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この小説は絶対に読まないでください 〜パワーワード〜  作者: 大和田大和
第二巻 後半 若い老婆
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母と娘

第五章 母と娘



コンコン。コンコン。

乾いたノックが沈黙を殺す。

「どうぞ」

それに応じるように、病室からしゃがれ声が溢れる。今にも消えてしまいそうな小さな声だった。木製のドアにぶつかったその声は、空気に吸収されて消えた。


目に見えない声は、ただの振動だ。だけど、その声は時に人を死に追いやる。声は、直接人に手を下さずとも殺人を犯す。


そして、声は時に、人を助ける。

直接手を差し伸べることなく誰かを救うことだってできる。


私は病室のドアを勢いよく弾いて、

「アリシアでーす! また来たよ! おばーちゃん!」

病室内に転がり込んだ。そんな私に、廊下にいた看護師さんが、

「あんた! またうるさくして! 病人がたくさんいるんだから静かにしなさい!」

「ご、ごめんなさい」

私は、押し殺したようにそっと背後のドアを閉めた。病室に老婆と二人きりになった。


「また来たわよ! おばーちゃん!」

「おお。誰だい?」

「アリシアって言ったでしょ!」

「おお。ウレンケルかい。よく来たね」

ウレンケルはこのおばーちゃんの孫だ。どうやら脳が混線を起こして、勘違いをしているみたいだ。


「おばあちゃん! 私アリシアよ!」

ちょっと大きめの声で言ってみた。


「ん? なになに名前を間違ったかい?」

「ア! リ! シ! ア!」

「ウ! レ! ン! ケ! ル! やっぱりウレンケルじゃないかい。よく来たね」

もはやわざとやっていないか?


「違う違う。アリシアよ!」

「違う違う。ウレンケルじゃよ。ウレンケルでしょう?」


「違うわ! アリシア!」

「そんなこと言ってもわたしゃ騙されないよ。ウレンケルでしょう?」


「違うの! 本当にアリシアよ」

「ウレンケルでしょう?」


しばらくの沈黙の後に、

「はい。ウレンケルです」

私は心が折れた。



「嘘をつくっていうのはね、人として最低な行為なのよ」

「はい。ごめんなさい」


「人の善意を踏みにじることになるの。あなたは、私のことを踏みにじったことになるのよ。わかったかしら?」

「はい。わかりました」


「本当にわかったのかしら。わかったのなら、もう一度謝りなさい!」

「嘘をついてごめんなさい!」


「もっと大きい声で!」

「ごめんなさいっ!」


「誠意が足りない!」

「ごめんなさいっ!」


その瞬間、バターンと、勢いよくドアが開いた。外界へ解き放たれた部屋の出口から、たくさんの空気が病室になだれ込む。ちょっと冷たい空気は、ひんやりして気持ちがいい。

「おばあちゃん! 何しているの! その人、介護ボランティアのアリシアちゃんよ!」

病室に転がり込んできたのは、本物のウレンケルちゃんだった。



ウレンちゃんは私と同じ、とっとこ何でも依頼をやる屋さんのメンバー。黒髪黒目のシンプルイズベスト。清楚系で可愛らしい。

ウレンちゃんに事情を説明すると、

「まいどまいどごめんなさい。あのアリシアちゃんお金も何ももらっていないのよね? 無理して来なくたっていいのよ?」

「いーえ。好きできているから平気よ!」


「おや! アリシアちゃんがいるじゃない。いつの間に私の部屋に入ったんだい?」

「さっきからずっといたわよ。おばーちゃん」

「おばーちゃん。今日は随分と調子が良さそうね!」

と、ウレンちゃん。


「そんなことを言って、私を老人ホームに閉じ込めるつもりなんでしょう? 厄介者扱いしようってそうはいかないよ!」

いや、もう老人ホームにいます。おばーちゃんは、かなり痴呆が進んでいる。もう家族の顔も忘れかかっている。


ウレンちゃんは、バッグから四体の指人形を取り出した。

「おばーちゃん。ほら。おばーちゃんの大好きな指人形よ!」


そのうちの三番目に老けている人形を、指で動かしながら、

「こんにちは。私、レオリア! よろしくね」

それをみて、おばあちゃんは、

「まあまあ私と同じ名前ね。こちらこそ、よろしくね」

とびきりの笑顔を見せた。ウレンちゃんはいつもこうやっておばーちゃんとコミュニケーションを取る。


一番若い人形を指にはめて、

「私ウレンケルよ! おばーちゃん。大好き!」

もちろんウレンちゃん本人の人形だ。


続いて、二番目に若い人形をはめて、

「私マリー。ママ。あなたの娘よ!」

この人は、マリー。もう死んじゃったけど、ウレンちゃんの母、レオリアおばーちゃんの娘。


そして、最も老けている指人形を取り出して、

「レオリア! 私よ。あなたのママよ」

その瞬間、おばーちゃんはその指人形をひったくって、拳で握りしめた。哀れな指人形は声を出さずに悲鳴をあげる。

「私にママなんていないよ! 私のことを捨てた人をママなんて呼ばない」


「な、ならその人はアリシアちゃんってことにしましょう。そうすればママの家族とお友達だけよ! それならいいでしょ!」

「うるさいっ!」

おばーちゃんは、私の人形を壁に叩きつけた。ベシャリという音とともにアリシア人形が壁を這いずって地べたにキスした。うう。なんだ、この複雑な気持ち。


ウレンちゃんは大きくため息をして、

「おばーちゃんはきっと構って欲しくてこういうことをするのよ。私、先にとっとこなんでもやる屋さんに行くわね!」、「ねー! そうしましょう!」

ウレンちゃんは指人形の自分を動かしながら言った。ウレンちゃんは自分の指人形とよくおしゃべりしている。ちょっと変わった子だ。だけど、いい子だ。


「わかった。私はもう少しおばーちゃんとお話しするわ」




ウレンちゃんが去った後、

「老人の脱走だー! また逃げたぞー!」

何やら看護師さんたちが慌てている。

「はー。今日も老人ホームは大変そうね」

私は大きなため息をついた。


「アリシアちゃん大きなため息をついてどうしたんだい?」

「いえ。なんでもないわ」

「嘘よ。悩みがあるならおばあちゃんに言ってみなさい。ババアは若い人の悩みを聞くのが得意なんだ」

嘘じゃないっていうと、またおばあちゃんを怒らせそうだ。何か悩みがないか? 悩み、悩み、悩み、もはやこのおばあちゃんが悩みのタネのような気がしてきた。


「あ! そうだ。私、また偽善者って言われちゃったの」

「老人ホームのボランティアと寄付のことかい?」

私はボランティアと寄付をよくしている。こんな私でも誰かの役に立ちたいと思って始めた。

「頑張っているつもりなんだけど、ちょっと嫌な気持ちになっちゃって」

私は、私に向けられた罵詈雑言を思い出した。


「あいつ、またボランティアをしてるぜ」、「ただのポイント稼ぎだろ。私はこんなに偉いんですってアピールしたいんだよ」、「あんなのただの偽善だ」、「褒めて欲しいからやっているんだろ? 困っている人なんてどうでもいいんだ。自分のことしか考えていない」


「そうかい。ひどいことをいう人もいるもんだね。でも考えてみてごらん。誰かに褒められたくて行う行為が偽善なら、人間はみんな偽善者よ。誰も親切をする資格なんて無くなっちゃうわ」

その言葉で少しだけ救われたような気がした。


「それにアリシアちゃんに来てもらって、私はすごく嬉しい。もし、アリシアちゃんの行っている行為が偽善でも、助けられた側には善行にしか映らないわ。元気を出して」

おばーちゃんは、私の頭をグリグリしてくれた。こうするとまるで本当の家族みたいだ。


「おばーちゃんが私の本当のママだったらよかったのに」

私は勇気を出して言ってみた。


「私はアリシアちゃんのことを実の娘と同じように思っているわ」

「親に捨てられた者同士だもんね!」

「アリシアちゃんは子供のことを捨てたりするんじゃないよ」

「わかっているわ! 親に愛されなかったとしても、子供を愛する素敵な親になることはできる!」


「その通りよ」

「おばーちゃんの介護をしに来たのに、なんだか助けられちゃったわね。私そろそろ行くわ!」



「アリシアちゃん。あなたは私の死んだ娘によく似ている」



「えっ? そうなの?」

「ええ。色弱だから色が見えないけど、私の死んだ娘によく似ているわ。本人なんじゃないかと思うくらい瓜二つよ」



私の両親は死んだ。そう聞かされた。でももし生きていたらこの老婆と同じくらいの歳のはずだ。









この時の私は、老婆の言った言葉がのちに重要な意味を持つなんて思ってもいなかった。


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