糸口
「やあサーシャ。久しぶり」
今日のニックは以前ハンカチを返しに来た時のような、良家のお坊っちゃん然とした格好をしている。平民には見えないが、かといって貴族子息とも断言できない絶妙な装いだ。
「ニック……一人で出歩いていていいの?」
「もちろん共の者もいるよ。外で待たせてある」
サーシャは声をひそめて話すが、一方のニックは心底嬉しそうな顔をして、ごく自然に話しかけてくる。
案の定、ニックの来訪に気づいた番頭の配慮により、商談席へと通された。番頭は去り際サーシャに「分かっていますね?」と念を押すのを忘れない。
ニック・バルケス、17才の伯爵家次男──それが番頭から知らされた彼の素性だった。
ニックは苦笑いをしながら番頭の後ろ姿を見送っている。
「あー、僕の家名を知られてしまったのかな」
「ええ、そうなの。伯爵家のご子息だって聞いたわ。いくら同い年でも、やっぱり今までみたいなのはまずいと思うの」
「それは本当にいいんだよ。サーシャには、僕を見て最初に感じたとおりに振る舞ってほしい。だって、それが僕に対する距離ってことだろう?」
ニックは照れくさそうに笑ってサーシャを見た。
そんな年相応の少年らしい仕草にサーシャもつられて笑い、もじもじとした気恥ずかしさを覚えた。
けれどやはり彼の身分を考えるとこのままで良いとも思えず、何か言わなければとサーシャは心のなかで焦っていた。
沈黙を振り払うように、ニックが話題を変える。
「あのさ、ハンカチのことなんだけど、もう少しかかりそうなんだ。血って全然落ちないんだな。だいぶ汚れは薄くなったけど、こんなに手こずるとは思わなかったよ」
「まさかニック、自分で洗おうとしてるの? 寮にも洗濯婦さんがいるでしょう?」
サーシャは驚いてついいつもの調子に戻ってしまう。けれど、厳しいお目付け役がいないのだからいいかと開き直ることにした。
「ほかと紛れて失くなるかもしれないじゃないか。それなら自分で洗うよ」
「その気持ちは嬉しいけど……そうだわ、前に渡した匂い袋は使った? あの香り草なら血も落ちるんじゃないかしら」
「そんなのもったいなくて使えないって! せっかくサーシャがくれたのに」
「あら、もったいなくなんてないわ。リシャっていって、そこらへんによく生えてる草なんだから」
話しながら、ふと何かが頭をよぎる。
それは男爵領の機織場で見た、洗濯物が風に揺れる光景だった。
サーシャは思わずガタリと立ち上がり、ニックの手を取った。目は爛々と輝いている。
「ニックありがとう! もしかすると上手くいくかもしれない!」
真っ赤な顔で手を見つめて固まるニックは、それからずっとぼんやりとしていた。
上の空のニックを送り出したサーシャは、はやる思いで業務を済ませ、工房に向かうのだった。




