第6話 集う落人
チリン、と表にある喫茶のドアベルが鳴った。それと同時に夜鷹と藍之仁の声が聞こえる。
どうやら学校から帰ってきたらしい。ふと時計を見ると時刻は既に午後5時を回っていた。
「おいテメェらァ! 家に入る時は裏から回れっつってんだろうが! 何度言やァわかる!」
「別にいいじゃーん。店、今日は閉めてんだし。ねー? 鷹」
「二人ともわかったから、ここで言い合うな。うるせぇ」
烈圭は変わらず、リビングのテーブルにて額の角を弄りながらボーッと時間を潰していた。
千草にはまだ熱があるから寝ていろ、と言われたのだが。ずっと布団の中で臥せっているのも性に合わなかったため、先刻まで烈圭は千草の家事を少し手伝ったりしていた。
「もう体調の方はいいのか?」
リビングに入ってきた夜鷹は、烈圭を見るとそう声を掛けてきた。
烈圭はそれに軽く笑って応える。
「まだ熱はあるけど、だいじょぶ」
「そうか、学校の方は気にするな。授業のノートとかお前の分もまとめておく」
「え! いや、めちゃくちゃ有難いけど…そこまでしてもらうのは流石に申し訳な」
「だから、気にするな。千草がうるさくなるから、俺のためにやるんだ。アイツの説教は苦行に値する」
夜鷹は不愛想な顔でそう言うと、リビングを後にした。烈圭は思わず立ち上がって、その背中に「ありがとう」と声をかける。すると夜鷹は、まるで虫を払うような手つきで片手を背中越しに振った。
何かが、腹の底からせり上がってくるような気分になる。
烈圭はそれを誤魔化すように小さく息を吐いて、再び椅子に腰を下ろした。
そこでテレビがいつの間にかついているのに気づき、烈圭はテレビの前にあるソファーに目を向ける。そこにはソファーに深く身体を預けて脚を組み、テレビをつまらなそうに眺める、制服姿のままの藍之仁がいた。
◇ ◇ ◇
「当代で、天鬼家の当主は八代目になる。ちなみにその八代目がジジ……俺らの祖父にあたる、鴉天狗だ」
烈圭は、先刻の千草との会話を思い出していた。
かつて争い合っていた数多の鬼たちを鎮め、鬼を一つの種として統一を成したという〝酒呑童子〟。その鬼の総大将の子孫であるという天鬼家は、現代でも鬼一族を統べる要であるらしい。
そして現在その要の頂点となる天鬼家の当主が、烈圭たちの祖父にあたる鴉天狗であるという。
烈圭はそこで思わず、訝しい顔をして千草を見た。
「鬼のトップが鴉天狗?」
「あ゛-、まぁな。天鬼家は鬼の他にもいくつかの妖一派も配下に置いてんだ。ジジイはそこの出身でな。天鬼家の当主は別に世襲制ってわけじゃねェ。配下にある他の鬼一家や妖一派も、認められりゃ当主の座に就くことができる。つっても、妖が当主に就くのは当代が歴代初だがなァ」
「で、話してェ問題はこっからだ」と千草は手元にある天鬼家の家系図を、テーブルの中央へと置く。そして、一度大きく息を吐いた。
「この八代目のクソジジイが何の前触れも相談もなく……突然、当主の座を退く引退宣言を大々的に出しやがってな。十数年前、先代当主が暗殺されてから鬼一族がかなり荒れまくって、最近ようやく落ち着いてきたってとこに、だ」
「あ、暗殺……」
さらりと千草の口から出た物騒な言葉に、烈圭は顔を引き攣らせる。
「本当は次代の当主の候補者としジジイの二人の実子も選出されるはずだったんだが、その二人が既に死んじまっててなァ。そんで、俺ら孫が候補者に繰り上げで選出されちまったってわけだ」
千草は天鬼家の家系図の二ヵ所を二本の指で指し示す。
そこには〝夕顔〟と〝羅刹〟という二人の人物の名が記されていた。
「八代目の一人目の子の名が〝夕顔〟。夜鷹の実の母親だ。夕顔には夜鷹含め、6人の子がいる」
「おお……結構いるな」
「まぁな。で、八代目の二人目の子の名が〝羅刹〟。俺らの親父にあたる。羅刹の子は俺と藍之仁、烈圭の3人だけだ。そんで八代目の孫になるこの計9名は、表面上兄弟ってことになってる」
「あーなるほど。だからあのお2人が、双子ってことになってるのか」
「そういうことだ。次代九代目当主の候補者選出にて、この9名のうち死んだとされていた1名……つまり烈圭、テメェのうやむやにされていた生死をはっきりさせて来い、って命をジジイから受けて、俺らはここに来た。そして、もし生存していたとすれば、候補者として連れて来いって命もある」
「!」
烈圭は、思わず身を固くした。
先日までただの人間として生き、そう生まれてきたことを信じていた自分。それがまさか、異形の者の血を引き、異形の者を統べる統治者の候補の一人であるなど。未だに頭が付いていかない思いであった。
千草は無意識に唇を噛んでいる烈圭を見て柔く笑いながら、その頭にポンと、角を避けてゆっくり手を置く。
「安心しろ、無理に来いとはいってねェ。烈圭には烈圭の生き方ってモンがある。烈圭が生きてェように生きれりゃ、俺ァそれがいい。まぁ、俺らはオマエの顔を見に来ただけってとこが本音だ。クソジジイの命なんぞ正直どうでもいい」
「! ……ありがとう」
ふてぶてしい、悪戯っ子のように笑って見せた千草に釣られて烈圭も笑みを溢した。
烈圭は〝鬼〟というモノはもっと凶暴で話の通じない。人を喰らう妖と似た、獣のような異形であると思い込んでいた。
しかし目の前にいるこの美しい〝鬼〟は、何だろう。この鬼には、つい何もかも信じてしまいたくなるような温かさが確かにある。
相当器用な役者でない限り、心は必ず何かしらの言葉や行動、声や顔など色々な面に滲むものだ。
こんなにも甲斐甲斐しくて心優しい鬼が、自分の兄であるなど。
もしや、化かされているのだろうか。むしろこのまま、化かされたままでも良いとさえ思う。
烈圭は自分が今まで生きていた世界がどれだけ狭かったのか、思い知らされた気がした。
「それに、俺らも暫くはここにいるつもりだからなァ……帰ろうにも、帰れねェ状況にある」
「帰れない状況? ……やっぱり、当主さんからの命令が?」
「いや、あんのクソジジイはどうとでもなる。ただ……俺ら天鬼本家の兄弟は立場が決していいわけじゃねェ。むしろかなり危うい方だ……実際、何度か藍之仁が暗殺されかけた」
「! ……あの、藍之仁サンが?」
千草は険しい顔をして、小さく頷く。烈圭は思わず瞠目した。
あの鬼堕ち共を一瞬で、全て葬ったほどの藍之仁だ。彼が恐ろしいほどに強いことを烈圭は直に感じていたため、千草の発言にはなおさら驚愕した。
「アイツは9人の兄弟の中でも妖気が一番強ェし、何より才がピカイチ。腕は確かだ。だからこそ、早いうちに消しておこうっつー馬鹿げた考えの輩が多い。それにあの性格だしなァ……まぁ、そこまで心配する必要はねェ。今のとこ全部、藍之仁が返り討ちにしてる」
「ああ、あの性格は。まぁ確かに……」
「つーわけで、まぁ俺らもこの盆地に逃げ込んだ〝落人〟みてェなモンだ。オマエもいきなり鬼だの何だの、色々と混乱しただろォ? 悪ィな……だが、今まで言ってきたことは紛れもない事実だってことに、違いはねェ。ゆっくり時間かけて、飲み込んでくれりゃいい」
そんでその後は烈圭が思うままに、やりたいようにやっていけばいい。
千草はそう言って、また目元に穏やかな笑みを薄くたたえていた。
何か眩しいものを見るような。そして、何かを願うような。そんな眼をしていた。
◇ ◇ ◇
「おい」
「……ん?」
不意にソファーに座る藍之仁から声をかけられ、烈圭は物思いから覚めた。
藍之仁は何やら不機嫌そうな顔で、ソファーの背凭れ越しに烈圭を見ている。
「さっきから、なに。ジロジロと見すぎ。おれの頭に雑魚小妖でもへばりついてる?」
「あー……ごめん、かわいい顔だなぁと思っ、てー……あ」
「はあ?」
思わず烈圭は口を押えた。何か、変なことを適当に口走った気がする。
(いや、口走ったな。確実に)
なぜデカい男子高校生の顔をカワイイと思って……否。思ってもいないのに口にまで出した、自分。と烈圭は内心で、自分の突飛な発言を悔やむ。
適当に返事をしたつもりが、会って二日も満たない男子高生に気持ちが悪いことを言ってしまった。それに年頃の男の子は「カワイイ」等と言われることが心底気に食わない、という情報をどこかで聞いた気がする。
現に藍之仁は開けた口元を歪ませ、よく動く眉を顰めた、奇妙な顔でこちらを見ている。物凄くおかしな顔だ。これはまずいと、烈圭は弁解するために口を開こうとした。
しかし、すぐに肩を竦めた藍之仁のわざとらしい大きな溜め息に遮られた。
「っはあーーっ……おれの顔がカワイイのは当然でしょ。生まれた時からおれの顔が可愛くなかったことなんて一度もねーから。そーゆーのわかってるからいちいち言わなくていーよめんどいし……って、なに。その変な顔」
「ヤ、ナンデモナイ」
烈圭は藍之仁から目を逸らすと、両手で頬を叩き、引き攣った顔を伸ばして密かに息を吐く。
すると、いつの間にかソファーから立ち上がった藍之仁が、烈圭の向かいの椅子に座った。そして、頬杖をつきながら上目をつかって烈圭を見る。
「そーいえば、オマエ。〝異形殺し〟の技使ってたけど、なんで?」
「? ……というと?」
「あーん? そんなことも知らないのかよ……バカにもわかるように言うと、人を喰う妖とかそーゆー人間に対して害悪な異形の者を退治する、人間の退治屋集団の一つ。それが〝異形殺し〟ね。で、そいつらが使ってるような技を、オマエも使ってたでしょ。あの鈴やら手やら鳴らして、鬼堕ちの注意引いてたヤツとか」
「ああ、〝鬼嚇し〟……じゃあ、祓殺術のことか。アレは伯父に習ったんだ。見鬼の才があると色々危ないから護身用に、って……そういえば、妖とかそういう異形が視えるようになったのも、伯父に引き取られてからだったな」
「は?? 最初っから視えてたわけじゃねーの?」
「まぁね、視えるようになったのはここ数年の話」
「はあーー??」
何やら藍之仁は苛立たしげな声を上げ、また不機嫌な顔つきになった。
烈圭は自分の発言のどこに藍之仁の機嫌を損ねる要素があったのか全くわからず、不思議そうな顔をして首を傾げる。
「視えるようになって、たかが数年ん?? オマエ、そんなんであんなグロテスクな技使ってたワケ? フツーの神経してんのなら、視える歴たかが数年じゃ、あんなん吐くか気絶すんだろ」
「内臓ドバーッ」と言って、嘔吐するふざけたしぐさをしながら、藍之仁は怪訝そうな顔をする。
「〝血朏〟か……まぁ、元々慣れてたから。そうでもない」
「うっわ……ドン引き。オマエ、頭イカレてんな」
藍之仁は苦虫を噛み潰したような顔をしてトントン、と自分の頭を指で小突いて見せる。
お前にだけは言われたくない。と、内心思いながらも、烈圭は小さく苦笑して椅子から立ち上がった。
「よく言われる」
烈圭はそう短く言い残して、二階へと上がっていった。
その場に残された藍之仁はだらしなく椅子に深く座り直して、小さく息を吐いた。そして、烈圭と入れ違いでリビングに入ってきた千草に目だけを向ける。
「アイツの伯父とやら、十中八九異形殺しの……〝柊連〟のヤツだろーね」
「ああ……烈圭の見鬼の才が、伯父に引き取られてから目覚めたってのも気になるなァ」
「はあ~めんどくさ……そーいえばこの間、店に異形殺しっぽいヤツ来たんでしょ? どんなヤツだった?」
「丸眼鏡首に提げて……如何にも胡散臭そうな、クソデケェ男。確実に自販機よりデケェな、アレ。うちのホットサンドセットを散々食い尽くしていきやがって……!」
「なにそいつ。なんか笑える」
「あと、人間としてクズだな。たぶんクズ。テメェら気ィつけろよ? 下手したら害悪異形やら、〝屍人〟認識されて、めんどくせェことに」
「そんなヘマしないって~、千草じゃあるまいし!」
「ぶん殴るぞテメェ!!」
◇ ◇ ◇
〝害悪異形討伐組織柊総連合〟
人間に害をなす異形の討伐、または異形からの人間の防衛を目的とし、古くから影に存在する大型組織。
〝異形殺し〟は当初、〝鬼〟という異形より突発的に発生したおぞましい巨大害悪異形の討伐を目的として、結成された。
そしてその巨大害悪異形の通称──〝屍人〟という魔を狩る者として、〝柊連〟という名がつけられたという。