第2話 再定義
真っ白な無機質の壁に囲まれた部屋。佐藤はズキズキと痛む後頭部を押さえながら、目の前に立つ少女を凝視した。
「……悪いが、もう一度言ってくれ。あんたが、クロだって?」
「そうよ。何度も言わせないで。アンタが私を抱き寄せた直後、あの光に飲み込まれて……気づいたらこの姿よ」
少女は苛立ちを隠さず、黒髪を乱暴にかき上げた。佐藤はすぐには首を振らなかった。50年も生きていれば、詐欺やたちの悪い冗談には何度も出くわしてきた。だが、目の前の少女の「癖」に目が止まる。苛立った時に右足の先で床をトントンと叩くリズム。それは、トラックの助手席でクロが退屈な時に見せていた仕草そのものだった。
「……クロしか知らないはずの話をしてみろ」
佐藤の静かな、だが逃げ場のない問いに、少女は鼻を鳴らした。
「去年の冬、荷主からもらった高いカニ缶を、アンタ『賞味期限切れだから』って嘘ついて私に全部食べさせたわね。あと、奥歯の詰め物が取れたのを、瞬間接着剤で固めようとして失敗して、結局歯医者で怒られたのはどこのどいつだっけ」
「……あー、もういい。降参だ」
佐藤は深くため息をつき、天を仰いだ。その情けない記憶は、世界で自分と一匹の猫しか知らない。
「信じられんが……事実は小説より奇なり、か。まいったな、こりゃ。クロ、お前、ずいぶん……なんだ、その。可愛くなったな」
「……フン。アンタこそ、自分の顔を見てきなさいよ」
クロに促され、佐藤は壁面の光沢に目を向けた。そこに映っていたのは、50年間の激務で刻まれた深い眉間のシワも、少し後退し始めた生え際もない、10代後半の少年の姿だった。
「……誰だ、このシュッとしたガキは。俺の『ヴィンテージ感』が台無しじゃないか」
思わず口をついた言葉に、クロが冷ややかな視線を送る。
「ヴィンテージっていうか、ただの使い古しでしょ。それより、アンタのその顔、鏡を割る心配がなくて良かったわね。……あ、鏡(鑑)みて反省しなさいってことかしら?」
「おい、そのレベルのギャグは俺の領分だぞ」
佐藤は自分の若返った頬を掌で包み、その滑らかな感触に強烈な違和感を覚えた。中身は50歳の疲れた男。だが器は、未来に溢れた若者。この乖離を飲み込むには、まだ時間がかかりそうだった。
その時、天井から不穏な電子音が響いた。
『個体識別信号(ID)、未検出。生体スキャンを開始します』
部屋の隅から浮遊する球体状のデバイスが降りてくる。赤いレーザー光線が、容赦なく二人の体をなぞり始めた。
「……おい、クロ。どうやら歓迎会じゃなさそうだぞ。しっかり俺の服を掴んでろ。離れるなよ」
佐藤は若返った体を無理やり奮い立たせ、冷徹な機械の光を睨み据えた。




