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第三話 開幕と事件

 第三話の投稿です。


 気に入ったら、次も是非。


 

 試合は一三対一〇で早川高校が勝った。


 一・二年生主体のチームで県ベスト八のチームに勝ったことは素晴らしいが、投手力を中心としてチームの層の薄さを露呈した試合でもあった。


「アイン~! 俺の活躍を見たか!」


「これで、川村先輩のハートもゲットや!」


 俺は独特の体臭を放ち始めた、井伊と柴原の二人を無視して、金原に話しかけた。


「面白い物って何です?」


「校内で今、活動しているよ」


 金原がそう言うと、井伊と柴原の後ろに隠れていた、木島竜介が口を開いた。


「もしかして、スポーツ統計部ですか?」


「そうだ、そこに今から行く」


 スポーツ統計部・・・・・・


 何ともオリジナリティあふれマニアックな響きを漂わせる、ネーミングだ。


「ほう、どんな部活なんでしょう」


「早速、行ってみましょう」


 井伊と柴原がテレビのお宅拝見のまねごとを始めた。


 木島はビデオカメラを回し始めた。


 そんな三人を横目に俺は「どんな活動をしているんですか?」と金原に聞いた。


「各運動部から依頼を受けて、自分のチームや、相手チームの特徴やプレイスタイル、癖などを統計でデータ化するところだ」


 何ともマニアック・・・・・・


 ただ、一つの懸念が俺の中で生じた。


「それはうちのマネージャーの仕事じゃないですか?」


「マネージャー経由も含めて、色々なところで収集したデータを解析してもらっているんだよ」


 金原が歩きながら、そう語る。


「今のマネージャーは比較的データ集めには定評があるが、年度によっては本当に雑用しか出来ない奴が入ってくるからな。そういう時を見越して、ウチの学校では統計のプロの部活に頼っているんだよ」


「ネットで使えば素人でもできるんじゃないですか?」


「まぁ、一理あるが所詮は素人の統計だから、これから行くところは高校生ではかなりレベルが高いの」


 俺は少し、腑に落ちなかったが、相手はキャプテンなので、何も言うことはしなかった。


 まぁ、文武両道を掲げるうちの学校だからできる部活かもしれないな?


 どの程度のレベルであるかによるが・・・・・・


「なるほど、スポーツ統計部ですか~」


「柴原アナ、どのようなおもてなしを受けるのでしょうか~」


 井伊と木島がお宅拝見ごっこを続けている。


 何で、柴原がアナウンサー役なんだよ。


 柴原が「はい、柴原です~」とアナウンサーの真似事を始めた。


「早速ですね、今日はその謎の部活に向かうんですねぇ~」


 すると、井伊がバラエティ番組に出てくるような大げさなナレーションを始めた。


「はたして、スポーツ統計部とはどのような活動を行っているところなのだろうか!」


 すると木島がラジカセから大げさな効果音を出し始めた。


「いや、今、活動内容を話しただろう」


 金原が爆笑しながら、廊下を歩いた。


 その笑い声が廊下に響き渡っていた。


 キャプテンは今日、機嫌がいいな?


 何だかんだで主力を使わずに勝ったからか?


「着いたぞ」


 俺がそう思う中で金原が期待に満ちた笑いを浮かべる。


「ついに到達した、スポーツ統計部。はたして藤岡弘探検隊の運命やいかに!」


 木島のラジカセから放たれる効果音の後に、


 井伊が「はい、CM入りま~す!」と大声で叫んだ。


 テレビ局の真似事をするなよ。


 しかもお宅拝見から藤岡弘探検隊に企画が変貌している。


 企画の根本がブレまくりだよ。


 明らかに素人が作ったテレビ番組だよ。


 これ?


 井伊は「柴ちゃん、良いリポート頼むよ~」と昭和のテレビディレクターのような口調になり始めた。


「いや、それはいいんだけど、ここなんかボロくない?」


「そう言わないでよ~、向こうも気を悪くするから~」


 お前等、どこの女子アナとディレクターなんだよ。


 その光景を眺めていた金原はひたすら大声で爆笑していた。


 というか、あの柴原が関西弁を捨てている・・・・・・


「よし・・・・・・入るぞ」


 金原が笑いをこらえながら、扉をノックする。


 井伊が「本番入りま~す!」と声を張り上げる。


「三、二・・・・・・」


 木島がそう言うとわざとらしい仏頂面をしていた、柴原が途端に営業スマイルを全開にした。


「はい、それではこの謎の部活、スポーツ統計部へと入りたいと思います」


 すると、金原が「あっ、ここカメラ禁止だから」と言い放った。


 すると、三人は「えっ!」と驚いた表情を浮かべた。


「一旦、カメラ止めよう!」


 井伊がそう言うと、女子アナ役の柴原が「井伊D! どういうこと!」と怒り出した。


「いや、おかしいな? アポは取ったんだけどな~」


 井伊が間の抜けた声でそういうと「私、来る意味ないじゃない!」と柴原がヒステリックに叫ぶ。


 無論、これは演技です。


「分かった、俺が事前交渉行ってくるから」


 ディレクター役の井伊がそう言うと、女子アナ役の柴原が「私、休んでて良い?」と厳しい目線で井伊を見据える。


 しつこいようだが、これらは全て演技である。


「まったく、最近の女子アナはわがままに育ちやがって!」


 そう、ディレクター役の井伊が嘯く。


「まぁ、彼女一人っ子ですからね? どっかの社長令嬢らしいですし」


 木島がカメラを回しながら、ケラケラと笑う。


 するとディレクター井伊が演技ではあるが「俺はディレクターだぞ! 何でこんなことをやらないといけない!」と怒りを露わにした。


「仕方ないですよ、ウチの番組は深夜で当落線上にあるんですから」


「くっそ~、社長令嬢だか何だか知らないが、あんな小娘が俺に指図しやがって!」


 ここまでテレビ局の収録ごっこをしていたが、これらは全て演技です。


 俺は爆笑しながらその光景を眺める、金原を尻目に「おい、いつまでテレビ局ごっこをやっているんだ」と言い放った。


 これじゃあ、埒が明かない。


「あっ、浦木プロデューサー!」


 何で、俺まで巻き込むんだよ?


「浦木P、何とかしてくださいよ。あのくそ女、番組の進行に文句言い始めたんですよ」


 井伊が俺に唾を飛ばしながら、そう言いだした。


「俺をテレビ局ごっこにまきこむな」


 俺がそう言うと、金原が「埒が明かないからもうやめよう」と言い出した。


「キャプテン、俺達はリアルな報道を――」


 ちょっと待て、さっきまでの進行の内容は明らかにバラエティだろう?


 番組の方針自体も決められないのか?


 井伊D、ごみだな。


 俺は井伊がテレビ局のスタッフには到底向いていないと感じた。


「さっ、中に入るぞ」


 金原がそう言った後に扉を三回叩いた。


 すると中から「どうぞ」と声が聞こえた。


 声変わりがまだ終わっていない学生の声だった。


「入るぞ」


 金原が扉を開けると、古い教室の中にノートパソコンが二十台以上、テレビが十台以上設置された、異様とも言っていいような光景が繰り広げられていた。


 そこでは三十人近い学生がテレビに映し出された、バレーボール部の映像を見ながら、パソコンを操作していた。


「どうだ、スゲーだろう」


「もはや高校の世界観ではないですね?」


 俺がそう言うと奥から眼鏡をかけた、細身で青白い顔をした男子学生が現れた。


「高校らしいってなんだ、高校らしいって・・・・・・」


 そう言いながら、男子学生は俺を見据えた。


「何です?」


「君は金原が言うように相当手がかかる人間のようだ」


 男子学生は「はぁ」とため息を吐いた。


「こいつは統計部の部長をやっている・・・・・・」


「山上だ。君とは短い付き合いになるが、よろしく」


 そう言って、手を差し出した。


 俺は山上と握手したが、山上はすぐにハンカチで手を拭き始めた。


 何だ、こいつ?


「それと、もう一人・・・・・・」


 奥から眼鏡をかけた小太りの男子学生が現れた。


「うちのエース格の小和田だ」


「よろしく、俺はまだ二年生だから、浦木君とは長い付き合いになるよ」


 そう言った、小和田は俺と固い握手を交わした。


「さて、金原」


 山上は金原を睨み付けた。


「何でこんなガキどもをここに連れてきた?」


「ガキは無いだろう、二年しか年が違うんだから?」


 金原がそう言うと、山上はわざとらしくため息をついた。


「さっきから大声で叫んでいて、いい迷惑だったよ」


 それは同感だ。


 俺は井伊、柴原、木島の三人を睨んだが、三人はパソコンやテレビを見ながら「すげ~!」と興奮した様子だった。


「まぁ、いいさ、スポーツ選手は筋肉を動かす以外は能がないからな?」


 山上がそう言うと、俺は「だったら、スポーツを統計しなければいいじゃないですか?」と言った。


 すると山上は「ふっ!」と鼻笑いをした後に「僕はスポーツが嫌いだが、僕の天才的な頭脳を社会に知らしめる為にスポーツを利用しているのさ!」と自慢げに語り始めた。


 そう言った後に、俺と山上はにらみ合いを続けたが、金原が「山上、こいつは上級生が大人になって対処しないと、やっていけないぞ」と山上を諭し始めた。


「まぁ、相手は子どもだから僕もあまり興奮したくないが・・・・・・」


 山上はそう言うと奥からタブレットを持ってきた。


「あっ、最新型や」


「すげ~欲しい!」


 井伊と柴原の二人は目を輝かせて、タブレットを眺めていたが、木島は何も感じないのか、ただ、タブレットを光の無い目で眺めていた。


「木島、もしかして持っているから必要ないのか?」


 俺がそう言うと木島は「うん」とだけ言った。


 すると、井伊と柴原の二人が「何?」と言いながら、木島を取り囲み始めた。


「お前、俺たちが持っていないのになんや!」


「許せないな、ブルジョアジー極まりない!」


 そう言うと山上が「ゴホン!」と大きな咳ばらいをした。


「坊やたち、作業をしていいかな?」


 山上が眼鏡のふちを人差し指で触れて、上に動かす。


 いわゆる、眼鏡クイである。


「さて、浦木君」


 山上がタブレットを操作し始める。


「君達、野球部はうちのお得意さんで、僕の後継世代がお世話になると思うから、こうして僕が橋渡しをしているんだ。ありがたく、僕らのデータを使ってくれよ」


 山上がそう言った後、タブレットには俺の投球している画像が流れていた。


「おっ、いつの間に!」


 井伊はそれを興奮した様子で眺める。


「ワシらの映像はありますか?」


 柴原が山上にそう聞くと山上は「あるにはあるが、今、解析中だ」とだけ言い放った。


「何と!」


「ラプソードで集めたデータを解析しているが、君たち、三人は出場試合数が極端に少ないから、データが取りづらい」


 山上が眼鏡クイをした後に柴原は「何ぞ~!」と項垂れた。


「君たちは汗臭いな」


「まぁ、みんな思春期だからな?」


 金原が笑いながら山上に語りかける。


「えっ、ラプソードがあるんですか?」


 俺は疑問に思い、そう発言した。


「あぁ、聞いていなかったか?」


 金原がこちらに振り返る。


 ラプソードとは野球とソフトボール用のピッチングとバッティングのデータを測定、分析する装置だ。


 今では日本のプロ野球でも使われているが、それを高校野球で使うなんて・・・・・・


「監督がプロで現役だった頃の貯金と契約金で買ったらしい」


「ざっとで七十一万円ぐらいするらしいぞ?」


 山上が眼鏡クイをしながら、缶コーヒーを飲み始める。


「監督は金持ちですね?」


「だから、言ったろう、あの人の昔の貯金だって?」


「他にも、林田監督の現役時代からの熱狂的なファンが資金を与えているらしい。あの人はかつては甲子園のスターで大学時代は大学最強選手の異名で通り、プロでは新人王だ。故障で引退しなければ、今頃はアメリカにでも行っていたんじゃないか?」


 山上が缶コーヒーを飲み干した。


「まぁ、君たちのデータはこれから蓄積するとして、今日は浦木君のデータを使って、あいさつ代わりにうちの部活の野球における統計方法ついて説明しよう」


 山上はタブレットをこちらに向ける。


「さて、浦木君」


「近年、野球ではサイバーメトリックスと呼ばれる、統計方法があるのは知っているかな?」


 サイバーメトリックスか?


 アメリカでは大々的に使われているが、大分、古典的な手法になってきたからな?


「まぁ、アメリカにいましたからね、少しは知っています」


「メジャーリーグでは積極的に使用されているがトラックマン(メジャーやプロ野球で数値の計測に使われる装置)が発達した現代では若干、時代遅れだと思われるがね?」


 山上は「ふっ!」と俺を鼻で笑っていた。


 こいつ、合法的に許されれば殺す。


 俺は山上に確かな殺意を抱き始めていた。


「サイバーメトリックスは一九七〇年代に野球史研究家であり、統計の専門家である、ビル・ジェームズが提唱したものだ」


 聞いてもいないのに勝手に話し出したよ。 


 山上はそう言った後に、タブレットを巧みな手さばきで操作した後に見たことのない数値をタブレット上に出した。


「様々な価値観が入り乱れていた、野球に数値を使い、客観的な分析を取り入れることによって、野球における采配に統計学的根拠を与えようとしたものだ」


 山上が「ふっ!」とお決まりの鼻笑いをすると、金原が「ちなみにうちの監督はこれを積極的に導入する、いわば推進派だな。俺もその一人」と山上のフォローに回った。


「まぁ、バントや盗塁の効力を真っ向から否定したものだから、発表した当時は批判的にとらえられたが、今現在ではアメリカのスポーツ雑誌は選手のサイバーメトリックスによる、統計データを掲載するようになっているよ」


 山上がそう言った後に「まぁ、アメリカ人ならそのぐらいは知っているか?」と俺に言い放った。


「何です?」


「いや、別に?」


 こいつ、世界観が斜め四五度に傾いているな。


 俺は山上を殴りたい衝動を抑えることに専念した。


「さて、浦木君」


「はい」


「君の試合のデータは三試合しかないが、何とかデータは取れたよ。もっともFIPと呼ばれる疑似防御率は補正値となる高校野球の平均防御率は甲子園本大会しか取れなかったから、計測できなかったがね」


 そう山上が言った後に俺は「あぁ、そうですか?」と聞いた。


 そう俺が聞くと、金原が「被本塁打、与四球、奪三振を軸に算出した、疑似防御率だよな」と言った。


 聞いてもいないのに、まるで誰かに説明するかのように・・・・・・


「正確に言えばそれに投球回を割る形で統計する。その上で補正値が必要なのだが、高野連が地区レベルの高校生の平均防御利率を調査していない。もっとも、甲子園本大会は調べているが、年度によって違うデータも出るから計測は毎年変動する。そして、高校全体の段階での統計は不可能だった。残念だ」


 山上は大きなため息を漏らした。


 その後に金原が「まぁ、よくやったよ」と言った後に「夏の大会頼むぞ」と山上の肩を叩いた。


 すると山上が「やめろ、ばい菌が移る」と言い放った。


「あっ、そうか、お前潔癖症だったな」


 山上がそう言った後に、ペンを取り出した。


「まぁ、これだけ僕らがデータを揃えようと努力しても、大人たちがサイバーメトリックスを学生野球に取り入れようとしないから、算出のしようがない。この国のスポーツはかなり保守的だと思わないか? アメリカではスタッドキャストと呼ばれるメジャーの算出方法が学生野球でも使えるというのに」


 山上がそう言うと金原は笑いながら「お前は良い仕事しているよ」とだけ言った。


「さて、説明を続けよう」


 山上は俺にタブレットを見せ、ペンで数値の説明を始めた。


「仮定のデータによる君を対象とした統計を取ると三試合で計十一回、四十五人のバッターと対戦したことになる」


 山上が持つタブレットには王明実業の選手を三振に切って取る、俺の姿が映っていた。


「内、奪三振は十四で、インプレーでのアウトは十八で、被安打はホームランを含めて九と来て、失点は一で、四死球は九個」


 山上が淡々とそれらの成績を語る、その無表情はどこか異様な何かを感じさせるものだった。


「そこから算出するに君の奪三振率は一一・四五四で四死球率は四・九〇八、防御率は0.八一八だ」


 山上は話し終わった後に、深いため息を付いた。


「君は極端に奪三振率が高いが、それと並行して与四球率も高い、それによってWHIPは一・六三五だ、これは極めて高い数値だ」


「そうですか」


「この数値は安打・四球と投球回を割る形で、算出し一イニング当たりに許した走者数の目安だ」


 山上はそう言った後にポケットから缶コーヒーを取り出し、それを飲み干した。


「ちなみに数値が飛び切り低い選手は一・〇〇を下回る」


「事実、お前はランナーをよく背負うからな?」


 金原が山上の説明に乗っかってきた。


 ウゼェ・・・・・・


 俺は怒りをこらえながら二人を見据えた。


「他に良いところ無いんですか、何か延々と悪いことを指摘されているみたいで?」


 俺がそう言うと、山上は「自分の否定を恐れる人間は心の弱い人間だ」と表情を変えずに答えた。


 この人は本当に嫌だな・・・・・・


「君の良いところはクオリティスタートかな? まだ先発で一試合しかしていないが?」


「あぁ、そうですか」


 俺は半ば自棄になっていた。


 クソウゼェ・・・・・・


「六回以上を投げた先発投手が自責点を三点以上に抑えた割合だ。四失点以上はカウントされない」


 金原が画面を指差して、山上のフォローに回る。


「つまり、君はランナーを多く抱え、コントロールの悪さは問題だが、奪三振率と試合を作る能力には長けているという事だ。まだ合計で三試合、先発に至っては一試合しかしてないから正確なデータは取れないが・・・・・・」


 あっ、なんか初めて肯定されたような気がする。


 しかし、山上は面白くなさそうな表情で語っている。


「面白くなさそうですね」


「君のことをもっと非難したいからだ」


 俺は怒りを覚えたが、何も言わないことにした。


 こんな理屈ばかりの男には口げんかで勝てるわけがない。


「以上が僕たちの揃えたデータの限界だ。君たち、分かったか?」


 そう山上が井伊や柴原に言うと、二人は立ちながら寝ていた。


 木島はきちんと聞いていたが、二人には難しい内容の話だったようだ。


「こいつらはあれだな。バカだ」


 山上がそう言うと「まぁ、あんまり軽蔑しないでくれよ」と言った。


「まぁ、夏の大会が近いから君たちのデータはさらに増えるだろう。その時には僕がいないことを祈るよ」


 そう言った山上は「じゃあな」と言って、部室の奥へと向かっていった。


 すると二年生の小和田が「僕は来年もいるから、また遊びに来てくれ」と俺に握手を求めた。


 この人は普通だな?


 握手をした後に俺は「分かりました、また来ます」とだけ答えた。


「じゃあ、世話になったな」


 金原がそう言うと小和田が「山上さん、寝ちゃいましたよ」とだけ言った。


「徹夜でやってくれたのか、あいつは良い奴だよ」


 どこがだよ、斜め四五度だぞ。


 金原に抗議したい気分だったが、ぐっとこらえた。


「まぁ、高校で統計を取り入れているのはうちぐらいですからね」


「こいつらには俺が引退した後に、通わせるから」


 そう金原が言った後にまたLINEの着信が聞こえた。


「おっ、来たか」


「おっ、吹奏楽部ですか?」


 小和田が興味深そうに金原のスマートフォンを眺める。


「よし、お前ら、次は吹奏楽部へ行くぞ」


 俺はもう帰りたい・・・・・・


 しかし、キャプテンの金原にそう言う勇気は無く、渋々と付いていく事にした。


「おら、お前ら寝ていないで起きろ」


 よく、立ちながら寝れるな・・・・・・


 二人が起きると同時に「次は吹奏楽部だぞ」と金原は言い放った。


「ほう・・・・・・応援曲ですか?」


 井伊は目をこすっていた。


「そうだ、お前等の応援曲も作るように頼むから」


 その一言を聞いた瞬間に二人は「行きます!」と答えた。


 帰る時間が遠のいていく・・・・・・


 正午の構内で俺は特に用事は無いが、家に帰る時間を気にし始めていた。


2


 俺は井伊と一緒に、JR戸塚駅のホームに立っていた。


「今日は疲れた」


 俺がそういうと井伊は興奮した様子で「吹奏楽部の応援歌はアメイジングだったな!」と俺の肩を叩き始めた。


 昼頃に会った、山上のように手でそれを払いのけたい気分だった。


「マリオにゼルダの伝説、スターフォックス、メタルギアソリッドのテーマを見事に吹奏楽に取り込んでいた! 俺は感動した!」


 全部、ゲームのテーマじゃねえか・・・・・・


 実際に吹奏楽部が作った、野球部の応援歌を聞いたが、まずマリオのテーマに始まり、ゼルダの伝説、スターフォックス、メタルギアソリッドのテーマが延々と続いていた。


「特にあれだな、ランナーが走る時のテーマ!」


 吹奏楽部はうちのチームのランナーが走っている時はマリオのスター状態の時のBGMを演奏するらしい。


 ちなみにランナーがアウトになったら、マリオがやられた時のBGMを使う。


 味方のミスすらもネタに扱う吹奏楽部なんて、前代未聞だよ!


「いや~、よかっ――」


 井伊の動きが一瞬止まった。


「どうした?」


「俺のアイン専属警護官としての感が騒ぐ!」


 そう井伊が言った後に俺は周囲を見回した。


 すると、そこには私服姿のクラスメイト数人がこちらを見ながら陰湿な笑みを浮かべていた。


「あいつら・・・・・・」


 井伊が向こうへ向かおうとすると、俺は井伊の肩を掴んでそれを制止した。


「よせ、関わると余計なことになる」


「でも、これじゃあやられっぱなしじゃないか!」


「やらせておけ、どうせ喧嘩が出来ない連中だ」


 そう言った後に、井伊は「う~ん、腑に落ちん」と言って、ため息を付いた。


「俺たちが開戦の火ぶたを切るように仕向けているんだろう」


「開戦って・・・・・・まるで戦争みたいだな?」


「俺はタカ派さ」


「うん、何となく分かる」


 そんな中で電車がホームにやってくる。


「アイン、心配しなくても俺がお前を守る」


「お前・・・・・・よくそういうことを恥ずかしげもなく言えるな?」


「おう、抱いてくれ!」


 俺はそれを無視して、電車に乗り込む。


 すると向こう側にいる、クラスメイト達もスマートフォンをいじりながら同じ車両に乗り込んだ。


「井伊と柴原って、一緒に住んでいるのか?」


「おう、一緒に大船のアパートで下宿しているぞ」


 まるで本当にお笑いコンビみたいだな。


 俺はそう思った後に、「大船で降りていいぞ」と言った。


「いや、北鎌倉なら走って帰れるから」


「走るのかよ。今日、試合したのに?」


「おう、日々の鍛錬が大事だからさ」


 すると電車は大船駅に着いた。


「降りろよ」


「いや、家まで送るよ」


 ドアが閉まった後に電車は動き出した。


 ちらりと向こう側にクラスメイト達を見ると、スマートフォンを操作していた。


 その表情はやはり陰湿な笑みに満ちていた。


「井伊、スマートフォンで俺の偽物が何か書いているか分かるか?」


「おう、待っていろ」


 井伊はスマートフォンを取り出すと、指で画面を操作してすぐに俺の偽物が書いているツイッターにアクセスした。


「あぁ・・・・・・暴言吐いている」


「どんな?」


「クラスの女子のエロい話や、同級生の悪口だな」


「貸せ」


 俺はそれを見ると、怒りが込み上げてきた。


 Xには話もしたことないし、なんとも思わない女子に関する卑猥な話や顔もろくに覚えていないクラスメイトの悪口を呟いていた。


「ファッ●」


 俺は思わず、スラングを口にしだしていた。


「お行儀が悪いぞ、アイン」


「まさか、ここまでひどい内容だとは思わなかったな」


 俺がため息を吐くと、井伊は「やっぱり、ピーガル君に助けてもらおうか?」と語りかけた。


「神奈川県警な」


「おう、通報しようぜ」


「まぁ、ここまで来れば名誉棄損と肖像権の侵害だな」


 俺の偽物が作るXの書き込みを見ると、そこには「浦木、死ね」や「ゴミ」などと書かれ、最後には「学校に来ればお前とその家族を殺す」と言われる始末だった。


「アイン・・・・・・これは?」


「あいつらが拡張と自作自演で書いたんだろうか・・・・・・ついに一線を越えたな?」 


 俺は一拍置いてこう答えた。


「そろそろ動くか?」


 すると、井伊は「おぅ~、ついに立件か」と言った後に、小さく拍手した。


「詰めが甘いな、あいつらも」


「でっ、どうする?」


「とりあえず、俺の親父に相談する。警察を絡ませるかはその後だな」


 俺と井伊がそのような会話をしていると、電車は北鎌倉に着いた。


「降りるぞ」


「おう」


 俺と井伊が電車を降りると、クラスメイトたちも笑みを浮かべながら、後を付けてきた。


「ちなみに家の位置はもうバレている」


「あぁ、確かに家の住所まで書いてあるよ」


 井伊がそう言った後に、ツイッターを見ると、相当前の書き込みに家の住所と写真、さらには自宅の電話番号まで書かれていた。


「これは・・・・・・」


「肖像権侵害、名誉棄損に脅迫だろうな? あいつらはれっきとした犯罪者だ」


「こりゃ、立件だな」


 そう言って、井伊が笑った後に北鎌倉駅の円覚寺側の改札を抜け、五分歩いた後に古い和風建築である俺の自宅へ着いた。


「相変わらず、かっこいい家だな?」


「ボロイだけだよ。ムカデが大量発生するからな」


「マジか!」


 マジである。


 北鎌倉は森などが近くにあり、隣接する家々も相当な年数の経ったものが多い。


 その為か、家の中に虫が多く出没するのだ。


 特にムカデやクモが多く出る。


 その度に母が騒いで、父がムカデやクモを仕留めるのだ。


「じゃあな」


 俺がそう言うと、家のドアが開いた。


 母が家にいたのだ。


「あら、アイン」


「いたのかよ?」


 俺は舌打ちを堪えていた。


「その子はお友達?」


「こんばんわ、野球部の井伊小太郎です」


 井伊が丁寧な口調でそう答える。


 こんな井伊は初めて見るな。


 少し意外だった。


「じゃあな、アイン」


「おう、走れよ」


 俺はそう言った後に家に入ろうとするが、母が「井伊君、ご飯は?」と聞いてきた。


 ちょっと待て・・・・・・こいつを家に入れるのか!


「母さん・・・・・・井伊を家に入れるの?」


 俺は抗議の意味も込めて、そう言ったが、母は意に介さず「井伊君、ご飯食べない?」と井伊に駆け寄る。


 すると井伊は「よろしいんですか!」と満面の笑みを浮かべた。


「やめろ、お前は走って帰れよ!」


 俺がそう言うと、母は「アイン、あなたには数少ない友達でしょう!」と言った。


 こいつが友達だと・・・・・・冗談じゃない。


「お邪魔しま~す!」


 そう言って、井伊が俺の自宅に進軍する。


 止めろ・・・・・・なんの悪夢だ!


 俺は母を睨んだが母はそれに気づかずに「いらっしゃ~い!」と満面の笑みで井伊を出迎えていた。


3


「そうか、君は高知からここに来たのか」


 俺の父親がコーラを井伊の持っている、コップに注ぐ。


 酒じゃないんだからさ・・・・・・


「あっ、ありがとうございます」


「いや~高校生にして下宿生活か? 君はうちのアインよりしっかりしているよ」


 んなわけねぇだろう。


 こいつの学校での様子を父に見せてやりたかった。


「そんなことありませんよ、アイン君は勉強も出来るし、野球も球が速いですし、僕は足元にも及びません」


 井伊が僕って言っているよ・・・・・・


 こいつ結構礼儀正しいところがあるんだな。


 学校でのハチャメチャぶりを見る限りでは、およそ想像の付かない光景だった。


「いや、うちの息子ははっきり言ってそれだけだ。社会性が無く、思考が歪んでいる。うちの息子に比べて君は非常に謙虚で素直な性格をしている。それだけでも、十分な財産だよ」


 そう言うと、父はスーツの腕をまくった。


「さぁ、飯にしよう」


「あっ、いただきます!」


 井伊が立ち上がって、父にお辞儀する。


「今日はナポリタンだ、アイン、それでいいだろう?」


「・・・・・・いいよ」


 俺が父の顔を見ないで答えると、父は井伊に「こういう所に違いがあるんだよ」と井伊に語りかけた。


「ちょっと待っていなさい。すぐに出来るから」


 父はそう言うとフライパンを取り出した、


 そして蓋の空いた鍋に乾燥した状態のパスタを入れた。


「アインの家はお父さんが料理を作るのか?」


「男子厨房に立たずとか言うなよ?」


 俺がそう言うと井伊は「まぁ、珍しいな?」と言った。


「変だと思うか?」


「いや、多様性のある時代だから何も感じないよ」


 俺の母は今、小説の執筆をしているので、井伊を出迎えた後は部屋に籠って、執筆活動をしている。


 今日はたまたま、父が帰ってきたから料理を作ってくれたが、父が仕事をしていて多忙な時は俺が自分で料理を作る。


 俺はピッチャーなので指先を大事にしたい。


 なので、出来れば、包丁を扱いたくないが、俺個人も料理は好きなこともあるので、ここまで家族間で問題は起きていない。


 これが共働きの夫婦の下に生まれた子どもの宿命なのかもしれない。


「いや~、楽しみだな。どんな料理なんだろ?」


 俺がそう考えていると知らずに井伊は腹から大きな音を出していた。


「お前はナポリタンも食ったことは無いのか?」


 俺がそう言うと、井伊は「ただのナポリタンではない、浦木家のナポリタンだ!」と言った。


 俺はそれを「ふ~ん」と言って、受け流した後に冷蔵庫からジャガイモを取り出し、井伊に手渡した。


「それ食って、帰れ」


「あっ、上手そうなジャガイモ。いただきます・・・・・・っておい!」


 乗りツッコミ、ありがとう。


 俺はさらに多くのジャガイモを井伊の座るテーブルに置いた。


「鉄の胃を持っているなら、そのぐらい食えるだろう」


「いや、生のジャガイモは毒があるから!」


「そうか、じゃあこれを塗れ」


 俺はバターを井伊の前に置いた。


「そうそう、これでジャガバターをね・・・・・・っておい!」


 二回目ありがとう。


 俺はその後に「わがままを言うな、煮たら光熱費の無駄だろう」と言った。


「いや、食の安全の方が重要だろう!」


「だからバターでジャガイモの毒を中和するんだろう?」


「無理だろう!」


 井伊はジャガイモを手に持った後、俺に手渡した。


「バター塗っても、生は生だから、死んじゃう」


「そうだよ、お前を毒殺する意味も込めての生ジャガバターなんだよ」


 俺がそう言った後に父が「アイン、食べ物で遊ぶんじゃない!」と怒り出した。


「いや、こいつも絡んでいるから」


「井伊君はそんな子じゃない、困っているじゃないか!」


 井伊はそんな謙虚でクレバーな人間じゃないだろう。


 過大評価のしすぎだ。


 父が抱く、俺にとっては見当外れの認識には困ったものだ。


「よし、出来たぞ」


 父がパスタを炒めた後に皿に盛る。


 井伊が言う、浦木家のナポリタンが出来た。


「早いですね」


「ナポリタンは簡単だからね」


 父がそう言った後に、井伊は「いただきま~す!」と言って、ナポリタンを食べ始めた。


 俺もそれを食べると、ケチャップとトマトソースをベースにした味わいに、あらかじめ最初に入れてあったチーズの旨みが上手く絡む。


 さらにタマネギの甘みとピーマンの苦さが込み上げて来て、マッシュルームの独特の触感がそれに加わる。


 父は今の会社の社長を辞めたら、レストランで修行して料理人になろうかと冗談で言うが本当に店を開いていいぐらいの腕前だ。


「どうだい?」


「美味いです!」


 父は「そうか、そうか」と言った後に、タバコに火をつけた。


「受動喫煙になるからダメかな?」


 父がそう言うと井伊は「お父さんのお家ですから」と言った。


「そうか、じゃあ遠慮なく」


 父はタバコに火をつけると、気持ちよさそうに煙を吸い、それを口から吐き出した。


「井伊君は下宿先では何を食べているんだい?」


「自炊することもありますが、大体コンビニで済ませています」


「・・・・・・そうか」


 父はタバコを灰皿で潰すと、二本目を吸い始めた。


「父さん、母さんがタバコ嫌いなの知っているだろう?」


 俺が鼻を手で押さえながらそう言うと、父は「今、仕事中だから当分はバレないよ」と言った。


 その後に父は「う~ん」と唸り始めた。


 何だか嫌な予感がする・・・・・・


「井伊君、君は柴原君という子と二人暮らしだったね?」


「えぇ、まぁ・・・・・・」


 父は「ふむ」と言った後に二本目のタバコを灰皿で潰し、三本目を吸い始めた。


「もし、君たちが良ければ晩御飯はここで食べなさい」


 嫌な予感が的中した。


 俺はすぐに「父さん、嫌だよ!」と言った。


「アイン、良い友達を持ったじゃないか」


 父がそう言った後に俺は「いや一人の時間が・・・・・・」と反論をしようとしたが、さすがは社長である父は俺の言うことを「君の社会性を育てる訓練だ」と押し切った。


 そして父は井伊の肩を叩いて「アインは手がかかるがよろしく頼むよ」と言った。


 それに対して、井伊は「いえ、こちらこそよろしくお願いします!」と返した。


 悪夢だ。


 井伊と柴原が俺の時間に進攻してきた。


 俺の時間が蹂躙される・・・・・・


 俺はナポリタンを前に頭を抱え始めた。


4


 あっという間に学校は夏休みに入ろうとしていた。


 ついに七月を迎えたのだ。


 クラスメイトの大半は集団でどこかへ遊びに行くか、クーラーのかかった部屋に籠って、朝昼晩問わずにゲームし放題の毎日を送る奴らもいる。


 三年生になればここに大学受験や就活に追われるだろう。


 そして野球部の一年生である俺と所属する野球部の連中は何をするかというとだが?


「選手宣誓!」


 ここは神奈川県横浜市関内の山下公園内にある横浜スタジアムだ。


 二〇二一年には東京オリンピックで復活した、野球のメイン会場になった球場だ。


 プロ野球チームのホームグラウンドであるだけに整備が行き届いていて、試合のしやすい球場とは聞いている。


 何故、俺たちがここにいるかというと、甲子園に行く為に神奈川県予選を戦う為だ。


 今日はその予選の開会式だ。


 真夏の日差しが容赦なく俺たちを襲う。


 日本人は何でこんな炎天下で試合することを好むのだろう。


 俺はこんな炎天下で試合をさせる大人達に少し不満を感じた。


「我々、選手一同は――」


「おぉ~ここがハマスタか~」


 選手宣誓の間にベンチ入りを果たした、井伊と柴原がお上りさんよろしく、辺りを見回す。


「お前、田舎臭いからそれやめろ」


「良い球場やな、オリンピックもここでやったんやろう?」


 柴原は「熱いの~」と言いながら辺りを見回す。


「開幕戦をやるチームはええわ。一回戦からここで試合できるんやろ?」


「俺達は準々決勝まで残らないとハマスタで試合は出来ない」


 井伊と柴原は揃って「ガッデム!」と言った。


 すると一番先頭にいる金原が「おい、静かにしろ」と小さな声で注意した。


「すいません」


「いや~、でもオリンピック会場で試合できるから、気持ちは高まるわ~」


「おい、さっき言っただろう」


「うん?」


 柴原が「パードゥ?」と言い出した。


「これでいうのは二度目だぞ、準々決勝まで勝ち進まないと俺達はここで試合は出来ない」


「何だと・・・・・・余計に開幕戦をやるチームがうらやましいわ」


「ブルジョアジーどもめ、俺達がケチョンケチョンにしてやるさ」


 いや、ブルジョアかどうかは関係ないだろう、くじ運なんだから。


 まぁ、早川高校は今年の春の県大会でベスト四まで残ったから、初戦の一回戦は第一シード扱いで免除され、自動的に三回戦からの出場になる。


 その為、俺達が開幕戦を戦うことは無いのだ。


 井伊と柴原が「うぉ~!」と高揚する中で俺は何故か、冷めた考えを抱いていた。


「この後はマネージャーが開幕戦を見て、俺達は帰って練習だ」


「うぉ~! 待っていろ、ハマスタ!」


 井伊がそう言うと金原が「声でけぇ」と小声で注意した。


「うぉ~、待っていろ、ハマスタ・・・・・・」


 井伊は小声で再びそう言った。


「いや、俺たちが目指すのは甲子園だろう?」


 俺がそう言うと柴原が「甲子園はワシの実家から、電車で行けるんや」と言った。


 井伊も「俺、阪神戦を甲子園で見たから」と言い出した。


 近いなら、感動も薄れるか・・・・・・


 井伊は高知出身だが、西日本圏なので、阪神ファンだから、甲子園で観戦したことがあるんだろう。


 そう考えながらもセレモニーが続く中で、俺は炎天下の夏空を眺めた。


 あぁ、もう夏か・・・・・・


 そう考えた後に、選手宣誓が終わったが、俺は青空をただ眺めていた。


 空はただ青く、澄み切っていたように思えた。


5


 開会式が終わった後に横浜スタジアムの最寄り駅である、関内駅に京浜東北線の電車を待つ。


 上級生はスマートフォンで、県予選の開幕戦を観戦していた。


「お~う、逆転したぞ!」


 試合は乱打戦になっているそうだ。


 マネージャーの山倉と数人の部員が猛暑の中、球場に残って、試合を観戦している。


 開幕戦を戦っているチームが今すぐに俺たちと当たるということはすぐには起きないが、念には念を入れての行動だろう。


 そう考えていると、ホームに大船行きの電車がやってきた。


「横浜駅で東海道線に乗り換えた方が早いと思うな」


 俺がそう言うと井伊が「監督が京浜東北線に乗りたいから乗るらしい」と言った。


 テッちゃんめ・・・・・・


 林田を見ると駅に入ってきた大船行きの電車をカメラで写真を撮っていた。


 自前のカメラまで用意ですか?


 林田は普段の仏頂面からは考えられない、満面の笑顔を浮かべていた。


 しかし、熱いな・・・・・・


 今日の気温は三五度を超えているというから、開幕戦を行っているチームはある意味で気の毒だなと思っていたら、瀬口からインスタグラムのダイレクトメッセージが届いた。


 届いてきた動画は川村と瀬口がインターハイ神奈川県予選の開会式に出る様子が映されていた。


 真面目ちゃんの瀬口にしては珍しい行動だ。


 誰かに撮らせたんだろう。


「おっ、真ちゃんも開会式か?」


 井伊が俺のスマートフォンをのぞき込む、


 それと同時に井伊に裏拳を喰らわす。


「ヒデブ!」


「どれどれ、見せてみい」


 柴原が俺のスマートフォンを眺めようとする。


 俺は裏拳を・・・・・・以下同文。


「アベシ!」


 二人が倒れると同時に電車に乗り込む。


「おい、お前ら大丈夫か?」


「鼻血出ているぞ・・・・・・」


 井伊と柴原は上級生に支えられて、何とか電車に乗り込むことが出来た。


「アイン・・・・・・ジャッキー・チェンか、おのれは?」


「ここは日本やぞ。香港のように酔拳、蛇拳、蟷螂拳でひと暴れは出来へんぞ」


 近くに中華街があるから、ジャッキーをネタにしているのだろうか?


 俺が無視をして、スマートフォンでネットサーフィンをしていると、俺たちと同じくベンチ入りを果たした、


 木島がラジカセからジャッキーチェンの代表作である、ポリスストーリーのテーマソングを流していた。


 当然、周囲にいる乗客は眉を顰める。


「おい、止めろ」


 俺がそう言うと、井伊が「アチョ~!」と言って、中国拳法の鶴のポーズをした。


 俺は井伊の頭に右ハイキックを喰らわした。


「アベシ!」


「くぅ~、柔道初段の井伊を簡単に倒すとは・・・・・・浦木は化け物かいな!」


 柴原は蟷螂拳で俺に襲い掛かってきた。


 俺は柴原の頭を掴むと、ボディに膝蹴りを見舞った。


「グワシ!」


 それは倒れるときのセリフではないだろう・・・・・・

 

 これが分かる人間はかなり老生化しているが?


 柴原が腹を抑えながら「うぅ~」と唸りながら、倒れている。


 俺は木島の方向を見たが、木島はすぐにラジカセをバッグにしまい、死んだふりをし始めた。


「浦木・・・・・・お前何があった?」


「荒ぶっているね? ストレス抱えているなら、相談に乗るよ」


 沖田と金原が俺を止めに入る。


 まぁ、確かに俺も冷静さも欠いていたとは思うが?


 しかし、人のスマートフォンをいきなり見るとは許せん。


 ここ最近の俺に関する動静に関しては、こいつらも関係はしているので、その発露の結果として、このようなポリスストーリーのパロディーのような出来事を起こしてしまったのだろうな?


 相手が井伊や柴原じゃなかったら、俺は傷害で捕まっているな。


 俺は座席に座ると、金原が「お前、監督がトランス状態で良かったな?」と言ってきた。


 監督は電車の床に耳を伏せて、モーターの音を聞いていた。


 結果的に俺の暴行がバレなくて良かった。


「うぅぅ~!」


「怖かったよ~!」


 井伊と柴原が金原と沖田に泣きながら、抱きつく。


「おい、止めろ! 俺にそんな趣味は無い!」


 金原がそう言った後に沖田は「そうか、そうか、恐怖を覚えるほどの強さだったか。浦木は?」と言っていた。


 はっきり言えば、これは俺が悪いな。


 うん、荒ぶるにしても程があるぐらいだ。


 でも、謝るつもりは無い。


 アメリカでは謝った時点で裁判で負けるからだ。


 ここが日本であろうと関係は無い。


 とりあえず、俺は井伊と柴原に「大丈夫か?」とだけ聞いた。


「オニ、アクマ、イイハオマエキライ」


 井伊は片言な言葉を吐いた後に泣き出した。


「コワイ、イタイ、シバハラオマエキライ」


 柴原もそれに続く。


「お前ら、何で片言言葉なんだよ」


 金原が呆れた表情で電車の周りを見渡す。


「周りの人が迷惑だろう」


「いや、部員を注意する以前に監督を何とかしようよ」


 沖田が指を差す方向には、床に耳を当てる監督がいた。


 依然として床に伏せて、電車のモーター音を聞いている。


 あれが一番迷惑ではないだろうか?


 沖田の言わんとしていることが俺には何となく通じていた。


 すると、スマホで開幕戦を観戦していた、部員達が「あっ、また逆転されたよ!」と大声で話し始めた。


 もはやTPOも何もないな・・・・・・


 乗客たちが野球部員たちに眉を顰める中で、俺は山手駅のホームから住宅街を見つめていた。


6


 開会式から三日後に早川高校の初戦が始まった。


 初戦の相手はノーシードから勝ち上がってきた、大平高校だ。


 進学校ではあるが、不良校でもあるというある意味で異色の学校だ。


「いや~、アインよ」


「何だ?」


 試合が始まる前に井伊とキャッチボールを行う。


「見事に相手は眉毛が無く、金髪の相手もいるぞ」


 これで、偏差値が高い学校なのだから、世も末だな。


 俺はそう思いながら日差しが強くなってきた、午前の保土谷球場は観客が疎らだった。


 みんな模試とかで忙しいのだろう。


 特に相手は進学校なので、三塁側の応援席は観客が疎らだった。


 対する、俺たち、早川高校は控えの部員たちが声を張り上げ、吹奏楽部がゲームのテーマを鳴り響かせていた。


「まぁ、俺は今日、出番無いと思うよ」


 俺がそう言うと井伊は「スクランブル登板の可能性もあるだろう。ブルペンで臨戦態勢を取れ!」と言い放った。


 そして、井伊はそう言った後に、ボールを力強く返球してきた。


「お前は出るんだっけ?」


「ファーストでな。キャッチャーじゃないのが少し嫌だけどな?」


 恐らく打撃を買われたのだろう。


 一年生の時点ですでに通算ホームラン数が三本だからな。


 もっとも、多い選手ではこの時期に二十本以上は打つ選手がいるが、万年控えの選手がいる中でこの数字はなかなかのものでは無いかとは思う。


 うん、俺にしては珍しく井伊の事を褒めているな。


 それだけ奴の打撃は良いのだろう。


 アインは井伊に変化球を投げた。


 そのボールは縦にスライドして落ちてきた。


「おっ、新変化球か!」


 予選に合わせてキャプテンの金原と共に、縦の変化球を覚えることとコントロールの向上を目的に練習をこなしてきた。


「縦のスライダーかな?」


 俺がそう言うと、井伊は「おう~たった三日で実戦に投入とは!」と言った。


「器用だろう?」


「うん、これなら相手も空振るな・・・・・・ただ」


「ただ?」


「コントロールがね?」


 そう言われた俺は井伊からボールを受け取ると、すぐに井伊の顔面めがけてボールを投げた。


「暴力反対!」


「・・・・・・それは言うな」


 コントロールに関してはまだ上手く行っていないのだ。


 未だにボールがすっぽ抜けるときがある。


 すると、二番セカンドでスタメン出場する山崎が「そろそろ始まるぞ」と言ってきた。


 そう言われた後に、俺は井伊にボールを投げた。


「球威は抜群」


「黙れ、小僧」


 俺がそう言った後に井伊は「そなたにサンの何が分かるか!」と言いながら、俺の後を付いてきた。


 もののけ姫に出てくるモロのセリフである。


 一塁側ベンチに戻ると、グローブを置く。


「よし、円陣組むぞ」


 キャプテンの金原がそう言うと、早川高校野球部の部員たちが、一気に円陣を組む。


「今日の相手は初戦と二回戦を突破して、勢いがある」


 金原はそう言った後に、「俺たちは去年のベスト四だ、要するになぁ?」


 金原が大きく息を吸い込む。


「俺たちには到達しなければいけない場所がある、皆、そうだろう!」


 そう金原がそう言うと、部員たちは「おぅ!」と言い出した。


「それはどこだ!」


「甲子園だ!」


 部員達がそう言うと、金原が大きな声を出す。


「なら、答えは一つだ!」


「絶対勝つ!」


「よしぁ! 行くぞ!」


「しゃあ!」


 部員達はそう言った後にグラウンドの中央に立った。


 相手の部員達は眉毛が無く、人相も悪かった。


 同じ高校生でいかついな・・・・・・


 俺がそう思いながら、相手の選手の一人を見つめると、相手が「チッ!」と舌打ちしてきた。


「何、見てんだ、雑魚が」


 相手の部員の一人がそう言うと沖田が「おい、審判いるから考えて物を言えよ」と言った。


 そう言うと相手の部員は「チッ」と舌打ちをした。


 それを知ってか知らずか審判は「整列!」と言った。


「まぁ、俺たちはスポーツマンだから喧嘩で解決はしないけどさ」


 木村がそう言うと相手野球部の一人は「お前ら、路上であったら覚えていろよ」と言い放った。


「腕自慢ですか?」


「ぜってぇ、潰す」


 審判が「礼!」と言った後に一応形式的に礼はした。


 相手はベンチに下がる俺達を睨み続けていたが、キャプテンを始めとして早川高校の選手達はどこか飄々としていた。


「よし、井上」


「押えろよ」


 今日の先発は練習試合の堅調学園戦で大炎上した、井上が登板する。


 今日はキャプテンの金原がリードするが、果たしてどんな投球を見せるか?


「アイン、今日はお前の為にホームランを打つぞ!」


 井伊は背番号一九を背にそう俺に語り掛けた。


「俺はどこの難病の少年だ」


「見ていろ、令和のベーブルース打法だ!」


「いいから、早く守備につけ」


 俺が井伊の尻を蹴ると、井伊は「うへ!」と言いながら、ファーストの守備に付いた。


 その後にマウンドへと目を向けると井上が投球練習で数球ボールを投げた。


 それを捕球した金原が審判にボールを返し、投球練習が終わる。


 それと同時に相手チームの大平高校の一番バッターが打席に立つ。


 相手は井上を睨み据えていた。


「しまっていくぞ!」


 金原がそう言うと、審判が「プレイ!」と言った後に球場にサイレンが鳴り響いた。


 いよいよ、俺達にとっての夏の県予選が始まった。


7


 試合は一回の表、投手の井上が三者凡退で押さえた。


 続く、一回の裏に一番センター木村がセンター前にヒットを打って、出塁をする。


「しゃ~!」


「ナイバッチ!」


 木村の出塁にベンチが沸く。


 応援席にいる吹奏楽部は何故かドラゴンクエストのレベルアップのBGMを演奏していた。


 続く、二番セカンド山崎はバントの姿勢を見せる。


 大平高校の投手が第一球を投げると同時に木村は二塁へと盗塁をした。


 相手のキャッチャーは二塁へと送球をするが、その送球は二塁へは届かずにワンバウンドの送球となった。


 木村の足が圧倒的に勝り、結果は盗塁成功となった。


「ナイスラン!」


 ベンチがそう言った後に応援席の吹奏楽部はドラゴンクエストのレベルアップのBGMを演奏した。


 これで、ノーアウト二塁でワンボール・ノーストライクだ。


 相手が第二球を投げると同時に山崎が一塁側にバントを決めた。


 二塁ランナーの木村は悠々と三塁へ進塁し、山崎は一塁に到達する前に送球でアウトとなった。


「オッケー、さすがバント職人!」


 ベンチがそう言うと、応援席の吹奏楽部はファイナルファンタジーのレベルアップのBGMを演奏した。


 この夏は全部、ゲームの曲で押すつもりだろうか、あいつ等?


 吹奏楽部の選曲に違和感を覚えながらも、俺はゲームの進展をベンチで見つめていた。


 続くバッターは三番キャッチャーで主将の金原だ。


 相手ピッチャーが第一球を投げると、金原は初球を見送った。


 保土谷球場のバックスクリーンには、一一二キロと表示されていた。


 遅い。


 この実力で試合前にあんな啖呵を切ったのか。


 これでもし試合に負けたら、相手は何というのだろうか。


 例えば「こんな結果は認めない!」とか、「いかさまだ!」とか何の科学的根拠もなく、声高に叫ぶのだろうか?


 そうだとしたら、とても見苦しいなと俺は感じた。


 集団でヒステリーを起こす連中には理詰めで理論を語っても、余計に癇癪を起させるだけだ。


 だから、俺は何も言わないが、この学校の連中は試合に負けたら、暴力沙汰でも起こすのだろうか?


 だとしたら、こいつらは全うな連中ではないな。


 マナーが悪すぎる。

 

 大平高校の連中は実力もそうだが、規範が出来ていない。


 こんな奴らはどんなに声高に不平等や正義を訴えても、誰からも支持されない。


 何故なら、自分たちの力無さを認めない不誠実な連中だからだ。


 そう俺が脳内で毒づいていると、金原がセンター前にヒットを放った。


 木村は三塁からホームへと帰り、早川高校が一点を先制した。


 タイムリーヒットだ。


「キャプテン、ナイスです!」


 部員達がそう言うと、一塁ベース上で金原は控えめにサムズアップで答えた。


 ランナーだった木村はベンチに帰ると、部員達とハイタッチをする。


「ボール遅いですね?」


 六番ライトで出場する、一年生の木島がそう言った。


「変化球はスライダーやカーブで、マックスが一二〇キロぐらいかな」


 木村がそう言うと、木島は「平均的な投手ですね」とだけ言って、ネクストバッターズサークルへと向かっていった。


 相手チームは内野が集まって、何かを話しているが、投手が激高してキャッチャーの胸倉をつかんでいた。


 仲間割れを起こしている。


「あぁ、もう相手はバラバラだ」


 木村がそう言うと、その様子を見た審判が大平高校に早く試合を再開させるように注意した。


 相手のピッチャーが釈然としない様子で、マウンドに立ち、早川高校の四番サード林原にストレートを投げ込む。


 その初球だった。


 打球は大きな放物線を描き、保土谷球場のバックスクリーン直撃のホームランとなった。


「しゃあ~!」


「プロも見ているよ、プロも!」


 部員達がそう言うと、林原が無表情でダイヤモンドを一周する。


 すると応援席にいる吹奏楽部はマリオのステージクリアのBGMを演奏していた。


 もういいよ、ゲームの曲ばっかり・・・・・・


 俺は吹奏楽部の選曲内容に辟易していた。


 あいつらはゲームおたくの集まりか?


 ファミ通でも購読しているのか?


 俺がそう考えていると、ベンチに林原が戻ってきた。


「ナイスです」


 俺がそう言うと、林原は拳をこちらに向けてきた。


 俺はそれに答えて拳を林原と合わせた。


「相手は打ちやすいですか」


 俺がそう言うと林原は「かなり打ちやすい」とだけ答えた。


 部員たちが林原のホームランに沸きだっていた、その時だった。


 左打席に入っていた、井伊が相手の初球を叩き、ライト方向にライナー性の打球でホームランを放ったのだ。


「おぉ~! ミラクル一年!」


 木村がそういう最中で、背番号一九の小柄な体がダイヤモンドを回る。


 これがリードしている展開じゃなくて、もっと、重要な局面で打ってくれるといいんだけどな?


 井伊がベンチに戻ると俺は「よっ、アジアの大砲」と言った。


「約束は果たしたぞ、ボーイ」


 井伊がそう言うと俺は「次は重要な局面で打てよ」と言った。


 とりあえずグータッチはした。


 相手ベンチを見ると、すでに泣き出している部員もいて、この試合の勝敗は早くも決しているかのように俺には思えた。


8


「いや~今日も打った、打った」


 試合は五回を前に早川高校が13点リードをした為、俺たちのコールド勝ちになった。


 試合後に相手とは礼はしたが、相手は泣いた状態で試合終了後に動けなくなってしまった選手がいた。


 別にそれに文句はないし、人によっては感動を呼ぶものかもしれなかったが、俺はそんな感情を露わにする前に、試合中のマナーなどの規範を正す必要があるのではないかと思った。


 そういう意味では大平高校はあまり好感の持てない相手だと言える。


「よ~し、初戦突破を記念して牛丼ギガ盛りを食うぞ」


 井伊がそう言って、牛丼ギガ盛りを豪快に頬張り始める。


 ここは保土谷駅近くにあるチェーン店の牛丼屋だ。


「いや~、試合勝ててよかっわぁ、俺は出てへんけど」


 柴原が牛丼を頬張りながらそう愚痴った。


「木島も三安打か。ええなぁ」


 柴原が口に米を付けながら、木島に目線を向ける。


 俺は「柴原、口に米ついている」と言った。


「おっ、そう言えばお前も試合に出ていなかっな」


 そう言うと柴原は「ガスパージン、ガスパージン」と言って、俺に抱き付いてきた。


「止めろ、お前に抱き着かれると変な何かがとりつく」


「何や、人を貧乏神扱いしおって!」


 柴原はそう言うと、再び牛丼を食べ始めた。


「木島はギガ盛りにしなくていいのか?」


 井伊がそう言った先には牛丼並盛を頼んだ木島がいた。


「僕は少食だから・・・・・・」


 笑いながらそう言う木島を「貴様、それでも日本男児かいな?」と柴原が唾と米を飛ばしながら、叫びだす。


「お前、食べながら話すなよ」


 俺がそう言うと柴原は「やかましい!」と言った。


「貴様、そうやって女子に中性的なイメージを売りつけるつもりかいな?」


 こいつは煩悩の塊か?


 俺は無言で柴原の頭を叩いた。


「何すんねん!」


「お前が木島を非難する理由は不純すぎる」


「何やと!」


 柴原はそう言って、立ち上がろうとしたが、俺は柴原の後頭部を掴み、牛丼に顔を埋めようとした。


「うぉぉぉ! 牛丼が目の前に!」


「牛丼で溺れるか?」


「やめて~! ワシを牛丼で窒息させんといてや~!」


 柴原がそう言っている最中、俺はふと視線を感じて、周囲を見回す。


 すると、そこには大平高校の選手達、三人がこちらを睨み据えていた。


「三人とも、急いで牛丼食って、ここを出るぞ」


「うん、何でや?」


 柴原が牛丼まみれになった顔をこちらに向ける。


 すると、木島が視線に気づいたのか「分かった」と言って、牛丼を食べ始めた。


 井伊は「うぉ~! アイン専属警護官としての俺の血が騒ぐ!」と叫んだ。


「いいから、早く食え」


 俺は井伊の頭を叩いた。


「うぉ!」


 井伊はそう言って、おどけていたが、俺は大平高校の選手たちがどのような行動を取るかを予想し始めた。


 まぁ、相手も警察に捕まりたくないだろうから、暴力行為は実際にしないとは思うがな?


 俺は万が一に備えて牛丼を半分残すことにした。


9


 牛丼屋を出ると、大平高校の生徒達がぞろぞろとこちらの後を付けてきた。


「アイン、何か物々しい雰囲気だな・・・・・・」


 井伊が不安気にこちらを眺める。


「まぁ、あいつらの体格を見れば俺たちでも普通に勝てるだろう」


 事実、大平高校の生徒達は小柄で細い鳥ガラのような、体つきをした連中ばかりだった。


「まぁ、殴る蹴るをした時点で警察が介入するだろう」


 俺がそう言うと、その前に八人ぐらいの大平高校の生徒達が立ちふさがった。


 後ろに戻ろうとすると、先ほど牛丼屋から出てきた生徒たちがいた。


「よう、浦木」


 目の前に立っている男子生徒は俺よりも背が低かった。


「何か用か?」


「俺たちは警告をしに来たんだよ」


 男子生徒はそう言うと、拳からこきりと音を立てた。


 自分の体格を考えて、そういう行動をしろよ?


「お前ら、これ以上勝ったら、皆殺しにする」


 穏やかな話ではないな?


「どけ、早く帰りたいんだ」


「お前の家まで付いていくぞ、良いのか?」


 男子生徒たちが俺たちの行く先を防ぐ。


「おい、まだ話は終わっていないんだよ」


 そう言うと、男子生徒はニヤニヤと陰湿な笑みを浮かべて、俺の前にやってきた。


「とにかく殺されたくなかったら、次の試合負けろよ」


 相手がそう言うと同時に俺は「じゃあ、今やればいいだろう」と言った。


 すると男子生徒は「何だと?」と眉をピクリと動かした。


「お前らが本物の武闘派なら、まず四対八人の段階だからここでおっぱじめているだろう?」


 俺がそう言うと、男子生徒は黙ってしまった。


「つまり、お前らは最初から俺たちに対して、暴力を起こすつもりは無い。そのつもりならこの状況で、今すぐに何らかの暴力行為を働くつもりだ」


 俺がそう言うと、相手は顔を真っ赤にさせて「黙れよ! 雑魚が!」と叫び始めた。


「口を動かさないで、何らかのアクションを出せよ?」


「黙れよ!」


 そう男子生徒が言うと、大平高校の生徒達が「おい、もうやめよう」や「さすがにやばいって」という声を挙げていた。


 すると、近くにバイクを走らせていた、警察官がいたので手を振って、こちらに呼び寄せた。


「お巡りさ~ん」


「助けて~!」


 井伊と柴原が大声を出す。


「てめぇら、ふざけんなよ!」


 男子生徒が俺に向かって、唾を飛ばしながらこちらに対して叫び始めるが、時すでに遅し。

 

 警察官が「どうした?」と言ってやってきた。


「この人達が絡んでくるんです」


 木島がそう言うと「君ら、大平高校の連中か」と警察官が言った。


「おい、行くぞ・・・・・・」


 男子生徒が顔を真っ赤にしながら、計十一人のお伴を引き連れて、その場を後にしようとした。


「ちょっと待って、話聞いていないから」


 警察官が去ろうとする、大平高校の生徒たちの前に立つと、男子生徒が「うるせぇよ、お巡り!」と叫び始めた。


「お巡りさん、先ほど僕ら彼らと野球の試合をしたんですが、彼等は負けた上に牛丼を食べていた僕等に『次の試合で勝ったら皆殺しにする』と言われました」


 木島がそう言うと、警察官は「それは脅迫だよね?」と言い出した。


 すると警察官は無線で応援を呼び始めた。


「おい、何だよ!」


「俺らは何もしてないよ!」


 大平高校の選手達はそう言うと、泣き出し始めた。


 すると五分もしないうちに数人の警察官が応援にやってきた。


「あぁ、この子たちを囲んでいたのね」


 中年の警察官がやってくる。


「事件性は無いと思いますが、一応話は聞いた方が良いとは思います」


 一番初めに来た、若い警察官に俺は「家まで付いてくるとか言っていましたよ」と言った。


 そう言うと、先ほどの男子生徒が「お前、いい加減にしろよ!」と怒鳴り始めた。


 それに対して俺は「事実だろう?」とだけ言った。


「あっ、それは脅迫だね?」


 中年の警察官が言い出す。


「でっ、実際に暴行はされたの君たち?」


 もう一人の警察官が俺達に聞き出す。


「いえ、暴行はされてはいませんが、取り囲まれて好き放題言われました」


 井伊がそう言うと俺は「実際に喧嘩するなら、数的有利のこの状況でやるはずです」と言った。


 すると今まで黙っていた木島が「彼らは口だけです」と付け加えた。


 すると男子生徒は顔を真っ赤にして、こちらに「黙れぇぇ!」と怒鳴り始めた。


 しかし、それを警察官が遮った。


「まぁ、証拠があれば君たちのやった行為は脅迫だよ」


 すると、大平高校の選手達は「行くぞ!」と言って、こちらを睨みながら、どこかへ去っていった。


「待ちなさい」


 そう言って、警察官達が不良少年を追う中で中年の警察官がこちらを向いた。


「君たちも挑発的な言動は控えろよ」


「はい、以後気を付けます」


 俺を含める四人が声を揃えて、そう答えた。


「一応は聴取取るけど、事件化するかい?」


「どうする?」


「する」


 俺がそう言うと、井伊と柴原と木島は強張った顔をこちらに向けた。


「鬼子や・・・・・・」


「お前、相手が悪いと言ってもそれは無いだろう?」


「俺相手に脅迫なんてことをしたんだ。どういうことになるか思い知ればいい」


 俺がそう笑みを浮かべると、井伊と柴原「聴取で警察署行くのか?」や「明日は練習は軽めやから、えぇけどなぁ?」と言いながら、警察官と言い争う大平高校の学生達を拝む。


「ナ~ム~」


「くわばら、くわばら」


 井伊と柴原がそう言うと俺は「暴行するならその場ですぐやるさ」と言い放った。


「でも、許さへんのか?」


「当たり前だ、奴らは犯罪者だ。慈悲は不要だ」


 すると井伊は「鬼子だ」とだけ言った。


「あの手の細身のチーマーにもなれない奴には、人を殺す度胸は無いよ」


 これは俺の持論である。これが大柄で腕が太い格闘家やどこぞのボブ・サップなら、逃げることも選択肢に入るが、口だけで実際に体つきも貧弱で、人を殺す度胸を持っていない奴は家までストーカー紛いの追尾を行うだけで、実際には何も危害を加えない。


 要はそれ以外には害がないのだ。


 だったら好きなだけ後を付けさせればいい。


 別に何も危害が加わらないのだから。


「牛丼全部食べておけば良かったな」


 俺がそう言うと井伊は「これから、警察署か?」とだけ言った。


 空は夕暮れ時になり、どこかからヒグラシが鳴いていた。


10


 三日が立った正午。


 俺は旧名平塚球場、バッティングパレス相石スタジアムひらつかのマウンドに立っていた。


 スコアは七対〇で早川高校が相手の箱川学園に大きくリードした四回の表、俺はここまで相手に出塁を許さない、パーフェクトピッチングを展開していた。


 打線が一巡して、相手の一番バッターが打席に立つと、金原がマウンドへと駆け寄ってきた。


 それと同時に内野陣も一斉にマウンドへ駆け寄ってきた。


「お前、さっき、観客がざわめいたの気付いたか?」


 金原がそう言うと俺は「いいえ」とだけ言った。


「さっき、一四六キロ出たよ」


 俺がそう言うと井伊は「これで勝ったら、お前はスターだな」と大声で言いだした。


「そんなに出ていましたか?」


「まぁ、監督は相手が設備が整っていないから、バッティングマシーンを用意できないことを考慮して、速球派のお前を先発させたんだろう」


 そう言った金原はミットで口を隠してそう語る。


「今日はストレート主体で行くぞ」


 金原がそう言うと、俺はグラブで口を隠しながら「縦スラも投げたいんですけど?」と言った。


 すると金原は「バックネット裏」とだけ言った。


 バックネット裏を見ると、練習試合を戦った、建長学園と王明実業の選手達がこちらを見つめていた。


「だから、余計な情報は与えたくないんだよ」


 金原がそう言うと俺は「分かりました」とだけ言った。


 金原が「よし、抑えるぞ!」と言うと、内野陣は「ウェイ!」と言って、各ポジションに散らばった。


 金原が定位置に戻ると、俺はサインを確認した。


 サインはアウトコース中段へのストレート。


 俺はそれを確認すると金原のミットへボールを投げた。


 するとそれは見事に収まり、再び観客がどよめく。


 それを聞いて、もしやと思い、バックスクリーンを眺めると一四八キロと計測されていた。


 そんなに俺の球は速いのか・・・・・・


 自分でも多少驚きは隠せないが、その感情をコントロールしながら金原のサインを眺める。


 次はインコース低めのストレートだ。


 俺はサインを確認すると、ボールを投げた。


 すると相手バッターはそれを見送り、ストライクとなった。


「良いねぇ! ツーストライク!」


 金原がそう言った後に、返球を受け取り、俺はロジンバッグを手に取り、すぐにそれを投げ捨てた。


 金原の次のサインは高めの釣り球だ。


 俺はサインを確認して、ノーワインドアップのトルネード投法からボールを投げ込むと、相手バッターは見事に空振りをした。


「オッケー! 球来てるよ」


 これで三振は七つ目、俺は暑さの中で集中力を切らさないように金原のミットだけを眺めていた。


11


 翌日、夏休みの学校のグラウンドで練習をしていると瀬口が新聞を持って「凄いよ! 浦木君!」と言ってやってきた。


 瀬口が持ってきたのは地元のローカル紙だったが、スポーツ面の大半は俺が一四八キロを計測したことを書かれていた。


 ちなみに昨日の試合は五回までに早川高校が一一点をリードしていたので、コールドゲームで勝敗が決した。


 その為、参考記録扱いの為、目立たないが、俺はパーフェクトゲームも達成していた。


「ほう、アインもついにスターへの道を歩み始めたか・・・・・・」


 井伊が湯呑で茶をすすりながら、新聞を見る。


 もはや爺さんだな?


 さすがは老生クラブ。


「これで、もしかしたらプロ入りもあり得るかもしれんな?」


 柴原が言ったプロと言う言葉は俺の中では実感がない形で聞こえたが、そうなれば俺の目的に近づくだろうとは思えた。


 もっとも、引退まではまだ二年もあるから、まだ時間はあるが。


「う~ん、許せへんな」


 柴原がそう言うと、井伊は「同感だな」と言い出した。


 俺が「何で?」と聞くと「お前ばかり、活躍しよって!」とお決まりのひがみが始まった。


 俺達がグラウンドでそう話をしていると、グラウンドの外で女子生徒が「浦木ク~ン!」と声をかけていた。


「早くも人気が出ているね?」


 瀬口が笑いながらそう言うと、柴原は中国拳法の鶴のポーズを構え始めた。


「許さんぞ、浦木」


 すると井伊は蟷螂拳のポーズを取り始めた。


「お前ばっかり、人気が出て、不公平だ!」


 俺は二人に対してノーガードの構えを見せた。


「お前ら、また懲りずにポリスストーリーの真似事をやるのか」


「今度は負けへんでぇ~」


「お前はすでに死んでいる」


 上等だ・・・・・・


 俺はファイティングポーズを取り、二人に戦いを挑む。


「うぉぉぉぉぉ!」


 俺たちの叫びがグラウンドに響く中、瀬口が「ちょっと待って!」と言い出した。


「何だ?」


「男の戦いを邪魔するんやない!」


 井伊と柴原が揃って抗議する中、瀬口が「何か醤油の良い臭いがしない?」と言い出した。


 確かにグラウンド周辺では醤油の香ばしいにおいがする。


 さらに何故かカレーの独特の臭いも漂っている。


「何だろうな?」


「何や、死合いはせんのか!」


 物騒な漢字を使うなよ・・・・・・


 俺はそう思いながら、臭いのする方向へと向かうと、俺の父親が仮設の屋台を開いて、焼きうどんとカレーを作っていた。


「おう、どんどん食べろよ」


「ありがとうございます!」


「ウメェ!」


 部員達は焼きうどんとカレーを笑顔で頬張っていた。


 何で父さんがこんなところで屋台をやっているんだよ!


「父さん!」


 俺は抗議の目線を父に向けたが、父は飄々とした表情で「おぉ、アイン!」と手を振っていた。


「何しに来たんだよ?」


「いや、お前が普段お世話になっている、監督と部員の皆さんにご挨拶をと思ってな?」


「何も、屋台を開くことは無いだろう」


「仕方ないだろう。料理したいんだから!」


 どんな理由だよ。


 単に自分の料理スキルを自慢したいだけじゃないか!


 俺が閉口した表情で父が焼きうどんを作っているのを見ていると、補欠二、三年の部員達から「お前の父ちゃん料理上手いな!」や「うめぇ~」と言われながら、肩を叩かれ続けた。


「お~う、本格的やな」


「俺も欲しいな」


 井伊と柴原は紙の皿を取り出す。


 何気に大繁盛しているじゃないか?


 俺も食おうかな・・・・・・


 年中食べているけど?


 俺は紙の皿を取り出すと、瀬口が「あっ、私も食べようかな」と言い出した。


 すると井伊が「ダメだ!」と言い出した。


「何で?」


 瀬口が大きな目を細める。


「ワシらの取り分が無くなるからや!」


 そう言った後に、瀬口と柴原のにらみ合いが続くと、父が「まだ、たくさんあるから食べなさい」と言い始めた。


「よし、時間が無い、食うぞ!」


 井伊が紙の皿にカレーを入れ、すぐに頬張り始めた。


「よし、ワシは焼きうどんや!」


 もはや、敵がいないフードファイトが展開されているな。


 俺は内心あきれ返りながら、父の作った焼きうどんを食べた。


 とても美味いというのが率直な感想だった。


 これが夏じゃなかったら最高なんだけどな・・・・・・


 俺は暑い夏に鉄板焼のメニューとカレーをぶつけてきた父に抗議したい気分だった。


12


「いや~! 食ったな!」


 井伊と柴原はどこかで調達してきた、つまようじで歯に詰まった、肉やらなんやらを取り出していた。


「いや~、食いすぎで練習できへんかったな?」


 事実、父が屋台を開いたせいで、多くの部員が焼きうどんとカレーを頬張り、食べすぎた為、練習が出来なくなってしまった。


 そのせいで俺の父親は監督にこっぴどく怒られる羽目になった。


 とても恥ずかしかった。


「最終的には川村さんや他の部活の連中まで来てなぁ?」


 俺はグラウンドをトンボで整備しながら、夕暮れを見つめていた。


「いや、実際、美味かったよ」


「今度も来てくれへんかな~」


 そしたら、また食べ過ぎで練習できないだろう。


 今日に至っては、試合が二日後に迫っているのに・・・・・・


「みんな~! 一緒に帰ろう!」


 瀬口がボストンバックを持って、こちらに手を振る。

 

 川村も一緒に手を振っていた。


「おう、もうそんな時間かいな」


 俺たちもバックを担いで、グラウンドを後にすることにした。


 野球部なので利き腕ではない方の肩で背負っている。


「いや~、焼きうどんおいしかったよ。浦木君」


 川村が俺の左肩をぽんぽんと叩く。


「・・・・・・いい迷惑ですよ」


 俺がそう言うと、川村が大きな高笑いを浮かべた。


「まぁ、たまにはいいじゃない」


「川村先輩や瀬口はインターハイがあるでしょう?」


 そう言うと「まぁ、予選は必ず勝つわよ」と川村は再び高笑いを挙げた。


「私は九十九パーセントの才能と一パーセントの努力で、成り立っているから」


 大した自身だよ?


 どこからその自信は来るんだろか?

 

 俺は歩きながら、半ば呆れかえっていた。

 

 校門を出ると年配の警備員に「さようなら」と声を掛ける。


 警備員は敬礼をしてくれた。


 今の時代は何が起こるのか分からないので、ウチの学校には元警察官の警備員がいる。


 噂によれば、あの警備員は何らかの不祥事を起こしてウチに来た元警察官だという。


 もっとも、校内でその事実を知る人間はどのぐらい、いるかは知らないが・・・・・・


「いや~お腹すいたな」


 川村がそう言うと、俺は「まだ食べるんですか?」と言う。


 すると井伊が「ファミレス行きますか?」と言い出す。


 柴原は「おっ、ええやないか!」と言い出す。


 止めてくれよ、焼きうどんとカレーを食べて、胃がパンパンだよ。


 運動部に所属する学生の食欲に閉口した俺だった。


 すると、川村が「うん?」と後ろを振り返る。


「どうしました?」


 俺がそう言うと瀬口が「誰か付けてきている」と言い出してきた。


 後ろを振り向くと、俺と同じクラスの男子、女子生徒がスマートフォンをいじりながら、こちらの後を付けてきた。


「奴らは自分たちのコミュニティで悪口言っているだけですから」


 俺がそう言うと、川村が「気にしなければいいわね?」と言った。


 そうして四人がバスに乗り込むと、男子・女子生徒はいなくなっていた。


「あれ、いなくなった?」


「やることに意味がないって気づいたんじゃない?」


 川村がスマートフォンでゲームを始めた。


 すると、瀬口が急にバスを降り始めた。


「おい、真ちゃん!」


 井伊も後を追い始める。


「何や! どないしたん!」


 柴原も後を追う。


 一体どうしたんだ・・・・・・


 俺と川村もバスを降りて、瀬口の後を追う。


 すると、そこには倒れて気を失っている、男子生徒と女子生徒がいた。


「・・・・・・何だ、これは?」


 すると、瀬口が膝から崩れ落ち、涙を浮かべ始めた。


「真ちゃん、何があったんや!」


 柴原がそう言って、瀬口の肩を揺するが、瀬口は涙を浮かべながら何も言わない。


 俺は倒れているクラスメイトの腹を蹴った。


「うぅぅ!」


 クラスメイトは意識を取り戻した。


「おい、起きろ」


「・・・・・・うわぁぁぁ!」


 男子生徒は起き上がると、恐怖に満ちた表情で叫びだした。


「何があった? 話せ」


 すると男子生徒は何かに怯えた様子で「知らない! 俺は何も知らない!」と言って起き上がり、走り出した。


「・・・・・・どうする、アイン?」


「職員室に行って、教員に報告した後に、警察を呼ぶか?」


 今まで、散々好き放題してきた奴らに関わるのは気乗りはしなかったが、俺は職員室へと向かっていった。


13


 学校で謎の傷害事件が起きた二日後、プロ野球横浜スターズの二軍本拠地である横須賀スタジアムで夏の甲子園神奈川県予選の四回戦が行われていた。


 早川高校対東証大付属高校との一戦が行われていた。


 相手は県内でも強豪中の強豪だが、九回の裏ツーアウトで、早川高校が三点のリードをしている状況だった。


 マウンドには先発のエース、沖田がマウンドに立っていた。


 沖田は左のサイドスローから多彩な変化球と抜群のコントロールで相手を被安打五に抑えていた。


「沖田先輩って、凄いんやなぁ~」


 ベンチにいる柴原がそう言うと、控えキャッチャーの倉井が柴原の隣に立つ。


「あいつは軟投派とか技巧派とか言われているから、結構過小評価されがちだけど、通算防御率は一点台なんだよ」


 それなら背番号一の価値もあるな?


 勝利が目前に迫った中で、アインはベンチで緑茶を飲んでいた。


 すると相手バッターがサードにゴロを打ち、サードの林原が一塁へと送球する。


 試合が終わった。


 すると早川高校の応援席にいる吹奏楽部はマリオのステージクリアのBGMを流し始めた。


 もう、慣れたからいいけどさ?


 相手のバッターがグラウンドで泣き崩れる中、早川高校のナインたちはハイタッチをしていた。


「いや~、ここまで快進撃やな?」


 柴原がそう言って、満足気な表情を浮かべていた。


 俺は柴原に対して「後はお前の出番が回ってくればな?」と言った。


 柴原は「お前も今日は出番無かったやないか!」と言って、中国拳法の鶴のポーズを披露した。


「おっ、やるか?」


 俺はファイティングポーズでそれに答えた。


 そして、控えキャッチャーの倉井に頭を叩かれた後に「バカか、お前ら!」と怒鳴られた。


 まぁ、当然と言えば当然か。


 俺はグラウンドから戻ってきた、ナインをハイタッチで出迎えた。


 みんな、汗臭いな?


 七月の青空の中、その汗臭さがうっとうしく思えた。


14


 試合の翌日は練習が休みだった。


 寝ていようかと思っていたが、川村からLINEで連絡が届いていた。


 何だ?


 その内容を見ると、瀬口が学校で傷害事件が起きた後から、部活の練習に来ていないのだという。


 俺にどうしろと言うんだ?


 俺は川村が待ち合わせ場所に指定した、大船の喫茶店に入った。


 今日は私服だ。


「来たな、大将」


「俺はまだ一年ですよ」


 俺はそう言った後に、喫茶店のメニューを見る。


「バナナシェイク」


 ウェイターにそう言うと、


 川村は「よっ、チルドレン舌」と言った。


「実際、未成年なんで」


「ふ~ん」


 そう言った、川村はブラックコーヒーを飲んでいたので、若干悔しかったが、俺は水を飲んでバナナシェイクを待つことにした。


「でっ、瀬口の家に向かうんですか?」


 俺がそう言うと川村は「まぁ、正確に言えば横浜市の栄区なんだけどね」と言った。


「結構、良いところに住んでいますね」


 栄区は横浜と鎌倉の境に存在する、高級住宅街だ。


 あいつの家は結構な金持ちなのかもしれない。


「一応、親御さんの許可を取れたけどね」


「なら、行けばいいじゃないですか」


「浦木君も行くよね?」


 川村がそう言うと俺は「いや、俺は止めときますよ」と言った。


「何で?」


「俺は陸上部の部員じゃないので大義名分がないです」


「真が心配じゃないの?」


 そう言われると、心が揺らぐな?


 と言っても、女の家に向かうのは少し、気が引ける。


 単なるクラスメイトだし。


「私が一緒に行くから、問題ないわよ」


「向こうの親御さんに断りは入れたんですか?」


「うん、私が行くことはね」


「俺は許可されていないでしょう?」


 そう言うと川村は目を背けながら「うん、まぁ・・・・・・」と答えた。


「じゃあ、ダメでしょう」


 そう言うと、川村は目を細めて「私が浦木君とデートする口実が欲しいの!」と言い始めた。


 あまりにも大きな声だったので、目の前で音楽を聴きながら、読書をしていた大学生に睨まれた。


「あっ、すいません」


 大学生の舌打ちを聞いた後にバナナシェイクが俺の目の前に置かれた。


「とにかく、それ飲んだら行くよ」


「バスに乗るんですか?」


「いいえ、歩いていきます」


 外は何度だと思ってんだ。


 この人は・・・・・・


 空調の効いた喫茶店から出るのには勇気がいるな?


 俺はバナナシェイクを飲み干すと「デートはしませんよ」と言った。


「させます」


 そう言って、川村と一緒に喫茶店を出た。


 外は日本独特のじめじめとした湿度と太陽の暑さを伴った、独特の暑さだった。


 気温も三五度を超えている。


 これだとアメリカの方が過ごしやすいな。


 俺はハンカチで汗をぬぐい始めた。


「よっ、王子!」


 川村がそう言ったが、俺は「何です、王子って?」と答えた。


 意味が分からなかったのだ。


「・・・・・・アメリカ暮らしが長いからね」


「いや、意味を教えてください」


「いいよ、行こう」


 川村が走り始めたので、後を追う事にした。


 この暑いのに走るなよ。


 喫茶店を出て数分、俺はすぐに汗だくになっていた。


15


 大船の商店街近くにある喫茶店から歩いて二十分から三十分程度。


 夏の真昼なので、歩くだけで汗が噴き出す。


「街灯がほとんどないですね」


「真の話によると、この辺りではオヤジ狩りが横行していたそうよ」


 つまり、夜になると光は無く、真っ暗だという事だ。


 そう思いながら、住宅街へと入る坂道を上る。


 山沿いに住宅があるという時点で、古典的な富裕層の定義に当たるのだろうな。


 俺はそう考えながら、坂道を駆け上がると、川村が「そこ右」と言った。


 高級住宅街と聞いていたので、豪勢な家が建っているのかと思ったが、瀬口の家は一般的な一軒家だった。


 アメリカでは中流の人間でも、もっと広い家に住んでいるのだが?


 日本は土地が狭いからだろうか?


 まぁ、それにしても日本人は質素だな。


 俺はそう考えながら、ハンカチで汗を拭う。


「じゃあ、押すよ」


 川村がインターホンを押すと「はい」と女性の声が聞こえた。


「あっ、私、陸上部の川村です」


「今、行きます」


 すると二十秒もしないうちに玄関のドアが開き、四十代ぐらいの女性が現れた。


 美人だな?


 もっとも、所帯持ちに手を出すと、倫理的にまずいが?


 俺は社会を賑わすゲス不倫なるものを頭に思い浮かべていた。


「あなたが川村さん?」


 恐らく、瀬口の母親であろう、夫人が笑顔でそう言うと、川村は「はい」と答えた。


 すると、夫人は急に表情を硬化させ「そちらの方は?」と言った。


 さて、どう説明する。


 俺が川村の方を見つめると、川村は「真さんのクラスメイトです」と言った。


 すると夫人は「はぁ」と腑に落ちない表情で俺を見た。


 男が女の家に上がり込むとなると、その家の両親は当然警戒するだろう。


 川村には何らかのフォローをしてもらいたかったが、夫人が「どうぞ、お上がり下さい」と言ったので、何とか家の中に入ることが出来た。


「お邪魔しま~す」


 俺と川村がそう言うと、家の中では犬が走り回っていた。


 何故かブルドックだ。


「あぁ、グーちゃん」


 グーちゃん・・・・・・


 どんな意味があるんだ、その名前に?


 すると奥からボストンテリアもやってきた。


 すると夫人は「あら、パーちゃん」と言い出した。


 パーちゃん?


 もしかして、ジャンケンの決まり手で名前を付けたのか?


 すると川村が「もしかしてチョキちゃんとかいるんですか?」と聞いた。


 珍しくナイスな質問だった。


「さすがに三匹目はねぇ? 欲しいけど」と夫人が満面の笑みで答えた。


「真、お客さんよ!」


 そう言うと、瀬口が「うん・・・・・・」と言う声を出していた。


 瀬口の部屋は二階にあるようだ。


「じゃあ、ここで待っていてね」


「あっ、お構いなく」


 川村がそう言った後に、夫人は紅茶を入れる準備をする。


 俺は部屋の周りを見ると、リビングには中年の男とテレビで見た事のある男が硬い握手をしている写真があった。


「あっ、これは瀬口元総理ね?」


 あぁ、そう言えば元総理大臣だな?


「そう言えば、苗字が同じでしたね?」


「もしかして・・・・・・」


 二人がそう言うと、夫人が「夫の兄よ」と言った。


「へぇ~真ちゃんの叔父さんって、総理大臣だったんですね?」


 川村がそう言うと、夫人は「ちなみに私の夫も政治家よ」と恥ずかし気に語った。


 瀬口は政治家の娘だったのか・・・・・・


 俺は「この辺から出馬しているんですか?」と聞くと、夫人は急に警戒心を表情に表しながら「えぇ、一応鎌倉から出ているわね」とだけ言った。


 まぁ、当たり前の反応と言えば反応だが?


「一応、夫は閣僚なのよ」


 夫人は川村に自慢げに語る。


「へぇ、どのようなポジションですか?」


「国家公安委員長ね」


 となると、日本の治安部門を総括する部門か。


 瀬口に対してはあまり悪いことが出来ないな、


 仮にやれば国家権力の手によって逮捕されるだろう・・・・・・


 俺は脳内でそう考えながら、夫人に促され、川村と共にソファに座り込む。


 そうすると夫人から、イチゴのショートケーキと冷たい紅茶が出された。


「あっ、いただきます」


 二人でそう言うと同時に、二階から瀬口がやってきた。


「すみません、川村先輩」


「ん、来たな?」


 そう言った瞬間、瀬口は満面の笑みを浮かべるが、俺を見た瞬間、何故か神妙な顔つきをする。


「浦木君も来ていたんだ・・・・・・」


「いや、この人に無理やり連れてこられてさ?」


「他人のせいにするのは良くないぞ、浦木君」


 川村に頭をさすられるが、俺はそれを払いのける。


 すると夫人がそれを怪訝そうな表情で見つめる。


 しまった・・・・・・


 ここは学校では無いのだ。


 少し、気を引き締めないとまずいな。


 俺は脇汗が止まらないなと感じ始めていた。


「早く練習に来なよ。インターハイが待っているから」


「そうしたいのは、山々なんですが・・・・・・」


 真がそう言うと夫人が「そうよ、みんな心配しているんだから」と言った。


「もしかして、学校で起きた傷害事件が関係しているのか?」


 俺がそう言うと、リビングは水を打ったかのように静かな状況になった。


 地雷を踏んだかな・・・・・・


 俺は内心舌打ちをしたい気分だったが、紅茶を飲んで、やり過ごした。


 すると瀬口の表情は明らかに強張り始めた。


「・・・・・・さすがに浦木君は洞察力が鋭いね?」


 瀬口は作り笑いを浮かべて、そう答えた。


「お母さん、席を外して」


 瀬口がそう言うと夫人は「何で?」と怪訝な表情を浮かべた。


 すると、瀬口は「どうしても・・・・・・」と沈んだ声で言い出した。


 すると、夫人は「犬の散歩に行ってくるわ」とだけ言った。


 そして、先ほどのブルドックとボストンテリアを連れて、外へと出て行った。


「すいません、うちの両親は過保護なので」


「まぁ、私たちが変なことをしないと信用された証ね」


 そう言って、川村が俺を見る。


「俺は井伊や柴原とは違いますから」


 そう言うと瀬口と川村は大きな笑い声を挙げた。


「あの二人ならこの状況でやましいことを二十件はこなしているかもしれないね?」


 川村がそう言うと、俺は「しかも国家公安委員長の娘だから、警察権を使って、強制逮捕されるかもしれませんね?」とだけ言った。


 俺がそう言うとリビングは再び水を打ったかのように静かになった。


 まさか、瀬口の親父の話しが地雷になっているのか?


 俺がそう思うと、瀬口が「両親の前では言えないんですけど・・・・・・」と話を切り出した。


「何?」


「まさか、あの暴行事件の犯人は秘密警察とか?」


 そう言うと、瀬口は小さな声で「多分」と言った。


 すると俺と川村は「えぇ!」と大きな声を挙げ、驚いた。


 アメリカならCIAやNSAなどの国民にも認知されている、諜報機関があり、実際に敵対する国の要人暗殺の作戦も過去に多数行っているが、この日本で、そんなことが起こるのか?


 俺は内心、気が動転していた。


「真、ここは日本よ。そんなスパイ小説みたいなことは――」


「父は国家公安委員長です。それに私のことになると見境が無くなるようなバカな人です」


 そう言った後に瀬口は冷たい紅茶を一気に飲み干す。


「もしかしたら、あの人たちが私のことを付けていたから、警察の公安部か何かを使って、彼らに警告を与えたのではないかと思って・・・・・・」


 瀬口の話すことはまるで、スパイ小説のようなものだった。


 俺は日本の警察の仕組みについてはあまり、よく理解は出来ていないが、公安部がテロ対策や諜報などを行っていることは何となく知っていた。


「あれは、浦木君を追っていて――」


 そう言った、川村が一瞬「あっ!」とだけ言った。


 つまりは俺と瀬口がいつもつるんでいるから、あの学生たちは瀬口の事もターゲットにし始めた。


 それに何らかの方法で瀬口の父親が察知をして、警察の公安部を使い、警告の意味も込めて、謎の傷害事件を引き起こした。


 これは俺の仮説だが、瀬口の前ではそれは言わなかった。


 精神的に動揺させたくなかった。


「・・・・・・ごめん、別に浦木君が悪いとは言っているわけでは無くて――」


 川村がそう言うと、俺は「一番悪いのはあの生徒たちでしょう」とだけ言った。


「俺を尾行しているのも、どうかとは思いますが、一緒に行動している、瀬口や井伊、柴原までも巻き添えにする連中なんて、罪は侵していないにしても、卑屈な暇人どもとしか言いようがないんじゃないですか?」


 そう言うと、瀬口は涙を流し始めた。


「・・・・・・お父さんのせいで関係のない人が暴力振るわれたんだよ。しかも、国家権力を使ってー-」


「自業自得だ。あんな汚い奴らにはそのぐらいの制裁は必要かもしれない」


 俺がそう言うと、瀬口は「ごめん、帰って」とだけ言った。


「真、浦木君はあなたの味方をしているのよ」


「分かっています!」


 そう言って、瀬口はリビングを出た後に二階へと駆け上がっていった。


「・・・・・・俺のせいで君を巻き込んでしまったと言った方が良かったですかね?」


 俺がそう言うと、川村は「あなたが言うように幼稚な考えで、私たちを尾行していた彼らが悪い」と言った。


「そうですか」


「でも、少しは気づかいがあっても良かったんじゃない?」


 川村の目線は厳しいものだった。


「例えば?」


「俺が悪かったとか言わなくても、真は巻き込まれたという事を少しは配慮して、気遣いの言葉を述べるとか?」


「・・・・・・帰りましょう」


「そう、デートは無しね?」


「ありがたいです」


 俺と川村はクーラーの聞いたリビングを出て、瀬口邸から出た。


 外は湿度も高く、地獄のような暑さだった。


「案内しないけど、一人で帰れる?」


「えぇ、神社の方を通ります」


「そう、じゃあね」


 俺と川村はその場で分かれて、別々に帰った。


 配慮ね?


 川村の言ったことに反論したい気持ちと、的を得た指摘に対して、弁解をしたい気持ちと瀬口を巻き込んでしまったという事実に対する気持ちが俺の心の中に渦巻いていた。


続く。


 次回、第四話。


 精密機械との対決、来たるべき宿敵の足音。


 来週もよろしくお願い致します。

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