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阿吽の夜叉  作者: 鹿山
第壱幕 落果と蠢動
12/27

第10話 暁色の果実を喰らう

 その夜は満月が出ているというのに。暗闇が一層深く、ささやかな星の(またた)きさえも見えない。

 ゆえに、何とも奇妙な闇夜であるように感じた。


 この辺りの満月の夜は空の雲の形や、四方を囲うように(そび)える山々の稜線(りょうせん)まで、はっきりと目視できるほどに明るい。

 しかし今宵の満月は橙色(とうしょく)にも近い、黄色味を帯びた赤い月が、薄雲を纏って吸い込まれそうなほどの深い闇空にぽっかりと浮いていた。

 黒い山々の(ふもと)を通る道を抜けて。自転車を押しながら小高い坂の上まで登ってきた烈圭は、その妖しくも暗い光をたたえた赤い満月をゆっくりと仰ぐ。


「んー……美味しそうな月だな。珍しい」


 自身を暗く照らす満月から珍妙な感想を独り言ちた烈圭は今宵の赤い暗闇にはよく際立つ、真白の異形の姿をしていた。





 駅で夜鷹と別れた後の帰り道。烈圭は駅の近くにあるスーパーへと食料の買い物に寄ったのだが、スーパーから出た途端。再び鬼の姿へと変化(へんげ)してしまった。

 おそらく昼間の生物の授業で、邪除けの鈴に()てられたことが原因であろう。やはり、乱れた妖気は未だ制御できていなかったらしい。

 以前のような身体の不調は無かったのだが、何しろ夕方のスーパーは田舎であってもそれなりに混雑する。

 そんな中で鬼の姿を晒し続けるのは流石にまずいため、烈圭はスーパーの外に設置してあるトイレへと駆け込み、人通りが少なくなる時間帯──つまりは夜になるまで、待った。


 そうして日が落ちてからトイレを抜け出し、人通りの少ない道や、林やら森の中の小道を選んで遠回りをしながらの帰宅を余儀なくされ、現在に至る。





 烈圭は坂を下った少し先にある黒い林に囲まれた、明かりの(とも)っていない我が家がようやく目について、深々と息を吐いた。


()()()()だったら、妖気に寄せられた妖たちの相手までさせられて……危うく一晩かけての帰宅になるとこだった」


 群がってくる妖たちを想像して思わず肩を竦めながら。烈圭は我が家へと帰りつくとまず、現在は物置と化している古い車庫の中に自転車を止める。

 そして自転車のカゴに入れていた買い物袋を手に取り、肩に提げている鞄を掛けなおしながら自宅の玄関へと向かった。

 鬼の姿であるせいか。そういえば月が出ているとはいえ、暗い夜なのによく辺りが見えるなと。今更ながらにそんな変化(へんか)に気付く。

 烈圭は暗闇の中、木の根が張り、大きな石の転がる細い小道を難無く進んだ。


「……眠い。もうご飯はいいから風呂入って寝ようか。明日には人間態になれればいいんだけど……あ?」


 欠伸を噛み殺しながらポケットから自宅の鍵を取り出したところで、烈圭はピタリと動きを止めた。

 持っていた荷物を置き、息を潜めて身を屈ませると、視線を地面に落とす。


(………泥棒猫か? うちにはすでに図体も態度もデカい御狐様(おキツネサマ)がいらっしゃるのだが)


 烈圭の視線の先には、壊された玄関の引戸(ひきど)が捨て置かれていた。

 そして玄関の方に目を移すと、外よりも黒く闇に塗られた暗い家の中が露わになっている。見る限り、人の気配は感じない。

 烈圭は立ち上がって、音も無く砂利の地面を歩いてゆく。

 そして壊された玄関の前に近づき、残った引戸に手を掛けて中の様子を伺おうと、そっと身を乗り出した。


「おかえり」


 (しずか)で妖しい低音の男の声が、静寂に慣れた鼓膜を柔く撫でた。それと同時に。引戸に掛けていた左手が、滑らかな革を纏った大きな掌に包み込まれる。

 無意識に警戒心を解かれてしまうような声色と、柔らかな手つき。それに烈圭は一瞬思わず身を固くしたが、直ぐに反射で身を引こうとした。


「って……あのチビオヤジかと思ったら、子鬼さんかよ」


 気が付けば、烈圭は左手首をがっしりと掴まれおり、その手を掴む人物に引っ張られて玄関の外に出ていた。

 自分の手を引きながら赤い満月を背に立つその人物の姿を目にした途端、烈圭は思いがけず息を止める。


「鬼は好かんのよ、俺」


 その言葉が耳に入った瞬間、烈圭の視界が大きく反転する。頬で風を。全身で浮遊感を感じた。

 そして──苦い、煙草の匂いが確かに鼻を(くすぐ)る。

 バキッ!勢いよく宙に放り出された──というより、投げ飛ばされていた。

 そのまま烈圭は赤い月夜の静寂を壊して。家の側に立ち並ぶ、鬱蒼とした林の中へと突っ込んだ。


◇ ◇ ◇


 今夜の満月は悪くないと、藍之仁はなんとなしにそう思った。

 この田舎の月は妙に明るく感じる。夜は明るくなくていい。夜は黒く、冷たい暗闇の(とばり)が降りるからこそ。深く、溶けるように眠れるのだ。

 この辺りの月は、まるで昼間の太陽に焦がれているかのようで。闇空で白い光を眩しいほどに、柔らかに溢す。

 だから今夜の満月は仄白(ほのじろ)い眩しさが少しも目に刺さらなくて、藍之仁には丁度よかった。

 暗い光をたたえた赤い満月を見上げて、そういえば鬼の姿になった烈圭の瞳も、あの満月に似た鮮烈な紅だったことをふと思い出す。


(アイツのはもっと明るい色だった)


 そこまで無意識に思い立って、藍之仁は我に返る。

 そして、頭上に浮かぶ赤い満月からすぐに目を逸らしながら、今日何度目かもわからない舌打ちを大きく鳴らした。


「鷹の裏切り者。千草のアホ、ボケ、バカ、鬼婆野郎(おにババヤロー)


 不貞腐れた声で、可愛げのない弟と口煩(くちうるさ)い兄への悪態を()く。

 現在、藍之仁は携帯のナビを頼りに烈圭の自宅へと自転車を走らせていた。






 千草が店を閉めて、いつものようにキッチンで夕飯の支度を始めようとしていたところ。そこに夜鷹が珍しく二階から降りてきて、何やら千草と話し込んでいるのを見かけた。

 藍之仁はそんな二人を大して気にもせず、ボーッと見たこともないバラエティ番組を流すテレビを眺めていた。

 しかし突如、大きな足音を立てて千草が近づいてきたかと思えば、藍之仁は首根っこを引っ掴まれ、否応なく外へと放り出される。

 そして、こちらが文句を垂れる前に「烈圭に謝って来い。さもなくば今日の晩飯、明日の飯全抜き。いいなァ?」と、般若のような顔で言い捨てた千草に、家から締め出されたのだった。

 おそらく、夜鷹が夕方の烈圭との件を千草に話したのだろう。家の裏口前にはご丁寧に自転車が置いてあり、そのカゴには烈圭の自宅の住所と「ちゃんと謝れよ」と見慣れた綺麗な文字で書かれたメモが入っていた。





 藍之仁は数十分前の出来事をそう思い出しながら。緩い上り坂に差し掛かった道を自転車のサドルから腰を浮かせて、ゆっくりと登る。


(わかってるよ。でも、仕方ないじゃん)


 妖気もほとんどない、何の力も持っていないような。今の今まで人間として生きてきた、何も知らない子供が──自分の身一つ守れないような弱い子供が。

 これから〝鬼〟として生きていけるはずがない。

 こちらの世界は、人間たちの世界のように甘くはない。しかも、自分と同じ〝天鬼〟という厄介な血まで引いているのだ。

 たとえ異形殺しの技を多少身につけているとしても。あの小さい身体と丸みの残る爪では、生き残れない。

 子供は、まだ無知なままでいい。

 人間の世界は、法や規律が子供の揺り籠を守ってくれる。

 しかし、自分は守れない。どれだけ強くなったとしても、この身一つだけでは守り切れないものがたくさんある。

 また、失うくらいなら。このまま失ったままでいいと思う。

 もう()()()に引かれずとも、この足は道半ばで千切れようが止まらない。


 もう、大丈夫なはずだ。


 だから、謝りに行くのではない。もう一押し、たとえ脅してでも。

 よく世話を焼いていた千草と夜鷹には悪いが、あの人間と鬼の間で彷徨う子供は、揺り籠の中に戻すべきなのだ。

 それに、嫌われ役は慣れている。


「……あれか?」


 坂を上り切った先にある林を抜けると、少しだけ開けた場所に出た。

 今夜の赤い満月も良く見える。そしてその先にある古い日本家屋が目に入って、藍之仁は物思いから覚めた。

 おそらく、あれが烈圭の自宅だ。

 藍之仁は自転車から降りると、それを今来た道の脇に寄せて止める。


「つーか、この脆弱妖気……アイツ、また人間態()けてんの?」


 目の前にある日本家屋の裏側から、確かに鬼特有の妖気を微弱に感じる。ここまで弱い妖気の持ち主は、一人しかいない。

 藍之仁はやはり、アイツは鬼には向いてないと心底思いながら。その微弱な妖気を辿り、日本家屋の周りを沿って続く小道をゆく。


 バキッ!


「!」


 不意に、小道の先。日本家屋を囲むように生い茂る雑木林(ぞうきばやし)から大きな音が聞こえた。藍之仁は、その音が聞こえた方に向かって素早く駆け出す。

 するとそこには、雑木林の幾本かの低木がへし折られて積み重なっており、その残骸の中から雪のような白さをした、か細い足首が垣間見えた。


「れっ……!」


 藍之仁は思いがけず、鬼の妖気を溢れさせる。そして、白い片足の見える雑木林の中へと駆け寄ろうとした。


 カァン!


「!?」


 拍子木(ひょうしぎ)のような乾いた甲高い音が、黒い闇の中によく(こだま)する。

 耳を痛いほどに突き刺したその音に、藍之仁は身体が石のように固まった。


「がっ……!!」


 鼓膜から頭の奥底まで、大量の蟲の羽音にも似た激しい耳鳴りに支配される。視界がどろりと悪くなり、嗅覚も何も感じなくなった。

 完全に五感が狂ってしまった藍之仁は頭を地面に擦り付け、丸く蹲る。そして震える両手の、少しだけ尖った爪を脇腹に突き立てて、薄く肉を(えぐ)る。


「フ──……!!」


 幸いなことに多少鈍くなってはいるが、痛覚は正常に働くようだった。

 そうして荒い息を深く吐き出しながら、脇腹の痛みに意識を集中させる。すると徐々に、視覚と聴覚だけはいくらかマシになってきた。

 更に脇腹を深く抉って、藍之仁はなんとか上体だけでも起こして顔を上げる。


「その様子だと、お前さんも鬼か」


 そこには赤い満月を背に、一人の長身の男が両の手を弄りながら立っていた。

 細いグラスコードの垂れる丸眼鏡に、口には黒い革手袋を咥えている。見覚えのある顔だった。


(昼間の、ワンナイト教師……! ……やっぱこいつ、異形殺しかよ)


 その男は昼間の授業中に烈圭と共に出くわした、あの怪しい生物教師であった。

 藍之仁は荒い息を何度も吐き出しながら霞む目で、悠然とこちらを見下ろす男を睨み上げる。


「痛みで俺の〝鬼嚇(おにおど)し〟を半分も解いちまうとは……やるなぁ? 大抵のヤツは一発で、頭ん中までとち狂って楽に終わるんだけど」


 男は咥えていた革手袋を懐へとしまい、どこか嬉々(きき)とした様子で藍之仁の殺気の込められた視線を受け止める。

 藍之仁は沸々と湧き上がる怒りを抑えながら、密かに息を呑んだ。


(邪除けの鈴無しで、〝鬼嚇し〟……掌になんか細工してんな。しかも、鬼に変化(へんげ)できない)


 異形殺しが害悪異形の狩りを始める前に行う、〝鬼嚇し〟。

 烈圭の時のような通常値の〝鬼嚇し〟は精々軽い耳鳴り程度で済んだが、この男の〝鬼嚇し〟は明らかに格が違う。藍之仁がいくら妖気を引き出そうとしても、身体のあらゆる感覚が狂って鬼の姿に戻ることができないほどに。


「……〝バケモノ〟、かよ」


 藍之仁は本能で、理解した。目の前にいるこの男は───圧倒的、〝捕食者〟であるということを。


「あー、それ。よく言われる」


 男は相変わらず軽薄な口調でそう零しながら、未だ立つことすらままならない藍之仁のもとへ近づいてくる。


「おい」


 不意に。男は地を這うような低い声が耳元で聞こえて、足を止めた。

 一方、何か恐ろしいものでも目の当たりにしたかのように。身体を硬直させて、藍之仁は目の前にいる男の背後を凝視している。


「……は」


 男は思わず間の抜けた、吐息のような声を形のいい唇から零した。

 いつの間にか──己の腰には細っこくも筋肉質な、白蛇にも似た脚が絡みつき。首にも、真白の細い腕が回されていた。


()()()()()。さあ」


 また低い声が、耳元で囁かれる。不思議と不快には感じない。

 男はその声に吸い寄せられるかのように───無意識に、その声のする方へと顔を向けた。


「デイトしようか───私と」


 三つの赤い満月と目が合った。

 一つは遠くの闇の虚空で、こちらを嘲笑うかのような(くら)い光をたたえている。

 そしてもう二つは思わず、うっとりとした吐息を漏らしてしまうほど。

 どこか奇妙で、酷く(いびつ)な──しかし、(おぞ)ましくも美しい。


 (はげ)しい太陽の息吹(いぶき)()かれた、朝焼けの空色を纏っていた。



さて、今回も少しだけサブタイトルの紹介をしていきますね。

今回は「暁色の果実を喰らう」です。暁色は、そのまま「あかつきいろ」と読んでいただければ。


私としては「暁色」という色は「朝焼けの空色」を指したつもりです。つまりは、燃えるような赤や橙色、淡い赤紫色等々といったところでしょうか。


そんな、「暁色」の「果実」といえば、皆様は何を思い浮かべますか?是非、この「暁色の果実」という単語は覚えておいて欲しい言葉です。


そして、この「暁色の果実」を〝喰らって〟いるのは何なのか?

そして、「暁色の果実」とは何なのか?

「暁色の果実」には色々な意味を込めましたので。


これらについても考えて読んでいただければ、本当に幸いです。

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