第5節:声優訓練と勘違いの師匠誕生
それから数日後。
放課後、私は図書室で一人、本を読んでいた。
その時――
「シルヴィア様」
声がして、顔を上げると――
エリザベート、アマンダ・ストーンハート(体格の良い、活発な令嬢)、そしてセーラの三人が立っていた。
「あら、どうしたの?」
「あの……お願いがありまして」
エリザベートが、真剣な表情で言う。
「お願い?」
「はい。シルヴィア様に――悪役令嬢のノウハウを、教えていただきたいんです」
「……は?」
私は、固まった。
(悪役令嬢のノウハウ……?)
「実は、私たち――」
アマンダが、小声で言う。
「黒薔薇クラスの真の目的を、知っているんです」
「真の目的……」
「国家暗躍のための、悪の令嬢育成――」
セーラも、真剣に頷く。
(……やっぱり、妄想が広がってる)
私は、内心で頭を抱えた。
「だから、シルヴィア様」
エリザベートが、私の手を握る。
「どうか、悪役令嬢としての生き方を――教えてください!」
三人の瞳が、真剣に輝いている。
(……どうしよう)
私は、困惑した。
「悪役令嬢のノウハウ」なんて、私に分かるわけがない。
いや――
待って。
私は、声優として――
悪役令嬢役を、十年演じてきた。
(……演技の話なら、できる)
そうだ。声優時代の訓練方法を――
ここでは「令嬢としての教養」として語れば、誤魔化せるかもしれない。
「分かりましたわ」
私は、深呼吸をした。
「では――まず、基本から始めましょう」
「はい!」
三人が、身を乗り出す。
* * *
翌日。
私は、三人を学園の演習室に呼んだ。
「それでは――悪役令嬢として必要な、基礎訓練を始めますわ」
私は、優雅に告げた。
「まずは――発声の訓練ですわ」
「発声……?」
エリザベートが、首を傾げる。
「ええ。悪役令嬢たるもの、声の響きが重要です。腹式呼吸で、深く、力強い声を出しなさい」
私は、声優時代の基礎訓練を思い出しながら指導する。
「お腹に手を当てて――息を吸って――」
「はい!」
三人が、お腹に手を当てる。
「そして、ゆっくりと――『あーーー』と声を出しなさい」
「あーーー」
三人の声が、演習室に響いた。
(……懐かしいな。新人時代の訓練)
私は、少しだけ笑みを浮かべた。
「次は――滑舌の訓練ですわ」
「滑舌……?」
「ええ。悪役令嬢は、明瞭な発音で、相手を圧倒しなければなりません」
私は、声優訓練の定番――外郎売りを思い出した。
「では、これを読みなさい」
私は、紙に文章を書いた。
古典的な早口言葉――この世界の言語に翻訳した、外郎売りのようなもの。
「拙者親方と申すは……」
エリザベートが、ゆっくりと読み始める。
「もっと速く! そして、明瞭に!」
「は、はい!」
エリザベートが、必死に早口で読む。
アマンダも、セーラも、続く。
三人が、舌を噛みながら、必死に訓練する姿――
(……これ、完全に声優の新人訓練だ)
私は、内心で苦笑した。
そして――
「次は、アクセントと抑揚ですわ」
「アクセント……?」
「ええ。同じ言葉でも、アクセントで意味が変わります。悪役令嬢は、その違いを使い分けるのです」
私は、声優時代の演技論を語り始めた。
「例えば――『あなたを許しませんわ』という台詞」
私は、優雅に告げる。
「『あなた』を強調すれば、対象への憎悪が強調されます」
「なるほど……!」
エリザベートが、目を輝かせる。
「『許しません』を強調すれば、決意が強調されます」
「深い……!」
アマンダが、感動した表情を浮かべる。
(……これ、ただの演技論なんだけど)
私は、内心でツッコミを入れた。
「そして――間の使い方ですわ」
「間……?」
「ええ。沈黙も、武器です。相手に言葉を投げる前に――一拍、間を置く」
私は、実演してみせた。
「……あなたを」
一拍。
「許しませんわ」
その沈黙の重さに――
三人が、息を呑んだ。
「す、すごい……」
「これが、悪役令嬢の技……!」
(……違う、これは演技の技術だから!)
私は、必死に訂正しようとした。
だが――
「シルヴィア様、もっと教えてください!」
三人が、目を輝かせる。
(……もう、止まらない)
私は、諦めた。
* * *
それから、数週間。
私は、三人に声優訓練――もとい、「悪役令嬢の基礎訓練」を教え続けた。
朗読の訓練――物語を、感情を込めて読む。
アテレコの訓練――台本を見ながら、演技をする。
即興の訓練――与えられた状況で、即座に演技する。
すべて、私が声優時代に受けた訓練だった。
だが――
三人は、それを「悪役令嬢の秘技」として、真剣に学んでいた。
そして、ある日。
私は、三人に演技論の核心を語った。
「悪役令嬢として、最も大切なことは――」
私は、ゆっくりと告げた。
「相手(の令嬢)に、嫌疑をかけることですわ」
私は、過去の出演作を思い出していた。
悪役令嬢が、主人公を陥れるシーン。
証拠を捏造し、周囲に疑いを向けさせる――
そのための演技術。
だが――
その瞬間。
三人の表情が、変わった。
「けんぎ……!」
エリザベートが、目を見開く。
「剣技……!」
(え……?)
私は、困惑した。
(剣技? 違う、嫌疑だから……!)
「なるほど……!」
アマンダが、拳を握る。
「拳技ですね!」
(拳技!?)
私は、内心で叫んだ。
「賢技……知恵の技……!」
セーラも、目を輝かせる。
(賢技!? もう何でもありじゃない!)
「シルヴィア様……!」
エリザベートが、感動した表情で言う。
「つまり――私たちそれぞれが、自分の『技』を極めることが、悪役令嬢の道なんですね!」
「私は、剣技を極めます!」
「私は、拳技を!」
「私は、賢技を!」
三人が、声を揃える。
(……違う、そうじゃない!)
私は、必死に訂正しようとした。
「あの、皆さん――」
だが――
三人は、既に自分たちの解釈に夢中だった。
* * *
その日の夕方。
私は、三人を学園の薔薇園に呼んだ。
「最後の訓練ですわ」
私は、優雅に告げた。
「悪役令嬢の象徴――それは、高笑いですわ」
「高笑い……!」
三人が、目を輝かせる。
「ええ。どんな状況でも、優雅に、堂々と――高らかに笑う。それが、悪役令嬢の矜持ですわ」
私は、声優時代の記憶を呼び起こした。
悪役令嬢役で、何百回も練習した高笑い。
「では――お手本を見せますわ」
私は、深く息を吸った。
腹式呼吸。
声帯を開く。
そして――
「おーっほほほほほっ!」
高笑いが、薔薇園に響いた。
優雅で、高らかで、圧倒的な――
悪役令嬢の笑い声。
その瞬間――
不思議なことが起きた。
空が、変わった。
薔薇園を覆っていた曇天が――
割れた。
雲が左右に裂け、その間から――
光が、降り注いだ。
まるで、天からの祝福のように。
光は、私を包み込んだ。
薔薇園の黒薔薇が、光を受けて輝く。
そして――
私の姿が、光の中で浮かび上がった。
「……え?」
私は、困惑した。
(何、この演出……?)
だが――
三人は、その光景を見て――
凍りついていた。
「る、ル……」
エリザベートが、震える声で呟く。
「ルミナス様……?!」
「……え?」
私は、さらに困惑した。
(ルミナス様? 何を言って……)
その時、私は思い出した。
ここは――聖王都ルミナス。
ルミナス教の聖地。
そして――
『光薔薇聖典』には、こう書かれている。
「気高き笑みが野に薔薇を咲かせ、天を清める」
(……まさか)
私の悪い予感は、的中した。
「ルミナス様の化身……!」
アマンダが、叫ぶ。
「神の御使いが、降臨された……!」
セーラも、震えている。
そして――
三人は、同時に――
跪いた。
「お、おい……!」
私は、慌てた。
「立って、立ってください! 私は神じゃ……!」
だが――
「シルヴィア様――いえ、師匠」
エリザベートが、跪いたまま、顔を上げる。
その瞳には――
崇拝と、尊敬と、畏怖の光が宿っていた。
「どうか、私たちを――あなたの弟子として、お導きください」
「師匠……!」
アマンダとセーラも、声を揃える。
(……師匠?)
私は、呆然とした。
(神の化身から、師匠に降格した……?)
いや、そうじゃなくて――
「あの、皆さん……」
私が、何かを言おうとした。
だが――
三人の真剣な瞳を見て――
私は、言葉を失った。
そして――
私は、諦めた。
「……分かりましたわ」
私は、優雅に微笑んだ。
(もう、何でもいい)
「これから、よろしくお願いしますわね」
「はい、師匠!」
三人が、声を揃える。
こうして――
私は、師匠と呼ばれるようになった。
薔薇園の奇跡(偶然)によって。
高笑い(声優の演技)によって。
そして――
勘違いの螺旋は、さらに深まっていった。
* * *
その夜。
私は、一人で部屋にいた。
「……師匠、か」
小さく、呟いた。
(なんで、こうなった……)
私は、ただの声優だ。
演技を教えただけ。
高笑いをしただけ。
それが――
「剣技・拳技・賢技」になり、
「ルミナス様の化身」になり、
「師匠」になった。
「……もう、無理」
私は、ベッドに倒れ込んだ。
だが――
三人の真剣な瞳を思い出すと――
悪い気はしなかった。
(……まあ、いいか)
私は、小さくため息をついた。
そして――
静かに、目を閉じた。
――こうして、伝説の「師匠」が誕生した。
だが、本人は――
ただ、静かに暮らしたいだけだった。
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