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目の前で少年が落下する。
そう思った私は反射的に伸ばしたけれど、その手は彼に届くことなく空を切った。どうしよう、なんで届かなかったの!?
しかしそう思った私とは反対に落下した当人は冷静だった。
少年は多少おっちょこちょいでも運動神経には優れていたらしい。彼は落下のさなか勢いよく手すりを掴み、重力に従う体を無理やり留め落下を阻止した。通常の足音ではない大きな音を立てて下ろされた彼の足がその体を支える。落下は数段で済んだ。但し数段とはいえ万全の状態での着地ではなかったため、足には相応の負担を加えてしまったようだ。彼は安堵するではなく、その表情を少しばかり歪めた。痛めたのだろうか。それとも単に一時の付加が響いただけ……?ということより……!
「だ、大丈夫ですか!?」
一連の流れを見ていた私は驚き、急いで彼の傍へ駆け寄った。大きな声を出してしまったからか、彼には「うるせーよ」と言われたが落ち着いていられる訳がない。しかし彼はそんな私に構うことなく先程手すりを掴んでいた手で私を追い払うような仕草を見た。まるで犬でも追い払うかのような様子である。それと同時に彼は歪めていた表情も消してしまった。代わりに新たに呆れた顔をしていた。……そんなに私は煩かっただろうか。けれど痛みを示さない表情であるのなら、その事を喜ぶべきなのだろう。怪我があったら大変だ。大丈夫……なんだよね?
彼の他に周囲で見られる被害といえば落下の際にポケットから滑り落ちたであろうスマートフォンくらいだろうか。数段下にあるが、ケースに入っているのでディスプレイには被害が無い……事を祈る。
私がそのスマートフォンに目をやっている間に彼は自身の状況を確認していた。何度かその場で足をトントンと動かしてみたり、右手を握ったり開いたり。そしてその後彼は何事もなかったかのように滑り落ちたスマートフォンを見つけ、それを拾って立ち去ろうとした……のだろうが、その際再び彼は表情を険しくさせた。
(……足、かばった?)
彼の様子を確認した瞬間、私は一瞬動きを止めた彼に変わって素早く動いた。そして先にスマートフォンを拾い上げる。
「おい、何するんだ。返せ」
「ねえ、足、痛めてる……よね?」
「関係ねぇだろ。返せ」
ぴしゃりと言われるも、先程まで感じていた怖さはもうどこかに吹っ飛んでしまっている。怖さよりも彼が落下した事の方が私にとって大きな衝撃だったからだろう。今の彼の言葉や表情はまるで警戒心を抱く子犬に脳内変換されてしまっている。残念ながら手懐ける方法なんて無いのだけど。それでも猛獣に見えないあたり、私にも少しは余裕が出来ているのだろう。ならば私は立ち向かうまでである。
そもそも彼は私に対して無関係だと言っているが、私はそう思わない。だって少なくとも私が登場しなければ彼は階段を上っていたはずだ。だから降りようとして足を踏み外す何て事は起きなかったはずだ。……まぁ更にその原因をたどれば彼に問題があるのだけれど。だから無関係ではない。
それに例え全くの無関係であったとしても、私とて負傷者を放置して去るわけがないのですよね。ていうか目の前にけが人が居てそのまま去れるほど心臓が強くないのです。無理でしょ。痛そうな人放っておくおくとか無理でしょ!
心の中でこれだけ叫んでから、私は彼に再び話しかけた。
「ね、保健室、行こう?」
「行かねぇ」
しかし彼は私の提案に頷いたりはしなかった。ちっ、やはりあっさりと言う事を聞くわけがないか。予想は付いていたが此処は頷いて欲しいところである。しかしそれなら仕方が無い。次に私がとるのは強硬手段、ただ一つ。
「こ、この子を返してほしくば保健室までの同行願いますよ!!」
「てめぇ……」
私は伝家の宝刀を翳すかのように彼のスマートフォンをずいっと掲げて見せつけた。
勿論この行動に彼が良い反応を示す訳もなく、眉を吊り上げながら睨まれる羽目にはなった。しかしそれだけのことだ。今の状態なら私の方が絶対有利。どうか、参ったか!彼は先程足に痛みが走ったからだろう、片手を手すりから離さない。そんな彼の状態を見るに、やはり絶対に保健室は連れて行かなければいけないと私はより強く思った。この様子からだと骨折は考えにくいが、捻挫だって馬鹿にして良いものではない。
「あ……でも、もし痛くて歩けないとかなら、おぶりましょうか」
「テメェが俺を背負えるとか思ってんのかよ。ふざけるな」
「えっと……が、頑張れば?」
確かにだいぶガタイの良い少年をおんぶするのは難しいとは思うが、全くの無理でも無いと思う。……かなり頑張れば。だって、もしそれしか方法が無いのであれば仕方がないだろう。あ、でも保健室に行けば車いすが有るだろうか?いや、だめだ。階段は車いすでは降りられない。階段を少なくとも半分は降りないとエレベーターにも辿り着けない。少なくとも階段を降り切るまでは駄目だ。やっぱりおんぶしか道はないだろうか。
私はそう思ったのだが、少年には『絶対こいつ何にも考えてねぇ』とでも思われたらしい。舌打ちをされてしまった。そして彼は私に返答することなく手すりを利用し器用にひょこひょこと階段をおり始めた。って、何処行くんだ!!
「ねぇ、ちょっと!」
「うるせえな。保健室だろ」
「え?」
「着いたらさっさとソレ返せ」
振り向いてそこまで言った彼は再び私を無視する形で歩きだした。ちなみに階段を下りきった所で手すりが無くなるので、私は慌てて階段を駆け下り、彼の隣に並んで「肩を貸しましょうか」と提案した。が、彼は壁伝いに上手く歩いていて完全に私をスルーしてくれた。人質をとったことにかなり怒っているということだろうか。だがこればかりは大目に見てもらうとしよう。私はその後ろを暫く黙ってついて行った。
少し用心深げに歩く彼の様子からは不調が伺えるものの、先程のように激痛が走っているという風には見えなかった。体重のかけ方によるのだろうか?結局彼はエレベーターも利用することなく、そのまま保健室のある一階まで階段を降り切った。途中心配になり大丈夫かと何度か声をかけたものの、やはり無視された。無視されるくらいには余裕が有るのだろう……きっと良いことだ。そう私は思ったが、やはり少し心配である。ちょっとくらい反応してくれたほうが良いのに。
保健室まで時間は大してかからなかった。しかしたどり着いた先で新たな問題は生じた。
まさか「失礼します」と踏み入ったその場が無人であることは……物語では良くあることだが、本当に起こるとは想定していなかった。ちょ、先生!保健室開けっぱなししたまま何処にいってるんですか!トイレですか!!それなら仕方が無いけれど!!す、すぐ戻ってくるよね……?
そう思いながら私は移動式のホワイトボードに目をやった。だが其処には私の希望を裏切る『急患につき市民病院』との文字が書かれていた。そしてその殴り書きの下には『用件のある生徒は職員室まで』と書かれたマグネットが張り付けてある。こちらは手書きのメッセージと違い毎回使い回しのようだ。まぁ、毎回書くのは面倒だよね。て、そうじゃなくて!なんで居てくれないんですか先生、居て欲しかったよ先生……!!
「……私、職員室行って来ますね」
けれど居ないものは仕方が無い。
保健室が開いていても薬品庫にはきっちり鍵がかけてある。流石に見えているからといって壊して奪い取るわけにもいかない。だから私はホワイトボードの指示に従い保健室から出ようとしたのだが、それは少年の「必要ない」という短い言葉に制された。何でだ。辿りついたから約束達成って訳じゃないんだよ、すぐに返却するって訳じゃないんだよ。治療しないとスマホは返さないよ。私はそう思いながら彼を見たが、意外にも彼は保健室の勝手を知っていたようだった。彼は薬品庫とは離れた机……現在不在であるこの部屋の主の机である……の右側最下段の引き出しを開けた。そして応急セットを取りだす。
「誰も居ないときはコレなら勝手に使って良いって言われてる。鍵も無いし使い放題」
「そうなんだ。……慣れてるんだね」
「まぁ、使用簿だけ書けっつわれてるけどな」
少年は救急箱からシップやテーピングを取り出すと、さっさと自分で治療を始めた。どうやら本当に慣れているらしく、その動きに無駄は無かった。保健室に行かないと階段で彼が発した言葉をそのまま受け取った私は勝手に彼は普段から保健室に行かないタイプだと思い込んでいたが、そうではなかったらしい。保健室にも何度も寄っているのも、ひょっとして階段から落ちるのなんて日常茶飯事なのだろうか?だが、慣れている慣れていないはこの際置いておくにして……
「……使用簿、書いてないですよね」
「勝手に書いとけよ」
「え……私が、ですか?」
どうやら使い方は知っていても使う方法は己の流儀を通す気らしい。いや、それはダメだろう。しかし今の彼は忙しそうである。書けと言う方が無理かと思った私は仕方が無いので代筆で書くことにした。ファイルは机の上の『救急箱使用簿』だろう。それを手に取り中を確かめると、使ったものと名前と学年、クラスを記入するようになっていた。
「私、貴方のお名前知らないんですけど」
さすがにコレは私の名前では書けない。どうせ沈黙されるんだろうなと思いながら少年に尋ねると、案外あっさり教えてくれた。
「ミドリギ。字はそのまま」
「はいはい、緑の木で良いんだね……って、緑木?」
「んだよ」
「いえ、なんでも……じゃなくて、これフルネームで記入みたいなんですが……」
「トオル。透明の字」
「了解です」
緑木透。まさかここで知ることになるとは思わなかった少年の名前に私は緊張しつつペンを走らせた。……何で緊張してるかって?
――だってこの方、ただのヤンチャサンじゃなくて“関係者”だったからですよ。もちろん、ゲームのね。緑を担当している少年が此処で登場するなんて、さすがに予想していなかった。会長一筋攻略だった私は他の登場人物の詳細については知らない。けれど名前や学年くらいなら流石に分かる。後輩枠二つのうちの一つを担うのが彼、緑木透くんなのだ。
ゲームでは会長ルートに緑木くんはほぼ出現しない。居たとしてもスチルで『他キャラの背景の一部に居るような気がする』適度の溶け込み方だ。けれど勿論その姿も一応は覚えているよ。だってパッケージにも説明書にもあるからさ。それなのに何で今まで気付かなかったって?そんな状況なら見慣れてるでしょ、って?……ううん、だからこそ、なんだよ。今目の前にいる彼が緑木透だなんて思えないのだもの。
ひとつ申し上げますと、ゲームの中の彼は今目の前に居る彼とは別人なのです。ゲームの中の彼はこんな雰囲気じゃなかったのです。主に見た目が。まぁ、その他について知ることなんて余り無いんだけどね。その見た目だが、確か彼は此処まで派手じゃなかったはずだ。立ち的には『生意気な後輩』って表示があった……ような気がするけど、確かもう少し落ち着いた髪色をしていたし、上履きを踏んでもいなかった……気がする。あと表情も少し違ってたような……ごめんなさい、若干記憶が曖昧だけど。でも、確かに違うのだ。
良く見ると顔立ち自体は同じだろうと思われる。だから彼が緑木くんであることに疑いの余地はないと思う。そもそも自己申告をし、間違っている訳がないのだけれど。でも……カラーリングが全く違うのは何かがあったのですか、緑木くん!学校の敷地内でなければ良く似合うと思いますが、ここは学校なのでよろしくないと思われますよ!
私はそう一回だけ心の中で叫んだが、しかしそれほど間を置かずに『やっぱり大した問題じゃないか』と私は思い直した。元々知っていない事は無いが知っている訳でもない相手である。初対面同然の相手に、ゲームと違うと違和感を抱いて考え込む必要など有るだろうか?いや、無いはずだ。今重要な事はそんな疑問よりも現状だしね!
そう考えると私に言えることはただ一つ。今感じた一通りの驚きを表面に出す訳にはいかないという事だけだ。絶対に出してはいけない。だから私は気を引き締めた。少しでも気を抜けば挙動不審になる自分が目に浮かぶる。だから冷静になろうと必死に務め、何事も無いかのように彼の名簿に名前を帳簿に綴った。そして顔を上げると……そこには既に最後の処置をしていたらしい彼と目が合った。ちょっとだけびっくりした。
「……あの、痛いですか?」
「………」
テーピングを巻き終えた緑木くんは何度か足の感覚を試すように手で状態を確認していたので私は尋ねてみた。私の言葉は聞こえたようで僅かに反応はあったが、否定も肯定も紡がれない。ただしやや間をおいてから全く別の言葉が飛び出した。
「なぁ、アンタ用事あんだろ。俺にスマホ返してさっさと行けよ」
「いや、でも……」
ちょっと気になって。このまま緑木くんはちゃんと帰宅できるのだろうか。なにか手配した方が良いのだろうか。そう私は思うのだが、彼はそもそも私が居る事自体が気に食わなかったらしい。
「つか、アイツんとこの人間だと思うと気にくわねぇ」
「“アイツ”?」
「…………」
誰だろう?でも、この緑木くんの様子をうかがう限り、私の傍に居る人の事であるのは間違いない。彼の様子は苦虫をかみつぶしたような表情だ。クラスメイト?それとも友人?それとも……?だが彼はそれ以上話したくは無いようで「……生徒会の人間に居られると気分が悪い」と言い、私に手を差し出した。……生徒会?
緑木くんの手が物品の返却要求を物語っていることは私にも容易に想像できた。成程、答えたのだからもう良いだろうということか。彼は治療を自分で施し、当初私が要求したことはクリアしている。今度は私が従う番だ。間違いない。それは分かる。
が、思わぬ名称の出現に私の思考と体の反応は遅れてしまっていた。せいとかい。
……確かに緑木くんなら他の生徒会メンバーから既にお説教を据えられていてもおかしくは無いと思う。だから彼が生徒会そのものを鬱陶しいと思っていても不思議では無い。でも、なんだろう。生徒会のヤツって括りで皆が否定的に言われたのがちょっと突き刺さったっていうか。
私個人がどうこう言われるのは別にかまわないけど、他の人たちはみんな良い人。だから、話してみたら印象違うよ、って。その印象はちょっと違うよ、って。言いたかった。
でも、今は何も言わない事こそ正解だろう。
だって自分じゃない人の人となりって言葉で伝わるものでは無いと思うんだよね。人づてじゃなくて、本人と言葉を交わさないと理解できないことはたくさんある。だから私が言ってどうにかなる問題ではない。それに彼の様子を見る限りこれからも私は風紀委員長として緑木くんとの関わりが続きそうな気がしている。だからここで変に押しつけてしまうのは良くないと思った。……ほんとは言いたいけどね。
「わかったよ。……お大事に。あと、上履きの踵踏んでたら危ないよ」
最後に一言、余計なことかもしれないと思ったけど伝えた上履きについては単にルールだけの問題ではなく、本当に危ないと思ったからこっそり言った。踵を踏んで滑り落ちる危険だってある。だから一応忠告だけしておいた。だって、危ないよね?……踏み外しについては「周りを良く見て」としか言えないけれど。
しかし私が退散した後で、万が一にも彼がの足が痛み出し帰宅出来ないと言う事になれば大変だ。
私は机の上にあった付箋に自分の電話番号を書き込み、それを緑木くんのスマホに張り付けてから彼の手の上に返却した。
「もし痛くて歩けないなんて事になったら、すぐ駆けつけるから」
もっとも、そんなおせっかいは先程の肩を貸すと言った時と同様「お前に頼った所で何が出来る」と言われそうな気がするけど。それでも世の中何が役に立つかわからない。備えあれば憂いなし、っていうしね?
もちろん彼がコレを使わないということであれば、それでも良いと思う。むしろ何も問題がないならその方が喜ばしい。もしも使ったならすぐに駆け付ける覚悟だけど。渡した番号が悪用されるとは思っていない。彼は生徒会が嫌いであり私の周囲の誰かを嫌っているようだけど、卑怯な手段を使う人間には見えないのだ。だから心配はしていない。
……なんて思いながら見た緑木くんは非常に鋭い目つきで私を見ていた。
――やばい、余計に不機嫌にさせたかもしれない……!
そう思った私は急いで保健室から出た。ドアは振り向かずに閉め、そこで止まることなく廊下をぶらぶらと進んだ。最後のあの表情は警戒心のある子犬という感じではなかった。猛獣再びなご様子な目だったよ、本当に。
「……けど、よく考えると何だか不思議な子だな」
今更だが、本来ならこの学校であの格好のまま歩ける生徒は流石に居ないと思う。だって生徒会以前に教師が許すはずが無いんだもの。それに彼の様子もただの粋がった少年というには少し違和感がある。多少乱暴な面も見たが、本当に彼が単に気の短い少年だというのなら、スマートフォンを取り上げた時点で本気で殴るなり蹴るなりされていたと思う。恐らく彼が捻挫している事を差し引いても私はかわす事が出来無いと思う。それは彼も分かっていたと思う。けれど早く返せと言う割にそんな事を考える素振りは一度もなかった。むしろ、思ったよりも早い段階でこちらの要望を聞き入れてくれた。
……何か理由があるのかな。
そう思いながら私は廊下の突き当たりまで進んでしまい、ふと『今どこに向かってるんだっけ』と言う事を考えた。
(うん……?私何して……ってあああああああああああああああああ!!)
スプレー!!持ってない!!どこに落としたっけ?!!
私は慌てて此処まで来た道を逆戻り、そして階段の踊り場でコロコロと転がっていたスプレーを見つけた。よかった、有った。紛失していたらどうしようと一瞬焦った。廊下を走ってごめんなさい。
うん、そうだ。先程の出来事は確かに気にはなるが、緊急事態が片付いた今、まずは任務に集中するべきだ。考えることは後でも出来る。そう思いながら私は頭の中を切り替えることにした。本当ならとっくに体育倉庫に着いているはずの時間になっている。緑木くんの事は気になるが、本当に何かあれば電話をくれるだろうし……って、しまった。私の携帯は生徒会室にあるんだった。万が一今かかってきたとしても出られないじゃないか。はやく任務を達成してから生徒会室に戻らないと!
私はそう思いながら今度こそ上履きから外靴に履き替え、走って運動場傍の体育倉庫に向かった。するとそこには平岡さんと共に壁にもたれかかる会長が居た。
私は思わずほっとしてしまった。
そして良く見知った顔を見た瞬間、肩から急に力が抜けた気がした。あれ、肩の力が抜けるって……私、緊張してたの?でも一回緊張は解けたと思ったのに、いつの間にまた緊張していたのだろう。私はそう考えたが、すぐに答えに辿りつけた。
(そうだ、“アイツ”の所の人間が“気に食わない”って言われた時からだ)
妙に納得した私は私は一人で肩をすくめてしまった。どうやら思っていたよりあの言葉に衝撃を受けていたらしい。
そしてそれとほぼ同時に会長達も私が到着した事に気づいたようだった。
「おせーぞ、童子」
そう言って笑った会長はいつも通り、とても良い声と余裕のある先輩の笑みだった。かっこいいな、こんちくしょう。……ごめんなさい、八つ当たりです。その声は天が与えし素晴らしいものだと思います!
「おまたせしました、会長。それから平岡さん」
「おつかれー、童子ちゃん。お使い御苦労さま」
「校内で迷子にでもなってたのかよ」
会長には若干笑われたので、私は「そんなんじゃないですよ」と言い返した。仕事です、お仕事!!生徒会の一環のお仕事をしていました!!とは言えなかったけどね。
緑木くんの件は報告したほうが良いのかと思ったけれど、報告するとなると一部始終を話す必要が出てくる。それは私としては少し避けたかった。何となく、言いづらい。全体的に言いにくい。私は恥じなければならないような行動をとったつもりはないし後悔するような行動もしていない。しかし壁ドン……じゃない、壁蹴りされましたという事を話さなければ頭突きの説明も出来ないし、彼が落下したことも伝えにくい。一連の事は一応解決済みだし、問題は無いはずだ。緑木くんだって言われたくは無い事柄だろう。……いや、ごめん。さっき反省点なんて無いって言ったけど、今になってやっぱり頭突きはやっぱり良くなかったかもしれないかも。うん、反省すべき点だよね。受け入れて貰えるかはわからないけど、今度緑木くんに会った時謝るよ。
もちろん躊躇う理由はそれだけが原因という訳ではない。『アイツんとこの人間だと思うと気にくわねぇ』『生徒会の人間に居られると気分が悪い』という発言にどうしてもひっかかってしまっている。生徒会のメンバーには面と向かって伝えづらい事柄だ。だから私は迷ったが、やはり言う事はやめようと結論付けた。今日の所は一応解決している。だから報告は次困ったことがあってから……そう思ったが、事はそんなにうまく運ばなかった。
「……童子?どうしたんだ?暑さにでもやられたか?」
「いえ、何でもないです」
すこし私が鈍い反応を示したからだろう、会長に少し心配をかけてしまったようだった。だけど暑さは全く関係ない。確かに少々蒸し暑いとは思うけど、私だって健康優良児だ。これくらいなら問題ない。
しかしそう答えたのに会長の顔には明らかに『信用していません』と書かれていた。そしてその顔を見て、先程緑木くんが会長に似ていると思ったのは間違いじゃなかったような気がした。うん、なんか似ている。髪色も全く違うし、表情だって目付きが違うのに、似ていると思ってしまった。パーツが似てるのかな?
「……童子ちゃん、やっぱり変だよ」
「うはい!?」
「ほら、会長が怒んないうちに謝っちゃいなよ。何か壊した?」
「こ、壊してないですよ!!失礼な!!!」
余計な事を考えていたせいで危うく冤罪を被りそうになり、私は全力で否定した。しかし今度は会長だけでは無く平岡さんからも何とも言い難い視線を受けてしまった。……まだ何かを壊したという方がマシだったかもしれない。何も壊していないから無理だけど。私はそう思いながら先程の考えを早々に覆した。無理だ。この二人相手に隠し事って多分できない。そう思いながら。
「あの、緑木くんって一年生の男の子……お二人のうち、どちらかご存じだったりされます?」
その前置きをし、何処から話そうかと私は思ったのだが……私が口を開くより早く反応が返ってきた。
「……緑木?透の事か?あいつがどうかしたのか?」
言葉を返してくれたのは会長だった。しかも隣で平岡さんもわずかに眉を動かした。どうやら二人共知っている様子である。でもまさか二人共緑木くんを知っているとは思わなかったので、私は少し焦って言葉を濁した。
「あ、いえ……ちょっとお話したのだけですが」
「あいつ、何か迷惑かけなかったか?」
「え?いえ、あの……?」
知り合い?と聞き返す事も出来ず、私は会長の言葉に戸惑った。いうか会長の言い方、むしろ身内みたいな言い方な気がするんだけど。ゲームでは会長のルートに緑木くんのミの字すら登場しなかったのに、どういうことなんだろう?というか、うん、会長何時の間に近づいてきてたんですか。
私が答えに窮していると、会長は少し勢い余った事に気付いたのだろう、「悪い」と一言添えて一歩下がった。私はちょっとだけほっとした。
「いや、迷惑かけてないなら良いんだ。つか、もう迷惑かけた後っぽいけどな、お前の様子だと」
「あの、いや、別に……」
迷惑って程でもないんですけど。むしろ頭突きを謝ろうと思っているのと、彼が今日無事に下校出来るかが気がかりなんですけど。思いがけない方向に進み始めた話に私が付いていけない中、会長は言葉を続けた。
「あいつがああなの、大半の原因、多分俺だから。悪かった。謝罪する」
「え?!いや、そんなの要らないんですけど!!」
ってか緑木くんが言ってた“アイツ”って会長のことだったのか!つか、ああなる原因って……会長、何してんですか!
そう思いながらも口にする事が出来ないのは私からも尋ねて良いことかどうか分からないからだ。ひょっとして中学の不良時代の時の喧嘩相手だったとか……?それなら詳しくは言いたくなんて無いだろうな、なんて思ってしまう。いや、でも逸れは無いか。会長は遠方の中学に居たはずだ。ならばわざわざ遠い所で再会なんて可能性はひくい。じゃあどういう関係だろう?そもそも会長自身が『多分』っていうあたり確定じゃない、会長でも分からない事柄なの?それでも謝ったの?なんで?
そう私が色々疑問符を浮かべていると、会長は苦笑した。
「あいつの事は悪いが俺に任せてくれ……っていってても、お前は大人しそうにないよな」
……まぁ、多分任せてくれって言われても、もう接触しているし、無視するのは私には無理だ。そう思った私が否定しないでいると、会長はおもむろに平岡さんの方を振り返った。
「なぁ、平岡。コレ何時頃終わりそう?」
「18時ごろだろな。まぁ、粗方片付いてるし、明日朝来るし」
平岡さんは会長の質問に時計を見ながら答えていた。そして「何ならもうこのあたり片づけて切り上げでも問題ねぇけど」なんて言っている。……見る限り本当に用意はほぼ終わっているし、明日も六時半集合だから確かに問題は無さそうだけど。
会長は腕を組みながら平岡さんの言葉を聞き、そして私の方に向きを変えた。
「童子、お前今日暇か」
「はい?」
「飯行くぞ。平岡も来るだろ」
「え、マジで?会長の奢りとかラッキー」
「え、奢り?!」
それは悪いだろう、会長だって高校生だ!それはダメですよと私は両手をぶんぶん振り、更に首も勢いよく横に振った。もげてもおかしくないと自分で思うくらいには振った。しかしそんな中でも平岡さんの「やったー」という声は聞こえてくる。ちょ、平岡さん、そもそも会長一言も奢り何て言ってないよね!!そう私は思ったけれど、尚も平岡さんは全く気にせず「何食おうかなぁ」と言っている。平岡さんってば!!誰かこの人に遠慮って文字教えてあげて!
だがそんな平岡さんよりも更に気にしていないのは会長だった。
「何そんなに畏まってんのか知らねぇけど、ただ飯食いに行くだけだから暇なら来いよ」
「そんな恐れ多い……って、へ?」
ただめし?
なんだそれは、と、私が固まっていると先程までハッスルしていた平岡さんは楽しそうに「さあ、飯のためにももうひと働きしますかね」と倉庫の中へ入って行った。会長も「スプレー缶ありがとな」と言い、それに続こうとした。
私だけ置いてけぼり状態で、平岡さんと会長はいつも通り。……な、なんか学年の壁を感じる気がする。ちょっと悔しい。
けど、そんな私の様子に気付いてか、会長はすっと腕を伸ばし私の頭にその手を置いた。そしてポンポンと軽く撫でる。これはこれで、宥められている犬のような気分で余計に悔しいけど、それ以上に何だか気を使わせてしまって申し訳が無い……なんて思ったのに。
次の瞬間にはその手は頭から離れ、更に反対の手と一緒に両の頬を思いっきり引っ張られた。ちょ、伸びる!!
「なぁに機嫌損ねてるのか知らねぇけど、さっさと終わらせて飯食うぞー。腹減ってきたし」
昼間栄養ドリンク同然のチャージで済ませている人が良く言うわ!当たり前だ!そりゃおなかすいていますでしょうね!!そう思いつつも上下左右へ頬が引っ張られているので「やへひぇくははい」なんて情けない言葉しか発音できない。会長の馬鹿――!「おお、柔らかいな」何て感想いらないから!!ほんとにいらないから!!
ここで珍しくまともな状態の平岡さんが「早く片付けるぞー」と倉庫から顔と助け舟を出してくれたのだけど、彼の場合は私を助けるんじゃなくて早くご飯を食べたいのだろうと私は思った。けれど彼によって魔の手から逃れられたのもまた事実。ありがとう平岡さん。30秒ほどは感謝するよ。
(けど、何だろ)
会長の様子、すこしいつもと違っていた。ちょっと余裕がないようにも見えた気がする。全部っていうわけでもないけれど、緑木くんに関する事だけ少し早口だったような……?
まぁ、何にせよ疑問はそう遠くないうちに解決するだろう。多分、それが話したいから会長だってご飯にさそってくれたとおもうんだし……。しかしタダ飯ってなんのことだろう。これも同時に解決するのだろうが、ちょっと気になる。
そう思いながらも私は生徒会室に戻ることにした。
うん、ここでお手伝いしても良いと思うし、会長から生徒会用携帯を借りれば瑞奈先輩にだって伝えられる。でも、緑木くんからの連絡が何時入るかわからないからね。入らなかったら入らなかったで良いとは思うんだけど。
私はゆっくりと空を見上げた。
高校入学、異世界トリップ(仮)、生徒会への所属。中学の時とは違い、高校生になるって忙しいことだったんだな。中学生の頃は想像もしていなかったけれど、ここまで世界が変わるだなんて。……いや、本当の意味で世界が変わった……異世界に乱入したのは私だけかもしれないけど。
世の中、本当に何が起こるか分からないんだな。
そう思うといましがた起こった一連の事も些細な事だと一瞬思った。けれどそれはその場だけの事であり……後に『些細だなんて気のせいでした』と思うことは言うまでもないことだった。