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第十二章:救えぬ想い

 インド中編です。あいかわらずのスローペースな話ですが、何卒ご容赦ください。

 

第十二章:救えぬ想い

      *

 インド。

 波坂に用意された個室には、神州組のほぼ全員がいた。

 皆は無言で、普段騒いでいる宿禰やジョニーも空気を読んで口を噤んでいた。

 落ち込むようにちょこんと座る空の手には、海瀬が握っていた人形がある。灰色の髪を持った愛らしい少女の人形。少し古ぼけてはいるが、大切にされているようで手入れはきちんとなされている。

 部屋は重苦しい空気に包まれている。部屋にいない神州の人間は四人。倒れた海瀬とそれを看護する朝臣。行方不明のエリスに、倒れた海瀬の容態を聞きにいった

「只今戻りましたわ」

 無言の室内に、波坂が戻ってきた。彼女は、

「遠野・和時のお父上は、一応命に別状はないそうで、直に意識を覚ますと医療班が言っておられましたわ」

「緑の桃は何と言っておった」

 蒼衣の問いかけに波坂は即答した。

「朝臣・ヘルネもほぼ同じ見解ですわ。倒れられたのも持病か何かの発作だろうと。胸を押さえていたのが少し心配だとも言っていましたけど」

「そうか。では、足付きの容態が落ち着くまでは帰路には着けぬな」

「和時君のお父さん、大丈夫かなあ」

 そう呟きつつ、空は手に持った人形を大事そうに握り直す。

「仕方あるまい。白髪の居場所も気になるが、今のところは交渉を続ける要因ができたと取り繕うしかあるまい」

 蒼衣は静かにそう空に告げた。

 そうだそうだ、気にするな。竜のいっちゃえ。

「そうは仰りましても、遠野・和時のお母上が見付からぬ事は些か問題ですわ。諜報しているように思われるのは難ですもの」

 ああ、それはまずいなあ。

「だが、白髪はあの時明らかに足付きに何かをしようとしていた。オレたちの知らぬ魔術を行い、その副作用で姿が無くなっている可能性もある」

 おお、上手い言い訳だよ。まあそんな術ないけど。

「倒れた人間を助けるために、質量全てを瞬時に移動させる副作用を伴う魔術を行う必要があるとは考えづらいですわ。そもそもそんなものがあるのか不明ですけど」

 ふふ、中々このオマセの子は鋭いね。いい具合に調教したい。でも不正解だよー。

「あの白髪と足付きの奥底は知れぬ。現代で、おそらく最も神と呼ばれるに相応しい力を持っておるのだからな」

「〝魔法“、ですの?」

「おそらくはな。残念ながらオレは実物を見た事はない。足付きはともかく、白髪にそれができるのかさえ分からぬ」

 カイセのはもう〝魔法〟ですらないけど、私のも〝魔法〟ではないだろうからなあ。

 と、不意に、空が手に持っていた人形を掲げた。小さく小首を傾げる少女は、自分の顔の前にそれを持っていき、じっとそのビーズの目を見詰め始めた。

「――――」

 少女はじっと考え込むように、人形に熱い視線を送る。

 え、何、どうしたのこの蒼い子。

 空は右の人差し指で人形の頬を突いてみた。人形は頭をカクカクと揺らすだけで、別にこれといった不自然さはない。が、ふと空の指が人形の耳に触れた瞬間。

 あやめてそこは性感た―――

『ぁあ……』

 女性の艶めかしい声が、部屋に響いた。

      *

      *

「それではその、貴女が遠野・和時のお母上、エリス氏で相違ありませんのね?」

 恐る恐る確かめるな声を発したのは、波坂だった。

 彼女の問いかけに、答えるものがある。それは、

『そうだよ』

 エリスの声を発し、人形の頭がひとりでにコクリと頷いた。蒼衣が、

「容易に信じられぬ。物質を消滅させて霊体だけがこの人形の中に入っておるとは」

『普通は無理だね。――まあこの人形は私本来の肉体から錬成したものだから、私だけが一定時間ここにいられる。でも核の部分は本来の場所にあるよ』

 言葉に反して呑気な声が室内に響いている。

 ……というよりもこれ、念話みたいですの。支配域を広げて直接脳に干渉してくる感じですわね。

 正確には念話ではないと思えるが。

「まあそこら辺の事は会長が探究するところとして、一先ず遠野・和時のお母上、事情を教えて下さいませんこと?」

『もう、この子はオマセさんなんだからっ』

「な―――」

 聞き捨てならない。ませた事なんて一度もありませんわ。

 自分はいつも真摯に、遠野という殿方と恋慕し合う妄想を脳内で繰り広げているだけだ。厭らしい事など夜更け辺りと授業中とか、食事中くらいにしか考えていない。戦闘や交渉中はちゃんと我慢しているのだ。それ以外は、――あれ?

「き、聞き捨てなりませんわ! ワタクシは乙女ですわ。それに、厭らしいのは貴女ではありませんこと!」

『そんな恰好してる子に言われたくないなー。私のは自前だけど、君の髪が放つ魔は契約して手に入れたんだよね?』

 手元のエリスの言葉に感化されて、空は波坂に不安そうな口調で、

「伊沙紀ちゃん、えっちい?」

「そ、そんな事存じませんわよ! 変革した次の日、気付いたら勝手に変わってましたの。信じて下さいな!」

 波坂の必死の訴えも実らず、エリスの台詞で彼女は陥落した。

『へえ、それなら相当だね。無意識で淫蕩の呪い、特異〝魅惑〟を得るなんて変態さんだよ』

「ぬあああ――――!!」

 顔を沸騰させた波坂は、ベッドの毛布にくるまって出て来なくなった。

      *

      *

 波坂を打ちのめした後、一息ついたエリスは言葉を作った。

『事情を端的に言うと、カイセのはただの発作だよ。少し疲れたせいで発作が起きて、負担を減らすためにエリスさんは人形に霊体を移した』

 事実を薄っぺらく述べたエリスに対して、蒼衣が詰め寄った。

「何故移す必要がある。貴様は貴様だろう」

『ん―――』

 と、エリスは悩むように腕組みした。

 ……言わないと引かないだろうしなぁこの子。暗示を掛けて逃げるのも手だけど、今は魔力の消費は避けたいからなぁ。

 確かに、もう潮時かも知れないと考えていたのも事実だ。もうあの子は一人で考えて一人で行動できて、独りでも生きている子だ。

 自分たちの嘘を告げたところで、自分なりに選んでくれる筈だ。でも、

 ……怖い、ね。

 言って、結果として嫌われるかも知れない。拒絶されるかも知れない。そんな不安が、昔なら気にもしなかった事が、自分を、そして彼の決意を揺るがせている。だから、

 ……不用意にこの子たちに何かを告げるのはあまり気乗りがしないなぁ。

 でも仕方がない。折衷案だ。要所だけ語って誤魔化そう。

 そうと決まったのなら、一番最初に話しておくべき事がある。それは、

『――エリスさんね、実は幽霊なんです』

 いきなり核心から入っていた。

      *

      *

「死んでるって、どういう事?」

 問いかけは上から、人形である自分を抱く空からだった。

 彼女の問いは至極もっともで、それ故に誤魔化しようは幾らでもある。

『ま、魔術とかのために肉体を弄ったり酷使してたら限界が来て、仕方ないから霊体だけになって住処を変えたの。それが海瀬の心の中だったってだけだよ』

「そのような事が可能なのか?」

 本来は不可能だよ。と、エリスは蒼衣の言を否定する。が、でもね、と前置きを入れて、

『肉体と霊体は本来一緒じゃないといけないけど、元々私の体質と特性、海瀬の力、そして周りの補助のおかげで延命できたの。それでも、カイセの方も〝所有〟で持っている力の影響で寿命がないから、私が長く外にいると発作とか起きるの。中にいてもたまに発作があるから、負担を減らすために仲間の一人が私の本来の肉からこの人形を作って、カイセの中に一欠片だけ残して私は殆ど外に出る裏ワザを編み出したって訳だよ』

「先、外に出れば発作を起こし易いと述べておったが」

 蒼衣の指摘にエリスは答える。

『場合が違うよ。今はこの人形の肉を使って魔力を少し精製して存在を保ってるけど、姿かたちを再現しながら動き回るとカイセの内側に負担が掛かるから。戦闘になれば魔力炉たちもフル稼働しないといけないし』

「魔力炉たちというからには、幾つある?」

『性能とか大きさとかはマチマチだけど、三つかな。カイセのとエリスのと他もう一人分』

 蒼衣の顔は以前険しい。やはり納得がいっていないようだ。

「足付きの寿命がないと言ったな。あと何年だ」

『さあ。まあもって数年、短くて一年かなあ』

「でも、和時君のお母さん。どうしてそんなに命が削れてるの?」

 空の素朴な問いに、エリスは注意して答えた。辻褄は合わせなければならない。

『エリスの場合は魔術師の血統として肉体を改造されてて、負担の大きい魔術を発動させたからだけど。カイセの場合はもう自殺行為だったからかな。〝魔法〟一回につき十年の命が消えていくようなものだったから』

 馬鹿げた計算に皆が息を呑む中。成程、と頷いたのは蒼衣だった。彼は、

「貴様の話を統合すると、まず足付きと貴様が変革以前より〝魔法〟など負担の大きい魔術を多用するような状況下にあり、その足付きにはその負担を減らすためにまず一人目の魔力炉が移植された。和時が生まれた後に貴様の限界が来、肉体に適応させるために貴様の魔力炉を足付きに移植した。そういう事でよいのか? 白髪よ」

『まあ筋道は似たような事だよ。私が自滅したのは自業自得だけど。――当時の私たちは魔術師の世界を敵に回して大立ち回りをしていたから。最後の方は毎晩戦闘だったし、まぁカイセは途中参加だけど』

「その争いの中で貴様と足付きの間に恋慕が生まれ、終戦後子供を生み、争いのツケが足付きより先に貴様に回ってきた、と?」

『私はカイセに頼まれた事をしただけだよ』

「――どうして?」

 空の問いはいつも核心に触れそうなものばかりだった。

 が、その問いに答えたのは、考え込むエリスではなく、毛布の中にいた波坂だった。

「遠野・和時が、まだ幼子だったからじゃありませんの? まだ幼い子を、いつ死ぬかも分からないボロボロの自分一人では育てきれない。そうお父上は思って、お母上である貴女に頼んだのではありませんの?」

『――うん』

 波坂の言葉に、エリスは間を開けて頷いた。

 すると、不意に部屋の扉が開いた。入ってきたのは緑の長髪を二房に縛った少女で、

「会長、いいかしら?」

 朝臣だった。

「何だ桃」

「カイセ氏が倒れたから帰国を延期するとインド側に伝えたら、それなら明日インド側が神州をもてなし、交友を持たないかと申し出があったわ。だから確認を取りにと」

「構わん。受けろ。詳細は聞いておるのか?」

 ええ、と朝臣は頷いた。

「二人一組くらいでそれぞれインド側が神州をもてなしてくれるそうです。明日の九時くらいからで、夜は晩餐会も開くとか言っていましたよ」

「よし、いいだろう」

 朝臣は会釈すると踵を返して、再び外へ出た。おそらくインド側に了解を告げに行ったのだろう。

 時刻は深夜の零時過ぎ。神州では早朝の頃だろう。

      *

      *

 朝の四時過ぎ。

 曙が東の空を薄い紫紅で染める頃。

 新東合学園の男子寮。その最上階、将官クラスに与えられた広い寮室。

 慣れないベッドで、寝息を立てているのは遠野だった。

 昨日の訓練の疲れを癒すように、彼は深い眠りに着いている。

 が、心地の良い安眠の最中に、彼はふと不意に寝苦しさを感じた。身体に重みを感じるような、そして何かが忍び寄ってくるような不快感がじわじわと募っていく。

 意識が渾沌とする中で、遠野は薄く目を開けた。眼前には、

「………………」

 澄んだ銀の瞳があった。少女の声が聞こえてくる。

「――お早う御座います、遠野僚長。本日はお日柄もよく、」

「待て」

 そこにいたのは、遠野の上で馬乗りになり顔を数センチの距離まで近づけた櫛真だった。

「何で副会長がここに、しかも馬乗りで顔を近づけてるんだ」

 詰問に、しかし櫛真は平然と応じた。

「龍也様の命令です。気配と殺気を消した状態でどこまで近寄れるか、確かめてこいと」

 貴女は会長の命令なら襲われる危険を顧みないと言うのか。

「それはいつ?」

「先程です。インドより龍也様のご連絡があり、その追伸として」

「何か、あったのか?」

 馬乗りを止めて床に降り立った櫛真は、はいと頷き、

「交渉は決裂、しかし滞在期間を延ばす事になったようです」

 遠野は視線でその理由を尋ねた。それに応じるように櫛真は、

「遠野研氏、貴公の父が発作で倒れられたようです」

「何だと!?」

 吃驚で遠野は飛び起きた。侍女服の裾を整える櫛真に彼は詰め寄って、

「何があった。危ないのか!?」

「いえ、遠野夫人の言によれば大事はないと。ただ容態が決して良い訳ではないので、帰国を延期。交渉も続けて行う事になったようです」

「母さんはどうしている?」

 質問に、櫛真はやや困った表情を浮かべた。が、ややあってから、

「よく分かりませんが、人形になったそうで」

「人形?」

「ええ、遠野僚長に述べてよいのか不明ですが、伝えない訳にも参りませんので。――遠野夫人は霊体だけの存在だったそうです。それで遠野研氏の中に住んでいた。そして遠野研氏は寿命切迫、遠野夫人を抱える負荷で発作を起こしたようです。遠野夫人が霊体だというのは、過去の戦闘の負荷が祟って、肉体が滅んだからだそうです」

「なら、俺を生んだ後、というよりも俺を生んだのが原因と考えるのが適当だな」

 突然の出来事に戸惑う遠野は、深い溜め息を吐いた。

「あまり驚かれませんか?」

「これでも驚いているさ。だが、昨日の晩、鬼村教諭に親がとんでもない争いに加担してたって聞いたからな。まあ霊体だ人形だと言われて、素直に納得はできないが―――」

「知らなかった事が癪、ですか?」

「そんなところだろうな」

 内側の鬱憤を晴らすように、遠野は再度吐息した。が、ややあってから、櫛真が、

「心配は募りますが、まずは貴公の事です。インドはまだ龍也様に頼られていいでしょう。着替えを済ませ次第、食堂のSクラスに来て頂けますか?」

「了解した。三十分ほど待ってくれ」

 それでは、と櫛真はこちらに会釈を送って室内をあとにした。

 一人残った部屋で、遠野は軽く頭を抱えた。気分が重い。

 ……母さんが、死人だと?

 子供のように無邪気に笑う美しい母が、過去のヒトで、ただ霊体だけが残っている。信じがたい事実だ。だが、それよりも、遠野には分からない事があった。

「何故、俺に言わなかった? あの二人は」

 自分の両親は、高々自分の生死一つで息子に気を遣う事などしない。

 彼らは自分を顧みない勇敢なヒトなのだから。故に、

「……まだ何か、あるんだろうな」

 彼の呟きは、静かに沈んでいった。

      *

      *

 雨期に反して、晴れの天候。

 旧代的な趣きのある建物に四方を囲まれた広場。

 広場には広いプールがあり、その傍には二つの陣営がいた。

 一方は白を基調色とした服を身に着けるインド勢。もう一方は紅白を主とした正装を身にまとう神州勢だった。

 インドはムンバイ。元はホテルであるインド神話体系局で、内々に決められた交流が始まろうとしていた。両集団の先頭には蒼衣とアナーヒアが立っており、九時になったところで蒼衣が口を開いた。

「アウヴィダとドルガーはどうした。こちらは病床の足付き以外は揃っているぞ」

 しかし、アナーヒアはその微笑で頭を下げた。緑の髪が揺れる。

「申し訳ございません。アウヴィダ様はご多忙ゆえ来られず、ドルガー君も雑務が幾つか残っており来られません。それ以外の代表はほぼ全員こちらに参じておりますので、どうかお許し頂けますでしょうか」

 分かっていた答えではあるが、愚直に言われると対応に困る。ここは不遜であるべきか。

「この時期に二番手すら多忙とは中々の運営の仕方だな。まあよい。――交友を申し出たのは貴様らだ。内容も決めておるのだろう?」

「はい。事前に通報していた通り、数名一組でムンバイ市内のどこかで一日交友を深めます。交友の深め方は組それぞれでお決めになって頂きます。組の決め方は、指名逆指名でよろしいでしょうか?」

 問題ない、と蒼衣は即答した。が、

「オレは単独で動かせてもらう。エレファンタとやらに行くが拒否するか? 護衛でそこのスライムが着く」

「はぁ、別に大丈夫だと存じますが、――あそこには大したモノはありませんよ?」

「価値の有無はオレが決める事だ。何を見られても文句はないな」

 アナーヒアは困惑した表情ながらも了承した。そして、

「神州側で単独になられるのは他に御座いませんね? ――では組を決めたいと思います。ご希望は御座いますか?」

 問いかけには、しかしインド側の一人が反応した。

「余はそこの水色の乳が良いぞ」

 瞳を鈍く光らせる小さな少年、アナンタだった。波坂は、

「イヤですわ!!」

「行け」

 全力で拒否の意を示した波坂だが蒼衣の一声で、彼女の顔が一気に青ざめた。それを気の毒と思ったか、アナーヒアが笑んで、

「アナンタ様一人だと外交問題に発展しかけないので、私も二人の組に入りましょう。――次の組をどうなさいます?」

『あ、エリスさんそこのピンクの子たちがいいなあ』

「パティたちの事ですか?」

「プラたちの事です?」

 空の肩の上にいるエリス(人形)がその小さな手を挙げた。アナーヒアは頷き、

「お二人なら大丈夫でしょうね。こちらの残りはホール様、アッシュ様。そちらは蒼衣・空様と宿禰様、朝臣様ですね。どういたしますか?」

「うーん、俺は一人じゃなかったら誰でもいいなあ。でも犬の方が面白そうだしなー」

 宿禰の台詞に、朝臣は嘆息しつつも言葉を作った。

「アンタ一人だと不安だわ。私が宿禰と一緒でも構わないかしら?」

「ん、大丈夫だよ。ホールさんってヒト知らないけど……」

 少し寂しそうに応じる空に、朝臣は苦笑いしながらもお礼を言った。

「(とうとう彼女も頭がおかしくなりましたわね。まさかあのようなヘンタイを選ぶとは)」

「(え、マジ!? ヘルさんマジ!!?)」

「(エリスさんも変態クンは遠慮かな)」

「(似合いの組だと言ってやろう)」

「(うん、わたしも怖いけどヘルネちゃんのためならがんばる!)」

「(ちがーう!!!)」

 悪鬼の形相で朝臣は宿禰のケツを蹴り付けていた。

 それを横目に見つつ、アナーヒアは努めて笑みでこう告げた。

「それでは残りの組は宿禰様と朝臣様とこちらのアッシュ様。そして蒼衣・空様とホール様でよろしいですね?」

 ああ、と蒼衣は首肯した。薄い緑色の髪のアナーヒアは付け加えて、

「それとホール様は現在地下の鍛冶室にいますので、お手数をおかけしますが蒼衣・空様は地下におくだりになって頂けますか?

 ――それでは、これより午後過ぎまでインド神話体系局と神州神話機構の交流を開始したいと思います。各々存分に交友を深めてきて下さい。夕暮れからは晩餐会も御座います」

 それを契機に三々五々、適当に決められた組に分かれた。

 その場に一組残った波坂グループ。波坂、アナンタ、アナーヒアたちは、

「おほほ、――その卑猥な豊満な乳房、幾度見ても飽きぬのう。じゅるりじゅるり」

「――ひぃい!」

 と波坂は悲鳴を挙げて、自分の身体を隠すように両腕で抱いた。

「アナンタ様。そちら、波坂・伊沙紀様は神州首相の一人娘ですから。できれば、公にそのような破廉恥な行為は慎んで頂けますと嬉しいのですが……」

「できればであろう。公でなければオーケーとやつじゃな!?」

「い、イヤですわ! あっち行って下さいな……!!」

 和時さ~ん、と波坂は心の中で叫んでいた。

      *

      *

 カン、カン、カン。

 薄暗い通路。

 ホテル然とした大理石が敷き詰められたそこを、空はおどおどとしながら歩いていた。

 先程から、厳密に言えば地下に降りてからずっと、通路の奥から鉄を打ち据える音が鳴り響いていたからだ。知らない場所へ、知らないヒトに会いに行くのはいつだって怖い。その上こんな音をけたたましく鳴らされていては、怖い想像しか湧いてこない。

 ……ううぅ、やっぱりヘルネちゃんとか伊沙紀ちゃんと一緒になりたかったなあ。

 それだったらもう少しは安心できた。アナンタ君とは前回の外交官派遣時に仲良くなれなかったから、今回は仲良くしようと思っていたのに。残念だ。

 怖がるあまり、空はまるで盗人のように足音を忍ばせていた。歩き始めてからまだ十メートルも進んでいない。突き当りの曲がり角まで、残り五メートル。

 カン、カン、カン。

 鍛冶で鉄を打ち据える音が、少女の心臓を一層高鳴らせる。

 できれば帰りたい。が、帰ったら兄と遠野、波坂あたりに大目玉を食らいそうなので、ここは必死に我慢だ。すり足で空は曲がり角に来た。そーっと顔だけ覗かして、少女は角の向こうを見た。

 角から更に数メートル先、扉のない部屋があった。

 部屋に灯りらしい灯りはなく、鉄の燃える赤い光だけが室内を照らしている。この距離でも灼熱の空気が空の額に汗を浮かばせる。

 カン、カン、カン。

 角からでは中が殆ど見えなかったので、空はより慎重に部屋へと近付いた。距離を詰めるごとに、溶けた鉄がうねる、轟といった音が耳に届いてくる。

 何十秒とかけて、部屋の傍に迫った。

 部屋の中を覗くと、石造りの内装だった。入り口から見て右側の壁には、鍛冶に使用する道具を含めた鉄屑が大量におかれ、左側には鍛冶場と呼べる灼熱地獄があった。

 そして、その灼熱の傍で一心不乱に鉄を打つモノがいた。

 熱さに堪えかね上半身丸々裸になった、牛頭の男だ。

 ヒト種半獣族、その牛人ミノタウロス系。ギリシア神話で有名な牛の頭を持った怪物人間が、そこにはいた。体長は二メートル。筋骨隆々の身体は一種の美とも呼べるほど鍛え抜かれ、強さという概念を現したような存在感だった。

 そっと空は首を引っ込める。心臓を抑えるように少女は何度も深呼吸をした。

 ……そ、想像以上に怖いよっ!!

 何あれ。わたしここに生贄に送られてきたの!?

 そうであれば自分がここにいるのも合点がいく。否、合点しても困る。

「……でもほんとにどうしよぉ。わ、悪いヒトじゃないっていってたたけどぉ……」

 アナーヒアは良いヒトだ。だから、彼女が大丈夫だと言えば多分大丈夫なんだと思う。

 が、その時だった。ふと不意に、鉄を打つ音が消えた。

 咄嗟に空は息を飲む。今にでも逃げ出したかったが、この距離で走れば流石に気付かれてしまう。そもそも気付かれたから打つのを止めた可能性だってある。

 恐怖心で全身から汗が噴き出した。じっとして、ミノタウロスの動きを知りたいと耳をそばだてる。丁度、立ち上がって歩き出そうとするところだった。

 のしのしとミノタウロスは歩く。部屋に近い通路にミノタウロスの影が落ちた。

 視界の端には体長二メートル。空から見れば雲の上のような巨躯が通り過ぎていった。

 どうやら何かを取りに行こうとしているらしい。顔が見えないので表情は窺えないが、まだこちらには気付いていないようだ。

 が、ややあってから、ミノタウロスの足音が変化した。

 一度停止したかと思うと、踵を返してまたこちらに近付いてきたのだ。

 ……う、ウソぉお!!

 心の中で絶叫する空。しかし、足音は停止する事もなく徐々にその距離を縮めていき、やがて空の眼前で止まった。

 巨体がゆっくりと膝を折り、牛の顔が傍に来る。上半身が裸。生温かい鼻息の音とミノタウロスの声が耳に入った。低い声で、

「――君は、誰ですか?」

 少女の肢体を舐め回すように、眼光が鈍く光った。それは飢えた獣のような鋭い眼差しで、思わず、

「ご、ごめんなさぁぁあい!!!」

 空は頭を抱えて倒れ込んだ。


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