敗戦
ナクラは馬に乗り、頭に巻いた白布を付け直してそこに飾りの孔雀の羽をつけた。
「グナンダめ、軍議で俺を馬鹿にするだけでなく、戦場でも俺を侮辱する気だな!」
通常、王族は戦場では象か戦車に乗るものだが、例の小太りの宰相と王太子の嫌がらせでナクラのみ騎馬となっていた。それだけでなく、ナクラに与えられた数千人の部隊もお世辞にも良い軍とは言えなかった。正規兵はほとんどおらず、大半が奴隷や農民を無理矢理徴兵した士気の低い歩兵だったのだ。
「奴隷の指揮官には奴隷の兵で十分だろうよ」
グナンダがそう言っているのが思い浮かばれ、ナクラは酷く腹を立てた。
「こうなったら、この戦で武勲を挙げてあいつらの鼻を沸かしてやろう」
その言葉を胸に、彼はやる気を出して自らの持ち場につくのであった。
◆◆◆
霧の向こうからの雄叫び、それがこの戦いの始まりの合図となった。大地を震わせんばかりのバルシャーン語の叫び声に続き、矢と石が大量に降り注いだ。
バルシャーン軍は霧が晴れてから動き出すと予想していたため、兵士だけでなく将軍たちにも動揺が走る。
動揺した兵たちは初動が遅れたが、幸い矢の射程外だったため被害は出なかった。
(単なる脅し、もしくは挑発か?いや、それとも何か別の狙いがあるのか?)
ナクラは敵軍の不可解な行動の意味を考えていたが、答えが出るよりも先に戦場では変化が起こっていた。
「敵軍来襲ー!敵軍来襲ー!」
そう繰り返す伝令は、なんと最前線からではなく後方から駆け抜けてきたのだ。
「どういうことだ、いつの間に渡河してやがったんだ!?」
「後方からの敵軍来襲」このことはテガン軍を大混乱に導くのに十分な情報だった。
多くの部隊がそれによって後方へ軍を反転させたが、彼らを待ち構えていたのは暴れ回ってこちらへ突っ込んでくる戦象部隊と、そのさらに後ろから矢を放ってくるバルシャーン騎兵たちであった。別動隊がいつのまにか渡河し、戦象部隊の後ろまで回り込んでいたのだ。そして、バルシャーン騎兵の放った矢で驚いた象たちが暴れ出してしまったのである。
「落ち着け、落ち着け」
象使いたちは必死に象を止めようとしたが、後方から絶えず矢が飛んでくるため、全く象が言うことを聞かなかった。
「まずい、逃げろ!象どもに踏み潰されちまうぞ!」
誰かのその言葉で、兵士たちは象を恐れて再び河の方へと走っていく。指揮官たちは必死になって兵たちを止めるが、恐怖に駆られた彼らの耳には全く届かなかった。
けたたましい鳴き声を出しながら、象は味方の兵たちを踏み潰しながら走っていく。逃げ遅れた者は、象に踏まれるかバルシャーン騎兵の矢の餌食となっていった。
とにかく逃げまくった兵士たちは最後は河まで追い詰められた。そこで多くの兵が河中へ追い落とされ、雨で増水した大河に飲み込まれていった。
人間、馬、象の三種の獣の血で大地は赤く染まっていった。
◆◆◆
「生き残るには、象を殺すしかない。突撃ーーー!」
いくらなんでも人間で象を倒すのは難しい、奴隷兵なら尚更だ。そのくらいナクラでもわかる。だが、この状況ではいずれにしろ河で溺れるか、象に踏み潰されるか、敵の矢に倒れるかの三択である。それならば、僅かな可能性を信じてそこに賭けるというのは当然のことと言えよう。
ナクラは象を恐れる奴隷兵たちを鼓舞する。
「象は小回りがきかない、そこを叩けば必ず倒せる。汝らの底力を今こそ見せてやれ!汝らを奴隷と呼び、蔑んだ正規兵どもと、邪悪な侵略者どもを見返して見せるのだ!!」
奴隷の母を持つ第4王子の言葉は、奴隷兵たちの胸に響き、彼らの士気を上昇させた。もはや前方からやって来る巨獣の群れを恐れる者は誰もいない。
ナクラは兵士たちを4列にして、列同士を一定の隙間を空けて配置させた。自らは騎乗して先頭に立って、戦象部隊への攻撃を指揮した。
「象の間を通れ、そしてその横腹を突くのだ!」
戦象部隊は象同士がぶつからぬように、ある程度間隔を空けている。ナクラはその隙間に兵を突撃させたのである。
「今だ!!」
彼は槍を巨獣の横腹に突き立て兵たちもそれに続いた。象は小回りが効かないため、横に入り込まれると弱いのだ。
象たちはその突破力を失い、急な方向転換が出来ず、両側から槍で刺され、その巨体は地面に倒れた。
「良し!!残りは騎兵のみだ。このままやるぞ!」
勢いそのままに、ナクラはバルシャーン騎兵へ攻撃を仕掛ける。敵の軽装騎兵たちは、まさか象を突破してくる部隊がいるとは思わなかったのだろう。彼らは明らかに動揺し、対応に手間取ってしまった。
動きを止めた騎兵の喉にナクラは槍を突き立てる。瞬く間にその騎兵は首から血を噴き出して地面に転げ落ち、その命を終わらせた。
(いける。これなら敵を倒せるはずだ)
彼の部隊もそれに続き、バルシャーン兵たちを次々と冥府へ送っていく。だが、序盤こそテガン軍が押していたが、すぐに体勢を立て直したバルシャーン軍によって戦いは混戦状態に陥り、敵味方の屍は泥の中へ落ちていく。ある者は槍で貫かれ、またある者は馬上から振り下ろされた曲刀に頭を割られ絶命していく。
ナクラも命がけで槍を振るい、槍が折れれば刀を抜いて戦い、自分の血と敵の返り血とで、頭に巻いた白い布は真っ赤に染め上げられている。味方は次々と戦死し、その数は当初の半分以下になっていた。
一人のバルシャーン騎兵が刀を振り上げ、ナクラ目掛けて突進してくる。その騎兵は既に2、3人を斬り殺していたようで、その手の刃は鮮血で赤く濡れていた。
その騎兵の剛刀と刃を交え、火花が飛び散る。3合目でナクラはその騎兵の首へ刃叩き込み、その首と血飛沫とが宙を飛び、血泥の中に落下した。
「流石にキツいな。クソッ、握力が無くなってきやがった」
何人もの敵を殺し、先程の剛刀を受けたナクラの身体は限界に達しようとしている。既に手は痺れ、呼吸も乱れ、肩を上下している。しかし、未だその闘志は衰えず、彼は馬の腹を蹴って走り始めようとした。
が、その瞬間、彼の胸に矢が命中し、泥の中へと落馬した。
「グハッ!畜生、起き上がらなければ!」
そうしてしばらく泥中でもがいていたが、出血が酷くて立ち上がれず、彼は意識を失った。
ナクラを撃ち落としたのは、宝石と孔雀羽で兜を飾り立てた若い騎兵であった。