔術礼装とかが使えない、そういう事だ。

 唯一考えが及ぶとすれば、この魔術礼装が呪いを帯び、使用者を選定するのならば、

「これを残した魔術師は、直系で絶え間なく続いた家系の人間でした。家系は巫女、厳密に言えば巫術を伝える家系。つまり、この魔術礼装は、」

「巫女の道具を基本骨子としている、か?」

 はい、と鬼村は頷いた。彼は真剣な面持ちで、

「この礼装、炭刀〝火君ひのきみ〟は使用者を選んでいると思われるのです」

「確信ではないのか?」

「この礼装を一時でも発動させた人間を、自分は一人として知りません。勿論元の持ち主以外で、ですが」

「その持ち主はどんな使い方をしていたんだ? その刀で」

「炭刀の構成元素は金属ではなく有機物です。純粋な炭素物質。それを焔で焼き、神代より伝わるとされた火炎術式を改良する事で焔を数倍に増強、増幅、冗長させ、敵を一掃していました。それは、まさに天に浮かぶ光に届くとさえ思えるほどです」

 凄まじい武勇を、鬼村はどこか悲しそうな口調で語った。が、ふと、

「……中身は君と大して変わりありませんでしたが」

「才能がなかった、という意味か? 理論ばかりで使えない」

「魔力炉が殆ど一般人に付け焼き刃したような状態だったんです。ほぼ素人だった海瀬さんと自分は内心比較した事もあるくらいです。――まあそれでも、魔導会ではトップクラスの実力の持ち主でしたけど」

「で、この魔術礼装はその持ち主が自分の不利を補うために試行錯誤して造ったもので、他人に渡したくないがために何らかのブロックを掛け、そのブロックを俺ならばかわせると親父たちは考えたのか? ――しかし」

「分かっています。何故、これを君に託そうとしたのか、ですよね?」

 ああ、と遠野は首肯した。

 確かに自分は二か月前までは無能者だった。そうであるのなら、力を与える意味で託す事にも合点がいく。今もほぼ無能者と言って差し支えないが、それでも神力〝大地功〟と異能〝有者〟の複合能力がある。〝有者〟は最強にも等しい万能性を持った力だ。これさえあれば、魔術礼装の一つや二つなど、それこそ付け焼き刃だ。

 付け加えて、鬼村はこの魔術礼装を探す理由として、

「今の俺なら、これを使うに相応しい、これを使うに能う人間だと言ったのは教諭だ。それはつまり、親父たちが最初からこうなる事を見越していた事になる。世界が混乱に陥り、その中で俺が〝有者〟を使いこなせるようになる、と」

「――遠野君」

 オニは彼を呼んだ。

 遠野はオニの目を見た。鋭い目付きの三白眼がこちらを見ている。オニは静かに、

「――君のためじゃ、ないんです。この託しは」

 彼は一瞬息を詰めた。

      *

      *

 オニの一言を耳にした瞬間、彼の脳裡に過ったものがあった。

 一枚の写真だった。

 若い父親に幼い母親に似た少女、そして、知らないやつれた女性。

 少しツリ目がかった、しかし優しさの滲んだ微笑を浮かべる車椅子に乗った彼女。彼女の姿が、何故かは分からないが頭の中に浮かんだのだ。

 誰なんだ、貴女は。

 全身の汗腺が開くような思いがする。深呼吸を数度繰り返してから、彼は、

「どういう意味だ、それは。俺のためではなかったのか? あの二人が」

 鬼村は静かに頷く。

 肯定。つうまり遠野・海瀬と遠野・エリスは、誰かのために、この〝火君〟を息子である彼に託したという事だ。託した理由は、

「厳密言えば、託すのではなく、もし誰かがこれを使うのならば君に使って欲しい。そういう感情だったのです、君の両親は。――いえ、海瀬さんとエリスさんは」

「だが封印され、隠そうとしていたという事は、本当は使ってほしくなかった。ずっとこのままあそこに封印しておきたかった、そういう事なのか?」

「おそらくはそうだと思います……」

 未だに、鬼村の言わんとしている事が分からなかった。

 これが、何であるかは分かった。

 これが、何のために在ったのかは分かった。

 これが、何かの目的のために自分に渡りかけているのも分かった。

 だが。

 何故、これに、あの二人が執着心を示すのかが、彼には分からなかった。

 苛立ちが募る。自分の誇りとも思えるあの二人が、惨めな執着心を持つ理由が分からぬ事に彼は憤りを感じていたのだ。

 袋に収められた刀。

 ほんの興味本位で、遠野はその袋に手を伸ばした。

 鬼村は止めようとしない。先程握った時もそうだが、想像以上に重い。普段木刀や鉄刀、土剣を振り回しているが、そのどれよりも重い気がした。

 紐をするりと解き、鞘袋を剥ぐ。すると、

「…………」

 美しい漆塗りの黒鞘と、茶色い柄が見えた。

 しかし、鞘も柄もボロボロだった。

 漆は所々剥げ堕ち柄も汚れに染まっている。が、不思議と小汚い感想は湧かなかった。それよりも、歴戦を戦い抜いた勇猛さに魅せられた気がした。

 鞘袋をテーブルの上に置いて、遠野はゆっくりと柄に手を掛ける。

「――――っ」

 徐々に力を入れて、遠野は濃口を切ろうとした。

 数秒後、鬼村は眉尻を下げた笑みを浮かべた。

「……やっぱりか」

 部屋にオニの吐息が小さく漏れた。

      *

      *

 鞘袋に刀を仕舞った遠野は、不意に驚いた。

 目の前に座っていた鬼村が、頭を突然下げたからだ。それも、

「誰も、恨まないでくれますか?」

 と、意味不明な問いをこちらに投げて来た。

「自分は嘘をついてきた。君を目の前に持ち、教師と言う立場にあり、そして何よりも、あの時ずっと異を唱えた自分が、――いざ成長した君を見て怖気づいてしまった事を許してくれますか……!?」

 オニの声は苦しげだ。哀しさや悔しさが入り混じったような、葛藤の苦しみだ。

「………………」

 遠野はしばし逡巡するように口を噤んだ。

 怒らない、恨まない、とそう言ってやるのは容易だが、何故か口が動かなかった。

 脳裡に彼女が浮かぶ、知らない写真の彼女が。

 少年は椅子に深く腰掛けたまま、オニを促した。

「保障はできない。はっきりいって、その感情は事実を知らなければどうしようもない」

「なら、せめて、海瀬さんとエリスさんの事を、責めないで下さい!」

「――善処する」

 動悸が激しくなるのが分かる。

 頭の中で様々な思いが交錯する。鬼村の言葉の意味を測ろうと予測や推測が求めてもいないのに勝手に出て湧いてくる。こんなにも、混乱したのは初めてだ。

 ――もしかしたら、本当は最初から、分かっていたのかも知れない。

「この形見の主は、燃焼を得意とする魔術師。過去魔導を持っていた神社の、ただの一人娘でした。彼女は廃れた家の者ながら理論構築の才を発揮し、それを見出した魔術師によって魔導院に連れていかれました。そこで友と出会い、仲間を沢山得ました」

 鬼村は唐突に何かを喋り始めていた。

「最初こそ独りだった彼女も、段々と笑うようになりました。――しかし、ある日親友だった少女が死にました。自分たちを守って死にました。その少女の亡骸は魔法機関が回収し、やがて魔法機関がその少女で人体実験を行っている事を彼女は知りました」

 そして、

「彼女は、親友がまだ生きている事を知っていました。仲間もそれを知っていました。自分たちは決行しました。彼女の指揮の下、世界に刃向かったんです。たった一人で、自分たちを必死に守ってくれたあの少女を、今度は自分たちが守るために」

 その語りは、一人の少女が歩んだ人生だった。

「彼女を含め、自分たちは日陰者になる代わりに、親友を助け出す事ができました。追ってから逃れるために極東の田舎に逃れ、日々恐怖に慄きながら、行動し続けた。

 ――親友を救出してから約一年後、ふとある少年を彼女は自分たちの許へ連れてきました。少年は、死んだ事にされた親友の少女と同じ力を持っていました」

 その時彼女は心の片隅で思っていた筈です、と鬼村は述べた。

「――この少年も守られねば、と」

「…………」

「少年は無謀な人でした。死をも恐れず、ただ皆を守るために前へ出た。止めても彼は進み続けようとする。彼女はいつしか、彼を止めるのではなく彼と共にいようと、そして彼への負担を減らそうと動くようになりました」

 そう、

「二人は、互いが互いを守ろうとしていたんです。大切な存在である、相手を」

 鬼村は頭を上げた。

 告げるのを拒むように息をぐっと吸い、しかし抑え込むように肺の空気を押し出す。

 空気は揺れ、音となり、そして言葉となった。

「君にならもう分かっているでしょう。この〝火君〟を造った女性と、その女性を守ろうとした男、それは―――」

 オニは告げた。

「――君の両親だ」

      *

      *

 白い病室。

 ベッドの上で上半身を起こし、雲に覆われた外を眺めるのは一人の中年。

 白髪混じりの黒髪にやつれ果てた身体、そして全てを知ったかのような無感情な瞳。

 それは、

「……ユイ」

 声を紡いだのは、海瀬だった。

 左手を右の肩に、そっと回し、背中を思う。背中全体に刻まれているのは紋韻。一定の流れの元描かれた炎を思わす図柄の紋章だった。

 その効力は、契約者からの魔力供給の一点のみ。

 最後に付け足された紋韻の外殻と内部の一部変更は、それによって供給側の魔力を再現なく相手に供出する事になるものだった。

 何て無駄な事だったのだろう、と、心底海瀬は思っていた。

 これでは、

「戦った意味がないじゃないか」

 護ってきた意味がない。

 一緒にいた意味がない。

 儚い命を費やした意味がない。

 自分一人で済むのならと、そう思って戦ってきたのに、結局自分が食い潰したのは守りたかったものだったのだから。皆を守りたかった、仲間を守りたかった、友を守りたかった。

 だが、

 本当は彼女一人さえ、自分には守れてはいなかった。

「ユイ……」

 強くて、美しく、そしてどこか倒れてしまいそうなほど弱い。

 笑顔の下手くそな彼女。

 彼の脳裏に浮かぶのは、いつも彼女のぎこちない笑みだった。

 皆と笑っている時も。

 戦いに勝った時も。

 そして、

「子どもが生まれた時も、君は――――」

 もっと素直に笑ったら、とエリスが言えば、彼女はそっぽを向いて答えるのだ。

 得意じゃないのよ、と。面と向かって笑うのは得意じゃないの。笑ってるて伝わればそれでいいでしょ、と。

 彼女と過ごした日々は、本当に掛け替えのないものだった。

 しかし。その一方で、彼はずっとこう思っていた。

 平和に、ただの人の生涯を送れるのなら、もっと彼女も笑うかも知れないと。

 幸せな世界でなら、彼女も笑うかも知れないと。

 命一杯の笑顔を、浮かべてくれるかも知れないと。

 そう思って、彼はずっと動いていたのだ。

 だが、しかし、結果として待っていたのは、

「――守れなかった」

 彼女の炎はあれほど滾り、燃えていたのに、命の灯火は儚く消えた。

 彼の心と同様、外の世界は曇天。病室に独り、寂しげな静けさに浸る。

 海瀬は後悔に、口端を歪めた。


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