第1節:ルミナス教の祝祭へ招待(罠)
ルミナスは、光が信仰を纏う都市だった。
昼の陽が白亜の街路に落ちる角度すら計算されているようで、石畳は熱を抱き、熱は空気を震わせ、震えは祈りのように上へ昇る。
科学の言葉で言えば、熱対流。
だが、ここでは誰もそれを「ただの現象」とは呼ばない。
陽光の屈折で虹が浮かべば「神の気まぐれ」。
風がステンドグラスを鳴らせば「聖霊の鼓動」。
理解できるものほど、あえて理解しない——それが聖王都の流行だった。
魔獣討伐から一週間。
《黒薔薇の園》の名は、朝の鐘より先に街へ広がっていた。
ギルドの掲示板の前では、信者が手を合わせ、商人が利益計算をし、冒険者が舌打ちをする。
英雄譚というものは、いつだって複利で増える。
そしてその朝。
私たちの宿兼控え室——ギルドの貸し部屋に、ひときわ不釣り合いなものが届いた。
「師匠、これを」
リザが差し出したのは、金色の封筒だった。
金は軽薄になりがちだが、この封筒の金は違う。
薄い箔の下に、信仰が詰め込まれている。
封蝋は白。薔薇を模した意匠の中心に、ルミナス教の紋章が押されていた。
——光薔薇。
嫌な予感が、喉の奥でこぶしを作った。
「……ルミナス教?」
私が封を切ると、甘い香がふわりと立った。
薔薇と乳香を混ぜたような、香りの説得。
紙は高級な羊皮紙で、文字は美しい曲線を描く。読む前から「断れない」と書かれている。
《黒薔薇の園》御一同様へ
聖王都ルミナス大祝祭にご招待申し上げます
日時:七日後、正午より
場所:ルミナス大神殿
枢機卿ツィチェン・イッツァ・アッゲーノより
「……枢機卿」
名前が長い。長い名前はだいたい厄介だ。
長い説明、長い儀式、長い説教、長い前置きの末に出てくる「本題」が最悪、という法則がある。
「師匠、これは名誉なことですわ!」
リザは頬を紅潮させている。
彼女は剣を握るときより、名誉を握るときの方が血色がいい。赤髪の令嬢剣士——エリザベート・フォン・クリムゾン。
今日もドレスの上から細身のサーベル帯を隠し、髪は薔薇の簪で留めている。自分が「剣技」の象徴であると信じて疑わない瞳。
「ルミナス教の大祝祭は年に一度の盛大な儀式ですの。そこに招待されるだなんて……!」
「う、うん……そうなんだ」
私は曖昧に頷くしかない。
——拒めない香り。拒めない文字。拒めない信者の空気。
宗教っていうのは、空気圧で人を押す。
「師匠、行きましょう!」
マンディが拳を鳴らした。
アマンダ・ストーンハート——肩幅が正義の令嬢。
制服の袖を捲る癖が抜けない。筋肉は嘘をつかないという顔で、いつも世界を簡単に殴り倒せそうな目をしている。
「師匠の功績が認められた証拠だ! 祝祭で拳技……いや、聖なる礼儀を学べるかもしれない!」
(拳技って言ったよね?)
私は内心で頭を抱えた。
私が「嫌疑をかける」って言ったのが、どうしてこうなったのか、いまだに因果律の方が謝罪してほしい。
「え、あ、でも……」
私が言いかけた時、静かに割り込んだ声があった。
「シルヴィア様」
セラ——セーラと名乗っている子が、心配そうに私を覗き込む。
金髪は眼鏡越しに控えめに光り、口元は不器用に結ばれている。
男であることを隠すための所作が逆に不自然な、第二皇子セラフィン・ルクス・アークライト。
その正体を知っているのは、今この部屋では私だけだ。
「大丈夫ですか? 顔色が……」
「ええ、大丈夫よ」
私は笑う。笑うのは職業。
生き残るための微笑みは、笑顔の仮面として非常に優秀だ。
「……師匠、どうしますか?」
ルークが訊ねた。
ルーク・アッシュフォード。まだ角の取れていない少年の真っ直ぐな視線は、たまに刃物より刺さる。
黒髪、灰色の瞳、背はまだ伸びる途中。装備は新品を大切に磨いている。
彼はまだ「世界に悪意がある」という前提を持っていない。羨ましい。痛い。
私は招待状を折り畳み、机に置いた。
紙の音が、やけに大きく聞こえた。
「……行くしかないでしょうね」
言葉にすると、責任が形を持つ。
そして形を持った責任は、重い。
「断れば、それはそれで問題になるわ」
「ですわね」
リザが頷く。
セラは眉をひそめ、マンディは拳をもう一度鳴らし、ルークは真剣に頷いた。
(……やばい予感しかしない)
私の夢は「静かに暮らす」だったのに。
どうしてこう、「静か」がどんどん宗教に吸い込まれていくのだろう。
* * *
七日後。
正午の鐘が鳴るより先に、私たちは大神殿の前に立っていた。
白亜。尖塔。天空。
建築というのは「権威を可視化する技術」だと誰かが言っていたけれど、これはまさにそれだ。
人間の首が自然と上を向くように設計されている。
首が上を向けば、目が上を向き、目が上を向けば、心は上を向く。
上を向いた心は、いつだって管理しやすい。
「……すごい」
ルークが息を呑んだ。
吐息が白くならないのに、空気は冷たい。石の冷たさは、熱を奪いながら敬虔さを作る。
「ルミナス教の総本山ですからね」
セラが小さく呟く。
眼鏡の奥の瞳が、どこか警戒で硬い。皇子である彼にとって、神殿とは味方の顔をした政治だ。
正門がゆっくりと開いた。
重い扉が動く音は、心臓の鼓動のようだった。
そこから神官たちが現れる。
白い法衣に、金糸の刺繍。香の匂いが風に乗って、こちらの肺に入り込む。
「ようこそ、《黒薔薇の園》の皆様」
先頭の神官が深々と頭を下げた。
頭を下げる角度が、完璧すぎて逆に怖い。
「枢機卿様が、お待ちしております」
「ありがとうございます」
私は優雅に微笑んだ。
優雅とは、恐怖を隠すための装飾。
胸の奥で、心臓が小刻みに跳ねる。
たぶん、私は今、「舞台に上がる直前」に似た状態にある。
違うのは、ここで失敗すると観客が笑わない、ということだけだ。
私たちは導かれ、大神殿の内部へ入る。
——壮麗。
天井は高く、ステンドグラスは光を色へ分解して床へ落とす。
赤、青、紫、金。光のスペクトルが石に染み込み、祈りの形をして揺れる。
祭壇には巨大な薔薇の彫刻。花弁の一枚一枚が、刀のように鋭く研がれている。
美しさは、しばしば暴力の仮面だ。
「……すごい」
私も思わず呟いた。
“すごい”という言葉は便利だ。
理解を放棄できる。
「師匠、あれを」
リザが祭壇の奥を指さす。
そこに、一人の男が立っていた。
禿げ上がった頭。
法衣は重厚で、肩の飾りは金の薔薇。
顔立ちは穏やかそうに見えるが、目だけが静かに冷たい。
善意の顔をした刃物のような男。
枢機卿——ツィチェン・イッツァ・アッゲーノ。
(……あれが、枢機卿)
私は彼を見つめて、そして——
頭頂部の反射に目を奪われた。
(……ツルツル)
光がそこだけ異常に跳ねる。
ステンドグラスの光が集まり、彼の頭が“神のスポットライト”みたいになっている。
宗教って、ああいう偶然すら演出にする。
(いや、失礼だけど……本当にツルツルだ)
私は「心の中だけは自由」と自分に言い聞かせた。
声優の基本。心の中でツッコめば、表情は崩れない。
「ようこそ、《黒薔薇の園》」
枢機卿が穏やかに微笑む。
声は低く、滑らかで、聴衆の安心を撫でる質感。
舞台の支配者の声。
「私が、ツィチェン・イッツァ・アッゲーノである」
「お招きいただき、光栄です」
私は一礼する。
礼は武器だ。礼は盾だ。礼は鎖でもある。
「ふむ。シルヴィア・ド・ノワール——聖典の化身と呼ばれる者よ」
彼の瞳が私を捉えた。
視線は指先のように肌を撫で、骨の温度を測ってくる。
(……やっぱり、何かある)
私は笑みを崩さないまま、心の中で一歩下がった。
「さて、祝祭の前に——」
枢機卿が手を上げる。
その仕草だけで、空気が静まる。
支配とは、声ではなく“間”で成立する。
「少し、お話をさせていただきたい」
「お話……ですか?」
「ああ。『気高き笑み』について——な」
その言葉で、私の心臓が跳ね上がった。
(……来た)
これが本題。
香りも、建築も、招待状も、全部この瞬間へ向けて設計されていたのだと、体が理解した。
私は優雅に微笑み続ける。
悪役令嬢役専門声優は、恐怖を“気品”に翻訳できる。
——けれど。
この祝祭の光は、どうにも眩しすぎた。
眩しさは、影を濃くする。
そして影の中で、誰かが笑っている気がした。
枢機卿の頭頂部が、また一瞬、強く光った。
まるで、合図みたいに。
私は知らず、喉の奥で小さく息を飲んでいた。
(……罠だ)
そう思った時には、もう、扉の外側には戻れなかった。
——次の部屋へ案内する神官の靴音が、やけに軽やかに響いていた。
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