合コン終わりに彼氏の首筋にキスマークがあったけど誰の仕業かわからない
ミヅキはビールを一気に飲み干して、言った。
「彼に浮気されてる」
向かいの席で肉の焼き加減を見ていたヤヨイは、ミヅキの一言に思わず箸を止めた。肉が網に押し付けられ、ジュウと音が鳴る。
「えっ? あのタクヤさんが?」
タクヤというのはミズキの彼氏だ。高校二年から付き合いはじめていて、もう四年になる。高身長で陸上部に所属するタクヤは、程よく筋肉のついた痩身に甘いマスクで女性からの人気が高い。高二からの四年間ミズキ一筋だったが、大学に入ってからはどことなく素っ気ない態度をとるようになった。
そのうっぷんを晴らすかの如くミヅキは肉を口に運ぶ。ヤヨイは眉をひそめた。
「そんなに食べたらまた太るよ」
「いいのよ。ちょっと脂肪が浮いてるくらいのほうが抱き心地がいいっていってたから」
ミヅキの返答にヤヨイは呆れた。今のミヅキは大学の陸上部に所属しているとは思えない体たらくだ。陸上部要素はせいぜい髪がベリーショートなくらいだろうか。このままだとまた競技服のサイズを広げなければならないだろう。
「それよりどういうこと? あのタクヤさんが浮気って。高校で6人に告白されてもミヅキがいるからって全員振るくらい一途な人なのに」
「知らないわよ。タクヤが人気で新勧に強いからって部長の意向で付き合ってるって言えないし。かわいい女の子がいっぱい寄ってくるし。そもそも私なんかが付き合うような人じゃなかったのよ」
やけになっているミヅキにヤヨイは優しく声をかけた。ヤヨイの好きなドロドロ不倫劇ではない失望をかすかににじませながら。
「まあまあ。別に証拠があるってわけじゃないんでしょう? きっと気のせいだって」
「見たのよ」
絞り出すようなミヅキの声にヤヨイはピクリと眉を上げた。
「何を?」
「胸元にキスマークのあざがあるのを」
ヤヨイは目を剥いた。
「うそ、あのムキムキのタクヤさんに?」
「それも先週の金曜日の飲み会の帰り」
「ええっ? あの合コンもどきで? たしかその時って監視のためにミヅキも一緒にいたんじゃなかったっけ?」
ヤヨイの顔にかすかに喜色が浮かぶ。修羅場のにおいを嗅ぎつけたのだ。
「そうよ! 私に隠れてコソコソよろしくやってたの! 信じらんない!」
「相手は誰?」
ヤヨイの問いにミヅキは急に勢いをなくした。
「それが……わからないの。行きにはなかったのに、いつの間にかあったの」
「詳しく教えて」
爛々と目を光らせるヤヨイにミヅキは語り始めた。
※※※
集合場所に着くなり、男成さんから一人急にこれなくなったという連絡が入ったと聞かされた。しかしほかのみんなはそろっていたので、そのまま5人で飲もうという話になったのだ。
男成さんは陸上部の先輩だ。名前通り男らしい人でがっしりした体格をしている。少し飲み会をやりすぎてビール腹のようになっている気のいい人だ。陸上部のアイドル的存在であるタクヤに何かと世話を焼いてくれる人で、ミズキとタクヤの関係も知っている。タクヤはいつも世話になっているこの人の頼みだったので断ることができなかった。
ミヅキからも抗議しようとしたが、タクヤ目当てで入部した人間が一回もタクヤと飲みに行けないとなると怪しまれると言われてあきらめたのだ。しかしそれでもちゃっかり同行する約束を取り付けるのは忘れなかった。
残りの参加者は同じ陸上部のサヤとチヒロだった。
チヒロは高校時代からのタクヤの後輩で長距離走の選手だ。高校時代からタクヤに色目を使ってきていてミヅキはチヒロに最大限の警戒をしていた。低身長で童顔なこともあり、子供のようにタクヤにじゃれついていた。しかしそれも計算されたボディータッチであることにミヅキは気づいていた。人の男にベタベタ触る恥知らずのぶりっ子女。それがチヒロの印象だった。
席はU字型のテーブルで男成さん、タクヤ、ミヅキ、チヒロ、サヤの順に横に並んで座った。タクヤの隣は頑として譲らなかった。しかしチヒロがふとしたタイミングで飲み物をこぼし、ミヅキはトイレに行く羽目になった。そして帰ってきたころにはチヒロがタクヤの隣に座り、太ももの上に手を乗せていた。それをみたミヅキは不快感を感じて酒や料理が進まなかった。
※※※
「タクヤさんは手をどけなかったんですね。まんざらでもなかったんでしょうか」
ヤヨイの質問にミヅキはうなずいた。
「ええ、でもいくらあの恥知らずでもみんなのいる前でタクヤの胸元に吸い付くなんて真似はできないはずよ」
「吸い付くって……」
ヤヨイは体を引いた。ミヅキはよく女性に対して話す下ネタのラインを超えるのだ。
「そのあと、高校時代のタクヤが後輩の水筒に小便を混ぜた話とかで盛り上がった後でタクヤがトイレに立ったの。それに便乗して男成さんとサヤもトイレに行ったのね」
ヤヨイは顔をしかめて飲もうとしていたウーロン茶から手を離した。彼らは昔から本当に変態だった。そのせいで友人であるヤヨイは自衛のために透明な水筒を肌身離さず持たなければならなかったのだ。
「そうだ、サヤについて話してなかったわね。サヤは一年先輩の陸上部のマネージャーよ。高校の時から熱心にタクヤをスカウトしに来てたわ。純粋な戦力補強だと思ってたけど今思えば狙ってたのね」
ミヅキはサヤの写真を見せた。スレンダーな体つきで白いブラウスにプリーツスカート、そして黒縁メガネをかけていた。ヤヨイはこういう清楚っぽい服を着る女子大生を信用していない。隙あらばマルチに勧誘してくるような連中だ。
「なるほど、でも女子トイレは別ですし関係ないんじゃないですか?」
「それがね……男成さんだけ先にトイレから帰ってきて、タクヤとサヤが二人で帰ってきたのよ」
「ほほう。怪しいですね」
ヤヨイの目が光る。
「そうなのよ。でも店員さんが個室の直前で合流するところを見てたんだって。靴ひもを結んでいるタクヤにサヤが後ろから合流して、そこから何もなく私たちのいる部屋に入ったって」
「……」
ヤヨイは考え込んでいた。ミヅキは構わず話を続ける。
「そこからは会計まで妙な動きはなかったわね。会計の時に男成さんにお金を渡してお願いしたんだけど、なかなか帰ってこなかったのよね。それで私が様子を見に行ったらなんかクレジットカードの決済エラーが起きてたのよ。男成さんちょっとしたクレジットカードの現金化をしようとしてたみたいなの。
なんだかんだで結局現金で払ってテーブルに戻ると、酔って吐きそうになってるタクヤがサヤとチヒロに介抱されててたの。慌てて私も駈け寄ったら胸元からキスマークがのぞいてね。でも私もその場で追求するわけにはいかないじゃない? 最終的に男成さんがタクヤを送っていくってことでお開きになったの。……ねえ、ヤヨイ? 聞いてる?」
「えっ? ああ聞いてますよ」
ヤヨイは大根サラダを取り分けていた。言葉とは裏腹に真剣に聞いていたような様子はない。ヤヨイはもう興味を無くしていた。真相にありついたのだ。
「聞いていたならわかったでしょ? タクヤにキスするような時間があった人間がいないの。さすがに私以外がグルで隠してたとも思えないし」
顎に手をあてて考えるミヅキにヤヨイは小馬鹿にするように言った。
「いや、一人いるじゃないですか。最有力候補が」
「はあ? 誰よ」
ヤヨイはなぜミヅキがわからないのか理解できなかった。価値観の違いだろうか。ヤヨイからすればミヅキが最も疑うのはあの人しかあり得ない。
「ミヅキさんはタクヤさんと付き合っているんですよね? ならタクヤさんの嗜好はわかっていると思いますが? ミヅキさんのような肉付きのいい人が一人いるじゃないですか」
ミヅキは一人思い浮かんだ。しかし信じられなかった。
「ちょっと待ってよ! 男成さんってこと!? ありえないわよ! 大学生のくせに老け顔のおっさんみたいな人よ!?」
「ミヅキさんがそれを言いますか……」
ミヅキの腹は襲われたフグのように膨れ上がっていた。タクヤの性癖は少なくともスレンダー好きではないだろう。スレンダーなサヤや長距離走で脂肪を落としているチヒロはありえない。となると一人しかいない。男成さんとタクヤはトイレに一緒に行ったのだ。仲がいいのに時間をずらして帰ってくるのは何かやましいことがあったのだろう。ヤヨイはそう判断した。
「ふざけないで!! ……トイレ行ってくる」
ミヅキは勢いよく立ち上がってドスドスとトイレに歩いて行った。いくらタクヤがデブ専だからといっても男成さんはありえない。大学生のくせにあんな酒臭いおっさんとタクヤが絡むなんて吐き気がする。
「まったく、タクヤが私以外の男を選ぶわけないでしょ……」
ミヅキは小便器の前に立ち、ズボンのチャックを下した。