シャーリー可愛い
彼女の手の感触は、俺の脳を沸騰させ、泡立たせる。脳の中が生クリームの八部立てみたいだ。ミキサーでかき混ぜられた脳内には、柔らかなツノが立っている。
柔らかくて男性のものとは違う感触。ふわふわしていて、肌から温度が伝播する。濃厚な暖かさが俺の右手を舐める。右手から何かを流し込まれているような気分だ。気持ちがいい。
背中をポカポカしたものが這いずってくる。うなじをなめて、首筋を通り抜ける。足元から登ってきたのは快楽だった。爪先から頭の天辺まで快楽の海にどっぷりと浸かったみたいだ。
全身は快楽の渦に飲み込まれて、快感から逃れられなくなってしまった。快楽の牢獄は俺を捕らえて離さない。もう一生ここから出られない。
今、俺は人生のピークに立っている。もう死んでもいい。
洞窟内を二人分の足音だけが進んでいく。世界中の時が止まったみたいだ。硬い沈黙を足音が砕く。
時折聞こえる弾んだ息遣いが俺の心を猛らせる。
(あああ。女の子の手だ! やった! 女の子の手を握っちゃっている! めっさ嬉しい)
仄暗い洞窟内のムードは最高潮に達した。色とりどりの光のみぞれが幾度も壁に反射する。二度、三度、壁にぶつかった光は、間接照明のような役割を果たす。
(俺は何もしていないのに、ムードだけが自動的に良くなっていく。この世界……できる!)
洞窟内には、フレグランスのようなものも香っている。鼻を撫でる香りは、春の野の香りだ。脳内から汚れと緊張を拭き取ってくれる。リラックスする脳味噌と、対照的に、心臓だけが激しくバクついて興奮していく。
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン――
俺はかつて竜王と戦った時のことを思い出した。あの時も興奮した。全身からアドレナリンなどのストレスホルモンがドバドバ流れ出て、心臓が破裂しそうになった。
今は、あの時の一京倍興奮している。身体中の毛穴から汗が噴き出て、脳は音を立てて爆発している。心臓はすごい勢いで拡張と収縮を繰り返す。
(はええー。女の子の手ってものすごくぷにぷにしていて、はええー)
俺は弾む心臓音が聞こえないように、必死で抑える。だけど、隠しきれない鼓動音が洞窟内に滲む。
(やべえ。手を握っただけでこんなに興奮しているのがバレる……!)
だが、激しく歌う鼓動の中に、一際優しい鼓動も混じっている。
ドクンドクンドクントクットクッ――
(ん? なんだこれ?)
俺の心臓音とは違う音。ひとまわり小さくて、可愛らしい。この音は俺の心音と互い違いに、脈を打つ。まるで、刹那の沈黙ですら音で埋めたがっているみたいだ。
(え? もしかしてシャーリーの心音? シャーリーも俺と同じように興奮しているってことか? もしそうなら死んでもいい! 死んでもいい! マジで死んでもいい!)
シャーリーは、こちらを向くことなく。
「私の心音が聞こえちゃいましたか? 恥ずかしいです……」
ブシュウウウウウウ!
俺は嬉しさのあまり、鼻血を大量に撒き散らした。俺は、死んでしまった。
「あの……大丈夫ですか? しっかりしてください!」
目を覚ますと、心配そうなシャーリーが俺の顔を覗き込む。
(死んでもいいって思ったけど、まさか本当に死ぬとは……)
「俺どうなっちゃったの?」
「鼻血出しすぎで、失血死しました」
「まじか……ってかどうやって蘇生させてくれたの?」
「もちろん人工呼吸です」
ブシュウウウウウウ!
俺は、死んでしまった。
「あの……しっかりしてください!」
目を覚ますと、再びさっきと同じ光景。俺を覗き込むシャーリーの顔が見える。
「いてて、俺また死んじゃったみたいだね」
「はい! でも何回でも人工呼吸するので、心置きなく死んでください!」
「言い方こわっ! でも、そう何度もお世話になるわけにもいかないし――っていうか俺はどういう状況なんだ?」
「膝枕させてもらっています!」
ブシュウウウウウウ!
俺は、死んでしまった。
「あの……何回死ぬんですかっ!」
「ごめん。ごめん。膝枕までしれくれるなんて感激だよ。っていうかさっきストッキング履いていたよね?」
「ええ。ですが異世界転生された方を蘇生させる場合は、人工呼吸と生足膝枕が必須なんです。だからわざわざ脱いだんです……!」
ブシュウウウウウウ!
俺は、死ん――
「ちょっと待って! この数分間で何回死ぬつもりですかっ? 流石に体に悪いですよ? もう死なないでくださいよ!」
「それもそうだな。死んで生き返ってを三セットはやりすぎだな……そろそろデートに戻ろうか?」
「やだっ! このまま膝枕していたい!」
ブシュウウウウウウ!
俺は、死んでしまった。
「あの……言っていることをやっていることが違うんですが……」
「だってケンの寝顔が可愛いんだもんっ!」
ブシュウウウウウウ!
俺は、死ん――
「死んでたまるかっ! めっちゃ嬉しいけど、寝顔じゃなくて死体の無表情だから!」
俺は膝枕状態で喚いた。頭に伝わってくる彼女の生足の温度は、とても柔らかく気持ちの良いものだった。
「ケンが素敵だったから。つい……ごめんなさい。じゃあ膝枕はやめてにして、そろそろ――」
ブシュウウウウウウ!
俺は、自殺した。
「ケン! なんでいきなり舌を噛み切って自殺したの? っていうか鼻血を撒き散らしすぎて血溜まりができているんだけど……」
「いや、もうちょっとだけ膝枕して欲しいなって思って、気付いたら死んでたっ!」
「も、もーう。そんなこと言われたら、嬉しいじゃない。それならもうちょっとだけ膝枕してあげます」
「わーい」
「だけど、ほんのちょっこーっとだけだからね!」
そして、丸三日が経った。




