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変人及び笑い童子という不名誉な称号を美麗な声に授けられた翌日の放課後。
私は自分の荷物以外にジャージを持って生徒会室の前で立ちつくしていました。ええ、お察しの通りジャージを返しに来たのですよ。ちゃんと洗いましたし、洗う前に匂いをかぐとか変態的な行為はしていませんのでご安心を。匂いを嗅いだらジャージから声が聞こえるって言われても嗅ぎませんよ。人の道は守るつもりです。一応。
そしてジャージの返却については昼休みの間に図書室に行っても良かったんだけど、残念なことに今日の私には図書室に行く余裕が無かったのです。ええ、何よりも会長様の声を楽しみにしている私ですがそれでも行く余裕がなかったのです。大変だったのです。
だから今も本当はこんなところでのんびり立ちつくしている訳にはいかないのですが……いえ、のんびりしている訳ではないのです。単にこのドアを開けるのも億劫だと思うくらいどんよりしているのです。
もしもこんな気分でなければ、私は単に会長様にジャージを返却してサヨナラの予定だったよ。うん。だって声は聞きたいけどイケメンって観賞するもので近づくものだと思ってないからね!やはり二人きりで話しをすることは私にはハードルが高すぎる。けれどもそれは出来なかったの。
そう。最初はいくら気分が落ち込んでいるとはいえ、あまり暗い調子で言うのも何だと思ったから「先日はありがとうございました」と出来るだけ平坦な調子を保って会長様にジャージを返した……つもりだった。けれど、うん。会長様は私に「何か元気なさそうだな」と言ってくれたのよ!!この声で!!!
そんな華麗なお声に私の凹んでいた思いが全て噴き出してしまったのも、うん、許して下さい。だってその時の私はぶっちゃけ会長様のイケメンを拝顔する余裕さえなかったのだから、直に顔を見て言葉を出すことにも抵抗がなくなっていたのよね。
「会長、私……ダブるかもしれません……!!」
「……は?」
「予備テストが……予備テストが!!」
この学校には中間テストに期末テスト、それから実力テストがあるのだが、教科によっては成績に直接反映されない予備テストなるものがある。その予備テストは「このままだとこのくらいの点数になりますよ」という目安になるのだが、その私の点数は凄惨だったのだ。
うん、トリップ前は身の丈にあった学力の学校に通ってたよ。通ってたって言っても3週間程度だから、実質入学したってだけかもしれないけど。でも小テスト等も苦労なんてしなかった。けどトリップを経て通うことになったこの学校、やたら授業の進みが早いなって思っていたら……賢い学校だったんだよ!とてもね!!やばいよコレ、やばいって。ゲームの設定に偏差値なんて出ていなかったので完全に騙された気分である。いや、ひょっとしたら設定資料集とかどこかには書いてあったかもしれないけど買うお金なかったし……っていうか例え書いてあってもその通りに世界が動いているとは限らないかもしれないけどさ!私がモブで登場している時点で全く同じとは限らないし!!けれど何れにしても脳みそそのままでこの学校のテストをクリアしろとのミッションはハードモードすぎる。鬼畜モードだ。それによくよく考えるとダブりなんて言葉は生易しいのかもしれない。二年間頑張っても赤点以外が取れる気がしない。ということは…まさかの退学!?
大変な事実を前に青ざめる私に会長様は「んな大袈裟な…」と言っていたが、私が鞄から取り出した予備テストの答案を見て石化していた。私の答案には随分な特殊能力が備わっているようである……なんて冗談を言っている場合ではない。
「お前、アホだったのか」
「遠い目をして言わないでください……!」
変人に百面相にアホという不名誉な称号を背負った私はただの平均的なモブに戻りたいとの気持ちでいっぱいだ。
「会長様、短い間でしたが良い声をありがとうございました楽しみました」
「よくわからん逃避をするな。本テストはまだだろうが」
「例え中間をクリアできたとしても期末で終わりですよ…!真面目に授業うけてコレだと自分でも救いようがないと理解できますよ!!」
そう。せめて「授業中ねてました☆」なら自助努力でどうにかなったと思うよ。…バカだからという理由じゃ復習しようにも多分間に合わないんだよね、うん。
「……しゃあねぇなぁ」
「そうです仕方ないんです悪あがきはしますけど笑わないで下さいね」
ちくしょう普通高校なら私もここまで悲観的にならなかったよ!その思いからいじけた私に向かって会長様はぽんと頭に手を置いた。はい、わかります。これは今生の別れですよ、元気でなってやつですよね!馬鹿を理由に転校ってできるんだろうか、それとも再度一年生で入学するために受験をし直すっていうの方が正しい選択になるんだろうか。どちらも私にとって望ましい選択ではないものの、身の丈に合った学校に入れるならその方が良いのだろう。一応まだ頑張るつもりだけど、無理な可能性が高いので早めに考えよう……如何せん、私の選んだ学校より此処は学力が高すぎる。そう一人盛り上がる私に会長様は言った。
「悪あがきすんだろ?付き合ってやるよ、勉強」
「へ……?」
「ネコはいるし、たまには犬の相手もいいかもな」
そう言いながら会長様は私の頭を掻き乱します。ちょ、元々セット出来てないけど更に酷いことになる!でもそんな事より、会長様は大変なことを言った気がする。
「勉強、見てくださるんですか……?」
「あぁ」
「犬って……私?」
「他に誰がいるんだよ」
苦笑いする会長様に私は思わず叫んだ。
「ご主人様、一生ついていきますんで救ってください……!」
そう言った私に会長様はくくっと喉を鳴らして笑った。
それからまずは一週間ということで私は会長様からイケメンボイスを糧に本テストに向けて勉強を教わることになりました。そう、ジャージを返しにきただけのこの瞬間から、いきなり!……ってのは私にとって凄く都合が良いんだけど、会長様に何一つ利点はないよね!?いいの、いいのこの状況!?そう、当然疑問に思うこともありました。けれど口に出すわけないじゃないですか。だって赤点回避の可能性がそこにあるんですよ。逃げません、教わるまでは、逃げません!そう誓うに決まってるよね?
ちなみに会長様は満点に近い点数をとる御方です。さすがです。そんな会長様の方針は無理に私の学力を伸ばすものでは決してなかった。
「いいか。お前は最初から70点を目指せ」
「70点を…?」
「どうせ今からやっても100パーなんて目指せない」
絶対に。と、念押ししてくる会長様は妙に説得力が有りました。無論私は「はい」と答えるしかできません。絶対100%が目指せないって言われるのは多少悲しいけれど現実だ。だって今は70%どころか30%なのだもの。
「易しいものからA、B、Cってつける。Aは絶対解け。Aが出来たらBは出来る。Cは無理だから諦めろ」
「ということは……まずAを全部おぼえるってこと?」
「ああ。……そのレベルでも大分残り時間やばいけどな」
そう言いながら会長様は「……犬って言うのは褒美が有ったほうが喜ぶんだったか」とぽつりとつぶやいた。はい、私犬って言われても怒りませんよ。赤点回避できるなら犬でも猫でもトドでも何でも良いですから!!
「お前、今から本テスト終わるまで一番好きなことを禁止しろ」
「え」
「赤点回避が解除条件だ。それくらいの褒美がなけりゃ、頑張れないだろ」
「え、そんなの無理ですよ…!!」
そもそもそれってご褒美じゃなくないですか!?ただの我慢大会ですよ!!犬とか関係なさすぎます。いや、まぁ普通に出来ることなら私もやりますけど……でもその条件は今の私に到底のめるものではないのでよ、困ったことに。だって私の今の一番好きなことって会長様の声を聞くことなんですから。会長様の声を聞かずに教えを請うなんて出来ない……つまりそのような事はあり得ない!まぁ、勿論そんな事会長様に言えるわけがないんだけどね。いくら何でも『貴方の声が今一番すきなものっていうかご褒美なんです』っていうのは恥ずかしすぎる。むしろ怪しい人確定だ。不審者だ。これ以上不名誉な称号を増やすわけにはいかない私にとってそれは何がなんでも隠さねばならない事実である。故に会長様にもその理由は述べられないわけだが、会長様は呆れた調子で私を見た。
「……お前本当にやる気あるのか」
「ありますよ!!チョモランマよりも高い志が!……でも、私の一番好きなことって受動的だから自分じゃどうしようもないんですよ……空気を吸うようなものです」
「呼吸が趣味って……お前、趣味持った方が良いぞ」
あれ?熱意を込めて言った私に、今度はな可哀そうなモノを見る目で会長様は私を見てきましたよ、はい。これはアホだったのかと言われた時よりも悲しげな目にも見える。あの、私そんなに可哀そうな子じゃないですよ。本当に空気吸うのが趣味じゃないですよ!ただの例えのつもりですよ!!言わないけれど。しかし何はともあれ会長様ってば勘違いして下さったようである。これで一番好きなことを回避するというご命令からは逃れることが出来た。そう思った私は急いで新たに絶てるもので会長様が何か納得できそうなものを考えた。考えたのだけど……ごめんなさい。素敵ボイス以外に最近楽しみをもっていませんでした。そう、最近の私は『こんな楽しみが有るのに他に何の楽しみが必要?』と思っていたのだもの。直接話したことが無かったから実現不可だとは思っていたけれど、出来たらカラオケにだって行きたいくらい……そう思った私はハッとした。
「会長、ここはやっぱり断食コースじゃなくてご褒美コースでいきましょう」
「……飴を欲しがるヤツ程鞭で鍛えないと意味ない気がするんだがな」
「大丈夫です、私はニンジンをつるされた馬になる方が得意なんです。ってことでご褒美にしましょう!!」
そう、私は意気込んで言ってみた。こんな私に会長は呆れるかと思ったけれど……あら、意外。肩を落として諦めた様子を見せました。おおお何だかごり押しが通りそうな予感がするよ、これ!
「言うだけ言ってみろ。……何だかお前が言いだす事はくだらない事な気がしてならないけどな」
「くだらないとは何ですか!っていうかこの短時間で会長てば私の特徴把握したのですか、凄いです」
「何考えているのかは分からないが、ロクな事を考えてなさそうなのは把握した。だから早く言え」
「はい、私……ご褒美は会長に歌ってほしいと思います!!」
言えと言われたら言うしかないよね!そんな私の想いを全て乗せて、私は会長に言ってやりましたとも。ええ。案の定会長は目を丸くしています。
「……歌?」
「はい、そうですね、出来れば校歌を希望します。何ならカラオケでもいいですよ、奢りますから歌ってください!!」
いやー、欲望……ではなく希望を伝えてみたものの、流石にカラオケは行ってくれないと思うんだけどね。会長様はゲームの中でも忙しそうだからね。でも言うだけならタダだと思った私は声高らかに希望を伝えた。まぁ、多分校歌でも却下でしょうけど。人前で校歌を歌えって言われたら私でも全力拒否するからね。何の罰ゲームだと思うと思う。でも言いたい欲望を一つぶちまけてすっきりしたのでこれでいいとも思ったの。それに会長様の校歌って聞く機会が全くないわけじゃないからね。そう、例えば次の終業式。群衆に交じる会長の歌声も全力を出せば会長様の声の実を拾い上げられるかもしれない……そう一人で思考を飛ばし計画を練っていると、呆れていたのか動かなかった会長が随分固い声で「……まぁ考えといてやる」と期待を持つことを許す答えをくれたのでさぁ大変。
即答で却下も覚悟していたのに、考えてくれる余地があるなんて!!私は舞い上がったよ、ホントに。
「会長、私、がんばります!!睡眠しないで頑張ります!!」
「いや、寝るときは寝ろ。ホントに単位落とすぞ。……ってか、お前マジでニンジン吊るせば走るタイプかよ……」
完全に呆れている会長様のお声も麗しいです。会長様、いえ、会長さん。本当は貴方の声が聞けるだけでやる気満タンなんですけど、期待をしても良いお返事で私のやる気は溢れちゃいますよ!
そう思いながら私は問題集に手をつけ始めて……そこで、ようやく気がついた。
ちょっと待って。本来テスト前の会長さんって“ヒロインさん”との勉強イベントがあるはずですよね!
会長ルートは勿論のこと、ヒロインさんはどのルートでも会長さんと勉強する事になっていたはずだ。会長さんのルート以外は二人きりではないけれど、他のルートではヒロインさんとそのお相手が三年生である会長さんに勉強を教わるという形でイベントが発生するって聞いてたんだよね。ヒロインちゃんは生徒会の役員だし、会長さんは成績優秀だし。ちなみにヒロインちゃんは私より一つ年上の二年生だよ。現実世界となったこの世界ではまだ見たことが無いんだけど、ヒロインちゃんが生徒会であることは間違いのない情報だ。私の生活基盤がこの世界に移る前に行われたらしい生徒総会のしおりの中にも名前があったしね。あと勉強イベントについて補足すると、私は会長さん一筋だったので起こしたことがないのだけれど、他の人とのイベントについて同じくゲームをやっていた友人が「会長ルート以外だとあれが初ジェラシーイベントなのよ」と鼻息荒く言っていたのを覚えている。その友人は今も友人なんだけど、ゲームの題名で「これやったことある?」と尋ねたら彼女は全く覚えていなかった。代わりに別のゲームを「やってみなよ」と推しつけられた。ちょっとだけ残念だった。でも、ひとまずそれは置いておいて。
あれ。このままだと会長さん、勉強イベント起こせなくない?その事に気がついた私は背中に汗が伝うのを感じた。ヤバイ、これはマズイ。
私は会長さんの声が大好きだ。赤点回避も是非行わなくてはならないイベントだ。しかし、ヒロインちゃんがどんなに良い子で可愛くて守ってあげたくなる美人で可憐な子なのかも知っている。そして、そのヒロインちゃんと会長さんが結ばれることこそ、会長さんにとって幸せなんだろうってことも推測できる。
まずい、私ったら会長さんの幸せへのフラグへし折った可能性あるんじゃないの?!そう思ったが、会長さんに「ヒロインさんどこにいるんですか一緒に勉強しなくていいんですか」と聞けはしない。接点が無いのに尋ねるなんて怪しすぎる。だから必死に頭を働かせ、考えに考え……ようやく無理のない質問の仕方を思い浮かべることに成功した。
「会長、ここ生徒会室ですよね」
「ああ」
「他の方がいらしたら、私邪魔になりますよね?」
そう、これこそ当然のことを伝えつつ欲しい情報を得るための最適な質問!そう思った私は自分でも不自然になるくらい浮ついた声であったと思う。でも会長さんはそんなことを気にしていなかった。というよりは、おそらく『部外者が居て良いのか』と私が心配したと汲み取ったようだった。
「赤点の生徒が出る可能性を消すんだ、あいつらはお前がいても気にしない」
「………ですよね、この進学校で赤点生徒はやばいですもんね」
「そもそもあいつらは図書室で勉強してるはずだ。行事も暫くないし、テストが終わるまで活動の予定もない」
そう、会長さんはあっさりと仰いました。え?!あ、うん、確かに全部ゲーム通りだろうとは思わないけど……これって、少なくとも会長さんって既にヒロインからのルート外れてるってことじゃない……?そんな私の想いを証明するかのごとく、会長は「一年は知らんが、二年の連中は皆図書室だろうな。あいつら仲良いし」と言って下さいましたよ。ええ。二年の生徒会役員ってヒロインちゃんの他に学年一位の秀才な赤毛のスマイリー君しかいないじゃないですか!これは大変な出来事である。
「か、会長……」
「ん?」
「ご愁傷様です」
私はなるべく深刻にならないように、けれど現状でこれ以上の言葉は見つけられなかった。でも頑張れ会長さん、まだ物語は序盤、これからいくらでも逆転できるよ!そう思った私はぐっと腕に力を入れ、会長さんの目をまっすぐ見つめた。対する会長さんは無表情で私を見ていたけどね。
「何が言いたいのかわからんが、ご愁傷様なのはお前の成績だ」
「うっ、そんな当たり前のことを……耳も頭も痛いし穴を掘って隠れたい気分です」
「解ってんだろうな、俺の時間を割いといて赤点なんて取ってみろ。……相応の覚悟はできてんだろうな?」
この時、私は感じた。
やばい会長さんちょっと本気モードの目つきじゃん、これ!!私ふざけてた訳じゃなくて会長さんの将来を真剣に案じて言っただけなんだからね!!いや、確かに今まずいのは会長さんの将来じゃなくて私の頭脳なんだけども!!!
でも、ここでふと思い出した台詞が有る。会長さん、ここまではかなり声が良い先輩でちょっとお人よしって雰囲気だけど……実際、ゲームの中ってもっと俺様な台詞があったはずよね。いや、それと全く同じ事が起きるとは思っていないけれど……そう考えると、私の頭名の中にはある有名な台詞が浮かび上がった。
「『俺様何様生徒会長様だ、覚えとけ』」
浮かんだ台詞は、脳内再生にダブるように目の前の人物から発せられた。そしてそれを聞いた私は狂喜の余り昇天するかと思いました、はい。かっこいいですよかっこいい!!けれど、ここはゲームの世界ではないんだよね。この台詞、ゲームの中ではスチルはなかった。だから解らなかったんだけど……うん。現物は般若を背負いながら言って下さいました。すごい迫力です。これは本気で赤点を回避しないと留年や退学では済まないぞ、と脅されている気分にすらなります。
私は心の誓いました。絶対に赤点回避してやる……!!と。そしてあわよくば先輩に歌ってもらうんだから、と。
え?何余裕かましているんだって?余裕なんてないですよ。でもこんな時だからこそ私は思うんです。全力でニンジンに向かって走ろうと。ひょっとしたら般若回避でニンジンゲットする確率だって0じゃないでしょう?って。