第5節:高笑いは祈りか、呪いか
ルミナス大神殿、大聖堂。
夜はまだ完全には落ちていない。
けれど聖堂の内部は、すでに夜だった。
数千の蝋燭が灯され、光は揺れ、影は膨らみ、天井の高さを忘れさせる。
人は暗い場所に集まると、上を見上げる。
上を見上げるという行為は、それだけで服従に近い。
信者たちが、ぎっしりと集まっていた。
肩と肩が触れ合い、呼吸が混ざり、期待が蒸気のように立ち上る。
彼らは祈りに来たのではない。
奇跡を見に来たのだ。
祭壇の前に、枢機卿ツィチェン・イッツァ・アッゲーノが立つ。
法衣は白く、顔は穏やかで、声はよく通る。
完璧な聖職者の姿。
だからこそ、恐ろしい。
「皆の者!」
枢機卿の声が、大聖堂を満たす。
音は天井にぶつかり、反響し、信者たちの胸に降り注ぐ。
言葉が雨になる瞬間だ。
「今宵、我らは特別な儀式を執り行う!」
ざわめきが波のように広がる。
人は「特別」という言葉に弱い。
自分が選ばれた側にいると錯覚できるからだ。
「聖典の化身、シルヴィア・ド・ノワールが――聖なる笑みを披露する!」
歓声が上がった。
拍手が鳴り、祈りが歓声にすり替わる。
信仰は、いつも一歩で娯楽に転ぶ。
(……まずい)
私は内心で呟いた。
ここまで期待されると、止めるという選択肢が消える。
群衆は、止まることを許さない。
「さあ、シルヴィア・ド・ノワール!」
枢機卿が、私を指し示す。
「壇上へ!」
私は歩き出した。
一歩一歩が、舞台へ上がる足取りに似ている。
違うのは、客席が拍手ではなく信仰で満ちていること。
(落ち着け)
私は自分に言い聞かせた。
声優の現場でも、観客の期待が暴走することはある。
そんな時に必要なのは、役と自分を切り離すこと。
祭壇の上に立つ。
光が強い。
視界の端で、仲間たちの姿が見えた。
リザは剣に手をかけている。
マンディは半歩前に出て、床を踏みしめている。
セラは杖を握り、詠唱の準備をしている。
ルークは剣を構え、私だけを見ている。
(……大丈夫)
私は一人じゃない。
「それでは――」
枢機卿が聖典を開く。
「気高き笑みが野に薔薇を咲かせ、天を清める。この一節を、今ここに具現する!」
言葉が放たれた瞬間、大聖堂が静まり返る。
静寂は、信仰が最も危険になる瞬間だ。
「シルヴィア・ド・ノワール――高笑いを!」
枢機卿が叫ぶ。
私は、腹式呼吸を意識した。
深く、息を吸う。
喉の奥を開き、声の通り道を作る。
……その時だった。
祭壇の奥。
聖典の影に隠れるように刻まれていた紋章が、淡く光った。
(……っ)
一瞬で理解した。
あれは、聖なるものではない。
禁断の紋章。
邪神の名を呼ぶための、記号。
枢機卿の笑みが、歪む。
穏やかな仮面の下から、狂気が覗いた。
(これは、罠だ)
高笑いをすれば、紋章が完全に起動する。
邪神が呼ばれる。
ここにいる全員が、その「証人」になる。
(どうする……)
私は一瞬、息を止めた。
その時。
「師匠!」
ルークの声が、はっきりと届いた。
「僕たちを、信じてください!」
壇上の下で、仲間たちが構えている。
剣、拳、魔法。
そして、覚悟。
その瞳に迷いはなかった。
迷っているのは、私だけだ。
(……そうか)
私は、ようやく気づいた。
問題は「笑うか、笑わないか」じゃない。
問題は「何のために笑うか」だ。
私は決意した。
高笑いをする。
だがそれは、邪神を呼ぶためじゃない。
観客を欺くためでもない。
仲間を信じるための、祈りとして。
私は、微笑んだ。
悪役令嬢の微笑み。
そして、声優として積み重ねてきたすべてを、そこに重ねる。
「おーっほほほほほっ!」
高笑いが、大聖堂に響いた。
音が広がる。
反響が重なり、空間を満たす。
同時に――
祭壇の奥の紋章が、激しく輝き始めた。
邪悪な気配が、膨れ上がる。
空気が、粘つく。
「来た……!」
枢機卿が狂喜の声を上げる。
「邪神が……復活する……!」
その瞬間。
「させるか!」
リザが剣を抜いた。
刃が光を切り裂く。
マンディが踏み込み、拳を叩き込む。
衝撃が床を揺らす。
セラが詠唱を終え、魔法を放つ。
光が邪悪を洗い流す。
ルークが前に出て、枢機卿を牽制する。
若い剣が、迷いなく振るわれる。
紋章に、亀裂が入った。
「ぐああああ!」
枢機卿が叫ぶ。
狂信の叫び。
神ではなく、欲望の叫び。
そして――
紋章が、砕けた。
光が霧散し、邪悪な気配が消えていく。
静寂。
私は、息を吐いた。
「……終わった」
枢機卿は力なく倒れ、祭壇の前で動かなくなった。
信者たちは、呆然としている。
何が起きたのか、正確には理解できていない。
だが――
一つだけ、分かっていることがあった。
《黒薔薇の園》が、何か恐ろしいものを止めた、という事実。
「《黒薔薇の園》万歳!」
誰かが叫んだ。
それは合図だった。
拍手が起き、歓声が爆発する。
恐怖は、勝利にすり替えられる。
(……違う、そうじゃない)
私は内心で呟いた。
邪神復活を阻止しただけだ。
奇跡なんて起こしていない。
けれど――
群衆は、物語を欲している。
「聖典の化身が邪悪を払った!」
「気高き笑みが、邪神を退けた!」
「シルヴィア様に栄光あれ!」
栄光。
その言葉は、静かな暮らしから一番遠い場所にある。
私は、仲間たちを見た。
彼らは無事だ。
それだけで、今は十分だった。
高笑いは、祈りだったのか。
それとも、呪いだったのか。
たぶん――
どちらでもない。
それは、人が意味を与えた音だ。
その意味が、勝手に膨らんだだけ。
私は、胸の奥で小さくため息をついた。
(また……伝説が増えた)
こうして――
《黒薔薇の園》の名は、さらに大きくなり。
シルヴィア・ド・ノワールの勘違いは、また一段深くなった。
静かに暮らしたい、という願いは。
今夜も、少し遠ざかった。
けれど――
仲間は、すぐそばにいる。
それだけが、救いだった。
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