第1節:師匠を守る会(してない)
Sランク認定から、三日が経った。
そして――僕の日常は、完全に変わった。
「ルーク、今日も師匠の護衛、頼むぞ!」
「え、あ、はい……!」
ギルドのロビーで、見知らぬ冒険者から声をかけられる。
毎日、こんな調子だ。
Sランク認定以降、《黒薔薇の園》への注目は、さらに高まった。
いや――注目、というレベルじゃない。
"崇拝"に近い。
「師匠、今日のご予定は?」
「師匠、お茶をお持ちしました」
「師匠、依頼書の整理、お任せください!」
応接間には連日、冒険者たちが押し寄せる。
皆、師匠のために何かしたいと目を輝かせている。
「あ、ありがとう……」
師匠は優雅に微笑みながらも――どこか、疲れた表情を浮かべていた。
笑顔の裏で、呼吸が浅い。まるで舞台の幕間、暗転の数秒にだけ許された休息みたいに。
「ルーク」
リザが、僕を呼んだ。
「ちょっと、ついてきなさい」
「え、はい……」
僕はリザに連れられて、ギルドの一室へ向かった。
扉の前に立っただけで分かった。空気が硬い。
会議の匂い――いや、これは戦場の手前だ。
中にはマンディと、セラも待っていた。
マンディは腕を組み、壁にもたれている。筋肉の陰が濃い。
セラは椅子に浅く腰掛け、指先が落ち着きなく膝の上をなぞっている。
その仕草が、妙に“王宮育ち”の品を隠しきれていなかった。
「えっと……これは?」
「《師匠を守る会》の緊急会議よ」
リザが真剣な顔で告げた。
「師匠を、守る会……?」
僕は首を傾げる。
「そう。最近、師匠への接触が多すぎる。このままでは師匠が疲弊してしまう」
「確かに……」
連日の依頼、冒険者たちの訪問、ギルドマスターからの相談――
師匠のスケジュールは、もう糸のように細い。
「だから、私たちが師匠を守る」
マンディが拳を握る。
「不必要な接触は俺たちが防ぐ。師匠にはもっと休んでいただく」
「そ、それは……いいことだと思いますけど……」
僕は、少しだけ不安を覚えた。
(これって、過保護じゃ……?)
リザが机に紙を置いた。
そこに、いくつか太い字で書かれている。
「まず、師匠への接触は、私たちを通すこと」
「依頼の受注も、私たちが事前に精査する」
「休憩時間は、必ず確保する」
マンディが続ける。
リザのペン先が、最後の項目で止まった。
そして、ゆっくりと書き足す。
「そして――不審者は、即座に排除」
「不審者……」
僕は冷や汗を流した。
(“排除”って言葉、今の平和な会議室に似合わない……!)
セラが、恐る恐る手を挙げる。
「えっと……不審者って、どこからが……」
「師匠の“心を乱す者”は、不審者よ」
リザは迷いなく言い切った。
剣の刃より言葉のほうが鋭いって、本当なんだな……。
「心を乱す……」
セラが、そっと復唱する。
その瞬間、セラの眼鏡の奥の瞳が、ほんの少しだけ遠い場所を見た。
王宮の中庭。礼儀作法。婚約者選抜。笑顔の練習。
そんな、逃げ出したくなるほど綺麗で窮屈な檻。
僕は咳払いして場を戻した。
「……でも、師匠って、断ろうと思えば断れるんじゃ――」
「断れないの。師匠は」
マンディがぽつりと呟いた。
「優しいからだ」
「そう」
リザが静かに続ける。
「師匠は、私たちの恩人」
リザの声が、一段低くなる。
「師匠の教えがなければ、私は今の私ではなかった」
マンディも頷く。
「俺もだ。師匠には恩がある。だから守りたい」
その言葉は、重い。
錨みたいに胸の底へ沈む。
でも、沈むのに、嫌じゃない。
(そうだ……師匠は、みんなの恩人なんだ)
僕も師匠を思い浮かべる。
高笑いで空気を支配して、優雅な手つきで場を救って、
その裏で、誰にも見せない小さな疲れを隠す人。
「それで、ルーク」
リザが、僕をまっすぐ見つめる。
「あなたも、《師匠を守る会》のメンバーよ。協力してくれるわね?」
「え、あ、はい……!」
断る選択肢は、そもそも存在しない。
リザの眼光が、“はい”以外を許さない。
「ありがとう、ルーク」
リザが微笑んだ。
その笑みは慈悲の形をしているけど、実態は決議だ。
「さあ、それじゃあ――《師匠を守る会》、始動よ!」
* * *
(……え?)
私――シルヴィア・ド・ノワールは、応接間で固まっていた。
目の前には――リザ、マンディ、セラ、ルークが整列している。
整列の仕方が、怖い。
舞台で言えば、最終幕の「断頭台の前の合唱隊」みたいな真剣さ。
「師匠、これより《師匠を守る会》を正式に発足いたします」
リザが、宣言する。
(師匠を守る会……?)
耳で聞いた単語が、脳内で二回ほど反響して、ようやく意味になった。
「師匠のご負担を軽減し、不必要な接触を防ぎ、健康的な生活を確保する――それが私たちの使命です」
マンディが胸を張る。
(……いや、待って)
私の思考が、必死に舞台転換しようとする。
しかし、次の台詞が容赦なく来る。
「ですので、師匠。今後のご予定は、すべて私たちにお知らせください」
リザがスケジュール帳を取り出す。
舞台小道具のはずの手帳が、拷問器具に見える。
「依頼も、私たちが事前に精査いたします」
「休憩時間も、厳守していただきます」
マンディが時計を指さす。
「そして、不審者の接触は、私たちが全力で防ぎます」
セラまで、杖を構えた。
杖の先がきらりと光って、私の自由が遠ざかる音がした。
(……これ、完全に自由がなくなるやつだ)
内心で絶望する。
でも、四人の瞳は真剣そのものだ。
善意が、まるで聖水みたいに透明で――だからこそ厄介。
(……断れない)
私は深く息を吸う。
腹式呼吸。
声優時代に叩き込まれた技術。
緊張も恐怖も、“息”で支配できる。たぶん。そういうことにしてきた。
「ありがとう、みんな」
私は優雅に微笑んだ。
「あなたたちの気持ち、嬉しいわ」
「師匠……!」
四人が感動した表情を浮かべる。
ああ、これだ。
この“勝手に感動のクライマックスへ行く感じ”、私の人生だ。
「ただ――」
私は言葉を続ける。
「あまり、無理はしないでね。私は、大丈夫ですから」
「いえ、師匠!」
リザが首を振る。
「師匠は、いつも無理をなさっています。だから、私たちが支えるんです」
「そうです! 任せてください!」
マンディが力強く頷く。
(……もう、だめだ)
善意の暴走は止められない。
聖典より強いのは、信者の純粋さだって、誰かが言ってた気がする。
「それじゃあ、よろしくお願いしますわ」
私は優雅に微笑み続けた。
そして――心の中で小さく呟いた。
(静かに暮らしたい……)
* * *
《師匠を守る会》が発足してから、さらに三日が経った。
そして――ギルドの雰囲気が、明らかに変わった。
「あ、ルーク。師匠に用があるんだけど……」
「はい、何でしょうか?」
「いや、ちょっと相談が……」
「では、こちらの用紙に記入してください。内容を精査して、師匠にお伝えします」
「……マジで?」
冒険者が呆れた表情を浮かべる。
そりゃそうだ。
ギルドは本来、剣と依頼の場所であって、役所じゃない。
でも、これが《師匠を守る会》のルールだった。
「師匠への接触は、事前申請制」
リザが厳しい表情で告げる。
「緊急の場合を除き、すべて書面で提出すること」
「書面って……」
「ルールです」
リザの眼光が、紙を“誓約書”に変える。
僕は内心で震えた。
(……リザ、怖い)
だが、効果は確かにあった。
師匠への不必要な接触は激減。
休憩時間も確保できるようになった。
「ありがとう、みんな」
師匠が優雅に微笑む。
「おかげで、少し楽になったわ」
その言葉を聞いた瞬間、僕は少しだけ救われた。
僕たちは、ちゃんと守れている――そう思えた。
……その瞬間までは。
「《黒薔薇の園》宛に、書状が届いております」
ギルドの受付嬢が、一通の封筒を持ってきた。
金色の封蝋。
王家の紋章。
王宮からの、正式な招待状だった。
「……これは」
師匠の表情が、一瞬だけ固まった。
リザが封筒を受け取り、開封する。
紙の擦れる音が、やけに大きく響く。
「王宮からの招待……国王陛下が、直々に《黒薔薇の園》を招待するとのことです」
「国王陛下……!?」
僕は思わず声を上げた。
「日時は、三日後。王宮の謁見の間にて」
リザが読み上げる。
「理由は――Sランククランとしての正式な挨拶、および……第二皇子殿下の件について」
その言葉に、セラが青ざめた。
眼鏡の奥で瞳が泳ぎ、逃げ道を探す小動物みたいに肩が縮む。
「え……あ、あの……」
「セラ、大丈夫よ」
師匠が優しく声をかける。
「あなたの事情は、私たちが守るわ」
「し、師匠……!」
セラが、涙目になる。
師匠の声は柔らかい。
だけど、その柔らかさが、僕には逆に怖かった。
柔らかい布ほど、重いものを包む時に、形が崩れる――そんな感じがする。
王宮。
国王。
第二皇子。
そして――《黒薔薇の園》への、さらなる注目。
(これって……大丈夫なのか……?)
その夜。
僕は宿舎の薄い毛布にくるまりながら、目を閉じても眠れなかった。
Sランク認定。
師匠を守る会。
王宮への招待。
すべてが、加速している。
誰かが見えない坂に油を塗って、世界を滑らせているみたいに。
(師匠は……本当に、大丈夫なんだろうか)
ふと、師匠の疲れた表情が脳裏をよぎる。
それは、ほんの一瞬だけ隙間から覗いた“素”の顔。
舞台のメイクの下にある、生身。
僕にできることは限られている。
ただ――師匠を支えること。
それだけだ。
そして――三日後。
僕たちは王宮へ向かう。
そこで待ち受けるのは――
栄光か、試練か。
それとも、さらに絡み合う勘違いの螺旋か。
答えはまだ、封蝋の向こう側にある。
けれど、ひとつだけ分かっている。
――薔薇は、守ろうとするほど、棘が増える。
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