チョロイン化した女の子たち
俺は、この国から特に変わった印象を受けなかった。赤レンガの綺麗な家の群れ。石畳の風情ある舗装路。店頭に野菜やフルーツが並ぶ八百屋。銀色の魚が陳列する魚屋。地面に軋轢を生み出す荷馬車。
俺は仲間の方を振り返って、
「思っていたよりも普通だな……んで、例の悪い貴族ってのは……」
その瞬間、俺は違和感に気付いた。アリシアが俺の顔を食い入るように見つめているのだ。目を見開いて、俺の顔に食いつく。頬はなぜか赤らんでいる。
っていうか近い。顔と顔が一ミリくらいの距離しかない。鼻息がかかる。
「ん? どした?」
そして、
「私、ケンのことだーい好きっ! ケンは私のものよ!」
アリシアは俺に飛びついてきた。右の腕を掴まれた。
「は? いきなり何? 頭でも打った?」
おかしいのはアリシアだけじゃなかった。
「ダメだ! ケンは私の許嫁だ!」
アルも同じように飛びかかってきて、俺の左腕を掴む。
「え? 許嫁だったっけ? 初耳なんだけど?」
そして、
ウレンは俺の右足に飛びかかってきた。
「ケンの右足は私だけのものよ!」「そうよ! 私のものでもあるんだからねっ!」
ウレンはともかく指人形のババアのツンデレはきつい。
そして、ウルフも左足に飛びかかってきた。俺の足をギザギザの犬歯でカミカミしながら、
「ケンは俺のもんだ! 誰にも渡さないんだからなっ! がるる」
俺は一瞬で身動きが取れなくなった。四人全員は完全に目がイっている。頬は赤く染まり、手足から伝わる体温は高騰している。
「ねえ! いきなり何? なんでこいつらから俺への好感度がいきなりマックスになっているの? 俺この“なろうの国”に入っただけだよね?」
(でも、内心、ちょっとだけ、いやかなり嬉しい。なんかモテ期が来たみたいで幸せ)
それからしばらく女の群れに取り合われる快感を全身で感じた。
「やめろよー。お前らー」
と、言いつつ俺は一切抵抗しない。
五感はフルに稼働している。目も耳も口も舌も肌も過労死しそうだ。全身で“モテ”を感じる。
五臓六腑染み渡る“モテ”は俺の心の中までも侵して埋める。過去に負った傷も、辛かった物も、嫌な思い出も全部“モテ”が奪い取っていった。俺に必要なのは、愛でも、友情でも、“諦めない勇気”でもない。
“モテ”ているのならもう他は全部どうでもいい。ハイデルキアは滅んでいい。悪いやつに明け渡そう。全部あげちゃう。好きにしていーよ。
その代わりに、この国に移住しよう。ここで永遠に暮らすんだ。一夫多妻制にしてもらおう。もし王様が逆らってきたりしたらぶっ殺して言うことを聞かせよう。
(そうだ。この国を滅ぼそう!)
いつの間にか俺は悪役みたいな思考になった。
「ケンは私のものよー!」「ダメだ! 私の旦那だ!」「いやよ! 私がもらうの!」「そうだよ! ウレン! やっておしまい!」「ケンは俺が食う! ガルガル!」
最後、ウルフだけなんか違うけどまあいいや。
俺はただただ幸せだった。今、この瞬間が俺の人生のハイライト。今までの人生なんて全部忘れてもいいや。もうどうでもいい。今が最高だ。
俺は幸福の海の中で溺れた。肺の中に液化した幸福が滑り込んでくる。沈殿する快感は喉も肺も心も潤した。冷たい水の中で、俺の体だけが暖かい。火照る体表に幸せが火を灯す。
皮膚の上で踊る幸福感は、俺の脳の汚れを取り去った。もう辛いことも、嫌なことも考えなくていいんだ。ただじっと、永遠にこの時が続けばいい。
「私のだってばー!」「私の旦那だっ!」「私のー!」「私のでもある!」「おれのもんだ!」
俺への好感度がマックスになったチョロインどもは俺を取り合う。貪り求めるように俺を奪い合う。そして、その力はだんだん強くなっていった。
ギリギリギリギリ。
「ねえ! ちょっと一旦ストップ! 痛い痛い痛い痛いマジで痛いからっ!」
チョロインどもは、痛がる俺など眼中にない。
「ねえ! 提案があるの!」「なんだ?」「何?」「なんだい?」「なんだよ?」
と、チョロインども。嫌な予感がする。
「ケンをみんなで分け合えばいいと思うの!」
と、バカ博士。




