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阿吽の夜叉  作者: 鹿山
第壱幕 落果と蠢動
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第1話 蟲出しの雷

 その年の春はやけに風が強かった。それに加えて暖気に温められた、湿っぽい土の香りと甘ったるい花の香りの混じった──所謂(いわゆる)〝春の匂い〟が。

 ()せ返るほど強かったことを、よく覚えている。


◇ ◇ ◇


 高校2年生を迎えた少女──朝霧烈圭(あさぎりれつか)は無駄に長い始業式で睡魔を耐え抜き、クラスで初めてのホームルームを寝過ごして。たった今、意識を覚醒させたところだった。

 担任に促されて出席番号順に回された自己紹介は、何を言ったか全く覚えていない。

 机に預けた頭をそのままに。僅かに首を傾けて、無人の教室を見渡す。

 窓からは、雲間から漏れた細い日の光が差し込んでいる。そして、遠くで雷の落ちる音だけが微かに聞こえた。


(雨……は降ってないか。つか、傘もってきてない)


 遠雷轟く、()()の心地よい春の日。

 どうやら本日は妙な天気らしい。風も強く、窓がガタガタと小さく震えている。


(降りだす前に帰れるか? ……とりあえず、駅まで)


 烈圭(れつか)は大きく欠伸(あくび)をしながら、のろのろと重い頭を上げた。


「ふ、あ゛~~……うおおっ!?」

「……」


 無人の教室に一人と思っていた矢先。視界の右端に人間が入り込んできた。しかも、すぐ隣──つまりは隣席に人が座っていた。

 烈圭は思いがけず綺麗に二度見して、大きな声で驚いてしまう。


「びっっっくりした……え、ユーレイ……?」

「じゃない」


 口から無意識に(こぼ)れた独り言のつもりの言葉が、静かな声に否定される。

 烈圭の隣席に座っていたのは、恐ろしいほど静かな所作で本を読みふける一人の男子生徒であった。

 彼のことは、烈圭でも知っていた。

 今年からこの学年に転入してきた、双子の片割れ。今日一日ずっと騒がれていたため、嫌でも耳に入り、目にも入る。

 クラスの女の子たちが、声を上擦らせて嬉々(きき)としていた理由。それを烈圭も改めて彼を見て、ようやくわかった気がした。

 彼は単純に、綺麗な人だった。

 濡羽色(ぬればいろ)の髪は(あで)やかで、涼しげな目元。すっと伸びた鼻筋の端正な顔立ち。滑らかな褐色の肌は健康的というより、少し青みがかっていて、神秘的だ。

 このような美人の双子が転入してくれば、年頃の高校生は騒がずにはいられまい。


「……さっきから、なんだ。ジロジロと。俺は幽霊じゃない」

「あ、いや。確かにユーレイにしては綺麗過ぎるなぁって」

「?」

「ま、気にせんで。読書、続けて」


 (いぶか)しげに小首を傾げて見せる彼に、烈圭は読書の続きを促す。

 まさか、噂の双子の片割れが隣の席だったとは。良くも悪くも彼は目立つから、早く席替えをしたい。

 そんな失礼なことを密かに考えながら。烈圭は机の横に置いていた鞄を机上に置くと、そそくさと下校の準備を始めた。


(そういえば、双子の名前……なんだっけ)


 ふと、そんなことが思い浮かんだ。双子の名前も、クラスの誰かが話しているのを聞いて妙に頭に残った覚えがある。といっても、既に忘れかけているのだが。

 隣に張本人がいるが、それにも構わず。烈圭は頭を捻って思い出そうと、せわしなく動かしていた手を止めた。


(〝朝霧(あさぎり)〟の隣の席なんだし……そう、確か……あま、)


(たか)


 背後から声が聞こえた。低いが、明るい色を含んだよく通る男性の声。その声にいち早く反応したのは、隣に座る静かな彼の呆れたような声だった。


(あい)……遅すぎ。何やってた」

「なんかハゲ教師に呼び出しくらってさぁ~。俺の髪、染めてんだろって。地毛だっつってんのに、しつこいしつこい」

「またか……ちゃんと穏便に済ませてきたんだろうな?」

「もっちろん! 『ハゲ散らかしてるからって(ねた)んでんじゃねーよ、毛根お大事に』と労って差し上げた。そしたら、まーた説教長くなるわけ」

「最悪だな……」

「デショ? マジ最悪~」

「お前がだ」


 (あい)と呼ばれたその男子生徒は笑いを含んだような軽い声で話しながら、烈圭とその隣の席に座る、(たか)と呼んだ男子生徒の間に入り込んでくる。

 そして、さも今気づきました。という風を装うように、烈圭へ僅かに視線を寄こした。


「で、誰?」

「おい」

「……」


 鷹の制する静かな声に混じって。ゴロゴロゴロ、と獣の唸り声のような遠雷が微かに聞こえる。

 近くに来たら、その藍という男子生徒はとても大きく感じられた。

 確かに今の話にあった通り明るい髪色をしている。そして、睫毛や僅かに見える眉も、それと同じ色をしていた。こちらを肩越しに見つめる片目は、とても大きい。

 男子高校生らしい、引き締まった大きな身体の上にある少し幼い顔立ちが、なんだかちぐはぐで。

 しかし、何故か烈圭には、その男子生徒がひどく恐ろしい顔に見えた。


(これが天鬼(あまき)兄弟か。似てないな、二卵性?)


 おそらく、二人の距離感からしてこの〝藍〟が双子のもう一方の片割れなのだろう。何も知らなければ、双子には到底見えないが。

 何故か強い視線を向けてくる双子の片割れに、烈圭は内心どうでもいいことを考えながら小さく会釈をしようとした。


「肩」


 突然、藍はこちらを振り向いたかと思えば烈圭の肩を人差し指で押す。少々といっても軽く、力が込められていたようで。烈圭は一歩、後退った。

 藍は口元だけに笑みを浮かべ、大きな目を瞬かせることもなく。こちらを悠々と見下ろしながらこう言った。


「さっきからずっと俺の左肩ばっか見てるけど、何? なんかついてんの?」

「……いや」

「目、泳ぐね」


 藍は身をかがめると、首を大きく傾げて烈圭を覗き込む。烈圭はそのあまりにもの強い視線に、軽く息を止めた。


「オマエさぁ──もしかして、()()()()?」


 バシッ。

 烈圭は藍がその言葉を言い終える前に素早く、彼の左肩に右手を置いた。といっても、僅かに手が触れた瞬間に力強く振り払われる。藍は反射的な行動だったのか、思いがけず驚いたように、「あ」と声を漏らした。


「ゴミ、ついてたから気になって。触ってごめん。んじゃ、私は帰るから。これで」


 烈圭はそう淡々と言い残すと、鞄を肩に提げ、颯爽と教室を後にした。

 藍はその後姿ではなく、自分の足元を見ながら「あちゃー」と烈圭の手を振り払った片手をブラブラと振る。

 鷹は咎めるように険しい目つきで藍を見上げた。


「お前……ああいう態度、やめろ。怖がるだろ」

「アレは怖がってなかったでしょ──てか、絶対()()()()じゃん」


 藍は足元に転がる()()()()をゴロリと転がした。

 それは、所謂──妖や妖怪と呼ばれる、人間たちから見れば化け物の(たぐい)。大半の人間は目にすることもできない、異形の存在である。

 藍はその猫ほどの大きさをした、虫のような小妖怪の異形を足で転がしながら、口角を上げる。


「そこらにいたの捕まえて、引っ付けてきて正解だったね~。鷹も見たでしょ? アイツこの糞雑魚小妖(クソザコしょうよう)、視えてるうえに俺の肩から落としやがった。人助けのつもりかな? 腹立つなぁ」

「何に腹立てる必要があるんだ……気が早いぞ、お前。変に怪しまれたらどうする」

「だいじょーぶだーって。俺のおかげで、さっそく炙りだせたんじゃん。記念すべき候補1人目。感謝したまえよ? 鷹くん。そーいえば、さっきの。名前は?」

「あー……聞いてない」

「もー、しっかりしてよ鷹。そーゆーとこだよ?」

「はあ……」


 大きくため息を零す鷹にも構わず、藍は薄笑いを浮かべる。


「つっても、さっきの奴は可能性低いよなー。完全にあれは人間の気配だったし。万が一、アイツがそうだったとしても、俺()だもん。かなり。鷹もそう思わない?」

「……何が嫌なんだ、いったい」

「だって」


 藍は、口元に浮かべた笑みを更に濃くする。そして、足で転がしていた虫のような小妖怪を――ぐしゃり、と踏みつぶした。


「弱そ──あと、なんか顔がムカつく」

「……理不尽にもほどがある」


◇ ◇ ◇


 今にもドロリと垂れて、滝のような雨が降りだしそうな。そんな重い鈍色と夕焼けの色を()い交ぜにした不気味に色づく曇天の空を、揺れる電車の窓から見上げて。烈圭は軽く頭を抱えた。


(……しくじった)


 先ほど遭遇した、あの双子──天鬼(あまき)兄弟。彼らは、おそらく自分と()()()()が見えている。

 人間には見えない。しかし、確かに存在する、妖や妖怪といった人ならざるモノ共。そういった存在を烈圭は大まかにまとめて、〝異形〟と呼んでいる。

 そして、烈圭はそれらの存在を感知し、見ることができる〝見鬼(けんき)の才〟を持つ数少ない人間の一人であった。

 このことについては、同じく見鬼の才を持っており、一年ほど前に亡くなった伯父しか知る人間はいない。

 下手に知られれば厄介なことになりかねないと。そう、亡き伯父に口酸っぱく日頃から言われていたため、他人に話したことはないし、なるべく異形たちにも勘付かれないよう気を付けていたつもりであった。だというのに。


『オマエさぁ──もしかして、()()()()?』


 双子の片割れの強い視線を思い出し、烈圭は深く息を吐く。

 

(完っ全にバレた……いやでも、視える人なんてあの伯父(ひと)以外で初めて会ったし……それに、あの小妖。あんなに人間に密着する小妖なんて見たことなかったから、珍しくて……つい)


 烈圭は誰に対してでもなく、胸の内でつらつらと言い訳を並べた。普段の烈圭なら、先程のような明らかなヘマはしない。

 しかし、臆病な性質(タチ)で滅多に人間には近寄らない、異形の中でも特に力の弱い小妖怪が、人間の肩にまるで吸い寄せられるように引っ付いていたのだ。

 初めて目にした、物珍しい光景。好奇心が勝って、思わず目で追ってしまった。

 まさか、それを気取られていて。初めて会ったばかりの、目の前のその人間が稀有(けう)な自分と同類であるとは、思いもよらない。

 とりあえず、弱い異形でもあっても、ずっと引っ付けていたら()()()()可能性があるため、誤魔化しも含めて一応払い落としてきたのだが。

 いらぬ世話だったかもしれない。むしろ誤魔化すどころか、余計視えるアピールをしてしまった気がする。


「しっくじったぁ……あ?」


 何度目かもわからない溜め息を吐きながら、ふと顔を上げる。すると、電車はもうすぐ終点──烈圭の降りる駅へと差し迫っていた。

 烈圭はだらだらと鞄を肩に提げて立ち上がり、車両後方の扉の前まで移動する。

 ふと隣の車両に目を向けると、見知った顔──烈圭にとって、今一番会いたくない顔が二つ、並んでいた。


「げっ! ……天鬼兄弟……」


 どうやら天鬼兄弟も田舎特有の一時間に一本鉄道の電車通学で、最寄りはこの終点らしい。

 烈圭は踵を返して、車両前方の扉へと早足で移動する。そしてぴったりと扉にくっついて、少しでも顔を見られぬよう二人の方に背を向けた。


「終点──終点──」


 すぐに車両を降りて定期を車掌に見せると、烈圭は駆け足で何も無い小さな駅を出る。


()……ァァ……マ……ァ……』


 不意に。人間でも、獣でもない──まるで不協和音のような鳴き声が微かに聞こえて、烈圭は足を止めた。

 そこらにいる虫のような弱い小妖怪とは明らかに違う、肌を刺すような妖気(ようき)を感じる。


(こんなとこで、珍しい……強い妖気)


 田舎とはいえ、ここは人里の中心。このような場所にこれ程の妖気を持つ異形が現れたことは、烈圭の経験上、今までにない。

 まさかと思い、念の為に異形の居場所を探ろうと耳を澄ましたところで、烈圭は咄嗟に後ろを振り返った。


「ほんっとこのド田舎、何もねーな。駅にコンビニくらいつけろっての」

「あるだろ、歩いて10分くらいの場所に」


 そこには、丁度駅から出てきた天鬼兄弟がいた。


(間違いない)


 烈圭は思わず腕で鼻を覆って、確信した。

 あの双子から、匂うのだ。

 春の香りと思い違いをしてしまうほど。花のように甘ったるく、思わず吸い寄せられてしまう──甘蜜(かんみつ)の如き、〝妖気〟が。

 たった今、感じ取った異形の妖気とは全くの別物。初めて感じる、異様な妖気だった。今までに遭遇してきた、どの異形とも異なる。

 認識してしまえば、気が狂いそうになるような。血が(たぎ)るような錯覚さえしてしまう。そんな異質な妖気を、なぜ人間の双子が纏っているのか。


『アァァ……!? ………キ、テ……イキテ、オラレタ……カエ……ッテ、キタァァァァ!』

「なっ……!」


 さっきの鳴き声の主だろう。頭上から不快な音を混ぜた咆哮が降ってくる。そちらを振り返ると、そこには電柱の上にへばりつき、天鬼兄弟を涎を垂らしながら嬉々としたように見下ろす、一匹の巨大な異形がいた。


(あんなデカい異形が人里に……あの双子の妖気に誘われてここに来たのか?)


 異形は今にも双子を襲わんとしている。一方、当の双子もさっきの咆哮で異形に気づいたのだろう。何やら表情の無い顔で、自分たちを見据える物の怪をじっと見上げていた。


(久々だな……が、やるしかないか)


 何より、目の前で人間が喰われる様を見るなど──夢見が悪くなるのは確実だ。


「おい、そこの双子!」

「!」


 烈圭は天鬼兄弟に向かって、大きく声を張った。


異形(アレ)、バッチリ視えてるな? あの異形の狙いはお前たちだ! さっさとこの場から離れろ!」


 リン。

 烈圭は地面に放った鞄から、いくつかの鈴の付いた組紐を取り出す。そして、それを左手首に巻き付けると、そのまま軽く両手を物の怪に向かって掲げながら打ち合わせた。

 カンッ! 掌を打ち合っただけだというのに、拍子木(ひょうしぎ)のような。小気味よい、乾いた音を打ち鳴らす。

 鈴の()とこの澄んだ甲高い音は、異形の耳に耳鳴りのように残り続ける邪気祓(じゃきばら)いの音。つまりは異形の注意を嫌でも引きつける、〝嫌悪の音〟だ。

 異形はその音を聞いた途端ピタリと動きを止め、烈圭を()めつけた。烈圭はその様子を目を細めて薄らと笑う。


「怒った?」

『ゥゥゥァ……アアァァァ……!!』


 異形は低い唸り声をあげて、烈圭の前に降り立った。烈圭は左手を軽く掲げ、組紐の鈴をリン、リンと鳴らしながら微かに口角を吊り上げる。


「さて、怒らせたお詫びに──私とデイトしてみようか。行こうぜ? 怪物(おのぼり)さん」


 そう笑って、烈圭は人気(ひとけ)の無い、住宅地の外れにある林に囲まれた広場に向かって駆け出す。すると、その烈圭の背中目がけて、異形も巨体を揺らしながら地面を這ってその後を追った。


◇ ◇ ◇


「鷹、今の」

「ああ、〝鬼嚇(おにおど)し〟だ。()()をする前によく行われる。妖や()()()異形の五感を狂わせる術………間違いない」

「現に俺ら、近くにいたせいで妖気感じられなくなっちゃったしね。あ゛ー耳痛ぇ……やっぱ()るか、アイツ。確実に候補じゃなくなったし」


 駅前に取り残された、天鬼兄弟。そのうちの片割れ、藍は機嫌悪そうに声を低めて、ボソリと物騒な言葉を零す。それをもう一方の片割れ、鷹が「やめろ」と静かに制して、少女と異形が消えた方向を見つめた。


「まさか、ここで〝異形殺し〟に出くわすとはな……」

 後書きでは、せっかくなのでときどきサブタイトルの意味を少しだけ小出しにしていきます。

 今回の〝蟲出しの雷〟はまたの意味を〝春雷〟。立春後の初雷に驚かされて、蟲たちが外に這い出てくることを指しているそうです。

 さて、この第1話にて。春雷に驚いて……または、それに誘われて。這い出て来た〝蟲〟とは、一体なんだったんでしょうか。

 是非、そのことを考えて、読み返して頂けましたら幸いです。

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