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最終話 アイン、夏空の果てに

 評判芳しくない中、ここまで無理やり引っ張りました。


 ここまで、お付き合いいただいて、皆さん、ありがとうございました。




 二回の表、早川高校の守備。


 先発の沖田は王明実業の五番バッターに五球を費やして、セカンドゴロ。


 六番バッターには七球も費やして、ショートゴロ。


 七番バッターは一球で、ファーストゴロとした。


「沖田先輩はゴロボールピッチャーですね」


 俺がそう言うと倉井は「球速は遅いが、ツーシームと右バッターの内に入るスライダーを軸に投球を組み立てているんだろう」とだけ言った。


「しかも左バッターには内をえぐる、スクリューがある」


「あいつの基本は内角をえぐる投球だからな。もっとも、金原は対角線を意識して、アウトコースも多用するが、奴はコントロールがいいから、結構それも決まる」


 倉井とそう会話しているとブルペンに備え付けられている電話が鳴った。


「鳴っていますね?」


「監督か?」


 倉井が電話に出て、「もしもし」と答えた。


 その後に、「はい、はい・・・・・・分かりました」と言った後に電話を切る。


「何です?」


「今から、軽く準備しろだってさ」


 倉井がそう言った後に俺は「早くないですか?」と言った。


「気温が高いから、沖田の負担も考えて、お前にロングリリーフをさせることもカードとして機能させるそうだ」


 倉井は汗を拭いながら、そう言うと「それと、井上もブルペンに入る」と言い出した。


「まぁ、それはいいですけど?」


「いいのか、あんな無責任な奴?」


 倉井が悪態をつきながら、そう言っている間に二回の裏の早川高校の攻撃が始まった。


〈二回の裏、早川高校の攻撃は四番サード、林原君、背番号五〉


 林原が右バッターボックスに立つとモンスターハンターのメインテーマが流れ始めた。


 ウチの吹奏楽部はゲームの音楽以外は流すつもりは無いのだろうか?


 俺が内心、あきれ返りながら林原の打席を注視していると、林原は初球のストレートを捉えた。


「おっ! 行ったか!」


 倉井が大きな声で叫ん中、打球は滞空時間が長いホームランの要素を含んだものではあったものの飛距離が足りずにフェンスぎりぎりでレフトフライとなった。


「あっ~、勿体ない!」


 倉井がそう地団太を踏んだ後に俺は「キャッチ、始めますか?」と言った。


「お前はいつもクールだね? 仲間の結果とか気にしないの?」


 倉井が皮肉を交えてそう言うと、俺は「協調性とか忖度は俺の苦手分野なので」とだけ言った。


「社会人になると致命的だぞ」


 知っているよ、そんなことは?


 俺は倉井に反論したい気持ちを抑えて、グローブを左手にはめた。


 倉井が左手にキャッチャーミットをはめたのを確認した後に俺は「行きます」と言って、ボールを投げ始めた。


 ボールを受けた、倉井は「山上から、興味深いことを聞いた」と言い出した。


 その名前を聞いただけで、俺は眉がピクリと動くのを認識した。


「また、嫌味ですか?」


「お前のストレートは回転数が三千回を超えているそうだ」


 俺はそれを聞いた時に「それ、すごいんですか?」と切り返した。


「お前は本当にクールだね」


 倉井がそう言った後に、「皮肉ありがとうございます」とだけ返した。


 倉井は大きなため息を吐くと、こう言った。


「ストレートの三千回転越えはメジャーでも十人以下しかいない、数値だそうだ」


「俺が?」


 そう言うと、倉井は「山上が珍しく驚いた表情で金原に説明していたよ」とだけ言った。


 俺はそれを聞いた瞬間、自分でもニタリと表情が動くのを感じた。


「どんな感じにですか?」


「高校生で、これは異常だってさ」


 俺はそれを聞いた瞬間、「結局、悪口にしか聞こえないのが、嫌なところですね?」とだけ言った。


 その後に、横浜スタジアムのウグイス嬢が〈五番番ファースト、井伊君、背番号一九〉とコールし、井伊が左バッターボックスへと立った。


 早川高校吹奏楽部は、ゼルダの伝説のメインテーマを流し始めた。


「まぁ、それはともかく」


 山上の話題から切り替えるために俺がそう話し出すと、倉井が「何だ?」と言った。


「あれだけの啖呵切ったんだから、打ってもらいたいものですね?」


 倉井にそう言うと、「何のことだ?」と返してきた。


 そう言えば、井伊と北岡に関する、事のいきさつをこの人は知らなかったな?


「あいつ、北岡からホームラン打つって言っているんですよ」


「あぁ、またビッグマウスか?」


 二人で軽く立った状態でキャッチボールをしていると、甲高い金属音が響いた後に打球は右中間を転々としていた。


「うわ、こういうのがあるから腹立つんだよな?」


 それに対して、倉井は「あいつフォーク打ったな?」と言った。


「建長学園の高谷の時もフォークをヒットにしましたね」


「あいつ落ちるボールに強いのか?」


 二人でそのような会話をしている内に井伊は標準的な走力で、二塁を陥れた。


「このチャンスは仕留めてもらいたいですね?」


「今日は六番に木島だからな?」


 俺達がキャッチボールをしながら、そう話し続けているとウグイス嬢が〈六番ライト、木島君、背番号十六〉とアナウンスした。


 すると早川高校吹奏楽部はルイージマンションのテーマを流し始めた。


「中々、乙なゲームの曲を流すな?」


 倉井はそう言って、涼しい顔をしているが、俺には吹奏楽部が意固地になって、ゲームの曲しか流さないのではないかという疑念が心の中で渦巻き始めていた。


 するとスイッチバッターの木島は左バッターボックスに立った。


 相手ピッチャーの北岡がセットポジションからトルネード投法で内角にストレートを投げると、それを一塁スタンドへのファールにした。


 球速表示はこの日最速の一五二キロだった。


「出たよ、マックス」


「気合入ってますね」


 倉井と二人でそう会話しながら、試合を眺めていると、木島は二球目のスプリットを見送った。


「まぁ、ストレートと落ちるボール、ツーシームしかないから選択の範囲は限られてくるのは幸いですね」


 倉井は「でも、打てないんだよなぁ」とぼやいていた。


 すると再び、甲高い金属音が横浜スタジアムに響いた。


 木島は北岡が決め球として投げたフォークを上手く合わせた格好で、打球は先ほどの井伊と同じく右中間へと抜けていった、


「井伊! ゴー! ゴー!」


 倉井がそう言いながら、大きく右手を回しだす。


 それが聞こえているかは分からないが、井伊は二塁から本塁へと激走をする。


 その間、早川高校の吹奏楽部はマリオのスター状態のBGMを演奏していた。


 王明実業のライトがボールを掴み、セカンドへと中継。


 セカンドがホームへと投げると、井伊とキャッチャーとのクロスプレイとなった。


 コリジョンルールが適用されているので体当たりやキャッチャーのブロックは禁止されている。


 その中で井伊がスライディングをして、ホームベースを右手でタッチする。


 キャッチャーはそれと同時に井伊の体をタッチする。


 すると球審が「セーフ!」と言った。


 場内は「おぉぉぉ!」と歓声に包まれた。


 吹奏楽部はその得点シーンをマリオのステージクリアのBGMで祝福した。


「北岡め、相手が一年だからって、気を抜いていたな?」


 倉井が「ひっひっ」と笑いながら俺にボールを返球していた。


「ウチの吹奏楽部はゲームの曲しか流さないんですか?」


「まぁ、もはやゲーム研究会みたいな感覚も覚えるな」


 そう言いながら、二人でキャッチボールを続けていたが、倉井は「ひっひっ」と言いながら、終始、にこやかな表情を浮かべていた。


 この笑顔が終盤でも続けばいいんだがな?


 俺は周りの興奮が冷めやらない、横浜スタジアムでただ黙々と、倉井の胸元目掛けて、ボールを投げ続けていた。



 二回の裏の攻撃は、木島がタイムリーツーベースを放ち、早川高校が先制した。


 その後に、ワンアウト二塁のチャンスが続いたが、七番ショートの柴原が進塁打となるセカンドゴロを放ち、ツーアウト三塁、ここまで二回だけで五球を投げていた北岡に六球も費やした事と、進塁打は評価できるが、瀬戸際的なチャンスの作り方でしかないと俺は感じていた。


 出来ればアウトが少ない状況でチャンスを作らなければ意味がない。


 これは出塁率を重視した、マネーボール理論でも言われていることであり、こんな得点の仕方をしていると自分の首を絞めるだけではないかと、俺は思い始めていた。


 しかし、目の前にいる倉井や先ほどから隣でキャッチボールを行う、井上はホクホク顔の笑顔であることが俺は何か、危険な兆候があるのではないかと思えた。


 確実に俺たちのチームは緩んでいる。


 ここまで決勝に来れたのは、確かに実力もあるだろうが、内心ではこの人たちは決勝に来ただけでそう満足しているのではないだろうか?


 俺はそう思えて仕方なかった。


 ランナーを三塁に抱えながら、迎えた八番バッターの原田は三球三振に取られて、ゲームは三回の表へと向かっていった。


「瀬戸際のゲームですね?」


「そうか? あの北岡から一点取ったぞ」


「これで、沖田先輩が抑えてくれれば、俺たちは甲子園さ」


 ベンチの雰囲気はどうなのだろうか?


 少なくともブルペンで待機している、倉井や井上の雰囲気はどこか油断をしている印象が抱けた。


 もっとも、無駄なアウトが多い攻撃陣であっても、北岡に対して、三回までに炎天下の中で二九球を投げさせているのは成果だとは思えるが?


 一方の沖田は三回に入って、王政実業の八番バッターを五球で三振に切って取り、九番バッターを八球でサードゴロに仕留めた。


 しかし、続く一番バッターには九球を粘られた後にセンター前へのヒットで、一塁への出塁を許した。


 三回の時点で、四二球か?


 北岡よりも球数が多い、これはまずい。


 俺がそう感じていても、倉井は「沖田なら、大丈夫だろう」と根拠のない楽観論を展開していた。


 ここまで全試合でブルペンの引き締め役を務めていた、倉井がこの調子だと、俺だけが一人で気持ちを引き締めるしかないか?


 そう考えていると、相手の二番バッターが沖田が投じた五球目のスローカーブをセンター前へと運んでいった。


「何か、まずくないですか?」


 井上がそう言うと、倉井が「ツーアウトだろ」と意にも解さないと言った表情を見せた。


「倉井先輩、沖田先輩は三回の時点で四七球ですよ」


 俺が我慢しきれずにそう言うと、倉井は「高校野球ではよくあることだよ」と言い出した。


 この人に限って、こんな風に慢心するとは思えなかったな?


〈三番ピッチャー北岡君、背番号一〉


 ウグイス嬢がそうコールすると、場内から黄色い歓声が聞こえた。


「北岡ク~ン!」


 それを聞いた倉井は「何だ、あいつにも黄色い声援が飛んでいるじゃないか」と言い放った。


「そりゃ、相手は高校野球のアイドル雑誌にも出るぐらいですから?」


「おまけに来年のドラフト候補」


 俺と井上は声を揃えたが、その後に、思わずお互い視線を交わした。


「・・・・・・お前、意外と俺と合うかもな」


 井上がそう言うと、俺は「光栄っす」とだけ返した。


 すると沖田はスローカーブを投じた。


 右バッターボックスに立つ、北岡はそれを強振して、引っ張り、レフトへと大きく打球は飛んでいった。


「ヤベ!」


「行ったか!」


 ブルペンにいる面々が思わず、外を眺めたが打球はぎりぎりポストを左側へと逸れ、ファールとなった。


「相手はスローカーブを狙っていますね?」


「いや、あいつらは俺たちの事を舐めているだろう」


 倉井がそう言うと同時に俺は「俺たちがそう思っていても、前回の試合の後から、俺たちを研究している可能性があります」と俺は言った。


 すると倉井は「分かった、お前と議論するつもりは無いから」と言って、俺にボールを返球した。


「倉井さん。沖田先輩は三回の時点で五十球近くは投げて――」


 俺がそう言い終わる前にまた金属バットの打球音が聞こえた。


「うわっ、タイムリーか!」


 打球は三遊間へと向かっていったが、ショート柴原が深い位置からボールを捕球。


 一塁目がけて、送球をすると間一髪で一塁塁審が「アウト!」と判定をした。


「お~! 危ねぇ!」


 倉井はひょっとこのような表情を浮かべていた。


「あいつ、肩強いな」


 井上がそう言うと、俺は「あいつ運動神経良いらしいですよ」とだけ言った。


「マジで!」


「えぇ、一年生の体力テストでは学年一位だったそうです」


「あいつが?」


「天は二物を与えずと言ったところですか?」


「宝の持ち腐れともいうんじゃねぇか?」


 井上がそう言った後に、俺は思わず笑みをこぼしながら「俺もそう思います」とだけ答えた。


 するとそう言い終わったと同時にブルペンの電話が鳴り始めた。


「監督からか?」


 倉井が受話器を手に取ると「はい・・・・・・えっ!」と驚きの声を挙げた。


「ちょっと、待ってください、沖田は好投しているじゃないですか?」


 まさか、代えるのか、俺に?


 俺は投球練習を中断していると、井上が「俺に投げろ」と言って、座り始めた。


 俺は「恐縮です」と言って、俺は数球本気のボールを投げ始めたが、三球目で井上が球を弾き「やっぱり、無理だ、俺には捕れない」と言い出した。


「えぇ・・・・・・分かりました、すぐに準備させます」


 倉井はそう言った後に、受話器を下した。


「浦木、すぐに準備しろ」


「やっぱり、俺の出番ですか?」


 俺がそう言うと同時に倉井はキャッチャーミットを左手に装着して座り込み始めた。


「三回の攻撃中を使って、準備する」


「防具付けなくて、良いんですか?」


「時間が無い」


 そう言いながら、俺は力を抜いてボールを投げ始めた。


 数球を投げた後に、俺は全力でボールを投げ始めた。


 するとミットから勢いの良い乾いた音が聞こえた。


「一回から準備するべきだったな?」


 倉井がそう言った後に、俺は「まったくです」とだけ言った。


 グランドでは九番に座る、沖田が三球三振に倒れていた。



「相手は沖田を徹底的に意識している」


 監督の前に倉井と同時に立っていると、俺は監督から沖田を交代する理由を聞かされていた。


「スローカーブを狙っている事と、相手が右バッターしかいない状況、沖田の球数に試合の流れがリードしているとはいえ王明実業に流れているのを鑑みて、お前を投入する、結果的に沖田はオープナーの役割になることになる」


 オープナーとはリリーフ投手を先発させて、短いイニングでその後の中盤戦から後半戦を先発投手に与えるという戦術で近年においては日本のプロ野球でもその戦術を取り入れている。


 しかし、結果的にとは言え、三年生の背番号一をオープナーにするなんてなぁ?


 プライドが傷つくとは思わないのかな?


 そう俺が思うのを尻目に林田は仏頂面で腕組をしながら、ベンチで仁王立ちしていた。


「攻撃は無駄なアウトが多いですね」


 俺がそう言うと、林田は「確かにな、上手く四球とかで出塁できればいいが」とだけ言った。


「マネーボールですか?」


「俺はそんな高等な理論は持っていないよ。実際、盗塁をさせるのが好きだし」


 林田がそう言うとバッターボックスから引き上げた沖田がベンチに寝っ転がり始めた。


「やっぱり、熱いか」


「昨日、雨だったでしょう?」


「あぁ、そうだな」


 林田がそう言うと、沖田は「人工芝はコンクリが敷いてあるから、水蒸気で蒸れるんですよ」と言って、ぐったりと寝っ転がり始めた。


 それを聞いた井伊は「某野球漫画で描かれた逆境ですな?」と言い出した。


「成程、じゃあ、北岡は良い好敵手かいな?」


 そう柴原が言うと、井伊は「奴はAV男優だ!」と大声を挙げ始めた。


 すると柴原は「おおぅ、そうやった、ワシらの川村先輩を渡すわけにはいかんな!」と言って、井伊と拳を合わせた。


「よし、浦木」


 ダウンしている沖田の隣で仁王立ちしていた金原がバットを持ちながら こちらに近づいてきた。


「打席が近づいてますよ」


「それはともかく、方針を決めよう」


 金原と俺はベンチの奥でこっそりと話をし始めた。


「この炎天下で、沖田はダウンしたからな。球数を抑えるぞ」


「了解です」


「お前は沖田と違って力でガンガン押すことが出来るから、ストレートとスライダーにカーブや縦スラを中心に組み立てるが、基本は直球勝負だ」


 金原はそう言った後に、「コントロールには気をつけろよ」と言って、俺の背中を叩いた。


 気が付けば、打順は二番まで進み、山崎が三振に切って取られていた。


「キャプテンがネクストバッターズサークルに立つ前に終わりましたね?」


「打席に回っていたら、そのまま直行だったな」


 金原はそう言った後に、顔を俯けて「おい、沖田、防具!」と沖田を揺り動かし始めた。


「よせよ、熱中症かもしれねぇぞ」


 八番を打つ、原田が金原を制止する。


「こいつ、ナイーブだから」


 原田がそう言うと、金原は「完投するだけのスタミナはあるが、まぁいいさ?」と言って、沖田から離れた。


「原田、防具頼むよ」


 金原がそう言うと、原田は黙って、金原の防具をつける手伝いを始めた。


 俺はそれを確認した後に、グローブを左手にはめ、帽子を深くかぶり、マウンドへと行く準備を固めた。


 すると井伊が隣に立ち、「行け、タイガー!」とだけ言った。


「お前は打てよ。ホームラン打つんだろう?」


「おう、川村先輩のお宝写真は手に入れたが、奴をAV男優と呼ぶことを諦めたわけではない」


「よろしい、落球するなよ」


 俺はそう言った後に、審判に早川高校の伝令が選手交代を伝えたのを確認した。


〈早川高校、選手の交代を行います。ピッチャーの沖田君に代わりまして、浦木君が入りまして、九番ピッチャー浦木君、背番号十八〉


 ウグイス嬢がそうアナウンスすると、場内が騒めき始めた。


 無理もない、球数が多いとはいえ、好投しているエースを変えるのだから。


 俺がそう思いながら、マウンドへと向かうと観客席から黄色い声援が上がり始めた。


「浦木ク~ン!」


「こっち向いて~」


 前にも言ったが、主な声の主は若い女性から主婦まで幅広い層を中心とした女性たちである。


 俺はそれを聞きながら、金原のミット目がけて、ストレートを投げ込む。


 それを相手の四番バッターが見つめている。


 責任重大だな?


 ボールを投げ込んだ後に、金原からボールが返球された。


「しまっていこ~!」


 金原がそう言った後に俺はロジンバッグを片手に持ち、それを手になじませた後に捨てた。


 マウンドに入ると、そこはどこか虚空の宇宙を感じさせる。


 三振を取っても、打たれても、誰も近寄らず、近寄る時はチームの危機。


 すなわち俺の責任問題に関わる時である。


 孤独なポジションだ。


 俺がそう感じていると、相手の四番バッターが右打席に入る。


 俺はそれを確認した後に金原のサインを確認する。


 要求はインコース低めのストレート。


 俺はそれを確認した後に、ボールを投げた。


 相手の四番はそれを見送った。


「ストライク!」


 球審がそう言った後に金原が「良いノビだよ、来てる!」と言って、ボールを返球した。


 王明実業の吹奏楽部はタッチのテーマソングを応援歌として流している。


 この四番を打つ、デブのどこにタッチの要素があるのだろうか?


 俺は不思議に思いながらも、金原のサインを確認した。


 アウトコース中段へのストレート。


 俺はそれを確認した後に、ボールを投げた。


 相手はそれにボールを当ててくるが打球は一塁側ベンチへと転がっていった。


 相手の四番が顔を歪めたのを確認した後に俺は金原のサインを確認した。


 インコース低めへの縦スラか?


 俺はそれを確認した後に、三球目を投じた。


 するとバッターは面白いように、バットを空振りした。


「オッケー、ナイス!」


 金原がそう言った後に、四番バッターは俺を睨み付けていた。


 まずは一安心だな?


 俺は一呼吸入れると、五番バッターに意識を置いた。


 五番バッターはバットを構えると「しゃあ!」と叫び始めていた。


 自分を鼓舞させる目的があるのかどうかは分からないが、俺はこれを聞いた瞬間、相手の精神に何か変化が起きたのではないか感じ取れた。


 沖田が登板しているときの彼らはただ淡々と打席に立っていたからだ。


 そう感じながら、金原のサインを確認すると、アウトコース高めへのストレートだった。


 この人はアウトコースが好きだな?


 俺はそう感じながら、ボールを投げると、五番バッターは見事にそのボールを空振りした。


 行ける。


 何故か、俺は途端にそう思い始めた。


 慢心ではない。


 確かに俺はこの試合に関して、確信とも取れる、自信に満ちた、何かを感じ取っていた。


 俺はそれを感じながら、金原の要求する、二球目を確認した。


 インコースへのストレートだった。


 俺は金原のミットめがけて、ボールを投げると、相手の五番バッターから再び、空振りを奪う事が出来た。


「良いぞ、その調子!」


 金原がボールを返球するとファーストにいる井伊が「俺の方に打球ちょうだい!」と叫んだ。


 お前の所にはやらねぇよ・・・・・・


 俺はそう感じながら、次のサインを確認すると三球目はアウトコースに逃げる高速スライダーを要求された。


 右バッターには効果的な変化球だな。


 俺は要求に頷くと、ドアノブを捻るかのように腕を回しながら、ボールを投げた。


 バッターは外に逃げる、変化球にただバットを空回りさせるだけだった。


 二者連続三振・・・・・・


 今日は調子がいい、このまま0点にも抑えられるのではないか、投げる度に自信がみなぎる。


 俺はマウンドと言う虚空の宇宙の中で一人、奇妙な感覚を覚えながら、相手の六番バッターを打席に迎えた。


 こいつも三振に切って取る。


 俺は金原のサインを確認した後にインコースへとストレートを投じた。


 すると観客はどよめいたが、不思議とこの瞬間は電光掲示板を眺めることは無かった。


 その中で暑さも感じずに、虚空の宇宙に身を投じる俺がそこにはいた。



 俺は四回の表を九球で三者連続三振に切って取った。


 マウンドから一塁側ベンチへと引き上げるときに王明実業の六番バッターがこちらを睨み続けていたが、俺はそれを無視して、ベンチへと走っていった。


「浦木ク~ン、ナイスピッチ!」


「格好良かったよ~」


 黄色い声援が飛ぶ中、ファーストから戻ってきた、井伊が渋い顔をしながら、俺にスポーツドリンクを渡した。


「アイン、俺もあそこまで黄色い声援で叫ばれたい!」


 井伊がそう言うと横から、柴原が「ワシも同感や!」と叫び始めた。


「お前ら、騒ぐなよ、頭に響くんだから・・・・・・」


 ベンチで横たわっている沖田が頭を押さえながら、鬱陶し気にこちらを眺めていた。


「あっ、すんまへん」


 柴原が軽く会釈をした後に井伊が「何か、コツがあるのか?」とこちらに顔を近づけてきた。


「近けぇ、お前昨日、ニラとか食べなかったか?」


「おう、王将で餃子食ったぞ」


「お前はバカか、人と会う時にニンニク食う奴がいるか?」


 俺がそう言うと、井伊は「ぐぬ~!」と言ってこちらを眺めていた。


 すると柴原が「そんなこと言うたら、ニンニク一生食えへんで?」と横目でこちらを眺めていた。


 柴原のくせに横目でこっちを眺めるなんて・・・・・・


 似合わずに知的だぞ。


 俺がそう思っていると井伊が「俺は気合を入れるときはニンニクを食う!」と言い出した。


「お前はどこのキン肉マンだよ」


 俺がそう言うと「止めろ、そんなこと言ったら牛乳飲んだら死んじゃうじゃないか?」と井伊は笑いながら言い出した。


「俺は牛乳好きだから、お前は死滅でもしていろ」


 俺はベンチに腰掛けて、スポーツドリンクを飲んだ後に「キャッチでもするか?」と言った後に倉井を捜したがブルペンで待機していることを思い出した後に俺は一番を打つ、木村に「先輩、キャッチお願いできますか」と小声で尋ねた。


「おう、任されて」


 ガンダムのカイ・シデンよろしく、飄々とした口調で手を挙げながら、ベンチの外へと向かっていく。


「アイ~ン!」


 井伊がバットを持ちながらこちらへと近づく。


「何だ? 俺は肩を作るので忙しい」


「俺がホームラン打ったら、お前の人気の秘訣を教えてくれ」


 井伊がそう言った後に俺は「それプラス、試合に勝てたらな」と答えた。


 はっきり言って、面倒くさいと感じていた。


 それにこいつでは北岡からホームランを打つことは難しいだろうという、俺の認識も手伝って、俺は早々と木村とキャッチボールを始めた。


 すると井伊は「うぉぉぉぉ!」と言いながら、バットを持って、ネクストバッターズサークルへと走っていった。


「絶対に打って勝つぞ~!」


 やれるもんなら、やってみろ。


 多分、絶対に打てないと思うがな?


 俺はそう井伊を嘲笑しながら、右手にグローブをはめた木村とキャッチボールを始めた。


 すると横浜スタジアムにはメタルギアソリッドの戦闘テーマが流されていた。


 どうやらキャプテンの金原の打席が続いているようだ。


「木村先輩は投手だったんですか?」


 ふとそう思った、俺が聞くと、木村は「左利きだからな、そりゃ投手の経験もあるさ」と答えた。


 センターを守る強肩を今、この瞬間に受けているので、投手としてもスピードは速かったのだろうと感じる次第だ。


「最も、コントロールが悪いのとキャプテンのしごきに耐えられなくて、外野に移ったんだけどな?」


 あぁ、あのしごきか。


 キャプテンはキャッチャーで最上級生である程度の権力も握っているから、投手に対しては結構辛く当たるんだよな、


 もっともパワハラやいじめとは少し違い、主に内容が野球の技術に関するもので、金原はけしてブルペンでは態度や人間性に関する、叱責はしない。


 そこだけが唯一の救いだった。


 その中で甲高い金属の打球音が聞こえると、金原はセカンドゴロに打ち取られていた。


「あぁ、カネやん、ツーシームで打ち取られちゃった」


 木村はニタリと笑いながらそう言った。


 俺も経験しているから分かるけど、キャプテンの投手への当たり具合はこのような反応を生んでもおかしくは無い。


「俺も木村先輩の気持ちが分かります」


 俺がそう言うと「まっ、技術面しか叱責しないからな」と言いながら、左手でボール返球してき

た。


〈バッターは四番サード、林原君、背番号五〉


 ウグイス嬢がそうコールすると、球場からモンスターハンターのメインテーマが流れ始めた。


「三振しろ!」


 木村がそう言いながら、こちらにボールを投げつける。


 そう言えば、この二人は仲が悪いんだよな。


 その上、金原の後のキャプテンを奪い合っている関係でもある。


 うん、いわゆる権力闘争をこの二人は行っているのだ。


 俺はそんなものには巻き込まれたくないが?


 俺が無言でキャッチボールを続けていると、金原が「木村、変わるよ!」と言って、近づいてきた。


「あっ、はい!」


 木村が帽子を取って、一礼する。


 先ほどまでの態度が嘘のようだ。


「早くしろよ」


 金原にそう急かされて、木村は走って行った。


 この二人の関係は見ていて、スリリングだな?


 そう思いながら、二人のやり取りを眺めていた。


 すると再び甲高い金属音が場内にこだまする。場内からは「うぉぉぉぉ!」と言った歓声が唸りを挙げていたが、打球はレフト手前で失速していた。


「またかよ」


「北岡の球は重いからな? 超高校級スラッガーの林原でも飛距離不足になる」


 そう言った後に、林原が無表情ながらも手をぶらぶらと振りながら、ベンチに戻ってきた。


「どうだ?」


 金原がそう言うと、林原は「腕が痺れます」と一言だけ言った。


「金属でそれだからな」


「それじゃあ、飛距離不足にもなりますね」


 金原と木村がそうやり取りしていると、木村が金原の防具一式を用意した。


「サンキュー」


 木村は「どうも」と言って、ベンチの奥へと下がっていった。


「よし、時間は早々ないが、キャッチするぞ」


「はい」


 俺と金原がキャッチボールをし始めると〈バッターは五番ファースト、井伊君、背番号一九〉とウグイス嬢がアナウンスする。


 ゼルダの伝説のメインテーマが場内に聞こえてい来る。


「うちの吹奏楽部って、本当にゲーム好きですね?」


 俺がそう言うと「あぁ、あそこの部室にはファミ通が常備してあるからな」と平然と答えた。


 やっぱり、そうか!


 俺は思わず膝を叩きなるほどの爽快感を覚えた。


 そうか、やっぱりあいつらはゲームおたくか?


 俺は意味もなく喉に引っかかった魚の小骨が取れた感覚を感じていたが、甲高い金属音が響いた後に場内は再び「おぉぉぉぉぉ!」と言った大きな歓声に包まれる。


 井伊がライトスタンドの場外へと打球を運んだのだ。


 ファウルではあったが?


「あいつファウルとは言え、北岡の重い球をあそこまで運びやがった」


 金原はホクホクとした笑顔でこちらにボールを返球した。


「ファウルの後の三振って情けないと思いませんか?」


「まぁ、得点してくれれば、万々歳だけどな」


 もっともその方が、勢いだけのニンニク男には似合いの結果だろう。


 俺はそう感じながら、金原に対してボールを投げ続けていたが、甲高い金属音が再び場内に響いた。


 どうせまた、ファウルだろう?


 俺はそう思って、グラウンドから目を背けていたが「おぉぉぉぉ!」という観客達の大きな唸り声とボールを受けることを忘れて、呆然とした表情でグラウンドを眺める、金原がそこにいた。


 俺の投げたボールは金原の頭部を直撃した。


「痛て!」


「すいません!」


 俺が金原にそう近づいた後に「大丈夫ですか」


 当たったところが頭部だったので、本心から心配していた。


 すると金原は「ヘルメットが無ければ即死だったな」とガンダムのセリフを吐いた。


 その後に金原は笑いながら「見ろよ、ホームランだ」と言いながら、ホームベースを回る井伊を指差していた。


「・・・・・・嘘でしょう」


「いや、本当だ」


「ビデオ判定しましょうよ」


「いや、打球はライトスタンドの場外に消えたから、どう転がってもホームラン」


 俺は思わず、舌打ちをした後に「ベースでも踏み忘れないかな?」と言った。


 すると金原は「止めろ、あいつならやりかねない」とだけ言った。


 俺はそれを聞いた後に、井伊がベースをちゃんと踏んでいるかを逐次、確認したが、無事、踏み忘れることなく、ホームベースへと到達した。


 すると井伊は一目散にこちらへと向かって来て「試合に勝ったら、人気の秘訣を教えてもらおう!」と言って、こちらに対して指を差して来た。


「抜かせ、守備の時にエラーするなよ」


「はっはっはっ! 守備でも華麗な動きを見せてあげよう!」


 そう言って、井伊はベンチへと戻り、部員一人一人とハイタッチを行っていた。


「北岡の奴、井伊に対しては全球ストレートだったな?」


 金原がホームランを打たれて苦笑いを浮かべる、北岡を眺めながらそう語った。


「あの人が野球漫画にありがちな、男と男の勝負論に走ったとは思えませんが?」


 俺がそう言うと金原は「北岡はロマンチストらしいからありえない話じゃないと思うぞ」と笑いながら言った。


 すると六番を打つ、木島がストレートで二球追い込まれた後にフォークボールを空振りして三振を喫していた。


「よし、出番だ。浦木!」


 金原にそう促されて、俺は五回のマウンドへと向かう事にした。


 途中、ファーストを守る井伊がこちらに駆け寄ってきたので俺は「本当に落球するなよ」とだけ言った。


 すると井伊は「見ていろ! お前は俺の華麗なプレーに助けられることだろう!」と大声で言い出した。


 俺はそれに対して「喋る時はミットで口を隠せ」とだけ言って、マウンドへと向かっていった。


 井伊がミットで口を隠しながら「ぐぬぅぅぅ!」と叫んでいるのを見て、こいつ本当にバカだなと俺は井伊を嘲笑するしかなかった。


 俺はマウンドへと登ると、相手の七番バッターと視線を交わした。


 その目は俺に対する敵意に満ちたものだった。


 バッターは右打席へと立つと「しゃあ!」と叫んでこちらを睨み据えた。


 すると金原はタイムを取って、マウンドへと駆け寄ってきた。


 すると内野陣も自然とマウンドに集まった。


「相手は敵意丸出しですね?」


 俺がグローブで口を隠しながらそう言うとミットで同じ動作を行っている、金原が「売られた喧嘩は買うしかないだろう」と言って、にやりと笑いだした。


 内野にいる、井伊、山崎、林原、柴原もそれに対して「同感!」と口を揃えた。


「ここにいる、全員が主戦論者ですね?」


「おう、あそこまで敵意むき出しにされたら、コテンパンに叩きのめすしかあらへんやろう!」


 柴原がそう言うと、井伊が「それにお互いの名誉がかかっている!」と言い出した。


「お前はただ、北岡をAV男優って言いたいだけだろう」


 そう、俺は言った。


 すると柴原は「浦木、忘れたらあかん。ワシらは負けたらあいつを様付で呼ばなければならなくなるんやで?」と鼻息荒く、俺に近づいてきた。


「お前と井伊だけなら、問題は無い」


 俺がそう言うと、マウンドに集まったメンツから笑い声が聞こえる。


「まっ、相手は全員右バッターだから、多少有利だが、気を引き締めて、余計なエラーはしないようにしまっていこう!」


 金原がそう絞めた後に、内野に集まった部員たちはサムズアップをした後にそれぞれのポジションへと戻っていった。


 さっ、お仕事、お仕事。


 俺はロジンバッグで手をなじませた後にそれを投げ捨て、相手バッターと視線を正対させた。


 相手の敵意に対して先ほどの「売られた喧嘩は買うしかないだろ」の精神の下で金原の要求する、インコース中段のストレートをミット目がけて、投げた。


 王明実業の吹奏楽部が演奏するドラゴンクエストの戦闘テーマの中で何故かミットの勢いの良い音がこの時は聞こえた。



 俺は五回と六回も全て三振で切り抜けた。


 四回の初回も含めて対戦した九人に対して、全て三球三振で切り抜けた為、ここまで三回を一八球で切り抜けていた。


「アイン、九者連続三振だぞ」


 井伊がそう言いながら、俺にスポーツドリンクを渡す。


「北岡も五回、六回を六者連続三振に切って取っただろう」


 ここに来て、相手ピッチャーの北岡は尻上がりに調子を上げて、七番柴原から三番金原を全て三振に切って取った。


「う~ん、ここまでお前、神がかっているな~」


 井伊がそう言った後に、柴原が俺に対して、拝みながら「神様、頼んます。浦木が怪我しますように」と言って「ナームー」と言い出した。


「お前、さすがにそれは怒るぞ」


 俺が拳を振り上げて、柴原に迫ると「お前、この大観衆の前で暴力振るうんか?」と当人が言い放ち「振るったら、週刊誌でパシャだぞ!」と井伊もそれに加わる。


 井伊と柴原がボクシングのガードをしながら俺から遠ざかる。


 バカ二人にしては珍しい、正論だ。


「お前等、バカやっていないで、応援しろよ」


 金原がメガホンで軽く、井伊と柴原の頭部を小突く。


「あう!」


「理不尽や!」


「ていうか、井伊は五番だろう」


 金原がそう言った後に「おう、そうだ!」と言って、バットを持って、ネクストバッターズサークルへと向かって行った。


「しかし、北岡が急にギア入れてきたのはなんでやろ?」


 柴原がそう言うと金原が「井伊に打たれたのが悔しいんじゃねぇの?」と言って「柴、防具!」と言い出した。


「キャプテンに略称で呼ばれるのは光栄ですわ」


「いいから、手伝え!」


 そう言われた柴原が「へい!」と言った後に金原の防具一式を持ち出した。


 すると、場内ではモンスターハンターのテーマが鳴り響いていたが、すぐにそれはため息へと変わっていった。


 林原が三球三振したのだ。


「ひょっとすると、浦木の投球に触発された可能性があるな」


 金原がそう言った後に俺は「実際に対戦するのはピッチャーとバッターですから、投げ合いなんて我慢比べで熱くなるのは稚拙じゃないですか?」とだけ言った。


 俺がそう言うと金原が「三番を打っている、北岡から三球三振取ったろ」と言った。


 その後に金原が柴原に「サンキュー」と言って、俺にボールを軽く投げ渡す。


 俺はそれを受け取って「まぁ、確かにバッターとして対戦はしていますが?」とため息交じりに答えた。


「さっき言ったろ、あいつはロマンチストかもしれないって?」


 そう話をしながら、俺と金原はグラウンドに出て、キャッチボールをし始めた。


 すると、井伊が左バッターボックスに立つと場内からはゼルダの伝説のテーマが流れる。


 すると井伊のインコースにストレートを投げ込んだ。


「ほら見ろ、むきになってストレート勝負を仕掛けてくる」


「北岡さんって、意外と稚拙な投手ですね」


 俺がそう言うと金原が「土台が少年漫画なんだよ。だから男と男の勝負に固執する」と言って、苦笑いをしていた。


 金原がそう言ったと同時に金属バットの甲高い音が球場に響く。


「おぉぉぉぉぉ!」


 場内が歓声に沸く中で、井伊は再びダイヤモンドをゆっくりと回った。


「・・・・・・あいつの方が怪我するんじゃないですか?」


「死亡フラグみたいなやつな?」


「それは悪い奴が急に善行に目覚めるとかでしょう?」


 俺と金原が笑いながら、そう答えると、井伊は急に三塁ベースに戻り始めた。


 ベースを踏み忘れたことを思い出したようだ。


「・・・・・・やらかしかけましたね?」


「まぁ、これで三点リードだ」


 俺は井伊がホームベースに帰ってくるのを確認した後に何故か安堵した気持ちになっていた。


 しかし、それと同時に何か違和感を覚え始めた。


 先ほどの六回に北岡を三振に切って取ってから、肘に違和感が残っているのだ。


 痛みではないが、まるでそれこそ、喉に魚の小骨が刺さったかのような感覚だ。


「どうした?」


 金原が怪訝な表情でこちらを眺める。


「いえ、何でもありません」


 木島の打席で流れる、ルイージマンションのテーマがため息に包まれると同時に俺と金原はグラウンドへと向かっていった。


 まぁ、この程度の違和感なら、問題ないだろう。


 俺はそう思いながら、マウンドへ向かい、ロジンバッグを手にしていた。



 七回に対戦した一〇人目のバッターである、四番バッターにはバットに当てられたが、セカンドゴロに仕留めた。


 相手は凡退した瞬間に、バットを投げつけて、悔しさを露わにしていた。


 すると相手の打とうという気持ちが強くなったのを察した金原が四番バッターとの対戦を境に打たせて取るリードへとシフトチェンジした。


 基本的にはストレート中心の配球だが、打つ気持ちが過剰になり、ストライクとボールの判定が曖昧になっている、相手打線には常時一四〇後半でマックス一五〇キロを超えるストレートをヒットにすることは出来なかった。


 そして俺は一人のランナーを許すこともなく、九回のマウンドへと登っていった。


 すると、肘の違和感はより一層強くなってきた。


 マウンドに駆け寄った、金原が「お前、熱中症か?」と聞いてきたが「後、三人でしょう?」と言うと金原が怪訝な表情を見せたが、すぐに「何かあったら言えよ」と言って、ポジションへと戻っていった。


 あと三人だけなのだ、魚の小骨が刺さった程度の違和感で投げるのを止めるのはどこか情けない感じがした。


 義務感にも似た、奇妙な感覚を覚えながらも俺はマウンドに立って、ロジンバッグを手に取り、馴染ませ、捨てる。


 俺は相手の一番バッターに対して、アウトコースにストレートを投げた。


 相手は涙目になりながら、初球を見送った。


「ストライク!」


 審判がそう言うと場内は「おぉぉぉぉぉ!」と歓声を挙げた。


「一五五キロかよ!」


 観客のおっさんがそう言ったのを聞いた後に電光掲示板を見上げる。


 すると俺の投げたストレートは一五五キロを計測していた。


 そんなに速いか、俺のストレートは?


 俺がそう感じた後に、金原はインコースにストレートを投げた。


 すると一番バッターはそれに手を出し、ショート柴原がそれを処理して、一塁へと送球した。


「アウト!」


 一塁塁審がそう叫んだのを確認した後に俺はマウンドに戻っていった。


 相手の二番バッターに視線を向けると、涙目になりながら、こちらに敵意を持った目を眺めていた。


 あと二人か?


 俺は肘の違和感が気になりつつも、金原の要求通りにアウトコース低めへとボールを投げた。


 すると二番バッターはセーフティーバントの姿勢を取った。


 自分からアウトになる手段を選ぶなんて、自殺行為だろう?


 俺がそう思いながら、二球目のインコース中段のストレートを投げるとバントの構えを見せていた。


 二番バッターは打球がキャッチャーフライになるのを確認した後に地面を足でけり上げていた。


「ツーアウト!」


 金原がそう言った後に、俺は肘の違和感が痛みに変わったのを感知した。


 まずいな・・・・・・


 病院に行くのは嫌だが、あと一人、抑えれば、甲子園とやらにいけるらしい。


 俺は最後のバッターである、三番ピッチャー北岡と相対する事となった。


 すると観客席からは「行け~! 浦木!」や「後一人だぞ!」と男たちの野太い声が聞こえる。


 それに加えて、従来の黄色い歓声も俺に届いていた。


 こいつを抑えれば、この炎天下の灼熱地獄から、解放され、クーラーの効いた部屋へ戻ることができる。


 俺は夏の時にクーラーの効いた部屋にいるのが好きだ。


 そこで本を読んだり、ゲームをしたりする事こそ、二十一世紀生まれのマイノリティには至福の時なのだと、俺は思っていた。


 それはともかく、あと一人押えれば、クーラーの効いた部屋へと戻ることができる。


 俺はそう思いながら、金原の要求するアウトコースのストレートを投げ込んだ。


 すると、場内からは「おぉぉぉぉ!」という歓声と拍手が鳴り響いた。


 しかし、それと同時に肘の痛みがついに激痛と呼ばれるほどのレベルに達したことを俺は感知し始めていた。


 俺は思わず、肘を抑えた。


 すると金原がマウンドへと駆け寄ろうとしたが俺はそれを手で制した。


「大丈夫です!」


 俺がそう叫ぶと金原はマスクの中でどこか不安を抱えた表情でポジションへと戻って行った。


 あと二球だ。


 俺がそう思いながら、インコース中段へとボールを投げると肘に今まで感じた事の無い痛みが襲い、ボールが滑り出す。


 しまった・・・・・・


 ボールはど真ん中への失投となり北岡はそれを見逃すことは無かった。


 打球はバックスクリーンへと運ばれ、北岡は大きなガッツポーズをしながら、ダイヤモンドを回り始めていた。


 三塁側の王明実業応援席はまるで勝ったかのような大騒ぎだったが、一塁側の早川高校応援席は静まり返っていた。


「浦木君! がんばれ~!」


「浦木、抑えろよ! 男だろう!」


 黄色い声援と男たちの野太い声が混じった、観客達の声が聞こえるが、肘の尋常ではない痛みのせいで、それが俺には正常には聞こえなかった。


 俺は肘を抑えて、地面に伏せると、金原がタイムを取って、マウンドへと走り寄って来た。


「浦木!」


 すると内野にいる、井伊、山崎、林原、柴原が一斉に駆け寄ってきた。


「大丈夫か?」


「えっ、肘やったんか?」


 俺は肘を抑えるしかなかった。


 場内の騒めきが耳に響く。


「ちょっと、伝令を・・・・・・」


 そう言うと、早川高校の伝令が審判に交代を告げ、伝令を務めている選手が俺に「歩けるか?」と聞いた。


 しかし、俺はそれを聞いた瞬間に「えぇ」とだけ言って、肘の激痛を感じる中で立ち上がり炎天下のグラウンドからベンチへと下がろうとした。


「浦木・・・・・・」


 金原がマスクの中で気まずそうな表情で俺に近寄ってきた。


「俺は・・・・・・何ていっていいか分からねぇよ」


 金原はそう言う。


「・・・・・・笑えばいいんじゃないですか?」


「こんな時にパロディをやるんじゃねぇよ」


「・・・・・・すいません」


「病院、行ってこい」


 俺は静かに会釈した後にベンチへと歩いて引き上げた。


 すると返ってくるなり、監督の林田に胸倉を掴まれた。


「何で、俺に言わなかった!」


 林田が鬼の形相で俺に迫る。


「・・・・・・違和感程度だったので、問題ないかと」


「俺もそうして、プロを引退したんだよ!」


 林田はそう言った後に俺を壁際に押し付けた。


「・・・・・・病院、行ってこい」


 林田がそう言った後に俺はベンチに腰掛けた。


「今すぐじゃないでしょう?」


「当然だ、試合は見届けろ」


 俺はそう言った後に、朦朧とした意識でリリーフに回った井上が王明実業の四番バッターをレフトフライに抑えたのを確認した。


 場内は拍手に包まれ、女達の黄色い歓声や男達の野太い声がそこに交じり、早川高校の吹奏楽部がマリオのステージクリアのBGMを流した。


 しかし、グラウンドにいる選手たちは派手な動作をすることもなく、笑顔もなく、グラウンドでただハイタッチだけをしていた。


 気が付くと、俺は激痛に耐え切れなくなり、目を閉じていた。


 三十度後半を超える気温の中で、熱風が涼しく思えた。


 熱中症もあるかな?


 横浜スタジアムに歓声がこだまする中で俺は激痛にただ耐えるしかなかった。



 浦木君へ


 メールだと心がこもっていないといないと思われるのが嫌なので、手書きの手紙で近況を報告します。


 と言っても伝えたいことが多くありすぎて、何を言って良いか困っています。


 それではその中で、まず一つ。


 浦木君が戦線離脱した後に、野球部は甲子園三回戦まで行って、ベスト十六に躍り出ました。


 その後に、福岡のチームに負けましたが、大健闘だと思います。


 その後に金原先輩や沖田先輩を始めとした三年生は引退をして林原さんと木村さんのキャプテンを決める、権力闘争が本格化しました。


 部員たちを意味のない闘争に巻き込まないでほしいですね。


 金原さんと沖田さんは大学進学、山崎さんは神奈川県警の採用試験を受け、倉井さんは陸上自衛隊の一般曹試験を受けるそうです。


 みんな、進路が上手く行くと良いですね。


 それと私達、陸上部ですが、川村先輩が四〇〇メートルで全国三位になりましたが、私は一〇〇メートル、二〇〇メートル共に予選敗退でした。


 芸人さんではありませんが、『悔しいです!』と叫びたいです。


 まぁ、ソーキソバやシークワーサーが食べれらたのは良かったですが、ウコン茶の苦さには閉口しました。


 まぁ、来年は大阪でインターハイの本選をやるそうなので、それに出られるように頑張ります。


 そしてここで嫌な話題と言うか当然の結果だと思いますが、浦木君を追い回していた学生たちは、神奈川県警にコンピューターウィルスを保有していたとして、逮捕されました。


 今回は容疑がそれだけなので、私たちの被害は大きく報道されませんでした。


 私の父が報道機関や警察に働きかけたそうです。


 国家公安委員会は基本的に警察の活動を監査する機関であって、一人のコネで警察を動かすコネクションを使う場所では無いのですが、父にはそんなこと言っても分からないので、困っています。


 そして最後に明朝テレビの藤谷さんが頻繁に学校に来てくれます。


 視聴率を重視する人かと思いましたが、意外と優しい人だったのでびっくりしました。


 浦木君に対しては『野球が駄目だったら、良い大学出て、うちに入社すればいい』と言っていました。


 もっとも、どこまで本気かは分かりませんが。


 とにかく、皆、浦木君がアメリカから帰ってくるのを待っています。


 林田監督は『チームの応援をしないで勝手にアメリカに行くなんて』と憤慨していますが、それは浦木君を心配しているからです。


 肘の靭帯損傷がどのぐらいの期間を有する怪我かは分かりませんが、とにかく早く日本に帰ってきてください。


 私たちはあなたの帰還を待っています。


 それを忘れないでください、以上です。


 瀬口真より。


 瀬口からの手紙を見つめた後に、俺はPRP療法という治療を行った肘を眺めていた。


 血液の中の血小板が多く含まれる部分のみを抽出し、それを投与し負傷した部分の自己再生を活性化させるものだ。


 組織の回復を始めてから三週間、俺は負傷した右肘を見つめていた。


 肘の損傷と言っても、トミージョン手術は行うレベルではなく、注射を続けて、医者の許可次第でこれから可動域訓練を行う予定だ。


 秋には間に合わないだろうが来年の夏の予選には十分間に合うだろう。


 スポーツへの復帰は医師から二か月から、三か月で済むだろうと言われた。


 しかし、今は少し休みたかった。


 日本ではもう俺は有名人であるから、逃げる場所が欲しかった。


 だから、俺は本当に逃げた。


 そして、父に仕事の用事があると言う事を聞いて、同伴してニューヨークへと向かった。


 夏休み中はチームに帯同せず、ニューヨークで療養することにした。


 もっとも帰国した後に監督の林田に何を言われるか分からないが・・・・・・


「待ったか?」


 そう英語で声をかけられると、イアン・バーネットが笑顔で敬礼していた。


「久しぶりだな?」


「まぁ、それは良いけど、何で待ち合わせ場所がトランプタワーなんだよ?」


 そう言いながら、イアンは辺りを見回していた。


 喫茶室の奥にはどこかの富裕層がコーヒーを飲んでいた。


 マスコミはいるだろうか?


 俺はそう思って、辺りを見回したがそれらしき人物は見当たらなかった。


 まぁ、バレたら意味がないか・・・・・・


 俺はそう脳内でつぶやいた後にイアンがコーヒーを注文したのを確認した。


「なぁ、出ないか?」


「何で?」


「ここは居心地が悪い」


 それを聞いた、イアンは難しい顔をして「メイド喫茶に行ったか?」とだけ聞いた。


 イアンがそう言って、身を乗り出したが俺は「メイドは金払わないと、親切にしてくれないからな」と言った。


「そうなのか?」


「しかも、デートに誘おうとすると『お店から出たら、魔法が解けちゃう』の一点張りだ」


「あぁ~、お持ち帰りは出来ないんだな?」


「あぁ、抜かりねぇよ」


 イアンはそう言った後に「くそ~」と言い出した。


 するとそこにコーヒーが運ばれてきた。


「肘は大丈夫か?」


「あと二、三か月で復帰できるだろう」


「だが、その後に試合勘を直さないとな」


 イアンがそう言った後に注文した冷たいコーヒーを飲み干した。


 するとイアンは「頭痛てぇ」と言って、頭を抱え始めた。


「そりゃ、そうだ」


 それから数十秒した後にイアンは「ところで?」と切り出した。


「何だ?」


「お前、日本でプロになるのか?」


 俺はそれを聞いた瞬間に眉を顰めた。


「・・・・・・まぁ、ここは日本じゃないから本音を話そう」


「お前、日本じゃあ有名人らしいからな、聞かせてくれよ」


 イアンが身を乗り出して、俺の話を聞こうとする。


「俺の本当の目的は、日米問わず、プロの選手になって、軽く十億を稼いで、その金で会社を立ち上げることだ」


 そう言うとイアンは唖然とした表情を浮かべた。


「そうなのか?」


「あぁ、野球はその為の手段に過ぎない」


「・・・・・・大学には行くのか?」


「日本では高卒でも社長になれるが、国際基準で考えれば、大卒の方が望ましいな?」


 俺がそう言い切ると、イアンは黙ってしまった。


「野球が好きなお前からすれば、腹が立つかもしれないが、これが俺の本音だ」


 俺がそう言いきると、イアンは「まぁ、俺も野球以外にバスケやっているから野球に一途ってワケじゃないから、お前のことはどうこう言えないよ」と言った。


 しかし、イアンはそう言った後に立ち上がってくしゃくしゃになった札束をテーブルに置いた。


「ただ、俺はそんな理由好きじゃない」


「反権力か? それはすまないな?」


 俺がそう言うとイアンは「そして、ここを待ち合わせ場所に指定したことも気に入らない」と言い出した。


「分かっている、俺が軽率だった」


「分かっているなら、やるなよ」


 そう言って、イアンはドルの札束を置いて、喫茶店を出ていった。


 去る者は追わず。


 俺はイアンの後姿を見送った後にアイスコーヒーを追加することにした。


 外は暑いが、日本に比べれば、湿度は低いか?


 クーラーの聞いた部屋でアイスコーヒーを待ちながら俺は読書することにした。


 夏の時間には最高の贅沢だな?


 俺はニューヨークで一人の午後を過ごす事にした。


 終わり。                 

 皆さん、ありがとうございました。


 また、別の作品を書くつもりなので、よろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 笑いもあり、熱くもあり、面白かったです! でも同時にスポーツものを小説にする難しさも感じてしまいました……。
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