なくならないもの
その辞令が下るのは時間の問題だと、口に出さずとも誰もが確信していた。
「サーシャ・ローディック。あなたを隣国特使ライナス・ジョイフェル卿の、部屋付き侍女に任命します」
凛とした声で侍女長が命じる辞令を、縫製室の者はみな身動きひとつせずに聞いていた。
「準備ができ次第、補佐と一緒にライナス様のお部屋へ行きなさい」
ローラを残して侍女長が立ち去ると、真っ先に動いたのはピコだった。
サーシャのもとへ駆け寄って腕を引っ張る。
「サーシャさんっ! 行っちゃうんですか? お仕着せはどうなるんですか? 改善できるとこ見つけようって、どんどん良いものにしようって言ったじゃないですか!」
「ピコ……」
「もっと一緒に作りたかった! もっと話したかった! どこにも行かないでよサーシャさん!」
同じ歩幅で走れる仲間と離れる。それは、サーシャにとってもひどくつらいことだった。
布の前で並んで悩んだことも、失敗して笑ったことも、少しずつ良くなっていくのが嬉しかった時間も、全部がここにある。
それでもサーシャは知っているのだ。離れたからといって、すべてがなくなるわけではないことを。
「同じ王女宮にいるから。会いに来るから。また話そう。ピコが作ったものの話、聞かせて?」
ピコはぐしゃぐしゃの顔をしながら頭を横に振っている。
サーシャが屈んでピコの背中をさすっていると、横から伸びてきた腕がピコをさらった。
「まったくあんたは、いつまでもべそべそと。ピコが言ったんじゃないか、サーシャさんのことは誰でも好きになるって」
言いながらフレネがそこらにあった布でピコの顔を拭った。
「そのサーシャさんのすごさが、偉い人に認められたんだ。頑張れって送り出してやらなくてどうするんだい」
ピコはまだ泣いていたが、もう「行かないで」とは言わなかった。
すぐに要る荷物だけをまとめてから、カイの姿を探す。彼は廊下に出てローラと話をしていた。
サーシャはカイの前まで行き、眼鏡の奥を見つめる。
「カイさん、お世話になりました。私、ここで仕事ができて良かったです。カイさんのおかげで、やりたいように力いっぱいやれました」
「ああ、そりゃ良かった。けどあんたの『力いっぱい』は危なっかしいからな。使者殿のところでは猫をかぶっておけよ」
「そうですね。カイさんみたいに図太い、いえ、動じない人ばかりではないって、心に留めておきます」
いつもどおりの軽口の応酬。これからはもうこれが日常ではなくなることに、サーシャは寂しさを覚えた。
「じゃあ、行ってきます」
「……ああ。行ってこい」
深く一礼してから、頭を上げてカイを見る。
サーシャはまたここから、新たな一歩を踏み出した。
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次回は3月25日(水)に3話更新し、新章に入ります。




