12
会長と平岡さんと。三人で向かった先は駅近くにあるファーストフード店だった。
実は私、この世界になってから駅の付近に来るのは初めてなんだよね。だからちょっとこの辺りの様子が分からなくて戸惑った。私は徒歩通学だから駅に用事はなかなか無い。だから初めて来たんだけど……なんというか、学校と一緒で元の駅より随分綺麗になっている気がする。
しかしそんな事を私が思っているなんて二人は気付かないだろう。むしろ二人からすればこの駅はずっと使っている駅そのものなのだろうから、そんな事を思うはずがない。私が逆の立場でもきっとそんな事気付きはしないだろう。
「ぼーっとしてたら迷子になるぞ」
そんな事を考えていると会長にそんな事を言われてしまった。確かにその通りである。この駅の構造は私は良く分からない。はぐれたら合流が大変そうだ。だから私は慌ててその後を追った。
しかし……学校の中で見ていた会長も凄く良い顔をしているなと思っていたけれど、街に出てもやっぱりそれは変わらなかった。むしろ問題は会長より平岡さんだ。ごめんなさい、平岡さん。貴方のことを学校の中では比較的普通だなんて思ってたけど、一歩校外に出たら普通にカッコよかったです。これは頭と一緒で校内の平均レベルが高すぎるのか。目が肥えてしまうではないか。ゆゆしき事態だ。
……じゃなくて。今はそんな事を考えている場合では無くて。
先導されるままに到着した先のお店は高校生の財布にも優しいハンバーガー店だった。よかった、ここなら私でもお小遣いで充分満腹になる。そう私は安堵したが、財布を出す前に会長が紙の綴りから細長い紙……チケットのようなもの千切って私と平岡さんに渡してきた。なにこれ、割引券?
「お前らコレ使え」
そう言いながら会長がくれたチケットをひっくり返すと、そこには『セットメニュー無料券』と記されていた。……平岡さんが言ってたただ飯ってこれか!!けれど何故こんなものが?そう思った私はマジマジとチケットを見、やがて見つけた文字を読み理解した。そこに踊るは株主優待券の単語である。
「……」
株、持ってるんですか会長。優待券がもらえるくらいまとまった株を持っているんですか会長……!いや、株自体は本人のものじゃなくて家族が持っているのかも知れないけど!!
「いやー、毎度の事ながら使ってないんだねぇ、会長は」
「その度にお前が食ってんだから問題無いだろ、無駄にはしてない」
「まぁ、そうだけどね」
そう言いながら平岡さんは遠慮するどころか「二枚目ちょーだい」と楽しそうに言っていた。……良く食べるな、本当に。私は呆れたが、平岡さんは「どうせコレまた使用期限ぎりぎりなんでしょ」とあっさり言っている。実際その通り使用期限はあと一週間しか残っていなかった。あの束どうする気なのですか、会長!まさか毎回ギリギリで全部平岡さんが消費してたりするんですか……?
そんな疑問を持ちながらだが、私も無料券を使用させていただくことにした。もちろん遠慮は有るけど、有り難いことには変わりがない。それに断ったとしても使用期限が短いし、きっとすぐに使えなくなる。だから何か別の形でお返しするのが、多分一番のギブアンドテイクになると思う。きっと会長はお返しなんて望んでないとは思うけどね。
そうして私が選んだのは白身魚とチーズが入ったハンバーガー、サラダ、そしてオレンジジュース。会長はスタンダードなハンバーガーにベーコンが入ったものとポテトとコーヒー、平岡さんはパテとチーズが2枚ずつ入ったものと照り焼きチキンのハンバーガー、ポテトとサラダ、それからリンゴジュースとパインジュースを頼んでいた。……あの巨大ハンバーガーって上手に食べれるんだろうか?というか大食漢がリンゴジュースってちょっと可愛いな。食べてる量はかわいくないけども。会長も平岡さんも甘党だと言う事を覚えておこう。
この店では一階で注文し、二階と三階に席が設けてある席で食べられるようになっている。二階は既に満席だったため、私たちは三階に向かった。三階は二階とは違いそれなりに空いていた。窓際近くの席に腰を降ろすと外の景色が良く見えた。ビルが多いから眺めが良いとは言い難いかもしれないけれど、足元にはたくさんの人が行き交う様子が目に映った。
「さて、まぁ食いながらになるけど……何から始めるかね」
いただきます、と、両手を合わせてからハンバーガーを手に取った会長はぼそりと呟いた。何からって……え、何から?私は首を傾けながら彼と同じ行動を取ったわけなのだが……面白そうに笑う平岡さんがちらりと見えたので、嫌な予感しかしなくなった。そしてそれを肯定するかのように会長が私をジッと見る。
「童子、お前に選択肢をやろう」
「はい……?」
「尋問されるのと自白するのは、どっちが好みだ?」
「ぶっ」
「選ばせてやるよ。あと、俺の話先に聞くかお前の話さきにするかもな」
そう会長に言われたので、私は恐る恐る尋ね返した。
「……えっと、それは……何のお話デショウ」
「お前が誤魔化そうとした事の詳細」
「う」
そう言われれば、思い浮かぶことなんて一つしかないだろう。そう……緑木くんのことだ。それ以外は思いつかなかった。
しかしその事は一応会長にも既にバレているし、改めて言うことは無い……というより、遮るかのように会長が話を始めたから言えなかったのに。何故今改めて聞かれていくのだろうと私は目で会長に訴えてみた。そしてそれはすぐに会長に通じたらしく、彼はあっさり言葉を発した。
「どうせあの場で聞いても中途半端になると思ったから、あの場では打ち切ったけどさ。あんだろ?言う事」
――さすが会長、素晴らしい読心術です。
……けれどそんな理由が有ったというのなら、もう少し早く教えて欲しかったとも思う。せめて後で話があるというヒントが欲しかった。だって、あの場で上手く言葉が纏められなかったから微妙な反応しかできなかったのに。急に話せといわれても上手く説明できる自信は無い。ま、まぁ、あの場では出来れば隠したいと思っていたからという理由もある……むしろそちらの方が比重が大きいけれど。そして今も出来れば言いたくないけれど。あと、ご飯誘われた時点で察しろといわれたらそれまでだけど!
けれどここで誤魔化すなんて会長相手には出来ないんだろうなともハッキリ思う。だってゲーム内ではあのヒロインさんですら会長相手に隠しごとを貫き通せた事なかったもんね。……そう思い出して理解した。彼女が無理なんだから私が誤魔化せる何て思う方が間違いだ。正直駆け引きする事は得意分野ではない。思ったままを口にしてしまう性格なのだから。けれどだからといって諦めてあっさり白状できるかと言えば、それはまた別の問題だ。
ただでさえも纏まらない言葉。それに加え一旦言おうとした事から逃れられたときの「ほっ」とした気持ちが裏切られたことへの居たたまれなさ。……時間を置いてから言うのは辛いんだよ!あの時一応は言おうとしたんだから!!あの時の勇気はとっくに後退してしまっている。会長には是非訴えたい。聞きたいならあの場でとめないで聞いて欲しかった、と。
だがそんな私の心の主張すら声に出さずとも会長に届いてしまっていたらしい。
「いずれにしろ俺から話ふらなきゃ言うつもりなかったんだろ。まぁ、これから俺が言った通り透の事を俺に任せてくれるなら話は別だが、透に単独で突撃出来る前が大人しく言う事聞くなんて思えないし」
「う……」
「だったら話すしか仕方ねぇだろ。それに大体何が起こったかは想像ついてるけど、一応報告義務ってのはあるんじゃねぇかなぁ、風紀委員長サン?」
そういいながらハンバーガーにかじりつく。彼の言葉は至って正論だ。その上で『関わらないなら言わなくても良い』とばかりに私に逃げ道まで与えているではないか。……なんという魅力だろう。けれど、そんな道私は選びませんよ。だから腹を括ります、そして嘘なんて言いません。うん、嘘は、ね。
「……緑木くんを廊下で見つけて、その……服装というか恰好や所持品について注意したら逆鱗に触れました。ひと悶着ありつつも話は終わったんですが、緑木くんが階段から落ちたので一緒に保健室に行きました。その時、彼は生徒会が嫌いみたいな事を言ってましたけど、一応……今回の件に関してのみは和解できたと思います。でも怪我の具合も心配なので、また明日訪ねてみようかと思っています」
……これで、嘘は無いよね?
起こった出来事は全部本当だ。ただ、ひと悶着の内容を……一部省略しただけで。しかし一部分を隠したせいで後ろめたさは残さが残り、首筋がむずむずする気分になった。自分で矛盾していると思う行動をとった時はいつもこうなることを私は知っている。つまり……今の自分は己の信条に反していると言う事なのだ。そう思うと少し居心地は悪かった。でもそこまで言う必要はないよね?
もちろん、私が言いたくない理由には恥ずかしいからという事もある。これでも恥じらいは持ってるんだ。やましい事はないけれど、やはり壁蹴り関連を言うのは躊躇われる。そもそも私が恥ずかしがらなくたって、緑木くんの立場も考えてれば言わない方が良いと思う事だってある。それに一応終わったことだし……そうよ、彼とのやり取りは痛み分けで一応話はついているはずだ。一応彼がスマホをしまったという点を考慮すれば問題は無いはずだ。だから報告は、これで良い。少なくとも……今回は。
うん、やっぱり悪い事が無くても、『今回に限る』は絶対だね。
だってやっぱり私には隠し事なんて上手く出来なさそうだから。切り取った報告は大したこと無くて、これならあんなに渋る理由がない。つまるところ……かえって噓くさかい。それに煩い心臓に圧されて言葉も早くなってしまった。やはり隠し事は苦手だ。出来ればしたくない。
そう思いながら私は会長を見たのだけど……うん、私の思考など筒抜けていそうである。信用してないという顔では無いけれど、信用しているという顔でもない。……さてどうしようか。そんな様子に真顔で固まりそうになった私に援護をくれたのは、意外にも平岡さんだった。
「しかし童子ちゃん、ホントに緑木に正面から行ったんだ。ビビんなかったって凄いね」
平岡さんの声は純粋に『感心した』というより『珍獣発見』という様子で私に言った。……そんな目で見ないで下さい、ビビったよ!!本当にビビったよ!!でも、変に口を挟まない方がこの場を上手く切り抜けられるかもしれないと思った私は曖昧に笑った。
そんな私に会長はため息をついた。……うん、ばれてますね。
「まぁ、大体はそんな所だろうとは思ってたけどな。次からは言われなくてもちゃんと言えよ」
会長はそう言って一区切りつけたけど、吐いた言葉とは対照的に『これ以上は無駄か』という副音声が私には聞こえた気がした。しかし同時にそれは『まあ、いいか』と言っているようにも聞こえたから不思議である。いいの?それなら私は大歓迎だが。
しかし一区切りがついたとはいえ、会長のお言葉はそれで終わりと言う訳ではなかった。
「お前はまだ失敗しても自分のケツも拭けない新米だろうが。職務に忠実なのは構わないが、無謀な単独行動は控えとけ。無理はしない。自分で自分の首を絞める事になるぞ。緑木見て一人でどうにかなると思ったか?」
「う……」
「後先考えて行動する事。面倒な事になりそうな事案は即時報告。サボるなよ」
会長の言葉は端的で私にも分かりやすい。お説教のターンです。そしてそれは聞かなくてはならない事柄だと言うことも分かります。グサグサ刺さりもします。結果的に何とかなったけど、私自身手際よい対応でなかった自覚は十分ある。もっと手際よく対応できていたら、緑木くんも階段から降りようとせず、足を踏み外すような事故も起きなかったかもしれない。
それに緑木くんに対して行った警告も『言わなくちゃ』とは思ったけれど『聞いてもらえる』とは断定できなかった。だから会長の言う通りだと思う。驕ったつもりはないが、立てた予想は甘かった。そう反省すると「はい」と返事する以外に何が出来るだろうか?手にしたハンバーガーを置くことすらできないのに。
「まぁ結果論だけど、緑木の場合はなかなか指示には従わないかわりに余程ぶち切れさせない限りは問題になる事ってないと思うから良いんだけどね、多分だけど」
しょぼくれモードの私にフォローをくれたのはまたしても平岡さんだった。
話の途中で口を挟まれた事に会長は少しだけ眉を潜めたが、特に何も言わず平岡さんを止めることもしなかった。だから平岡さんは気にせず言葉を続けた。
「そもそも元を辿れば体育祭にかかりっきりで俺らがあんま説明してなかったのも原因だし、うまく対応できなくても仕方ないねぇ。ベテランが何を知らないのかを知らない新人の教育を半端にサボった結果でもあるんだからさ」
「……分かってる。それについては悪いと思ってる」
「でしょ?だったら説教はもう終わりにしねぇ?飯だってまずくなるし」
会長の肯定に平岡さんがにやっと笑った。会長はそんな平岡さんに「にやけるな気色悪い」と暴言を吐きつつ、私に再び言葉を掛けてくれた。しかしこの二人、ホント仲良いな……。
「……透に関しては、まぁ、確かに言っておくべきだった……というか、言っていたつもりだった。悪い」
「というか緑木ってあんだけ目立つヤツだから童子ちゃんが知らなかった事が想定外というか……びっくりだよ?あれだけ目立つヤツだから、誰かにもう聞いてるのかと思ってた。ごめんね」
会長の言葉に続けて平岡さんの言葉。それは共通して私が緑木くんを知っていると言う事になっていた事。……でも、それは本来なら間違ってはいない事だとも思う。あれだけ目立つ人間なら少なくとも入学式で見てはいるはずだ。そして一度見たら忘れないとも思う。……ただ、残念な事に私にはこの学校での入学式は記憶にないのだけれど。だから教室も離れている緑木くんを目にする機会は本当に無かったのだけど。
「ゲーム会社の一つに『ミドリギ』ってあるの知ってるか」
「え?……聞いたこと無いかも、です」
会長が口にした言葉が今までの話の内容から飛んでいて、私は首を傾けた。ゲーム会社についてはそこまで詳しくないが、乙女ゲーム作成の会社ならいくつか知っているんですけどね!但しトリップ前に限るという注釈はついてるけどね!何れにしても私の記憶にミドリギという社名は無い。CMなどでも見たことのないメーカーだ。
……でも、この話の流れだもの、うん。
「RPGやアクション系のゲームで人気の会社だよ。人気シリーズの最新作は先週発売で既に販売実績250万本。来月発売の別シリーズも予約がすこぶる好調だ。おまけに携帯ゲームでも絶好調。まぁメイン事業は土地や建物の運用管理になりつつあるし他の事業も広げつつあるんだけど……緑木透はそこの一人息子」
「へぇ……」
やっぱりそう来るんですか……!!私は顔をひきつらせた。
「学校は透の入学時に多額の寄付……もとい新しい体育館を一つ建築してもらってる。だから面と向かっては言いにくいんだよ、色々とな」
「はっ!?」
体育館一つってどんな寄付ですか、というか……そのレベルのお坊ちゃんなのですか、彼は!!
体育館の値段なんて私は知らないが、何千万?……億だったりする?いずれにしても生徒も随分恩恵受けてるんだな……なんて思ったら、「まぁ体育館に関してはご両親の母校って事もあるらしいんだけどね」と平岡さんが注釈をくれた。いえ、普通母校でもそうやすやすと体育館作りますなんて言えないでしょう。ね?規格外だと思うのよ。
でも……そしてそれでいいのか、学校は。教育機関が金にモノを言わされてどうする。『漫画やゲームの世界でもよくあるから、この世界でも起こってもおかしくないよー』なんて頭の片隅で呑気な悪魔が囁くが、いや、そういう問題じゃない。だめだって!!そう天使が大声で叫んだ。私も天使に同意する。
本当に必要なものであれば学校は予算を確保できるはず。確かに寄付は有り難いどころの話ではないだろうが……学校の本質としてそれはどうなのか。
私は緑木くんが社長令息だという事実と学校の様子に何とも言えない表情を作ってしまった。会長は話を続ける。
「まぁ、ウチの学校に関してはOBOGに金持ちは多い。普通の感覚じゃ考えられない寄付も稀にあるし、緑木夫妻の学生時代が真面目そのものだったから……学校側としても透がこんなタイプだってのは把握できなかったんだろ」
「例え緑木の生活態度を把握していたとしても寄付を突っぱねられたかどうかって微妙な話だけどね」
「……仮定の話はさておき。透は成績もかなり良い。だから学校側も今更身なりくらいで事を大きく扱うのは避けたがる。性質が悪い事に透自身それを知っているし、分かっててやってるようだから何とも言えないけどな」
「……ということは、私も何も言わない方が良かったですか?」
もはや学校が肯定しているなら私が口を挟むのは良くないことなのか。だとしたら余りよろしくない口出しをしてしまったということになる。まずい事をしてしまったのではないか、無謀な単独行動ってこれか!一瞬無言で冷や汗をかいたが、それは余計な焦りだったらしい。
コーヒーを口に運びながら会長は「いや」とあっさり言ってくれた。
「別に学校からは何も言うなとは言われてない。むしろ『生徒会で何とかしてくれ』って思ってるだろうよ」
「まぁ、正確には『生徒会』じゃなくて『会長に』だろうけどね」
「それはどういう……?」
なんで会長に一任?そう疑問を持っていると「ああ」と会長は心得たように言ってくれる。
「俺ン家が緑木家の援助をしていた事も有った関係で、今も主要な取引をウチがしてる……というより、実質的にミドリギの本家がウチなんだよ」
「……?」
会長の家が緑木家の本家?そんな設定あったっけ、と私は頭を巡らせるが、そんな事は一度も物語では出てこなかった。少なくとも会長ルートでは。
「お前、俺の家が会社持ってるのは知ってるか?」
「えーっと……まぁ、噂で聞いたことくらいなら……?」
会長に言われたけれど、はっきりと知っている訳ではない。ざっくり「お金持ち」くらいの記憶だ。だが全く知っていない訳ではない。そう思いながら私は肯定した。
だが、その様子に平岡さんが「多分良く分かってないね」と会長にコソッと言っていた。会長も「何となく分かってた」と納得している。
「別に隠してる訳じゃないし、それなりに知ってる人も多いから言っとく。俺ン家はミドリギを含めたグループ会社の本元だ。つっても実子じゃなくて親戚筋から養子になったんだけどな」
「……え?」
「そしてミドリギの社長は俺の今の親父の弟。だから学校側としてはミドリギとして頭の上がらない家の息子である俺になんとかしてくれって思ってるって所だ」
え、本家?会長の話からミドリギって大きな会社だと思ったけど……その本家?すっごいお金持ちじゃないですか会長っていうかそんな詳細があるならゲームでは何であえて伏せてあったの!その設定!!
そう驚いている私に会長の告白はまだまだ続く。
「あとは……。学校には知られてない筈だが俺だと都合良い部分は他にもある。……こっから先はオフレコな?」
「え?」
「緑木家は俺の生家だ。ちなみに緑木姓は母方から来てる。ミドリギの社長は若い頃に駆け落ち同然で実家を後にし当時付き合っていた女性と結婚した。そして学生時代に起こした会社……当時は別名だったんだけど、それも改名して本格的に切り盛りし始めたんだが……まぁ、色々あって借金ができて首が回らなくなってさ。そんな時に子供がいなかった今の両親が俺を寄こすなら援助するって言ってきた訳。確か俺が7歳の時だったかな。その後ミドリギはウチの傘下に入って、透と俺は実の兄弟だ」
「……」
あっさりと言っているけど、それってかなり壮大なことではないか。養子だと言う事を隠していなかったとしても、後半の事はそう易々と言って良い事ではないだろう。例えばコレが会長と平岡さんの会話なら、私もまだ理解できる気がする。二人の仲は互いの手の内を良く知っていて、だからこそ言えることも多いだろう。けれど、私は単に入ってきたばかりの後輩だ。……会長、なんでそんな重要な話、私にするんですか。そう思うのは当然だよね?
だから私の顔が引き攣るのも、無理が無いことだと主張したい。
「なんか大層なお話ですが、聞いて良かったのですか……?」
「別に俺はお前らに聞かれて困ると思ってない。言い触らされると困るけどな」
「しませんよ!」
「分かってる。だから言った」
いや、そういう問題ではなく……!ここまであっさり最初から話す事ではないでしょう……!?もちろんそんな事は言えないけど!言って良い事かもわからないけれど!!
けれど本当に何も問題がないかのように会長は堂々としているのだ。そして『なんだよ、文句があるのか?』と会長の目は物語る。それに対し言い返したい事はたくさんあるが、彼を言い負かせる言葉がとっさには出てこなかった。悔しい。
一方そんな私とは対照的に平岡さんに動揺は見られなかった。それどころか何事も無いかのように凄い勢いでポテトを減らしていた。……なんかダブルで悔しいな、この状況。なんで私だけが慌てているんだろう。
私の視線を感じたらしい平岡さんは一度私に目を向けたけど、すぐに会長の方に視線を向け、テーブルに肘をつきながら肩をすくめた。
「会長って思いついた時にいきなり話すタイプだよね。俺も最初聞いた時、一瞬聞いて良かったのか聞こえなかったフリでもすべきなのかって迷ったし」
……どうやらやはり平岡さんは既に今の衝撃告白を知っていたらしい。なんだ、今はじめて語る話題じゃないんだ。それを知った私はゆっくりとオレンジジュースを口に運んだ。ひとまず落ち着こう。色々聞きたいが緊張で随分喉もカラカラになってしまっているし、良い言葉が思いつかない。だから頭を落ち着かせようと努力しつつ会長と平岡さんのやり取りをぼんやり眺めた。
「別に誰にでもって訳じゃねぇから良いだろ。平岡に喋ったのが最初だった。つか、お前が気を使うとか気持ち悪いな」
「え、じゃあ俺が初めての人?なんか照れるな」
「……死にたいのか?」
「それはまだ困るなぁ。少なくとも、童子ちゃんにまだちゃんと説明しきって無い現状じゃ、ね?」
そんな事言って……説明したからって死ぬわけじゃないでしょう?平岡さん。いや、むしろ説明を終えたから死ぬという展開でも私が困る。そんな事でほいほい倒れられても本当に困る。
「……まぁ、平岡は置いておくにして。本題に戻すけど、こういう事だから学校側からは透の事をどうにかして欲しいとは思っていて、俺に任せてるよなモンだ。だが、透がそれを聞くかと言えば話は別だ」
「うーん……それは、何となく想像は付きます」
そもそも大人しく言う事を聞くタイプで有ればそもそも会長の出番まで来て無さそうだ。
「ウチの親父に言ってミドリギに警告するのが手っ取り早いかもしれないが、できればそれはしたくない。まぁ生理的嫌悪が有るとばかりに嫌われてるから透と話をするのもままならない現状だがな」
色々手は考えてるんだが、話をするところに辿りつくのが難しくてな。そういう会長は少しだけ眉を下げている。
かれど会長の苦笑しながらも諦めるつもりは無いらしい。流石会長……って思いたいんだけど、正直色々有りすぎて頭がついていかない。
「何だかんだ言ったけど、お前も難しいと思ったら透の事は俺に任せてくれてていい。……まぁ、俺も良い案あるなら協力を求めたいとは思ってるけどな」
そう言いながら会長は私に「早く食っちまえ、冷めてるぞ」とハンバーガーを食べるよう促した。食べながら話をしていた会長達とは違い、私のものはほとんど残っている。私は慌てて口に詰め込んだ。でも味は良く分からなかった。その代りに詰め込みながら『会長と緑木くんが似てるって思ったのは間違いじゃなかったんだ』と、ぼんやり思った。
雰囲気が違うのに、何で似てるって思ったのか謎だったけど、少しだけ納得できた気がした。
その後、ファーストフード店を後にしたのは15分後位の経った頃だった。
会長の衝撃的な告白の後は本当にいつも通りの、何気ない会話しかしなかった。例えば会長と平岡さんが小テストの話をしていたり、クラスメイトの話をしていたり。私は頭の整理をつけるためもあって分かるはずの話題も頭に入ってこなかった。だから会話には参戦せず、「そろそろ帰るか」と言われた所でハッと意識を戻したようなものだった。
「今日は、ありがとうございました」
閉まる自動ドアを背にやや生温い空気を纏いながら私は先輩二人に頭を下げた。何を言えば良いか少し迷ったが、謝罪も感謝もごちそうさまも、全て含めてこの言葉が一番かなと思った。しかし自分で言っておきながら何となしっくりこないのもまた事実。だがそれ以外どういう言葉を当てはめれば良いか分からなかった。だからもやもやした感情は喉の奥に押し込んだ。
私の言葉は小さな声ではなかったから二人に届いたとは思うけど、会長は特にそれに返答することなく「悪い、ちょっとコンビニ寄ってくる」と言うが否や少しだけ離れた所に建つコンビニに向かってしまった。
え?行っちゃうんですか?返事なにもなしで?
私は驚いたが、平岡さんは驚くことなく「了解」とのんびり言った。会長の背はすぐに遠ざかった。
「じゃあ童子ちゃん、とりあえず俺らは此処で会長待っておこうか。それとも童子ちゃんもコンビニに用事ある?」
「いえ、特にないですけど……」
「じゃあ此処にいよう。ところで童子ちゃんの家ってどっちだっけ?」
「学校から10分程度ってとこです。駅とは反対方向にですけど」
「じゃあ会長と一緒に帰りなよ」
私と同じく置いてけぼりに遭った平岡さんはガードレールに腰かけながら尋ねてくる。
「会長の家って、別に私と同じ方向じゃないですよね?」
「そうだけど。でも俺は電車だから送るの面倒。ヤだ」
「私だって一人で帰れますよ」
「あー、ダメ。暗いしダメ。会長の事がどうしても嫌なら俺が送っても良いけど貸しイチね?」
そう言いながら平岡さんは人の悪い笑みを浮かべていた。……これ、絶対私が平岡さんに借りを作りたくないって思うのを想定されている気がする。実際その通りだけど。そもそも会長が嫌な訳でも平岡さんに送って貰いたい訳でもないのだから、一人で帰る選択肢を貰えなければ借りを作る意味もないではないか。だいたい下校の時は普段から大概暗い。だからいつもとかわりませんよ。そう思いながら睨み返してみれば盛大に笑われた。
「何だよ、そんなイヤな目で見なくても良いじゃん。そりゃ俺も飯奢ってもらったけど、ちゃんとフォローしに来たんだから寧ろ褒めてよ?」
「何の話ですか」
「そりゃ会長の意図を汲み取って行動したって話ですよ。会長ってば素直じゃないからね」
「だから何の……」
「会長は童子ちゃんへのフォロー入れて欲しくて俺を連れてきてるって事だよ。会長、『色々言いたいけどきつく言い過ぎて混乱させたら心配』とか考えてるんだぜ、きっと。だったら自分で控えめな表現覚える努力とかすりゃ良いのになー?」
面白そうにくつくつ笑う平岡さんの言葉は私が全く想定していなかったものだった。
それって、もしかしなくても会長が私に気を使って下さってる……って事だよね?そう、私に気付かないように……
「……って、何でその裏事情を私に言うんですか」
それを言ってしまえば会長のお心遣いが消えてしまう気がする。もちろん私の立場からすればお心遣いを受けたと言う事を知る事が出来たので、寧ろ平岡さんの言葉は聞けて良かったと思う。でも平岡さんは私より会長と仲が良いはずでしょう?それなのに何故会長の計算を崩す様な発言をするのだろう?そう思いながら平岡さんを見ると、彼は相変わらずの笑顔をしていた。
「だって、面白いネタって話さないと気が済まないじゃん?」
この人、面白いかどうかが全部の基準なのか!!私は若干めまいを覚えた。会長、騙されてますよ!!会長!!
「えーっと、童子ちゃん?随分不服そうな顔してるけど……会長だって俺が会長の傍を離れれば童子ちゃんにこの話をすなんて織り込み済みだと思うよ?つか、俺の行動なんて大体把握してるよ」
「そ…そんなモノなんですか……?」
「うん」
「話したのばれるって分かってて、会長が言わなかった事をわざわざ言う事までですか」
「うん。良いんだよ。推奨はしてない……まぁ、言って欲しくは無いかもだけど、俺相手じゃ諦められてるから怒られないよ。それに俺だって会長が本気で嫌がる事は言わないからね。多分」
「……多分?」
「うん。まぁ、多分ね?」
自信満々な平岡さんの表情はもうモブ仲間とは程遠い、悪魔顔になっていた気がする。小悪魔なんて可愛いものではなく、魔神という言葉が近そう……なんて思ってしまったけど。いや、もう駅に来た時からモブ仲間じゃないのは分かっていたけど。そして同時に思った。もしも私に何か悩みができても、この人だけには極力相談しないようにしよう、と。
「そういえば平岡さんは、緑木くんと会長の関係……今日会長が仰った事は全部知ってたんですよね」
「知ってたよ。まぁ、言われたのは緑木が入学してきた後だけどね」
「もうひとつ、聞いて良いですか?」
「どうぞ?」
「………何で、会長は私にその話をしたんでしょう?会長の答えじゃ、納得できなくて」
こんな事を聞いても平岡さんにはわからないかもしれない。それを理解した上で私は尋ねてみた。聞いておいて何だが、答えは期待していない。けれどどうせ会長が戻るまで時間が有る。だから時間つぶしを聞いてみたのだ。どうせ平岡さんも暇だろうし、と。
「会長と平岡さんの仲ならともかく……特に養子ってことは分かっていても、それ以降の、深い話は私に言う必要、無かったですよね?言わないと思って下さっているのは光栄ですけど……でも、そんな本能だけでリスクを冒す意味が分からないんです。リスクありノーリターンを選ぶ方じゃないと思うんですけど」
私は自分で言いながら、やっぱりこれは平岡さんに聞くことでは無かったかなと思ってしまった。答えが返ってくる、帰ってこない以前に本人以外に答えのない質問だ。それに遅れて気付いた私は肩をすくめながら平岡さんを見上げた。平岡さんは「その言い方だと俺と会長がアヤシイ関係みたいで誤解生みそうだな」なんて笑ったけれど、それ以外に目立つ反応はしなかった。
「まぁ、童子ちゃんの意見に同意はできるけど、聞いた通りアイツも特殊な人生経歴の持ち主だしさ。軽い調子で言ってたけど、人の本質を見抜くのは冗談抜きに上手いよ。天性のものというより磨かれたものって感じだけど……だからこそ童子ちゃんに言っても大丈夫って思ったんだろ」
「……その信頼を得るようなこと、何もしてないのでよく分かりません」
「だろうね、俺も想像だし。詳しい事は会長に直接聞いてみなよ。その方が早いよ」
平岡さんは飄々とした様子でそう言うと、大きな手で口を覆い特大の欠伸を一つ挟んだ。
「会長が今まで俺だけに話してたのは……まぁ、信頼もあっただろうけど、どちらかと言うと立ち回りに必要だったからだと思うよ。会長は緑木と対話する努力をするつもりみたいだけど、どこでフォローが必要になる分からないからね」
「……」
「俺も会長じゃないから会長の考えの詳しい事は分からない。正直会長が童子ちゃんに話した理由なんて想像もつかないよ。でも……あぁ、可能性の一つとして考えられそうな事といえば……会長もまだまだ子供ってこくらいかな」
「……うん?」
「大人ぶって見せてるけど、まだ成熟した精神の持ち主ってわけじゃない普通の未成年だ。誰かに言ってすっきりしたい事もあるだろうよ。相手は選ぶだろうけどさ。人に言ってすっきりする事もあるだろ?」
「まぁ……すっきりと言うのはわからなくはないですけど……」
「どうしても知りたいなら、さっきも言ったけど会長に直接聞きな。俺に聞くより正しい答えが出るだろうよ」
そういうと平岡さんはこの話はもう終わりだと言わんばかりの様子で携帯を取り出した。ここは校外、下校途中といえども敷地では無いので校則は通用しない。メールを打っているのか、せわしなく平岡さんの指は動いていた。
「そういえば童子ちゃん。会長の眼鏡姿って見た事あったっけ」
「眼鏡?……ええ、一度だけ」
「もし今後掛けてる事あったらちょっと注意してやって。本人は絶対言わないけど相当疲れてる時しかかけないから。結構似合うと思うんだけど、本人は嫌いらしくて……まぁ、疲れサインって思えば分かりやすいけどね。本人がその癖を気付いてないらしいのが少し面白いけど」
指を止めないまま平岡さんはそう言った。平岡さんも何だかんだ言って会長を気にかけてる……じゃなくて。え?
「眼鏡、疲れてる時だけ……?」
「うん。まぁ寝る前とか掛けてることあるかもしれないけど、基本はね」
だとすれば、テストが開けてすぐの時。眼鏡を掛けていた会長は相当疲れていたということだ。
そりゃ会長はいくら成績上位者といえども受験生。学校で私の勉強を見ている間は殆ど勉強なんて出来なかっただろうから……つまりは、そういうことなのだろう。負担を掛けているのは分かっていたつもりだが、理解はできていなかったらしい。会長は気にしなくても良いという風にいってくれたけど……会長、無理はダメ。教職になりたいって言ってたのも、あの時の表情を見たら本当だと思うけど……根本はやっぱりお人よしじゃないですか。
私は平岡さんの横に並んでガードレールにもたれかかった。そしてぼんやりと明るい駅を見上げた。
「ねぇ、平岡さん」
「なに?」
「貴方ずるい人ですね。私から見たら会長は随分大人なのに、平岡さんはその会長を子供扱いするくらいなんだから」
そう私が言うと、平岡さんは「伊達に長く生きてはないよ」と軽く笑っていた。……平岡さん、それは会長と同学年の人のセリフじゃないですよ。貴方何歳のつもりなのですか。もちろんノリで言っているのだろうけど。
「まぁ、俺は基本何事も楽しまなきゃって思うからね。悩みとか疲れとかあったら楽しくないでしょ。適度な緊張は人を成長させるけど、過剰なストレスは思考を鈍らせるし」
「自由なんですね」
「いいでしょ。真似して良いんだよ?」
「そうですね……うん、そうします」
少し迷った素振りをしてしまったが、結局私は軽い調子で平岡さんの言葉を肯定した。肯定したと言うよりは否定が出来なかったというだけな気もするけれど。平岡さんのような発想は素敵だと思うけれど、有る程度自分に自信がなければできない生き方だ。いつかそんな生き方が私も出来たらいいんだけど。そう思いながら、静かに空を見上げた。空に雲は殆どない。明日は晴れになるだろうか。
気まずくは無い沈黙が暫く続き私が空を見上げるのをやめた頃、白いビニールを片手に会長が戻ってきた。
戻ってきた会長は「ほら帰るぞ」と私に言うと、平岡さんはお役御免とばかりに「じゃあまた明日なぁ、夜更かしすんなよ」と言って駅の中へ消えて行った。会長はというと、平岡さんの言った通り私を送ってくれる気らしい。
「ほら、行くぞ」
そう言いながら学校からここへ来た道を戻る……のだが。やはり平岡さんが言った通り送ってもらうのは気が引ける。
「……会長、会長のお家ってこの辺じゃないんですか」
「俺ンとこは中央公園の西側。お前は川向うだろ」
「私の家、ご存じなんですか」
「どんな家かは知らないけど、場所は大体分かる。生徒会入った時に一式書いただろ、連絡先と住所」
「ああ、そういえば……」
って、それを見ただけであっさり覚えたのですか。私もこの辺だから此処までで良いです、っていう誤魔化しは出来ないんだなと改めて思ってしまった。誤魔化しと言うか、徒歩30分は私にとって近隣に含まれるから全然嘘じゃないんだけど。でもそれはあくまで普通の人より少し範囲が広い私の基準。会長だって疲れていると思うから早く帰って休んだ方が良いと思う。だから学校を挟んで東西で反対方向になる私の家まで送ってもらうのは良くない筈だ。……等と考えてもきっと『送ってもらわないで帰宅する』という選択肢は選ばせて貰えないと思うから、せめてもと私はいつもの自分の歩幅より広い、会長の普段の歩幅に合わせるように少し足を早目に動かした。少しでも早く会長がご帰宅できますように、と。
でもそんな私の想いとは裏腹に会長の足取りは普段よりゆっくりだ。私の歩幅に合わせるような速度で歩きながら彼は私に「あんま急ぐと転ぶぞ」と呆れたように言った。……どうやらこの作戦も断念せざるを得ないようだ。会長はペースを上げてくれる様子もないので、私も諦めて溜息をつき、歩みを緩めた。
「なぁ。……勝手に言っといてなんだけど、言わないでくれな」
ペースを落とした私が会長に並んだ所で、ぽつりと会長は言った。それは道路を行き買う車の音に圧されていたけれど、しっかりと私の耳に落ちてきた。
「い、いいませんよ」
「悪いな、疑ってる訳じゃないんだけどさ。……お前が言うとは思ってないけど、まぁ、透は言われたら嫌だと思うから」
「……そう思ってるのに、会長は私に言っちゃったんですね」
会話の内容よりも会長の声色にドキドキするのだけど。いや、そんな事でドキドキしている場合じゃないんだけど、やっぱり反応ってなかなか薄れないよ!しかも不意打ちのような声色だもの。私が赤くならない理由が無い。だから返答は少し意地悪になってしまった。言ってしまってから自分にがっかりしたけれど、取り繕ってない言葉は私の本心そのもの。だって、分かった上で言っているなら故意犯じゃないですか。でも会長に意地悪を言うつもりはなかった。だから会長の反応が心配になってそっと会長を見ようとし――綺麗な顔をいつもより近い位置で見上げることになりかけ、慌てて顔を正面に向け直した。心臓が煩い中、この至近距離で私が会長を見るのは困難極まりない。無理だ無理。そう私が思ったところで、上から「バレなきゃ良いんだよ」とのお言葉が降ってきた。
会長、それ、全然ダメな発想じゃないですか。いや、会長が言うとバレ無さそうに聞こえない事もないんだけど、それってどうなんですか。
「……それでバレたらどうする気なんですか」
「そうだな……発信元をシめる?」
「うわぁ横暴」
「まぁ、心配はしてないから適当な事も言えるんだけどな」
私の棒読みの返答に会長も肩をすくめた様子だ。
「なんかその言い分ずるいです」
そんな事を言われたら絶対に言えないではないか。いや、元々言う気は無いし言う相手なんていないんだけど。そう思っていると会長は「そうか?」と言っていたけど……その声、分かってやってるって滲み出ていますよ。問題はないけれどあまりに余裕たっぷりだとちょっと……いや、なんでもないです。お人よしな恩人相手なんだもの。こうやって一緒にいてくれるだけで有り難くてしょうがないくらいだ。
「……まぁ、透を庇おうとしたお前がアイツの嫌がる事はしないだろ。そんな奴が気にかけてやってくれると正直助かるし。変なことやってたら教えてくれ」
その会長の声に私は一瞬答えに遅れそうになったが、慌てて「それは勿論です!!」と早口で答えた。え、ちょっと、会長に何処までばれてるの!どこから分かってて何処まで知らないふりしてくれてるの!ひょっとしてカマかけられただけ?……うん、どう考えてもそうだよね!!私は混乱しつつも、冷静になろうと必死に務めた。
そう、混乱ばかりしていては勿体ない。会長に頼って貰えるのは喜ばしいことだ。出来る事が少ない私にはきっと多くないと思う。それに、私とて緑木くんの様子は少し気になっていた。多分この感情は興味本位なんてモノではないと思う。心配なんて種類の感情ではないと思うけど……なんだろう。おせっかいという種類なんだろうな。手負いの獣って思っちゃったからだと思う。階段の一件があるので顔を合わせる事には少し気後れしないこともない。でも会長にそう言ってもらえると寧ろ躊躇いが消えて私もどこかでほっとしてしまった。
しかし、だ。
「会長は随分厚い信頼下さってますね。……どうしてなんですか?」
この理由は聞いておきたい。信じてもらえているのは有り難いが、彼は本当に本能だけで私を信用してくれているのだろうか。平岡さんは会長の事を環境故に本質を見抜く力を得たといっていたけれど、会長は私の何を見てそう思ったのか聞いていない。だからどんな根拠なのか……興味本位で尋ねてみた。
すると会長は一瞬面喰ったような表情を見せた。そして一度唸る。顎に右手を当てる様子を私はちらりと横目で見た。そして五歩程歩みを進めた所で会長はぽつりと呟いた。
「そうだな……俺もガキだったからあんまり記憶は定かじゃないが、記憶の中の透がお前にちょっと似てるからだろうな、結局のところは」
「……はい?」
「5歳までのあいつは表情をストレートに出すタイプだった。それを両親も可愛がってたし……俺もそんなあいつが羨ましかった」
「……」
「今思えば随分楽しそうにしていたアイツに似てると思ったから、図書室でもお前の事が目に入ったのかもしれないな。まぁ、透はあそこまで笑わない気もするけど」
別にそんな事は意識してなかったけど、今から思えばそんな気もする。そう続けた会長の表情は妙に真剣だった。……そう、真剣だったからこそ、私は付きつけられた事実に顔をひきつらせた。
いえ、色っぽい理由なんて期待してなかったですよ?でも……五歳の男児に似ていたから目に入ったっていうのは……女子高生としていかがなものでしょうか。それ以前に有名な笑い童子で通ってたからどちらにしても残念であることには変わりないんだけどね。
「なんか……ちょっと複雑ですよ、ソレ」
さすがゲームの中のイベントと違うだけあって、理由も全然色っぽくない。なんだか残念なような、ほっとしたような。口をとがらせ不平を言う私に「悪かったって」と会長は軽く言う。
「まぁきっかけだしな。ああ、もちろん今の透には似てるとは思ってない」
「今の緑木くんに似てるって言われたら私ちょっと女という性別であるという自信が砕け散ります」
そう返した私に会長は「だから似てないって」とくつくつ笑う。……何故そんなに笑うんですか、会長。そこまで笑われたら私も睨みますよ。いえ、睨みませんけど。この距離じゃホントに見惚れるかもしれないから今は睨まないけど!!会長の顔にも少し慣れてきたとはいえ、この距離はそんな距離じゃない。近すぎる。睨むのは明日にお預けだ。……明日まで睨む事覚えておけるかな、私。
「……そういえば会長、もう一つ。聞いて良い事か分からないんですが……此処まで聞いたら尋ねたいことが」
「なに?」
「会長のお話を伺った今でも、何で会長が『半分以上の責任』があるのか分からないのですが、何ででしょう?……家庭の事情で伏せておいた方が良い事なら、私もこれ以上尋ねません」
聞かなくても良いことかもしれないけれど、会長が話し忘れているだけなら聞いた方が良いのかもしれない。そう思いながらもデリケートな問題だけに私は慎重に会長に尋ねてみる。気まずい話題なら後日再びというよりも今日聞いてしまっていたほうがいいかなという思いもある。
会長は「ああ、それな」と口を開いた。
「んー……何て言えば良いんだろうな。まぁ、半分以上っていったら自惚れかもしれないけど、あの家……緑木家に俺が関わらないようにしてなければ、あいつは今もうちょっと違ってたかなとか、少し理解してやれるのかなと思ったらな」
がしがしと頭をかきながらいう会長は、どことなく早口で言葉を紡いだ。
「俺、実は実家を出てから透が高校に入るまで会ったことも話をした事も無いんだよ。だから……11年振りの再会ってとこか」
「え?」
「こっちはこっちで家のコトで色々あって関わるどころの話ではなかったけど、それ以上に……以前お前に話した通り、俺も……まぁ中学時代までは少しばかり荒れてたし」
ああ、やっぱり会長もあっさり言ってくれてたけど、簡単に消化できるような話じゃなかったんだろうな。私はぼんやりとそう思った。想像は出来るけどのほほんと過ごして来ている私に理解は出来ないと思う。曖昧な相槌を打つのが精いっぱいだ。
もちろん会長はそんな私の様子なんて気にせず続けていたけれど。
「けど……高校入ってきた透見てたらさ。勝手だと思うし今更だけど、俺からしたらやっぱ弟なんだよなぁ。むしゃくしゃしてる感情まで同じだとは思わないけど、多分似てるんだよ、荒れてた頃の俺に。あと……今の俺ン家と緑木の微妙な関係もあいつに負荷を掛けてるんだろうなと思うし。やっぱ放っておけないんだわ」
話しているうちに会長の声が徐々に自嘲めいたものになっている気がした。
私はゆるりと会長を見上げた。横目ではなく、顔を向けて。そして見えた会長はどんな表情もしていなかった。
「まぁ、こんな事言ったって俺も透の事妬んでた時期もあるけどな。身売りされた俺と違って透は両親に大事にされてんだろうな、って。透だって長年連絡を絶ってた俺が今更出て来ても目ざわりだとは思うけど……悪いが俺も譲る気は無いからなぁ。勝手で迷惑な兄貴だろ?」
会長がそう言い切った時には、既に彼に表情は戻ってきていた。しかし形のよい眉が少し下がっているのは、気のせいだろうか。――ううん、多分違う。気のせいじゃない。
会長も軽く言ってるけど、やっぱり完全に消化している話ではないんだろうな。そう思った。
それでも、この会長の姿が平岡さんの言う“大人ぶった”様だとするのなら、強い人なんだなと本当に思う。凄いとも思う。……でも、無理するなと私に言った会長が無理に背伸びしているように見え、気が付いたら会長の制服を引っ張ってしまっていた。
って、何やってるの、私!
背伸びしてるって物理的じゃないんだからいきなり制服ひっぱったらびっくりされるでしょうが!
そう私は自分に突っ込んだけど、もう遅い。何だ?と会長が私の方を見降ろしている。そりゃ、びっくりするよね。いきなり制服ひっぱられたんだから。けれど私は理由なんて言えはしない。かける言葉が上手く思い浮かばないし、加えて見栄を張りたいならそれを指摘するのは酷い仕打ちなのではないかと思ってしまったのだ。
私は気まずくなりながら制服から手を離した。幸い会長は不思議そうな顔をするだけで問い質してはこなかった。
「何でお前が難しい顔するんだ。似合わねぇぞ」
かわりにこんな事は言われたけれど。
って、誰が難しい顔させたと思ってるんですか。会長も知っての通り、私の頭はそんなに良くない。だから情報処理でいっぱいいっぱいな所に難しい事を考えるだけの余裕はない。そんな私が結局口に出来るのなんて、何も考えていないような……本能そのものだけである。
「私、極々一般的な家庭に生まれ育ってて、あまり状況は呑み込めてないと思います。だから見当違いなこと言うかもしれません。だけど……会長がそれが良いって思うなら、きっとそうなんでしょうね」
会長の歩くスピードが私の標準速度より緩んだ気がした。私もその速度に合わせながら言葉を続ける。
「でも、一人じゃ大量の荷物は落っことしちゃいます。会長がやりたいことはやったらいいと思うけど、ちゃんと使って下さいよ。私とか、平岡さんを。もう色々聞いちゃったんですから、必要な事があれば言って下さい。そういうつもりもあったんでしょう?変な遠慮は無しですよ」
「……」
「あと、緑木くんの小さい頃、私に似てるんだったらきっと大丈夫です。私会長の事大好きですから、緑木くんもきっとそうです」
自分でとんでもない事を口走っている自覚は私にもあった。でも、きっとこの場では恋愛の言葉として捉えられる事は無いと思う。本心からの言葉だけど、私自身そういう意味で言っている訳ではない。それはきっと会長にも伝わると思った。だから迷いなく言えた。
会長は少し面喰ったような表情を見せたけど、すぐに笑った。そして私が思った通りの受け止め方をしてくれた。
「ありがとな」
そう言いながら私の頭を軽く撫でた会長は、まるで小さい子に対する反応だ。その事が少しおかしくて、私も失礼ながら笑ってしまた。少しくらいドキッとしてくれても良いのにと残念に思わない事もないけれど、気まずくなるのはどうやってでも避けたいと思う。
生徒会が緑木くんに煙たがられているだろう事は言われたので分かっている。だから土足で彼に踏み入る事はいけない。けれど、もし緑木くんの抱えている何かと会長の抱えているモノに同じものが混ざっているのなら、ほつれた糸があるなら、それを解きたいと思う。時間はかかりそうだけど、何とも言えない緑木くんの態度を見ていたら……やっぱりそれは放っておくには気が引けるものだったし。
「じゃあ迷惑ついでにもう一つ頼む。もしお前から見て俺がおかしな事をしてるって思ったら殴って良いから止めろ。お前も変に気合入れて突き進むのはやめとけよ、前科一犯だからな」
「え、そんな不吉な予告みたいなお願いは要らないですよ。覚えときますけど、会長はそんなことしないですよ。もうちょっと自分を信用して下さい」
「保険だ保険。まぁ、俺も女に殴られる趣味はないから、そんな事させる気はないけどな」
会長がそう言った時にはもう歩く速度はいつもの私のスピードに戻っていた。よかった。どうやって接すればいいか分からなくなるかもと思ったけど、もういつものテンポに戻った気がする。
「明日、良い体育祭日和になるといいですね」
私はそう、会長に言った。体育祭が暑いし日焼けするから嫌だと言っていた私がこんな事を言うのは、随分都合が良いように思う。けれど、ここ数日は楽しかったので悪くは無いとも思えている。だからてるてる坊主を吊るすのも嫌じゃなかった。寧ろ少しわくわくしていた。……まぁ、あれはてるてる坊主に対するわくわくだった気がするけど。
そんな私の言葉に会長は「そうだな」と、少し目を細めて柔らかく答えてくれた。揚げ足なんてとられなかった。
「俺は晴れ男だから、雨は降らないだろ」
そう言いながら再び私の頭を大きく撫で回す会長の手はやはりとても大きくて、少しくすぐったかった。