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第十五章:重荷の重み

第十五章:重荷の重み

      *

 暗い世界がある。

 閉ざされた空間。そこに光はなく、冷たい空気がただ広がっている。

 空間は広い。大気の流動する感触からして、

「……長さが三百、いや、もっとあるな。五百といったところか」

 男の呟きが、暗がりに埋もれた。

 カツ、カツ、とゆったりとした足音が空間内に反響した。

 声を発した男は、片手を軽く挙げて、手中より月の光を創り出した。仄かな光は彼を含めた近くの足元を照らす。と、

『石、ではありませんな、この素材は』

「だろうな。見た事のない物質だ。――貴様は、これがどこまで続くと見る」

『壁際にこの階段はありますが、広さと段数から考えるとおおよそあと二百段かと。下に何かあるような感じもしますな』

 成程、と応じた男は、蒼衣と呼ばれる少年だった。

 蒼衣の足元には、通常よりもやや小さいスライムがするすると着いてきている。

 スライムの言う通り、階段は更に二百段を迎えたところで床に辿り着いた。周りを覆う素材は石のようにも思えるが金属のような滑らかさもあり、しかし冷たさはなかった。

「―――――」

 無言で周囲を見渡した蒼衣は、月光を持つ片手を更に掲げて光を強めた。

 放つ。

 蒼衣の意思の許、月光は天井目掛けて一直線に飛んだ。光は二百メートルほど昇ったところで唐突に停止し、強い光を放ち始めた。

 神力〝月光柱げっこうちゅう〟を照明弾とし、蒼衣は二、三発続けて上に放ち、次いで地面の四隅と思える場所に撃った。魔力で光るその光源は、暗い世界を大きく照らした。

 直後、蒼衣は軽く目を見開けた。

「……ほお」

 口から驚嘆の吐息が漏れる。

 そこにあったのは、巨大な箱舟だった。

 全長四百メートル強、高さ百メートル近くはある長方形状に近い艦船。これがインドの造り出したものならば交渉において有利に立てる。が、しかし、これは、

『これは、何でありますか……!?』

「オレに聞いて、答えが返ってくると思っておるのか貴様は」

『しかし―――』

 舟は、壊れていたのだ。

 見た事もない形の舟だが、船底の竜骨が割けて真っ二つに崩れていた。至るところに損傷や欠損があり、歴戦を戦い抜いた舟にしか見えなかった。

 しかし、こんな形状の舟が海原を走る事などできないだろう。加えて、ここは密閉されたエレファンタ島の地下世界だ。それに、

「ここ数年海戦など起きておらぬ。以前のインドがこんなものを造れるとも思えぬ。――まさに場違いな遺物、超遺物オーパーツよな」

『竜王様、これがここにあると初めから知っておったのでありますか?』

「何かあるだろうとは思っておったが、何があるかは知らなんだ。インドがここを見せるのを許したのは、おそらく奴らもこれを持て余しておるのだろう」

『故に世界の先導者、研究の一番進んでいる神州の長に暗に見せた、と?』

 だろうな、と蒼衣は言葉を返す。

 会話を一旦止めて、二人は舟に歩みを進めた。

 長年放置していたにしては劣化や藻の発生がない。古代人が造った訳でもないのだろうと思える。が、見れば見るほど、その損傷はほんの少し前に被ったばかりに思えてならなかった。

 舟の船底を擦りながら歩いて回る蒼衣は、ふとある事に気が付いた。

「この船、潮に浸かっておらぬな。フジツボや藻が付いていた形跡がない。陸上で砲台をしていたのだとしても大きさや形状が釣り合わぬ。――スライム、中に入り込めるか?」

『…………』

 何故か、無言が返ってきた。

「どうした、スライム」

『竜王様、この舟、中に入れぬ気がしますぞ。おそらく、竜王様でも入れるかどうか』

 ジョニーの台詞に蒼衣は眉をひそめる。彼は歩速を上げて、竜骨の割れた箇所に急いだ。

 舟の右舷。割れた部分は修理しようとしていたのか少し距離が開けられており、内部構造がわずかだが分かった。ものの、

「確かにこれは侵入が難しそうだ。結界、に似ているが少し毛色が違うな。竜撃ならば破れるやも知れぬが……」

『破壊しては意味がありませぬからな。この結界の種類と構築方法が分からない限りは、無理に入ろうとするのは危険だと我が肉体も思っております』

 割れ目にある見えない壁を触りつつ、蒼衣はスライムに言葉を送った。

「スライムよ。ここに入る事を許したアナーヒア・バン・ハンサーの言を憶えておるか?」

『構いませんが大したモノはないですよ、とか言っていたような気がするであります。――あの竜王様? まさかではありますが―――』

 蒼衣の笑みが不気味に濃くなった。

「大したモノでなければ、多少傷付いても影響はあるまい?」

『我が肉体は何も知りません』

 笑みを口元に張り付けたまま、蒼衣は手刀を構えて神力を発動させた。

『愉しんでおります?』

「……クク」

 笑みだけで竜王は、はいそうですよと言っているようなものだった。

 手刀の先に月光が集まり、密集していき、やがて彼の手が光に包まれた。光は微細に高速移動しており、チェーンソーのように切断能力を持っているだろう。

「初めてだが、やってみるものだな。しかし中々集中力を使う」

 光の手刀を安定させてから、彼は手を前に動いた。

 ゆっくりと結界に光を突き刺す。刃は結界に触れたまま中々先に進まない。魔力の壁を破れるのは魔力だけ。〝竜撃〟を使えば簡単だがそれでは多少の傷どころでは済まない。故に蒼衣は、結界を平和的に破るために神力を応用しているのだ。そう短気になる必要はない。

 蒼衣は思った。これでもちゃんと考えてから動いている人間だ、と。麻亜奈がこの場にいればオレを褒め称えただろうに、とも思った。

「く―――」

 本当に集中力のいる作業だ。

 〝月光柱〟で創り出した光粒子を絶えずチェーンソーとして機能させなければならない。通常は巨大な物体として動かしているが、今はほぼ粒子単位で高速移動させているに等しい。その上結界の強度に対抗し得るレベルで操作するのは、もはや至難の業だ。

 しばらく刺し込んでいると、やっと結界の向こう側に切先が通った。そこから縦に割っていき、横に割り、ヒト一人が通過できるほどの穴を空ける。そして、穴の縁を神力で覆い、再生能力の可能性を初めに摘んだ。

「スライム、貴様を連れて来た意味がようやく発揮されるぞ」

『我が肉体の役目は護衛の筈では……』

「元よりそのような事のため使おうなどとは思っておらぬ」

 二人は舟の中に侵入した。

      *

      *

「ふむ、存外広いな。スライム、オレの身体に纏わりつけ」

『畏まり。我が肉体で、持てる限り善処致しましょうぞ』

 箱舟に侵入した二人。緊急事態を回避できるよう蒼衣は、身動きの遅いスライムを自ら背負う事にした。

 二人がいるのは船底に近い通路。〝月光柱〟の光で照らすと、照明設備や何かしらの操作機器が所々に見えるが、どれも機能していない。今のところ第二の結界はなかった。

 ……インドが敷いたものは外の入り口部分だろうが、合理的なあの老婆が船ごと結界で覆うとは思えぬ。施すとすれば要所のみだろう。なら、先の結界はこの舟の持ち主が敷いたものだろうな。――ひとまず、艦橋か動力部を探してみるか。

 全長四百メートルもある舟だ。全てくまなく見て回る事はできないだろうが、ここまで完璧な状態で残っているものをみるのは初めてだ。故に、

「構造理念と利用方法をできる限り取らねばならぬな。今後の世界を知る上でも」

『竜王様はどこまでご存じなのですか?』

「くく、――スライムよ。ここでの事は他言無用だ。あえて物事を余計に知ろうとする事は身を滅ぼす破目になるぞ」

『……申し訳御座いません』

 ずずず、と身を引こうとしたスライムだが、蒼衣はあえて口を開いた。

「神代暦四年。神州のある場所で未発見の遺跡が確認された。遺跡は地下にあり、内部は墓所だったのか大量の遺骨が残されていた。竜人族のな」

『単一種族の墓だったのですか?』

 ああ、とスライムの疑問に彼は頷いた。

 疑問通り、それは不自然な事だ。今現在、世界で通俗とされる人類変革の説明では、種族は完全にランダム、ある程度の家系としての血統で似通う事もあるがほぼ適当に区分けされたものであるとされる。そのため、家族以外で全く同じという事はほぼあり得ない。

 完全同一種の最高記録は四代までだ。それ以上は親族の誰かが別種である事が多くなる。故に、墓所などという不特定な人間ばかりが集まる場所で同一種のみの骨が大量に出てくるなどという事はまずない。

「おそらく人類という概念ごと、諸元の神々は変革した。故に遺骨や死体すらも姿を変えられた。確認できている限りでは変化していない人間はいない。故に遺跡に異属がいる事は不思議ではないが、同一種ばかりが何十体といるのはやはり不自然だ」

 そして、と蒼衣は言葉を繋ぐ。

「墓塚はこの遺跡同様妙に精巧に、そして無機質な物質で造られていた。遺骨は丁重に葬られてはいたが、どれも傷を負っていた。深い傷だ。――まるで、」

『まるで戦死者のように、でありますか?』

 蒼衣が口端を歪めた。肯定の笑みだった。

「何があったかは知らぬが、人類は以前にも異属という存在がいたのやも知れぬ。それは滅ばされた種で、変革以前のヒトだけが生き残った。神々は人類に力を託す際、過去の記録から人類にそれを上書きでもしたのだろう」

『そうであるならば、ヒトの中に魔術師という存在がいて、架空とされた動物たちがこうやって世に顕現してきたのも頷けますし、ヒト型に似た存在が多いのも何らかの関係があるのかも知れないと言えますな』

「大抵の人間ならばそのような結論に行き着く。だが、思い返してみよスライム。何故、ヒトが生き残り、他は消えたのだ?」

『それは―――』

 スライムは口を噤んだ。

「一つ考えれば、最終的にその仮想に行き着く。無論そうではない仮定もあるが、ヒトなどという弱者が戦闘で生き残る術があるとは思えぬし、それほどの血が流れていながら記録が神話という夢想などにしかない訳がない。――奥はまだある。どの道、こうやって遺跡を追う事でしか情報は知れぬのだ。ゆるゆると行っていけばよい」

『一研究者としての興味もあるのでありますな』

 ハハ、と蒼衣は図星を突かれて失笑した。舟の上層部を目指しつつ、

「他に欲求が少ないからかも知れないな。オレは目的が達せれば後はどうなろうと構わない。貴様も利用されぬよう気を付けるのだな?」

『我が肉体は国のために捧げると誓いました。しかし、我が肉体は愚か極まりないため、その時々の長を、我が肉体の志に叶う限り追従しようと考えて御座います。故に、竜王様が我が肉体の理想である限り、着いていきます』

「成程。オレには分からぬが面白い考えだな。――言葉を交わすのも、存外良いものだ」

 階段を登り切ると、両端に伸びる長い通路に着いた。暗闇で奥までは見えない。

「貴様ジョニーといったな。どちらに行くか選ばせてやろう」

『何度か曲がりましたか、この方向は船尾か船首かですな。我が肉体は先を求めたいところですが、ここは背後を取りますぞ!』

 ふむ、と蒼衣は頷いて、ジョニーの言った通りの方向につま先を向けた。

 舟の内部は壊れていても古めかしさはない。至る所に接合部分である事を示す境目があり少々気になったものの、それ以外は快適なものだった。

 どこかへ保存されていたような感じもあるが、内部の空気組成は外と同じで、無防備に進んでも酸素が消える事もなかった。

 途中、扉や脇道が幾つかあったがどれも無視した。今目指しているのは、舟の動力部や艦橋部。重要部分と思しき場所でない限り、寄り道したりこじ開けたりする気はなかった。が、ややあってから、

「入り込んだ箇所の裂け目か。……ほお、随分と登ったようだな。二十メートルほどか」

 わずかな隙間から下を覗いた後、蒼衣は再び先を目指した。

 後方を目指してから、歩幅と歩数から積算して約百メートル強。そろそろ何かあってもよさそうだ。見付けた扉を、蒼衣は手当たり次第に狼竜種の脚力で蹴破り始めた。

 どれも個室ばかりで何もなかったが、五番目に破った扉の奥だけは縦に抜けた空間になっていた。縦横が五十メートル、高さは五十メートル以上はある空間だ。

 中には何もなく、どこを照らしても壁が見えるだけ。扉から先に足場もなく、空間にこの扉が穴として存在しているだけだった。

『液体的なものでも入れていたのでありましょうか?』

「分からぬ。だが、この位置に穴を作る意味もない。他の要因がある可能性の方が高いな」

 ふと蒼衣は、足元の下、垂直に続く壁を舐めるように視線を移していった。

 すると、三か所、長方形状の線が刻み込まれているのを見付けた。見上げれば、扉の遥か上部にも二箇所長方形の切れ目が見えた。

「一体幾つ扉を造れば気が済むのだ、この舟の設計者は。弾薬庫にしてはでかすぎる。戦闘用船舶だと踏んでいたが、この分では特殊任務に特化したものかも知れぬ」

 艦橋や動力部を見たかったが、一度外に出て外部を確かめたくなった。

 二人は元来た道を戻った。

      *

      *

 彼に刻まれた背中の紋韻は判然としていた。

 紋韻とは本来、魔術師の使う契約や術式効率化を目的とした、意味を持つ紋章だ。だが彼の場合は、

「見れば見るほど面白い紋韻です。造った方の試行錯誤が見て取れる。相手に合わせるべきか自分に合わせるべきか、誰かに任せるべきだろうがでもやれる術師がいない。何日も考えてはみたが、何日しか考えられなかった。――貴方様の事に苦心してばかりです」

 アウヴィダは微笑ましそうに、海瀬の背を見ながらそう言った。

 部屋には彼と老女の二人だけ、プラとパティの姿は消えていた。老女のシワの寄った右手は絶えず背中を撫でている。海瀬は老婆に物を言おうとするが、

「余計な口は―――」

「途中二、三度上書きしたようですが、最後のものは実に面白い」

「――――――」

 彼は口を噤んだ。そして、アウヴィダはそれを分かった上で言葉を作る。

「最後には、もはや貴方様の事だけしか考えていませんね。自分をなげうつ覚悟、貴方様が少しでも生き永らえられるようにこの紋韻を造り出した」

 ほほ、と老女は喉を鳴らした。

「あの戦いは私も憶えておりますよ。高々百人にも満たない青臭い魔術師たちが、魔術史そのものに立ち向かったのですから。かくゆう私も魔法機関プロティスタに呼ばれました」

「あの中にいたのか? 貴女も」

「いいえ。主義主張などで争う気など毛頭ありませんでしたので、私は無論無視致しました。強制力の低い地域の者の殆どはそうでしょう。顔役は建前上行きましたが」

 海瀬は無言だったが俯き、そしてその瞳は悲しげだった。老婆は言を絶やさない。

「しかし、貴方様方の戦闘論は興味深かったです。一騎当千の概念が変わったとも言えるほどでしょう。当時、魔術師の理想武器は一騎から数騎の強力な使い魔、もしくは無敵の術式だった。しかし貴方様方は、――数と〝魔法〟で押し切った」

 無謀だったでしょう、と老女は尋ねた。

「何せ相手は練磨を重ねた自分たちの師。勝てる訳がありません。ならばどうするか。勝てる場を作り、勝てる数で押し切るしかありません。――そもそも貴方様方は魔法機関を止められれば良かったのですから、ある程度の無謀はできたのでしょう」

「止められなかった、止める気もなかった。あの時は、ただ相手を止めようとしていた」

「そうでしょう。当時の魔法機関はもはや暴走、破裂寸前でした。残り十年と思えば焦るのも必至でしょうが」

 すると、アウヴィダは、海瀬の背から手を離した。

「しかし、後が悪かったと私は思いました。貴方様方は燃え尽き、後々の世界を委ねてしまった。何も知らない世界に」

「……自己判断にしただけだ。破滅に向かっていないだけ、マシだと言える」

「このような事態になるとは、私も思っておりませんでした。故に、非難する権利は誰にもありません。守りたい者がいた者も多かった事でしょう。失った者もおりますでしょう。争いを過去にしたかった、そうでありましょう?」

「昨日の交渉よりも饒舌だな、貴女は」

「ほほほ、――傷を思いやり、傷に塩を塗るのが商人のやり口でありますがゆえ」

 しばらくして海瀬の身体を診終えた老女は、静かに部屋をあとにした。

 海瀬は独りその老婆を見送る。が、その顔は、やはり微笑みに満ち、何かを楽しみにしているふうで決して良い笑みとは思えなかった。

      *

      *

 蒼衣とジョニーは選択を迫られていた。何故ならば、

『どうなされますか、竜王様?』

「研究者としては是が非でもやってしまいたいが、為政者的立場から見れば躊躇う箇所も出てくる。選び難いものだ」

 巨大な船の後方、船尾と思しき場所に立つ二人。

 蒼衣とジョニー。

 蒼衣は腕組みをして、ジョニーは身をぶよぶよと上下に揺すりながら考え込んでいた。眼前にあるのは、燃料供給管や起動装置のように見える直径五メートルの円形の凹凸だ。

 船尾、床から二十メートルほど上に一つ。その更に上の六十メートルの高さに二つ。合計三つの支点として窪んだ円形があった。

 彼らが悩んでいるのは、この舟の燃料源が何であるか、だ。

『やはり昔の遺物ならば、使用燃料は魔力であると仮定するのが最も安易です。しかし、熱や光などのエネルギー、全く未知のモノである可能性も捨てられないであります』

「ここで試すのは容易だが、今後この舟がインドに大いに貢献するならば、傷物にした際の立場が危うい。確証を得るだけの材料がなければ、選択するのは賭けだな」

 蒼衣は息を沈め、じっと舟を見詰める。

 ……中身は空。初めから無かったのか、あった物をインドがせしめて用無しとしたのか。どちらにしろ、内部は通路と大小極端な空間しかなく、初めからヒトが内部で活動する事をあまり考慮していない。入ったとしても整備だけとみるのが妥当だろう。

 何より気になるのは、

「内と外、ただの接合部にも見えたが、場所によって異様に多くなる。耐久性としてそうさせているのか、可動部であるのか」

『今思ったのですが竜王様、――中で色々蹴破っておりましたがアレはどうなさるおつもりなのです?』

「大したモノはないと言ったのだ。こちらの責任ではあるまい」

『――――』

 聞いていない振りをしようとしたのか、スライムは口がない身体で口笛を吹こうとした。

 蒼衣は考えるのを止めた。

 別に問題になっても無視すればいいと結論付けて、彼は魔力の塊を口内に溜めた。強く短く吐息するようにそれを吐いた。無味に近い魔力が円形にぶち当たった。直後、

『何も、起こりませぬな』

「しかし一瞬吸収しようとした、燃料に近いものではあるのだろう。供給口ならば三か所から同時に、超高濃度で大量の魔力を必要とする筈だ。吐息一つでどうこうできるとは、最初から思ってはおらぬ」

 失敗に残念がるジョニーだったが、しばらくすると、

『ですがそうなってきますと、この舟の役目を知る事が難しくなりますぞ。如何なさるおつもりなのでありますか、竜王様』

「そうでもあるまい」

 否定の言葉に、スライムは驚嘆して飛んだ。

『本当でありますか!?』

 ああ、と蒼衣は頷いて、

「吸収するという事は、このはオレの予想通り供給口だろう。そしてそうあれば、二通りの考えができる。これに常時供給管が着くか、満杯の状態で出港するか、だ。穴が常に見えているからして前者の方が有力だろう」

 だが、

「だが結局のところ、この舟には背後に母体となる何かがあったという事だ。そう考れば

自ずとこの舟は二次的な意味で母体に着けられていたという答えが生まれる。二次的な意味、つまりは母体を支援するもの。前方なら砲台、後方ならば加圧器としての運用が思い付く」

『しかしそのような設備は見られませんでしたが?』

「母体から信号を送ればどうとでもなる。いずれにしても、これは運用する身からすれば欠損が酷い。補修するよりも母体を先に行かせた方が早いとみて捨て置いたのだろう。損傷の具合からすれば、攻撃を受けた可能性が高いとみるべきだ」

 蒼衣の説明に、スライムはしばし逡巡すると、

『これが魔力の砲台ならば、供給量も膨大な筈。竜王様の竜撃にも十分耐えうるのではありませんか? 少しでも稼働すれば、公にして共同研究対象にし、魔力のみで稼働する機構の開発が一気に進むと、そう我が肉体は考えたのでありますが?』

「やってみる価値はある。が、無理だ。――これだけの物質を稼働させる魔力量を一本の管から送るのは負荷が大きい上、相当する竜撃も少なからずオレの色が出る。完全な無味でなければ稼働しまい」

『な、成程……』

 難しいものでありますな、とジョニーは言って提案するのを止めた。

しばらくの無言の後、蒼衣はふと不意にある事に考えがいった。そうか、と頷き、

「あの老女、オレと同じくこの穴に魔力を送り一瞬動くのを見たのだな。魔力を送れば動く。それほど単純ではあるまいが、魔力併用理論の土台になった事に間違いはない筈だ」

 いやはや、

「――貪欲な女だ」

 過去の英知を、商売の道具にしようとは。

 収穫もほどほどに、蒼衣とジョニーの二人はその空間から立ち去った。

      *

      *

 神州では、早くも一日が終わろうとしている。

 終日神力の低出力維持の訓練に励んでいた遠野は、その終わりがけに担任である鬼村を見付けて声を翔けようとした。が、それよりも先に鬼村に呼び止められた。

 鬼村は、今晩にでも遠野家に行きたいと言ってきた。大事な用があるらしい。

 ……何をする気かは知らないが、気を配る必要があるかも知れないな。

 家まで案内しつつ、遠野は心の中でそう思った。背後でゆったりとした歩調で着いてくる鬼村は、物珍しそうに近隣の住宅を見回していた。

「何故周りを気にしているんだ?」

「ああ、すいません。自分、ここに来るのは初めてだったので。この十年で大分出雲からヒトが消えていますけど、こうやって見ると意外と多いのかも知れませんね」

「郊外ならこうだが、学園に近い地域に住んでいる人間なんて殆どいない。結果的な密度は低いままだ」

「やはり、神という呼び名にしたのは間違いだったのではないですかね」

 意味ありげな物言いに、しかし遠野は言葉を返さなかった。

 この役目を神と呼んだのは、そもそもは諸元の神々だ。人類がどうこうしたものではない。祖霊崇拝と八百万の神を持つ神州ならではの考え、とも言えなくもないが。

「そんな事を話しに来たんじゃないだろ、貴方は。用はなんだ?」

 自宅が見え始めたのを機に、彼はそう尋ねた。鬼村は一息の間を開けると、少し真面目になった口調でこう答えた。

「――少し悩んだのですが、自分はもういいだろうと、今の君を見て思いました。だから自分として勝手に動きます。今日は、ある物を君の家で探そうと思っています」

「前にも来た事があるのか? いつ?」

 過去、遠野の記憶に、鬼村という存在はなかった。そもそも、両親が自宅に誰かを招いたなんて事一度もなかった。前に来たのなら、と少し興味が湧いたのだが、鬼は、

「いいえ、ありません。――探し物は、君の両親が保管してある筈の、自分たちの遺物です」

「遺物、だと?」

 はい、と鬼村は首肯してから説明した。

「厳密に言えば、自分たち魔導会にいた仲間の忘れ形見。使い物にならない魔術礼装です。過去の争いで、自分たちにも多少の被害がありました。その際、親しかった者が、失った仲間の残した魔術を受け継いだり、形見として貰っていきました。――自分は、君の両親が受け取ったその形見の品をこれから探します」

「もういいだろうと思った、俺を見てそう思ったと言った事、それに何の関係がある?」

「君に託そうと思ったのです。二ヶ月前なら思ってもいませんでしたが」

 意外な言葉に遠野は目を見開く。が、鬼村は続けてこう言った。

「忘れ形見といっても、それは一種の魔術。形見にされるほど重要な魔術ならなおさらの事、安置や封印をしたとしても周囲に悪影響が出てきます。だから、本来は魔術の機能を壊してしまいます。が、それをあの二人がしているとは思えません。あの形見は、元々君に託すために残されたのですから」

 鬼の文句に、遠野はふと引っ掛かりを覚えた。

「待て。俺に託すだと? 俺が生まれても争っていたのか、親父たちは?」

 いいえ、と鬼は首を横に振った。

「戦いは君の生まれる数年前に集結しています。君が生まれた後、その形見の主である仲間が力尽き、君の両親が形見としてそれを受け取ったのです。そして、君の〝有者〟なら形見の役目を全うできると、君の両親は思っていた筈です」

 どうして、と彼は問いかけた。しかし、

「それはまだ話せません。ただ、形見である探し物が見付かれば―――」

 まだ彼の中でも迷いがあるのか、鬼村は明言せずに先を急いだ。

 あまり急かすべきでもないと考え、遠野はあえて詰問するのを止めた。しばらくして、自宅の前に辿り着いた。胸高の門を押し開けて、彼らはそそくさと家内に入る。

「ここが家だ。親父と母さんの部屋は突き当りの右にある」

 玄関の扉を開け、探し物がありそうな場所を彼は言いながら靴を脱いだ。しかし、鬼村は何故か玄関の外で立ち止まっていた。

「どうかしたのか?」

 問いかけに、鬼村は真剣な面持ちで答えた。

「申し訳ないですが、ここから幾つか質問してよろしいですか? ――君は常に両親から渡されたモノを何か持っていますか?」

 意図がよく分からない質問だったが、必要な事だろうと思い遠野は回答する。

「母さんが編んだ符なら大体携帯している。家では、上着に入れたままだけどな」

「君の衣服、両親が何か細工をしているのを見た事はありますか? または入ってはいけないと言われている部屋はありますか?」

「見た事はない。そもそも家事は俺の仕事だ。――部屋は、自室に入られるのは好んでいないように見えるな。駄目だと言われた事はないが」

「両親の部屋に入る頻度は?」

「殆どない。この前一度入ったがそれも五か月ぶりだ」

「何かしましたか?」

「新しいシーツと布団を出しただけだ。押入れの物をぶちまけちまったけどな」

 そこまで来たところで、鬼村は腕組みして考え込み始めた。ややあってから、

「この前とは、インドが宣告した日の事ですか?」

「そうだが」

「君が自分に過去の事を聞きに来たのは、その次の日でしたね。――何か、疑問に思うモノでもあったんですか?」

「……写真があった。親父と、母さんに似た子供と、知らない女が写った」

 そうですか、と鬼村は吐息混じりに静かに言葉を返してきた。

「有難う御座います。では不肖ながらこの鬼村・国姫、行かせて頂きます」

 鬼村は、ベルトに着けた小袋から怪しげな符を取り出すと、ぶつぶつと何かを唱えながら廊下の隅にそれを落とした。

 ゆっくりと家に入り込む。鬼村はほぼ二十センチ間隔で符を両端に落としている。袋の中には、おそらくその符が何百枚と入れられているのだろう。

 まるで道を造っているようだ。そう思いつつ、遠野は鬼の動きを廊下の先から見ていた。

 ……何も言ってこないのなら、俺はこのままでいいって事だな。

 自己判断し、遠野は先に両親の部屋の前にまで行った。後から着いてくる鬼村の動きを注視しつつ、こちらの行動を見せながら遠野は次の行動を決めていった。

 鬼が部屋の二メートルに迫ったところで、彼は戸を開ける。すると鬼は、一層用心深く動き始めた。鬼村は符をばら撒き、その上を歩きだしたのだ。

 一体どんな力がこの部屋に働いているのか、彼には見当も着かなかったが、それだけ用心するほど形見は重要なのだという事は理解できた。念のため照明は点けないままにしておく。

 明かりは窓の外の月明かりでも十分足りていた。

      *

      *

 符で道を造りつつ、ばら撒いた符の上に陣のようなものを書き込む鬼村。

 呪文を絶えず詠唱するその姿は、これから何かを召喚しようとしているようにも見える。

「――押入れを開けてくれますか」

 ふと呟くように鬼村は言った。その言葉に従い、遠野は押入れの戸を開ける。

 ぐちゃぐちゃに仕舞われていたものを整理し、今では物が綺麗に積み上がっている。自分でも中々の出来だと自負していたのだが、鬼は、

「上の段、君がこの前整えたぶんだけ外に出してくれますか?」

 不服だが従わない理由もない。指示通り遠野は片付けた物を再び外へ出した。

 記憶を辿りつつ一個一個丁寧に出していき、しばらくしてやっと出し終わった。

 上段の板の上に残ったのは十個。今思えば、何故これを動かさずに片付けたのかが分からないが、それらは粗雑に、しかし統一された駒のようにも見えた。中でも、中央の五個は正五角形を描き、明らかに意図して置かれている物だと、今の遠野にも理解できた。

「これは、中々難しいですね」

 厳しい表情で唸る鬼村に、どうしたと問う遠野。オニは彼の疑問に答えた。

「そうですね。有体に言えば、爆弾処理のようなものです、今の自分が置かれている状況は。解呪の順番を間違えばリバウンドがこちらに来ます」

「リバウンドは魔術が失敗した時、発動した術者に返ってくるものだろう。何故教諭にそれが来るんだ?」

「そういう仕組みになっているんです。解呪も一種の魔術ですから、一緒くたになってリバウンドが起こる。どの程度の威力を溜め込んでいるかは分かりませんが」

「成程。それで、出来そうなのか?」

「今日来させてもらったのはこっちですから。最善を尽くします。――それに、これが自分にできる最大限の助力ですから」

 オニの低い声は凄みがあったが、どこか悲しそうな雰囲気を漂わせていた。

「そうか。なら、好きにしてくれて構わない」

「一応、両親の大事になされているモノなんですよ? 良いんですか、君があっさりと了承してしまって」

「どうするかは俺が見て判断する事だ。随分と教諭には重荷を背負わせてるようにも感じた。最大限利用させてもらうさ」

「……潔さはそっくりですね」

 鬼村はそう呟くと、以後口を噤んだ。

 集中力を前方の封印に傾ける。呼吸を浅めに抑えて、次いでその右手を押入れの空間へゆっくり刺し込んだ。そのまま、手を動かしていく。

 まず無手のままで、五角形の右下を始点として宙をなぞるように正五角形を描き、次にまた右下を基点に今度は五芒星を指先で書いた。

 そして最後、鬼村は五角形の右下の箱を左上斜めに軽く押した。

「――ふぅ」

 鬼村は大きく吐息した。肩を楽にして、鬼は、

「リバウンドがありませんからおそらく成功です。昔と同じ封の仕方で助かりました」

「どういう仕組みだったんだ? 全く分からなかったが」

「最も簡易的な封の方法を五行でしたものです。解呪は円を相殺し、対を相殺し、最後に封を相殺する。エリスさんが慣れてないものでしたので上下逆でしたが……」

「なら今のは、火から始まって円状に沿って相殺、五芒星の関係は循環する事で対を相殺、最後に封印したモノの魔力を相殺したって事か」

 封印は、封印するモノの魔力を一緒に編み込む事でその封を完璧とするゆえ、どの封印方法でも最終的に中身の魔力を相殺する手順が必要となる。彼の予想に鬼村は笑顔で、

「大正解です。はなまるを揚げましょう」

「要らない。で、封印されていたものは何なんだ?」

 遠野の催促に、しかし鬼村は、

「それが、どこにあるのか。この押入れにあるとは思うんですが―――」

 鬼村はその巨体で押入れに腕を入れ、あちこき掻き回したが何も見つからなかった。が、ふと遠野が壁の隅を指で指して、

「そこ、指が入らないか」

「よく見えましたね。ああ駄目だ、自分の指じゃ入りそうにもありません。君がやってくれますか?」

二つ返事で遠野は鬼村と入れ替わった。押入れの壁に手を伸ばし、指を指し込む。そして、

「――っと」

 がこり、と音を立てて、壁の板が外れた。

 壁は釘止めされていなかったのかすぐ剥げ、奥の空間が見えるようになった。壁の中央の部分に、長方形に長い窪みが見え、そこに何かが置かれているのが分かる。

 暗がりで何かまでは判別できないが、少年は更に腕を伸ばし、それに手を掛けた。

「……! これは―――――」

 重い、とても重いモノだった。


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