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ふたりの間には音楽がある

作者: 三角

 夜が更けたライブハウス「ブルームーン」の片隅で、田中は汗だくになりながらアンプのコードを巻いていた。

 ライブをやり終えた高揚感と、祭りのあとのようなもの悲しさ。この空気感がライブハウスで演奏する魅力だと田中は感じている。

 今夜も観客は三人だったが、それはそれなのである。


「音楽で食べていくのは、やめるよ」


 ぽつりと田中が呟いた瞬間、近くで機材を片付けていた若者の手が止まった。


「は? 何ですか急に」


 若者、佐藤は慌てて振り返る。


 田中は四十三歳。高校時代からギターを弾き続け、二十年以上音楽一筋で生きてきた。プロデビューの夢は叶いそうもないが、昼はコンビニ、夜は居酒屋のバイトを掛け持ちしながら活動を続けている。

 人柄がよく、佐藤をはじめとする後輩やライブハウス仲間からは慕われている存在だ。


 いつものように穏やかな笑顔を浮かべながら、ギターケースのチャックを閉めると、田中はライブハウスを出ていった。佐藤は慌ててライブハウスから飛び出し、田中を追いかけた。


「ちょっと待ってください! 突然すぎますよ!」

「突然じゃないよ。ずっと考えてたんだ」

「考えてたって……」


 夜の街は人通りもまばらで、二人の足音だけがやたら大きく響いていた。


「やめないでください!」

 

 佐藤は田中の前に回り込んだ。


「もうまともな社会人生活できませんよ! 四十三歳で音楽しかやってこなかった人が!」


 田中は立ち止まって苦笑いを浮かべる。


「止めてくれるのは嬉しいけど、結構刺さる理由なんだね。履歴書の職歴欄、バイトしか書けないもんなあ」


「そうですよ! 『長所:弁当をもっとも美味しく仕上げる温め具合の見極め』とか書くんですか?」

「そうだね。そこに関しては職人レベルだってバイト先でほめられてるからね」

「そういう話じゃないです!」


 佐藤の熱弁を笑って聞きながら、田中はコンビニの前のベンチに腰を下ろした。そして静かに語り始める。


「佐藤君、俺はずっとバイトしながら音楽をやってきた。その間、少ないけど固定のファンもできて、その人たちの反応をなによりも大切にしてきたんだ」


 佐藤もベンチに座る。田中の表情が少し陰った。


「でも最近、俺の演奏を聞いてファンの人たちが『ん?』って顔をするのがわかるんだよ。衰えてきてるんだろうね、アーティストとして。彼らは今、俺の音楽じゃなくて、頑張ってる俺を応援してる。それはそれで嬉しいけど、それじゃだめだ」


 佐藤は何も言えない。


「『音楽で食べていく』っていうのは、結局ファンに食べさせてもらうことだろ? もやししを買うだけのお金しか稼げなくても、ファンが『いい』と言ってくれる限りは音楽で食べてるって言えるのかなって思うんだ。その支えが揺らいでいる。だから、俺は『音楽で食べていく』のをやめるんだ」


「……でも、ツケでミラノ風ドリアを後輩におごらせるおっさんなんですよ? 田中さんは」


 佐藤は絞り出すようにそう言った。


「あー、そういえばそうだね。ごめん」

「ここ三ヶ月でどれくらいおごったか覚えてますか?」

「えーっと……」

「十七回! 一回約三百円として五千百円!

「計算早いね」

「そんな田中さんがいきなり就職活動? 面接で『なぜ弊社を志望されたのですか』って聞かれて何て答えるんですか? 『音楽で食べていけなくなったので』って正直に言うんですか? 下手すりゃお説教ですよ!」


 田中は膝を抱えて笑い始めた。


「なんか辛くなってきたから、そろそろ勘弁してくれない? 佐藤君の指摘、的確すぎて心に刺さる」

「でしょう? だから諦めちゃダメなんです!」


 田中は笑いながら顔を上げて、真剣な眼差しで佐藤を見つめた。


「でも佐藤君、俺は音楽をやめるんじゃない。やめるのは『音楽で食べていく』ことなんだ」

「え?」

「近所のカルチャーセンターで、音楽できる人を募集してるんだ。月二回、お年寄りの前で演奏する仕事」


 佐藤は目を丸くした。


「それと並行して就職活動もするよ。実はさ、いくつか紹介してもらえそうなんだ。どれも音楽関連だよ」


 田中は大きく伸びをした。


「音楽をやめるわけじゃない。カルチャーセンターのおじいちゃんおばあちゃんに演歌とか歌謡曲とかを弾いてあげて、みんなで一緒に歌って。それはそれで悪くないと思わない?」


 佐藤は長い間黙っていた。その間田中はただじっと待っていた。そうして、佐藤はボソッと言葉を発する。


「でも……寂しいです」


 その声は少し震えていた。


「寂しい?」

「正直、僕もこわいんですよ。このままでいいのかなって思うこともあります。でもそんな時、『大丈夫、佐藤君の音楽はちゃんと届いてるよ』っていつも田中さんは言ってくれて。田中さんがいなくなったら、僕……」


 田中は佐藤の肩に手を置いた。


「佐藤君、俺はどこにも行かないよ。どれだけ環境が変わっても、俺は佐藤君との関りを断とうだなんて思わない」

「本当ですか?」

「本当だよ。それに……」


 田中は苦笑いを浮かべながら続けた。


「働きはじめたら、君にミラノ風ドリアをおごれるくらいの余裕はできると思う」

「……期待していいんですか?」

「うん。ドリンクバーもつけるよ」

「約束ですよ? ツケはなしでお願いしますね」


 二人は笑いながら立ち上がった。夜空に星が瞬いている。星はずっと出ていたんだな、なんてことを田中は思った。


「田中さん」

「ん?」

「連絡ください。就職決まったら、お祝いでビールおごりますから。その時はジョッキでいきましょう」

「ありがとう、佐藤君」


 別れ際、二人はがっちりと握手を交わした。

 田中は音楽に恋をした。その恋は成就しなかったが、愛だけは残った。諦めることは、やめることではない。人生は続く。続く限り、やれることをやる。それで十分だった。


 翌週、田中は紹介された楽器店の面接を受けた。志望動機は「音楽を通じて人々の心に寄り添いたい」。面接官に「いい答えですね」と言われた。

 就職が決まった楽器店でも田中は愛された。音楽の豊富な知識は多くの客にとって学びとなり、カルチャーセンターでの仕事でも「素敵な先生」と言ってもらえた。

 田中が思っていたよりも、社会はずっと優しかった。

 佐藤とのやり取りは続いている。少しずつファンを増やしており、小さい記事ではあるがウェブメディアに紹介されたと教えてくれた。

 立つ場所は変わったが、音楽がふたりをつないでいるのは変わらない。



 数ヶ月後、佐藤はミラノ風ドリアをドリンクバー付きで田中におごってもらった。いつもよりもおいしく感じられたのは錯覚だろうか、と佐藤は考える。

 その後居酒屋に移動し、今度は佐藤のおごりでビールを飲んだ。

 特大のジョッキで何度も意味なく乾杯をするふたりの表情は、どこか輝いて見える。


 これからもきっと、ふたりの間には音楽が鳴り響くだろう。違う形だとしても、必ず。

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