8.セシリアのその後
侯爵邸の自室で王妃からの手紙を読み終えたセシリアは、ポツリと独り言ちた。
「何だか、騙されてる気分だわ……」
交流パーティーからおよそ一ヶ月。
王妃からの手紙には、レグスたちが公表どおりの処分を受けたという報告と、一連の騒動に関する改めての謝罪が綴られていた。
曲がりなりにも婚約者だったレグスだが、愛していたわけでもなかった。彼との婚約も、王妃という未来も、全てが王命で決まっていただけ。いざ失ってみても、特にセシリアは惜しいとも思わなかった。
レグスたちに対して、今のセシリアには恨みも怒りもない。何を言っても通じなかった彼らに、向ける感情など何も残っていないからだ。強いて言えば、彼らが自分の前に現れなければ良いな、と思うくらいである。
少しだけ感傷的になったセシリアは、あの交流パーティー以降の事を思い出す。
あの日、連行されていくレグスたちとは別に、混乱したままのセシリアもまた、王城へと向かわされた。通された一室には、国王と王妃が待っていた。
恐縮するセシリアに、国王と王妃は申し訳なかったと謝罪するとともに、この調査と試験について、改めて説明をしてくれた。
『そもそも、こんな大胆な方法を取ったのは、レグスと側近候補たちの素質に不安があったからなのだ。結果が出た今、予想が的中した事を喜ぶべきか、彼らが愚かだった事を悲しむべきか、悩んでおる』
複雑な心境を隠すこともせずそう語る国王は、気落ちして項垂れた。
そんな国王を支えながら王妃は、レグスたちを諌め続けたセシリアには一切の非が無いことは王家が証明する、そしてセシリアの望むことを何でも叶えると約束してくれた。
二人との面談を終わらせ、帰宅したセシリアは、父である侯爵の執務室へと勇んで向かった。王家が主導していたとはいえ、仕掛人として全てを知っていた父へと、八つ当たりをするためだ。
乱暴なノックとともに怒鳴り込むセシリアを、侯爵は苦笑混じりに迎えた。
『セシリア、ご苦労だったね。報告は受けていたよ。随分と頑張ったみたいだね』
『頑張ったみたいだね、ではありません! この一年、どれほど大変だったか!』
『まあまあ。どれ、父が褒めてあげよう』
存分に褒めて撫でて、セシリアを宥めすかした侯爵は、ゆっくりとした口調で語りかけた。
『レグス殿下との婚約も無くなったし、セシリアは自由になったんだ。これまで王妃教育で忙しかったセシリアが、やりたかった事をやるチャンスじゃないかな?』
露骨な話題逸らしではあったものの、侯爵にそう諭されると、セシリアは確かにそうかと思った。しばし悩んだ彼女が思いついたのは、他国への留学だった。
幼少の頃にレグスの婚約者となってから、自宅と王城を行き来するだけの狭い世界で生きてきたセシリアは、知識と紐付けられるような広い世界を見たいと思ったのだ。
また、王家が名誉を保証してくれるとはいえ、騒動の渦中にいたセシリアに好奇の目が集まるのは避けがたく、国内に居づらいという気持ちもあった。
考えれば考えるほど名案に思えてきたセシリアは、その場で侯爵に了承を取ると、すぐに貴族学校へ休学するべく手紙をしたためた。
嬉しい誤算だったのは、休学のつもりが現時点での早期卒業が認められたことだ。学力試験で次席――不正していたヘンリックを除けば首席だったセシリアを、貴族学校は成績十分と送り出すことにしてくれたのだ。
父の伝手で、大国である帝国の学園への編入手続きもササッと進み、あの日から一ヶ月という短期間で、あっという間に留学の段取りが済んでしまった。
トントン拍子で決まった留学に際し、セシリアを悩ませたのは使用人の問題だった。
留学先の学生寮に入るとはいえ、流石にセシリア一人という訳にはいかない。侯爵家から使用人を連れて行きたいのだが、父の執務を手伝う侍従たち以外に、帝国語を話せる者がいなかったのだ。
困ったセシリアは王家を頼り、適任者を紹介してもらうことにした。あの日、王妃から約束された「何でも叶える」という言質を使ったのだ。
幾度かのやり取りを経て、まさしく今日、王家の紹介を受けた使用人が、侯爵家に面接に来ることになっていた。
セシリアが回想を終え、王妃からの手紙をデスクにしまっていると、不意にノックの音が響いた。例の使用人かと当たりをつけたセシリアは、手櫛で髪を整え、少し居住まいを正すと返事をした。
「どうぞ、お入り下さい」
「失礼致します」
サッと入室してきた人物の美しさに、セシリアは目を見開いた。
茶色の髪を品良く撫で付け、糊のきいた侍従服をきっちりと着ている。
睫毛が長く、強調されたその大きな瞳には、思わず吸い込まれそうだ。
鼻梁も高く、大きなパーツたちが完璧に配置されている、奇跡のような顔立ち。
入室してきたのは、美少女と見間違うような美少年だった。
「王家よりご紹介されて参りました。シャルルと申します」
胸に手を当て、完璧な一礼とともに、自己紹介をするシャルル。
シャルルの男性としては高い――言い換えれば、女性としては低い声に聞き覚えがあったセシリアは驚き、思いついたことを口に出してしまった。
「へ!? スフレ……様……?」
素っ頓狂な声を上げるセシリアに、シャルルと名乗った少年は、苦笑しながらも「はい」と頷いた。
「潜入中は、大変なご無礼ばかりを……」
「本当に!?」
セシリアは、努めて冷静になってから、彼の顔立ちをしげしげと見つめた。
スフレだった時のような甘ったるく、俗っぽい雰囲気はないが、確かにそれぞれのパーツはスフレのものだ。記憶の中のスフレと比較すると、施されていたアイメイクやチークによって、雰囲気が変わっていたのだと気付く。
困ったようにセシリアを見つめるスフレ……改めシャルル。
セシリアは、とりあえず彼をテーブルの向かいに座らせてから、疑問をぶつけることにした。
「ええと……いくつか聞いてもよろしいかしら?」
「なんなりと」
「その……貴方の性別は? 今の貴方は、男性に見えるのだけど……」
「ええ。私の性別は、男です。潜入時は女装をしていました。万が一にも、王家の血を残さぬためにと、国王陛下からの指示でしたので」
「なるほど……?」
誘惑したレグスに無理やり手籠めにされる事態を想定してかと、セシリアは納得した。他の三人とは、血筋……要はレグスの子の重要度が段違いなのだから、当然の措置だろう。
レグスが女装した少年を熱烈に愛していたという事実に、セシリアは彼に憐れみと呆れの気持ちを抱きつつも、質問を続けた。
「どうして貴方がここに? だって、貴方は暗部の人間でしょう?」
「王家の思惑が絡んでいるのです。少し長くなりますが、経緯をご説明します」
あの日と似たような前置きをして、シャルルは語りだした。
王家と高位貴族たちは、今回の騒動で確かめたセシリアの人柄と能力を、大変高く評価しているという。
セシリアは、問題を起こすレグスたちを諌め続けるとともに、他の生徒たちからも大いに慕われている。また、早期卒業を認められるほどの知識と教養もあり、スフレの素性を調べ上げた時のような人を動かす力もある。
王家は、そんな才女であるセシリアを他国に向かわせる事は、様々な意味で危険だと考えた。身の危険もそうであるし、もし良縁に恵まれて他国に嫁ぐという話になれば、国の損失だと。実際、セシリアを囲うために、留学を認めず、王命で新たな婚約者をあてがうという案も出たという。
しかし、この案に強く反対したのは、セシリアの父である侯爵だった。侯爵は、レグスたちの騒動と、セシリアが負った数々の苦労を引き合いに出し、『これ以上、娘を巻き込むな』と釘を刺したのだ。元を正せば、レグスを御しきれなかった王家に責任があると。
そう言われては王家も強く出られない。善後策として、留学は認めつつも、王家から護衛を出すことで話がまとまった。セシリアが帝国語が扱える使用人を求めたのは、王家にとっても渡りに船だったのだ。
「こうした経緯で、私が派遣されてきたのです」