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ただの悪役令嬢"声優"は静かに暮らしたい ― 超有能な勘違い弟子令嬢から溺愛されて逃げられません ―  作者: 荒瀬 維人
第5章:聖王都と枢機卿

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第1節:ルミナス教の祝祭へ招待(罠)

ルミナスは、光が信仰を纏う都市だった。


昼の陽が白亜の街路に落ちる角度すら計算されているようで、石畳は熱を抱き、熱は空気を震わせ、震えは祈りのように上へ昇る。

科学の言葉で言えば、熱対流。


だが、ここでは誰もそれを「ただの現象」とは呼ばない。


陽光の屈折で虹が浮かべば「神の気まぐれ」。


風がステンドグラスを鳴らせば「聖霊の鼓動」。


理解できるものほど、あえて理解しない——それが聖王都の流行だった。


魔獣討伐から一週間。

《黒薔薇の園》の名は、朝の鐘より先に街へ広がっていた。


ギルドの掲示板の前では、信者が手を合わせ、商人が利益計算をし、冒険者が舌打ちをする。

英雄譚というものは、いつだって複利で増える。


そしてその朝。

私たちの宿兼控え室——ギルドの貸し部屋に、ひときわ不釣り合いなものが届いた。


「師匠、これを」


リザが差し出したのは、金色の封筒だった。

金は軽薄になりがちだが、この封筒の金は違う。

薄い箔の下に、信仰が詰め込まれている。

封蝋は白。薔薇を模した意匠の中心に、ルミナス教の紋章が押されていた。


——光薔薇。


嫌な予感が、喉の奥でこぶしを作った。


「……ルミナス教?」


私が封を切ると、甘い香がふわりと立った。

薔薇と乳香を混ぜたような、香りの説得。

紙は高級な羊皮紙で、文字は美しい曲線を描く。読む前から「断れない」と書かれている。


《黒薔薇の園》御一同様へ

聖王都ルミナス大祝祭にご招待申し上げます

日時:七日後、正午より

場所:ルミナス大神殿

枢機卿ツィチェン・イッツァ・アッゲーノより


「……枢機卿」


名前が長い。長い名前はだいたい厄介だ。

長い説明、長い儀式、長い説教、長い前置きの末に出てくる「本題」が最悪、という法則がある。


「師匠、これは名誉なことですわ!」


リザは頬を紅潮させている。

彼女は剣を握るときより、名誉を握るときの方が血色がいい。赤髪の令嬢剣士——エリザベート・フォン・クリムゾン。

今日もドレスの上から細身のサーベル帯を隠し、髪は薔薇の簪で留めている。自分が「剣技」の象徴であると信じて疑わない瞳。


「ルミナス教の大祝祭は年に一度の盛大な儀式ですの。そこに招待されるだなんて……!」


「う、うん……そうなんだ」


私は曖昧に頷くしかない。

——拒めない香り。拒めない文字。拒めない信者の空気。

宗教っていうのは、空気圧で人を押す。


「師匠、行きましょう!」


マンディが拳を鳴らした。

アマンダ・ストーンハート——肩幅が正義の令嬢。

制服の袖を捲る癖が抜けない。筋肉は嘘をつかないという顔で、いつも世界を簡単に殴り倒せそうな目をしている。


「師匠の功績が認められた証拠だ! 祝祭で拳技……いや、聖なる礼儀を学べるかもしれない!」


(拳技って言ったよね?)


私は内心で頭を抱えた。

私が「嫌疑けんぎをかける」って言ったのが、どうしてこうなったのか、いまだに因果律の方が謝罪してほしい。


「え、あ、でも……」


私が言いかけた時、静かに割り込んだ声があった。


「シルヴィア様」


セラ——セーラと名乗っている子が、心配そうに私を覗き込む。

金髪は眼鏡越しに控えめに光り、口元は不器用に結ばれている。

男であることを隠すための所作が逆に不自然な、第二皇子セラフィン・ルクス・アークライト。

その正体を知っているのは、今この部屋では私だけだ。


「大丈夫ですか? 顔色が……」


「ええ、大丈夫よ」


私は笑う。笑うのは職業。

生き残るための微笑みは、笑顔の仮面として非常に優秀だ。


「……師匠、どうしますか?」


ルークが訊ねた。

ルーク・アッシュフォード。まだ角の取れていない少年の真っ直ぐな視線は、たまに刃物より刺さる。

黒髪、灰色の瞳、背はまだ伸びる途中。装備は新品を大切に磨いている。

彼はまだ「世界に悪意がある」という前提を持っていない。羨ましい。痛い。


私は招待状を折り畳み、机に置いた。

紙の音が、やけに大きく聞こえた。


「……行くしかないでしょうね」


言葉にすると、責任が形を持つ。

そして形を持った責任は、重い。


「断れば、それはそれで問題になるわ」


「ですわね」


リザが頷く。

セラは眉をひそめ、マンディは拳をもう一度鳴らし、ルークは真剣に頷いた。


(……やばい予感しかしない)


私の夢は「静かに暮らす」だったのに。

どうしてこう、「静か」がどんどん宗教に吸い込まれていくのだろう。


*  *  *


七日後。

正午の鐘が鳴るより先に、私たちは大神殿の前に立っていた。


白亜。尖塔。天空。

建築というのは「権威を可視化する技術」だと誰かが言っていたけれど、これはまさにそれだ。

人間の首が自然と上を向くように設計されている。

首が上を向けば、目が上を向き、目が上を向けば、心は上を向く。

上を向いた心は、いつだって管理しやすい。


「……すごい」


ルークが息を呑んだ。

吐息が白くならないのに、空気は冷たい。石の冷たさは、熱を奪いながら敬虔さを作る。


「ルミナス教の総本山ですからね」


セラが小さく呟く。

眼鏡の奥の瞳が、どこか警戒で硬い。皇子である彼にとって、神殿とは味方の顔をした政治だ。


正門がゆっくりと開いた。

重い扉が動く音は、心臓の鼓動のようだった。


そこから神官たちが現れる。

白い法衣に、金糸の刺繍。香の匂いが風に乗って、こちらの肺に入り込む。


「ようこそ、《黒薔薇の園》の皆様」


先頭の神官が深々と頭を下げた。

頭を下げる角度が、完璧すぎて逆に怖い。


「枢機卿様が、お待ちしております」


「ありがとうございます」


私は優雅に微笑んだ。

優雅とは、恐怖を隠すための装飾。


胸の奥で、心臓が小刻みに跳ねる。

たぶん、私は今、「舞台に上がる直前」に似た状態にある。

違うのは、ここで失敗すると観客が笑わない、ということだけだ。


私たちは導かれ、大神殿の内部へ入る。


——壮麗。


天井は高く、ステンドグラスは光を色へ分解して床へ落とす。

赤、青、紫、金。光のスペクトルが石に染み込み、祈りの形をして揺れる。

祭壇には巨大な薔薇の彫刻。花弁の一枚一枚が、刀のように鋭く研がれている。

美しさは、しばしば暴力の仮面だ。


「……すごい」


私も思わず呟いた。

“すごい”という言葉は便利だ。

理解を放棄できる。


「師匠、あれを」


リザが祭壇の奥を指さす。


そこに、一人の男が立っていた。


禿げ上がった頭。

法衣は重厚で、肩の飾りは金の薔薇。

顔立ちは穏やかそうに見えるが、目だけが静かに冷たい。

善意の顔をした刃物のような男。


枢機卿——ツィチェン・イッツァ・アッゲーノ。


(……あれが、枢機卿)


私は彼を見つめて、そして——


頭頂部の反射に目を奪われた。


(……ツルツル)


光がそこだけ異常に跳ねる。

ステンドグラスの光が集まり、彼の頭が“神のスポットライト”みたいになっている。

宗教って、ああいう偶然すら演出にする。


(いや、失礼だけど……本当にツルツルだ)


私は「心の中だけは自由」と自分に言い聞かせた。

声優の基本。心の中でツッコめば、表情は崩れない。


「ようこそ、《黒薔薇の園》」


枢機卿が穏やかに微笑む。

声は低く、滑らかで、聴衆の安心を撫でる質感。

舞台の支配者の声。


「私が、ツィチェン・イッツァ・アッゲーノである」


「お招きいただき、光栄です」


私は一礼する。

礼は武器だ。礼は盾だ。礼は鎖でもある。


「ふむ。シルヴィア・ド・ノワール——聖典の化身と呼ばれる者よ」


彼の瞳が私を捉えた。

視線は指先のように肌を撫で、骨の温度を測ってくる。


(……やっぱり、何かある)


私は笑みを崩さないまま、心の中で一歩下がった。


「さて、祝祭の前に——」


枢機卿が手を上げる。

その仕草だけで、空気が静まる。

支配とは、声ではなく“間”で成立する。


「少し、お話をさせていただきたい」


「お話……ですか?」


「ああ。『気高き笑み』について——な」


その言葉で、私の心臓が跳ね上がった。


(……来た)


これが本題。

香りも、建築も、招待状も、全部この瞬間へ向けて設計されていたのだと、体が理解した。


私は優雅に微笑み続ける。

悪役令嬢役専門声優は、恐怖を“気品”に翻訳できる。


——けれど。


この祝祭の光は、どうにも眩しすぎた。

眩しさは、影を濃くする。

そして影の中で、誰かが笑っている気がした。


枢機卿の頭頂部が、また一瞬、強く光った。

まるで、合図みたいに。


私は知らず、喉の奥で小さく息を飲んでいた。


(……罠だ)


そう思った時には、もう、扉の外側には戻れなかった。


——次の部屋へ案内する神官の靴音が、やけに軽やかに響いていた。

最後までありがとうございました!


楽しんでいただけたら、

評価やブックマークを入れてもらえるととても嬉しいです。


反応があると更新速度が上がります(重要)

コメント頂ける方はマナーとして好きな声優さんかVtuberを必ず記入してください(超重要)


それでは次回の更新をお楽しみに

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