ニコニコおじさんの家は遠い
夕暮れが、地表に幾つもの影をきざみつける。俺たちの形に切り取られた黒い輪郭は、まっすぐと太陽と真逆に伸びる。
「なあ。結局この国って何が公平だったんだ? 全部がクジで決まる運ゲーだっただろ?」
「あー。それはな、」
アルが言い切る前に、
「おいっ! ケン殿っ!」
突如、誰かが俺たちに声をかけた。
声の方に顔を向けると、
「あ! ニコニコおじさん! こんなところで会うなんて奇遇ね! 私たちに何か用?」
つい先日、俺たちの椅子の家に遊びに来たあのおじさんがいた。歳はそんなにいってないが、顔にはシワが刻まれていて、科学者っぽいビン底眼鏡をかけている。ずーとニコニコしていて楽しげなあのおじさんだ。
「お主ら、わしの依頼を受けに来てくれたんじゃないのか? なんでわしのところに来てくれんのじゃ? ずーと待っておったぞ?」
ニコニコおじさんはニコニコしながらちょっと怒っていた。顔に浮かんだ笑顔が逆に怖い。
(ヤベー。完全に仕事のこと忘れていた!)
「俺は唾をごくりと飲み込んだ」
あ! 心の中の台詞が出ちゃった!
「お主ら、まさかわしのことを忘れてずーと遊んでおったんじゃあるまいな? こちらはもう依頼料を支払ったのじゃぞ?」
「いやいや。そんなことないぜ! 今からおじさんの家に向かうところだったんだよ!」
「そうか? それならいいんじゃが、というより手に持っておるのはなんじゃ? まさかお土産か?」
俺は慌ててゴリラ製品を体の後ろに隠した。
「いや、これはおじさんへの手土産だよ! 俺の出身国では依頼を受けたらお土産を一つ持っていくのが習わしなんだ」
もちろん嘘だ。
「そ、そうなのか。ならいいんじゃ。疑って悪かったの」
おじさんはニコニコしている。うう、なんだこの罪悪感。
「はい! どうぞ」
俺はゴリラの貝柱とやらを手渡した。楽しみにしていたのに。
「うむ。ありがとうの。ん? これこの国の特産品じゃろ? 何でこの国の特産品をわしにくれるんじゃ?」
「あ、えと、宗教上の理由だ!」
もちろん嘘だ。嘘に嘘を塗りたくって、もう止まらない。このまま嘘を貫き通すしかない!
「そうか。宗教上の理由なら深くは聞けないの。では早速わしの家に向かうとしようかの」
「ああ! 早速行こう! 野郎どもいくぞ! 仕事だ!」
「「おおー!」」
アルとアリシアは右手を空に向かって伸ばす。顔は引きつった笑顔だ。
「それと本当に疑ってすまなかったの。申し訳ない。この頭の固いじじいのことをどうか許してくれ」
ニコニコおじさんは深々と頭を下げた。顔は本当に申し訳なさそうな表情になっていた。
「いやいや。疑われるようなことをした俺たちが悪かったよ」
「そんなに謝らないでくれ!」
「疑ったのならもっとしっかり謝罪しなさい!」
と、バカアリシア。せっかく話の流れがいい方向に向かっていたのに!
「本当に申し訳ないことをした。人のことを疑うことは最低の行為じゃ。わしはわしという人間を恥じる。どうかどうかこのちっぽけな人間のつまらない過ちを許してくだされ。自分自身の愚かさが本当に恥ずかしい。わしのためにお土産まで用意してくれた心優しいケン殿に、疑いの心を向けたことを心底反省しておる」
腰を深く折り曲げて、本当にしっかり謝罪するおじさん。ひいいいやめてくれ! 罪悪感がやばい。だがここで嘘がバレると、本当にまずい。このまま嘘を貫こう。
「いや、いや、いや、いいんだ! そんなに謝らないでくれ! 俺はじいさんのことを許す!」
「私も全然全然全く気にしてなどいない! さ、顔を上げてくれ!」
「私は許すつもりはないわ! もっとしっかり謝ってよ!」
と、大バカ(アリシア)がトンチンカンなことを言い出す。
「バカっ! お前はなんで余計なことするんだよ!」
スパンっ! 頭を叩いた。
「あいたっ!」
「殴るならこのわしのことを殴ってくれ! どうかわしに、罰を与えてくれ! そうじゃないと気が済まないんじゃ! いや、殴るだけじゃわしの罪悪感は拭えない! わしは、自分自身の過ちを抱えて生きたくない。もういっそのことわしのことは一思いに殺してくだされ!」
と、こうべを垂れるニコニコじいさん。もうやめてくれ! だんだん死にたくなってきた。ここまでくると、覚悟が決まった。嘘がバレないように全身全霊全力を尽くす!
「いや! そんなことできるわけないから! さ! 行きましょう!」
そして俺たちはニコニコじいさんの家に向かった。
街の夕暮れの中を四人が歩く。夕日を切り裂きながら元来た道をまーーーっすぐに、真逆に歩いていく。
その中で色んな人に声をかけられた。
「ケンちゃんたち! なんだ忘れ物でもしたでごわすか? それともまだ遊び足りなかったでごわすか? 今日の昼はとってもたくさん遊んで楽しかったでごわす!」
「あれ? 帰ったんじゃなかったのか? それとも、またゴリラを奢ってくれるのか? またみんなで食べるだろうぜ!」
「あ! 竜王の居室に泊まったお客様だな! 昨日は楽しんでもらえたかな? またいつでも遊びに来て欲しいな!」
「ん? わしがせっかくあげたゴリラの貝柱を人にあげたのか? ケン坊の考えることはよくわからんだじゃ」
「あ! 昨日の坊主! ラグナロクのアタナシアは美味かったか? またみんなで面白い話をしようぜ!」
「またクジ引きしに来てね!」、「また遊びに来てくれたの?」、「昨日はごちそうさま」、「また泊まっていってね!」、「昨日は本当に楽しかったな!」、「ケンは本物の遊び人だ!」、「ケンたちの派手な遊び方には驚いたよ!」、「よう遊び人!」
俺たちはしばらく無言で、街を歩いた。ニコニコおじさんの家はすごくすごく遠かった。ほとんど街中歩いた気がする。というか、同じところを何度も歩いていないかこれ?
まるで公開処刑をされているような気分だった。胸の中にいくつもの罪悪感の十字架が突き刺さる。
「あのう。ケン殿?」
「はい。なんでしょうか?」
「ケン殿たちはやっぱり遊んでいたのかの?」
「はい。遊んでいました。嘘をつきました。本当に申し訳ないです」
俺は正直に、嘘を認めた。本当に最悪の空気になった。決めた、もう嘘はつかないようにしよう。人間正直が一番だ。
「私たちは、自分たちの過ちを認めたくないばかりに、口から出まかせと嘘を言いました。騎士として恥ずかしいです」
「ほら! もっとしっかり謝りなさい! ケンもアルちゃんも頭を下げなさい!」
と、アリシア。お前が一番謝れよ。