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ただの悪役令嬢"声優"は静かに暮らしたい ― 超有能な勘違い弟子令嬢から溺愛されて逃げられません ―  作者: 荒瀬 維人
第5章:聖王都と枢機卿

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第2節:枢機卿の「気高き笑み」査問

枢機卿の執務室は、音のない箱だった。


扉が閉まった瞬間、大神殿のざわめきが遠い海のように引いていく。


室内には香が満ち、香は空気を重くし、重みは言葉を遅くする。


言葉が遅くなる場所は、嘘に有利だ。


だから私は、微笑みだけは軽く保った。



窓は細く、光は糸のように垂れていた。


糸の光が机の上の聖典を撫でる。


机は黒檀、椅子は彫刻のように硬い。


柔らかい椅子は人を油断させるが、硬い椅子は人を正直にする。


少なくとも、枢機卿はそう信じている顔だった。


向かいの男は、穏やかな笑みを貼り付けている。

だがその笑みは、花ではなく仮面だ。

仮面の下で、本当の顔がどんな風に息をしているのか、香が邪魔をして読み取りにくい。



「それでは、シルヴィア・ド・ノワール」



枢機卿は、聖典を開いた。


紙の擦れる音が、裁判の槌みたいに響く。



「気高き笑みが野に薔薇を咲かせ、天を清める。この一節を、知っているか?」



「はい、存じております」



私は、背筋を正した。

声優の現場でも、こういう瞬間がある。

台本の一行が、人格を試してくる瞬間。


「そして、お前の高笑いがこの一節と重なると、民は噂している」


「恐れ入ります」


私は礼を返す。礼は、相手の刃先を少しだけ鈍らせる。


けれど枢機卿の瞳は鈍らない。


むしろ、研ぎ澄まされる。



「だが」



聖典が閉じられた。


ぱたん、という音。


閉じる音はいつも、開く音より残酷だ。


扉でも、本でも、心でも。



「聖典の解釈は枢機卿院が司る。民の噂だけでは認められぬ」



私は黙った。


黙るのは同意ではない。


黙るのは、言葉の弾薬を温存する戦術だ。



枢機卿は立ち上がり、ゆっくりと机を回り込んだ。


私の側に来る。


この距離感は、舞台の演出で言えば「圧」。


観客の心臓を掴むための近さ。



「よって、私が直接、お前の気高き笑みを確かめさせてもらう」



枢機卿の声が、少しだけ低くなる。


低い声は、床の上を這う。


床を這う声は、逃げ道を塞ぐ。



「今ここで、お前の高笑いを披露せよ」


「……今、ですか?」



口から出た言葉が、やけに薄い。


私は自分の声が、声優の声ではなく「罪人の声」に近いことを自覚した。



「そうだ。聖典に適うか、この目で見極める」



見極める。

つまり、裁く。


私は立ち上がった。


椅子の脚が床を擦る音が、ひどく大きい。


心臓がそれに合わせて鳴る。



深呼吸。


腹式呼吸。


声帯を開く。


喉の奥の空洞に、音を置く。


それは祈りと同じ手順だ。


息を吸い、息を吐き、世界を一瞬だけ自分のリズムに合わせる。


そして私は、微笑んだ。

悪役令嬢の微笑みは、貴族の礼儀であり、戦場の宣戦布告でもある。



「おーっほほほほほっ!」



笑い声が、執務室の壁にぶつかって跳ね返り、天井の高みで一度溶け、また降りてくる。


優雅に。気高く。


完璧に。


……そのはずだった。


枢機卿が目を見開いた。


その瞳が、驚きではなく飢えに変わっていくのが分かる。


信仰の飢え。


真理を独占したい者の飢え。



「……これは」



声が震える。


震えは、人が心の奥で何かを見つけたときに起こる。



「まさに……聖典の具現……!」



枢機卿は膝をついた。


法衣が床に広がる。


偉い人が膝をつくと、世界の重力が一瞬だけ変わる。


私の方が上に立ってしまった、という構図が出来上がってしまう。



「素晴らしい……これほどの気高き笑み、初めて聞いた……!」


(……え?)



私は困惑した。


いま私がやったのは、いつもの仕事の延長だ。


なのにこの男は、神を見た顔をしている。



「シルヴィア・ド・ノワール」



枢機卿が顔を上げる。


そこにあったのは崇拝の光。


けれど崇拝は愛と同じ形をして、支配にもなる。



「お前は、真に聖典の化身だ」


「い、いえ……」


「謙遜は無用。お前の高笑いは神意そのもの」



神意。


便利な言葉だ。


責任の押し付けに、これほど便利な言葉はない。



枢機卿は立ち上がり、私の手を取った。


冷たい指。


聖職者の手は温もりがあるべきだと私は勝手に思っていた。


けれどこの手は、陶器みたいに冷たい。



「よって、今宵の祝祭で、お前に聖なる笑みの儀式を執り行ってもらう」


「……儀式?」


「祝祭のクライマックスで、お前が高笑いを披露する。それが今年の祝祭の目玉となる」



目玉。


祭りは見世物。


信仰は舞台。


私はその主役に据えられた。



「ちょ、ちょっと待ってください……!」



私は思わず声を上げた。


声優は、台本のない台詞に弱い。


本当の恐怖は、アドリブで来る。



だが枢機卿は微笑むだけだった。


その微笑みは、薔薇の香りに似ている。


美しいのに、どこか刺さる。


「準備は整っている。後は、お前が高笑いをするだけだ」


その言い方が、あまりにも軽い。


私の笑いは、舞台を締めるための演技だった。


なのに今、世界を開く鍵として扱われている。


鍵というものは、扉の向こうの闇を呼び込むこともある。



私は微笑みを崩さず、心の中だけで言った。


(……これは、絶対におかしい)


そしてその瞬間、外の廊下から、かすかな鐘の音が聞こえた。


祝祭の鐘。


人を集めるための音。


逃げ道を塞ぐための音。



私の背中に、冷たい汗が一筋流れた。

最後までありがとうございました!


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それでは次回の更新をお楽しみに

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