空中に生えるブドウ
「ねえ! あれ!」
アリシアが空を指差す。俺は背後を振り返って、アリシアの示す方向を見た。
遠く向こうから小ぶりな隕石がこちらに向かって飛んできている。石は赤熱していて、チリとガスが尾を引くように後方に散りばめられていく。その隕石は、黒い空に光の線を描きながら、俺たちのそばを横切った。
その瞬間、周囲の温度が幾度か上昇したのを感じた。あの隕石は、一体何度くらいあるのだろうか?
隕石はそのまま海面の方に、直進していった。やがて、俺の視界では捉えきれないほど遠くなった。きっと海面にでも突き刺さったのだろう。
「なあ! あれってオーロラか?」
アルの指差す方向を見た。そこには、緑と黄色のカーテンが風に揺れているような光景があった。
「うおっ! オーロラを見下ろすの初めてだ」
オーロラは、優雅に宇宙でゆらめいている。風にそよぐその姿は、まるで生き物のようだった。緑から黄色に、黄色から青に、青から緑に、色が移りゆく。海の中で海藻に擬態するタコやクラゲのようだ。
ウネウネとねじれるオーロラは、神秘的で、神々しかった。瞳に焼きついた絶景は、脳の奥に深く深く突き刺さる。俺はこの光景を、海馬にしっかりと刻みつけた。
「もうこんな景色二度と見られないぞ」
「なんでよー? また来ましょうよ」
俺にまたクジで当てろってか?
「そうだな。またみんなで来よう」
当てろってことだな。
俺は巨大な大地の隅から隅まで視線を這わせた。大きな絵画をじっくりと観察する批評家のようだ。
俺たちが今いる大陸は、オオカミ大陸。この世界の五代大陸のうち最も大きいものだ。遥か彼方まで黒い大地が、海の上に乗っかっている。無限に陸続きにでもなっているかのような印象を受ける。だが、ところどころに顔を出す海や川がそれをあっさりと否定する。
俺は、自分から見て右奥の方を見た。そこには、メノオ大陸とニニギ大陸が見える。
左奥にはホオリ大陸とウガヤ大陸も見える。そして、一番奥には、足を踏み入れてはならないと言われる禁則地域が見える。あそこには一体何があるのだろうか?
俺は再び今いる大陸(オオカミ大陸)に視線を戻した。俺の足元には、ハイデルキアが見える。上から見下ろすとあんなに小さいんだな。まるでミニチュアの街をガラスの上から見下ろしているみたいだ。
公平の国、ハイデルキア、それ以外にもたくさんの国が足元に散らばっている。大小様々な国は、どれもが個性を持って存在しているのだろう。
俺たちは三人で空に腰掛けながら、大地を眺めた。時折頬を切る流星が、静寂な空の水面にスパイスを与える。
俺は空で育ったブドウを口腔に突っ込んだ。空中産のブドウは中にぎっしりと酸素が詰まっている。おそらく酸素の薄い空中で育ったから、酸素をたくさん果実内に取り込んだのだろう。
上下の歯でブドウを砕くと、中からは、シャーベット状の果肉が出てくる。酸素とブドウのミルフィーユのようだ。一噛みするごとに、中から酸素が口の中に溶けでる。シャリシャリとした快食感に頬が思わず緩んだ。
ブドウの果実は、非常にハリがあって硬い。地上の普通のブドウとは大違いだ。イクラを噛み潰した時のように、口の中で弾けてくれる。それがたまらなく面白かった。
俺たちは空の端っこで、両足を空中に投げ出している。まるで、大陸の端っこに腰掛けているみたいだ。
隣ではアリシアがパタパタ足を動かしている。小学生か。
手にした空中産のリンゴをかじりながら、
「私空に腰掛けるの初めて」
アルは空中産のみかんの皮むきをしようとしていた。義手だから剥きにくいのだろう。
「ほら。やってやるよ」
みかんの皮を剥いてあげた。
「お! すまない」
俺たちは、そのまま空と一体になって時の流れを全身で浴びた。この時の思い出は一生物の宝だ。人間の短い一生の中で、海馬に強烈に刻み込まれるほどの経験をあと何度できるだろうか?
八十年前後の人生の中で、今のこの瞬間は、ほんの一瞬に過ぎない。時の塊の中の、ほんのひとつまみ。だけどそんな刹那は、永遠よりも長く感じた。
友人たちと過ごす幸せな瞬間を、氷漬けにして保存しておきたい。永遠に今が続けばいいのに。
人生の中で幸福な時間と不幸な時間はどっちの方が多いだろうか? 多くの人は不幸な時間の方が多いいと感じるだろう。
人間は常に何かに悩み、苦しみ、痛めつけられている。心が安らぐ瞬間など、少ししかない。日常の中で幸福だと感じるのは、いつだって他愛もない瞬間なんだ。
他人から見たらただの時間の無駄。だけどそれが本人にとってはかけがえもない時間なんだ。
「あ! また流星」
きらめく流れ星が、空に刺繍を施した。地上に向かって泳ぐ星は、一体どんなことを考えているのだろうか?
「そろそろ寝るか」
「そうだな」
俺たちは順番にシャワーを浴びて、ベッドに入った。シャワーはもちろん空中に設置してある。水は全部地表に向かって垂れ流しだ。
ベッドも空中に固定されている。床は透明なガラスのようになっていて、歩くのが怖かったがすぐになれた。
俺たちはベッドに潜り込んだ。
「なあ。雨って降ったらどうするんだ?」
俺は夜空を見上げながら言った。
「ここは雲よりも高いから大丈夫だろう」
「天井がない部屋ってなんか不思議ね」
そして、俺たちは眠りについた。満天の星空をそのまま天蓋にして、最高に贅沢な夜を過ごした。寝る直前に瞳に焼き付けた空は、脳の中に永久に保存された。