間話 巣から家へ
「元異形殺しの教師と、ひとつ屋根の下で……高校卒業まで一緒に暮ら、す……だとォ!!?」
わなわなと口元を歪ませて。千草は烈圭の両肩を掴んで揺らしながら、怒号とも取れる叫びをあげた。
烈圭は思わず苦笑いを漏らして、もはや錯乱状態の千草を宥めようと、自分の肩を外す勢いでガクガクと揺さぶってくるその腕に手を添える。
「ま、あ……落っ…ちついて、千草」
「落ち着けるかァ!! テメェ、烈圭……よォォォく考えてみろ? とっくに成人迎えた野郎……しかも教師と女子高生がひとつ屋根の下で数年同居するなんざ……事案の匂いしかしねェ! つーかもう事案だ!! どこにいやがるその事案教師は! 埋めて永久凍土にしてやる……」
「永久凍土て……あと先生なら、もう今日はかったりぃから昨日の女のトコで寝るって。さっき、どっかの女の人の車乗って行っちゃった。そんで、明日からここに住むらしい」
「やっぱクソ野郎の匂いしかしねェじゃねェか!!」
「はぁ……うるせぇ……」
夜鷹は片手で頭を抱えて、深い溜め息を吐き出しながら、未だ玄関で突っ立ったまま吠えている千草の背中を強く押した。
◇ ◇ ◇
烈圭は千草と夜鷹を藍之仁の眠る座敷へと招き入れると、先刻起きた一連の出来事について話した。
突如、高校の生物教師の男に襲われたこと。
その生物教師──落神 桃は烈圭の伯父、アサギリ ヨシヒトの弟子であり、元異形殺しであったということ。
藍之仁が桃の驚異的な〝鬼嚇し〟を受けて、倒れてしまったこと。
しかし、烈圭は桃と最後に交した、高校卒業を期限とした〝契約〟に関することだけは、一切話すことは無かった。
なにせ、あの契約の果てにあるのは〝殺し合い〟なのだ。それを聞いて、特に千草が黙っているはずかない。
なので烈圭は、この家の現在の所有者が桃であることと、彼に頼み込んでこの家に引き続き住むことの許可を貰ったのだと2人に話した。
千草は烈圭の話を聞き終わると片手で口を覆って、何やら考え込んでいるのか、ピタリと静かになった。
その様子を横目で伺いながら。夜鷹は密かに息を吐いて、烈圭に一つ頷いて見せる。
「話はわかった。さっき千草が言った通り、成人男性の教師と未成年の女子高生がひとつ屋根の下でやら、何やらもあるが……おれが一番懸念してるのはその落神って男が元異形殺しだったってことだな」
夜鷹は未だ懇々と眠り続けている藍之仁を一瞥する。
藍之仁は烈圭たち3人の話し声が飛び交う中でも、目を覚ます気配すらなかった。
「たかが〝鬼嚇し〟の一発で、藍がここまでダメージを受けるとは……正直、信じられない話だ。それが事実なら、一刻も早く、その落神という男を殺すべきだとおれは思う」
「!」
夜鷹の口から出た、「殺す」という言葉に烈圭は思わず目を見開く。
まさか、よりにもよって夜鷹の口からそんな言葉が第一に出てくるとは、思いもよらなかったのだ。
「藍が敵わないのなら、俺と千草も到底敵わない相手になる。だが、おれたち3人であれば、不意をついて殺せる可能性も低くはない」
「ちょ……っと待って、夜鷹サン。いきなり殺すって案は流石に早計過ぎるのでは?」
思いがけず烈圭がそう挟むと、夜鷹はきっぱりと首を横に振った。
「藍は天鬼本家でも、五指に入るほどの実力者だ。それを易々と打ち倒す力を持った人間なんて……鬼の脅威そのもの。即刻排除すべきに決まってる。現に、藍とお前は殺されかけているだろう」
そうして夜鷹は最後に、語気を強めてこう言った。
「それに人間……ましてや異形殺しなんぞ、信用できるはずもない」
夜鷹のその言葉の端々には、怨恨の色がはっきりと滲んでいた。そこで烈圭は、下校中に話していた藍之仁の言葉を思い出す。
夜鷹の両親は、十数年前に修羅狩りによってもたらされたという、大虐殺によって亡くなったのだ。
ならば修羅狩りの人間は、誰であろうと親の仇も同然と考えてしまうのも、致し方ないのかもしれない。
しん、と静まりかえった沈黙の中で。ふと思い出したかのように、両腕の打撲傷がズキリと痛んで、烈圭は唇を噛む。すると、唐突に隣に座っていた千草に両腕を取られた。
「うわ、ちょっ……千草……!?」
「……!」
千草は烈圭のジャージの袖を捲って、その下から出てきた細い両腕が目に入った途端。大きな瞳をいっぱいに見開いて、思わず息を止める。
烈圭の雪のような真白の両腕は手首から肘にかけて余す所無く、変色して腫れ上がっていた。赤いどころか蒼く、または浅黒く土気色にまでなっている部分もある。
千草は薄い唇の端から白い息を細く、長く。粉雪と共に吐き出して。今までに聞いたことのない、雷よりも低い低音の唸りを零した。
「誰にやられた………屠る」
烈圭は思わず、ヒッと高い音をあげて息を吸った。宙を睨めつける千草の横顔はもはや般若を超えて、鬼神だ。
「いや……でも、さ? 先生も悪気があったわけじゃ……いや、あったけど……」
さて、どうやってこの怒り狂う鬼神、或いは荒神を鎮めようかと、烈圭が密かに冷や汗を流し始めた時。
バサッ。
「……うっっるさ」
酷く掠れた声と共に。小さく振るわせた羽音が、耳に小気味よく響く。
「! ……藍」
「よかった! 目、覚めて」
「藍之仁……起きてやがったか、テメェ」
藍之仁は横になったまま眩しそうに目を細めて、横目でこちらを見上げていた。
烈圭たちはようやく目を覚ました藍之仁の様子を見て、揃って安心したように息を吐く。
しかし、藍之仁はまだ眠気があるのか、まばたきは至極ゆっくりで。とろりとした視線を一度さまよわせる。
「……あのワンナイト教師。やっぱ殺さなかったんだ」
「!」
さまよっていたその視線は、烈圭を見つけてピタリと止まる。
藍之仁はまだ眩しそうに目を細め、烈圭を見上げながら独り言のような声色でそう呟いた。
「殺さなかった」と、どこか確信めいたように言う藍之仁に、烈圭は目を見開きながら強く頷いて見せる。すると藍之仁は一度目を伏せて、小さく鼻で笑った。
「何故か知らないけど。あのワンナイト教師、今は俺らを殺す気……ないね。とりあえず泳がせとくのが、最良の得策」
「! ……そんな状態にさせられておいて何言ってる、藍。お前らしくもない」
「まぁ、油断しまくってたし。けど、それでよかった。油断してなくて、初めからマジで殺り合ってたら──俺死んでる」
そう言って小さく笑った藍之仁を見て、夜鷹は酷く驚いたように瞠目し、千草は眉根を寄せて険しい顔をした。
「藍之仁、その元異形殺しの男。俺ら3人でも殺せねェか?」
「確実に無理」
「即、断言か……テメェがそう言うんならそうなんだろうな」
千草は、片手で頭を抱えて深々と息を吐き出した。その表情は、やはり酷く険しい。
そんな千草の顔から、藍之仁はまた視線を何も無い宙へと漂わせた。
「俺たち異形は、異形殺しにしろ、人間にしろ……色々知らな過ぎる。十数年前……いや、それ以前から。目を逸らし過ぎなんだよ。もし、あのワンナイト教師みたいのが、柊連やらに何人もいるんだとしたら……このままだと間違いなく──鬼は、滅ぶ」
「!」
烈圭は思わず、息を呑んだ。藍之仁にここまで言わせる桃は、やはり尋常な存在ではなかったのだ。
そして、烈圭が思っていたものよりも、鬼と人間の因縁は深く、ただならぬものだということを思い知らされる。
「これは、至上の好機……でしょ? 千草。あの祖父、放って……俺も来て正解だった。特に、千草と鷹は……知っていくべきだよ。異形殺しも人間も……あの、ワンナイト教師から、盗んで」
藍之仁の声が、徐々に萎んでゆく。おそらくまだ、体力が完全に回復していないのだろう。
しかし、藍之仁は小さくなってゆく声とは裏腹に。こんな時でも相変わらずに強い視線を烈圭に向けた。
「オマエ、やっぱ一番……目、付けられてる」
「んー……ですよね」
「けど、まぁ……俺らが傍にでも居れば。何とかなん……でしょ。そのついでに、盗めば……」
そこまで言って、藍之仁の瞼は完全に落ち、また静かな寝息をたて始めた。
それを見届けた烈圭は、小さく笑みを溢して、翼に包まる藍之仁に薄い布団を掛け直してやる。
「ったく……クソガキのくせして、こういう時は堂々と正論ぬかしやがる。可愛くねェ」
「昔から変わらないな、そこだけは」
そんな烈圭と藍之仁の姿を見て、千草と夜鷹は2人して深々と息を吐き出しながら、苦笑した。
「烈圭、一つ聞きてェことがある……なんでテメェを殺しかけたクソ野郎に頭下げてまで、ここに居てェんだ? なぜこの家に拘る」
「……」
千草のその問いに、烈圭は白兎のような赤い瞳を微かに揺らして、辺りを見渡すように視線を流した。
「この家を離れたら、ヨシヒト……死んだ伯父と過ごした時が……本当に短かった、あの時間が思い出になりそうで。嫌だ」
烈圭はそう言って一度目を伏せると、小さく口元に笑みを浮かべて千草と夜鷹に視線を戻す。
「良い思い出は、すぐ忘れる。きっと私はそうだ。だから、まだもう少しここに居たい……それに、この家はヨシヒトの形見みたいなモンだしな」
そう、静かな笑みを微かに浮かべる烈圭の様子を見て、夜鷹はふいと視線を逸らした。
(確か人間の伯父が死んで……まだ1年くらいだと言ってたか)
烈圭が言うには、その伯父と暮らしたのはたった3年程度だったという。
幼い頃から、いくつもの親戚の家々をタライ回しにされていた烈圭が、そのたった3年。共に暮らした伯父とのことだけは話すのだ。
おそらく、その伯父だけは烈圭にとって特別な存在なのだろう。そしてその伯父が亡くなって、まだ1年程度しか経っていない。
誰かを失くした悲しみや痛み。たった1人残された苦しみは、そう易々とは癒えない。それだけは、痛いほどわかって。夜鷹は思わず烈圭から目を逸らして、軽く目を伏せた。
「わかった。それなら、烈圭。一つ俺から提案がある」
「提案?」
「ああ、テメェと一緒に俺たちもここに住むっつー提案だ」
「は……はあ!?」
その唐突な千草の提案に、一番に驚愕の声をあげたのは夜鷹であった。それにも構わず、千草は話を続ける。
「烈圭がこの家に居てェ気持ちは心底わかった。が、この家の所有者っつーその元異形殺しの教師野郎……話を聞く限り、俺も覚えがる。胡散臭ェ丸眼鏡の、自販機よりタッパある男だろォ?」
「え、そ、そうだけど……」
「やっぱあの、ホットサンド大食らい野郎かァ……アイツァ駄目だ。素が女子高生とひとつ屋根の下に置いといていい人間じゃねェ。クズと事案の匂いしかしねェ」
「千草、手厳しいな……先生、そこまで……」
と、桃をフォローするためにそこまで言いかけて、烈圭は口を閉じる。そして、何やら深く考え込むような素振りを一度してから、すぐに首を横に振った。
「いや、先生は……結構人でなしだった……先刻の『昨日の女』に迎えに来てもらってた時点で、ワンナイト教師(仮)からワンナイト教師(改)にほぼ確定しちゃったし……いやでも、そういう事情は勝手にイジったらプライバシーに関わる? ……うーん」
「何にしろ、日毎に複数人の女性のもとを渡り歩いてる教師なんて、どう考えても異常だろ……」
うんうんと唸って、悩む烈圭に夜鷹は呆れたようにそう突っ込んだ。それに同調するように、千草も何度も首を縦に振って、強く頷く。
「俺は兄貴として、妹を得体の知れねェ男と二人暮しさせることが、まずできねェ。それに相手は元異形殺し……万が一のこともある。だからなァ、烈圭。俺たちにオマエを守らせてくれ」
「!」
千草のその最後の言葉に、烈圭は弾かれたように顔を向ける。
すると千草は力強い視線で真っ直ぐに烈圭を見据え、その華のような美しい顔に、男らしい笑みを浮かべた。
「俺たちを、烈圭の家族にしてくれねェか?」
また、胃の腑の更に奥底から、何かがせり上がってくる感覚にとらわれる。
最近は、こればかりだ。
烈圭は一度を息を詰めて、咄嗟に意味も無く少し震えた声で応えた。思いがけず、変な笑い声が一緒に飛び出る。
「……ありがとう……でもそれ、私の言葉」
「んなこたねェ、俺たちが烈圭の家に入れて貰うんだからなァ」
千草は眉をあげて相変わらず男前な笑みを溢しながら、烈圭の肩を二度軽く叩いて立ち上がった。
「あ、でも私の家じゃなくて、先生の家だし……先生、入れてくれるかな」
「安心しろォ、そこは大人と大人の話だ。俺が上手く話をつける。つーわけで、朝までにここに全部荷物運び込むぞォ、夜鷹。幸い、明日は土曜だ! 店の開店までには片す」
千草はそう言うと、未だに正座している夜鷹の首根っこを引っ付かみ、座敷を出て玄関へと向かった。その後ろを夜鷹は、文字通り引き摺られながら続く。
「は?朝って……おい待て、千草……おい!」
「烈圭は藍之仁、看といてくれるかァ?こっちは俺と夜鷹で十分足りる」
「わかった! 2人とも、気をつけて」
「ああ、もう……」
夜鷹の深い溜め息が、暗い月に照らされた赤い夜闇に呑まれる。
こうして、元修羅狩り教師に加えた、天鬼3兄弟との同居が家の所有者の知れぬところで決まったのだった。




