2.婚約破棄
話は交流パーティーの会場に戻る。
生徒たちは、今日も懲りずに楽しそうにしているレグスたちを横目で見ては、ヒソヒソと彼らについて話していた。
セシリアと仲の良い生徒たちは、レグスの信じられない行動に眉をひそめる。
騎士コースの生徒たちは、ランバートの危険性を新入生たちに教えている。
文官コースの生徒たちは、口々にヘンリックへの愚痴をこぼす。
経営コースの生徒たちは、ロイスの不埒な私生活を噂する。
会場中で様々な憶測や噂話が飛び交う中、ふいにアンタッチャブルの五人が動いた。
彼らは、ダンスフロアとして設けられている中央の空間に進み出てきた。
彼らが不穏な空気をまとっていることに気付き、生徒たちは『今度は何をやらかすのか』と呆れながら、おそらく巻き込まれるだろうセシリアを案じた。
「どこにいる、セシリア!」
華やかな場にそぐわないレグスの大声が響き渡る。
「何用でしょうか? 殿下」
生徒たちの間から、しずしずとセシリアが進み出て、レグスたちと対峙する。
レグスと三人の側近候補は、スフレを守るように囲むと、仇敵のように彼女を睨みつけた。
「俺の婚約者だからと図に乗りおって! そんな態度をとれるのも今日までだ!」
レグスはそう言いながらセシリアを指差し、続けて言い放った。
「貴様のような邪悪な女など愛することはできない! 貴様との婚約を破棄し、この愛するスフレと、新たに婚約を結ぶ!」
怒りと興奮から顔を紅潮させるレグスは、傍らのスフレを腕に抱いた。
突然の婚約破棄宣言に、ダンスフロアを囲む生徒たちに動揺が走る。
「……殿下!?」
「婚約破棄!?」
「信じられませんわ!」
思わずといった様子で、悲鳴に似た声を上げる生徒たちを、セシリアは毅然とした様子でスッと右手を上げて制した。
セシリアの落ち着きが伝播したのか、ざわめきが収まる。周囲を見回して生徒たちが落ち着いたことを確認したセシリアは、レグスへ問いかけた。
「私を邪悪と罵った理由をお尋ねします」
「お前はスフレに嫉妬し、イジメていたな! 罪無き彼女を害するなど、邪悪以外の何ものでもない!」
「イジメ……? まったく身に覚えがありません」
スフレがイジメられていて、犯人が自分だという根も葉もない話に、セシリアも困惑を隠しきれなかった。改めて周囲を見渡しても、他の生徒たちも首を傾げている。
「白々しい嘘をつくな! スフレの筆記具を奪ったり、ドレスを切り裂いたりしたのはお前だろう!」
「……何か証拠があるのですか?」
「スフレ自身がそう証言している。女子寮の自分の部屋から、お前が出てくるのを見たと!」
「スフレ様が? 他の目撃者は?」
「そんなものは必要ない! 被害者のスフレの証言があれば、信じるに値する!」
勢い良く言い切ったレグスを尻目に、セシリアと周囲の生徒は、別な意味で困惑した。物的証拠無し、証言も被害者本人のものだけ。冤罪をかけられたセシリアは、思わず「馬鹿なのかしら……?」と呟いてしまった。
セシリアが頭上に疑問符を浮かべて悩んでいる様子を、白を切っているとでも勘違いしたのか、側近候補たちも騒ぎ始めた。
「さっさと罪を認めろよ! 拷問して吐かせたって良いんだぞ!?」
「セシリア様が、こんなイタズラをするとは……。軽蔑します」
「可愛い顔してえげつないよね。まあ、スフレのが可愛いけど」
上から順番に、ランバート、ヘンリック、ロイスである。
彼らの勝手な言葉を聞き流しつつ、セシリアはどう答えるべきか悩み始めた。
(あまり大事にはしたくなかったのですが……。仕方ありませんね……)
やや悩んでから、意を決した彼女は声を張って告げた。彼女には、レグスたちを説得する材料があるのだ。
「殿下たちはスフレ様に騙されている可能性があります! 今から証拠をお見せします。どうか、冷静かつ公平にご判断下さいませ!」
「「「「なんだと!?」」」」
逆にスフレが疑われることに納得できず、ハモりながら叫ぶ四人の貴公子を尻目に、セシリアは一人の女子生徒に目配せをした。彼女はセシリアの傍に歩み出ると、数枚の綴りを渡した。
セシリアは、パラパラと中身に間違いがないことを確認したあと、レグスへそれを手渡した。
「……何だ、これは?」
「スフレ様に関する調査の報告書です。彼女の出自に不審な点がありました」
セシリアは、何度諌めても態度を改めない彼らに呆れつつも、事態の解決を諦めてはいなかった。
これまでの流れを考え直した時、スフレがレグスたちに取り入る速度も、その後の籠絡っぷりも異常だと気付いた彼女は、スフレがただの生徒ではなく、間者の類ではないかと疑ったのだ。
杞憂ならそれで良いと考えながらも、侯爵家の力と同級生たちの伝手を使って調査を進め、その結果が昨日に到着したばかりであった。
レグスが報告書を両手で持つと、側近候補たちは覗き込んだ。
セシリアは、他の生徒たちにも伝わるように報告内容を口に出した。
「報告によれば、スフレ様が暮らしていたという孤児院に、彼女らしき少女が在籍していた事実も、入学前に男爵家で生活していた形跡も無いとあります。彼女がどこから現れ、どうして入学したのか不明なのです」
「「「「…………」」」」
「また、スフレ様の桃色の御髪は確かに珍しいですが、隣国では我が国ほど希少ではありません。もちろん、これは状況証拠。推測にすぎませんが……彼女は隣国の出身かもしれません」
「「「「…………!?」」」」
報告書を読み進めながら顔色を悪くしていた四人に、セシリアは結論を告げた。
「出自の怪しさを踏まえると、彼女は隣国の手の者だと疑わざるを得ません。彼女の言動の多くは、我が国に混乱を引き起こすのが目的と考えれば、辻褄が合います」
セシリアは自らの推測を語り始めた。
将来的に国の中枢を担う貴公子たちを篭絡し、彼らの行動を制御する。
彼らと他の生徒たち、すなわち未来の貴族や騎士、文官たちとの関係を分断する。
彼らの婚約者との不和を引き起こし、次世代にも禍根を残す。
最悪の想像だが、スフレの存在がそんな未来を到来させるかもしれない、と。
セシリアの未来予想が的外れでないことに、生徒たちの間には大きなどよめきが生まれ、レグスの報告書を持つ手がプルプルと震えだす。
「…………」
彼はしばし黙り込んだ後、唐突に報告書をビリビリに破きながら叫んだ。
「嘘だ……! こんなのものはデタラメだっ!」
紙切れが舞い上がる中、セシリアの堂々たる声が響く。
「殿下! 嘘かどうかを決めるのは、貴方ではありません。デタラメであれば、わたくしを罵って構いません。どうか、男爵、そしてスフレ様に正式な取り調べを!」
「うるさいうるさいうるさい! スフレが間者だと!? 馬鹿げたことをぬかすな!」
セシリアの主張に反発し、感情のままに喚くレグス。レグスにとってスフレは、それほどまでに大切な存在となっていた。
レグスの勢いに乗るように、押し黙っていた側近候補たちも息を吹き返した。
「スフレ嬢を疑う前に自分はどうなんだよ! お前を取り調べて、滅茶苦茶にしてやる!」
「言うに事欠いて、清廉で可憐なスフレが間者とは……。セシリア様の眼は、節穴ですね」
「秘密がある女の子って、なんか良いじゃん。セシリアちゃんみたいな頭でっかちより、ずっと魅力的だよ?」
またもや好き勝手なことを言う三人に、流石のセシリアも「これでも伝わらないの……?」と呟き、げんなりした様子を隠せなくなってきた。
頭痛をこらえるようなセシリアとは対照的に、援護を受けたレグスもまた調子に乗り始めた。
「そうだ! スフレが嘘だと証言すれば良い!」
「「「「それだ!」」」」
本人の言い分だけでは証拠不十分だとか、そもそもスフレの存在そのものが信用できないのだとか……先ほどまでの流れを無視した四人は、俯くスフレに切実な表情を浮かべながら詰め寄った。
「スフレ! あの報告もセシリアの疑いも、全部嘘だ! そうだろう!?」
「安心して本当のことを言ってくれ! あんな酷い女、俺が叩き切ってやる!」
「セシリア様の主張は推測だらけ。私が力になります」
「どんな秘密があろうと、スフレは世界一の女の子。絶対に嫌いにならないよ?」
彼らの目には、確かな親愛と信頼が込められていて、彼女の言葉に期待している。
セシリアや生徒たちもまた、彼女がどんな言い訳をするのか、げんなりとしながら注目した。
しかし……スフレはそれらの信頼や予想を裏切る、意外すぎる行動をとった。
彼女は四人の問い掛けには答えず、するりと貴公子たちの間を抜けると、セシリアの前にサッと跪き、彼女の手を恭しく取ったのだ。
「……セシリア様」
「へ!? スフレ……様……?」
思いがけない彼女の行動に、今日一番の衝撃を受けたセシリアの頭は、真っ白になった。一方のスフレは、今までの天真爛漫さとかけ離れた、実直な表情と口調でセシリアに語りかけた。
「本当に……本当にセシリア様は素晴らしいお方です。これまでの数々の無礼、誠に申し訳ありませんでした」
「……!? 何の……話……ですか?」
「疑問は当然のこと。これからご説明します」
スフレはサッと立ち上がると、呆然とするセシリアを守るように彼女の前に立ち、レグスたちと対峙した。
「ただいまをもって、内偵調査及び試験を終了します」
スフレの謎の宣言がパーティー会場に響き渡ると、事態は更に混迷していく。