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阿吽の夜叉  作者: 鹿山
第弐幕 淵の王
22/27

第2話 禍の門

 ぱちん。そんな音が耳元で弾けた。

 同時に、灰がかった髪の毛がするりと頬に垂れる。

「あ」と小さく声を漏らして。烈圭は視界の端を覆って落ちてきた、自身の細い髪の束を片手で抑える。下校の支度をしていた夜鷹はそんな烈圭の声に、目だけで短く一瞥しながら反応した。


「どうした?」

「あー、うん。ゴムがぶち切れたっぽい……ほら」


 すでに椅子を引き、身を屈めていた烈圭が指で摘みあげて見せたのは、千切れて紐状となった黒い髪ゴム。

 烈圭は解かれた髪を緩く耳に掛け、千切れたゴムをくるくると指先で弄りながら浅く息を()く。


「はー。今日は朝から5キロマラソンを無事15分で完走するわ。授業で4回、先生に当てられるわ……遂には5年苦汁を共にした髪ゴムまで逝ってしまわれるわ。何か、よからぬことへの前触れだろうかねぇ」

「さぁな……それにそういうことは思っても、口には出さない方がいい。〝口は(わざわい)の門〟だ」

「えー、それそんな意味だっけ?」

「そんな感じだろ? 確か。で、帰る準備、全くしてないが。帰らないのか? (れつ)


 早くも下校の支度を終えた夜鷹は、鞄にも手を付けていない烈圭に顔を向ける。隣にいる烈圭はやはり、膝丈のスカートの下で脚を組んで座っているばかりで、動き出す気配すらない。


「あ~、実は私この後こっちでバイトあるんだ。だから2人とも先帰っとっていいよ。家の鍵は千草が持ってるから、電車降りたら六花に寄ってな」


 烈圭はひらりと片手を振って、事もなさげにそう言った。しかし、夜鷹は烈圭のその発言に思わず眉をひそめる。


「お前……この学校、アルバイトは禁止だろう」

「そう。やけん、どうかご内密にお願いしたい」


 烈圭は悪戯っ子のように微かに歯を覗かせて、夜鷹に笑って見せる。そんな烈圭の悪びれもない様子に、どこぞの同い年の兄が脳裏にチラついて、夜鷹は密かに息を吐いた。


「……せいぜい、バレないようにな。生徒指導室送りになれば、千草も黙ってないぞ」

「うわ、千草召喚が一番恐ろしいかも……」


 夜鷹はそう肩を竦めて見せた烈圭を、小さく笑ってやる。そして、そろそろ自分たちを待ちかねているであろう、兄のもとへ向かおうかと椅子を引いて腰を上げた。

 ポーン。

 夜鷹が椅子から腰を浮かせたちょうどその時。黒板の上に設置されているスピーカーから、校内放送を知らせるチャイムが短く鳴った。それに続いて、ジジッと耳に刺さるノイズ音が走る。


『え──。2年4組、朝霧。……っと──?……2年、の──ああ。天鬼の兄弟2人。3名とも至急、第2生物準備室に来るように。以上』


 それは聞き覚えしかない男の声──落神桃のものだった。突然の思いもよらない呼び出しに、烈圭と夜鷹は互いに顔を見合わせる。


「よからぬことって……もしかして、これ?」

「だから言っただろう……〝口は(わざわい)の門〟」


 烈圭は思いがけず苦笑いを溢す。一方、夜鷹は浮かせていた腰を再び椅子に下ろして、げんなりと溜め息を吐き出した。


「で、どうする? 私は一応行ってみるけど。先生んとこ」

「当然行く。お前1人で行かせられるか。危なっかしい……それに、実際おれたち2人も呼び出されてるんだ」


 そう小さく鼻を鳴らして見せた夜鷹に、烈圭はどこか楽しそうな声色で頷く。


「ん、承知。そんじゃ、取り敢えず藍を迎えに行きますか」


 こうして烈圭と夜鷹は、自分のクラスの教室で未だ眠りこけていた藍之仁と合流し、第2生物準備室へと向かった。


◇ ◇ ◇


 第2生物準備室。

 その部屋は校内で長く嫌忌(けんき)、または密かに恐れられている〝不開(あかず)()〟。

 数十年も前から度々、原因不明の奇怪な現象が多発していたことから、少し前までは厳重に施錠され、物置としてすら使用されていなかった。入学当初から、烈圭もその噂はよく耳にしていた。


「〝不開(あかず)の間〟ねぇ。ずいぶん大層な呼び名なことで」


 藍之仁は所々錆び付いて酷く(いた)んだ古い鉄扉を前に、そう間延びした声を漏らす。その両隣には烈圭と夜鷹が並んで立っていた。


「確かに、入学した時からここだけちょっと妖気が濃いなー、とは思ってたけど。私が思うに、この中。小妖の溜まり場になってるんじゃないかな?」

「かもね。どう? 鷹」


 烈圭の見解を聴き終えた藍之仁は、それに小さく頷く。続いて、右隣にいる夜鷹にも促すような視線を寄越した。それをすぐに察した夜鷹は、一歩前に出る。そして目の前の古びた鉄扉に片手で触れると、短く目を伏せた。


「……確かに、無数の弱い妖気が入り混じっている。烈の言う通り、弱い小妖たちの溜まり場だったんだろう。だが、今この中から感じるのはそれらの残滓だ。妖気が溜まり込んでいるだけで、妖の気配はない」

「まー、あの怪物教師がいるんなら、やっぱそうなるか」


 長らく持て余されていた〝不開(あかず)の間〟。それも、桃がこの学校へと異動してきてからは、怪奇の一切を恐れもしない、彼専用の仕事場の一室となっているようであった。

 藍之仁の言った通り、おそらく以前まで棲みついていた妖たちは桃のような〝見鬼(けんき)〟の才を持った力のある人間に怯え、逃げ出したのだろう。


「先生は何しでかすかわからんけんなぁ。ま、とにかく入ってみようか」


 烈圭は2人に頷いて見せながら、扉の錆にまみれたドアノブを握る。そして、その古びた重々しい扉をゆっくりと開けた。


「お邪魔しま──げほっ、げほ! うぇえっほ!」

「ぶはっ! ちょ、いきなしジジイみたいな咳やめて。笑う」

「酷い埃だ……掃除してないのか?」


 部屋の中は一歩踏み入れば烈圭が思いがけず咳き込むほどに、埃にまみれていた。

 閉めきられた薄いカーテンから微かに漏れる、夕日の赤い光に透かされて。薄暗い室内のあちこちで、小さな塵が大量に宙を舞っているのがわかる。

 夜鷹も烈圭の隣に立ち、顔を(しか)めて鼻と口を片腕で覆った。

 烈圭の盛大な咳き込みに、声を出して笑っていた藍之仁はそれにも構わず。そのまま背の高い戸棚が立ち並ぶ室内へ、ずけずけと無遠慮に足を踏み入れた。


「で? このきっったない部屋にいんの? アイツ──あ」


 部屋の奥へと入って行った藍之仁は不意に、窓際近くにあったボロボロのソファーの背凭れに手を掛けて、小さく声を漏らした。

 何やら背凭れ越しにソファーを覗き込んで、驚いたように目を見開いている。そんな藍之仁に烈圭と夜鷹は互いに首を傾げながら、揃って部屋の奥へと続く。

 そして、藍之仁が手を掛けているソファーの背凭れ。その向こう側を同じように覗き込んで──


「あ」


 と、2人揃って。藍之仁がはじめに漏らした声とほとんど同じ声が、半開きの口からぽろりと垂れた。


「んあ? ……ああ。遅ーぞ、ガキ共。あんま待たすな。眠くなる」


 不意に烈圭たちの背後に立ち並ぶ戸棚の間から、掠れた低音の声が掛けられた。

 烈圭たち3人は、顔だけでそちらを振り向く。するとそこには、大きな身体を器用に捻って、並んだ戸棚の間からするりと出てきたこの部屋の主——桃がいた。皺のついた白衣を肩に引っ掛け、寝癖髪を怠そうに掻き乱す桃は、小さく欠伸をしている。

 そんな、如何にもだらしない男の姿が視界に入った途端。烈圭たちはまるで、汚物を見るかのような冷めた視線を桃に突き刺した。


「先生……嘘だろ……?」

「まさに教師の風上にも置けない(クズ)……最悪だ」

「これはサイテー。人でなしロクでなし節操無しクソ野郎」


 烈圭を始めとし、突如3人から次々と罵詈雑言を投げつけられた桃は、訝しげな顔をして低い声を漏らす。


「あ゛? なんだいきなり。んなこと今更だろーが」

「逆に何なんだ? その潔さ……だが、流石にこれは看過できない案件だぞ……」


 そう言って、夜鷹は心底呆れたように深い溜め息を吐きながら、顎を振ってソファーの方を指し示す。


「流石に未成年──生徒に手ェ出すのはアウトでしょ~」


 藍之仁が見下ろしているソファーの正面側──そこには、一人の女子生徒が横たわっていた。

 日に焼けた健康的な小麦色の肌は青ざめており、女子生徒はどこか寝苦しそうな様子で未だ眠っている。

 そんな女子生徒を一瞥して。烈圭たち3人は冷たくもどこか呆れたような軽蔑の色を含む視線を持って、再び桃を振り返る。一方の桃は「ああ~……」と、心底面倒くさそうな声を溜め息と共に吐き出した。

 そして、ついには舌打ちを盛大に打ち鳴らしながら、相変わらず乱れている寝癖髪をがしがしと片手で掻き乱して弁明を始める。


「んなわけねーだろ。そいつは勝手にここに入ってきて、勝手に倒れてたんだっつの。お前ら呼んだ要件の一つもそいつだ。あと()()()()()()()が済んだ後、保健室にでも運べ。邪魔だからな。おれは動きたくねぇ。めんどい」

「ほお~。清々しいほどの身勝手」


 烈圭は苦笑いと共に、そう小さく息を零す。

 藍之仁と夜鷹については、桃に対抗するかのように二人同時にデカい舌打ちを鳴らして見せた。桃を始めとしたそんな3人に、烈圭は「3人とも舌打ちやめろ。態度悪いよ」と、宥めてやる。

 しかし、桃は烈圭の注意を耳に入れようとする様子もなく。流れるような仕草で皺だらけの白衣を身に纏って煙草を取り出し、それに火をつけ、煙を(くゆ)らせる。そして窓側の壁に引っ付くように設置してある机へと、行儀悪くその長い脚を組みながら腰掛けた。

 その様子に夜鷹はピクリと眉を微かに(しか)めて、桃に固い声を放つ。


「校内は原則禁煙じゃなかったか? 生徒の前でよく吸えるな、()()


「ああ? バレなきゃいーだろ、こんなモン。そんでお前ら生徒諸君はおれみたいのを反面教師として、勝手に学んでろ————あ、そういや朝霧。お前あの自転車ちゃち過ぎんだろ。サドル限界まで高くしてもクソみてーに漕ぎにくかった。もっとデカいの買え、お前の金で」

「ええ……他人(ひと)のモノ勝手に借りといて……? つか、先生と私の体格差を考えてくれ」


 桃は夜鷹の厳しい声にも全く構う様子がない。そして、こちらに顔を向けることもなく。何やら腰掛けた机上にある段ボール箱の中を雑な手つきで漁りながら、しまいには烈圭への理不尽な不満までのたまい始めた。

 それに夜鷹は、呆れを通り越して唖然とした様子で思わず絶句する。その肩を烈圭は、どこか同情した様子でポンポン、と2回ほど軽く叩いてやった。


「で、もう一つの要件ってなに」


 そう切り出したのは、藍之仁であった。すると桃は、ようやく視線だけをこちらに寄越して、その形のいい唇に綺麗な弧を描く。


「お前は話が早くて助かる。天鬼弟その1」

「だからそーゆー呼び方やめてくんない??」

「じゃあ、おとうと……いや、弟壱号(だいいちごう)で。そこの堅っ苦しい方は弟弐号(だいにごう)な」

「やめろ!!」 


 藍之仁と夜鷹の怒号が、また綺麗な二重となって重なった。流石は長らく双子をやってきただけはある、と烈圭は内心で密かに心底感心する。


「んで、お前らへのもう一つの要件……っつーか、()()はこれだ」


 桃は何やら漁っていた段ボール箱の中から、三枚の書類を取り出した。そして、その三枚を烈圭たち三人それぞれに順に差し出す。


「……同好会設立申請書……〝生物研究同好会〟?」


 桃が差し出してきたものは、所謂〝同好会〟の設立願の書類。団体名には藍之仁が呟いたように〝生物研究同好会〟と記してあり、そのうえ同好会の顧問氏名欄には〝落神桃〟の名があった。

 それを見て、思わず訝し気な声を漏らした藍之仁に続き、隣にいる夜鷹も眉根を寄せて不思議そうに首を傾げる。


「俺たち三人の名前もあるが……こんなもの、書いた覚えがない」

「俺も」

「右に同じく」


 夜鷹の疑問に、藍之仁と烈圭も同じように首を縦に振る。そんな三人の様子を悠々と眺めながら、桃はあっけらかんとした顔でこう言い放った。


「そりゃそうだ。おれが書いたからな。よく似せてあるだろ? 筆跡模写ってやつだ」

「は?」


 烈圭たち三人は同時に間の抜けた声を漏らすと、書類から顔を離し、机上に座る桃を揃って見上げる。

 それを机上から見下ろし、桃は三人に向かって煙草の煙を吹かしつけた。すると3人はまた揃って、苦々し気な様子で顔を顰める。


「吹奏楽部やら野球部という名の、鬼畜集団の中に放り込まれる危機にあってだな。全力でそれを()るために急遽作った。見ての通り生徒会やらにも許可通ってハンコ()()()()んで、今日から見事おれとお前ら3人の〝生研(せいけん)〟発足ってワケ。ちなみに生研の会長はテキトーに朝霧にしといた。しっかりやれ」


 桃はニヤリといやらしい笑みを浮かべながら淡々とそう言いつけると、烈圭たちの手元にあったその三枚の書類を素早く回収した。

 そして腰掛けていた机上から立ち上がり、するりと烈圭たちの間を縫って出て、部屋の出口に向かう。


「んじゃ、そういうワケで今日は解散でいーぞー。活動日はおれの気分次第なんで、放課後には毎日ここに来い。そんで、ここの部屋の鍵のスペアは朝霧会長に任せる。おれがいねー時はちゃんと施錠するように。以上」


 背中越しに如何にもかったるいような口調でそう言い残し。第2生物準備室の錆びれた鉄扉が不快な金切り音を立てて、閉まる音が聞こえた。


「はあ?」


 扉の閉まる音と共に、3人の呆然とした声だけが室内で静かに響いた。

 ふと烈圭は、制服の胸ポケットに違和感を感じて、そこに指を入れる。すると、その中からは錆びまみれの小さな汚い鍵が摘み出された。


「え゛。いつのまに……」

「…………」


 3人は無言でその錆色の汚い鍵を見つめる。

 そして互いに顔を見合わせて、長い溜め息と共に。


「うーん……クソ!」

「いやもう、教師としてどうなの? っていう問題じゃないねこれ。クズ野郎でしょ。もう俺、アイツの顔見る度に殺意しか湧かないんだけど、確実に」

「あれが真性の屑……正直舐めていた……というか、生物研究同好会って……あの屑と一体生き物のナニを研究する羽目になるんだ……」


 取り敢えず、桃に対する毒を3人揃って思いがけず零す。

 そうしてほんの少しだけ気が済んだ3人は、未だソファーで眠っている名も知れぬ女子生徒に目を向けた。


「さて……まぁ、先生やら生研とやらは色々長くなるから今は置いといて。この子、大丈夫? 全然起きる気配無いんだが」

「保健室にでも連れて行っとけばいいでしょ。俺らにはカンケーないし。むしろあのクズ教師のせいじゃん、絶対。責任とらせる?」


「あの陰湿そーな教頭にチクろー」などと言っている藍之仁をよそに、烈圭と夜鷹はソファーの前にしゃがんで、眠る女子生徒をさらに近くから覗き込んだ。


「んー……妖気に()てられたんだろうけど。この部屋に残ってる小妖たちの残滓に()てられたにしては……違和感あるな」

「ああ。小妖共の妖気にしては症状が重過ぎる……もっと力の強い異形の濃い妖気に()てられたような症状だ。体内の妖気自体は祓われているようだが……どうやら〝陰陽の気〟のバランスが崩れているらしい」


 妖は妖気という陰陽の〝陰の気〟が、生命力の源となっているように。人間や動物といった、この世界で()()とされる生き物は〝陽の気〟を生命力の源としている。

 夜鷹によると、この女子生徒は体内に過剰に入り込んだ妖気自体は祓われているようだが、妖気によって崩された〝陰陽の気〟のバランスが元に戻っていないらしい。そのために、妖気に()てられて出た不調の症状が、改善されていないのだろう。


「ほほう、なるほど。流石は鷹。勉強になります」


 烈圭は夜鷹の見解に感嘆を漏らしながら、制服のスカートにあるポケットから何かを(くる)んだハンカチを手に取った。そして、その包みの中から邪除けの鈴を取り出す。

 

「鷹、藍。ちょっと離れた方がいいかも」

「それくらい何ともないっつの。さっさとやって」


 ソファーの背凭れに腰掛け、こちらを見下ろしてくる藍之仁は面倒臭そうにそう言った。それに同意するように、烈圭の隣にいる夜鷹も頷いて見せる。

 

「わかった。ちょっとでも気分悪くなったら言って」


 烈圭はそう二人に念を押しながら、眠っている女子生徒の日焼けた焦げ茶色の前髪を掻き分け、その額を片手の掌で覆う。

 リン。

 ひとつ、ふたつ、みっつと。澄み切った邪気祓(じゃきばら)いの()を鈴に鳴かせる。


『祓え給い 清め給え──(かむ)ながら 守り給い (さきわ)え給え』


 烈圭は低く、柔らかな声でそう〝神拝詞(となえことば)〟を(しずか)に唱えた。

 すると、女子生徒の額に当てた烈圭の掌から、淡白い光がしとしとと()()で、途端に苦しげだった女子生徒の寝息が安らかなものとなった。

 藍之仁と夜鷹は、感心したように烈圭を見やる。


「へぇ、今のも異形殺しの技?」

「さぁ、わかんないけど。今のは〝神拝詞(となえことば)〟って言って、神道の修祓(しゅばつ)術でよく使われるらしい。人間が体内に持ち合わせてない〝陰の気〟――つまりは妖気に()てらた人には、邪除けの鈴で邪気祓いをしながら神拝詞(となえことば)を唱えて、自分の中の〝陽の気〟を分けてあげるんだ。すると、妖気に()てられて、その人の中で崩れた陰陽の気のバランスが、ある程度元に戻るって伯父に教わった」

「異形殺しには、神道に通ずる技がある可能性も高いわけか……興味深い話だ」


 烈圭は、邪除けの鈴をまた(くる)んでポケットの中へとしまい、女子生徒の乱れた前髪を直してやりながら小さく笑って見せた。


「ま、あらかじめこの子が取り込んじゃった濃い妖気が祓われてたから、これだけで済んだけど。妖気や、それに引き寄せられた邪気まで完全に祓うってなると、私じゃ結構大変だから。助かったよ」


 おそらく、妖気を祓ったのは桃の仕業だろう。しかしあの男なら、未だ続いていた人間の女子生徒の不調を放っておくような真似はしないと思っていたが。人でなしろくでなしと言われるようなままに、(なま)けて放置したのだろうか。

 烈圭は未だ、〝落神桃〟という男の本質を図りかねていた。


(……相変わらず()()()()()だ)


 内心で、そう小さく烈圭はぼやく。

 ふと外に目を向けると、すでに夕日は地平線に沈みきっているようで。カーテンから垣間見える空は、淡い藍色に染まってきている。

 これからは毎日、この大禍(おおまが)時にあの読めない男のもと。そして埃被って古ぼけたこの部屋へと足を運ばなければならないのかと思うと、烈圭は少しだけ、胸がざわついた。

 そして、ほんの少しだけ。楽しくなりそうだという期待を密かに胸に抱く。

 同じ家に住んでいて、今更なのだが。烈圭は内心で苦笑いをして、そんなことを思った。


 こうして、烈圭たち一行は安らかに眠る女子生徒を連れ、第2生物準備室を出た。


◇ ◇ ◇


 リン。

 ささやかな鈴の音がみっつなるのが、扉越しに聴こえてくる。

 

「思っていた通り──か」


 桃は、吸いきった煙草を携帯灰皿に押しつぶしながら、背にある鉄扉の向こう側を気まぐれに伺っていた。


(ヨシヒトのヤツ……やっぱ祓殺術(ふつさつじゅつ)どころか、修祓術(しゅばつじゅつ)まで仕込んでやがる)


 桃は小さく息を吐きながら、今は亡き師のことを考えた。

 おそらくヨシヒトは、あの烈圭(こども)が鬼であると分かっていたうえで育て、自分の技やその他の多彩な術まで受け継がせていた。

 自分の遠くない確実な〝死〟を予見して。自分の持ち得るありとあらゆる〝術〟を()()()()()()託していたのだ。


 いったいなぜ。よりにもよって。

 〝百鬼殺しの英雄〟が最後の最期に、()()()()()()()()()()


(ったく……生きてようが、死んでようが。いつまで経っても一片も()()()()()())


 桃は無意識に、小さく笑っていた。

 そうして、携帯灰皿をそそくさとしまい込むと、白衣についた鉄扉の錆を粗く払いながら、ゆっくりと廊下を歩きだした。


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