第8話:鉄屑の聖域
独特の臭気が漂う暗がりを二、三歩進んだ時、背後から枯れ木が擦れ合うような、それでいて芯の通った老人の声が響いた。
「……待ちなさい。マイア、バイアス。その二人をそれ以上手荒に扱うのはおやめ」
銃口を向けていたマイアと、棍棒を構えていた大男のバイアスが、弾かれたように振り返る。
「……爺さん」
瓦礫の影からゆっくりと姿を現したのは、腰の曲がった小柄な老人だった。全身に煤がこびりついたボロを纏い、手には光り輝く細い管——光ファイバーを幾重にも束ねて作った杖を突いている。
「爺さん」と呼ばれた老人が、静かに問いかける。
「お前さん達、名は何という?」
「俺は佐藤。こっちはクロだ。……あんたが、ここのまとめ役かい?」
相手に警戒心を抱かせないよう、極めて穏やかな口調で名乗った。五十年の人生で培った、場を和らげるための呼吸だ。
「俺たちは食べ物を探してここに迷い込んだだけで、誰かを傷つけるつもりはない」
「まとめ役、か。……皆からはそう呼ばれておるな。私の名はジャインという」
老人は、濁りのない瞳で佐藤を見つめた。
「サトウ、か。お前さん、あっちの方から来たようだが……。あそこは、たまに上の神様がゴミをまとめて捨てる場所だろう。そんなところに、お前さんのような者がいたとはな」
ジャインが杖の先で、佐藤たちが歩いてきた方向を指す。そこには「神様」が捨てた巨大な廃棄物の山が、虚無を象徴するようにそびえ立っている。
「……ああ。上から降ってきたガラクタの間を抜けて、ようやくここに辿り着いた。生きるために必死だったんだ」
佐藤の言葉に、マイアが怪かしげに目を細めた。
「……爺さん、こいつはただの不適合者じゃない。もし、あのゴミの中から這い出してきた『バケモノ』の類だったらどうする」
マイアの目は、佐藤を人間としてではなく、ゴミ山から稀に生まれる変異体や、地上から廃棄されてきた「異常個体」として警戒していた。
「マイアよ、あの上の神様が、わざわざこんな奈落の底に何かを送り込む道理はなかろう。彼らにとってここは、いらなくなった物を捨てるためのただの穴だ」
ジャインは静かに笑い、佐藤へ一歩近づいた。
「サトウ、お前さんの目は、ここらで餓えに怯えている者たちの目とは違う。かといって、変異体のような狂気も見えん……。面白い。バイアス、その二人の拘束を解いてやりなさい。我が家へ案内しよう」
「本気かよ……。変な虫でも連れ込んでなきゃいいがな」
バイアスは不満げに鼻を鳴らしながらも、構えていた棍棒を下げ、二人の拘束を解き放った。
佐藤は内心で安堵の息を吐く。
(このジャインという爺さん……ただの長老じゃないな。言葉の端々に、このゴミ山の住人らしからぬ知性を感じる)
「サトウ、あの爺さん、変な匂いがするわ」
クロが佐藤の耳元で小さく囁いた。
「匂い?」
「ええ。鉄や油の匂いじゃない……もっと、乾いた古い何かのような匂い」
佐藤はクロの言葉を胸に刻みながら、ジャインの後に続いた。
案内された先には、基板をパッチワークのように繋ぎ合わせて補強された壁や、光ファイバーを網のように編み込んで作られたハンモックが並ぶ、異形の集落が広がっていた。
教育も文明もないはずのこの場所で、彼らは捨てられた残骸を、本来の用途とは無関係な「生活の知恵」として組み替えて生きている。
佐藤は、自分が転生したこの世界の、歪でたくましい底辺の姿を、いま初めて目の当たりにしていた。




