第45話 鮮血
「まちなさい。あなたまさか……食べたんですか?」
五月は誰を、と明言することは震える忠一をおもんばかってできなかった。
「あ。そ、それは、その方がうまくいくかもしれないって……本当に打ち負かすということは相手を食うことだってあいつが……」
「あのさあ」
葵の声は今までで一番低く、冷たく、暗かった。
「例えばだけどさあ。猫を食べる人たちを悪し様に言うつもりはないのよ。その人たちだって生活とか文化があるでしょうし。それだったら豚とか鶏を食べてる私たちはなんだって話じゃない」
一度言葉を切り、ためを作る。
「でもね。あんたは忠一ちゃんを罵った。傷つけた。マーチェちゃんがどうだったかはわかんないけど、殺したのは事実。それでね?」
今度は思いっきり蹴る。八村は床を転がった。
「目の前でそんなことされて怒らないほど大人じゃないのよ。一度だけ警告してあげる。サレンダーしなさい。あんたはただのばばあに逆戻りだけど、短い余生くらいは送れるわ。忠一ちゃん。それでいい?」
最後だけは優しく問いかけた。
「構わないでちゅう。そもそもあっちに皆さんを止める資格はないでちゅう」
「そ。で、どうする?」
「だ……」
「だ?」
「だったら……一杯だけでいい。酒を飲ませてください! あたしの人生に酒は欠かせないのよ! ギフトをもらってよかったことは! 内臓が治ってたことなのよ!」
その目は焦点が合わず、目の前の人間も、猫も犬も目に入っていないように見えた。その心を占めているのは、酒。すなわち人の欲望。
反省や後悔などは微塵もない。
五月は目線と表情から。葵は声の調子から、それらを確信した。
もはや情状酌量の余地はなかった。
「消毒用アルコールでも飲んでろ。酔っぱらい」
そして。
鮮血が舞った。
じわりと服の上に広がる赤い染み。
それは。
葵の胸から伸びている矢から広がっていた。
「か、ふ……」
葵から力が失われる。それと同時にもう一度矢が飛来し。
「ひ」
今度は八村の額を貫いた。
ぐらりと倒れる二つの体。
五月は反射的に葵の体を支えた。
「アポロ! 窓に立って!」
「は! ですワン!」
矢によってガラス戸が割れ、雨風が吹き込む窓の前に立ちふさがるアポロ。
「狙撃……でも、どうして室内まで……目の届く範囲までしか狙撃できないはずじゃ……まさか、ブラフ!?」
ありえないことではない。狙撃手はもともと善側のオーナー。情報が不足しているのはあり得る話だった。
「皆本さん……しっかり!」
そう言いながらも五月はどうみてもこれが致命傷だと分かっていた。助かるにはそれこそ神の奇跡が必要だ。
そんな二人をさつまは見ていた。
金色の瞳は瞬かず、動かず。何の感情も読み取れなかった。
しかし。
晴天に轟く雷のように。
異常なほど急激にギアを上げたさつまの感情が爆発した。
オーナーとギフテッドとなり、それなりの修羅場をくぐってきた五月とアポロさえ驚くほどの激しい叫びと憤怒の表情。
もはや先ほどと同じ猫なのかと疑うほど激しい感情のままに、半液状化したさつまは屋外に躍り出る。
「……しゃべれないからわかりませんでしたけど……あなたはそんなにも……」




