第四話 産業医談義
夜、オンラインで集まる月に一度の、産業医同士の勉強会。
テーマは決まっているようで、決まっていない。
それぞれが現場で抱えたことを持ち寄って、ぽつりぽつりと話す。
「最近、“精神科産業医”って言葉、よく聞きますよね」
誰かがそう切り出した。
「面談はもちろん大事なんですけど…… 面談ばかりに寄るのは、ちょっと違う気もして」
うなずく声がいくつか重なる。
「面談って、個人の入り口なんですよね。でも、そこで終わっちゃうと、職場全体は変わらない」
別の先生が続けた。
「僕は、やっぱり職場巡視が一番大事だと思ってます」
「巡視って、ただ見て回るだけじゃないですよね」
「そう。あれは統括管理そのものなんですよ」
話は自然に、労働衛生の基本に戻っていく。
「作業環境管理、作業管理、健康管理。それに総括管理と労働衛生教育を加えた五つの管理。
あれを意識して職場を見ると、見え方が全然違う」
「巡視って、“人”じゃなくて“構造”を見る仕事なんですよね」
誰かがつぶやいた。
「法令も、結構定期的に変わりますしね」
「そうなんですよ。追いかけるだけでも大変」
「まあ、臨床の先生のガイドラインみたいなもんだしね」
笑いが起きる。
「でも、法令をそのまま会社に伝えても動かないんですよね」
「わかります。“正解”をそのまま出すんじゃなくて、その会社に合わせて翻訳しないと」
「むしろその翻訳が私たちの役割だね」
話題は、資格の話にも広がった。
「労働衛生コンサルタントとか産業衛生専門医とか、産業医にも専門資格があることがもっと知られるといいのにね」
「資格があればいいって話でもないけど、“軸”があるのはやっぱり大事ですよね。しかしあまり知られてないから、せっかく取ってもそれでどうこうなることはない」
「取ってても取ってなくても、みんな産業医ですもんね。眼科医でも麻酔科医でも」
しばらくして、別の話題が出た。
「高年齢労働者の健康管理、どう説明してます?」
「ああ……努力義務になったやつですね」
「努力義務って、伝え方が難しいんですよね。“やらなくていい”って受け取られると進まないし」
「この前、経営層向けに資料作ったんですよ。法令の話だけじゃなくて、事故とか人材確保とか、裁判の判例とか、経営の話も入れて」
「それ、大事ですよね。安全衛生だけじゃなくて、経営課題なんですよね」
やがて話は、小さな事業場の話になる。
「大企業はだいぶ進んでますけど……問題は、50人未満ですよね」
「産業保健職がいないところ、まだ多いですもんね」
「ストレスチェックの義務化をきっかけに、専門職がちゃんと関われるようになるといいんですけど」
そこで、ひとりが苦笑いをした。
「この4月に引き継いだ事業場なんですけどね」
少し間を置いて続ける。
「ストレスチェックの実施事務従事者が、総務部長だったんですよ」※人事権を持つ管理監督者が実施事務従事者になることは、制度上想定されておらず、不適切とされています。
一瞬、場が静かになった。
「ああ……」
誰かが小さく息を吐く。
「悪気はないんですよね。ちゃんとルールを作ってやってるならいいんですけど」
「何事もなくて良かったですね」
「ほんとです」
誰かが、ぽつりと言った。
「制度って、あるだけじゃ意味なくて、ちゃんと回る形にして、初めて意味があるんですよね」
会議室の空気は、静かに落ち着いていった。
それぞれの現場は違う。
正解もひとつではない。
それでも、同じ方向を見ている感覚だけが、そこに残っていた。
私自身、面談という時間がとても好きです。
ただ、面談だけをしていればよいわけではなく、それだけでは産業医として十分とは言えない、という意識も持っています。
法令を確認し、裁判例にも目を通し、法律上求められていることを、現場の人たちにどう伝えるか。
そして、従業員の健康を守るために、職場をより良い環境にしていくにはどうすればよいか。
産業医の仕事は、一人ひとりの労働者に向き合うことはもちろんですが、同時に、職場や組織全体を見ていくことでもあります。




