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産業医面談室の記録 ―小さな変化の話―

第四話 産業医談義

作者: 寺西志穂
掲載日:2026/04/13

夜、オンラインで集まる月に一度の、産業医同士の勉強会。


テーマは決まっているようで、決まっていない。

それぞれが現場で抱えたことを持ち寄って、ぽつりぽつりと話す。


「最近、“精神科産業医”って言葉、よく聞きますよね」


誰かがそう切り出した。


「面談はもちろん大事なんですけど…… 面談ばかりに寄るのは、ちょっと違う気もして」


うなずく声がいくつか重なる。


「面談って、個人の入り口なんですよね。でも、そこで終わっちゃうと、職場全体は変わらない」


別の先生が続けた。


「僕は、やっぱり職場巡視が一番大事だと思ってます」


「巡視って、ただ見て回るだけじゃないですよね」


「そう。あれは統括管理そのものなんですよ」


話は自然に、労働衛生の基本に戻っていく。


「作業環境管理、作業管理、健康管理。それに総括管理と労働衛生教育を加えた五つの管理。

あれを意識して職場を見ると、見え方が全然違う」


「巡視って、“人”じゃなくて“構造”を見る仕事なんですよね」


誰かがつぶやいた。


「法令も、結構定期的に変わりますしね」


「そうなんですよ。追いかけるだけでも大変」


「まあ、臨床の先生のガイドラインみたいなもんだしね」


笑いが起きる。


「でも、法令をそのまま会社に伝えても動かないんですよね」


「わかります。“正解”をそのまま出すんじゃなくて、その会社に合わせて翻訳しないと」


「むしろその翻訳が私たちの役割だね」


話題は、資格の話にも広がった。


「労働衛生コンサルタントとか産業衛生専門医とか、産業医にも専門資格があることがもっと知られるといいのにね」


「資格があればいいって話でもないけど、“軸”があるのはやっぱり大事ですよね。しかしあまり知られてないから、せっかく取ってもそれでどうこうなることはない」


「取ってても取ってなくても、みんな産業医ですもんね。眼科医でも麻酔科医でも」


しばらくして、別の話題が出た。


「高年齢労働者の健康管理、どう説明してます?」


「ああ……努力義務になったやつですね」


「努力義務って、伝え方が難しいんですよね。“やらなくていい”って受け取られると進まないし」


「この前、経営層向けに資料作ったんですよ。法令の話だけじゃなくて、事故とか人材確保とか、裁判の判例とか、経営の話も入れて」


「それ、大事ですよね。安全衛生だけじゃなくて、経営課題なんですよね」


やがて話は、小さな事業場の話になる。


「大企業はだいぶ進んでますけど……問題は、50人未満ですよね」


「産業保健職がいないところ、まだ多いですもんね」


「ストレスチェックの義務化をきっかけに、専門職がちゃんと関われるようになるといいんですけど」


そこで、ひとりが苦笑いをした。


「この4月に引き継いだ事業場なんですけどね」


少し間を置いて続ける。


「ストレスチェックの実施事務従事者が、総務部長だったんですよ」※人事権を持つ管理監督者が実施事務従事者になることは、制度上想定されておらず、不適切とされています。


一瞬、場が静かになった。


「ああ……」


誰かが小さく息を吐く。


「悪気はないんですよね。ちゃんとルールを作ってやってるならいいんですけど」


「何事もなくて良かったですね」


「ほんとです」


誰かが、ぽつりと言った。


「制度って、あるだけじゃ意味なくて、ちゃんと回る形にして、初めて意味があるんですよね」


会議室の空気は、静かに落ち着いていった。


それぞれの現場は違う。

正解もひとつではない。


それでも、同じ方向を見ている感覚だけが、そこに残っていた。


私自身、面談という時間がとても好きです。

ただ、面談だけをしていればよいわけではなく、それだけでは産業医として十分とは言えない、という意識も持っています。


法令を確認し、裁判例にも目を通し、法律上求められていることを、現場の人たちにどう伝えるか。

そして、従業員の健康を守るために、職場をより良い環境にしていくにはどうすればよいか。


産業医の仕事は、一人ひとりの労働者に向き合うことはもちろんですが、同時に、職場や組織全体を見ていくことでもあります。

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