第五話 灼熱のスターダム
不評ながら、第五話です。
クライマックスですので、あと少しで終わるのでよろしくお願い致します。
1
ミットが甲高く弾ける音が聞こえると同時にキャッチャー用の防具を身に着け、自前のミットで俺の球を受ける、山内が「ナイスボール!」と声をかける。
俺はこの初老の男の酔狂とも言える、ブルペンでのキャッチングを見て、閉口していた。
このおっさん、歳を考えていない。
だから、こういう若者共と一緒になって、ブルペンでの投球練習が出来るのだろう。
「あの爺さん、キャッチング上手いな?」
テレビ局のプロデューサーも何故かそこにいたが、確かに、捕球技術は高校生のそれでは無いことは確認できた。
「いや、浦木君」
「はい」
「君は球界の宝になるよ」
山内はそう言った後に「次は沖田君の球を受けよう」と言い出した。
テレビ局のプロデューサーは何故か自らカメラを取り始めた。
「あれは、建長学園戦で完全試合を達成したピッチャーか?」
「沖田薫、左のサイドスローで正確なコントロールと、多彩な変化球、クレバーな投球術を武器とする投手ですね」
ディレクターがプロデューサーの隣に立ちながら、そう答える。
するとプロデューサーは「あの一年は撮ったか?」と聞いた。
「えぇ、バッチリ」
そう言った後に、プロデューサーは沖田の投球練習を撮影し始めた。
「コントロール抜群だな、沖田君は!」
山内が唸ると同時に沖田は「そうですか?」とはにかみ始める。
その笑顔は一種の爺殺しと言ってもいいぐらいの魔力があるのではないかと思えた。
「どうですか?」
ディレクターがそう言うとプロデューサーは「ブルペンに入っていいかい?」と金原に話しかけた。
「まぁ・・・・・・良いんじゃないですか?」
金原は怪訝な表情は見せたが、一応は了承した。
そしてプロデューサーはブルペンに入るや否や「沖田君と浦木君だね?」と話を切り出した。
「はい」
「右に同じく」
俺と沖田がそう言うと、プロデューサーは名刺を出して、二人に渡した。
そこには明朝テレビスポーツ部、藤谷達郎と書かれていた。
「今回は林田監督の特集で時間が無いが、今後はお見知りおきを」
そう言うと、藤谷は「行くぞ!」と言って、ディレクターを引き連れて、ブルペンを去った。
すると、山内が「よし、どんどん投げてくれ!」と言って、ミットを叩き出した。
沖田は終始にこやかな表情で山内相手に二十数球、しかも全部の球種を投げ始めた。
「六球種か、球種が多いな沖田君?」
「実戦で使えないものも含めれば、十二球種はあります」
沖田がそう言うと「十二か、君は器用だな?」と言った。
その後に、山内は俺の前にやってきた。
「浦木君はストレート、スライダー、カーブが持ち球かい?」
俺はそう聞かれると「そうです」と答えた。
新たに覚えた縦スラの存在は最後まで隠しておこうと決めた。
大体、こんなところでバラシでもしたら、金原に後で何を言われるか分からない。
「また、投げてくれないかい?」
「ストレートで良いですか?」
俺がそう言うと「いいよ、君の好きなように投げてくれ」と言った。
俺は山内が座ってから、数十秒、間を置き、山内の「さぁ、来い!」という号令を聞いた後に思いっきりストレートを投げた。
ミットが弾ける音と同時に山内は「伸びがすごいな」と言って、マスク越しに笑っていた。
「ありがとうございます」
「普通のストレートよりも回転数が高いという事がよく分かったよ」
山内はそう言うと「次は変化球行こう!」と言い出した。
俺はそれに対して、黙々と投球することにした。
2
俺と沖田は山内のペースにはまり、ついつい投げすぎてしまった。
あのおっさんはもう初老の域を超えているのに、捕球が金原や井伊に比べて、格段に良いのだ。
「左右の才能ある投手を持つ、この学校はいいところだな?」
山内がそう言うと、沖田は「いえ、そんな・・・・・・」と謙遜しながらはにかんで見せた。
「沖田君は話しによると、進学志望らしいけど、プロとかは考えてないのかい?」
山内がそう言うと沖田は「高卒でプロに行くにはずば抜けた才能が無いと、難しいですよ」と言った。
その後に「僕は御覧のようにあまり球も速くは無いですし、だから、大学や社会人に行ってきちんと熟成させてからでも遅くは無いと思うので」とだけ言った。
「なるほど」
沖田は山内に対して、「あっどうも」とはにかんで見せた。
「浦木君はどうなんだい?」
山内がそう言うと、俺は返答に困った。
「まだ、僕にはプロとか大学とかは分からないですね」
これは本音だった。
目的の為に、プロに早めに入る必要性はあるが、専門的な知識や学歴も当然必要だろう。
急ぐ必要があるかどうかは分からないが、出来れば、早めに叶えたい。
もっとも、それを公言することは高校では一度も無いと願いたいが、俺はそう思っていると「まぁ、まだ高校に入ったばかりだからね」と山内は言い出した。
気が付くと、グラウンドには夕暮れが立ち始めていた。
「もう、こんな時間か?」
山内はそう言うと同行していた、出版社の社員と共に「今日は面白かったよ、また機会があったら必ず来る」と言って、防具を片付け始めた。
俺と沖田は「ありがとうございました」と言って、礼をした。
山内は手を振りながら、そのまま去っていった。
「酔狂な爺さんでしたね?」
俺がそう言うと「六〇過ぎて、防具付けて、若者と投球練習する時点で、バイタリティギンギンだよな」と言い出した。
するとそこに井伊が加わり「オットセイのペ●スでも飲んでいるんじゃないですか?」と言い出した。
沖田は無言で井伊の尻を蹴った。
「ストレートに下ネタを言うんじゃない」
沖田はそう言うと、タオルを持って、部室の方へと引き上げていった。
「いや~、アインよ」
「何だ?」
井伊が満面の笑みでこちらにスマートフォンをかざし始めた。
「俺は下瀬アナとお近づきになったぞ」
下瀬ってあの新人アナウンサーか?
確か、今日プロデューサーと揉めていた奴?
整った顔立ちではあるが、派手さを感じさせない、小奇麗な感覚ではあるなと俺は感じていた。
「写真とサインをしてくれた以前に、俺たちと一緒に、スマホゲームの攻略法について語り合ったぞ」
俺は思わず、飲んでいたスポーツドリンクを気管に詰まらせた。
「お前・・・・・・マジか?」
「あぁ、最初は近寄りがたかったが、柴ちゃんがフラッシュブレイドをやり始めたら、下瀬アナが対戦を希望し始めてな?」
フラッシュブレイドとは今、巷でヒットしている、スマホカードゲームだ。
ちなみに俺はそれ以外の事は知らない。
「柴ちゃんや俺、木島もボコボコにされたよ」
「良かったな? アナウンサーと接点持つことが出来て?」
俺はこいつ等が遊んでいる間、初老のおっさんと延々と投球練習か?
いや、別にいいんだけどさ?
でも、何だろうこの不公平感は?
「いや~、LINEまで交換しちゃったよ」
そこまで、行くか?
酔狂なのはあの親父だけでは無かったようだ。
「アインは、あの爺さんと延々と投球練習か?」
「あぁ」
「勝ったな!」
井伊はそう言った後に「はっはっはっ!」と言って、ブルペンを去っていった。
俺は誰もいなくなったブルペンでふとあることに気が付いた。
「・・・・・・誰もボールを片付けていねぇじゃねぇか」
沖田はブルペンを出た切り、戻ってこない。
井伊は高笑いをして、そのまま去っていった。
三年の沖田は手伝わないにしても、俺は目の間に転がる大量のボールを見て、これから疲れた体で、重労働を行わなければならないという、理不尽な現実に対処しなければ行けなくなった。
「・・・・・・ファッ●!」
思わず、スラングを口にしてしまった。
3
それから、一日が過ぎると、俺は横浜スタジアムのマウンドへと立っていた。
今日は神奈川県予選の準決勝、金沢京浜高校戦だ。
相手は、プロを百人以上は送り込んでいる、強豪中の強豪だが、相手は俺の事を一年生だと思い、侮っていたので、何とか九回途中まで無失点に抑えていた。
スコアは早川高校が三対〇でリードを保っている。
木村が六回に盗塁を決め、二番セカンド、山崎がバントを決め、それを金原がセンター前に運んで一点目。
そしてその直後に、四番林原がツーランホームランを放って、俺が無失点でピッチングを続けている。
それらの流れがあって、今この状況があるのだ。
ちなみに成績について述べると、ここまで俺はフォアボールを五つ。
被安打三本に抑え、奪三振は一七個を数えた。
ここまで三十二人のバッターに対して、二五個のアウトを取ったので、残りのアウトはあと二つだ。
金沢京浜高校は次のバッターが打席に立つところで、代打を送りこんできた。
背番号一八か?
もっとも、相手の層の厚さを考えれば、油断は出来ないなと俺は無駄な思考を働かせていた。
すると、金原がタイムを取って、マウンドに駆け寄り、内野陣も一斉に集まった。
「熱いな?」
「えぇ、球数は一〇〇球を超えていますからね?」
「五〇〇球ルールがあるとはいえ、監督も無茶するよ。沖田を休養させて、お前を先発させるんだから?」
山崎がグラブで顔を覆いながら、そう答える。
「残りツーアウト気張れよ!」
金原がそう言って、俺の尻を叩く。
そして、内野陣がサムズアップをした後に、各ポジションへと散らばっていった。
俺はそれを確認した後に代打で出たバッターが右打席に立ち「しゃあ~来い!」と叫んだのを確認した。
売られた喧嘩は買おうじゃないか?
俺がそう思うと、キャッチャー金原のサインはストレートをインコース中段だった。
タイミングがいい。
俺はそれを確認した後に金原がインコースに構えたミット目掛けてボールを投げた。
「ストライク!」
球審がそう言うと同時に会場が大きくどよめいた。
そして、相手バッターも驚愕の表情を見せる。
俺はまさかと思い、後ろを振り向くと、バックスクリーンに一五〇キロの球速表示が出ていた。
さすがにこれは速すぎるだろう?
俺が思わず苦笑いすると、向こう側のホームに立つ、金原はホクホク顔の笑いをしていた。
会場が騒めく中、俺は金原のサインを確認した。
コースはアウトコース低めか?
俺はノーワインドアップから、トルネード気味の動作を見せて、ボールを金原のミット目掛けて、投げた。
すると、それはアウトコース低めにぴたりと収まった。
ノーコンの俺にしては珍しい。
すると再び会場がどよめいた。
相手バッターは俺の事を青ざめた表情で見つめていた。
まさかとは思うが・・・・・・
俺はバックスクリーンを眺めると、球速表示は再び一五〇キロを計測した。
スピードガンが壊れているんじゃないのか?
俺がそう思っていると、金原は今にも大笑いをしそうな表情で、こちらを見つめていた。
人が戸惑っているというのに?
俺はそう思いながら、金原のサインを確認する。
するとそれはここまで秘密にしてきた、新球種である縦のスライダーだった。
ここで使うのか?
俺が意思確認をする為にあえて、首を振ったが、
金原は何度も縦のスライダーのサインを出してくる。
もうここまで来たら、秘密も何もないという事か?
俺はサイン通りにアウトコースからボールゾーンに落ちる、縦のスライダーを投げ始めた。
すると、バッターは先ほどのストレートの球速表示で、混乱していたようで、思わずスイングをしてしまった。
バッターは振った後に、驚愕の表情でこちらを眺めていた。
かなりの落差だな?
俺がそう自分の新たな球種に対して、感想を抱いた。
そして次のバッターは早くも涙を流しながら、右バッターボックスへと立って行った。
この時点で俺達の勝利は確定しているのかもしれない。
若者というのはなんて心の脆いものだろうか。
もっとも、俺もその内の一人だが?
俺は金原がインコース高めのストレートを要求しているのを確認すると、ノーワインドアップからのトルネード投法で金原のミット目がけて、ボールを投げた。
すると、三度、会場のどよめきが広がっていった。
4
翌日、俺の周りは騒がしかった。
「浦木選手、今のお気持ちはどうですか?」
「参考記録ながら、一年生の最速記録を更新した気分はいかがでしょうか?」
記者に対して、営業スマイル全開で「うれしいです」と言った後に俺は部室へと逃げていった。
すると部員達は「大変だな?」とだけ言った。
「これですか?」
すると、井伊と柴原が無言でスポーツ新聞各紙を取り出した。
アーリースポーツと東京中部スポーツ以外は俺の事を一面で取り扱っていた。
ちなみにアーリースポーツはどんな事態が起きても関西ライガースを一面に報じるスポーツ紙で、東京中部スポーツも名古屋サラマンダースを常に一面にする一途なスポーツ紙だ。
「新星登場!」
「一年生最速、浦木アインだと! 許せん!」
井伊と柴原が二人そろって、鶴のポーズと仮面ライダーの変身ポーズを取っていた。
「今日はお前らと遊んでいる気分にはなれない」
俺がそう言うと井伊は「貴様! スターになったら、友達も切り捨てるタイプだな?」と言い放ち、柴原は「許さへんぞ、ショッカーの大首領め!」と言い出した。
「この若さで、ショッカーの大首領って門矢司かよ」
「おぅ、仮面ライダーディケイド!」
「お前は確かに世界の破壊者やな?」
外のグラウンドや学校校内が、多くのマスコミで混雑する中、俺達は部室を避難先として、やり過ごしていた。
「・・・・・・皆さん、何かすいません」
俺が頭を下げると、部員達は「よし、焼肉連れて行ってもらおう」や「この辺で高いやつにしましょう」などと言っていた。
俺はそれを聞くと、顔が上げられなくなってしまった。
「お前ら、止めてやれよ」
沖田が仲裁に入る。
「沖田さん、すいません」
「焼肉じゃなくて、鎌倉山のローストビーフを奢ってもらおうぜ」
沖田がそう言うと、部員達は拍手喝さいの後に某国のミサイル発射時のように「マンセー!」と叫んでいた。
焼肉よりも高いじゃねぇかよ?
俺はおふざけとは知っていても、怒りが込み上げてきた。
すると、その場を静観していた、金原のスマートフォンに着信が入った。
「あっ、監督からだ」
「えっ、通話?」
高校生はよほどのことが無い限りは電話での通話はしないのだ。
「外が外だから、よほどの緊急事態なんだろうな?」
金原がスマートフォンを取ると同時に沖田は「俺が完全試合を決めたときは山さんぐらいしか来なかったのにお前はスポーツ紙一面かよ」と言い出す。
沖田が肩を組んでくる。
「いや・・・・・・すいません」
「いいよなぁ、お前はスポーツ紙一面?」
井伊がそう言うと、俺は思わず井伊を睨み返した。
「うるせぇな、お前等は下瀬アナとお友達になれたからいいだろう?」
俺がそう言うと井伊は「アイン、人間とは欲にまみれた生き物なのだよ」と妙にキリッとした表情で言い切った。
「例え、下瀬アナとゲーム仲間になっても、ワシ等の最終目標は全世界の女子のハートを掴み、全世界の民衆、指導者達の心も掴んで、この世界を牛耳ることにある」
柴原が何かを悟ったかのような表情でそう語る。
俺は「お前ら、ショッカーよりタチ悪いな?」とだけ言った。
「下瀬アナとの友情を育みながら、俺たちは新たな野望を抱いた」
井伊がそう言うと、柴原がこう言い切った。
「我等、早川高校野球部による全世界完全征服を行う事を!」
すると部員達が拍手と「マンセー!」という掛け声でそれを称える。
「それは冗談にしておけよ」
俺がそう言うと、金原がスマートフォンを閉じる。
「皆、今日は練習取りやめ!」
すると部員達は「またかよ!」と言い出した。
「うちの部活がまともに練習していないと見られるじゃないか!」
部員達がそう言うと、金原は「お前等、世間の目が向いているのをいいことによ?」と険しい表情をしだした。
すると沖田が「これを気に、大衆の支持率を大幅に向上させる!」と言った。
すると後ろから井伊が「俺達にとっての目標はただ一つ!」と言い出した。
そして、柴原が先頭に立ち両手を挙げた。
「俺達の目標はただ一つ!」
「せかいせ~いふぅく!」
部員たちの野太い声が響いたと同時に再び「マンセー!」の掛け声が響く。
そのようなどこかの独裁国家の集会を思わせる、部室の様子を見て、俺は軽い悪夢を見ているように思えて仕方なかった。
5
部室から出られない。
マスコミの集団達は、学校中に散らばり、脱出しようにも、すぐに見つかって、カメラの集中砲火でハチの巣になるのがオチだ。
策尽きたり、四面楚歌とはこのことを差すのではないか?
沖田や金原、木村、林原たちは早々に帰ることが出来たが、俺はまだ部室から出ることが出来ない。
時刻は午後一七時を超えようとしていたが、未だにマスコミのカメラの餌食になるのを恐れて、俺は部室から動けずにいた。
「アイ~ン、麻雀するぞ!」
「おっ、ええな。暇やし」
井伊と柴原、木島が麻雀台を部室の中央にある季節外れのコタツに運び始めた。
「・・・・・・お前等、この状況でよくボードゲームできるな?」
俺がそう言うと、柴原は「ワシらには対岸の火事やからな?」とだけ言って、麻雀をジャラジャラと漁り始めた。
「まぁ、時間が過ぎれば、あいつらも帰るかもな?」
俺はそう言って、麻雀台が置かれた、コタツに俺は座った。
「熱くねぇか?」
コタツは何故か、真夏日のど真ん中だというのに敷布団を敷かれていた。
「まぁ、衣替えをウチの部活は無視しているからね?」
木島がそう言うと、井伊は「今更、夏使用にするのもメンドクサイからにゃ~」とアキバのメイドのにゃんにゃんポーズをしだした。
俺はそれに対して、タオルを投げつけた。
すると井伊は「おぅ、アインの生タオル!」と叫び始めた。
「今となっては、超お宝やな?」
皆が「さぁ、やろうか」と言って麻雀をしようとしたときに井伊のスマートフォンにLINEの着信音が聞こえる。
「何だ?」
「俺のスマートフォンに着信音が鳴るとは?」
「酔狂な奴がいるものだな?」
「俺に友達がいないみたいな言い方するな!」
井伊がそう言いながら、スマートフォンを眺めると、井伊は急に固まり始めた。
「どうした?」
「下瀬アナから、着信が来た!」
「何!」
柴原が「見せろ!」と言って、井伊からスマートフォンを奪う。
俺と木島は気にせずに、麻雀を動かそうとしていた。
だが、麻雀は四人でないと試合にはならない。
「でっ、その下瀬とやらは何て言っているんだ?」
俺がそう言うと、井伊は「お前と独占で話させてくれと言っている」と言った。
俺はそれを聞いた瞬間、「断る」と言い放った。
「何でや!」
「女子アナと話しできるんやで?」
この、クソ非リア充どもが!
俺はボストンバッグを片手に持ち、帰りの支度をした。
「待て! 今、行ったら、カメラの集中砲火に遭うぞ!」
井伊が俺の肩を掴む。
「俺はマスコミが嫌いなわけではないが、もっと嫌いな物がある」
「何や、それは?」
柴原がそう語り掛けると俺は「人の信頼や弱みに付け込む汚い奴らだ」とはっきり言った。
俺がそう言うと、井伊は「下瀬アナはそんな人じゃない」と言った。
「どうかな? 相手は一般的な高校生よりも、はるかに戦略的だからな」
「つまり、何が言いたいんや?」
柴原が珍しく怪訝な表情でこちらを眺める。
「個人的な信頼を得て、俺にあわよくば独占インタビューをとでも思っているんじゃないか?」
そう言うと、井伊は「それのどこが悪いんだ?」と言った。
「商業的すぎる、しかも右も左も分からない高校生を騙すやり方が気に食わない」
俺がそう言って、部室を出ようとすると、井伊と柴原が「今、行ったら、ダメだ!」と言い出した。
「じゃあ、このまま部室に泊まるか?」
俺がそう言うと、部室は少しの間沈黙したが、すぐに柴原が「いや、出来るやろ?」と言い出した。
「えっ?」
「いや、コタツもあるし、冷蔵庫にはお菓子とジュースが大量にある」
「よって、長期戦になっても問題なし」
そう言うと、井伊は「さっ、下瀬アナのところに行こう」と言った。
俺はそれを聞いた瞬間に「断る」と言って、部室を出ようとした。
すると、その時に俺のスマートフォンに通話の着信が入った。
林田監督からだ。
「はい?」
俺がそう言うと、林田は〈今から、車で迎えに行く〉とだけ言った。
「外はマスコミだらけですよ?」
〈部室には地下に通じる秘密の通路がある〉
俺はそれを聞いた瞬間に驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し、「どこに?」と聞いた。
〈部室のロッカーを左方向にずらせ、そこから地下通路が現れる〉
林田がそう言った後に、俺は「どこに通じているんですか?」と聞いた。
〈駐車場の近くにある、焼却炉があるだろう。あそこに通っている〉
林田がそう言うと、俺は「どうするつもりですか?」と言った。
〈俺が車を回すから、それに飛び乗れ〉
「駐車場にマスコミがいたらどうするんですか?」
俺がそう言うと、林田は〈もう手は打ってある、そこには来ない〉と言い切った。
「それは――」
〈とにかく、早くしろ、陽動の効果がすぐに切れる〉
そう言った後に、林田は電話を一方的に切った。
俺はその後に柴原が「何やったんや?」と言ったことも無視して、部員達の衣服が収められている、ロッカーを左方向にずらした。
するとロッカーはいとも簡単に動き、そこから大きな穴が開いていた。
「何だ? これは・・・・・・」
井伊と柴原が驚愕した表情でそれを眺めると、俺はボストンバックを持って、すぐに穴の中に飛び込んだ。
「おい、アイン?」
井伊が俺の左肩を掴む。
「何だ?」
「下瀬アナが待っているぞ!」
俺はその手を振りほどいた後に「お前がインタビューを受ければいいだろう?」とだけ言った。
「アイ~ン! 待ってくんろ!」
「浦木~! 何もそんなダンジョンに自ら足を踏み込まんでもええやろう!」
井伊と柴原は叫んでいたが、気にせずに、俺は暗闇の中を進んでいった。
6
俺は学校の駐車場に行くと、そこには見事というほどの閑散とした空気が流れていた。
するとそこに、オレンジ色のトヨタ・アクアが滑り込んできた。
「待たせたな?」
林田がそう言った後に俺はどうもと言って、助手席に乗り込む。
「よく、マスコミを撒けましたね?」
俺がそう言うと、林田は「俺の同期や後輩がスポーツ新聞の記者になっているから、陽動に協力してもらったんだよ」とだけ言った。
すると俺は「その見返りは?」と聞いた。
林田は「甲子園に出るか、二年、三年になるかしたら優先的に取材を受けさせるという条件」と言った。
俺は少しため息交じりに「どっち道、避けられないんですね?」と言った。
林田は「お前も修羅の道に入ったな?」とだけ言って、仏頂面を崩さなかった。
そしてトヨタ・アクアが学校の駐車場を出発しようとしていたところ、いきなり前に井伊と柴原に木島が現れ始めた。
「待てぃ、アイン!」
すると、林田が急ブレーキをかけた後に「危ねぇだろう、お前等!」と仏頂面の林田が珍しく、怒鳴り声を挙げていた。
「お前は下瀬アナのインタビューを受けなければならない!」
「そう、俺たちの友情の為に!」
井伊と柴原、木島は仮面ライダーよろしく、変身ポーズを決めて、林田のトヨタ・アクアの進路を邪魔していた。
「監督、轢いていいですよ」
「よし、轢こう、いいな、お前ら?」
そう言うと三人は「待てぃ!」や「そんなことしたら、ワシたちはミンチになってまうやろ!」と言い出していた。
「冗談だ。轢いたら俺が捕まる」
林田はそう言った後に、車を降りる。
「でっ、その下瀬とやらはどこにいる」
「今、アインの好きなものを取りに行くと言ったきり――」
すると、校門の外から「お待たせ~!」という軽やかな声が聞こえてきた。
化粧が少ない平均的な顔立ちだが、それは容姿が整っているという事と同義である。
そう言っても過言ではない、下瀬がスニーカー姿で走り始めていた。
「いや~、ごめん、ごめん、レンジでカリカリにしていたから」
下瀬がそう言うと、後ろではでっぷりと太った、プロデューサーの藤谷達郎が「ぜぇはぁ!」と息を切らしながら、こちらを見つめていた。
時刻は夕方なのに、何故かサングラスをしたままだった。
その後ろにはオタク風の容姿をした、若いスタッフも待機していた。
「さぁ、浦木君?」
下瀬アナはそう言うと、俺にプラスチックの箱を与えた。
中にはカニクリームコロッケが入っていた。
正直に言えば、俺の好物だ。
だが、何故、下瀬や明朝テレビの連中がこのことを知っていたのだ?
俺は井伊と柴原や木島を睨み付けたが、二人は「カニコロ~!」と言って、下瀬が出してきたカ二クリームコロッケを頬張り始めていた。
「カニコロ、ウメェ~」
「ウメェ~」
三人がそう狂喜乱舞している間、俺は下瀬に「あの三人から、俺の情報を?」とだけ言った。
すると下瀬は「そういうことにしておこうかな?」と言って、整った歯茎を見せた。
「さっ、食べなさい!」
そう言って、差し出されたカニコロを俺は頬張った。
うん、美味い。
だが、三人と一緒にはしゃぐことはしない。
俺がそうしていると、下瀬はカニコロを頬張り「カニコロウメェ~!」と叫び始めた。
プロデューサーもこれには閉口していた。
「お前んとこのアナウンサー、気さくで良い奴だな?」
林田がそう言うと、藤谷が「あいつはちょっとねじが緩んでいるんだよ」とだけ言った。
「類は友を呼ぶか?」
二人がそう言っているのを見た後に俺は「二人はお知り合いですか?」と聞いた。
すると藤谷が「高校時代にバッテリー組んでいたんだよ」と言い出した。
こいつ等、最初からグルだったのか?
俺は軽く人間不信に陥りそうになる精神状態を何とか平静を保ち「そうですか」と軽い相槌を打つしかなかった。
「まぁ、林田と違って、俺は就職の為に野球やっていたようなものだからな?」
「今じゃあ、テレビ局のプロデューサーだからな?」
林田はそう言いながら、下瀬とバカ三人が「カニコロ~うめぇ~」と狂喜乱舞しているのを苦笑い混じりで眺めていた。
「監督は最初からグルだったんですか?」
「まぁ、何人かの知り合いに頼んで、お前に対しての報道規制は敷いた」
林田がそう言った後に藤谷は「君はまだ一年生だから、徐々に騒がれる方が望ましいというのが、監督殿のお考えらしい」と言いながら、カ二コロを下瀬から奪う。
藤谷がカニコロを頬張る。
しかし、下瀬とバカ三人と違って「うん、美味いな」とだけ言って、残りをADに渡した。
「亜南大学のOB連中と大学日本代表の時のチームメイトに頼んで、こうした、紳士協定を結ぶとわな? お前、教師にしてはネットワークに秀でていないか?」
藤谷がそう言いながら、林田を小突くと「俺達が甲子園に出るか、こいつが徐々に年を取るかによって、徐々に露出を増やす」と林田が言った。
藤谷が「いわゆる修羅の道だな?」と言って、掠れた笑い声を出した。
「おい、下瀬・・・・・・帰るぞ」
「あっ、カニコロ~」
「ウメェ~」
プロデューサーにそう言われた後に下瀬は「暇になったら、フラッシュブレイドの攻略法について語ろう!」と言って、若いスタッフと同時にどこから用意したのかワゴン車に乗り始めた。
「今日は遅いから、帰るか?」
「まぁ、俺たちは良識あるテレビ局だから」
「抜かせ、デブ」
「黙れ、黒い教師」
二人がそうやり取りしているのを横目に俺はカニクリームコロッケを口にした。
確かに美味いな・・・・・・これはどこのだ?
俺がそれを確認しようと思うと、プロデューサーの藤谷は「浦木君」と言って、こちらに来るように手招きをした。
俺は疑心暗鬼の心情を隠さずに「何ですか?」と言って、近くに寄った。
「下瀬には、気をつけろよ?」
「はい?」
「あいつが君の好物を調べたのは君のスマートフォンにハッキングしたからだよ」
俺は口に残っていた、カニクリームコロッケを吐き出してしまった。
「えぇ?」
「しかも、腕が並みのクラッカーレベルでは無くて、某国際ハッキンググループに所属しているぐらいの腕前だったんだよ」
「マスコミはついにハッキングまでしますか?」
俺は憤りを表情に表して言うと「学生時代に有名ゲーム機のネットワークにDDOS攻撃を仕掛けて、逮捕されかけたけど、あいつの父親の手回しで、不起訴処分、筋金入りの悪だよ」と言って、藤谷はほくそ笑む。
俺は憤り、怒り、憤慨、さまざまな感情を抱きながら、藤谷に対して「何が言いたいんです?」とだけ言った。
「俺たちは常に君を見張っているよ」
そう言って、藤谷は不敵な笑みを浮かべていた。
すると藤谷は「東京に戻るぞ」と言って、ワゴン車に乗り込んだ。
「じゃあな、黒い教師」
「報道規制の件は頼むぞ、豚」
そう林田と藤谷がやり取りした後にワゴン車はクラクションを鳴らした後に学校の駐車場から出て行った。
「要するに俺はパソコンやスマートフォンまで、明朝テレビに蹂躙されるように個人情報を閲覧されると言ったところですか?」
そう言うと、林田は「なっ、言ったろ修羅の道に入ったって?」と明るい口調で言い放った。
林田はそういった後に、トヨタ・アクアの運転席に収まった。
「家まで送るよ」
「リョっす」
助手席に乗ると同時に車の目の前で「カニコロウメェ~」と叫んでいる、バカ三人に林田がクラクションを鳴らす。
「お前等、轢くぞ」
そう言ったと同時に、三人は「うわぁ~!」や「カニコロごとミンチになるのは御免や~」などと言って、校内へと去っていった。
「・・・・・・マスコミに俺が大々的に出るのは回避できませんか?」
俺がそう言うと、林田は「ダメ、言っただろう、修羅の道だって?」とだけ言った。
林田がそう言うと、俺は「もう、好きにしてください」と言って、車の車内から外を見ることにした。
「これを別の呼び名にするとスターダムと言う」
林田がそう言ったが、俺は反応することなく外を見続けていた。
夏の夕方は夕日に照らされていた。
そう思っている中で、車内ではラジオが流れ、今年のヒットソングが流れていた。
林田はそれを気にすることなく、仏頂面で運転し、俺は窓から外を眺め、会話もない状況が続くこととなった。
7
二日後の午後九時。
今日の関東地方の気温は三十七度という、思わず閉口しそうな天候を伝えられており、今日は起きたときから精神的に気が重くなっていた。
今日行われる、神奈川県予選決勝戦は午後二時に行われる為、今までの試合に比べて、学校への集合は遅めとなっていた。
「いよいよAV男優と川村先輩を巡って対決だな、アイン!」
「この試合は絶対に負けられへん!」
井伊と柴原の二人がそう言うと、俺は「川村先輩達、陸上部は沖縄に旅立ったよ」とだけ言った。
「何!」
「南の島へバカンスかいな!」
「違ぇよ、インターハイの本選に出るからだろう」
俺がそう言うと、二人は「今日は川村先輩来ないのか~」や「御前試合で男優を仕留めたかったわ~」など言っていた。
俺は二人を無視して、スマートフォンをいじっていると、瀬口から、インスタグラムの着信が届いているのに気が付いた。
「何や?」
「おっ、真たんからのお写真や」
俺のスマートフォンをのぞき込みながら、二人が鼻息を荒くする。
まるで、初めてエロ本を買った、中学生のような鼻息の荒さだ。
その二人を無視して、スマートフォンを操作すると、沖縄の青い海が大きく映った、写真が送られてきた。
そこには文章も添えられており『南の島で決戦!』と書かれており、川村から送られてきた写真には本人の黒ビキニ姿と同時に『決戦、沖縄の巻!』などと書かれていた。
「うぉぉ!」
「川村先輩の水着や!」
二人がそう叫んだ後に俺はすぐに「今はあの人、北岡に夢中だろう?」とだけ言った。
それを聞いていないのか二人は「アイン、俺のスマホに俺の写真を送ってくれ!」や「ワシにも頼むわ~」と言い出した。
俺は「お前ら、この写真で絶対変なことするだろう?」と言った。
すると二人は「川村先輩はCカップなんやな?」や「いや、Dはあるんじゃないか」などと俺のスマートフォンを凝視していた。
こいつ等、絶対に変なことをするな?
「お前等は絶対に変なことするから渡さねぇ」
俺がそう言うと、二人は「ふざけんなぁ!」と怒号を飛ばした。
「憧れの川村先輩の水着姿を一人で独占する気か!」
「お前等には下瀬アナがいるだろう?」
俺がそう言うと井伊は「黙りたまえ!」と言い放ち、柴原は「俺達の目的は全世界の女子限定の世界征服や!」と言い始めた。
「よって、川村先輩の黒ビキニもぜひ欲しい!」
「さぁ、アイン、渡すのだ、そのお宝写真を!」
俺が「嫌だ」と言うと、二人は「なら実力行使するしかない」と中国拳法のポーズを見せ始めた。
俺はため息を吐きながら「懲りないな?」と言って、ファイティングポーズを取った。
無言の後、井伊が右ストレートを放ってきたが、俺はそれを裏拳で跳ね返した。
「アチョー!」
柴原が右ミドルキックを繰り出すが、俺はそれを受け止め、レスリングよろしく片足タックルを決め、柴原をテイクダウンした。
「何!」
「しかし、俺がいる!」
井伊が俺の背後から、襲い掛かろうとした時にキャプテンの金原が思いっきり井伊の頭を叩く。
「あっ、痛てぇ!」
助かったな?
俺は金原に「キャプテン、ありがとうございます」と言ったら、そう言った後に俺も頭を叩かれた。
ついでに柴原も叩かれた。
「お前等、くだらないことでバトルするな!」
金原は鬼の形相で俺達を睨み付ける。
「・・・・・・」
井伊と柴原は無言で抗議の意思を示す。
すると金原が鬼の形相で「返事は?」と言い放った。
俺と二人はそれに本格的な恐怖を感じ「ハイ!」と言った後に直立不動の姿勢を取った。
その光景を知っていたか知らなかったのかは定かではないが、監督の林田が「よし、今すぐ戸塚駅へ向かうぞ」と静かに言った。
すると二年生の木村が「林田ちゃん、今日は京浜東北線に乗らないの?」と聞いてきた。
すると、林田は「教頭から怒られたんだよ」とだけ言い放った。
「あのハゲな?」
木村がそう言うと、林田は「それが無ければ、大船駅からゆったりと京浜東北線に乗って、モーター音を聞けるんだけどな?」不快感を露わにした。
だったら、借りたバスに乗ればいいだろうと思ったが、トラックマンをグラウンドに配備するだけで莫大な額のお金がかかるので、バスのレンタル代はケチったのだろうなと思った。
そして、林田が大きく息を吸い込んだ後に「さっ、行くぞ」とだけ言った。
部員達は「ウェイス!」と言った後にボストンバックを担ぎ、学校前のバス停へと向かって行った。
8
JR東海道線に乗る為に戸塚駅に着いたが、駅は何故か多くの人達でごった返していた。
「浦木ク~ン!」
「こっち向いて~!」
同年代から主婦層を中心とした、女性たちが俺を見ながら黄色い歓声を挙げる。
「俺は不快だ、アイン」
井伊がそう言うと、俺は「珍しいな、目立ちたがりのお前が?」と言った。
「あの歓声は全部、お前に向いている!」
井伊はそう大声で叫んだ。
すると、その光景を女性ファンがカメラに収めていた。
「ワシらもあんな黄色い声援を浴びたいんや!」
柴原がそう言った後に、ハンカチを取り出して、泣き真似を始める。
無論、ギャグである。
面白くは無いが?
すると、金原も「気に入らないな、こう勝手に写真を撮られるのは?」と言い始めた。
「まぁ、浦木ファンだけじゃあないらしいよ」
沖田があくびをしながら話し始めた。
「何?」
金原がそう言うと、沖田は「木村とか林原やキャプテンである、お前にも人気が集まっているらしいよ」とだけ言った。
金原はそれを聞くと急にホクホク顔の笑顔になり「そういうお前は?」と沖田に聞いてきた。
すると、沖田は「完全試合を決めた影響で、俺も人気高いの」とVサインを決めてきた。
金原はそれに対して「ちっ!」と舌打ちで返した。
すると、セカンドを守る、山崎が「俺は?」と聞いてきた。
それに便乗してサブキャッチャーの倉井も「同じく」と聞いてきたが、沖田は「今日は暑いな~」と話を変え始めた。
すると、木村は「今日は日中で三七度になるそうですね?」と話に乗り始めた。
「おい・・・・・・」
「俺達はどう言われているかを聞いているんだ、沖田」
すると、監督が「電車来たぞ」と言い出した。
すると、ファンたちが一斉に「浦木ク~ン」と手を振り始めた。
俺はそれに手を振って返すと、女性ファンたちは「キャ~!」と狂喜乱舞し始めた。
すると、山崎と倉井は「俺たちは人気無いのか!」と叫び始めていた。
「なぁ、教えてくれ、俺たちは本当に騒がれていないのか!」
山崎と倉井がそう金原に問い詰めると、金原は「よし、電車に乗ろう」と言い始めた。
「おい!」
二人はそう言った後に戸塚駅にいる車掌さんが「危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください」と軽いパニック状態の戸塚駅を制止し始めていた。
「金原、沖田!」
「俺達の評価はどうなんだ!」
「危ないですから、下がってください!」
「きゃ~! 浦木ク~ン!」
軽い暴動状態だな?
俺は戸塚駅の混乱を感じながら、電車へと乗り込んでいった。
「浦木ク~ン!」
ファンがそう言うと俺は手を振り返したが、井伊がそれを見て「許せん!」と言い始めた。
「止めろ、お前まで介入したら状況がますます混乱する」
俺がそう言った後に電車のドアが閉まった。
すると、車内でもファンがスマートフォンを片手に俺の写真を撮り始める。
「なぁ、沖田、俺たちは人気ないのか!」
「許せんなぁ~、アイン」
「まったくや」
ファンだけでなく、野球部にも混乱が見られる中で俺は仕方なくスマートフォンで音楽を聴いてこの場をしのぐことにした。
横浜駅へと向かう車中の中で短い時間だが、俺は音楽を聴きながら、軽く睡眠を取ることにした。
不思議と闇が目の前に広がってくる感覚がした。
9
戸塚駅から横浜駅に向かい、その後に京浜東北線に乗り換えて、JR関内駅へと向かったが、その道中は軽いパニックの状態になっていた。
黄色い歓声を上げるファン達や「俺たちはどう言われているんだ!」と山崎や倉井などが、沖田や金原に食ってかかり、井伊や柴原が俺に対して「許せんな! お前ばかり、キャーキャー言われて!」などと同時に俺に対する外圧と功名心に駆られた、一部の上級生の欲がうねり、さらにはその二つに対して、火に油を注ぎ込むような、ファン達の黄色い声援やスマートフォンによる写真撮影などで俺は横浜スタジアムに入った時にはすでにグロッキー状態になっていた。
「監督、バスとか手配できなかったんですか?」
俺がそう言うと、林田は「そんな金は無い」とだけ言った。
「だが、教頭もメディアに対する対策を怠っていたな?」
林田は天敵ともいえる教頭の批判をさりげなく言い放った後で、俺たちに「よし、オーダー言うぞ!」と声を張り上げた。
「オ~、来た!」
「待ってました!」
部員達は決勝戦を前に興奮を隠しきれないようだった。
「一番センター、木村」
「はい!」
「二番セカンド、山崎」
「はい」
「三番キャッチャー、金原」
「はい」
「四番サード、林原」
「はい!」
「五番ファースト、井伊」
「見ていろ、AV男優を倒し、川村先輩を――」
「六番ライト、木島」
「監督、俺の決め台詞の途中です!」
井伊がそう抗議すると、目の前に金原が鬼の形相に腕組、仁王立ちという威圧三段構えの布陣で井伊の目の前に立った。
井伊は小さな声で「すみません・・・・・・」とだけ言った。
林田が「いいかな?」と言った後に木島が「はい」と答えた。
「七番ショート、柴原」
「おぅ、ワシの出番が来た!」
柴原がそう飛び跳ねると、井伊の前に立っていた金原が蟹股で、柴原の前にやって来る。
「分かっているな?」
「はい、自重します」
柴原は俯きながら、そうぽつりと言い放った。
「八番レフト、原田」
「はい!」
「九番ピッチャー、沖田」
「はい」
林田は今日のスタメンを発表した後に「以上だ。甲子園まであと一つだからみんな、気を引き締めていこう」と言った。
すると部員たちは「ウェイ!」と掛け声を挙げた。
「アイン、俺は予告しよう」
井伊は怒られたのを気にしていないのか、俺に駆け寄ってきた。
「何を?」
俺は面倒臭そうに答えたが、井伊は「あのAV男優からホームランを打つ!」と言い出した。
まぁ、打ってくれればチームとしても助かるけど、あの重みのある剛球をスタンドまで運べるかね?
俺は井伊の妙な自信にあふれた表情を見て「川村先輩は諦めろ」と言った。
「何?」
「あんまりしつこくすると、逆に嫌われるぞ」
「・・・・・・あの気さくな川村先輩にかぎってそれは無いだろう」
「お前ね、女子に幻想を抱きすぎなんだよ」
そう言われた井伊は「ぐぬぅ~」と唸り始めた。
「そう言うお前は、女に達観しているのか?」
「いや、そうは言っていないが、女は自身が承認した相手でないと心を許さないと思っている」
「・・・・・・つまり?」
「無理やり、近づこうとすれば女はその男を敵として認識する」
俺がそう言った後に井伊は「偉そうなこと言うが、お前は女の子と付き合ったことあるのか?」と聞かれた。
「無いけど、自分の事を承認してくれる相手でなければ、別に俺にとっては必要な存在ではない」
それを聞いた井伊は「お前、今流行りの草食系男子か?」と言い出した。
「いや、食虫植物だな」
「タチが悪いな!」
井伊とそう言った後に、俺は何故か自然と笑みがこぼれていた。
「大人しそうだと、油断させた相手を捕食するか? それって、ロールキャベツ男子じゃないか?」
「肉食の要素よりは、裏で毒盛る感じにしたいんだよな」
俺がそう発言した後に井伊は「お前は毒物好きだからな?」と言った。
「悪趣味なのは知っているよ」
「いや~、卑劣極まりない!」
「そう言う、お前は自称肉食系だろう?」
俺がそう言うと井伊は「はっはっはっ!」と大声で笑い出した。
「違う!」
「じゃあ、何だよ」
「雑食系だ」
「お前の方がタチ悪りいよ!」
その光景を見ていた、部員達からは「お前等、決勝戦前なのに緊迫感ねぇな?」と言われ、キャプテンである、金原に至っては先ほどの鬼の形相から一転、腹を抱えて笑い出していた。
「生まれてから、灰になるまでが俺の守備範囲!」
井伊がそう言った後に、俺は「やめろ、社会問題になるぞ」とだけ言った。
「まぁ、とにかくあのAV男優からホームランを打って、俺は全世界の女性限定で世界征服を開始する」
井伊が人差し指を突き上げてそう言った後に、俺は「お前、まず煩悩を捨てないと誰も振り向かないと思うぞ」とだけ言った。
すると井伊は「リア充に対するマイナスの気迫でホームランを打つ!」
そう言った井伊は途端に俺に指差し「分からんだろう、ナチュラルにモテるお前には!」と言ってきた。
「・・・・・・俺は好きでこんな状況を招いたわけじゃない」
そう言って、俺は井伊から顔を背けた。
「おい」
キャプテンの金原がそこに割って入る。
「浦木に人気があって、悔しいのかもしれねぇが、とにかく活躍すればいいだけの話しだろう」
「キャプテン、俺がホームランを打っても男子ファンしか来ませんよ」
井伊がそう言うとしばしの沈黙が横浜スタジアムを囲む、山下公園に流れたが、金原は「評価してくれるファンがいるだけでいいことじゃないか?」とだけ言った。
「嫌だい、嫌だい! 女の子にキャー、キャー、言われたいんだもん!」
井伊がそう言って、地面に伏せ、駄々をこね始めると、金原は井伊の腹を思いっきり踏んづけた。
「グェ!」
井伊は声にもならない声を挙げていた。
「キャプテン、さすがにそれは内臓が潰れます」
「お前な、中には誰からも存在を認識されず、誰からも評価されずに一生を終えていく人間もいるんだよ。たとえ、それが誰であろうが、大事なシンパだろう?」
金原がそう言うと、井伊は「うぅぅ~」とただ唸っていた。
無理もない、足で腹を踏まれ、もろ内臓にダメージが広がっているのだから。
「まず、北岡からホームランを打って、ファンを魅了してみろ。浦木を妬むより、その方が行動的でかっこいいじゃないか?」
金原はそう言うと、部員たちに「よし、ぼちぼち中入るか!」と言った。
しかし、部員たちは先ほどの井伊とのやり取りを見ているので、直立不動の姿勢を崩さない。
「返事は?」
「はい!」
浮足立っているチームが見事に引き締まった瞬間だった。
「行くぞ!」
金原がそう言った後に、部員達は一斉に横浜スタジアムへと向かっていった。
しかし、腹を踏んづけられた井伊はまだ起き上がれないでいる。
「大丈夫か?」
「ごめ~ん、アイン、おぶって」
井伊は倒れている間、「うぉ~」と唸り続けていた。
「分かった。今日だけだぞ」
「頼む~」
俺は井伊をおぶりながら、横浜スタジアムへと向かっていた。
気が付くと今日は場内には多くの人々がごった返しており、マスコミ各社もテレビカメラなどを持参して、横浜スタジアムに集結していた。
さっきのキャプテンの暴挙が取られていなければいいんだけどな?
不安を感じながらも徐々に気温が熱くなっていたことを感じ始めた午前だった。
観客が多く、注目を集めている試合なのだと認識した後に俺は時計を確かめた。
時刻は十時半、あと三時間半で俺たちの運命が動き出す。
俺は井伊をおぶりながら、トイレに行きたくなってきた。
緊張感が高まった来たからだ。
部員達の後を追いかけながら、球場のトイレの位置を確かめることを忘れなかった。
「井伊、ホームラン打てよ」
俺がそう言うと背中にいる井伊は「内臓が痛い・・・・・・」と静かに呟いていた。
10
横浜スタジアムの中に入ると、高い湿度と気温の高さに驚いた。
「熱い!」
俺におぶられている、井伊がそう言うと、俺は「そりゃ、夏だからな?」とだけ言った。
「というか、お前はいつまで俺におぶられているつもりだ」
「出来れば、試合直前までには内臓回復させたいな~」
「お前、バッティング練習できなくなるぞ」
俺が大粒の汗をかきながら、そう言うと井伊は「文句があるなら、キャプテンに言うんだな」と小さな声で言った。
確かに腹を足で踏んづけたのはやりすぎだろうな?
キャプテンの暴挙がネットに拡散していないことをただ祈るしかないのだが?
「お前ら、夏バテか?」
そう声を掛けられて振り向くと王明実業のエースである、北岡がこちらを眺めながら、ニヤニヤと近づいてきた。
しかも一八十センチ後半はあるとされる、長身から見下ろされるのがなんとも腹が立つ。
俺は一年生時点で一七六センチあるのだが、それすらも見下ろす、にやけ面と余裕しゃくしゃくの感覚にこいつ殺してやろうかという、軽い殺意を抱きながらも、俺は北岡に「どうも」と軽い会釈を返した。
「そいつ、五番ファーストだろう」
「まぁ、そうですね?」
「主力バッターが、夏バテじゃあ話にならねぇ」
北岡がそう言った瞬間、俺の背中にいた井伊が「何~!」と言った後にいきなり動き出した。
「あっ、復活した」
「北岡・・・・・・お前には川村先輩は渡さん!」
井伊がそう言って、指差すと、北岡は「あぁ、光な。お前は知らんだろうが俺のスマートフォンには――」
「黒ビキニの写真が届きましたか?」
俺がそう言うと、北岡は一瞬沈黙しだした。
「お前にも届いていたか」
「まぁ、軽いビッ●ですね」
俺がそう言うと、北岡は「そういうスラングを口にするなよ」と苦笑いを浮かべていた。
「ぬぬぬ、許せん!」
井伊がそう言うと、北岡は「何が? 黒ビキニの写真はそこにいる、浦木のスマホにも入っている」と涼しげな表情を浮かべていた。
「だが、俺にはその写真が無い!」
そう言うと井伊は北岡を指さして「もし俺がお前からホームランを打ったら、川村先輩の黒ビキニの写真データをこちらに流してもらおう!」と言い出した。
それを聞いた北岡は「ヒュー」と口笛を吹いて「いいよ、ただし試合に勝ってもお前が俺からホームラン打てなかったら、俺のことをしばらく、北岡様と呼んでもらう」と言い出した。
すると、井伊は「いいだろう。しかし俺がお前からホームランを打てば、お前のことを俺はしばらく、AV男優と呼ばせてもらう!」と言い放った。
小学生の喧嘩じゃねぇかよ。
舌戦とは言えないほどの低レベルな罵り合いだ。
北岡もしょせんはこの程度か?
しかし、北岡はそれを聞いて「お前、面白いな?」と余裕の笑みを浮かべていた。
「いいさ、お前みたいな勢いだけの奴には俺の球は打てないさ」
そう言った、北岡は井伊に対して「まぁ、試合の勝ち負けは関係ない。個人成績の問題だ。楽しみにしてるさ?」と言って、高笑いをグラウンドに響かせた後にベンチへと引き上げていった。
「うぉぉ、絶対に打つぞ!」
「井伊、お前個人成績に走るなよ」
「何故だ!」
俺は井伊に対して、今思った疑念を伝えることにした。
「恐らく、あの人はクリーンアップを打つお前に川村先輩を使って、チームバッティングを出来ないようにしているらしい」
「・・・・・・となると」
「ここは面子を捨てて、チームの勝利を優先するべきだ」
俺がそう言った後に井伊はしばしの沈黙を保ち、
「成程・・・・・・いいだろう」
「分かればいい」
「チームの勝利と同時にホームランを打つ!」
こいつ分かってねぇじゃねぇか!
俺は思わず、井伊の頭を叩いた後に「バカか、お前は相手の術中に見事にはまっているじゃねぇか!」と俺としては珍しく声を荒げていた。
「俺とあいつが川村先輩の写真をかけて戦うんだ。男と男の対決にケチ付けるるんじゃない!」
井伊はそう言ったが、俺はスマートフォンを取り出すと「お前に渡すよ」と言って、井伊に川村の写真のデータを転送した。
「なっ・・・・・・いいのか? アイン」
「その代わり、状況に応じて、チームバッティングしろよ」
井伊は「やっほぃ!」と言いながら、跳ね回る。
「それと、北岡にはこのこと、黙っておけよ」
「それは何故かな?」
「あいつは恐らく、お前が全打席ホームラン狙いで来ると思うから、その思い込みのずれを狙う」
俺がそう言うと井伊は「お前、策士だな~」と言って、ただ頷いてた。
「これは俺との約束だ、頼むぞ」
俺が手を差し出すと「ヒーローは約束を守るものさ」と言って、井伊は握手に応じた。
時刻は十二時過ぎ、あと二時間で決勝戦が始まる。
11
それから二時間が立ち、高校野球としては遅めの時刻で決勝戦が開かれる事となった。
「両者整列!」
球審がそう言うと同時に早川高校の選手と王明実業の選手達がグラウンドに並ぶ。
「井伊だっけ、お前」
王明実業の背番号一である北岡がニヤニヤしながら井伊に対して「お前、約束覚えているよな?」と言っていた。
「何と言っても、俺はお前からホームランを打つ!」
井伊がそう言うと、北岡は「試合に勝っても俺からホームラン打てなかったら、様付けで呼んでもらえるからな」
井伊が「うぐ~」と言い出すと、俺はこっそりと「川村先輩の水着は確保したから我慢しろ」と言った。
「良いだろう、ただし俺が勝ったら――」
「AV男優だろうが、何だろうが言っていいよ」
北岡はそう余裕しゃくしゃくの表情で言った。
「まっ、打てればね?」
北岡がそう言った後に球審が「君達、私語は慎みなさい」と静かに言い放った。
それからしばらくした後に球審が「礼!」と言って、両チームの選手達が礼をした。
早川高校は各自が守備位置に付き、王明実業は三塁側ベンチへと引き上げていった。
俺は今回も横浜スタジアムの外野席内部にある、ブルペンで倉井と待機していたが、建長学園戦のように、一回から準備をすることはしないようにしていた。
無駄な体力は使いたくなったからだ。
「今日は中盤から準備するか?」
倉井がそう言うと、俺は「まぁ、倉井さんのタイミングに任せます」とだけ言った。
早川高校の先発は背番号一の沖田だ。
そして、キャプテンの金原が「締まって行こう!」と言った後に沖田にボールを返球した。
王明実業の一番バッターである、右バッターが打席に入ると同時に試合開始を告げるサイレンが鳴り、戦いが始まった。
沖田が投げた初球は右バッター内側に入るスローカーブだ。
王明実業の右バッターはそれを見送り、球審が「ストライク!」と右手を挙げる。
「沖田がどれだけ長く投げてくれるかだな?」
倉井がスポーツドリンクを飲みながら、そう答える。
今日の気温は何度も言うが、三七度と異常な暑さだ。
まだ、俺達は何も動いていないが、この暑さだけで汗だくだ。
そりゃ、スポーツドリンクも飲みたくなるわな?
俺はそう思いながら、グラウンドで投げる沖田を眺めていた。
二球目はアウトコースに沈む、スクリューだ。
相手の一番バッターはそれを見送るが、ぎりぎりいっぱい決まってストライクの判定だった。
「お前とは違って、精密なコントロールだな?」
倉井がそう言うと俺は「異論はありません」とだけ言って、受け流した。
続く三球目は、インコースのツーシームだ。
相手の一番バッターはそれに手を出し、サードフライとなった。
相手は足をグランウンドの土に向かって、蹴りだした。
相変わらず、マナーが悪いチームだ。
「ワンアウト!」
金原がそう言った後に二番バッターが続いて打席に入る。
「相手は右バッターが多いですね」
「まさか、対沖田用に右バッター揃えたわけじゃないよな?」
倉井と二人で、選手の背番号を眺めると、二桁以上の選手もいた。
スコアボードも見てみても準決勝とは大きくオーダーが異なっていた。
「あいつら、層厚いな?」
「うちは投手陣が薄いですからね?」
倉井とそう会話していると二番バッターは初球をセーフティーバントして、一塁へ猛然とダッシュした。
沖田はそれを上手く処理して、一塁へと投げた。
結果はピッチャーゴロだ。
「ツーアウト!」
金原がそう言うと、三番に座っている北岡が沖田をにやけ面で眺めながら、右バッターボックスに立った。
「あいつは余裕だな?」
倉井が憎々しげにそう言い放った。
「まぁ、偉そうではありますね?」
俺が本心からそう言うと、倉井は「まったくだ」と言って、スポーツドリンクを飲み干した。
すると、甲高い金属音が聞こえた。
打球は左中間に抜け、北岡は二塁を陥れた。
「バッティング良いですね」
倉井にそう言うと「高校通算で三十本以上は打っているそうだ」と言う答えが返ってきた。
そのようなやり取りを行いながら、試合を眺めていると、四番のでっぷりとしたバッターが右バッターボックスに立った。
「うんざりするほど、右バッターだらけだな?」
倉井はそう言った後に炭酸のスポーツドリンクを飲み始めた。
「炭酸は骨に悪いですよ」
俺がそう言うと「お前は牛乳派だもんな」と倉井は牛乳を渡してきた。
「今は飲めませんよ」
「じゃあ、これは腐るな?」
倉井は俺が座るベンチに牛乳を置いた。
この暑さでは痛むのが早いか?
「分かりましたよ」
俺が牛乳を飲み干そうとしたその時にまた甲高い金属音が聞こえた。
再び打球は左中間へと飛んで行ったが、これをセンター木村がダイビングキャッチをして、見事捕球に成功した。
すると満員の横浜スタジアムは「おぉぉぉ!」という歓声に包まれた。
木村はそれに対して、手を振って答えながら、一塁側ベンチへと引き上げていったが、キャプテンである金原がそれを軽く叩いて、自重を促した。
三塁側に引き上げている、相手の四番バッターは木村を睨み据えながら、足を地面に蹴り上げていた。
「まるで格闘技の試合みたいに殺伐としていますね?」
俺がそう言うと倉井は「まぁ、練習試合で因縁があるからな」と言った。
「まだ準備は良いですかね?」
「焦るな、沖田を信じろ」
倉井がそう言った後に早川高校の選手達がベンチへと引き上げていった。
次はうちの攻撃か?
俺は北岡相手にラン&ガン打線が機能できるかどうかを注視する。
〈一階の裏、早川高校の攻撃は、一番センター木村君、背番号八〉
ウグイス嬢がそうコールすると早川高校吹奏楽部がスターフォックスのテーマを演奏する。
相手ピッチャーの北岡が球審の「プレイ!」という掛け声と同時にワインドアップからのトルネード投法を見せた。
初球はフォークだった。
恐ろしい落差を見せた後に木村はそれを見送った。
「ストライク!」
あれが決まったらまず打てないな?
スターフォックスのテーマが流れる中、北岡が二球目を投げた。
ストレートだったが木村はそれを一塁側スタンドへ延びる、ファールを放った。
「当たりますね」
「まぁ、その分球質は重いけどな」
倉井に勧められた瓶の牛乳を飲んだが、それは一般的にスーパーで売っているものと同じ味だった。
パックじゃないことで少しは牧場感覚の味を期待したが、二一世紀生まれの高校球児の期待は外れる格好となった。
年寄り連中がこの牛乳に関する、俺の思ったことを聞いたら、激怒するだろうな?
市販の味と変わらない、牛乳を飲み干した後に倉井が「二本目行くか?」と牛乳瓶を取り出した。
「試合中に飲んだら、おなか壊しますよ」
そう言った後に、俺は牛乳瓶を受け取った。
二本目の蓋を開けようとすると、木村はショートゴロになっていた。
しかし、木村は快足を見せ、一塁ぎりぎりまで迫っていた。
これには場内から再びどよめきが聞こえた。
〈二番セカンド山崎君、背番号四〉
山崎が右打席に立つと北岡は初球にスプリットを投げた。
山崎はこれを見送ったが、判定はストライク。
山崎は梅干を食べたかのような表情をした後に一塁側を見つめる。
どうやらサインを確認しているようだ。
二球目。
北岡はインコースにストレートを投げた。
スピードは一四九キロとかなり早かった。
「速い」
「お前も同じぐらいの速さだろう」
俺達がそうやり取りをしていると北岡は山崎に対して、インコースのツーシームを投げた。
山崎はそれを打ち、セカンドゴロとなった。
「山崎、打ち気になりすぎだよ」
倉井が「あぁぁ~」と唸りながら、そう言った。
〈三番キャッチャー、金原君、背番号二〉
金原が右バッターボックスに立つと早川高校の吹奏楽部はメタルギアソリッドの戦闘テーマを流し始めた。
その音楽が流れる中で、相手ピッチャーの北岡はストレートをインコースに投げた。
金原は大きくをそれを空振りした。
スピードは何と一五〇キロを計測した。
「キャプテン、威厳を保ってくれよ」
倉井がそう言うと、北岡は二球目もストレートを投げてきた。
金原はそれを空振りした。
北岡はキャプテンに対しては力でねじ伏せるつもりなのだろうか?
俺がそう考えていると、北岡は三球目もインコースのストレートを投げた。
結果、金原は空振り、一回の表の早川高校の攻撃は三者凡退と言う結果になった。
「また、投手戦かよ」
倉井はそう言った後に、ベンチに座る。
「沖田さんが踏ん張れるかどうかですね?」
「・・・・・・信じるって言ったからな?」
俺達がそう会話していると、金原は顔を下に俯けて、ベンチへと引き上げていった。
その後にベンチへと戻ると、井伊に防具の装着を手伝ってもらっていた。
「投手戦になったら、神経使いますね」
「くそ熱いしな?」
俺と倉井がそう言った後に王明実業吹奏楽部は五番バッターに対して、残酷な天使のテーゼのテーマを流した。
今の高校野球の応援歌では定番だが、ゲームの曲ばかりを演奏するうちの吹奏楽部の応援歌に耳が慣れている、俺からすれば新鮮に聞こえた。
「沖田だ。沖田さえ、よければ勝てる」
倉井が呪文を唱えるかのようにそう言っていた。
時刻は二時二十分、過酷とも言える、夏の日差しが横浜スタジアムを包んでいた。
続く。
次回、最終回。
アイン、夏空の果てに
次回で完結なので、もうひと辛抱よろしくお願い致します。