ニコニコ笑う〇〇○
燃え移るように広がる赤色は、絵の具よりも粘ついていて、墨汁よりも濃厚だった。
その中を一人の人間が歩いていく。一歩、また一歩。なんの感情もなくただの機械のようだ。
そして、その男は、一番奥の、一番厳重な牢屋の前まで来た。
牢屋の中には、ケンが先ほど捕まえた殺人鬼が放り込まれていた。
殺人鬼は、おもてをあげて、
「にゃんにゃん。ワンワ、ん? なんだあんたか」
喋れないふりをやめた。イかれた殺人鬼のふりをするのは簡単だ。言葉が通じないように演技をすればいい。そして、見るからに殺人鬼っぽく目にクマを浮かべ、ボロボロのヨレヨレの格好をすればいい。
そうすれば周囲の人間は勝手に、イかれていると解釈してくれる。だが、本当にイかれている奴は、そんなことしない。
「なあ。言う通りにしただろ? 報酬はくれるんだよな? っていうかあんたどうやってここに入ったんだ? それに看守どもはどこに行った?」
殺人鬼の牢屋の前に立つ男は、殺人鬼に向かって、
「看守は死んだ」
「は? 死んだ? どうして?」
「わしが殺した」
「どういうことだ? あんたが殺したってなんの冗談、」
プシュっ!
ゴトリ。
何かが風を切るような音の後に、重たいものが床に落ちるような音がした。刑務所内は完全な静寂に呑まれた。まるで、ここだけ宇宙空間の中に転移したようだ。音の墓場のなかで、男の足音だけがコツコツ響く。沈黙を砕くその足音は、死神のそれのようだった。
言葉が通じなくて、見るからに人を殺してそうな奴。そんなやつちっとも怖くない。だってそんな奴イかれているうちにも入らないから。
本当にイかれている殺人鬼は、じーっと息を潜めている。常に仮面を被っている。
刑務所内に存在する全ての生物を、死体に変えた殺人鬼は、そうっと夜の闇に消えていった。
怪物は、身近なところにいる。いつもいつも隣にいる。人はみんな遠くにいる“見るからに怪しい殺人鬼”を怖がる。本当にイかれている奴は、すぐ隣にいるのに。
いつだってそれに気づかないふりをする。本当は気づきたくないんだ。本当は心のどこかで殺人鬼だってわかっているんだ。
それに気づくのがたまらなく怖いんだ。
本物のイかれた殺人鬼は、いつだって仮面を被っている。
いつだってニコニコ笑っている。