5.ヘンリックの試験結果
ランバートの泣き叫ぶ声が響き、会場の注目が彼とスフレに集まる。そんな周囲の様子を観察しながら、少しずつ後ずさる男がいた。
宰相子息のヘンリックである。彼はランバートの講評という名の断罪を目にし、自らの悪行もまた、暴露されるのではと焦っていた。
(このままでは、まずい! 自分の秘密も暴かれてしまう!)
断罪劇の舞台と化したダンスフロアから用心深く距離を取ると、ランバートが一際大声を出した瞬間に駆け出した。
(逃げろ逃げろ! 外に出れば、まだ手はある!)
しかし、焦るヘンリックは忘れていた。先ほどスフレが『私たち暗部』と発言したことを。
逃げ出そうとするヘンリックを横目で見たスフレは、サッと右手を上げる。
すると、天井から黒装束をまとった二人、暗部の人間が彼の前に音もなく降り立った。
「ひっ!」
短く悲鳴を上げながら黒装束たちを避けようとするも、特に運動能力が優れてもいない彼は、あっさりと捕まった。
「離せっ! 父上に! 宰相に言いますよっ!」
ジタバタと苦し紛れに宰相の名を出すも、取り合われるはずもない。左右を暗部の人間に挟まれた彼は、レグスたちの前に連れ戻された。
ヘンリックに冷たい視線を向けたスフレは、確認するような様子で問い掛けた。
「逃げ出そうとするとは、悪事を働いた自覚がおありのようですね?」
「くっ……! 黙秘します!」
「どうぞ、ご勝手になさって下さい。私からお話しさせていただきますので」
二人のやり取りを聞いたセシリアと生徒たちは、黙秘と言っている段階でヘンリックにも断罪されるべき事があるのだと悟った。
レグスは、ランバートに続いてヘンリックもかと、無言で天を仰いだ。
「さて、ヘンリック様。貴方様は、宰相様のご子息として、主に学業面に秀でておられ、入学時から学力試験においては、学年首席の座を維持されてきました」
「…………!」
「しかしながら、この学力試験において、カンニングや答案の入手といった不正を働いていた事が確認されています」
スフレから告げられた事実にヘンリックと関わりが無く、学年首席ということしか知らない生徒たちは驚いた。一方、文官コースの生徒たちからは、「なるほど」「欠席しても首席なわけだ」と納得したような声が上がる。
「この件については、皆様からの証言も取っています。一部の生徒たちには宰相様への推薦を約束し、試験中に答案を見せるように仕向けていましたね。また、数学教師のダイヤー先生には、彼のご実家への支援を引き合いに出し、問題を入手していた事も確認しています」
不正の詳細が語られると、再度ざわめきが広がる。一部の生徒、ヘンリックのカンニングに加担していた者たちが泣き始めると、それに気付いた者たちが「お前もやったのか!」と糾弾し始める。
にわかに騒がしくなる会場の中、俯いたままのヘンリックは、密かに安堵していた。
(なんだ……焦って損をした。こんなことがバレたところで、計画に支障はない!)
学校での不正など、彼にとっては些事だ。もっと重大な秘事があり、それが露見しなければ逆転も可能だと、ほくそ笑む。
(ランバートの断罪から察するに、暗部は学校内の出来事しか調べていない! であれば、計画は知られていないはず……。とりあえず、こんな罪などさっさと認め、この場を切り抜ける!)
そこまで考えた彼は、素早く平伏すると腹に力を入れて発言した。
「スフレ嬢の言うとおり、自分は許されざる不正をしました! どんな処罰でも受けます!」
予想外のヘンリックの自白に、紛糾していた場が静まり返る。ついさっき、「黙秘する」などと宣っていた人間の変わり身に、セシリアと文官コースの生徒たちだけが、訝しげな目を向けた。
静寂を破ったのは、やはりスフレであった。「ヘンリック様、茶番はやめましょう」と。
「茶番……?」
「ええ。何とかこの場を切り抜けたい、そんな打算がありありと見えます。貴方にはこんな小さな不正より、隠したい大事があるのでしょう?」
「…………!」
皆には見えないが、伏せたヘンリックの顔色は真っ青になっていた。心当たりがありすぎる彼の背筋には、冷たい汗が流れ始める。
ヘンリックが押し黙り、レグスも動かないと見るや、スフレに聞き返したのはセシリアだった。
「スフレ様? 彼の隠し事とは……一体……?」
「お答えします、セシリア様。ヘンリック様は隣国の貴族と内通し、王位簒奪、国家転覆を画策していたのです」
『…………!?』
スフレから落とされた特大の爆弾により、会場内に今日一番の驚きと動揺が走る。
スフレは、またドレスの胸元に手を入れると、封筒を一つ取り出し、レグスに渡した。
「殿下。これが内通の証拠、ヘンリック様の直筆の手紙です」
「証拠!? 早く寄越せ!」
レグスは奪うようにそれを受け取ると、一心不乱に読み始めた。
見慣れたヘンリックの筆跡で綴られた手紙は、隣国で権勢を誇るゲオルグ侯爵に宛てられていた。国王を毒殺する計画があること、国王の崩御にあわせて隣国の兵を引き入れ、王都に攻め上がり、王族を惨殺するという流れが書かれていた。
レグスは、平伏したまま震えるヘンリックに近づくと、彼の胸ぐらを掴んで力任せに引き起こした。
信頼を寄せていた彼に重大な裏切りの疑いがあることに……いや、言い逃れできない証拠があることに、レグスは強い焦りと怒りを感じているのだ。
「おい、ヘンリック! どうなんだ!? 王位簒奪なんて……でまかせだろう!?」
「…………」
「お前は弁が立つ。早く潔白を証明するんだ!」
「…………」
未だに信じたいと願うレグスの言葉に、ヘンリックは顔を背けたまま無言を貫く。
そんなレグスたちの様子を見かねたのか、事もなげな口調でスフレは告げた。
「殿下、ご安心下さい。この件も試験の一環。つまり、我々が仕掛けた罠です。ヘンリック様が内通していたゲオルグ家には事前に説明し、ご協力いただいておりました」
「「は……?」」
急展開に次ぐ急展開に、戸惑いの声を上げたのは、ヘンリックとレグス。
二人に構わず、スフレは説明を続ける。
「ゲオルグ家には、王妃陛下の乳姉妹様が嫁いでいらっしゃいます。そのため、現王家とは大変良好な関係を築いておられ、両国友好の架け橋となっています。両家の関係は公にされていますし、少し調べれば分かること。そんなゲオルグ家が王位簒奪に加担することはあり得ません」
「…………!?」
「そもそも、貴方を試すべくゲオルグ家から接触しましたが、いくら何でも食い付きが良すぎて……ゲオルグ侯爵も引いておりました」
「…………」
「お分かりになりましたか? 策士気取りの思い上がり。それが貴方の器量です」
「…………!」
しばし絶句したヘンリックは、怒りに顔を紅潮させると、胸ぐらを掴むレグスを振り払った。
周囲には、彼の虚飾の仮面がカランと外れた音が、確かに聞こえた。
豹変して目をギラつかせるヘンリックに、レグスは驚き後ずさった。彼の目を恐る恐る見つめながら、「どうして……?」と問い掛けると、罵声混じりに叫びだした。
「レグス! 貴様が昔から嫌いだった! 王家に生まれただけで、至高の権力を手にする貴様がっ!」
「ヘンリック……」
「貴様なんかより、俺こそが王位に相応しい! 俺の方が優れているんだ!」
自信過剰も甚だしい言葉に、レグスはヘンリックにかける言葉を失った。
これまでもこれからも、彼が宰相として自分を支えてくれるのだと信じていた。しかし、本人も認めた数々の悪行、明かされた彼の本音は、レグスの信頼を失わせていた。
スフレは、怒り狂うヘンリックをビッと指差すと、「最終評価を告げます」と言った。
「不正を主導し、自己の権益を優先する心根! あまつさえ、王位簒奪という甘言に惑わされ、国への背信を企てるとは悪辣です! よって、最終評価は不合格。王族の側近、宰相など以ての外。一臣下としても不適格です!」
下された結論にヘンリックは、「ちくしょぉぉぉ!」と泣き叫んだ。