第五十五話
「ついたなー」
「ここからまだ一分ほど歩くが……」
T先輩はAさんにスポーツドリンクを投げて渡しました。
「飲んでおきなさい」
「いいんですか?」
「君が何処かで落ちた方が迷惑だ。理屈で物事を考えなさい」
「ご、ごめんなさい」
「こいつの言葉を額面どおりに受けとると鬱になるぜ。」
S先輩が揄う様に言ってから、耳打ちをしました。
「いろいろあって元々人格破綻者だったのに拍車がかかっちまったんだよ。あいつの言葉は基本的に善意の塊。悪意を持って言葉を発するときは、なんとなく分かるから」
「そう、なんですか?」
Aさんはスポーツドリンクを飲みながら、T先輩の背中を見てみました。夏の暑さに汗がにじんでいて、背中の様子が伺える。
背中には何か傷痕があるらしい。
シャツの下に何も着ていないらしい。
「T先輩、ありがとうございます」
「うん」
T先輩は人差し指で口の端を突いて、つつと吊り上げた。
笑いたいのに笑えないのって、どれ程辛いのだろう。
Aさんはそんな風に思いながら、T先輩を見ました。前にS先輩から「あいつは元々人が大好きな気のいい奴だった」と言っていたのを思い出す。
当時の写真を「意外や意外!」と見せられた事もあった。
どの写真も飛んで跳ねて大笑いしている。
それが素で、今も中身はこれのまま。
なら、今T先輩はとても辛いのではないか。
そんな風に考えると、悲しかった。
廃墟の前にやって来ました。
「雰囲気あんなあ。鳴る?」
「もう力は無い。いつまで言ってるんだ」
「でも前ちょくちょく鳴ったって騒いでたじゃん」
「残りカスだったんだ。今はもう変身器にしかない。整列したまえ」
「へいへい」
T先輩、Aさん、S先輩の順番に一列になってその廃墟に入りました。どうやら先輩ふたりはAさんを護る形になっているのです。すこし居づらく思いながらも、Aさんは二人の優しさが嬉しかったのです。
「ここは昔はこの森の管理事務所だったらしいけれど、一九九三年昔殺人事件があって、被害者は今井晴香。加害者は山口喜太郎。山口喜太郎は今井晴香さんの遺体がこの建物の三階で発見された五月五日の午前六時半に、新宿駅のホームで飛び込み自殺を謀っている」
T先輩は語り出しました。
「殺害動機はどうなんでしょう……」
「遺書によればどうやら痴情の縺れらしいな。しかしどうなんだろうな」
「山口喜太郎だけが『痴情の縺れ』って思ってたパターンかもな」
S先輩が壁を指でつつつーとなぞりながら言う。
「ちなみに五月五日はこどもの日だが、この事務所は祝日は見回りの社員以外の出入りは無いらしい」
「詳しいですね」
「調べた」
調べたのだと言います。おそらくT先輩の事だから、何かあってはいけないから、この廃墟の評判をいろいろと調べたのだろう、とAさんはT先輩の優しさを頼もしく思いました。
「発見者はその見回りの社員。三階から明かりが見えるから、『今日は誰も来ないはずなのにな』『来るという連絡もないのにな』と不思議に思ってから、三階に行き、今井晴香さんの遺体を発見したのだと言います。死因は喉の大きな損傷による出血のショック死。凶器はナイフ。先ほどのコンビニのごみ箱に入っていたらしい」
「さっきのですか!?」
「ナイフには山口喜太郎の指紋が残っていた。今井晴香さんは胃の内容物から死亡から三時間が経過していると判明してる」
Aさんは矛盾に気がつく。
「ちょっと待ってください、犯人の山口喜太郎って新宿駅で自殺したんですよね。死亡から三時間って事は明らかにおかしいですよ。宮城と東京って三時間じゃ済まないくらい距離ありますよ」
「怪異だな」
S先輩が言う。
「怪異だ」
T先輩が返した。